1. サーファーが うみだした「ほどうサーフィン」
1. 1960年代はじめ、サーファーが生んだ「歩道サーフィン」
1. 波のない日に、サーファーは何をしたのか ── 1960年代はじめの「歩道サーフィン」
むかし、アメリカの 子どもたちは、木の いたに ローラースケートの 車りんを つけた のりもので あそんで いました。
1959年、はじめて たくさんの スケートボードが こうじょうで つくられるように なりました[1]。
1960年代の はじめには、カリフォルニアの サーファーたちが、 なみが ない日に、この いたの 上に 立って のるように なりました。なみに のって すべる サーフィンを、じめんの 上で やって いるような かんじです(ただし 本当は、水の 上とは ちがい、かたい じめんの上を すべります)。この あそびが、いまの スケートボードの はじまりに なりました [1]。
きっかけは、1940年代のアメリカで子どもたちが遊んでいた「クレートスクーター」でした。木の板にローラースケートの車輪を取りつけ、その上に果物箱を固定してハンドルにする、手作りの乗り物です。
1959年、カリフォルニア州のローラーダービー社が、量産のスケートボードを世界で初めて作ったとされています。通信販売でも売られるようになり、遊びは一気に広まりました[1]。
1960年代のはじめ、カリフォルニアのサーファーたちが、波のない日にこの板から箱とハンドルを外し、立ったまま乗るようになりました。「歩道でサーフィンをする」という意味で「サイドウォーク・サーフィン」と呼ばれたこの遊びが、いまのスケートボードの乗り方や文化につながりました[1]。
スケートボードは、何から生まれたのか。元をたどると、1940年代のアメリカで子どもたちが遊んでいた「クレートスクーター」に行きつく。木の板にローラースケートの車輪を取り付け、その上に果物箱や牛乳箱を固定してハンドル代わりにする、手作りの乗り物だ。
では、その遊びはどう広まったのか。1959年、カリフォルニア州ラ・ミラダのローラーダービー社が、量産スケートボードとしては世界初とされる製品を製造した(これより前の1957年に、ハモサビーチで個人がスケートボードを作って売り出したという記録もある[9])。ローラーダービー場や、シアーズのような通信販売会社を通じて全米に売り出され、遊びは一気に広まった[1]。
そこへ、サーファーが加わる。1960年代のはじめ、カリフォルニアのサーファーたちが、波のない日にこの板から箱とハンドルを外し、立ったまま乗るようになった。「歩道でサーフィンをする」という意味で「サイドウォーク・サーフィン」と呼ばれたこの遊びが、いまのスケートボードの乗り方や文化につながった[1]。
2. たくさん うれたのに、アメリカの まちで きんしされた
2. 最初のブームは、アメリカの多くの町での禁止で終わった
2. 最初のブームは、なぜ数年で終わったのか
1963年、ラリー・スティーブンソンと いう 人が、「マカハ」 と いう ブランドの スケートボードを つくり、さいしょの たいかいを ひらきました [1]。
でも、この ころの 車りんは、かたい 石のような そざいで できて いました。じめんの 小さな いしに あたると とまって しまい、のって いる人が ころぶ ことも あったと いわれます。けがを する 人が ふえ、1965年の おわりまでに、アメリカの おおくの まちで スケートボードが できなく なりました [1]。
3. あたらしい 車りんが おこした ふっかつ
3. ウレタンの車輪が起こした復活
3. 硬い車輪の弱点は、どう乗りこえられたのか ── ウレタンウィールと復活
1970年、フランク・ナスワージーと いう 人が、たまたま おとずれた こうじょうで、ためして いた「ウレタン」と いう そざいの 車りんを 見つけました。
この ウレタンの 車りんは、じめんが でこぼこして いても、 しっかり つかまって すべる ことが できました。1972年、 ナスワージーは、この 車りんを うる かいしゃを つくりました。 すると、スケートボードは、もう いちど 人きに なりました [2]。
きっかけは、ある偶然でした。1970年、学生だったフランク・ナスワージーは、夏休みに友人のお父さんが働くプラスチック工場を訪ね、試作中だったウレタン製のローラースケート用の車輪を見つけました。
翌1971年、カリフォルニアに引っこしたナスワージーは、この車輪をスケートボードに使えないかと考え、お父さんに頼んで10セット送ってもらいました。かたいクレイの車輪とちがい、ウレタンはでこぼこした地面でもしっかりグリップして、なめらかに転がりました。1972年、彼は500ドルを元手に「キャデラック・ウィール社」を作りました。乗り心地の良さから、高級車の名前を借りたのです。
効果は絶大でした。1975年には、年間30万セットものウレタンの車輪が売れるまでになっていました[2]。
転機は、ある偶然から訪れた。1970年、学生だったフランク・ナスワージーは、夏休みに友人の父親が営むプラスチック工場を訪ね、試作段階だったウレタン製のローラースケート用車輪を目にした。
翌1971年、カリフォルニアに移り住んだナスワージーは、この車輪をスケートボードに使えないかと考え、父親に頼んで10セットを送ってもらった。硬いクレイの車輪と違い、ウレタンはでこぼこした路面でもしっかりグリップし、なめらかに転がった。1972年、彼は500ドルを元手に「キャデラック・ウィール社」を設立する。乗り心地の良さから、高級車の名前を借りたブランド名だった[2]。
その後の売れ行きが、答えを出している。1975年には、年間30万セットのウレタンウィールが売れるまでになっていた[2]。
4. からっぽの プールで すべる ── かんばつが うんだ あたらしい すべりかた
4. 空のプールで滑る ── 干ばつが生んだ新しいスタイル
4. 空のプールで、何が起きたのか ── 干ばつが生んだ新しいスタイル
ロサンゼルスの ちかくに あった「ドッグタウン」と いう ばしょの みせが、わかものたちを あつめて スケートチームを つくりました。「Zボーイズ」と よばれた この チームは、 1975年の たいかいで、なみに のって すべる ような、 めずらしい すべりかたを して、みんなを おどろかせました。
1976年から 1977年に かけて、カリフォルニアで みずが たりなくなる ことが おきました。にわの プールから 水が ぬかれ、からっぽに なりました。Zボーイズは、その からっぽの プールの なかを すべるように なりました。 スケートボードの せんしゅたちは、プールの ふちから とびだして、ちゃくちする「エアリアル」と いう わざを ひろめました[3]。
波乗りスタイルで大会を驚かせたZボーイズ
ウレタンの車輪で復活したスケートボードに、新しい風をふきこんだのが、サンタモニカ・ベニスにまたがる「ドッグタウン」という地区にあったサーフショップ「ゼファー」でした。オーナーたちは、地元の若者を集めたスケートチーム「Zボーイズ」を作りました。
1975年、彼らはデルマー・ナショナルズという大会に出場しました。波乗りのような低い姿勢のスタイルで注目を集め、決勝に進んだ人の半分をZボーイズがしめました。女子フリースタイル部門で優勝したペギー・オキも、チームの一員でした。
干ばつが生んだ、空のプール
1976年から1977年にかけて、南カリフォルニアはひどい干ばつにみまわれました。水をぬかれた家庭用プールが街のあちこちに放置され、Zボーイズはそのかたむいた面をすべるようになりました。プールのふちから飛び出しては着地する「エアリアル」という空中技を広めました。この滑り方は、のちにプールのような大きな斜面を使う「バートスケート」につながりました[3]。
波乗りスタイルで大会を驚かせたZボーイズ
ウレタンウィールで復活したスケートボードに、新しい風を吹き込んだのは誰か。サンタモニカ・ベニスにまたがる「ドッグタウン」と呼ばれる地区のサーフショップ「ゼファー」である。オーナーのジェフ・ホーらは、地元の若者たちを集めたスケートチーム「Zボーイズ」を結成した。
その腕前が試されたのが、1975年のデルマー・ナショナルズという大会だ。波乗りのような重心の低いスタイルで注目を集め、決勝進出者の半数をZボーイズが占めた。女子フリースタイル部門で優勝したペギー・オキも、チームの一員だった[3]。
干ばつが生んだ、空のプール
では、彼らの次の舞台はどこだったのか。1976年から1977年にかけて、南カリフォルニアは深刻な干ばつに見舞われた。水を抜かれた庭のプールが街のあちこちに放置され、Zボーイズはその斜面をスケートで滑るようになった。プールの縁から飛び出しては着地する「エアリアル」という空中技を広め、これが後のバート(垂直面)スケートの原型になった[3]。
5. 手を つかわず ジャンプする わざ「オーリー」と、みちの上へ
5. 手を使わず板ごと跳ぶ技「オーリー」の発明と、路上への広がり
5. 板ごと跳ぶ技は、どこで生まれたのか ── オーリーの発明と、路上へ
1970年代に、アラン・ゲルファンドと いう 人が、フロリダの スケートパークで、手を つかわずに いたごと とぶ わざを 見つけました。この わざは、かれの あだなから「オーリー」 と よばれるように なりました。
はじめは、かたむいた ばしょでしか できない わざでした。 でも 1982年、ロドニー・マレンと いう 人が、たいらな じめんの上でも できる オーリーを かんがえだしました [4]。
ちょうど おなじ ころ、ほけんりょうが 上がった せいで、 スケートパークが つぎつぎに とじて いきました。ばしょを なくした 人たちは、まちの えんせきや かいだんを つかって すべる ように なりました[5]。
プールの中で生まれたオーリー
1970年代の後半に、フロリダのスケートパークで、アラン・ゲルファンドは、思いがけない技を発見したとされます。年は資料によって1976年から1979年までとちがいます。かたむきの急なかべですべっていたとき、板が足元にはね返ってくる感覚をつかんだといわれています。手を使わずに板ごと宙にうくこの技は、彼のあだ名にちなんで「オーリー」と呼ばれるようになりました[4]。
ただ、このころのオーリーは、かたむいたプールやランプの上でしかできない技でした。1982年、カリフォルニア州で開かれた大会で、ロドニー・マレンが、平らな地面の上でもできる「フラットグラウンド・オーリー」を披露しました。板の後ろを地面にたたきつけて前をはね上げる、シーソーのような動きです[4]。
スケートパークが消え、ストリートへ
ちょうど同じころ、スケートボードは別の理由でも路上に押し出されていました。1970年代末、事故の裁判が続いたことで保険料が上がり、各地のスケートパークが次々に閉じていったのです。1980年までに、残っているスケートパークはごくわずかになっていました。行き場を失ったスケーターたちは、縁石や手すり、階段など、街にあるものを使ってすべる「ストリートスケート」を作り上げていきました[5]。
プールの中で生まれたオーリー
手を使わずに板ごと跳ぶ技は、プールの中で見つかった。1970年代の後半に、フロリダのスケートパークで、アラン・ゲルファンドは思いがけない技を発見したとされる。年は資料によって異なり、1978年とするものもあれば、1976年に始まり1979年に磨かれたとするものもある。傾斜のきついバートウォールでスケートをしていたとき、板が足元に跳ね返ってくる感覚をつかんだといわれている。手を使わずに板ごと宙に浮くこの技は、彼のあだ名にちなんで「オーリー」と呼ばれるようになった[4]。
ただし、この時点のオーリーは、傾斜のあるプールやランプの上でしかできない技だった。1982年、カリフォルニア州ウィッティアで開かれた大会で、ロドニー・マレンが、平らな地面の上でもできる「フラットグラウンド・オーリー」を披露する。板の後ろを地面に叩きつけて前を跳ね上げ、前足で板を引き上げて一緒に跳ぶ、シーソーのような動きだった。マレン自身、「誰かがこの技を発明しなければ、スケートボードは進化に行き詰まって廃れていたかもしれない」と振り返っている[4]。
スケートパークが消え、ストリートへ
ちょうど同じころ、スケートボードは別の理由でも路上に押し出されていた。1970年代末、賠償責任の裁判が相次ぎ、保険料が高騰したことで、各地のスケートパークが次々に閉鎖されていたのだ。1980年までに、アメリカに残るスケートパークはごく少数になっていた。行き場を失ったスケーターたちは、縁石や手すり、階段など、街にあるものを使って滑る「ストリートスケート」を発展させていった[5]。
6. せかいたいかいから、スケートボードが オリンピックへ
6. スケートボードが、Xゲームズからオリンピックへ
6. 路上の遊びは、どこまで届いたのか ── Xゲームズからオリンピックへ
1995年、アメリカで「エクストリーム・ゲームズ」と いう たいかいが はじまりました。スケートボードも、この たいかいの だいじな しゅもくに なりました [6]。
そして 2021年、スケートボードは、東京オリンピックで はじめて しゅもくに なりました。東京の たいかいを じゅんびする 人たちが、わかい 人に 見て もらいたい しゅもくと して えらび、オリンピックの かいぎで きまったのです[10]。ほりごめ ゆうと せんしゅが きんメダルを とり[8]、 つぎの日には、にしや もみじ せんしゅ(13さい)が きんメダルを とりました[7]。
1995年、アメリカのテレビ局ESPNが「エクストリーム・ゲームズ」(のちのXゲームズ)を始めました。ロードアイランド州ニューポートなどで開かれた第1回大会では、スケートボードが主要な種目のひとつになり、トニー・ホーク選手がバート部門で金メダルを取りました[6]。
そして2021年、スケートボードは東京オリンピックで、はじめての正式種目になりました。IOCの改革案「オリンピックアジェンダ2020」で開催都市が種目を追加で提案できるようになり、東京2020組織委員会が「若者へのアピール」を主な原則に選んだ5競技の一つとして、2016年8月のIOC総会で採用が決まったのです[10][11]。7月25日の男子ストリート決勝では、東京都出身の堀米雄斗選手が金メダルを取り、初代王者になりました[8]。次の日の女子ストリート決勝では、当時13歳だった西矢椛選手が金メダルにかがやきました[7]。
路上で育った遊びが、大きな舞台に立ったのはいつか。まず1995年、アメリカのスポーツ専門局ESPNが「エクストリーム・ゲームズ」(後のXゲームズ)を創設した。ロードアイランド州ニューポート・プロビデンスで6月24日から7月1日まで開かれた第1回大会には、スケートボードも主要種目として組み込まれ、トニー・ホーク選手がバート部門、クリス・セン選手がストリート部門で金メダルを獲得した[6]。
そして舞台はオリンピックへ。入口は、IOCの改革案「オリンピックアジェンダ2020」(2014年12月採択)が開いた、開催都市による追加種目の提案だった。東京2020組織委員会は「若者へのアピール」を主要原則の第一に置き、スケートボードを含む5競技18種目を提案した。2016年8月3日、リオデジャネイロでのIOC総会がこれを採用した[10][11]。2021年、スケートボードは東京オリンピックで初めて正式種目になった。7月25日の男子ストリート決勝では、東京都江東区出身の堀米雄斗選手が金メダルを獲得し、初代王者となった[8]。翌26日の女子ストリート決勝では、当時13歳の西矢椛選手が金メダルに輝いた[7]。
じぶんでも やって みる
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
ちかくに スケートパークが あれば、見学 できないか、 しらべて みましょう。
あんぜんな ばしょで できる こと
- どうがサイトで、オーリーの えいぞうを 見て みる。 いたが 足に くっついて とぶ ところを、なんども 見て みましょう。
- おうちの人と、東京オリンピックの けっかを しらべて みる。 日本の せんしゅが、ほかにも どんな メダルを とったか さがして みましょう。
きょう 出て きた ことばを 1つだけ ノートに 書いて おきましょう。「オーリーって なに?」だけで じゅうぶんです。
近くにスケートパークがあれば、見学できないか調べてみましょう。
今日できること
- 動画サイトで、オーリーの映像を見てみる。板が足にくっついて飛ぶところを、何度も見てみましょう。
- 東京オリンピックのスケートボード結果を調べてみる。日本の選手が、ほかにどんなメダルを取ったかさがしてみましょう。
気になった言葉を1つだけ書いておくと、あとで調べる入口になります。「フラットグラウンド・オーリーって、誰が考えたの?」だけでも十分です。
オーリーは、映像で見るだけでも、板の動きの意味が分かってくる。動画サイトでオーリーやフラットグラウンドトリックの映像を見て、板の動きを確認してみるとよい。
手を動かして確かめる
- スロー再生でオーリーの動きを分解してみる。板の後ろをたたく動きと、前足で板を引き上げる動きのタイミングを観察するとよい。
- 近くにスケートパークがあるか調べてみる。自治体や施設の公式サイトに、利用時間や安全のきまりが公開されていることがある。
一次情報にあたる
X GamesやOlympics.comの公式サイトには、大会の記録や結果が公開されている。
気になった数字や言葉を1つだけノートに記録しておくとよい。「フラットグラウンド・オーリーが生まれたのは1982年」という一文でもかまわない。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
この記事は、下にあげた公開情報をもとに書いています。文章や図を無断で転載してはいません。もっと正確に知りたいときは、必ず下の出典にあたってください。リンク先の内容や、リンク先で起きたことについて、当サイトは責任を負いません。
出典について:博物館・公式団体の公開情報と、基礎的な経緯の解説にWikipediaを使っています。
- The Strong National Museum of Play「Sidewalk Surfing: The Gnarly History of Skateboarding Part I(1940s to 1972)」。 https://www.museumofplay.org/blog/sidewalk-surfing-the-gnarly-history-of-skateboarding-part-i-1940s-to-1972/ (クレートスクーター、1959年の量産開始、1963年のマカハ、1965年末までに多くの都市が禁止したことについての解説。クレイの車輪が小石で止まるという点は、このページには書かれておらず、スケートボードの歴史を述べる一般的な説明による)
- Frank Nasworthy - Wikipedia(英語版)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Nasworthy (ウレタンウィールの発見から、キャデラック・ウィール社設立、1975年の販売実績についての解説)
- Z-Boys - Wikipedia(英語版)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Z-Boys (1975年デルマー・ナショナルズ、決勝進出者の半数がチームだったこと、ペギー・オキの女子フリースタイル優勝、ゼファーの店とドッグタウン、1976〜77年の干ばつとプールスケートについての解説。大会の月はこのページに書かれていない。要約ツール経由で確認した)
- Ollie (skateboarding) - Wikipedia(英語版)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Ollie_(skateboarding) (アラン・ゲルファンドによるオーリーの発明と、1982年のロドニー・マレンによるフラットグラウンド・オーリーについての解説。このページは発明の年を1978年とするが、同人物のWikipedia(英語版)は1976年にフロリダで初めて行い1979年までに磨いたとしており、資料により年が異なる。フロリダ・偶然の発見という点は後者による。いずれも要約ツール経由で確認した)
- Public Skatepark Development Guide「Brief History of Skateparks」。 https://publicskateparkguide.org/vision/brief-history-of-skateparks/ (保険料の高騰によるスケートパーク閉鎖と、1980年時点でごくわずかしか残らなかったことについての解説)
- X Games - Wikipedia(英語版)。 https://en.wikipedia.org/wiki/X_Games (1995年の第1回Extreme Gamesの開催地・期間・スケートボード種目についての解説)
- Skateboarding at the 2020 Summer Olympics – Women's street - Wikipedia(英語版)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Skateboarding_at_the_2020_Summer_Olympics_–_Women's_street (2021年7月26日、女子ストリート決勝で西矢椛選手が金メダルを獲得したことについての解説)
- 堀米雄斗 - Wikipedia(日本語版)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/堀米雄斗 (2021年7月25日、男子ストリート決勝で堀米雄斗選手が金メダルを獲得したことについての解説)
- HISTORY「Who Invented Skateboarding?」。 https://www.history.com/articles/skateboarding-origins-california (1957年からカリフォルニア州ハモサビーチでアルフ・ジェンセンが「バン・ボード」という名のスケートボードを作って売っていたこと、ローラーダービー社が1959年に量産したと書かれていることについて。手作りか、販売の規模がどれほどだったかは、確かめられていない。ウェブ上の要約ツールで取得した文面を確認したもので、記事の全文を通読したわけではない)
- 東京都オリンピック・パラリンピック準備局「東京2020オリンピック競技大会の追加種目について」(PDF)。 https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/2242398ec646f54e6ab8232f2f3ca52b.pdf (2014年12月の「オリンピックアジェンダ2020」採択で開催都市の組織委員会が追加種目を提案できるようになった経緯、「若者へのアピール」を第一とする主要原則、スケートボードを含む5競技18種目の提案、2016年8月のIOC総会での最終決定について)
- Canadian Olympic Committee「IOC approves five new sports for Tokyo 2020」(2016年8月3日)。 https://olympic.ca/2016/08/03/ioc-approves-five-new-sports-for-tokyo-2020/ (2016年8月3日にIOCが5競技の追加を承認したこと、革新と若者を重視して開催都市が種目を提案できるようになったことについて。英語)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
- 1959年のローラーダービー社の製品を「世界初」と断定していた箇所を、「量産としては世界初とされる」という限定つきの表現に修正。歴史上の発明は複数起源をたどることが多く、これより前の1957年に別の個人が小規模に手作り販売していた記録(HISTORY.com)があったため、その旨も注記として追加した。
- 中学生むけの文章を、問いとつなぎのある書き方に直した(事実・数字・出典は変えていない)。
- 出典を見直し、確かめきれない断定を弱めた。1957年の販売の「手作り・小規模」、車輪が小石で止まる話、ペギー・オキが「唯一の女性」、デルマーの大会の「3月」、オーリーの「1978年」(資料により年が異なる)。出典欄の注記も、確認できた範囲に合わせて書き直した。
- 題名と一部の見出しを、題名だけで内容が分かる形に直した。禁止の範囲は出典どおり「アメリカの多くの都市」と明記した(事実・数字は変えていない)。
- 導入と第6章に、オリンピックの競技になった理由(禁止のあとも若い世代の人気が続き世界的な大会が生まれたこと、IOCの「オリンピックアジェンダ2020」で開催都市が追加種目を提案できるようになり、東京2020組織委員会が「若者へのアピール」を原則に提案し2016年8月のIOC総会で採用されたこと)を書き足し、出典10・11を追加した。理由: 題名の問いへの答えを前半に示すため。
- 低学年むけの2か所(サーフィンのような乗り方からスケートボードへのつながり、「マカハ」の説明)、プールの章の「エアリアル」と「バートスケート」の説明、中学生むけのオーリーの足の動きの説明を、分かりやすく直しました(先生の目での読み直しによる)。事実・数字・出典は変えていません。
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