1. スカートの もとは、どんな ふくなの?
1. スカートのもとは、男性も着た「腰に巻く布」
1. 腰衣という出発点 ── 古代エジプトの男性が巻いたシェンディト
スカートの もとの ひとつは、腰に ひとまわり 布を まく ふくだと いわれます[1]。ぬのを まいて、まえで むすぶ だけの ふくです。
古代エジプトでは、男の人が この ふくを 着て いました。ひざの すこし 上くらいの 長さです。「シェンディト」と いいます[2]。王さまは、すべすべの いい 布。ふつうの 人は、ふつうの 布でした[2]。
メソポタミアの シュメールでは、およそ 五千年前に、羊の 毛皮を ベルトで とめた ふくを 男の人が 着た 絵や ぞうが のこって います[5]。
ここまでは、どれも 男の人です。では、女の人は いつから 着て いたのでしょう。
スカートの前身は、古代エジプトなどで使われた腰衣(ロインクロス)に見られる、と世界大百科事典は説明しています[1]。腰に布を巻くという、もっとも単純な形です。ただし「世界で最初のスカート」と決まっているわけではありません。
エジプトの男性が着たのは、シェンディトと呼ばれる腰巻きでした。四角い布を腰に巻いて前で結び、丈は膝の少し上あたりまでです[2]。古王国の時代から絵に見られ、身分が高い人ほど上等な布を使ったそうです[2]。
英語版Wikipediaによると、メソポタミアのシュメールでは、紀元前3000年ごろの男性が、羊などの毛皮をベルトで留めた「カウナケス」という毛皮のスカートを着た像や絵が残っています[5]。のちには、毛皮に似せた織物がこれに代わったと説明されています。
ここまでに出てきたのは、すべて男性の姿です。では、女性の腰まわりの服は、どこまでさかのぼれるのでしょうか。
百科事典は、独立したスカートの前身を、古代エジプト人などが用いた腰衣(ロインクロス)に見る[1]。布を腰に巻くだけの形は、縫製技術が乏しくても作れる。そのため「起源」は、単一の発明というより、各地で似た形が並行して現れた現象として見るほうが自然だ。これは筆者の見方である。
古代エジプトの男性が着たシェンディト(シェンティとも)は、長方形の布を下半身に巻き、前で結ぶ衣服で、丈は膝上までであった[2]。古王国の時代(英語版Wikipediaでは紀元前2130年ごろ〜)から、ファラオ、神々、庶民、軍人にまで見られ、身分が高いほど上質の布が使われた[2]。着る人が限られた服ではなかったのが、ここでのポイントである。
シュメールの男性は、紀元前3000年ごろ、羊などの毛皮をベルトで留めた毛皮のスカート「カウナケス」を着た像や絵で知られる[5]。のちに毛皮を模した織物(カウナケス布)に置きかわった。この記述は英語版Wikipediaによるもので、補助的な例である。
ここまでの例はすべて男性の服である。では、女性の腰まわりの衣服で、残っている最も古い手がかりは何か。
2. 3400ねん前の ひもスカートは、どんな ふくだったの?
2. 北欧で見つかった3400年ほど前の「ひもスカート」
2. エグトヴェズのひもスカート ── 現存する形が分かる最古級の例
デンマークで、およそ 3400年前の 少女の ふくが 見つかりました。土の 中で 守られて、いまも 形が わかります[3]。
それは、羊の 毛で できた ひもを ならべた スカートでした。腰に 2かい まきつけて、ひざまでの 長さです。長さは 38センチ。ものさしの 30センチより、すこし 長いだけです[3]。
デンマークの 国立はくぶつかんは、この しゅるいの スカートは、その じだいの あいだ ずっと 使われたと せつめいします[3]。
さらに おどろくのは、そのあとです。にた ひもスカートは、バルカン半島の むかしながらの ふくとして、いまも 使われて いると いいます[4]。三千年より 長く、形が ひきつがれて きた ふくです。
ただ、これは 「世界で いちばん 古い スカート」では ありません。ふくは くさりやすく、のこって いない ものが 多いからです。
デンマークのユトランド半島にあるエグトヴェズの青銅器時代の墓から、1921年に、少女が身につけていた服が見つかりました。年輪の分析から、年代は紀元前1370年ごろとされています[3]。
その服の一つが、羊毛のひもでできたスカートです。腰に2回巻きつけ、丈は膝まで、長さは38cmでした[3]。30cmの定規より、8cmほど長い計算です。デンマーク国立博物館は、この種のスカートは青銅器時代を通して使われたと説明しています[3]。
アメリカのスミス大学の展示解説は、このタイプの衣服で現存する最古の証拠が、エグトヴェズの例だと述べます。似たひもスカートがバルカン半島の民族衣装として今も使われており、「世界でもっとも長く続く服の流行の一つ」にあたる、とも説明しています[4]。
ただし、これを「世界最古のスカート」と呼ぶのは行きすぎです。布や毛は土の中で残りにくく、見つかっていないだけの服が多いはずだからです。では、男女で着るものが分かれていくのは、いつごろからなのでしょうか。
1921年にデンマークのエグトヴェズで発見された青銅器時代の墓では、少女が身につけていた衣服が良好な状態で残っていた。年輪年代の分析により、その年代は紀元前1370年の夏ごろ、つまり3400年ほど前とされる[3]。
そのうち腰まわりの服は、羊毛のひもを並べて作ったスカートで、腰に2回巻き、丈は膝まで、長さは38cmである[3]。この種のスカートは、青銅器時代を通して使われたと国立博物館は説明する[3]。1点の発見から時代全体を言うことには慎重でありたいが、博物館が青銅器時代を通じた使用を述べている点は、この服がまれな一品ではなかった可能性を示す。
さらにスミス大学の展示解説は、この種の衣服で現存する最古の証拠がエグトヴェズの墓であると述べ、似たひもスカートがバルカン半島の民族衣装に今も使われていることから、「世界でもっとも長く続く服の流行の一つ」だとする[4]。同ページの題名に含まれる紀元前6000年という数字は、本文に裏づけがないので、使っていない。
注意したいのは、「世界最古のスカート」ではなく、あくまで「この種の服の現存する証拠として最古級」という点だ。布や毛は土中で残りにくいため、「最初にスカートを着た年」は分からない。では、その後、男女の服はどう分かれていったのか。
3. 男の人の ふくと 女の人の ふくは、いつ 分かれたの?
3. ズボンが広がり、スカートは女性の服へ寄っていった
3. 胴衣とズボンへの分離 ── スカートが「独立した衣服」になる15世紀
中世の ヨーロッパでは、男の人も 女の人も、長い ふくを 着て いました。腰に ひもを とおした ものや、足くびまでの ふくです[6]。
ところが、男の人の 間で ズボンが ひろがり、のこった スカートは、だんだん 女の人の ふくと して 見られるように なります[6]。
15世紀に なると、男の人の ふくは 上と ズボンに 分かれました。女の人の ふくも 上と スカートに 分かれ、スカートは 一まいの ふくとして ひとりだちしました[1]。
ただし、ある日 とつぜん 女の人だけの ふくに なったのでは ありません。長い 時間を かけた 変化です。
中世のヨーロッパでは、男女とも、布を筒状に縫って腰にひもを通した形や、足首まで届く長い上着のような服を着ていました[6]。
やがて男性の間でズボンが広まり、スカートは女性の服として扱われるようになっていったと説明されています[6]。
世界大百科事典によれば、15世紀にはズボンの発達が進み、男性の服が胴衣とズボンに分かれました。女性の服も胴衣とスカートに分かれ、スカートが独立した衣服になりました[1]。
ここで注意したいのは、これが一気に起きたのではない点です。時間をかけて少しずつ、男性は脚を分ける服、女性はスカートという分かれ方が定まりました。では、女性の服になったスカートは、その後どんな姿をしてきたのでしょうか。
中世のヨーロッパでは、男女とも、布を筒状に縫って腰にひもを通した形や、足首丈のチュニック状の服が着られていた[6]。男女の服の形は、まだ大きくは分かれていなかった。
その後、男性の間でズボンが広まり、それにつれてスカートは女性の服として扱われていった[6]。つまり、スカートが「女性らしい」とされたのは、スカートの性質が変わったからというより、男性の服がスカートから離れたから、と読める。
決定的な構造の変化は、15世紀に起きた。世界大百科事典によれば、男子服が胴衣とズボンに分かれ、女子服も胴衣とスカートに分離して、スカートは独立した衣服になった[1]。男女の服が、上下で別々の形をとるようになったということだ。
ただし、この時点で女性専用になったわけではない。時間をかけた変化であり、地域や身分によっても進み方は違ったはずだ。では、女性の服として定まったスカートは、どう形を変えたのか。
4. スカートは、どうして ふくらんだり みじかく なったりしたの?
4. 骨組みでふくらんだスカートから、ミニスカートへ
4. クリノリンからミニスカートまで ── 形が大きく振れたスカート
スカートの 形は、時代で ずいぶん かわりました。
むかしの ヨーロッパでは、わっかの ほね組みで、スカートを つりがねの 形に ふくらませました[5]。1860年代には、クリノリンと いう、とても 大きく ふくらんだ スカートが はやりました。そのあと、うしろだけを ふくらませる バッスルへ かわって いきました[5]。
反対に、みじかい スカートも あらわれます。ミニスカートは、1950年代の おわりごろ、イギリスの ロンドンで わかい 人の ために 作られて はやりました。1965年には、フランスの パリで 発表され、世界中で ブームに なったと されて います[6]。
だれが さいしょに 作ったかは、いろいろな 考えが あります。
スカートは、はじめは比較的細い形でしたが、やがてフープ(輪の骨組み)で広げた釣鐘形になりました。1860年代にはクリノリンと呼ばれる大きくふくらんだ形が流行し、のちに、ふくらみを後ろに集めたバッスルへ移っていきました[5]。
20世紀には、反対に丈が一気に短くなります。ミニスカートは、1950年代後半のロンドンで、デザイナーのマリー・クワントが若者向けに提案して流行し、1965年にアンドレ・クレージュがパリのコレクションで発表して世界的なブームになった、と説明されることが多いです[6]。
ただ、「誰が最初に発明したか」には諸説あり、ここでは「とされる」という言い方にとどめます。いずれにしても、広がる形も短い形も、スカートという一つの服の中に収まってきたことが分かります。では、日本のスカートはどうだったのでしょうか。
スカートの広がりは、時代ごとに大きく振れた。細い形から始まり、ロココ時代にはフープで釣鐘形に広げ、1860年代にはクリノリン(骨組みでふくらませたスカート)が流行し、その後はふくらみを後ろに集めたバッスルに移った(英語版Wikipediaによる)[5]。
丈は、20世紀に大きく動く。ミニスカートは、1950年代後半のロンドンでマリー・クワントが若者向けに提案して広まり、1965年にアンドレ・クレージュがパリのコレクションで発表して世界的なブームとなった、とされる[6]。誰が先かには諸説あり、資料も「とされる」と述べているので、断定はしない。
ここで注目したいのは、形が最大まで広がっても、丈が極端に短くなっても、それが「スカート」として受け入れられた点だ。腰から下を覆う一枚の衣服という定義が緩く、変化に強い。エジプトの腰巻きとミニスカートが同じ名前でくくれるのは、この幅の広さのためである。
では、欧州とは別の衣服の歴史をもつ日本では、腰から下の服はどう扱われてきたのか。
5. 日本では、スカートは いつから 着られて いるの?
5. 日本では「裳」から洋装へ ── スカートが日常着になるまで
5. 裳と洋装の間 ── 日本でスカートを含む洋装が広まった時期
日本にも、腰から 下に まとう ふくは ありました。「裳」と いいます。身分の 高い 女の人が 着ました。平安時代の 十二単では、うしろだけに まとう ふくに なりました[7]。
でも、むかしは 男の人にも、きまりごとの ときの 服に 裳が ありました。だから「日本では 女の人だけ」とも いえません。
いまの ような スカートが 日本に 来たのは、1884年、鹿鳴館の ころです。でも、一部の 身分の 高い 女の人が 社交の ときに 着る ふくでした[8]。
ふつうの 人が 着るように なったのは、ずっと あとです。昭和の はじめに「モダンガール」や、夏の かんたんな ふく「アッパッパ」が ひろがり、戦後に 広まって いきます。洋服の 基本の ふくが、お年よりを ふくめて 全国に ひろがったのは、1965年ごろまでと 考えられて います[8]。ただし これは 洋服 ぜんたいの 話で、スカートだけの 数では ありません。
日本には、洋装より前から、腰から下にまとう服がありました。それが「裳」です。腰から下にまとう衣服の総称で、上流の女性が着ました。平安時代以降の女房装束(十二単など)では、腰から下の後ろだけにまとう服になりました[7]。ただし、古い時代の決まりでは男性の礼服にも裳があったので、「日本では女性だけ」とは言えません。
洋風のスカートが現れたのは、1884年(明治17年)の鹿鳴館です。このときは一部の上流の婦人の社交服にとどまりました[8]。
昭和の前半にはモダンガールが現れ、夏の簡単服「アッパッパ」が広がりました。戦後に洋装が定着し、洋装の基本衣料は、1965年までに高齢者も含めて全国に広まったと考えられています[8]。
ここで一つ断っておきます。この資料が述べているのは洋装全体の話で、スカート単体の普及年ではありません。スカートは洋装の一部ですから、日本でスカートが日常着になったのも、戦後から1960年代にかけてだったと考えられます。
日本の腰から下の衣服には、裳がある。腰から下にまとう衣服の総称で、上流の女性が着た。平安時代以降の女房装束(十二単)では、後方だけにまとう形に変わった[7]。ただし律令制の礼服では男性にも裳があり、日本を女性だけの服の国とするのは不正確である。
洋風の女性の服は、1884年(明治17年)の鹿鳴館に現れたが、一部の上層婦人の社交服にとどまった[8]。当時は和服が日常の中心だったためと思われるが、これは筆者の推測である。
昭和前半にはモダンガールや、夏の簡単服アッパッパが広がり、戦後に洋装が定着した。日本大百科全書は、洋装の基本衣料が、老年層を含めて1965年までに全国に浸透したと考えられる、と述べる[8]。
ただし、この資料の主語は洋装全体であり、スカート単体の普及年ではない。スカートは洋装の一部なので、日常着になったのも戦後から1960年代にかけてと考えるのが無理のない言い方である。
6. 一まいの 布を 腰に まいて みよう
6. 一枚の布を腰に巻いて、昔の形を試す
6. 確かめる道すじ ── 布を巻く、腰まわりの服の絵や像を見比べる
スカートの もとは、一まいの 布を 腰に まくことでした。家で ためして みましょう。
やってみよう。大きな ふろしきか、四角い 大きな 布を 用意します。腰に ひとまわり まいて、前で ゆるく むすびます。きつく しめすぎないでください。そのまま 少し 歩いて、すわって、立って みます。
歩きやすい ところと、ずれやすい ところは どこでしょう。エジプトの 人は、にた 形の ふくを 着て いました。
はくぶつかんや 本で、むかしの 人の 腰まわりの ふくを さがすのも おすすめです。昔の絵や ぞうでは、男の人も 女の人も 見つかるでしょう。
スカートの前身は、一枚の布を腰に巻く形でした。家にある道具で、昔の形を試せます。
やってみよう:大きなふろしきか、四角い大きめの布を用意します。腰に一周巻き、前でゆるく結びます。きつく締めすぎないよう気をつけてください。そのまま歩く、座る、立つを試して、動きやすい点とずれやすい点を比べます。エジプトの人々が着ていた服の形を、体で想像する手がかりになります。
出かけられるなら、博物館の展示や図録で、昔の人の腰まわりの服を探してみてください。男性も女性も見つかるはずです。それぞれの服が、どんな布で、どう留められていたかを見比べると、スカートの前身が一つでないことが分かってきます。
確かめる方法を2つ挙げる。
①布で試す。ふろしきなど四角い布を腰に一周巻き、前でゆるく結ぶ。歩く、座る、立つの動作で、ずれやすい箇所を探す。きつく締めない。この体験は、シェンディトの実際の着心地を再現するものではなく、あくまで形の想像を助けるにとどまる。
②絵や像を見比べる。博物館の展示や図録で、エジプトの腰巻き、シュメールの毛皮のスカート、北欧のひもスカートを探し、男女の別、布の材質、留め方を比べる。気づいた違いを、本文の「前身」「並行して現れた」という見方と照らしてみる。
資料の入口としては、世界大百科事典の「スカート」(コトバンク、出典[1])と、デンマーク国立博物館の解説(出典[3])が読みやすい。英語版Wikipediaの「Skirt」は、本文で使った年代の出どころを含むが、百科事典的な資料なので、一次資料にあたる際の入り口とするとよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:百科事典、博物館・大学の解説、ファッション情報サイトを使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- 世界大百科事典「スカート」(コトバンク)。https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88 (腰衣が前身という見方、15世紀の分離)
- Wikipedia英語版「Shendyt」。https://en.wikipedia.org/wiki/Shendyt (古代エジプトの男性の腰巻き。事典的な資料)
- Nationalmuseet (デンマーク国立博物館)「Cord skirts and rituals」。https://en.natmus.dk/historical-knowledge/denmark/prehistoric-period-until-1050-ad/the-bronze-age/the-egtved-girl/cord-skirts-and-rituals (ひもスカートの形と年代)
- Smith College「String Skirt」。https://www.smith.edu/bigbad/historyscitech/museum/ancient_inventions/stringskirt2.html (現存する最古級の証拠、民族衣装での継続)
- Wikipedia英語版「Skirt」。https://en.wikipedia.org/wiki/Skirt (シュメールの毛皮のスカート、クリノリンなど。事典的な資料)
- FASHIONSNAP「スカートとは」。https://www.fashionsnap.com/article/2021-05-06/skirt/ (中世の服、ズボンの広がり、ミニスカート)
- 日本大百科全書ほか「裳」(コトバンク)。https://kotobank.jp/word/%E8%A3%B3-1175478 (裳の意味と平安時代以降の形)
- 日本大百科全書「洋服」(コトバンク)。https://kotobank.jp/word/%E6%B4%8B%E6%9C%8D-145841 (鹿鳴館、洋装の普及。洋装全体の話)
なおした ところ
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