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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

「えき」の かん字には、どうして 「うま」が 入って いるの?

「駅」の字に馬がいるのはなぜか ── 馬の乗りつぎ所から駅前広場まで

駅はなぜ「乗り降りの場所」だけで終わらないのか ── 駅馬の継ぎかえから交通結節点まで

分野:歴史・文化

「えき」の 字を よく 見ると、左がわに 「馬」が います。むかしの えきは、人と 馬が のりつぐ ところ でした[1]。

では いまの えきは、町の なかで なにを して いるのでしょう。えきが 町で はたして きた やくわりが わかります。

「駅」という字の左側には、馬がいます。鉄道が走り出すずっと前、この言葉は、役所の使いが馬を乗りかえる官道の施設を指していました[1]。

では、いまの駅は町のなかで何を引き受けているのでしょうか。最初の駅はどこにできたのか、駅が町を連れてきた例はあるのか、駅の前の広場は何のためにあるのか。たとえば福井駅西口の広場では、環境空間が全体の約57%を占める計画例があります。駅の役目の広がりを見ていきます。

「駅」の字は、律令制の官道で人馬の継ぎかえを担った施設の名に由来する[1]。列車を止める場所を同じ字で呼ぶとき、その働きはどこまで古い駅とつながっているのか。

初代新橋駅の位置、阪急の沿線開発、新宿駅と駅前広場計画指針を材料に、駅が乗降の場から町の交通結節点へ役目を広げた筋道が分かる。

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1. 「えき」の 字に、どうして 馬が いるの?

1. 「駅」の字に馬がいるのはなぜか

1. 「駅」は鉄道より前から、人馬を継ぎかえる場所だった

えきと いえば、でんしゃに のる ところ。そう おもいます よね。でも 「えき」と いう 字は、でんしゃが できる ずっと まえから ありました。

むかしの 国の きまりでは、大きな 道に 馬を おく ところが ありました。国の 使いが 馬を のりかえたり、とまったり、ごはんを たべたり する ところです[1]。その 名まえが 「えき」でした。

じしょに よると、馬は 十六キロ くらいごとに おかれ、大きな 道の えきには 馬が 二十頭 いたと いわれます[2]。ただし この 十六キロは、じしょが かんさんした あたいです。

のりものを かえる ところ。その 役目は、いまの えきにも つながって いそうです。

駅の改札を通るとき、「ここは電車に乗る場所」と考えるのがふつうです。ところが「駅」という字は、電車よりはるかに古い言葉です。

辞典によると、律令制のもとで官道に置かれた施設が「駅」でした。公の使いのために人と馬を継ぎかえ、宿や食べ物も用意する場所です[1]。字の左に馬がいるのは、そのためです。

数もきまっていたようです。諸道におよそ30里(辞典の換算で約16km)ごとに駅家(うまや)を置き、大路の駅には馬を20頭、中路には10頭、小路には5頭常置したと説明されています[2]。ただし「里」の長さは時代で変わるので、16kmは辞典の換算値です。

馬を取りかえながら先へ進む場所。この働きは、列車を止める駅とどこかでつながっているのでしょうか。

鉄道の駅に「駅」の字をあてたのは偶然だろうか。辞典の説明では、「駅」はもともと律令制で官道に設けられ、公の使いに人馬の継ぎかえや宿舎・食糧を提供した施設を指す[1]。要は、遠くへ向かう人が、乗るものを取りかえて先へ進む中継の拠点である。

仕組みは数でも決められていた。諸道に約30里(約16km)ごとに駅家(うまや)を置き、駅馬(はゆま/えきば)を常置した。馬の数は、大路20頭、中路10頭、小路5頭とされる[2]。道の重要度に応じて馬の数を変え、人が先へ進み続けられるようにした、と読める。ただし1里の長さは時代によって違い、約16kmは辞典の換算値である。

この古い駅は、人を目的地まで運んだわけではなく、乗りものを取りかえる一点だった。では、後に同じ字を与えられた鉄道の駅は、「乗り降り」以外の何を引き受けていたのか。

2. れっしゃが とまると、えきで なにを して いるの?

2. 列車が止まる場所で、乗り降りのほかに何をしていたのか

2. 乗降・貨物・行き違い ── 初代新橋駅に見える駅の働き

れっしゃが とまると、人が おりたり のったり します。でも えきの しごとは、それだけでは ありません。

じしょでは、えきを 「れっしゃを とめて、人の のりおりや、にもつの つみおろし、れっしゃ どうしの すれちがいを する ところ」と せつめい して います[1]。

日本で さいしょの 新橋えきを 見て みましょう。ホームの ほかに、車庫や しゅうりの たてもの、にもつを おく たてものが ありました[4]。人も にもつも あつかう、はたらく ばしょ だったのです。

では この さいしょの えきは、どうして その ばしょに できたのでしょう。

列車が止まると、人が降りたり乗ったりします。では、止まった列車の横で、ほかに何が行われているのでしょうか。

辞典は鉄道用語の駅を、列車を停止させて、旅客の乗降、貨物の積み下ろし、列車の行き違いなどを行うために設けられた場所と説明しています[1]。乗り降りは、駅の仕事の一つにすぎません。

1872年に開業した日本初の鉄道の始発駅、初代新橋駅も、その姿をしていました。行き止まり式のホーム1面の先に駅舎があり、構内には車庫や修繕の施設、旅客ホームの隣には貨車を置く線路と荷物庫があったと、鉄道の解説記事は伝えています[4]。

人を運ぶ場所であり、荷物を扱う場所であり、車両を整える場所でもありました。それほど手のかかる施設を、明治の人々はどこに作ったのでしょう。

鉄道の駅は、辞典の定義では、列車を停止させて旅客の乗降、貨物の積み下ろし、列車の行き違いなどを行うために設けられた場所である[1]。ここで大事なのは、定義の中で旅客の乗り降りが項目の一つとして挙げられ、貨物や列車どうしの運行調整と並んでいる点だ。

この性格は、日本初の鉄道の始発駅にすでに見える。解説記事によれば、初代新橋駅は、行き止まり式のホーム1面の先に駅舎を設け、構内に車庫と修繕施設を持ち、旅客ホームの隣に貨車の留置線と荷物庫を並べていた[4]。つまり旅客の玄関であると同時に、貨物と車両整備の拠点でもあった。

人も荷物も車両も扱うには、広くて平らな土地が要る。では、当時の東京で、そのような土地はどこにあったのか。

3. 日本で さいしょの えきは、どうして あの ばしょ なの?

3. 最初の駅は、なぜ汐留の広い空き地にできたのか

3. 初代新橋駅が汐留に置かれた理由と、「町が駅を嫌った」という話

日本で さいしょの てつどうは、1872ねんに 新橋と よこはまの あいだで はしり はじめました[3]。この 新橋えきは、いまの 新橋えきと すこし ちがう ところに ありました。いまの えきの 三百五十メートル くらい ひがし、汐留しおどめという ところです。

そこには、むかしの 大名の やしきの あとが ひろがって いました。たいらで、東京の まん中にも ちかい ところ。ぎんざでは もう いえが ぎっしり たって いて、ひろい 土地が とれません[5]。

「町の 人が けむりを いやがって、えきを とおざけた」と いう はなしを 聞く ことが あります。けんきゅうを しょうかいした きじでは、おおくの ちいきで じっさいは はっきりしないと つたえられて います[6]。えきの ばしょは、土地の たいらさや かわなど、土地の かたちで きまる ことが 多いのです。

日本初の鉄道は、1872年10月14日(旧暦では9月12日)に新橋と横浜の約29kmで開業しました[3]。初代の新橋駅は現在の汐留にあり、今の新橋駅より約350m東にありました。

汐留が選ばれた理由は、解説記事によると、汐留川の南と浜離宮のあいだに旧大名屋敷の跡地が広く残り、土地が平らで、東京の中心に近かったからです。銀座や烏森はすでに家が建て込んでいました[5]。車庫や荷物庫まで備える駅には、まとまった空き地が必要だったわけです。

「町の人が煙を嫌がったから、駅は町から離れた」という話を聞くことがあります。ところが2013年の研究を紹介した記事によれば、こうした鉄道忌避の伝説は多くの地域で実態がはっきりしないと伝えられています。駅の位置を左右したのは、勾配や河川などの地形の制約が大きく、実際の反対運動は農業用水への影響といった別の理由が多かったと紹介されています[6]。

ただし「すべての伝説が偽」とは言えません。駅は空いた土地や地形に合わせて置かれ、そのあとで町が寄ってきた。この順序は、ほかの場所でも見られたのでしょうか。

初代新橋駅が、現在の新橋駅の約350m東、汐留に置かれたのはなぜか。開業は1872年10月14日(旧暦9月12日)で、区間は新橋〜横浜の約29kmだった[3]。解説記事は、汐留が選ばれた理由を、汐留川の南と浜離宮のあいだに旧大名屋敷跡の広い土地が残り、平坦で東京の中心に近かったためとする。銀座や烏森はすでに家が密集していた[5]。「町の人の反対で外れた」のではなく、駅に要る広さが、空いた土地にしか確保できなかったのである。

用地の事情は線路の側にも見える。この鉄道は高輪付近で、海の浅瀬に約2.7kmの築堤を築いて通したが、これも用地取得の難しい場所を避けるためだったと、港区の資料にある英語の要約では、そう説明されている[3]。築堤そのものは別の記事で詳しく扱っているので、ここでは「土地が駅と線路の位置を決める」例として触れるにとどめる。

では、「町の人が煙を嫌がって駅を遠ざけた」という各地の伝説は、どう読むべきか。2013年の研究を紹介した記事は、鉄道忌避の伝説は多くの地域で実態がはっきりしないと、研究の内容として伝える。駅の位置は勾配や河川などの地形の制約を強く受け、実際に反対が起きた場合も、農業用水への悪影響といった別の理由が目立つという[6]。ただし「すべての伝説が偽だ」とまでは言えず、あくまで「多くの地域ではっきりしない」という紹介である。

こうして駅が、空き地や地形に合わせて先に置かれるなら、そこに町ができるのは必然だろうか。逆に、人のいない場所に、駅のほうが人を連れてくることはできるのか。

4. えきが 人を よんで くる ことは あるの?

4. 駅が先で、町があと ── 阪急の沿線づくり

4. 乗客を「つくる」鉄道 ── 小林一三の沿線開発と駅直結の百貨店

おおさかの はんきゅうでんしゃを つくった 小林一三という 人は、のる 人が まだ すくない 土地に でんしゃを はしらせました。そして、えきの まわりに 家を たてて うり、たからづかに おんせんや しょうじょ かげきを つくったと つたえられて います[9]。

「えきの ちかくに すみたい」「たのしい ところへ いきたい」と おもう 人を ふやして、のる 人を つくったのです。

1929ねんには、うめだえきに はんきゅうひゃっかてんが ひらきました。えきと つながった デパートの、さきがけの ひとつと いわれます[10]。「いちばん さいしょ」かどうかは、いろいろな 見かたが あります。

えきは、ただ 人を まつ ところでは なく、人の 行く先を つくる ところにも なれるのですね。

町ができて、そこに駅ができる。ふつうはそう考えます。けれども順序を逆にした鉄道会社がありました。

小林一三は1907年に箕面有馬電気軌道を創立し、1910年に開業しました。沿線に池田室町などの住宅地を分けて売り、宝塚には温泉や少女歌劇をつくって、乗客を自分で生み出そうとした、と阪急阪神ホールディングスの沿革を紹介する資料にあります[9]。ここは二次的な紹介なので、社史などの原典を読むと細部が確かめられます。

終点の梅田では、1929年4月15日に阪急百貨店が駅に開業しました。駅直結のターミナルデパートの先がけとされますが、「世界初」かどうかは諸説あり、白木屋(1920年)や三笠屋(1926年)などと比べる見方もあります[10]。

家と遊び場と買い物の場を、線路の両端に置く。この発想では、駅は列車を待つ場所を超え、人の暮らしを集める場所になります。では、人がいちばん集まる駅では、何が起きているのでしょうか。

箕面有馬電気軌道(のちの阪急)の創立は1907年、開業は1910年で、小林一三が率いた。ここで注目したいのは年号より発想の向きである。紹介資料によれば、沿線に池田室町などの住宅地を分譲し、宝塚には温泉と少女歌劇を作ることで、住む場所と遊ぶ場所を先に用意し、乗る人を会社の側で増やそうとした[9]。町があるから駅を置くのではなく、駅と線路が町の中身を呼ぶ側に回った例である。

この紹介は二次資料に依っており、箕面有馬電気軌道の社史や小林自身の著作で照合しなければ、分譲の規模や順序までは言えない。

もう一方の端の梅田には、1929年4月15日に阪急百貨店が開業した。駅直結のターミナルデパートの先がけとされるが、「世界初」かどうかには諸説がある。比較される例として、白木屋(1920年)と三笠屋(1926年)が挙がる[10]。「初」を争うより、駅が乗り降りの外で買い物の場を抱え込み始めた点が、ここでの要点だ。

では、鉄道が単独で人を作らなくても、すでに多くの路線が集まる駅では、役目はどう変わるのか。

5. たくさんの 人は、えきで なにを して いるの?

5. 1日353万人が行き交う新宿駅は、何をつないでいるのか

5. 新宿駅の353万人という数は、何を数えているのか

東京の しんじゅくえきには、5つの かいしゃの でんしゃが のりいれて います。1日に のり おりする 人の 数を たすと、353万 人 ほど。せかい 一だと して、ギネスに みとめられました[8]。

けれども この 数は、5つの かいしゃの 数を あわせた ものです。のりかえた 人は、2かい かぞえられて いる かもしれません。

おおくの 人は、つぎの のりものに のりかえる ために、えきを とおって いきます。えきは、のりものと のりものを つなぐ ところにも なって います。

新宿駅にはJR東日本、京王、小田急、東京メトロ、都営の5社が乗り入れています。nippon.comの記事は、JR東日本の公表された乗車人員を2倍し、ほかの社の数字と合算すると1日353万594人にのぼり、利用者数世界一としてギネスに認定されたと紹介しています[8]。

ただし、この数は5社の数字をそのまま足したものです。同じ人が乗りかえで2回数えられている可能性があり、年次も記事を書いたときのものです。「新宿に353万人が集まる」と読むのは強すぎます。

それでも、5つの会社の線路が一か所で出会う駅であることは変わりません。多くの人にとって、新宿は目的地というより、乗りかえの交差点です。

では、その交差点が駅の外に広がるとき、駅の前に作られた広場は、いったい何をしているのでしょうか。

新宿駅は5社(JR東日本・京王・小田急・東京メトロ・都営)が乗り入れ、乗降客数は、JR東日本の公表された乗車人員を2倍して各社の数字と合算した値で1日353万594人とされ、利用者数世界一としてギネスに認定されたと、nippon.comの特集は紹介する[8]。

この数字には読むときの条件がつく。第一に、5社の数を単純に足した値であり、乗りかえた人は複数回数えられうる。第二に、年次は記事掲載時のものである。JR東日本の新宿駅の「乗車人員」と、ここでいう5社の「乗降客数」は別の指標なので、混ぜて比べてはならない。つまり353万は「この駅に353万人がいる」ではなく、「5社の改札の出入りの合計」と読む。

数字の限界を踏まえても、新宿駅が複数の事業者の路線が接する場所であることは動かない。人はそこで目的地を変えずに乗りものを替える。冒頭の駅馬の継ぎかえと同じ型が、規模だけを大きくして残っているとも読める。

この乗りかえの流れを、駅の外でどう受け止めるのか。次は、国の指針が駅前広場に与えた役目を見る。

6. えきの 前の ひろばは、どうして ひろいの?

6. 駅前広場では、乗りつぎ以外の空間も考えられている

6. 駅前広場計画指針が分ける「交通空間」と「環境空間」

えきを 出ると、バスや タクシーの のりばが あり、その まわりに ひろばが あります。国が つくった 駅前ひろばの 考えかたの しりょうでは、この ひろばを 「てつどうと 町を つなぐ のりつぎの ばしょ」と して います[7]。

ひろばは、ふたつの わけで 考えられます。ひとつは、バスや タクシーや 人が あんぜんに のりつぐ ため。もうひとつは、人が あつまり、はなしたり、すごしたり する ため。じしんの ときに 人が あつまる ばしょにも なります[7]。

ふくいえきの 西口の ひろばでは、ひろば ぜんたいを 100%と すると、のりつぎの ばしょが 43%、それ いがいが 57% ほどです。

国土交通省の駅前広場計画指針(平成10年策定)の改定資料は、駅前広場を、鉄道と都市を結ぶ交通結節点と位置づけています。バス、タクシー、一般の車、歩行者が安全でなめらかに乗りつげるようにするのが目的です[7]。

広場は二つの空間に分けて考えます。乗りつぎをさばく「交通空間」と、交流・景観・防災のための「環境空間」です。福井駅西口広場の例では、全体の約11,100㎡のうち、交通空間が約4,773㎡(全体の約43%、0.43)、環境空間が約6,327㎡(約57%、0.57)でした。指針は、4,000〜10,000㎡程度の駅の標準的な環境空間比を0.5としています。ただしこれは標準値で、義務ではありません[7]。

この資料は、地震のときに駅周辺に多くの人がとどまることが想定されるので、駅前広場は防災の拠点にも位置づけられると述べています。近年は、広場にカフェやイベントなど、滞在・交流の機能も求められています[7]。

駅の前の広場は、乗りつぎの場所であると同時に、人が立ち止まる場所でもあるのです。

駅の外側の空間は、制度上どう位置づけられているのか。国土交通省の「駅前広場計画指針」の改定資料(指針は平成10年策定)は、駅前広場を鉄道と都市を結ぶ交通結節点とし、バス・タクシー・一般車・歩行者の乗りつぎを安全で円滑にすることを目的に置く[7]。ここまでは、冒頭の駅馬の継ぎかえに近い。

注目したいのは、指針が広場を二つの空間に分けて考える点だ。乗りつぎを処理する「交通空間」と、交流・景観・防災を担う「環境空間」である。福井駅西口広場の例では、区域約11,100㎡のうち交通空間が約4,773㎡で0.43、環境空間が約6,327㎡で0.57だった。計算すると4,773÷11,100≒0.43、6,327÷11,100≒0.57で、資料の数字と合う。指針は4,000〜10,000㎡程度の駅の標準的な環境空間比を0.5としているが、これは標準値であって義務ではない。環境空間比は、車道部以外の面積の割合である[7]。

この資料は、地震時に駅周辺へ帰宅困難者など多くの人が滞留することを想定し、駅前広場を防災活動拠点にも位置づけている。また近年は、滞在や交流、カフェ・イベントの機能が広場に求められるとする[7]。

駅が乗降の場から町の交通結節点へ、さらに人が滞在する場へ役目を広げたことは、資料から読める。では、この広がりを、読者は自分の町の駅でどう確かめられるだろうか。

7. じぶんの 町の えきの まえで、さがして みよう

7. 駅前に立って、「乗りつぎ」と「ひと休み」を数えてみる

7. 自分の町の駅前を、交通空間と環境空間に分けて見る

おうちの 人と いっしょに、ちかくの えきの まえに 行って みましょう。くるまが 来る ところには 近づかず、歩道から 見ます。

バスや タクシーの のりばは、いくつ ありますか。ベンチや 木や 小さな ひろばは、いくつ ありますか。どちらが ひろく 見えるでしょう。

えきの 名まえの 字も 見て みましょう。「えき」の 字は、馬が いた ころから 来て います。そう 思って 見ると、いつもの えきが すこし ちがって 見えるかも しれません。

近くの駅前に出たら、歩道から広場を見渡して、二つの場所を探してみましょう。一つは、バスやタクシーの乗り場など、乗りつぎに使う場所。もう一つは、ベンチや木のそば、人が立ち止まっている場所です。車の通る所には近づかず、安全な歩道から見ます。

広場のどのあたりに、それぞれがあるでしょうか。駅の出口に近いのはどちらか、広さはどちらが目立つかを見比べてみましょう。福井駅西口の例では、乗りつぎ側が約43%、それ以外が約57%でした。自分の町の駅前が、それより乗りつぎ側に寄っているか、反対かを、歩数で比べてみるのも手です。

この記事は、駅の役目の入り口に触れただけです。阪急の沿線づくりを詳しく知りたくなったら、阪急阪神ホールディングスの沿革や小林一三の著作が、原典の手がかりになります[9]。駅前広場の考え方は、国土交通省の資料[7]で読めます。

この記事の筋道は、駅馬の継ぎかえから、列車の乗降・貨物、最初の新橋駅の用地、阪急の沿線づくり、新宿の乗りかえ、駅前広場の二つの空間へと進んだ。これを自分の町で確かめるには、駅前に出て、広場の使われ方を二つに分けて見るとよい。

バス・タクシー乗り場など乗りつぎの場所(交通空間)と、ベンチ・樹木・立ち止まる人の場所(環境空間)を、歩数で大まかに測る。福井駅西口の例(交通空間0.43、環境空間0.57)や、標準値0.5[7]と比べると、自分の駅前の性格が分かる。ただし標準値は義務ではないので、数字が違っても「悪い」とは言えない。車道には入らず、歩道から観察すること。

資料の読みどころは三つある。国土交通省の資料[7]は、指針の目的を一次資料で確かめられる。コトバンクの辞典項目[1]は、「駅」の語源と定義を並べて読める。阪急の話は二次資料にとどまるので、社史を探して照合する価値がある[9]。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:辞典、国土交通省と港区の資料、鉄道・歴史の解説記事、事業者の沿革を紹介する資料を使いました。何に使ったかは、各項目の最後に書いています。

  1. コトバンク「駅」(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書・デジタル大辞泉)。https://kotobank.jp/word/%E9%A7%85-441405 (「駅」の語源と、鉄道用語としての定義について。辞典)
  2. コトバンク「駅馬」。https://kotobank.jp/word/%E9%A7%85%E9%A6%AC-444210 (駅家の間隔と馬の数について。辞典)
  3. 港区「鉄道開業150年」。https://www.city.minato.tokyo.jp/kouhou/kuse/koho/columu/tetsudo/index.html (開業日と区間、築堤について。自治体の資料)
  4. 乗りものニュース「日本初の鉄道はなぜ『新橋』からだったか」。https://trafficnews.jp/post/124214 (初代新橋駅の構造について。解説記事)
  5. 乗りものニュース「初代新橋駅に汐留の地が選ばれた理由」。https://trafficnews.jp/post/124214/2 (汐留が選ばれた理由について。解説記事)
  6. ナゾロジー「鉄道忌避伝説」の研究の紹介。https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/164801 (駅の位置と鉄道忌避伝説について。研究の紹介記事)
  7. 国土交通省「駅前広場計画指針改定の背景・目的と方向性(資料2)」。https://www.mlit.go.jp/toshi/city_plan/content/002019738.pdf (駅前広場の位置づけ、面積の分け方、防災について。公的機関の資料)
  8. nippon.com「新宿駅は巨大都市だ!」。https://www.nippon.com/ja/features/h00273/ (新宿駅の乗り入れ会社と乗降客数について。特集記事)
  9. 阪急阪神ホールディングスの沿革の紹介記事。https://the-shashi.com/tse/9042/ (小林一三の沿線開発について。二次的な紹介)
  10. 鉄道チャンネル「小林一三」の解説。https://tetsudo-ch.com/10671179.html (阪急百貨店とターミナルデパートについて。解説記事)

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