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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

にもつは どうやって はこばれて きたの? ── 11こから 50おくこへ

日本の物流はどう発達したのか ── 江戸の船と飛脚から、宅急便と2024年問題まで

日本の物流の発達 ── 江戸の廻船・飛脚から鉄道・トラック・コンテナ・宅急便、2024年問題まで

分野:歴史・文化

1976ねん1がつ20日、あたらしい にもつの サービスが はじまりました。あずかった にもつは、その 日 ぜんぶで 11こ でした[11]。

いまは、1ねんに 50おくこ いじょうの にもつが、おうちに とどけられて います[13]。

どうして こんなに ふえたのでしょう。むかしの ふねや ひきゃくから、じゅんばんに みて いきます。

1976年1月20日、ある荷物のサービスが関東で始まりました。初日に預かった荷物は、全部で11個だったと会社の沿革にあります[11]。

ところが2024年度には、宅配便の取扱個数が1年で50億個をこえました[13]。

この差は、どこで生まれたのでしょうか。江戸の船と飛脚から、鉄道、トラック、コンテナ、宅急便まで、荷物の運ばれ方を順にたどります。

1976年1月20日に関東一円で始まったヤマト運輸の「宅急便」は、初日の発送が11個だった[11]。国土交通省によると、令和6年度(2024年度)の宅配便取扱個数は50億3147万個である[13]。

ただし前者は関東のみ・1日分、後者は全国・1年分なので、単純な倍率比較はできない。このメモは、その間の約半世紀に、江戸の廻船・飛脚、鉄道、トラック、コンテナがどう積み重なったかを、公的資料・企業資料で突き合わせて追う。

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1. えどの ふねは なにを はこんだの?

1. 江戸の船が、米や酒を運んだ

1. 河村瑞賢は航路を整え、廻船が米や酒を運んだ

むかしの 日本では、大きな にもつを はこぶ のは、ふねの しごとでした。

えどの じだい、河村瑞賢かわむらずいけんという 人が、こめを えどへ はこぶ みちを ととのえました。1671ねんと 1672ねんの ことです[1]。

みちを ゼロから 見つけた のでは ありません。もう あった ふねの みちを、つないだのです。

とちゅうの みなとには、ふねを 見はる ばしょも つくりました。ふねの ようすを たしかめながら すすめる ように なりました[1]。

大さかと えどの あいだでは、さけの たるを のせる ふねも ありました。さけの ためだけに はしる ふねです[2]。

江戸時代、幕府の領地でとれた米は、船で江戸へ運ばれました。その道すじを整えたとされるのが、河村瑞賢です。1671年に東廻り航路、1672年に西廻り航路を整えました[1]。

西廻りは、新しく海を開いたのではありません。すでに船が通っていた北国の航路、瀬戸内海の航路、江戸と上方(大坂・京都方面)をむすぶ航路を、つなぎ合わせたものです[1]。

点検と休み場所がつながった道

瑞賢は、途中の大事な港に番所や狼煙台を置き、船の到着や出発、船員の状態、船体のようすを確かめられるようにしたといいます[1]。蔵など陸の設備も整えました。ただの海の道が、点検と休み場所の連なりになったわけです。

大坂と江戸のあいだには、菱垣廻船や樽廻船も走りました。辞典などでは、菱垣廻船は1619年に堺の商人が、樽廻船は1730年に酒問屋が始めたとされています[2]。樽廻船は、はじめは酒樽だけを運んだそうです。

河村瑞賢かわむらずいけんは、寛文11年(1671)に東廻りひがしまわり、翌寛文12年(1672)に西廻りにしまわりの航路を整備し、幕領の米を江戸へ運んだ[1]。西廻りは、運航実績のある北国航路・瀬戸内海航路・江戸上方間航路をつないだもので、航路を新規に発見したのではない[1]。

途中の主要な泊地には番所と狼煙台が設けられ、船の発着・船員・船体の状況を確認できた。蔵の建設など陸上の拠点も整えられ、航路は点検と休憩の場所が連なる形になった[1]。なお、東北から江戸までの日数や費用の削減率は、確認できた本文には出ておらず、ここでは扱わない。

大坂〜江戸間の定期船では、菱垣廻船ひがきかいせんが元和5年(1619)に堺の商人が始めたとされ、樽廻船たるかいせんは1730年に酒問屋が十組問屋から離れて始めたとされる。樽廻船は当初は酒樽だけを運び、のちに江戸大坂間の主力になった[2]。この年は辞典1件で確認したもので、他の資料との突き合わせは残る。

2. ひきゃくは どれくらい はやかったの?

2. 飛脚 ── 手紙とお金と小荷物を、人がつないだ

2. 飛脚の種類と速さ ── 継飛脚・町飛脚

飛脚ひきゃくは、てがみや おかね、ちいさな にもつを はこぶ 人です[3]。

おしろの ためと、まちの 人の ためで、ちがう ひきゃくが いました。

いそぎの ひきゃくは、えどから 大さかまで 3日ほどと いわれます[5]。まちの 人の ひきゃくは、もっと ゆっくりな ことが ありました。

ひとりで ずっと はしるのでは ありません。つぎの まちで 人が かわる、リレーの ように はこびました。

飛脚には、幕府の公用を運ぶ継飛脚、大名が使う飛脚、町の人が頼める町飛脚などがありました。運ぶものは、書状、お金、為替、小荷物と幅が広かったと説明されています[3]。

町飛脚は1663年に、江戸・大坂・京都の商人が幕府の許可を得て、三つの都市を往復する飛脚業を始めたのがきっかけとされます。東海道の往復に6日かかったことから「定六」とも呼ばれたそうです[4]。

速さについては、幕府の公用の継飛脚が、江戸と大坂を最短で約3日で結んだと説明する資料があります。宿場ごとに人をつなぐリレー方式でした[5]。

ただしこれは一つの解説記事の数字で、飛脚全体の速さではありません。継飛脚は幕府の用のもので、ふつうの人が使えたわけでもありません。

飛脚には幕府公用の継飛脚つぎびきゃく、大名の飛脚、民間の町飛脚まちびきゃくがあり、書状・金銭・為替から小荷物までを扱った[3]。

町飛脚は寛文3年(1663)、江戸・大坂・京都の商人が幕府公許のもとで三都往復の飛脚業を始めたのが起源とされる。東海道の往復に6日を要したことから「定六じょうろく」とも呼ばれた[4]。

速さの数字は解説記事に拠る。元禄9年の定めで継飛脚は江戸〜大坂を3日以内とされ、実際にも最短3日だった、という[5]。継飛脚は幕府専用で、庶民が使えたものではなく、飛脚全体の代表値でもない。

3. てつどうは にもつを どう かえたの?

3. 鉄道が、荷物の運び方に加わった

3. 鉄道貨物の開始と「たから号」(1873〜1959年)

1872ねんに、日本で はじめて てつどうが 走りました。にもつを はこぶ のは、その つぎの 年、1873ねんの 9がつ 15日からです[6]。

てつどうは、たくさんの にもつを 1どに はこべます。

1959ねんには、「たから号」という れっしゃが 走りました。はこに 入れた にもつを、そのまま のせて はこびました[6]。

ただ、てつどうには ふべんな ところも ありました。にもつは えきに つくと、そこから また 人が はこびます。

日本の鉄道は1872年(明治5年)に新橋〜横浜間で開業しましたが、貨物の取扱いが始まったのは、その翌年の1873年9月15日です[6]。開業した日に荷物も運び始めたわけではありません。

1959年には、国鉄が貨物用のコンテナ特急「たから号」を汐留と梅田のあいだで走らせました。荷物を家や工場の戸口から戸口へ届ける近代化を進めるためだったと、JR貨物の年表にあります[6]。

ところが、トラックが進出した1960年代以降、国鉄の貨物の割合は大きく下がりました。1987年4月1日に、国鉄の貨物部門を引きつぐ形でJR貨物が発足します[6]。

鉄道は1872年に新橋〜横浜間で開業したが、貨物の取扱いは翌1873年9月15日に始まった[6]。開業=貨物開始ではない点に注意したい。

1959年、国鉄は貨物用コンテナ特急「たから号」を汐留しおどめ〜梅田間で走らせ、戸口から戸口へ運ぶ近代化を進めた。しかしトラックの進出により、1960年代以降は国鉄貨物のシェアが大きく下がり、1987年4月1日にJR貨物が発足した[6]。

4. トラックが 大かつやく したのは なぜ?

4. 高速道路とトラック ── 家の前まで行ける強み

4. 名神高速の全線開通とトラック分担率の上昇(1965〜1975年)

1965ねんに、名神こうそくどうろが ぜんぶ つながりました[7]。

くるまで 名古屋から 神戸の あたりまで、ふつうの みちだと 5〜6じかん。それが 2じかんほどに なったと いわれます[7]。これは、ふつうの くるまの ばあいの はなしです。

トラックは、えきまで ゆかなくても、おみせや こうじょうの 前まで にもつを とどけられます。

10年ほど たった 1975ねんには、日本の にもつの ほとんどを、トラックが はこぶ ように なりました[8]。

1965年7月1日、名神高速道路が全線(約189.7km)でつながりました。名古屋〜神戸付近が、一般道で5〜6時間かかったのが約2時間になったとされます[7]。これは乗用車の例で、トラックの時間ではありません。

国土交通省の運輸白書(昭和51年版)では、昭和50年度のトラックの貨物輸送分担率(トン数ベース)は87.3%でした。40年度から10年で大きく上がったと述べられています[8]。

この87.3%は、駅までの荷物の集配などで、鉄道の荷物にトラックが関わる分(24.9%)を含みます。道路だけを走るトラックの分は62.4%でした[8]。

鉄道が駅から駅まで運ぶのに対し、トラックは荷物を出す場所から届ける場所まで、そのまま行けます。この点が広まった理由の一つと考えられます。

名神高速道路は1965年7月1日に全線(約189.7km)が開通した[7]。名古屋〜神戸付近が一般道で5〜6時間かかったのが約2時間になったとされるが、乗用車の例であり、トラックの所要時間ではない[7]。

運輸白書(昭和51年版)は、昭和50年度のトラック貨物分担率(トン数)を87.3%とする。内訳は鉄道用24.9%、道路用62.4%で、鉄道用は駅を起点とする集配トラックの分を含む。昭和40年度から10年で大きく上昇したという記述がある[8]。

鉄道が駅から駅の輸送であるのに対し、トラックは戸口から戸口へ運べる。1959年の「たから号」が目指した戸口から戸口への輸送を、トラックは道路網で広げたと考えられる。

5. はこごと はこぶ、コンテナって なに?

5. コンテナ ── 荷物を「箱ごと」動かす

5. 海上コンテナ輸送の導入(1967〜1968年)

コンテナは、大きな はこです。にもつを その はこに 入れて、はこごと ふねに のせます。

ひっこしで、ばらばらの ものを だんボールに まとめると、はこびやすく なります。それと にた かんがえです。ただし コンテナは、クレーンで もちあげる ための がんじょうな 鉄の はこです。

1967ねん、外国の ふねが 394この コンテナを のせて、東京の みなとから アメリカへ むかいました[9]。

つぎの 年、日本でも 「箱根丸はこねまる」という コンテナせんよう の ふねが できました[9]。

船で運ぶ荷物を、大きな箱(コンテナ)ごと動かす方法が、日本にやってきました。日本発着のフルコンテナ船サービスは、1967年9月に、アメリカのマトソン社の船「Hawaiian Planter」が394個のコンテナを積んで、東京港からサンフランシスコへ向かったのが最初とされます[9]。

日本の会社が造った最初のコンテナ専用船は、日本郵船の箱根丸(1968年)です[9]。

日本郵船の記事によると、箱根丸の就航で、北米までの輸送は約80日から約30日に短くなったと紹介されています。人の手で積みおろしをしていた頃に起きていた荷物の破損や紛失も、コンテナ化で減ったそうです[10]。

日本発着のフルコンテナ船サービスは、昭和42年(1967)9月、マトソン社の「Hawaiian Planter」が394個のコンテナを積み、東京港からサンフランシスコへ向かったのが最初である[9]。日本の新造コンテナ専用船第1号は、翌1968年の日本郵船箱根丸はこねまるで、1967年のものは外国船である[9]。

日本郵船は、箱根丸の就航で北米への輸送が約80日から約30日に短縮し、手作業の荷役で起きた破損・紛失もコンテナ化で減ったと紹介している[10]。企業の記事で、比較の条件が示されていないため、数字は参考値にとどまる。

荷物の単位を「1個ずつ」から「箱ごと」に大きくしたことが、荷役の手間を減らした、という筋が読み取れる。

6. 11この にもつは、どこから はじまったの?

6. 宅急便 ── 荷物の単位を、こんどは小さくした

6. 宅急便の開始(1976年)と小口配送

コンテナは、荷物を 大きく まとめる かんがえでした。こんどは、うちの 人から うちの 人へ、ちいさな にもつを とどける しごとが はじまります。

1976ねん1がつ20日の「たっきゅうびん」です。かんとうで はじまり、あずかった にもつは 11こ でした[11]。

にもつは、たて・よこ・高さを ぜんぶ たして 1m いない、10kgまで。つぎの 日に とどけ、ねだんは 1こ 500円 でした[11]。

はじめた 小倉昌男おぐらまさおさんは、むすこの おさがりを おいに おくろうとして、ふべんに おもった ことが きっかけの ひとつと、しょうかいされて います[12]。

ヤマト運輸の「宅急便」は、1976年1月20日に関東一円で始まりました。初日の発送は11個です。荷物は3辺の合計が1m以内・10kgまで、1個500円、翌日配達で、同じ年の5月から順に全国の主要都市へ広げました[11]。

小さな荷物に絞った

小倉昌男は、家庭から家庭への小口の荷物に絞りました。ニューヨークを視察して、荷物の密度を高めれば小口配送は成功すると確信を得たと、会社の周年記念サイトにあります[12]。

きっかけとして、息子のお古を甥に送ろうとして不便だった経験も紹介されています。

コンテナが荷物の単位を大きくしたのに対し、宅急便は、家庭のひとつの荷物を主役にしました。

宅急便は、1976年1月20日に関東一円で始まった。初日の発送個数は11個。荷物は3辺合計1m以内・10kgまで、1個500円、翌日配達で、同年5月から順次全国の主要都市へ拡大した[11]。

小倉昌男おぐらまさおは家庭から家庭への小口荷物に特化し、ニューヨーク視察で「荷物の密度を高めれば小口配送は成功する」と確信を得たとされる。息子のお古を甥に送ろうとして不便だった経験も、きっかけとして紹介されている[12]。会社の周年サイトの記述であり、経営判断の背景を第三者が検証したものではない。

コンテナが荷物の単位を大きくしたのに対し、宅急便は逆に、家庭の1個の荷物を単位にした。初日の11個は、その第一歩の数字である。

7. いまの にもつは、どれくらい?

7. 今の宅配便は年間50億個 ── 物流と2024年問題

7. 現在の規模と2024年問題

2024ねんどに、日本で とどけられた たくはいびんは、50おく3147まんこ でした。前の 年より 2414まんこ ふえて います[13]。

1日に ならすと、1000まんこ いじょうに なります。

いっぽうで、にもつを はこぶ 人の はたらく じかんに、あたらしい きまりが できました。2024ねん4がつからです[14]。

なにも たいさくを しないと、はこべる りょうが へる おそれが あると、国は けいさんしました[14]。だから、まつ じかんを へらす くふうが すすめられて います。

国土交通省によると、2024年度の宅配便の取扱個数は50億3147万個でした。前年度より2414万個(約0.5%)増えています。そのうちトラック運送は49億2614万個です[13]。1日あたりにならすと、約1380万個になります。

国内の貨物全体では、重さ(トン数)で見ると自動車が9割をこえます。重さに距離をかけたトンキロで見ると、自動車が約5割、内航海運(国内の海の輸送)が約4割、鉄道が約5%です[14]。

2024年問題

2024年4月から、自動車の運転の仕事にも、時間外労働を年960時間までとする上限が適用されました。何も対策をしなければ、運べる量は2024年度に約14%、2030年度に約34%足りなくなるおそれがあると、国土交通省は試算しました[14]。

これは対策をしなかった場合の試算で、実際にそれだけ不足したという数字ではありません。

令和6年度の宅配便取扱個数は50億3147万個で、前年度より2414万個(約0.5%)増えた。うちトラック運送は49億2614万個である[13]。1日あたりでは約1380万個になる。

初日11個との比は約4.6億倍だが、前述のとおり範囲(関東のみ/全国)と期間(1日/1年)が違うため、伸びの目安としては使わない。

国内貨物のモード別では、トン数では自動車が9割超、トンキロでは自動車約5割・内航海運ないこうかいうん約4割・鉄道約5%である。トン数とトンキロで見え方が違う[14]。

令和6年(2024年)4月から自動車運転業務にも時間外労働の年960時間(休日労働を含まず)の上限が適用された。国土交通省は、対策をしない場合の輸送能力の不足を、2024年度に約14%(4億トン相当)、2030年度に約34%(9億トン相当)と試算した[14]。これは「何もしなければ」の試算値であり、実際に起きた不足ではない。

8. じぶんで しらべて みよう

8. 自分でも調べてみたくなったら

8. 自分でも調べてみたくなったら

おうちに とどいた にもつの はこを 見て みよう。はりつけて ある でんぴょうに、かいしゃの なまえや 大きさが かいて あれば、メモして みよう。

おうちの 人と 一しょに、かいしゃの でんぴょうの ばんごうを 日本語の ページで しらべると、どこを とおって きたか 見られる ことが あります。

ちいさな にもつ 1こが、ふねや トラックを のりついで くる はなしが、見えて くるかも しれません。

家に届いた荷物の伝票を見て、大きさの区分や、出した場所と届いた場所をメモしてみましょう。今回のメモの、小さな荷物の単位がどう使われているか分かります。

家の人と、配送会社の日本語の追跡ページに伝票の番号を入れると、荷物が通った営業所が分かることがあります。距離と日数を、江戸の飛脚の数字と並べて考えてみるのも一つの調べ方です。

もっと知りたいときは、国土交通省の宅配便の取扱実績や、JR貨物の歴史のページ、物流や鉄道の資料館の展示が手がかりになります。

手元の荷物の伝票や追跡ページ(日本語)を使い、実際の経路と日数を確かめると、本メモの「戸口から戸口へ」の説明を具体的に検証できる。

数字を追うなら、次の一次資料が入口になる。国土交通省「宅配便・メール便取扱実績」、国土交通省「物流の2024年問題について」の資料、JR貨物「貨物鉄道輸送150年の歴史」、日本海事センターの海運資料、ヤマト運輸の沿革と周年記念サイト。

残る問いとして、江戸の海運と飛脚のあいだの関係、昭和40年度から50年度のトラック分担率の具体値、分担率の長期推移を1本の統計で通す方法が挙げられる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:国や公的機関の資料(国土交通省、JR貨物、日本海事センター、笹川平和財団)、企業の資料(日本郵船、ヤマト運輸)、辞典・百科事典類(コトバンク、Wikipedia)、解説記事(ホームメイト、Japaaan、NEXCO中日本の記念誌)を使いました。数字や年は各資料が示したものです。飛脚の速さと、菱垣廻船・樽廻船の年は、限られた資料で確認したものです。

  1. 笹川平和財団 Ocean Newsletter「河村瑞賢に学ぶ」。https://www.spf.org/opri/newsletter/53_2.html (東廻り・西廻り航路の整備、番所・狼煙台)
  2. ホームメイト「菱垣廻船・樽廻船」。https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/higakikaisen-tarukaisen/ (菱垣廻船・樽廻船の始まりの年)
  3. 「飛脚」Wikipedia。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%84%9A (飛脚の種類と運んだもの)
  4. コトバンク「町飛脚」。https://kotobank.jp/word/%E7%94%BA%E9%A3%9B%E8%84%9A-136416 (町飛脚の始まりと「定六」)
  5. Japaaan「継飛脚・町飛脚の解説」。https://mag.japaaan.com/archives/229355 (継飛脚と並便の速さ。解説記事のため参考値)
  6. JR貨物「貨物鉄道輸送150年の歴史」。https://www.jrfreight.co.jp/event150/history.html (貨物取扱いの開始、たから号、JR貨物の発足)
  7. 道路行政セミナー 名神50周年(NEXCO中日本)。https://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/2015data/1508/1508meishin_50th_c-nexco.pdf (名神高速の全線開通)
  8. 国土交通省「運輸白書 昭和51年版」。https://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa51/ind020303/004.html (昭和50年度のトラック分担率)
  9. 日本海事センター「海の物流システム革新事例(コンテナ船)」。https://www.jpmac.or.jp/img/research/pdf/A201320.pdf (日本発着のフルコンテナ船の始まり)
  10. 日本郵船 BVTL Magazine「コンテナ船」。https://www.nyk.com/stories/01/04/20250806.html (箱根丸の効果。企業の記事)
  11. ヤマト運輸「沿革」。https://www.kuronekoyamato.co.jp/ytc/corp/corporate/history.html (宅急便の開始、初日の個数、サイズ・料金)
  12. ヤマトグループ創業100周年サイト「宅急便誕生」。https://www.yamato-hd.co.jp/100th-anniversary/column/detail07.html (小倉昌男の考え。会社の記念サイト)
  13. 国土交通省「令和6年度 宅配便・メール便取扱実績」。https://www.mlit.go.jp/report/press/jidosha04_hh_000341.html (宅配便の取扱個数)
  14. 国土交通省「物流の2024年問題について 資料1」。https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001620626.pdf (輸送量の割合、上限規制、試算)

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