1. 「背広」って、どうして そう いうの?
1. 背広の名前は、お店の名前から?
1. 「背広」の語源の諸説と、「スーツ」への言い換え
「背広」の なまえの わけには、いろいろな せつが あって、はっきり しません。
イギリスの ロンドンに ある、おしゃれな ふく屋さんが ならぶ 「サヴィル・ロウ」と いう 通りの なまえから きた、と いう せつが あります。ほかに、「まちの 人の ふく」と いう いみの えいごが かわった、と いう せつも あります。
いまは、「背広」より 「スーツ」と いう 人が ずっと 多く なって います。では、スーツの もとは、どこに あるのでしょう。
いくつもの説がある
背広の語源には、いくつもの説があります。日本語版Wikipediaは、語源の説をいくつか挙げています。ロンドンの高級な仕立て店の通り「サヴィル・ロウ」から変化したという説、「市民服」を意味する英語の「civil clothes」がなまったという説、「背中の幅が広い服」という意味の「背幅」説などです。1967年刊の辞典では、当て字説が有力とされています。はっきりとは決まっていません[1]。
「背広」から「スーツ」へ
日本語版Wikipediaによると、「背広」という書き方は、1887年(明治20年)ごろの本に見られ、そのころから一般に使われるようになりました[1]。ところが、2015年の文化庁の調査では、「背広」を主に使う人は19.8%で、「スーツ」を主に使う人は68.2%だったそうです[1]。
「スーツ」の言葉は、フランス語の「suite(つづくもの)」に由来し、上着とズボンなどが、同じ布と色で、続いて着られるものだからだ、とされます[2]。
では、そのスーツのもとは、どこにあるのでしょうか。軍隊の服なのでしょうか。
日本語版Wikipediaは、「背広」の語源として、次の説を挙げています。ロンドンの高級紳士服店街サヴィル・ロウから変化したとする説、「civil clothes(市民服)」の転訛とする説、「背幅」説(背中の幅が広い服。昭和初期まで、前身頃を脇下まで一枚布でとる裁断を「背広」と呼び、区別する呼び方もあった)、そのほかSack coat説、シェビオット説、中国語由来説などです。1967年刊行の辞典では、当て字説が有力だとされています[1]。決着している説はありません。
日本への導入は、片山淳之助(福沢諭吉が用いた名義)の『西洋衣食住』(1867年)に記述があり、「背広」という表記は、大家松之助の『男女西洋服裁縫独案内』(1887年)に見られるとされます。一般に使われはじめたのは明治20年(1887年)ごろ、本格的に普及したのは明治末から大正初頭です[1]。
いまは言葉のほうが入れかわりつつあります。日本語版Wikipediaは、2015年の文化庁の調査で、「背広」を主に使う人は19.8%、「スーツ」を主に使う人は68.2%だった、と書いています[1]。「スーツ(suit)」は、フランス語のsuite(続くもの)に由来し、構成する衣服が同じ布・同じ色で、続いて着られることを表す、と英語版Wikipediaは説明しています[2]。
では、その「スーツ」の形は、どこから来たのでしょうか。
2. スーツの もとは、ぐんたいの ふく?
2. 宮廷の服から、ふだん着の上着へ
2. スーツの系譜 ── 1666年の宮廷服、ブランメル、ラウンジスーツ、軍服起源説の検証
スーツの もとに なったと されるのは、360ねん ほど まえの イギリスの おうさまが きめた、おしろで きる ふくです。スーツ ぜんぶが ぐんたいの ふくから きた、と いう はなしも ありますが、しらべた 中では、はっきりした しょうこは 見つかりませんでした。ただ、あとの じだいの うわぎ(フロックコート)は、ぐんたいの コートが もとに なったと いわれます。
いまの スーツに ちかい かたちは、200ねん ほど まえに おしゃれな 人が かざりを へらしたことや、100ねん いじょう まえに、スポーツや いなかで きる ふく として ひろまった ことが きっかけだと いわれます。では、いまの スーツの えりや そでには、どんな いみが あるのでしょう。
1666年の宮廷服
英語版Wikipediaによると、スーツの源は、イギリスの王チャールズ2世が1666年に決めた簡素な服装にさかのぼります。長い上着、ベスト、クラヴァット(首の布)、かつら、ひざ丈のズボン、帽子を、宮廷の男性が身につけるように決めた、という内容です[3]。資料によっては、この年を1660年としています[12]。
ブランメルと、ふだん着のスーツ
19世紀の初めに、ジョージ・ブライアン・ブランメルが、目立つ飾りを減らした簡素な装いを広めました[3]。今のスーツに近い「ラウンジスーツ」は、19世紀の終わりごろ、スポーツや田舎、海辺で着る、とてもくだけた服として現れました。20世紀のはじめには、黒いフロックコートに代わって、ふだんの昼の服になりました[3][4]。
軍服が起源、という話
「スーツは軍服から」という説明は、仕立て店のブログなどで見かけます。ただ、歴史を書いた英語版Wikipediaの記事は、スーツ全体が軍服から来たとは書いていません[3]。軍服の影響を書いた店の記事も、どの軍服か、いつのことかは示していませんでした[6]。一方、服飾の百科事典は、1816年に現れたフロックコートは軍隊の外套(グレートコート)が起源で、昼の正装のモーニングコートは乗馬服がもとになった、と書いています[12]。スーツ全体の軍服起源説は確かめられませんでしたが、軍服や乗馬服が、上着の形に影響した例はあります。では、襟や袖、裾には、どんな意味があるのでしょうか。
英語版Wikipedia(History of suits)は、現代のスーツの源流を、イギリス王チャールズ2世が1666年に定めた、簡素な服装の規範としています。フランスのルイ14世の宮廷を手本に、長い上着、ウエストコート(当時は「ペチコート」と呼ばれた)、クラヴァット、かつら、ひざ丈のズボン、帽子を、宮廷の男性が着けるよう決めた、と書かれています[3]。年は資料によってちがい、服飾の百科事典(Encyclopedia of Clothing and Fashion)は、基本の三つ揃いの形をチャールズ2世が定めたのを1660年としています[12]。19世紀初めには、ジョージ・ブライアン・ブランメルが、当時の派手な装いと対照的な簡素なスタイルを広め、近代の紳士服(上着、長ズボン、ネクタイ)の時代を開いた、とされます[3]。
ヴィクトリア朝には、黒のフロックコートが標準でした。ラウンジスーツは、19世紀の終わりに、スポーツや田舎、海辺のための、ごくくだけた服として登場し、パルトー(paletot)という上着の形から派生した、と説明されます[3]。英語版Wikipedia(Lounge suit)は、19世紀のイギリスで、スポーツウェアや田舎の服から生まれたため、当時は街着より気軽な服とみられた、とし、20世紀の初めに黒いフロックコートに代わって、ふだんの昼の服になった、と書きます[4]。北米では、ラウンジスーツの一形態であるサックスーツ(肩以外はダーツがなく、ゆったりした形)が広まりました[3]。既製服のスーツを最初に売ったのは、一般にブルックス・ブラザーズだとされます[4]。
軍服起源説は、日本語の解説や店のブログでよく見かけます。しかし、History of suitsの記事は、スーツが軍服から来たとは主張しておらず、宮廷服を源流としています[3]。ある仕立て店のブログは、構造的な肩や前ボタンの軍服が、権威の象徴としてシルエットを与え、軍人が平時の服に取り入れた、と書きますが、具体的な軍服、年代、出典を示していません[6]。一方、Marnie Foggによる服飾の百科事典の項目(Encyclopedia of Clothing and Fashion)は、1816年に現れたフロックコートは軍隊のグレートコートを起源とし、昼の正装のモーニングコートは乗馬服をもとにした、と書いています[12]。このメモは、スーツ全体を軍服から来たとする説は、確かめられなかった説として扱い、軍服や乗馬服が個々の上着の形に影響した例があるもの、として書きます。
では、いまのスーツの、襟・袖・裾・裏地といった細かい部分には、どんな意味があるのでしょうか。
3. えりの あな、そでの ボタン、すその きれこみは?
3. 襟・袖・裾・裏地の、それぞれの意味
3. 細部の由来と実用 ── ラペルホール、本切羽、ベント、お台場仕立て、裏地
スーツの えりの あなは、お花を さす ための ものです。もとは、えりを たてて とめる あなだった、と いう せつも あります。この あなが ほんとうに あいて いるのか、ぬい目だけなのかは、しらべた 中では わかりませんでした。
そでの ボタンは、むかし おいしゃさんが うでまくりを するためだった、と いう せつや、ナポレオンが へいたいの そでで はなを ふくのを やめさせる ために つけた、と いう はなしが あります。ただし ほんとうか どうかは、はっきり しません。
すその きれこみは、うまに のる ときに うごきやすい ように した、と いわれます。うらじ(うらの ぬの)にも、ぜんぶに ある ものと、せなかの ところが ない ものが あります。うらじは、うわぎの 中の 「もう 1まいの ふく」の ような もので、おもての ぬのを よごれから まもります。ただし ほんとうは、うわぎの うちがわに つけて ある ぬのです。では、スーツは なにで できて いるのでしょう。
襟のボタン穴
スーツの襟には、ボタン穴があります。ふつうは、ブートニエール(花)をさすための穴です[5]。もとの上着は、首元までボタンで留めるもので、室内や暑いときに、上の部分を折り返してボタンをはずしたのが、襟(ラペル)の始まりだと説明されます[5]。この穴が、実際に開いているのか、縫い目だけの飾りなのかは、参照した「Lapel」の記事には書かれていませんでした。
袖の飾りボタン
袖口のボタンがほんとうに開け閉めできる作りを「本切羽(ほんせっぱ)」といいます。由来の説として、医師が治療のとき袖をまくれるように、というものと、ナポレオンがロシア遠征のとき、兵士が袖口で鼻水を拭くのをやめさせるためにボタンを付けさせた、というものがあります。ただ、店の解説自身が「諸説ある」としており、確かな由来は分かりません[7]。ボタンの数は2〜5個で、4個がふつうです[7]。
裾の切れ込み(ベント)
裾の切れ込みを「ベント」といいます。真ん中に1本ある「センターベント」は、馬に乗るときに動きやすいようにした、といわれます。両わきに2本ある「サイドベンツ」は、騎士が剣を抜きやすいように、という話があります。切れ込みのない「ノーベント」もあります。どれも、「いわれている」という説明です[8]。
裏地と、お台場仕立て
裏地が全面にある「総裏」は、表の生地の汚れを防ぎ、厚みをつけて形を整えます。肩と背中の上のほう以外の裏地を省いた「背抜き」は、涼しくて軽いので、春夏に向きます[9]。「お台場仕立て」(台場)は、内ポケットのまわりを、生地で囲む仕立てで、型くずれを防ぐとされます。四角い「角台場」と、丸い「丸台場」があります[10]。名前の由来は、確かめた資料では説明が見つかりませんでした。
袖・裾・裏地の由来は、店の解説にたよっていて、服飾史の資料では確かめられていません。では、スーツの生地は、何でできているのでしょうか。
襟(ラペル)とボタン穴
ノッチドラペル(もっとも一般的)は、首までボタンで留める上着を、室内や暑いときに、上の部分を斜めに折り返して、上のボタンをはずしたことから生まれた、とされます。摂政時代(リージェンシー)には、ウエストの下まで折り返す長い襟と、多くの飾りボタンをもつ燕尾服が発達しました。単前(シングル)の上着の襟のボタン穴は、ブートニエール(飾りの花)を留めるためのもので、ダブルの上着では、左右対称のために両方の襟にあります[5]。この穴が、実際に開いているのか、縫い目だけの飾りなのかは、参照した「Lapel」の記事には書かれていませんでした。
袖の飾りボタン(本切羽)
オーダースーツ店のマガジンは、袖口が開閉できる仕様を「本切羽」、ボタンで留めるものを「本開き」と説明します。由来の説は、ナポレオンがロシア遠征の寒さで、兵士が袖口で鼻水を拭いていたのをやめさせるためにボタンを付けさせた、というもの(「最も有名な説」)と、医師が治療のとき袖をまくれるようにした「ドクターズカフス(サージョンズカフス)」という説です。ただし、いずれも「諸説あるが」という前置きつきで、確かな出典は示されていません。ボタンの数は2〜5個で、もっとも標準なのは4個とされます[7]。
裾のベント
スーツ販売店の解説(2022年)は、センターベントを、乗馬のとき上着の裾幅が狭くて窮屈になるのを防ぐために考案されたとされる(別名「馬乗り」)、サイドベンツを、帯刀が許された時代に、騎士が剣を抜くとき上着が邪魔にならないように取り入れられた(別名「剣吊り」)と紹介しますが、どちらも「いわれている」という書き方で、確実な歴史的事実としては示していません[8]。
裏地とお台場仕立て
同じ販売店のコラムは、総裏を、内側全面に裏地がある仕様(表地の汚れ防止、厚みによるシルエットの向上、保温性。夏には敬遠される)、背抜きを、肩と背中の上部を除いて裏地を省いた仕様(通気性がよく軽い。表地は傷みやすい。春夏向き)と、中立的に説明しています[9]。お台場仕立ては、内ポケットのまわりを生地で囲む仕立てで、角台場と丸台場があり、芯地のズレや型崩れを防ぎ、耐久性を高めるとされます[10]。別の店の解説は、裏地が擦り切れても取り替えられるようにしたためと言われ、発祥はイタリアだそうだ、と書きますが、伝聞の形です[11]。名前の由来は、確かめた解説には書かれていませんでした。
この章の袖・裾・裏地の説明は、仕立て店・販売店の解説にたよっていて、歴史資料や学術的な出典は確認できていません。では、スーツの素材は、何でできているのでしょうか。次の章で見ていきます。
4. スーツは、なにで できて いるの?
4. 素材と、着こなしの言い伝え
4. 素材(ウール)と、「最後のボタンを留めない」伝説
スーツの ぬのは、おもに 「ウール」(ひつじの け)で できて います。シルクや めんの ものも あります。
スーツの いちばん 下の ボタンは、とめない、と 言われて います。むかしの イギリスの おうさまが はじめた、と いう はなしも ありますが、ほんとうか どうかは わかりません。では、日本では、スーツは どう かわって きたのでしょう。
おもな素材はウール
スーツの生地は、おもにウールです。細い糸でなめらかに作る「梳毛(そもう)」の生地と、ふんわりした「紡毛」の生地があります。シルクや綿もあります[2]。
高い上着の内側には、「浮き芯」の芯地が入り、安い上着は、生地に芯地を貼りつけています。どちらがよいかは、仕立て職人のあいだでも意見が分かれます[2]。
「一番下のボタンは留めない」
ジャケットの一番下のボタンを留めないのは、イギリス王エドワード7世が始めた、という伝説があります。英語版Wikipediaも、「伝説によると」と、事実として確かめられていないことを示しています[2]。では、日本では、スーツはどう広まり、流行はどう変わったのでしょうか。
スーツの生地は主にウール(梳毛か紡毛)で、シルクや綿の生地もあります。高価な上着は、生地の裏で芯地が浮く「フローティング・キャンバス」、安価な上着は、接着芯地を使い、どちらがよいかは、仕立て職人のあいだでも議論がある、とあります[2]。
「ジャケットとベストの一番下のボタンを留めない」習慣は、エドワード7世が始めたという伝説があります。英語版Wikipediaは、これを「Legend has it(伝説によると)」と書き、記録された事実とは区別しています[2]。ブルックス・ブラザーズが既製服のスーツを最初に売ったとされる点も、「一般にそう考えられている」という書き方です[4]。
生地の細かい規格(スーパー表示など)や、化学繊維の性能は、このメモでは確かめていません。では、日本では、スーツはどう広まって、流行は、どう変わってきたのでしょうか。
5. 日本では、スーツは どう かわって きたの?
5. 日本での歴史と流行 ── 明治から平成まで
5. 日本の背広の流行史 ── 明治の4つボタンから、平成末の細身まで
日本では、めいじの ころに ひろまりました。そのころは、ボタンが 4つで、うわぎが みじかい ものが はやりました。
その あとも、うわぎの ながさや、えりの はばは、じだいに よって かわって きました。いまは、体に ぴったりの スーツも 多く なって います。
明治から昭和のはじめ
明治には、フランスの影響が強く、4つボタンで丈の短い上着が流行しました。大正の終わりごろから、日本人の体格を意識して、2つボタンで丈の短いものが広まりました。夏はベストを省くなど、日本独自の着方も生まれました[1]。
戦時中と戦後
1942年からは、衣類の配給制が始まり、背広はとても高い点数がつけられて、ぜいたく品になりました[1]。戦後、昭和30年代までは、アメリカの影響で、肩幅が広く丈の長い形が流行しました[1]。
昭和40年代から平成
昭和40〜50年代には、襟の幅が広い形が流行しました。昭和60年代から平成のはじめは、肩幅を強調し、丈が長く、ダブルの上着も広く着られました。平成の終わりごろからは、丈が短く、体にそった形へ変わり、襟の幅も狭くなりました[1]。
スーツは、時代とともに、形が変わりつづけてきた服です。
日本語版Wikipediaは、日本の背広の流行を、次のように整理しています。明治期はフランスの影響が強く、4つボタン・短い着丈が流行。大正の終わり頃からは、体格差を意識した2つボタン・短い着丈が普及し、夏季はチョッキ(ベスト)を省くなどの独自路線もありました。昭和初期には、すべてのボタンが掛けられる設計で、腕付けやポケットの位置が現代と異なる型が見られます[1]。
戦中の1942年からは、衣類の配給制により、背広は31点という高い点数が設定され、贅沢品になりました。戦後から昭和30年代は、アメリカの影響で、肩幅が広く着丈の長い型が流行し、のちにラペル(襟)が細くなりました。昭和40〜50年代はワイドラペルが流行し、昭和60年代から平成初期は、肩幅を強調し、腰の絞りを抑えた着丈の長い型で、ダブルも広く着られました。平成末期以降は、着丈が短い体に密着した型に変わり、襟幅は狭くなりました[1]。
この章の年代の区切りは、日本語版Wikipediaの整理によるもので、原資料までは確かめていません。ネクタイをしなくてよい場面が増えたことは、別のメモで扱っています。
じぶんでも やって みる
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
スーツを きて いる 人を 見かけたら、そでや えりの ところを 見て みましょう。
あんぜんな ばしょで できる こと
- まちで、スーツの そでの ボタンの 数を かぞえる。人の 体を じろじろ 見ない ように しましょう。
きょう 知った ことを ひとつ だけ ノートに 書いて おきましょう。「スーツは、いろいろな せつが ある」だけでも いいです。
このメモの内容は、公開されている資料で自分でも確かめられます。
今日できること
- 街や写真で、スーツの襟・袖・裾を観察してみる。人の体をじろじろ見ないように気をつけましょう。襟のボタン穴の有無、袖ボタンの数、ベントの種類が分かります。
- 昔の写真と、いまの写真を見くらべる。上着の丈や襟の幅が、時代でちがうことが分かります[1]。
気になった言葉を1つだけ書いておくと、あとで調べる入口になります。「ラペル」や「ベント」だけでも十分です。
このメモは、Wikipediaと、仕立て店・販売店の解説にたよっている部分が多く、原資料にあたっていません。原資料にあたる入口にしてください。
手を動かして確かめる
- 軍服起源説の根拠を探す。「スーツは軍服から」という主張が、どの資料に、どの軍服・年代として書かれているかを、洋服の歴史の専門書や博物館の資料で探してみましょう。
- 『西洋衣食住』(1867年)と『男女西洋服裁縫独案内』(1887年)の該当部分を探す。「背広」の表記がどう出てくるか、原典で確かめましょう[1]。
- 本切羽・ベントの由来の説の、最初の出どころを調べる。店の解説が、何を根拠にしているかを、洋裁・服飾史の資料で探してみましょう。
気になった数字や言葉を1つだけノートに記録しておきましょう。「1666年、チャールズ2世の服装規範」という一文でもかまいません。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
この記事は、下にあげた公開情報をもとに書いています。文章や図を無断で転載してはいません。もっと正確に知りたいときは、必ず下の出典にあたってください。リンク先の内容や、リンク先で起きたことについて、当サイトは責任を負いません。
出典について:日本語版・英語版Wikipedia、スーツの仕立て店・販売店の解説を使いました。歴史の資料や学術的な出典は、確かめられていません。仕立て店・販売店の解説は、店の立場からの説明として読んでください。英語の資料は、内容を日本語で説明しています。このメモは、これらの団体のものではなく、個人のまとめです。
- 日本語版Wikipedia「背広」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/背広 (背広の語源の諸説、日本への導入、日本での流行の変遷)
- Wikipedia(英語版)「Suit」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Suit (スーツの語源、素材、芯地、ボタンの伝説。英語の資料)
- Wikipedia(英語版)「History of suits」。 https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_suits (1666年の宮廷服、ブランメル、ラウンジスーツ、サックスーツ。英語の資料)
- Wikipedia(英語版)「Lounge suit」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Lounge_suit (ラウンジスーツの起源、フロックコートに代わったこと、既製服。英語の資料)
- Wikipedia(英語版)「Lapel」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Lapel (襟の起源、襟のボタン穴と花。英語の資料)
- Tailor Bros「The Suit's History」(2025年9月12日)。 https://tailorbros.com/2025/09/12/the-suits-history/ (仕立て店のブログ。軍服の影響を述べるが、出典や年代は示していない。英語の資料)
- ENJOY ORDER! MAGAZINE「本切羽とは?オーダースーツに必要?メリット・デメリットを解説」。 https://www.global-style.jp/enjoy-order/?p=48879 (オーダースーツ店のマガジン。袖ボタンの由来の説)
- P.S.FA「センターベントは馬乗り、サイドベンツは騎士の証!?意外と知らないベントの歴史」(2022年)。 https://perfect-s.com/announcement/detail/0000000000000067 (スーツ販売店のコラム。ベントの由来の説)
- P.S.FA「スーツの裏地による違いは?総裏仕様と背抜き仕様の特徴を紹介」(2022年)。 https://perfect-s.com/announcement/detail/0000000000000100 (スーツ販売店のコラム。裏地の仕様)
- スプレーモ「スーツの隠れたこだわり「お台場仕立て」」。 https://supremo.jp/blog/textbook_ordersuit_odaiba/ (オーダースーツ店のブログ。お台場仕立ての説明)
- テーラーフクオカ銀座店「お台場仕立てとは?」(2017年5月23日)。 https://www.tailor-fukuoka.com/blog/all-store/2017/お台場仕立てとは?.html (テーラーのブログ。お台場仕立ての発祥についての伝聞)
- Marnie Fogg「Suit, Business」Encyclopedia of Clothing and Fashion(Encyclopedia.com)。 https://www.encyclopedia.com/fashion/encyclopedias-almanacs-transcripts-and-maps/suit-business (服飾の百科事典の項目。チャールズ2世、フロックコートと軍隊の外套、モーニングコートと乗馬服。英語の資料)
なおした ところ
更新履歴
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