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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

寒天は、ところてんの ひものって ほんとう?

寒天は「ところてんの干物」なのか ── 凍って溶けて20日、台所から培地まで

ところてんと寒天 ── 凍結・融解をくり返して乾かした「ところてんの干物」が、細菌学の培地になるまで

分野:歴史・文化

ところてんを 夜の そとに おいたら、ひもののように かわいて しまった。そんな 話が つたわって います[1]。この かわいた ものが、寒天の はじまりだと いわれます。

どうして ところてんが、ひもののように なるのでしょう。しかも 寒天は、のちに 台所を はなれて、けんきゅうしつでも つかわれるように なりました。この きじを よむと、ところてんと 寒天の かんけいと、その ふしぎな たびが わかります。

寒天は、ところてんを夜の寒さで凍らせ、昼に溶かすことをくり返して、水分を抜いたものです[1]。いわば、ところてんの干物のようなものです。しかも、その干物は、のちに台所を離れ、細菌を育てる研究室の道具にもなりました。寒天1グラムに約0.7マイクログラムしかない成分が、細菌の広がりを抑えることも分かっています。

なぜ、わざわざ凍らせるのでしょうか。なぜ長野の諏訪で作られてきたのでしょうか。この記事を読むと、ところてんが寒天に姿を変える道すじと、寒天が細菌学に使われるようになった話が分かります。

寒天は、ところてんを凍結・融解しながら乾燥させたもので、同じ海藻のゲルの、乾物にあたる[1]。始まりは、大名に出したところてんの残りを屋外に置いたら乾物になった、という江戸時代の伝承である[1]。ところが、この乾物は、のちに台所を離れて細菌の培地となり、100年以上使われている[6]。

なぜ凍らせるのか。なぜ諏訪なのか。なぜ台所の食材が培地になったのか。この記事を読むと、ところてんから寒天への変化、産地の条件、培地への転用と、寒天に残る意外な成分の話が分かる。

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1. すてた ところてんが、ひものに なった?

1. 残したところてんを外に置いたら、何が起きたのか

1. 伝承:大名に出したところてんが乾物になった話 ── 年代と大名の諸説

むかし、京都の ふしみの やどに、みのやと いう 宿が ありました。あるとき、だいみょうに だした ところてんが のこりました。それを そとに おいて おくと、夜は こおり、昼は ひざしで とける ことが くりかえされて、かわいた ものに なりました[1]。

この かわいた ものを 水に とかして かためて みると、まえより においが すくなく、すきとおった ところてんに なった そうです[1]。

ただし、これは つたえられて きた 話で、ねんも ひとも、しりょうに よって すこし ちがいます[2]。では、ほんとうに 夜の 寒さで、ところてんは こう かわるのでしょうか。

寒天の始まりは、江戸時代の京都・伏見の旅館だと伝えられています。主人の美濃屋太郎左衛門が、大名に出したところてんの残りを屋外に置いたところ、夜の寒さで凍り、昼の日差しで溶けることをくり返して乾物になったというのです[1]。これを煮溶かして固めなおすと、以前より匂いが少なく、透き通ったところてんになったともいわれます。

ただし、これは伝承です。nippon.comは「1650年代末の冬」、コトバンクは「1658年の冬」としており、大名の名も、一説に薩摩藩主の島津光久とされるなど、資料によって幅があります[2]。中国の禅僧・隠元(1654年来日)が「寒天」と名づけたという話も、同じく伝わっているものです。

年や人物ははっきりしなくても、「夜に凍り、昼に溶ける」という場面が、今の作り方の核になっていることは共通しています。では、その繰り返しで、ところてんの中では何が起きるのでしょうか。

横浜税関の資料は、寒天の発祥を江戸時代の日本とし、京都・伏見の旅館の主人・美濃屋太郎左衛門が、大名(一説に薩摩藩主・島津光久)に出したところてんの残りを屋外に置いたところ、夜間の凍結と日中の融解が繰り返されて乾物になった、という説を紹介する[1]。この乾物を煮溶かして固めると、匂いの少ない透明なところてんになった、と語られる。

ただし年代と人物には幅がある。nippon.comは「1650年代末の冬」、コトバンクは「1658年の冬」とし、宿の名は「美濃屋」で共通するが、大名の名は資料により異なる[2]。隠元(1654年来日)が「寒天」と命名したという説明も伝承の域を出ない。1658年は、確かな記録の年ではなく、伝承に付いた年と読むのが妥当である。

年号は動いても、屋外での凍結と融解の繰り返しが乾物を生んだ、という筋は共通する。では、この工程で何が起きているのか。

2. こおって とけてを 20日 くりかえすと?

2. なぜ、凍らせては溶かすのか

2. 凍結・融解・乾燥の工程 ── 約20日で何が起きるとされるか

今の 寒天も、もとは ところてんです。海そうを にて とりだした ものを ひやして かためると、ところてんに なります。これを こおらせて、かわかした ものが 寒天です[1]。

そとで つくる 天ねんの 寒天は、こおる、とける、かわく を くりかえして、20日ぐらい かけて できあがります[4]。1ぽんの 寒天の なかに、寒い 夜と あたたかい 昼が、20日ぶん はいって いる ことに なります。

こおると、ところてんの 水が こおりの つぶに なり、とけるとき、水が ぬけて いくと せつめいされます。この くりかえしで、においが すくない すきとおった かんそうひんに なるのだ と いわれます[4]。

では、どこでも できるのでしょうか。

寒天は、テングサやオゴノリなどの紅藻類を煮て、寒天質を取り出し、冷やして固めた「ところてん」を、凍らせるか押して水を絞るかして、乾燥させたものです[1]。天然の寒天は、この凍結・融解・乾燥をくり返し、約20日かけて完成します[4]。

ところてんは、凍ると寒天質と氷の結晶に分かれ、溶けるときに水が抜けると説明されます。この繰り返しで、不純物も水と一緒に除かれ、透明で匂いの少ない乾物になるといわれます[4]。ただし、この仕組みの説明は、産地の解説に見られる言い方です。

一本の棒寒天に、凍る夜と溶ける昼が約20日ぶん入っていると考えると、伏見の宿の庭で起きた出来事が、そのまま工程になっているように見えてきます。夜の寒さがとても大事なら、どんな土地が向いているのでしょうか。

製法をたどると、伏見の伝承が工程として生きていることが分かる。テングサ・オゴノリなどの紅藻類を煮て寒天質を抽出し、冷却してところてんとし、凍結または圧搾脱水して乾燥させる[1]。コトバンクも寒天を「ところてんをいったん凍結したのち乾燥した製品」と定義し、天然寒天は戸外で凍結と乾燥を繰り返すと説明する。主成分は複合多糖類のアガロース(あがろーす)とアガロペクチン(あがろぺくちん)である[3]。

天然寒天では、凍結・融解・乾燥の繰り返しに約20日を要する[4]。凍ると寒天質と氷の結晶に分かれ、溶けるときに水が分離し、不純物も水とともに除かれて透明で匂いの少ない乾物になる、という説明がある。この説明は産地側の解説で、仕組みを実験で示した資料は今回は用いていないため、「といわれる」の水準で読む。

ただし、寒天は水と加熱すると溶け、冷やすと大量の水分を保持して固まる性質を持つ[1]。だからこそ、乾物にしても、煮溶かせば元のゲルに戻せる。凍結の条件は気温任せではないのか、という疑問が次に来る。

3. なぜ、すわで つくられて きたの?

3. 寒天づくりは、なぜ長野の諏訪に根づいたのか

3. 産地の条件 ── 諏訪の気候と、1830〜40年ごろからの寒天づくり

長野けんの すわは、たかい ところに あって、夜の 気おんが マイナス5〜10どより ひくく なります。しつどが ひくく、ひると 夜の 気おんの さも おおきいのです。まざりものの すくない きれいな 水も あります[4]。

すわで 寒天づくりが はじまったのは、1830〜40ねんごろです。すわの あきんどが、ほかの ちいきの つくりかたを もちかえって、ふくぎょうに したのが はじまりだと いわれます[2]。

いまは、つくる かいしゃは 12〜13しゃぐらいで、いちばん おおい ときは 250しゃ いじょうも ありました[2]。おおくの 寒天は、ゆにゅうひんです。

ところで、もとの ところてんは、いつから 食べられて いたのでしょう。

諏訪は標高が高く、冬の夜は氷点下5〜10℃以下になり、内陸性で湿度が低く、昼と夜の気温差も大きい土地です。不純物の少ない地下水があることも、寒天づくりに向くといわれます[4]。ただし、この気温は目安で、実際の工程では日ごとに調整されます。

諏訪に寒天づくりが根づいたのは、1830〜1840年ごろです。諏訪の行商人・小林粂左衛門が、丹波・兵庫の技術を持ち帰って副業にしたのが始まりと伝わります。1905年の中央線開通で原料が手に入りやすくなり、名産になりました。最盛期は250社以上ありましたが、今は12〜13社ほどです(資料により数え方が少し違います)[2]。

いま日本で使われる寒天は、国産よりも輸入品の割合が多くなっています。2023年の輸入は全国で1,971トン、金額は70億円あまりで、粉寒天が主流です。輸入先の1位はチリで、オゴノリの養殖に支えられています[1]。天然の寒天づくりは、産地の条件に合う少数の工房が受け継ぐ仕事になっています。

では、そのもとになったところてんは、いつから食べられてきたのでしょうか。

天然寒天づくりに向く条件は、夜間に氷点下5〜10℃以下まで冷える高地、低湿度の内陸性気候、不純物の少ない地下水とされる[4]。凍結と融解を繰り返すには、夜に確実に冷え、昼に溶けるだけの日差しがあり、乾燥を妨げない湿度の低さが要る。気温は目安であり、日ごとに調整する工程である点は誤解しないほうがよい。

諏訪に根づいたのは1830〜1840年ごろで、諏訪の行商人(小林粂左衛門)が丹波・兵庫の技術を持ち帰って副業とした。開始年は資料によって1830年頃と1840年頃のずれがあるため、幅で示す。1905年の中央線開通で原料が得やすくなって名産となり、最盛期の250社以上から、今は12〜13社ほどになった(2024年の解説で約12社、2025年の取材で組合加入13社)[2]。

国内消費は、以前は国産が主流だったが、近年は輸入品の割合が多く、粉寒天が主流である。2023年の輸入は1,971トン(70億36百万円)で、輸入先1位のチリではオゴノリを養殖している[1]。ところで、凍らせて乾かす前の「ところてん」は、寒天よりずっと古い食べ物である。

4. ところてんは、寒天より ずっと むかしから あった?

4. ところてんの名前は、どう変わってきたのか

4. ところてんの来歴と語源 ── 「心太」の読みが移り変わった道すじ

ところてんは、寒天より ずっと ふるい たべものです。1200ねん いじょう まえの ならの じだいに、ちゅうごくから つくりかたが つたわったと いわれます[2]。

なまえも かわって きました。むかしの ひとは 海そうを 「こるもは」と よび、あとで 「こころぶと」と かきました。そして 「こころてい」「こころてん」を へて、「ところてん」に なったと かんがえられて います[5]。

たべかたは、ところてんを てんつきで ほそく おしだします。かんとうでは すじょうゆと からしが ふつうと いわれ、きんきでは くろみつを かけて おかしの ように たべる ことが おおいと されます[7]。

そんな 台所の 寒天が、おもわぬ ところで やくに たちます。

ところてんは、寒天より古い食べ物です。nippon.comは「1200年以上前の奈良時代に中国から製法が伝わった」としています[2]。来歴には諸説があり、これは中国から伝わったという説の一つです。

名前の変化も伝わっています。平安時代には海藻を「コルモハ」、のちに「ココロフト」と呼びました。室町時代には「ココロテイ」とも読まれ、それがなまって「ココロテン」、さらに「トコロテン」になったと考えられています[5]。

食べ方は、天突きで麺のように押し出すのが基本です。関東では酢醤油とからし、京都・大阪など近畿では黒蜜をかけて甘味として食べるのが一般的とされますが、地域で決まりきっているわけではありません[7]。

この寒天には、食べ物以外の大きな役目が待っていました。ドイツの台所と、ある医師の話です。

ところてんの歴史は寒天より古い。nippon.comは、1200年以上前の奈良時代に中国から製法が伝わったとする[2]。来歴は諸説あり、日本古来説の有無までは今回の資料では追っていない。

語源はコトバンクの「心太」の項に詳しい。平安時代に海藻を「コルモハ(凝海藻)」、のち「ココロフト」と呼び、室町時代に「ココロテイ」とも読まれ、なまって「ココロテン」、そして「トコロテン」になったと考えられている[5]。「心太」の字は「ところてん」とも「こころぶと」とも読める。

食べ方は、天突きで押し出すのが基本で、関東は酢醤油とからし、近畿は黒蜜で甘味として食べるのが一般的とされる。ただし公的資料ではなく食文化の記事に基づく傾向であり、地域で完全に分かれるとは読まない[7]。

では、家庭の食材だった寒天が、なぜ細菌学に入ったのか。

5. だいどころの 寒天が、けんきゅうに なったのは なぜ?

5. 台所の寒天は、どうして細菌の研究に使われたのか

5. 培地への転用 ── ヘッセ夫人の伝承とコッホの寒天培地(1882年)

さいきんを そだてて しらべるには、そだてる ための ゼリーの ような ものが いります。むかしは ゼラチンが つかわれましたが、ゼラチンは 37どで とけて しまいます[1]。

ドイツの ヘッセさんの おくさんが、だいどころで 寒天を つかって いました。その 話が、おいしゃさんの ご主人を とおして、ロベルト・コッホに つたわったと いわれます。コッホは 1882ねんの、けっかくきんの けんきゅうの ろんぶんで、寒天の ばいちを はっぴょうしました[1]。

ただ、ヘッセさんの ふうふの ことは、コッホの ろんぶんには かかれて いません。

寒天は さいきんに ぶんかいされにくく、19せいきの おわりごろから、100ねん いじょう つかわれて います[6]。

細菌を育てて調べるには、ゼリー状の土台が必要です。ゼラチンは37℃で液体になってしまいますが、寒天は高い温度でも固体のままです[1]。細菌を育てる温かさでも崩れないことが、大きな利点でした。

横浜税関の資料によると、ドイツの家庭の主婦ファニー・ヘッセ夫人が台所で使っていた寒天のことを、医師の夫に話し、夫がロベルト・コッホに紹介しました。コッホは1882年、結核菌の研究論文で寒天培地を発表しています[1]。ただし、夫妻の功績はコッホの論文には明記されていません。誰から寒天を知ったかは、日本語の説明と英語の説明で細部が異なるため、台所で寒天を使っていた話は伝承の範囲で読みます。

寒天は細菌に分解されにくく、培地のほか歯科の印象材にも使われます。19世紀後半のパスツールやコッホの時代から100年以上、今も使われています[6]。

そんな寒天の中に、培養を邪魔する成分が隠れていることが、近年分かりました。

細菌の培養には、加温しても固体を保つ支持体が要る。ゼラチンは37℃で液体になるが、寒天は高温でも固体のままで、細菌にも分解されにくい[1]。この二つの性質が、寒天を台所から培地へ押し上げた。

横浜税関の資料(『寒天・トコロテンの科学』を参照)は、ドイツの家庭婦人ファニー・ヘッセ(Fanny Hesse)が台所で寒天を使い、医師の夫がそれを知って、ロベルト・コッホ(Robert Koch)に紹介した経緯を述べる。コッホは1882年の結核菌の論文で、寒天培養基を発表した[1]。ただし、夫妻の功績はコッホの論文には明記されていない。誰から寒天を知ったのかは日本語資料と英語版Wikipediaで細部が異なるため、本稿は「台所で寒天を使っていた」までを伝承の範囲として扱う。

北海道大学の2012年のプレスリリースは、寒天が19世紀後半のパスツールやコッホによって培養支持体(寒天平板)として用いられ、現在も広く使われていると述べる[6]。ただし同資料はテングサを褐藻と書いているが、紅藻が正しい(本記事2章)。それにしても、100年以上使われてきた培地に、まだ知られていない成分があったのか。

6. 寒天に、じゃまを する ものが はいって いた?

6. 寒天には、培養の邪魔をする成分も入っていた

6. 寒天粉末中のフランカルボン酸 ── 微量成分がコロニーの広がりを抑える

ほっかいどう大がくの けんきゅうで、おどろく ことが わかりました。寒天の なかに、さいきんの ひろがりを おさえる ものが すこし はいって いたのです[6]。

その りょうは、寒天 1グラムに 0.7マイクログラム ほどです。1マイクログラムは、100まんぶんの 1グラムです[6]。ほんの すこしの りょうです。

さいきんの かたまりの ことを 「コロニー」と いいます。この ものが あると、コロニーの ひろがりが はっきり おさえられました[6]。

台所で うまれた 寒天には、まだ わかって いない ことが のこって いるのかも しれません。

北海道大学の研究で、寒天の粉に含まれるフランカルボン酸2種類が、細菌のコロニー(集まり)の広がりを抑えることが分かりました。量は寒天1グラムあたり約0.7マイクログラムで、割合にすると約140万分の1という微量です[6]。

それでも、はっきり効果が出たといいます。「寒天が悪い」という話ではなく、100年以上使われてきた寒天に、まだ知られていない働きが見つかった、ということです。

100年以上使ってきた道具にも、まだ調べる余地が残っています。台所の寒天が、今も研究の対象になっているのです。

北海道大学の2012年のプレスリリースによると、寒天粉末には2種類のフランカルボン酸が含まれ、含有量は寒天1gあたり約0.7マイクログラム(5ナノモル程度)にすぎないが、細菌のコロニー(細菌が集まってできたかたまり)の広がりを明らかに抑制した[6]。0.7マイクログラム÷1グラムは、およそ7×10⁻⁷で、約140万分の1にあたる。

ここで、寒天が培養に不向きと読むのは早い。資料が示すのは、微量成分がコロニーの広がりに影響するという事実までである。

台所の寒天は、100年以上使われてきた道具でありながら、微量成分の働きがなお解明の途中にある。ところてんの延長にある寒天は、今も新しい問いを生む素材である。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

今日できること

おうちに 寒天や こなかんてんが あれば、ふくろの うらを 見て みましょう。「ざいりょう」に ある 海そうの なまえや、つくられた くにが かいて あります。おうちに なければ、しゃしんや ずかんで ところてんと 寒天を みくらべても いいですね。ゼリーを つくる ときは、おうちの ひとと いっしょに、ねっとうに ちゅういします。

出かけてできること

スーパーで、ところてんと 寒天を さがして、ならべて みましょう。ところてんは ぷるぷるで、ぼうかんてんや こなかんてんは かたく かわいて います。どうして ちがうのか、かんがえて みます。

こうしきの 情報じょうほう

よこはまぜいかんの ホームページに、寒天の ゆにゅうに ついての しりょうが のって います。

今日できること

家に棒寒天や粉寒天があれば、袋の裏の原材料と原産地を見てみましょう。テングサかオゴノリか、どこの国から来ているのかが書かれています。家になければ、お店の商品ページで見てもかまいません。

出かけてできること

スーパーで、ところてんと、乾物の寒天を並べて比べてみます。同じ海藻から作られているのに、なぜ形も固さも違うのか、この記事の2章を思い出して説明してみましょう。

公式情報

横浜税関の「寒天の輸入」の資料に、作り方、歴史、輸入の量がまとまっています。北海道大学のプレスリリースからは、寒天の微量成分の研究を読めます。

今日できること

粉寒天か棒寒天の原材料表示を見て、原料の藻の種類と原産国を確かめ、2章の工程のどこで乾燥しているのかを説明してみる。

出かけてできること

ところてんと乾物の寒天を並べ、同じ海藻のゲルが、凍結・乾燥でどう性質を変えるのかを、見た目と重さの違いから考える。

公式情報

横浜税関「寒天の輸入」(令和6年6月)と、北海道大学のプレスリリースを読み比べ、寒天の作り方と研究の視点の違いを確かめたい。ヘッセ夫人の伝承は、『寒天・トコロテンの科学』などの原典にあたって細部を確認するとよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

寒天とところてんの作り方・輸入は横浜税関の資料に、産地と歴史は各解説に、培地と微量成分は北海道大学の資料に依拠する。数字は、資料に書かれた範囲のものだけを使った。

  1. 横浜税関「寒天の輸入」(令和6年6月) https://www.customs.go.jp/yokohama/toukei/topics/data/2406agar.pdf (寒天の作り方・伝承・培地・輸入)
  2. nippon.com「日本生まれの健康食材『寒天』」 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02494/ (伝承の年・ところてんの伝来・諏訪の産業)
  3. コトバンク「寒天」 https://kotobank.jp/word/寒天 (寒天の定義・主成分)
  4. ゴーナガノ「天然寒天(諏訪の伝統産業)」 https://www.go-nagano.net/theme/id=17997 (天然寒天の工程・産地の条件)
  5. コトバンク「心太」 https://kotobank.jp/word/心太 (ところてんの名前の変化)
  6. 北海道大学プレスリリース(2012年9月) https://www.hokudai.ac.jp/news/120927_pr_agr.pdf (培地としての利用・寒天の微量成分)
  7. Precious「ところてんの食べ方」 https://precious.jp/articles/-/59291 (関東と近畿の食べ方の傾向)

なおした ところ

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