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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

とうきょうとの みどりの マークは、なんの かたち?

東京都の緑のマークは、イチョウの葉なのか ── では、その前のマークは何だったのか

東京都シンボルマーク(1989年)は何を表すのか ── 都章(1889年)から、公募と語呂合わせで生まれた自治体のマークまで

分野:歴史・文化

とうきょうとの みどりの マークは、いちょうの はに 見えます。ところが、とに きいてみると、「いちょうでは ありません」と いう こたえでした。

では、なんの かたちなのでしょう。その まえの マークは、どんな ものだったのでしょう。マークの ひみつと、じぶんの まちの マークの 見かたが わかります。

東京都の緑のシンボルマークは、イチョウの葉に見えます。ところが、都に問い合わせた記者が受けた答えは、「イチョウではありません。東京の頭文字のTをデザインしたものです」というものでした[2]。

では、あの形は何を表しているのか。そして、このマークの前に都が使っていた図案は何だったのか。都のマークの意味と、市や町のマークが公募や語呂合わせで生まれてきた流れ、自分の町のマークの読み方が分かります。

東京都のシンボルマークは緑色で、イチョウの葉を思わせる。しかし都の公式説明は頭文字「T」を中央に秘めた図案とするだけで、イチョウには触れていない[1]。問い合わせた記者に、都は「イチョウではない」と答えている[2]。

このマークの前には、1889年に生まれた別の図案があった。なぜ都は図案を替えたのか。そして市町村のマークはどのように生まれ、どんな流行をたどってきたのか。都の資料、自治体の指針、意匠研究の論文を比べて、その答えと、自分の町のマークの読み解き方が分かる。

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1. みどりの マークは、いちょうなの?

1. 緑のマークは、都に聞くと「イチョウではない」

1. 1989年のシンボルマーク ── 公式説明は「T」、イチョウの説明はない

とうきょうとの マークは、緑みどりいろです。おなじ かたちの まるい せんが 三つ ならんで います。

いちょうの はに 見える ひとも いるでしょう。けれど、都とが つけた せつめいは ちがいます。「とうきょうの はじめの 字、Tを まんなかに かくした マーク」と いう ものです[1]。

とに きいた 記者には、「いちょうでは ありません」と、はっきり こたえたそうです[2]。

でも、たんとうの 人は「みどりで いちょうに にて いるから、いちょうも かくして あるのかも しれない」とも はなしました。これは、その 人の 気もちで、とが きめた せつめいでは ありません[2]。

では、どうして いちょうだと おもう 人が いるのでしょう。

東京都のシンボルマークは、都の頭文字「T」を中央に秘め、同じ形の三つの円弧で構成した図案です。色は鮮やかな緑が基本と、都の公式ページは説明しています。候補20点から選ぶ委員会を経て、1989年6月1日に制定されました[1]。この説明の中に、イチョウという言葉は出てきません。

実際に問い合わせた記者は、都から「イチョウではありません。Tをデザインしたものです」と、きっぱり答えられたと書いています。ただし同じ取材で、担当の文化振興部は「緑でイチョウに似ているので、イチョウも秘めてデザインされたのかもしれない」とも話しました[2]。これは担当者の推測で、公式の説明ではありません。

それでもイチョウと結びつきやすいのには、いくつか心当たりがあります。東京都の木は、1966年に都民投票でイチョウに決まりました。投票は、ケヤキ・イチョウ・ソメイヨシノの3種から選ぶ形で、イチョウ49%、ケヤキ32%、ソメイヨシノ19%でした。委員の多数はケヤキに賛成でしたが、結果は都民の票どおりになっています[1]。シンボルマークの制定はそれより23年後なので、木の決定とマークは別の出来事です。

さらに、清掃車には1968年から2000年ごろまでイチョウのマークが付いていました。記者は、これも誤解の一因ではないかと推測しています[2]。

ところで、このTのマークが来る前、東京都は何を顔にしていたのでしょうか。

都の公式ページによれば、東京都シンボルマークは東京都シンボルマーク選考委員会が候補作品20点から1つを選び、平成元年(1989年)6月1日に制定した。図案は頭文字「T」を中央に秘め、三つの同じ円弧で構成し、色は鮮やかな緑を基本とする[1]。公式説明にイチョウへの言及はない。

では、なぜイチョウと結びつくのか。記者が都に問い合わせたところ、答えは「イチョウではなく、Tをデザインしたもの」だった。一方、担当部署は「緑でイチョウに似ているので、イチョウも秘めてデザインされたのかもしれない」とも述べている[2]。後者は担当部署の説明に含まれた推測である。都の公式ページでは、マークを「T」の図案と説明している。

連想の背景としては、まず都の木がある。1966年11月14日にイチョウが都の木と発表されたが、これは3種(ケヤキ・イチョウ・ソメイヨシノ)による都民投票の結果だった。得票はイチョウ7,919、ケヤキ5,153、ソメイヨシノ3,032で、合計16,104票のうちイチョウが約49%(7,919÷16,104)。委員の多数はケヤキ賛成だったが、都民の投票どおりに決まっている[1]。マークの制定は1989年で、木の決定の23年後に当たり、両者は別の出来事である。

もう1つは清掃車だ。1968年から、清掃事業のイメージアップのために車へイチョウのマークが使われ、2000年4月に清掃事業が区へ移ると各区のマークに替わった。Tのマークとイチョウのマークが10年以上並んで走っていたことを、記者は誤解の一因と推測している[2]。ただし推測であり、因果は確定していない。

ではTのマークの前に、都は何を顔にしていたのか。

2. まえの マークは、たいように 六ぽんの ひかり

2. 前のマークは、太陽から6本の光が出る図案だった

2. 都章(1889年)── 太陽と6方向の光が、市のマークから都の紋章へ

シンボルマークの まえに、とうきょうとには「とのしょう」と いう マークが ありました。太陽が まんなかに あって、まわりへ ひかりが ろっぽうこうに のびる かたちです[1]。

うまれたのは、明治めいじ22ねん(1889ねん)です。このころは、まだ とうきょうと では なくて、「とうきょうし」の マークでした。1943ねんに とに なった とき、とのマークとして うけつがれました[1]。

とうきょうが ひろがって ほしい、にほんの まんなかで ありたい。そんな ねがいが こめられて いると、とは せつめいします[1]。

この マークは いまも、マンホールの ふたや ちかてつの あんないなどに、すこし のこって いると いわれます[2]。さんぽの ときに、ふたを 見て みましょう。

ところで 1889ねんは、ほかの まちにも マークが うまれた ねんでした。

シンボルマークの前に都が使っていたのは、都章(都の紋章)と呼ばれる図案です。太陽を中心に6方向へ光が放たれるさまを表し、東京の発展を願う気持ちと、日本の中心であることを象徴するとされています[1]。

この図案が決まったのは、明治22年(1889年)12月の東京市会でした。このときは東京「市」のマークで、1943年に東京都制が始まると、都の紋章として受け継がれました(同年11月2日告示)[1]。市のマークが、そのまま都のマークになったわけです。

数字を並べると、おもしろいことに気づきます。都章の誕生は1889年、シンボルマークの制定は1989年。ちょうど100年のへだたりがあります。ただし、資料には100年を意識して決めたとは書かれておらず、これは年を引き算しただけの発見です。

この古い図案は消えたわけではなく、マンホールのふたや地下鉄の案内などの一部に今も使われている、と取材記事は伝えています[2]。足もとのふたを見れば、100年以上前の図案に出会えるかもしれません。

ところで、1889年に誕生したマークは東京だけではありません。この年は、全国の市や町や村にとっても大切な年でした。

シンボルマークの前身は都章である。意味は、太陽を中心に6方向へ光が放たれるさまで、東京の発展を願い、日本の中心を象徴するとされる。決定は明治22年(1889年)12月の東京市会で、当初は東京市のマークだった。1943年の東京都制施行で都の紋章として受け継がれ、同年11月2日に告示されている[1]。

つまり、都章は都のマークとして作られたのではなく、市のマークが組織の変化にともなって引き継がれたものである。1889年から1989年のシンボルマーク制定までは、ちょうど100年。ただし、この間隔に意図があったかは資料に記述がなく、単なる算術上の一致として扱うべきだろう。

都章は現在も消えていない。取材記事によれば、マンホールのふたや地下鉄の案内など、一部の場所で使われ続けている[2]。公式ページはこの点に触れておらず、記者の取材にもとづく記述なので、どこまで残っているかを一般化するのは避けたい。

では、なぜ1889年に注目するのか。市のマークが次々に生まれた年が、まさにこの年だったからである。

3. まちの マークは、だれが つくったの?

3. 市や町のマークは、公募で生まれることが多かった

3. 1889年の市制町村制と、公募で生まれた自治体の紋章

1889ねんは、「市」と「町」「村」の きまりが できた ねんです。けんきゅうした 人は、この ねんに うまれた まちの マークを 「まちの マークの はじまり」と 見て います[3]。

そして マークは、はじめの ころから、みんなから かんがえを あつめて 決める ことが おおかったそうです。むずかしい ぎじゅつが いらないので、ふつうの 人も おうぼしやすかったからです[3]。

たとえば 西東京市は、市が できた おいわいに、ぜんこくから マークの かんがえを あつめました。1,578 ばんの さくひんが あつまり、えらぶ 人たちが 1つに しぼって、市みんなの アンケートの あとで きまりました[4]。

みどりいろには、ゆたかな しぜんの いみも あります[4]。マークは、そのころの 人たちの ねがいを、かたちに した ものなのです。

さて、そんなふうに うまれた マークは、どんな かたちが おおかったのでしょう。

1889年は、市制町村制が始まった年です。市や町や村が自治体として動き出した年でもあります。自治体紋章を調べた研究者は、この1889年に生まれた紋章を、地域を表すデザインの出発点と見ています[3]。

この研究によると、自治体の紋章は最初から公募の形が多く使われました。広告図案のように高度な技術を求められる分野と違い、一般の人が気軽に応募できる分野で、デザインの専門家を通さない図案が正式に採用された例も多かったといいます[3]。

この流れは今も続いています。東京都の西東京市は、市の誕生を記念して市章を全国から公募しました。寄せられた1,578作品から市章選定委員会が選び、市民アンケートを経て制定されています。市民をやさしく包む姿に、市の先進性と創造性を重ね、緑色には豊かな自然の意味も込めたと説明されています[4]。

都のシンボルマークも、候補20点の中から選ぶ委員会が決めたもので、応募から選ぶ形は都と市町村に共通しています[1]。

では、公募で集まったマークには、どんな工夫や流行があったのでしょうか。

1889(明治22)年は市制町村制が施行され、現在の地方自治制度の枠組みができた年である。柳橋達郎の研究は、この年に生まれた自治体紋章を、地域デザインの先駆けとして起点に置いている[3]。東京市のマークが同じ1889年に決まったことも、この制度の始まりと重なる[1]。

この研究が挙げる特徴の1つが、公募である。自治体紋章は第1期から公募形式が採られていた。広告図案のような高度な技術は要らず、一般市民が気軽に応募できたため、デザイン専門家を経ない図案が正式採用される例も多かった[3]。

現代の例が西東京市だ。市の誕生記念に全国から公募し、1,578作品が集まった。市章選定委員会が選考し、市民アンケートを経て制定された。意味は市民をやさしく包む市の先進性・創造性で、緑色は豊かな自然も表す。使い方の指針は平成14年1月21日から適用され、令和7年に一部が改正されている[4]。

都のシンボルマークも、20の候補から委員会が1つを選ぶ手順を踏んでおり[1]、公募そのものでなくても、複数案から選ぶ形は共通する。

では、多くの人が応募し、多くの自治体がマークを作ると、どんな傾向が生まれたのか。論文は時代ごとの流行を指摘している。

4. はやりが あった? ごろあわせの マーク

4. 数字に読みかえる判じ絵から、「さ」だらけの時代まで

4. 判じ絵型から1文字型へ ── 論文が示す紋章デザインの流行

マークにも、はやりが ありました。明治めいじの ころは、まちの なまえを すうじに かえる ごろあわせが はやったそうです[3]。

たとえば 久留米くるめ市の マークは、「ル」と「9」と「米」を くみあわせた ものです。9を「く」と よみ、「ル」と「米(め)」を つなぐと、「くるめ」と よめます[3]。

それから 時が たつと、かたかなを 使った 左右おなじ かたちの マークが ふえました。1954ねんごろには、ひらがなや、とりの つばさの マークが 目だちました[3]。

1954ねんに きまった 市の マークを しらべると、なまえが「さ」で はじまる ものの 42%ほどが、「さ」か 「サ」の 1文字の マークでした[3]。にた かたちが たくさん あって、見わけにくい ことも あったと、けんきゅうした 人は 書いて います。

横浜よこはま市の マークは、「ハマ」の 2文字を かたちに した もので、開港かいこう50しゅうねんの 1909ねんに できました。あかい いろです[5]。

では、マークが きまった あとは、どう あつかわれるのでしょう。

公募で集まった図案には、時代ごとの流行があったと、研究者は整理しています。明治から大正3年ごろまでの第1期は、複雑な図案が中心でした。この時期には、自治体名を数字に読みかえる判じ絵・語呂合わせの図案が流行し、久留米市の「ル×9・米」が例に挙がっています。9を「く」、米を「め」と読めば「くるめ」になる、という仕掛けです[3]。

大正4年から昭和20年までは、片仮名を使った左右対称の図案が目立つ時期です。そして昭和29年ごろには、平仮名や、鳥・翼をモチーフにした図案が多く見られました[3]。

この昭和29年ごろは、市町村の合併が進んだ時期で、新しい市の市章が次々に作られました。1954年に制定された市章のうち、頭文字が「さ」の市町村の42%が「さ」「サ」1文字の図案でした。似たデザインが量産され、区別しにくくなる問題もあったと、研究者は述べています[3]。ただしこれは、調べられた市章をもとにした傾向であって、すべての自治体に当てはまる法則ではありません。

文字を図案にする工夫は、ほかの市にもあります。横浜市の市章は、開港50周年を記念して1909年につくられた「ハマ」の2字のデザインで、地は白、市章は赤と定められています[5]。

マークは、決まった後にも守るべき約束があります。

柳橋の論文は、自治体紋章を3つの時期に分けて、流行を整理している。ただし、これは調べた市章の標本から見えた傾向で、全自治体に当てはまる法則ではない[3]。

第1期(明治から大正3年)は複雑な図案が中心で、自治体名を数字に読み替える判じ絵・語呂合わせ型が流行した。久留米市の「ル×9・米」が代表例で、9を「く」、米を「め」と読ませる仕掛けと解釈できる。第2期(大正4年から昭和20年)は片仮名を用いた左右対称の図案が中心で、第3期(昭和29年ごろ)は平仮名や鳥・翼のモチーフが目立つ[3]。

第3期の特徴は画一化だ。1954年に制定された市章のうち、頭文字「さ」の市町村の42%が1文字型(さ・サ)の図案を採用していた。翼や鳥のモチーフも多く、似た図案が量産されて差別化しにくくなる問題があった、と研究者は指摘する。なお対象は確認できた1954年制定の市章で、町村全体ではない[3]。

この画一化は、公募が悪かったという話ではない。専門家を経ず、親しみやすい文字を使う方法が選ばれやすく、結果として似た案が集まった、と読むのが自然だろう。ただし資料はこの因果まで述べていない。

文字を図案にした例として、横浜市章がある。開港50周年を記念して1909(明治42)年につくられ、「ハマ」の2字をデザインしたものだ。6月5日に告示され、地は白、市章は赤と定められた[5]。

こうして選ばれたマークは、そのあと自由に変えてよいのだろうか。

5. マークは、かってに かえて いいの?

5. 決まったマークは、勝手に変えられない

5. 西東京市の指針に見る、市章の使い方の決まり

マークが きまると、つかい かたの きまりも できます。西東京市の きまりでは、かたちを かえたり、字や えを たしたり、すきな いろに ぬったり しては いけません。ふちどりも、いろを ひっくり かえすのも、くらい はいけいも だめです[4]。

ちいさく する ときも、たて 6ミリか、それより 大きくと きまって います[4]。

じぶんの まちにも、おなじような きまりが あるかも しれません。

西東京市の「市章の使用に関する指針」には、使い方の決まりが具体的に書かれています。縦横の比率を変えるなど、形を変えて使うことはできません。文字や図の付け足し、好きな色での着色、縁取り、色の反転、濃い背景への使用も認められていません。小さく表示する場合は、縦6mm以上とされています[4]。

西東京市では、決まった市章を指針に沿って使います。また、都の古い都章はマンホールなどに今も残っているといわれます。東京の例を見るかぎり、マークは作られた時だけでなく、長く使われることで町の風景の一部にもなっているようです。

ここまでで、マークの意味は、公式説明を読むと分かること、そして時代の流行を知ると分かることが見えてきました。

決まった市章の扱いには、細かな決まりが付く。西東京市の指針では、縦横比を変えるなど市章を変形して使うことはできず、文字や図の付け足し、好きな色での着色、縁取り、反転、濃い背景への使用も禁じられている。最小表示は天地6mm以上である[4]。

指針は禁止事項を並べているが、その理由までは説明していない。したがって「形を保つため」と断定はできないが、禁止項目の多くが形と色を保つ方向にそろっている点は、資料から読み取れる。

西東京市の場合、公募で選ばれた市章は、決定後に使い方の指針とセットで運用されている。東京の都章についても、1889年の東京市のマークが1943年に東京都の紋章として受け継がれ、今も一部に残っていること[2]は、一つの例として、決まった形が長く使われた経過を示している。

ここまでの要点は2つある。マークの意味は公式説明で確かめられること、そして時代の流行を知ると読み解きやすくなることだ。

6. じぶんの まちの マークを 読もう

6. 自分の町のマークは、何の字でできている?

6. 自分の町のマークを読む ── 公式説明と一次資料の探し方

じぶんの 住んで いる まちの マークを さがして みましょう。市や町の ホームページには、マークの いみが 書いて ある ことが あります。

おうちの 人と、さんぽに 出て みるのも いいですね。マンホールの ふたや、市やくしょの かんばんに、マークが あります。ふたは みちに あるので、さわらないで、ほどうから 見ましょう。

じぶんの 名まえの 字や、ごろあわせが かくれて いないか、さがして みましょう。

自分の町の紋章を、調べて読んでみましょう。まず、市や町の公式サイトで「市章」「町章」「シンボルマーク」を探します。制定の年、公募かどうか、意味の説明が載っていることがあります。見つけたら、この記事の流れに当てはめてみてください。何年ごろに作られたか、文字は使われているか、数字に読みかえる工夫はないか。

歩いて探すこともできます。マンホールのふた、市役所の看板、公共の建物の入口などに、マークがあります。ふたは道路にあるので、歩道から見るだけにして、車に気をつけてください。

東京の古い都章を探すなら、マンホールや地下鉄の案内が手がかりになります。説明を読む資料としては、東京都の公式ページ(都の紋章・花・木・鳥・歌)と、イチョウかどうかを都に問い合わせた「web樹木」の取材記事を読み比べてみてください。柳橋達郎の論文もありますが、専門的なので、まず公式の説明から読むとよいでしょう。

同じ資料を読んでも、公式の説明とニュース記事では、同じマークの説明に差が出ることがあります。担当者の「かもしれない」が公式の答えと別だったように、どちらの文かを見分けるのも調べる楽しみの1つです。

自分の町の紋章を読むには、公式の制定情報を探すのが確実である。自治体の公式サイトに、制定年・選定の経緯(公募か、委員会か)・意味・使用指針が載っていることがある。西東京市の「市章の使用に関する指針」や横浜市の「市章について」は、その公開例である[4][5]。

見つけたら、いくつかの問いを立ててみるとよい。制定年は、柳橋の分類(明治〜大正3年/大正4年〜昭和20年/昭和29年ごろ)のどこに近いか。図案は文字型か、判じ絵型か、鳥・翼などのモチーフか。意味づけは公式説明か、誰かの解釈か[3]。

都章の例が示すように、同じマークでも資料によって書かれ方が違う。都の公式ページは「T」とだけ述べ、取材記事には担当者の推測が含まれていた。出典を読み比べ、確かなことと推測を分ける習慣が、調べる力になる。

原典に当たるなら、東京都「都の紋章・花・木・鳥・歌」のページ、柳橋達郎「明治・大正・昭和期における日本の自治体紋章の造形性に関する考察」(デザイン理論67)、西東京市の指針、横浜市の「市章について」が入口になる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

それぞれの出典は、本文のどの主張に使ったかを示しています。

  1. 東京都「都の紋章・花・木・鳥・歌」 https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/tokyoto/profile/gaiyo/monsho (シンボルマークの制定・意味、都章、都の木の投票)
  2. web樹木「東京都のシンボルマークはイチョウではなかった」 https://wood.jp/8-jumoku/web-jumoku/web/web-tree-918.html (都の回答、清掃車のマーク、都章が今も残る例)
  3. 柳橋達郎「明治・大正・昭和期における日本の自治体紋章の造形性に関する考察」デザイン理論67 https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/56287/jjsd67_080.pdf (自治体紋章の時期区分、公募、判じ絵、「さ」の図案)
  4. 西東京市「市章の使用に関する指針」 https://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/syokai/symbol/sisyo.files/shisyou-shishin.pdf (公募の経緯、使い方の決まり)
  5. 横浜市「市章について」 https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/gaiyo/kisyo.html (横浜市章の由来)

なおした ところ

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