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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ミニカーは いつごろから、子どもの 手の 中に あるの?

ミニカーは、いつごろから子どもの手の中にあったのでしょうか ── 車輪つきの動物からトミカまで

ミニカーはいつ生まれたのか ── 車輪つきの動物、「世界初」が決まらない理由、マッチ箱、トミカ

分野:歴史・文化

メキシコの むかしの おはかや いせきから、あしが 車の わに なった どうぶつの 土の にんぎょうが 見つかって います。いまから 1100〜1400ねんくらい 前の ものです[1]。

では、ほんものの 車を ちいさく した ミニカーは、いつ できたのでしょう。じつは「せかいで 1だいめ」は、1だいに きめられません。この ページでは、ミニカーが 子どもの 手に あわせて すがたを かえて きた ようすが わかります。

今から1100〜1400年ほど前のメキシコに、足の代わりに車輪をつけた動物の土の人形があります。博物館は、おもちゃだったのか、儀式の品だったのか、意見が分かれていると説明しています[1]。

では、本物の自動車を小さくしたミニカーは、いつ、どこで生まれたのでしょうか。調べていくと、「世界初の1台」は1つに決められないことが分かります。さらに、マッチ箱に入る大きさ、速く転がる車輪、日本の道を走る車と、ミニカーが子どもの手の中で姿を変えてきた流れも分かります。

今から約1100〜1400年前の古典期メキシコに、足の代わりに車輪をつけた動物の土製人形がある。博物館の解説によると、研究者は長く「おもちゃ」と呼んできたが、専門家には儀式の品とみる人もいる[1]。

では、実在の自動車を縮めたミニカーはいつ現れたのか。資料を比べると、「世界初の1台」は資料ごとに答えが割れ、特定できないことが分かる。そのうえで、金属を型に流すダイキャスト、マッチ箱サイズ、車輪の設計、国産車という4つの転機が、どう子どもの遊びに結びついたかも分かる。

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1. 車の わが ついた どうぶつは、ミニカーの ごせんぞ?

1. 車輪のついた動物は、ミニカーのご先祖なのか

1. 古典期メキシコの車輪つき動物像 ── おもちゃか、儀式の品か

アメリカの 大学の びじゅつかんに、ジャガーの かたちを した 土の ふえが あります。あしの かわりに、車の わが ついて います。メキシコの ベラクルスと いう ちほうで 見つかった 同じ なかまの もので、年代は 西れき 600〜900ねんごろと されます[1]。

けんきゅうする 人たちは、これを「おもちゃ」と よんで きました。でも、おもちゃでは なく、ぎしきの ための ものだと 考える 人も います[1]。ほんとうの ところは、わかれて います。

ロンドンの はくぶつかんには、ローマの 子どもが もって いたと される、4つの 土の わが ついた 小さな 馬が あります。長さは 10センチくらい。前に ひもを とおす わが あり、ひいて あそんだ ようです[2]。

わが ついた ものを ひいて あそぶ ことは、むかしから あったのかも しれません。でも これは 馬や ジャガーで、車では ありません。「ほんものの 車を ちいさく した もの」は、いつ 出て きたのでしょう。

アメリカの大学の美術館に、ジャガーの形をした土の笛があります。足の代わりに車輪がついています。同じ仲間の品は、メキシコのベラクルス地方などで見つかっていて、年代はおよそ西暦600〜900年とされます[1]。

研究者は、こうした品を長く「おもちゃ」と呼んできました。しかし、専門家のなかには、笛としても使われた儀式の品だと考える人がいます。おもちゃだったかどうかは、意見が分かれています[1]。

ロンドンのホーニマン博物館には、ローマ時代の子どもが持っていたとされる、4つの土の車輪がついた小さな馬があります。長さは約10cmで、前に紐を通す輪があり、引いて遊んだとみられます[2]。車輪つきの動物を引いて遊ぶことは、かなり昔にもあったのかもしれません。

ただし、これらは動物で、実在の自動車を小さくしたものではありません。では、「本物の車の小さな版」はいつ現れたのでしょうか。答えは、本物の自動車が現れたころに探せます。

プリンストン大学美術館が紹介する土製の笛は、ジャガーの形で、足の位置に車輪がついている。同種の品はメキシコのベラクルス地方などから出ており、古典期(およそ西暦600〜900年)のものとされる。文献は一般に「おもちゃ」と呼ぶが、美術館は、専門家の一部がこれを儀式の品と考えていることも併記している[1]。したがって、「古代のミニカー」と呼ぶのは早すぎる。おもちゃ説と儀式説が並ぶからだ。

遊びの道具だったことがより分かりやすいのは、ロンドンのホーニマン博物館にある土製の馬だ。ローマの子どもが持っていたとされ、4つの車輪を持つ。長さは約10cm、前に紐を通せそうな輪がある。引いて遊ぶ形だが、年代は館の頁に明記がなく、ローマ時代としか言えない[2]。

どちらも動物であり、実在の自動車を縮めたものではない。そこで問いは、「本物の車の縮小版はいつ現れたか」に移る。その答えは、本物の自動車が現れたころに探せる。

2. 「せかいで 1だいめの ミニカー」は、どうして きめられないの?

2. 「世界初のミニカー」が1台に決められないのはなぜか

2. 本物の自動車と同じころに現れた小さな車 ── 「世界初」が割れる理由

ミニカーの ような ちいさな 自どう車は、ほんものの 自どう車が できた ころに、ヨーロッパで 出て きたと いわれます。その あと、アメリカにも ひろがりました。さいしょは なまりや しんちゅうで つくられ、のちには せっこうや 鉄を かたに ながす つくりかたも 出て きました[3]。

ドイツの レーマンと いう かいしゃが、1897ねんごろ、ブリキの 自どう車の おもちゃを カタログに のせた、と つたえられます[4]。アメリカの ダウストと いう かいしゃは、1911ねんに 大きな はこの かたちの 自どう車を 出しました。数ねん あとには、ほんものの フォード・ティーがたを 小さく した ものも つくって います[5]。

ところが、ティーがたを 出した 年は、1914ねんとも 1915ねんとも 書かれて います。さきに 出した かいしゃも、つくった ざいりょうも、しりょうに よって ちがいます。だから「これが せかいで 1だいめ」と 1だいに きめる ことは できません。

では、こうした 小さな 車が、なぜ 大ぜいの 子どもの 手に とどく ように なったのでしょう。

資料によると、ミニチュアの自動車は、本物の自動車が現れたころにヨーロッパで現れ、のちにアメリカにも広まりました。初期は鉛や真ちゅう、のちには石こうや鉄の鋳物などで作られました[3]。

ドイツのレーマン社は、1897年ごろに自動車のブリキのおもちゃをカタログに載せたと伝えられます。1905年ごろの「トゥトゥ」は、下手な運転で警笛を鳴らす初期の自動車を、ユーモアたっぷりに作ったおもちゃです[4]。ただし、この年はオークション業者の記述なので、「〜ごろ」「〜とされる」程度に受け取るのが安全です。

アメリカのダウスト社は、1911年に最初の自動車のおもちゃを出しました。形を特定しない大型の箱形自動車です。数年後に、実在の車を小さくしたフォードT型を作りました。T型の年は、1914年とも1915年とも書かれ、資料で分かれます[5]。

このように、時期も、作った会社も、材料も、資料によって話がちがいます。「世界初の1台」を1つに決められないのは、「ミニカー」の線引きが決まっていないことにもよります。実在の車の形か、動かせるか、どの材料までか、で答えが変わるからです。

では、こうした小さな車は、どうやって大勢の子どもの手に届くようになったのでしょうか。

ミニチュアの自動車は、本物の自動車が現れたころのヨーロッパで現れ、のちにアメリカにも広まった。初期の素材は鉛や真ちゅうで、後には石こうや鉄の鋳物も使われたという[3]。

では、最初の1台はどれか。候補はいくつか挙がるが、根拠の強さが違う。ドイツのレーマン社は1897年に自動車のブリキ玩具(EPL 420)をカタログに載せ、1905年ごろの「トゥトゥ」は、下手な運転で警笛を鳴らす初期の車をおかしく表したとされる。ただし、これはオークション業者の記述で、年は「ごろ」「とされる」にとどめる[4]。

アメリカのダウスト社は、1911年に最初の自動車玩具(形を特定しない大型の箱形自動車)を出し、数年後に、実在の車を縮めたフォードT型を作った。T型の年は、資料により1914年と1915年に分かれる[5]。したがって、「実在の車の縮小」を基準にすれば、候補はダウストの数年後のT型になり、「自動車の玩具」を基準にすれば、レーマンなどが先に来る。基準が違えば、順位が入れ替わる。

「世界初」が決まらない理由は、資料の不足だけでなく、「ミニカー」の定義が一つでないことにもある。この記事では特定の1台を答えにせず、次の問いに進む。小さな車が、どうして世界中の子どもの手に届く値段と数になったのか。

3. かたに 金ぞくを ながして、同じ 車を たくさん つくる

3. 溶かした金属を型に流す ── ディンキーとダイキャスト

3. ダイキャストとディンキー・トイズ ── 鉄道模型の付属品から独立するまで

イギリスの メカノと いう かいしゃは、てつどうの もけいに そえる、小さな 人や 車の ざいりょうを つくって いました。1933〜34ねんごろ、その 車の シリーズに「メカノ・ディンキー・トイズ」と いう 名前が つきました[6]。

ディンキーの 車は、「ダイキャスト」と いって、とかした あえんの ごうきん(ザマック)を かたに ながしこんで つくります。同じ かたを つかえば、同じ かたちの 車を、いくつも つくれます[6]。

この つくりかたは、1930ねんだいの おわりごろから ざいりょうが ザマックに かわって ひろまりました[6]。じつは、さいしょの ころの ディンキーは、まざりものが 多くて、ときが たつと もろく なって しまう ものも ありました。

かたを つかえば 同じ 車が できる。では、その 車を もっと 子どもの 手に あう 大きさに したら どうでしょう。

イギリスのメカノ社は、鉄道模型に添える小さな人や車を作っていました。1934年4月のメカノ・マガジンで、その車のシリーズが「メカノ・ディンキー・トイズ」という名前で初めて紹介されました。1935年8月に「メカノ」が外れ、「ディンキー・トイズ」になります。リバプールの工場で、1934年から1979年まで作られました。なお、モデルド・ミニチュアの開始は、1931年説と1933年説に分かれます[6]。

この車の作り方が「ダイキャスト」です。溶かした金属を型に流し込んで固めます。同じ型を使えば、同じ形を何台でも作れます。ディンキーは、ザマックという亜鉛合金を型に流し込むダイキャストで作られました[6]。

ところが、初期の合金は成分が不純でした。そのため、「亜鉛ペスト」と呼ばれる劣化が起き、戦前のモデルの多くがもろくなったと伝えられます。ダイキャストが1930年代後半にザマックで広まったのは、こうした失敗を重ねたあとです[6]。

型があれば同じ車を何台でも作れる。次の問いは、その車を、どんな大きさで売れば、子どもが喜ぶかです。

イギリスのメカノ社は、鉄道模型の付属品「モデルド・ミニチュア」(1933年にホーンビーの名で)を作っていた。1934年4月のメカノ・マガジンで、それが「メカノ・ディンキー・トイズ」と初めて呼ばれ、1935年8月に「メカノ」が外れて「ディンキー・トイズ」になった。リバプールのビンズロード工場で、1934〜1979年に作られた。開始年は、モデルド・ミニチュアを1931年とする説と1933年とする説、最初の乗り物の発売を1933年12月とする説があり、資料で分かれる[6]。

この車に使われたのが、ダイキャストだ。溶かした金属を型に流し込んで作る方法で、同じ型から同じ形を量産できる。ブランドの車は、亜鉛合金のザマックを型に流し込むダイキャストで作られた。ダイキャストは1930年代後半にザマックで広まった[6]。

ただし、初期の合金は成分が不純だった。そのため「亜鉛ペスト」と呼ばれる劣化が起き、戦前のモデルの多くで見られた[6]。素材の品質が、遊び道具の寿命を左右したことになる。なお、最初期のセット22の素材は、資料により鉛とも亜鉛合金ともされるので、ここでは断定しない。

型があれば、同じ形を何台でも作れる。ところが、作れることと、子どもの手に合うことは別の話だ。次に、大きさの決め方を変えた会社を見る。

4. 「マッチばこ」が、どうして ミニカーの 名前に なったの?

4. マッチ箱が名前になった ── マッチボックスの1-75シリーズ

4. 箱を名前にしたマッチボックス ── レズニー社と1-75シリーズ

1950ねんだいに、イギリスの レズニー社が、小さな 車を マッチばこに にた はこに 入れて うりました。これが「マッチボックス」と いう 名前の もとです。さいしょの シリーズは、ダンプカー、セメントミキサー、トラクター、ロードローラーなどの はたらく 車でした[7]。

はじまりの はなしも あります。社長の ひとり、ジャック・オデルさんが、むすめの アニーさんの ために 小さな ロードローラーを つくった、と いわれます[8]。

学校では マッチばこに 入る ものしか もって いけない、と いう ゆうめいな はなしが あります。でも、ニック・ジョーンズさんと いう 人の 本は、これを ちがうと して います。むすめさんが マッチばこに クモなどを 入れて 持って かえるので、かわりに マッチばこの 大きさの おもちゃを やくそくした、と いう はなしだと いうのです。どちらが ほんとうか、せつが わかれて います[8]。

この 会社は、1953ねんの エリザベス女王の おいわいの ために、小さな ばしゃの もけいも つくりました。100万こ いじょう うれた と いわれ、のちの しごとの 元手に なりました[8]。

ポケットに 入る 大きさなら、どこへでも もって いけます。つぎは、その 小さな 車を、もっと「はやく ころがしたい」と 考えた 人の はなしです。

1950年代に、イギリスのレズニー社が、小さな車の模型をマッチ箱に似せた箱に入れて売りました。これが「マッチボックス」の名前の由来です。最初の「1-75シリーズ」は、ダンプカー、セメントミキサー、トラクター、ロードローラーなど、働く車が中心でした[7]。なお、発売の月や台数の細かい点は、資料で揺れています。

始まりの逸話もあります。共同経営者のジャック・オデルが、娘のアニーのために小さなロードローラーを作ったのが始まりとされます[8]。

有名なのは、「学校にはマッチ箱に入る物しか持ち込めなかった」という話です。ところが、ニック・ジョーンズの本は、これを退けています。娘がマッチ箱にクモなどの虫を入れて持ち帰るので、父が代わりにマッチ箱サイズのおもちゃを約束した、という話だというのです[8]。どちらが本当かは、議論が分かれています。

もう1つ、見逃せないのが、1953年のエリザベス女王の戴冠式に合わせて作った、王室の馬車の小さな模型です。100万個以上売れ、のちの投資の元手になったと伝えられます[8]。

ポケットに入る大きさは、持ち歩く楽しみを生みました。次に現れたのは、持ち歩くだけでなく、「速く転がす」ことを狙った車です。

1950年代に、イギリスのレズニー社(ジャック・オデルらが共同経営)が、小さな車の模型をマッチ箱に似せた箱に入れて売った。これが「マッチボックス」の名前の由来である。最初の「1-75シリーズ」は、ダンプカー、セメントミキサー、トラクター、ロードローラーなどの働く車で始まった[7]。ただし、発売の月や、1-75の開始年(1953年説と1950年代後半説)は資料で揺れる。

起源の逸話は割れている。オデルが娘のアニーのために小さなロードローラーを作ったのが始まりとされ、よく知られる「学校にはマッチ箱に入る物しか持ち込めなかった」という説明は、ニック・ジョーンズ『Matchbox Toys』が退けている。同書によれば、娘がマッチ箱にクモなどを入れて持ち帰るため、代わりにマッチ箱サイズのおもちゃを約束した話だという[8]。どちらが事実かは議論があり、有名な話ほど、元の資料に当たる価値がある。

事業を支えた品もある。1953年のエリザベス女王の戴冠式に合わせて作った王室馬車の小型模型は、100万個以上売れ、のちの投資の資金になった[8]。

このように、「箱の大きさ」を先に決めて、中身の車をそこに収める発想が、ポケットに入るミニカーを定着させた。では、次に何が変わったのか。持ち歩くだけでなく、走らせて遊ぶ側に目を向けた会社が現れる。

5. はやく ころがる ミニカーは、どう つくったの?

5. 速く転がる車は、どう設計されたのか ── ホットウィール

5. 摩擦を減らすという設計 ── 1968年のホットウィール

アメリカの マテル社の エリオット・ハンドラーさんは、1968ねん5月18日に「ホットウィール」を はっぴょうしました。その年の ニューヨークの おもちゃの 見本市には、16だいを 出して います[9]。

この ミニカーは、ほそい 車りんの マッチボックスと ちがい、はばの ひろい かたい プラスチックの タイヤを つけました。これで ものと こすれる ちからが へり、ころがりやすく なります。はやく ころがる ように、わざと そう つくったのです[9]。

「せかいで いちばん はやい」と いう わけでは ありません。ころがりやすさを ねらった、つくりかたの はなしです。

ミニカーは、ポケットに 入れる ものから、ころがして あそぶ ものへ と ひろがりました。では、日本の 子どもたちは、どんな ミニカーで あそんで いたのでしょう。

1968年5月18日、アメリカのマテル社のエリオット・ハンドラーが「ホットウィール」を発表しました。同じ年のニューヨークのトイフェアに、16台を出しています[9]。

特徴は、タイヤです。細い車輪のマッチボックスに対して、ホットウィールは、幅の広い硬いプラスチックのタイヤをつけ、摩擦を減らして速く転がるねらいで設計されたと紹介されています。当時としては、大きな工夫だったとされます[9]。「世界一速い」という意味ではなく、あくまで、転がりやすさを狙った設計の話です。

同じ「小さな車」でも、マッチボックスは「ポケットに入る」ことを、ホットウィールは「速く転がる」ことを、売りにしました。ミニカーは、同じ形のものでも、何を大事にするかで、別の遊びの道具になります。

さて、日本の子どもは、どんなミニカーで遊んでいたのでしょうか。

1968年5月18日、米マテル社のエリオット・ハンドラーが「ホットウィール」を発表し、同年のニューヨーク・トイフェアに16台を出した。細い車輪のマッチボックスと違い、幅広の硬いプラスチックのタイヤで摩擦を減らし、速く転がるねらいで設計されたと紹介されている[9]。設計の目的は「転がりやすさ」であり、「世界で一番速い」などという意味ではない。

ここから、2つのミニカーの違いが、売りの違いとして読める。マッチボックスはポケットに入る大きさ、ホットウィールは転がる速さを売りにした。同じ「ダイキャストの小さな車」でも、設計の基準が変われば、遊び方が変わる。

ところで、日本の子どもは、同じころにどんなミニカーで遊べたのか。ここで、日本側の事情に目を向ける。

6. 日本の おもちゃは、むかし 外国へ 出て いったの?

6. 日本のおもちゃは、外国へ売られていた ── 戦後のブリキの車

6. 戦後日本のブリキ玩具の輸出と、国産ミニカーの空白

トヨタはくぶつかんの 館長さんは、日本の おもちゃは せんそうの 前には 外国で あまり 人気が なかった、と 言います。でも、せんそうの あとの 1950ねんだいに、日本は ブリキの おもちゃを 外国へ たくさん 出しました。ていねいで こまやかな つくりが ほめられた、とも せつめいして います[10]。

ところが、日本の 子どもたちが 手に できる 小さな ミニカーは、外国の 車ばかりでした。日本の 車は、ほとんど ありませんでした[11]。

「日本の 子どもに、日本の 車で あそんで ほしい」。その 思いから 生まれたのが、トミカです。

トヨタ博物館の館長は、戦前の日本のおもちゃは品質が低く、欧米では人気がなかったと説明しています。しかし、戦後の1950年代には、外貨を稼ぐために、ブリキのおもちゃを欧米へ盛んに輸出しました。丁寧で繊細な技術が、評価を高めたといいます[10]。

一方、日本の子どもたちが手にできる小型のミニカーは、外国の車ばかりでした。日本車は、ほとんどありませんでした[11]。

この「空白」を埋めたのが、トミカです。

トヨタ博物館の館長の説明では、戦前の日本の玩具は品質が低く、欧米では人気がなかった。しかし、戦後の1950年代に外貨を稼ぐため、日本はブリキ玩具を欧米へ盛んに輸出し、丁寧さと繊細さで評価を高めた[10]。輸出額や生産台数の数字は、この資料にはない。

一方、国内の子どもが買える小型ミニカーは、外国車ばかりで、日本車はほとんどなかった[11][12]。外国へ売る技術と、国内に日本車のミニカーがない状況が、同じ時期に並んでいたことになる。ただし、資料は両者の因果関係を述べていないので、「だから空白ができた」とは書けない。

この状況に、タカラトミーのトミカが登場する。

7. トミカは、なにを ねがって うまれたの?

7. 国産車のミニカーを ── トミカと「約2秒に1台」の計算

7. トミカ(1970年)── 国産車を箱に収める設計と、累計台数の検算

トミカは、1970ねん(昭和しょうわ45ねん)8月18日に うられました。「日本の 子どもたちに、日本の 車の ミニカーで あそんで もらいたい」と いう 思いから 生まれました[11]。

さいしょの 車は 6しゅるいです。ブルーバード、コロナ、クラウン、クラウンの パトカー、トヨタ2000GT、フェアレディZ。ねだんは 180円でした[12]。

トミカは、車の 大きさを ほんものの ままの わりあいで ちぢめて いるのでは ありません。はこに 入る 大きさに あわせて、かたちを すこし かえて います。

2020ねん1月までに、トミカは 6おく7000万だい いじょう 売れ、1050しゅるい いじょうが 作られました。2びょうに 1だい 売れて いる、と 会社は 言って います[11]。

この すうじを、じぶんでも 計算して みましょう。6おく7000万だいを 50ねんで わると、1ねんに 1340万だい。1日に すると 3万7000だいくらいです。1びょうに すると、2.4びょうに 1だい。会社の 言う「2びょうに 1だい」と、だいたい 合います。

トミカは、1970年(昭和45年)8月18日に発売されました。「日本の子どもたちに国産車のミニカーで遊んでもらいたい」という思いから生まれました[11]。

初代は6車種でした。ブルーバードSSSクーペ、コロナマークIIハードトップ、クラウンスーパーデラックス、クラウンパトロールカー、トヨタ2000GT、フェアレディZ432です。価格は180円で、1974年に220円になりました[12]。

トミカは、実車を同じ割合で縮めたものではありません。箱に入る大きさに合わせて形を少し変えている(デフォルメしている)ので、縮尺は車種ごとに違います[11][12]。マッチボックスの「箱を先に決める」発想と、似ています。

タカラトミーの2020年1月の発表では、累計6億7000万台以上、1050車種以上です。「約2秒に1台」売れている計算だといいます[11]。

この数字を、自分で検算してみます。1970年8月から2020年1月までは約50年で、秒にすると約15.8億秒です(50×365×24×3600)。6億7000万台で割ると、約2.4秒に1台になります。発表の「約2秒に1台」と、同じ桁で合います。ならして1日に直すと約3万7000台です。ただし、これは50年の平均で、売れ行きは年によって違うはずです。なお、累計の数字は10億台など別の数字も見られるので、発表の日付をつけて読む必要があります。

トミカ(タカラトミー)は、1970年(昭和45年)8月18日に発売された。「日本の子どもたちに国産車のミニカーで遊んでもらいたい」という思いが出発点で、当時の小型ミニカーは外国車ばかりだった[11]。初代は6車種(ブルーバードSSSクーペ、コロナマークIIハードトップ、クラウンスーパーデラックス、クラウンパトロールカー、トヨタ2000GT、フェアレディZ432)で、価格は180円。1974年に220円になった[12]。

設計の特徴は、縮尺を揃えなかったことだ。ミニカーの本体は、実車の縮尺ではなく、箱に入る大きさに合わせてデフォルメされ、縮尺は車種ごとに違う[11][12]。マッチボックスの「箱を先に決める」発想が、日本の道を走る車にも当てはめられた形になる。ただし、資料はマッチボックスの影響を述べていないので、これはこの記事の読みである。

数字の面では、2020年1月時点で1050車種以上、累計6億7000万台以上、「2秒に1台」の売れ方と発表されている[11]。この数字を検算する。1970年8月から2020年1月までは約49.4年で、約50年とすると、50×365×24×3600≒1.58×10⁹秒になる。これを6.7×10⁸台で割ると約2.35秒で、「約2秒」と同じ桁になる。年あたりでは6.7億÷50≒1340万台、1日あたりでは約3.7万台だ。ただし、これは50年の平均値で、売れ行きの波は含まれない。累計は10億台などの別の数字も見られ、発表日付つきで読む必要がある。

国産車のミニカーという発想から出発して、日本の子どもの手に届く値段と大きさ、そして「箱に収まる」規格にまとめたことが、この数字につながったと読める。ただし、資料は「だから売れた」と因果を述べてはいないので、そこは推測の域を出ない。

8. 家の ミニカーを うらがえして みよう

8. 手もとのミニカーを調べてみる

8. 手もとのミニカーで確かめる ── 縮尺の割り算と転がり比べ

おうちに ミニカーが あれば、ひっくりかえして、うらを 見て みましょう。かいしゃの 名前や 国の 名前、数字が 書いて ある ことが あります。

2だい あれば、車りんを 見くらべます。ほそいか、ふといか。つくえの 上に 本を 1さつ ななめに おいて、ころがして みると、どちらが とおくまで いくでしょう。人や ものに あたらない ところで あそびましょう。

手もとにミニカーがあれば、2つのことを試せます。

  1. 裏返して、書かれている会社名、国名、数字を探します。何も書かれていないものもあります。
  2. 2台のタイヤの太さを見比べ、机に本を1冊斜めに立てかけて、転がしてみます。どちらが遠くまで進むでしょうか。ほかの人や物に当たらない場所でやります。

会社名や数字が見つかったら、その会社がいつごろ、どこでミニカーを作っていたのかを調べると、この記事の続きになります。トミカの発表資料[11]には、数字のもとになった話も出ています。

2つの確かめ方がある。1つめは縮尺の割り算だ。本物の車の全長を調べ、ミニカーの全長(cm)で割る。たとえば、全長4.5m(450cm)の車を7cmのミニカーにしたなら、450÷7≒64で、約1/64にあたる。この数字は例であり、トミカが全部1/64という意味ではない。トミカは車種ごとに縮尺が違う[12]。

2つめは転がり比べだ。2台のタイヤの太さを比べ、机に本を斜めに立てかけて転がす。ホットウィールの設計意図(幅広の硬いタイヤで摩擦を減らす)が、実際に距離に出るかを見られる[9]。ただし、ほかの違い(車の重さ、床の材質)も効くので、条件をそろえて数回行う。人や物に当たらない場所でやること。

家にミニカーが2台以上あれば、車輪の太さと全長を比べてみるとよい。タカラトミーの発表[11]も日本語で読める。同じ「小さな車」でも、おもちゃか儀式の品かの議論から、国産車を箱に収める設計まで、問いの幅が広い。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

出典について:博物館・大学美術館の解説、タカラトミーの発表資料を使いました。ディンキー、マッチボックス、ホットウィールなどはWikipedia(二次資料)によるので、細かい年や数は目安として読んでください。オークション業者の記述、報道記事も使っています。ミニカーの「世界初」は資料で分かれます。

  1. Princeton University Art Museum「Wheeled feline」。 https://artmuseum.princeton.edu/art/stories-perspectives/wheeled-feline (車輪つきの動物像と、おもちゃ説・儀式説)
  2. Horniman Museum「terracotta horse on wheels 22.2.65/2」。 https://www.horniman.ac.uk/object/22.2.65/2 (ローマの子どもが持っていたとされる車輪つきの馬)
  3. Wikipedia「Toy car」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Toy_car (初期のミニチュア自動車の現れ方と材料)
  4. Theriault's(オークション業者)「German tin toy motor car by Lehmann」。 https://theriaults.com/events/listing/25776/german-tin-toy-motor-car-by-lehmann (レーマン社のブリキの自動車。年は参考程度)
  5. Made in Chicago Museum「Dowst Mfg Co / Tootsietoy」。 https://www.madeinchicagomuseum.com/single-post/dowst-mfg-co-tootsietoy/ (ダウスト社の最初の自動車おもちゃとT型)
  6. Wikipedia「Dinky Toys」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Dinky_Toys (ディンキーの名前、ザマック、亜鉛ペスト)
  7. Wikipedia「Matchbox (brand)」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Matchbox_(brand) (名前の由来と1-75シリーズ)
  8. Wikipedia「Lesney Products」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Lesney_Products (起源の逸話と、王室馬車の模型)
  9. Wikipedia「Hot Wheels」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Hot_Wheels (1968年の発表とタイヤの設計)
  10. ベストカーWeb(トヨタ博物館への取材記事)。 https://bestcarweb.jp/feature/column/1337050?prd=2 (戦後のブリキおもちゃの輸出)
  11. タカラトミー プレスリリース(2020年1月、共同通信PRワイヤー)。 https://kyodonewsprwire.jp/release/202001145678 (トミカの誕生の思い、発売日、累計台数)
  12. レスポンス(resemom)「トミカ50周年」。 https://resemom.jp/article/2020/05/15/56264.html (初代6車種、価格、箱の横幅)

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