1. 王さまが やりはじめた あそびって なに?
1. 街角の子どもの遊びを、王様も遊んでいた ── 最古の記録は1585年
1. 最古の記録は1585年 ── 街角の遊びにフランス王アンリ3世まで加わった
ビル・ボケは、玉を 受け皿で うけて あそぶ、フランスの 16せいきの おもちゃです。 けん玉の もとに なったと いわれて います[2]。
日本けん玉 協会によると、いちばん ふるい きろくは 1585年。 まちかどの 子どもたちが あそんでいた ビル・ボケを、王さままで あそぶように なった、と 書かれて います[1]。 王さまの 名前は、アンリ3世です。
イギリスの ヴィクトリア&アルバートはくぶつかんも、アンリ3世は この あそびが 大すきで、人の 前でも よく あそんでいた、と 書いて います[3]。 子どもたちが あそんでいた ものを、王さまも あそんでいたのです。
ここで、大じな ことが あります。 これは 「いちばん ふるい きろく」であって、「ここが はじまり」と いう ことでは ありません。 協会も、はじまりは 今も たしかめられて いない、と 書いて います[1]。
それなら、フランスで 生まれた あそびなのでしょうか。
ビル・ボケは、16世紀のフランスにあった玩具で、玉を受け皿で受けて遊びます。けん玉の源流とされています[2]。
日本けん玉協会は、確認できる最古の記録を、フランス王アンリ3世の時代の1585年としています。街角で子どもたちが遊んでいたビル・ボケを、王様も遊ぶようになった、という内容です[1]。イギリスのヴィクトリア&アルバート博物館も、アンリ3世(1551〜1589)はこの遊びの熱心な愛好者で、人前でもよく遊んでいた、と記しています[3]。子どもの遊びを、王様が楽しんでいたことになります。
ここで、「最古の記録」と「起源」を分けて考える必要があります。協会は、けん玉の起源は現在も確認されていない、と書いています[1]。1585年は、遊びが始まった年ではなく、今の私たちが読める記録の中で、いちばん古いものの年です。
記録がフランスに残っているからといって、遊びがフランスで生まれたとは限りません。では、ほかの国の資料は、どう書いているのでしょうか。
ビル・ボケ(bilboquet)は16世紀フランスの玩具で、受け皿で玉を受けて遊ぶ。けん玉の源流とされる[2]。日本けん玉協会が確認できる最古の記録とするのは、アンリ3世の時代の1585年の記述で、街角の子どもたちが遊ぶビル・ボケを王も遊ぶようになったという内容である[1]。ヴィクトリア&アルバート博物館の所蔵品解説も、アンリ3世(1551〜1589)が熱心な愛好者で、人前でよく遊んでいたと記し、同じ時代にこの遊びが宮廷でも目立つ存在だったことを示す[3]。
ただし、この1585年を「けん玉の始まり」と読むのは誤りである。協会自身が、起源は現在も確認されていないと明記しているからだ[1]。残っているのは、遊びが存在した最も古い「記録」であって、誰がいつどこで始めたかを示す資料ではない。記録の古さと、発祥の地は、別の問いである。
実際、他国の資料は起源について別の説を述べている。それを次に見る。
2. はじまりは フランスなの? メキシコなの?
2. 起源はフランスか、メキシコか ── 博物館の説明は食いちがう
2. 起源をめぐる説 ── ヴィクトリア&アルバート博物館はメキシコ起源と記す
イギリスの ヴィクトリア&アルバートはくぶつかんは、ビル・ボケは 1500年代に メキシコで はじまった、と 書いて います[3]。 日本けん玉 協会は、はじまりは たしかめられて いない、と 書いて います[1]。
フランスに いちばん ふるい きろくが ある、と いう お話と、メキシコで はじまった、と いう お話は、ちがいます。 お話が ちがうのは、どちらが 正しいか、まだ 決まって いないからです。
この 記事では、はじまりを 一つに きめません。 わかっているのは、1500年代の フランスで、王さままで ビル・ボケを あそんでいた、と いう ことです。
では、この あそびは、日本に いつ やってきたのでしょう。
ヴィクトリア&アルバート博物館は、ビル・ボケは16世紀にメキシコで始まったと記しています[3]。一方、日本けん玉協会は、確認できる最古の記録をフランスのものとしつつ、起源そのものは確認されていないと書きます[1]。
「最古の記録はフランス」と「起源はメキシコ」は、どちらも資料に書かれていて、食いちがっています。メキシコ起源説は、今回見た資料ではこの博物館の記述だけです。フランス発祥と断定するのも、メキシコ発祥と断定するのも、今は避けるのが正確です。
ここまでで、「いつから」への答えの一つ目は決まります。けん玉のもとになった遊びは、遅くとも16世紀には、ヨーロッパで王様も遊ぶほど知られていました。ただし、始まりの年と場所は、今も分かっていません。
では、日本にはいつ来たのでしょうか。日本には日本の記録が残っています。
ヴィクトリア&アルバート博物館は、ビル・ボケは16世紀にメキシコで始まったと記している[3]。一方、日本けん玉協会は、確認できる最古の記録をフランスのものとしつつ、起源は確認されていないとする[1]。両者は、遊びが16世紀に実在したという点では一致するが、始まりの地についてはかみ合っていない。
注意したいのは、メキシコ起源説が、今回扱った資料では博物館のこの一文にしか現れない点だ。複数の資料が互いに裏づけているわけではないので、有力な説の一つとして紹介するにとどめ、フランス発祥とも断定しない。「最古の記録がある場所」と「始まった場所」は一致しなくてよく、一致する保証もない。
したがって、「いつから」への一つ目の答えは、「遅くとも16世紀のヨーロッパでは、王も遊ぶほど広く知られていた。しかし、始まりの年と場所は確定していない」となる。では、この遊びは、いつ日本に入ったのか。日本の記録は、これとは別の層をなしている。
3. 日本には いつごろ やってきたの?
3. 日本に現れたのは江戸時代 ── 1777年ごろ、1809年、1830年の記録
3. 日本での最初の記録 ── 安永6・7年(1777年頃)と、1809年・1830年の書物
日本では、江戸時代の なかごろに、記録が あらわれます。 日本けん玉 協会によると、1777年ごろです[1]。 そのころ、外国との こうえきが できた、ただ ひとつの まちは、長崎でした。 けん玉は、そこから ひろまったと 考えられて います[1]。
1809年の 本には、木で できた、おさけを のむ 入れものの ような 玉が、かかれて います。 しょうぶや うらないに 使われた、と 書かれて います[1]。 1830年の 本では、ふるい 書き方で、けん玉の 名前が のって います[1]。
はじめは、おとなが、おさけを のむ ところで する あそびだったと いわれます。 それが 明治の ころから、子どもの あそびに なっていった、と 書く 記事も あります[5]。
ただ、この ころの けん玉は、今の けん玉とは、すこし ちがう かたちでした。
日本での最初の記録は、江戸時代の中ごろです。日本けん玉協会は、記録では安永6、7年(1777年ごろ)に現れ、当時ただ一つの開港地だった長崎から広まったと考えられている、と説明しています[1]。国土交通省の多言語解説文は、江戸時代にオランダ経由で日本に入ってきたと書いています[2]。どちらも、長崎が入り口だったという見方で、たがいに矛盾しません。ただし、どちらも「考えられている」「とされる」という書き方です。
その後の記録を、協会は二つ挙げています。1809年の『拳会角力図会』には、木製の酒器のような玉が描かれ、勝負や占いに使われた、とあります。1830年の『嬉遊笑覧』は、けん玉を「拳玉」と書いています[1]。「玉」に「拳」の字が付いた名前で、今の「けん玉」の字づかいとは少し違います。
もう一つ、日本に伝わった当初は酒席の遊びで、明治以降に子どもの遊具になった、という説明もあります。ただし、これは二次資料の説明で、断定はできません[5]。
1585年の街角の遊びが、江戸の酒の席の遊びになったとすれば、不思議な旅です。この時代のけん玉は、今のけん玉と同じ形だったのでしょうか。
日本での登場は、記録の上では江戸中期である。日本けん玉協会は、記録では安永6、7年(1777年頃)に現れ、当時ただ一つの開港地だった長崎から広まったと考えられていると述べる[1]。国土交通省の多言語解説文は、江戸時代にオランダ経由で入ってきたとし[2]、長崎を窓口とする見方と矛盾しない。ただし、どちらも「考えられている」「とされる」という推定の書き方で、経路が史料で確定しているわけではない。
その後の記録として協会は、1809年の『拳会角力図会』(けんさらえすまいずえ)に、木製の酒器のような玉が描かれ、勝負や占いに使われたとあること、1830年の『嬉遊笑覧』(きゆうしょうらん)がけん玉を「拳玉」と記すことを挙げる[1]。ここで押さえたいのは、これらが協会の記述を通して知られる内容で、原典の本文は今回扱っていない点だ。気になる読者は、図書館の復刻本や、国立国会図書館などの公開資料で原典に当たると、同じ記述が読めるかもしれない。
また、伝わった当初は酒席の遊びで、明治以降に子どもの遊具になったとする説明がある。ただしこれは二次資料の記述であり、確かな史料に基づく定説とまでは言えない[5]。それでも、1777年ごろの記録から数えても、日本のけん玉は、少なくとも約250年にわたって遊ばれてきたことになる。
しかし、この「拳玉」は、今の私たちが手にするけん玉と同じ形だったとは限らない。次は、形の変化を見る。
4. 棒に さすだけ だった けん玉は、どうして 今の かたちに?
4. 棒に玉を刺しただけの形から、「日月ボール」へ
4. 明治の簡素な形から大正の「日月ボール」へ ── 江草濱次の出願と命名の由来
明治時代の けん玉は、棒に 玉を さしただけの、かんたんな かたちでした[4]。 広島県の 「はつかいち」では、おまいりに 来た 人や 旅の 人に むけて、木の おもちゃとして、けん玉などを つくる 職人が いたと いわれます[2]。
大正時代に、広島県の 「くれし」の、えぐさ はまじさんが、明治の けん玉を くふうして、新しい かたちを 考えたと されます。 名前は 「日月ボール」。 にちげつボール、つまり、太陽と 月の ボールと いう 意味です[1][2]。
まるい 玉が 太陽、三日月の かたちの 皿が 月に 見立てられた、と いう 説明が あります[2]。 広島県の 資料によると、玉を 受ける 皿の ある けん玉を、日月ボールとして 工場で つくりはじめたのは、1921年です[4]。
ここで、おもしろい ことに 気づきます。 ビル・ボケも、玉を 受け皿で うける あそびでした。 ただし、日月ボールが、ビル・ボケを まねして できたかどうかは、資料に 書かれて いません。
では、この 日月ボールの 「たん生日」は、いつなのでしょう。
明治時代のけん玉は、棒に玉を刺しただけの簡単な形でした[4]。国土交通省の資料によると、明治には廿日市の木工職人が、参拝者や旅人向けの木製玩具としてけん玉などを作り始めたとされます[2]。
変化が来るのは大正時代です。日本けん玉協会によると、今の形のけん玉は大正時代の日本で生まれ、「日月ボール」と呼ばれました。広島県呉市の江草濱次が、明治期のけん玉を改良して考案したものです[1]。
名前の由来は、国土交通省の説明によると、丸い玉を太陽、三日月形の皿を月に見立てたことです[2]。この命名理由は、今回見た資料ではこの1件だけの説明です。広島県の別の資料は、1921年(大正10年)に廿日市の木工メーカーが、けん玉に受皿を取り入れて「日月ボール」として製造を始めたとしています[4]。
16世紀のビル・ボケも、玉を受け皿で受ける遊びでした。受け皿のある形が、ビル・ボケの影響で生まれたのかどうかは、今回の資料には書かれていません。確かなのは、棒に玉を刺すだけの遊びが、皿を備えた形に変わったのは、明治から大正のあいだだということです。
では、その「今の形」の誕生日を、資料はいつと言っているのでしょうか。
明治時代のけん玉は、棒に玉を刺しただけの簡素な形だった[4]。国土交通省の資料によると、明治には廿日市の木工職人が、参拝者や旅人向けの木製玩具としてけん玉などを作り始めたとされ、土産物に近い存在だったと読める[2]。広島県の記事はこの時期を木工玩具として「大流行」と表現するが、数字の裏づけは示されていない[4]。
転機は大正である。日本けん玉協会によれば、今の形のけん玉は大正時代の日本で生まれ、「日月ボール」と呼ばれた。広島県呉市の江草濱次(えぐさはまじ)が明治期のけん玉を改良して考案した[1]。命名の由来については、国土交通省の資料が、丸い玉を太陽、三日月形の皿を月に見立てたものと説明する[2]。ただし、この命名理由を述べる資料は、今回扱った中ではこの1件だけだ。
製造の面では、広島県の別の記事が、1921年(大正10年)に廿日市市の木工メーカーが、けん玉に受皿を取り入れて「日月ボール」として製造を始めたと記す[4]。この記事には江草の名前は出てこない。つまり、考案者(江草)と、製造を始めた企業は、資料の上では別々に語られており、一つの流れとして直接つなぐ記述は、今回扱った資料にはない。
16世紀のビル・ボケも受け皿で玉を受ける遊びだったため、両者の類似に目が向く。しかし、日月ボールの受皿がビル・ボケの影響だったことを示す記述は、扱った資料にはなく、ここは推測の域を出ない。確かなのは、棒に玉を刺すだけの形から、受皿を備えた形への変化が、明治から大正の間に起きたという点である。
では、この「今の形」の誕生を、いつと呼ぶべきか。資料は、実は年が一致していない。
5. たん生日は 5月14日? ねんが ずれるのは どうして?
5. 出願は1918年、登録は1919年 ── 今の形の「誕生日」はいつか
5. 出願・登録・製造開始の3つの日付 ── 「誕生日」が資料で食いちがう理由
日本けん玉 協会によると、えぐさ さんは、大正7年(1918年)の 10月1日に、日月ボールを 国に おねがいしました。 これを 「しゅつがん」と いいます。 そして、大正8年(1919年)の 5月14日に、「じつようしんあん」として みとめられました[1]。 まちがえやすいのは、1918年は おねがいした 年、1919年は みとめられた 年だ、と いう ことです。
工場で つくりはじめたのは、1921年と 書く 広島県の 資料も あります[4]。 このように、「考えた」「みとめられた」「つくりはじめた」で、年が ちがいます。
5月14日は 「けん玉の日」です。 1919年の みとめられた 日に ちなんで、2017年に きねん日に なりました[6]。
ビル・ボケの ふるい きろく(1585年)から、日月ボールの おねがい(1918年)まで、およそ 330年です。 「いつから?」の 答えは、一つでは ありません。 いくつもの 年が、かさなっています。
日本けん玉協会は、江草濱次が日月ボールを大正7年(1918年)10月1日に出願し、大正8年(1919年)5月14日に実用新案として登録された、と書いています[1]。出願から登録まで、およそ7か月あまりです。
ところが、広島県の記事は、1921年に廿日市の木工メーカーが日月ボールとして製造を始めたと書きます[4]。ここでは、出願日と登録日が書かれている協会の記述を軸にしています。
こうして並べると、「今の形の誕生日」には候補が3つあります。考案・出願(1918年)、登録(1919年)、製造開始(1921年)です。何を「生まれた」とするかで、答えが変わります。
5月14日の「けん玉の日」は、1919年のこの登録日にちなみ、グローバルけん玉ネットワークの申請で2017年に記念日として登録されました[6]。
1585年の記録から1918年の出願まで、約330年。「いつから?」への答えは、年号一つではなく、記録のある時期、日本に現れた時期、今の形ができた時期、という層になっています。
「今の形」の成立時期は、基準によって年が変わる。日本けん玉協会は、江草濱次が日月ボールを大正7年(1918年)10月1日に出願し、大正8年(1919年)5月14日に実用新案として登録されたと、日付まで記している[1]。出願から登録まで、7か月あまりを要した計算になる(10月1日から翌年5月14日まで)。
これに対し、広島県の記事は、1921年(大正10年)に廿日市市の木工メーカーが受皿つきのけん玉を日月ボールとして製造を始めたと述べる[4]。この記事には江草の名が出ないため、1921年の製造開始と江草の考案とを、どう結ぶかは資料からは言えない。そこで、この記事では出願日・登録日まで記された協会の記述を軸に据え、広島県の記述は別の出来事(製造開始など)の記録として扱った。
つまり「誕生」には少なくとも3つの候補がある。考案・出願(1918年)、登録(1919年)、製造開始(1921年)である。どれを採るかによって、「今の形は何年に生まれたか」という問いの答えは、候補は1918年から1921年まで、3年の幅に分かれる。資料の食いちがいは、間違いではなく、どの出来事を指しているかの違いから生じている場合が多い。
5月14日の「けん玉の日」は、1919年のこの登録日にちなんでいる。グローバルけん玉ネットワークの申請により、2017年に記念日として登録された[6]。
ここまでを重ねると、「いつから」への答えは3つの層になる。起源は確認されていない。確認できる最古の記録は1585年(フランス)。日本での記録は1777年ごろから。今の形の出願は1918年。最古の記録から出願まで、約330年である。
6. 手の 中の 「にちげつボール」を、見て みよう
6. 手の中の日月ボールから、広がる問い
6. 皿の形を見て、日月ボールの名前と年号を考えてみる
おうちや、がっこう、ともだちの 家に けん玉が あったら、お皿の ふちを 見て みましょう。 横から 見ると、三日月のように 見えるでしょうか。 玉は 太陽、お皿は 月。 そう 思って 見ると、100年あまり 前に つけられた 名前の 気もちが、すこし わかるかも しれません。
けん玉が ない 人は、紙コップを 一つ 用意して、丸めた 紙の 玉を、ふんわり ほうり上げて みましょう。 コップで 玉を うける 感じは、ビル・ボケに 少し にています。 まわりに 人や ものが ない ところで、ためして ください。
もう ひとつ、考えて みましょう。 「いつから?」と 聞かれたら、あなたなら、どの 年を えらびますか。 1585年、1777年ごろ、1918年。 どれを えらんでも、ちゃんとした 理由が あります。
家や学校、友だちの家にけん玉があれば、皿のふちを見てみましょう。横から見ると三日月形に見えるでしょうか。丸い玉は太陽、三日月形の皿は月。この見立てを知ってから見ると、100年あまり前につけられた名前の気持ちが少し分かるかもしれません。
けん玉がなくても、紙コップを一つ用意し、丸めた紙の玉を軽くほうり上げて、コップで受けてみる遊びができます。ビル・ボケに近い感覚が、少しだけ分かるかもしれません。周りに人や物がない場所で試してください。
調べるなら、日本けん玉協会の「けん玉の歴史」のページが入り口になります[1]。この記事では、「最古の記録」と「起源」を分けました。出願と登録、製造開始の年がずれる理由まで追うと、一つの年号では答えられない問いの面白さが見えてきます。1585年、1777年ごろ、1918年のうち、あなたが「けん玉の始まり」と呼びたい年はどれでしょうか。
この記事は二次資料を含む複数の資料を突き合わせて書いた。確かさに差がある点を、最後にもう一度整理しておく。協会の「けん玉の歴史」は、起源は確認されていないこと、最古の記録が1585年であること、江戸の記録、出願・登録の日付をまとめている[1]。ヴィクトリア&アルバート博物館のメキシコ起源の記述は、扱った資料ではこの1件だけだ[3]。伝来経路(長崎・オランダ経由)や、酒席から子どもの遊びへの変化は、推定や二次資料の記述にとどまる[2][5]。
読者が自分で確かめられるのは、家や学校にあるけん玉の皿の形である。三日月形に見えるかどうかを見て、「玉は太陽、皿は月」という見立てが自分に納得できるかを考えてみるとよい。また、紙コップと丸めた紙の玉で、玉を受ける遊びを試すこともできる。周りに人や物がない場所で行う。
次の問いも残っている。日月ボールの受皿は、ビル・ボケとどこかでつながるのか。江草の考案と、1921年の廿日市での製造は、どう結びつくのか。メキシコ起源説は、ほかの資料に裏づけがあるのか。協会の「けん玉の歴史」のページを入り口に、復刻本や公開資料の原典まで読み進めれば、これらの問いに、自分の言葉で答えを出せるかもしれない。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文の[数字]は下の資料の番号です。年号や名称は、資料によって年や書き方がずれる場合があるため、出願・登録の日付は日本けん玉協会の記述を軸にしました。
- 日本けん玉協会「けん玉の歴史」 https://kendama.or.jp/archives/history/ (起源の確認状況、最古の記録、江戸の記録、出願・登録の日付)
- 国土交通省 多言語解説文データベース R2-00333 https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R2-00333.html (ビル・ボケとの関係、江戸時代の伝来、「日月ボール」の命名)
- Victoria and Albert Museum, "bilboquet" https://collections.vam.ac.uk/item/O55041/bilboquet-unknown/ (ビルボケの起源についての記述、アンリ3世。英語の資料)
- 広島県 ひろしまラボ https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/topics/20210817/01/ (明治のけん玉の形、日月ボールの製造開始)
- Precious「けん玉の日」 https://precious.jp/articles/-/60718 (酒席の遊びから子どもの遊具へ。二次資料)
- 現代ビジネス「5月14日けん玉の日」 https://gendai.media/articles/-/72526 (けん玉の日の由来。二次資料)
なおした ところ
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