1. 木の わが、どうして アメリカの 公園に?
1. オーストラリアの木の輪が、アメリカの公園で遊ばれるまで
1. 人づてで広がる:フラフープの出発点(1950年代後半)
フラフープは、こしで ぐるぐる 回す わっかです。もとは、オーストラリアの 子どもたちが、木の わを こしで 回して 遊んで いました。
それを 知った ジョーン・アンダーソンさんが、アメリカに もって いったと いわれます。1950年代の 後半ごろ、ワムオー社の 二人が、プラスチックで 作って 売りました[1]。
アメリカでは、公園や 校庭や 大学の 中で、人から 人へ 話が 広がりました。大人が 先に ためして、それから 子どもに 買って あげる ことも 多かったそうです。さいしょの 2か月で 2500万本、1年で 4500万ドル 売れました[1]。
では、この 流行が 日本に 来ると、どうなったのでしょう。
フラフープの出発点は、オーストラリアで子どもたちが木の輪を腰で回して遊んでいる姿でした。それを知ったジョーン・アンダーソンさんがアメリカへ伝え、ワムオー社の創業者2人がプラスチック製のおもちゃにして売り出した、と博物館は紹介しています[1]。発売年は1957年とする資料と1958年とする資料があるため、ここでは「1950年代後半」とします。
広がる力になったのは、公園・校庭・大学のキャンパスでの人づての宣伝でした。大人が先に試してから子どもに買い与える場面も多かったといいます。ワムオー社は最初の2か月で2500万本、最初の1年で4500万ドルを売ったと同じ博物館は記しています[1]。
この勢いのまま、流行は海をこえて日本にも届きます。
フラフープはなぜ短期間で大量に売れたのか。The Strong National Museum of Play(アメリカの玩具・遊びの博物館)の記述によれば、起点はオーストラリアで木の輪を腰で回して遊ぶ子どもたちで、ジョーン・アンダーソンがそれをアメリカへ伝え、ワムオー社(Wham-O)の創業者2人がプラスチック製の玩具として商品化した[1]。発売年は資料により1957年とも1958年とも書かれるため、ここでは1950年代後半にとどめる。
売れ方の背景として同館が挙げるのは、公園・校庭・大学キャンパスでの人づての宣伝で、大人が先に試して子どもに買い与えるケースも多かった点である。数字は、最初の2か月で2500万本、最初の1年で4500万ドルだ[1]。なお「2年で1億本」のような別の集計も見かけるが、集計の範囲が異なると考えられるため、本稿では同館の数字だけを使う。
では、この流行は日本ではどう広がったのか。
2. 1か月で 80万本、でも すぐに さめた のは なぜ?
2. デパートに一斉に並び、1か月で約80万本。そのあとは
2. 店で広がり、報道で冷める:1958年の日本
日本では、1958年の 10月18日、東京の デパートに、いっせいに フラフープが ならびました。大人用は 270円、子ども用は 200円でした[2]。
「健康に いい」と いう 言葉で、大人にも 広がりました。1日に 2万本 作っても、1か月ほどで 80万本ぐらいが 売れたと いわれます。
ところが、数か月で 人気は さめて いきました。子どもの おなかに よくないと ニュースで 言われた ことが きっかけと いわれて います。本当に そうかは、はっきり していません[2]。
すごく はやく 広がったのに、みじかく おわる。この ちがいは、ほかの おもちゃでは どうなのでしょう。
日本では1958年(昭和33年)10月18日、東京都内の各デパートにフラフープが一斉に並びました。価格は大人用が270円、子ども用が200円です。「美容と健康によい」という宣伝で、子どもだけでなく大人や主婦にも広がり、1日2万本のペースで作っても約1か月で約80万本が売れたと紹介されています[2]。約80万本は当時の販売数として紹介される値で、二次資料に基づきます。
ところが、この流行は長続きしませんでした。子どもが内臓障害を起こしたと報じられて社会問題になり、そのあとわずか数か月で急速に冷めた、とされています[2]。医学的な原因については、「と報じられた」以上のことは言えません。
ここで分かるのは、広がる速さと続く長さは別だということです。では、速くなくても長く続く流行は、どこが違うのでしょうか。
日本でのフラフープは、売り場の作り方に特徴がある。1958年(昭和33年)10月18日、東京都内の各デパートに一斉に並び、価格は大人用270円・子ども用200円だった[2]。「美容と健康によい」という宣伝文句で大人・主婦にも客層が広がり、日産2万本のペースで作っても約1か月で約80万本が売れたと紹介される。ただしこの数字は二次資料(記念日協会系サイト)の記述で、当時の販売数として紹介される値にとどまる。
ところが、この流行は数か月で急速に冷めた。同じ資料は、子どもが内臓障害を起こしたと報じられて社会問題になり、そのあと数か月で終息したとする[2]。医学的な因果は「と報じられた」と読むのが妥当だ。デパートで一斉に売り出すやり方は速く広げる力になるが、熱が冷めるときも一斉になりうる、と考えられる。ただし、この一例から一般化はできない。
速く広がることと、長く続くことは別問題だ。では、長く続く側の例はどう広がったのか。
3. たまごっちは、どうして 世界中で 売れたの?
3. 日本生まれなのに、出荷の半分以上は海外
3. 輸出と現地版:たまごっちの出荷の内訳(2025年時点)
たまごっちは、1996年に バンダイから 売り出されました。その 次の年、1997年には、英語の 名前の「TAMAGOTCHI」が アメリカで 売られ、カナダや ヨーロッパにも 広がりました[3]。
バンダイは、2025年の 8月に、これまでに 売り出した 数が、1おく こを こえたと 発表しました。行き先の わりあいは、日本が 49%、アメリカが 33%、ヨーロッパが 16%、日本いがいの アジアが 2%です[4]。
たすと 100に なります。日本より 海外の ほうが、少しだけ 多いのです。これまでに 出荷された 数の 半分より 多くが、日本いがい 向けでした。
では、その 海外の たまごっちは、日本に どう かかわったのでしょう。
たまごっちは1996年にバンダイから発売され、翌1997年には英語版の「TAMAGOTCHI」がアメリカで発売されました。そこからカナダやヨーロッパなどへも広がっています[3]。
バンダイは2025年8月28日、国内外の累計出荷が1億個を突破したと発表しました。内訳は日本49%、アメリカ33%、ヨーロッパ16%、日本以外のアジア2%で、合計は100%です。全38機種が50以上の国と地域で展開されました[4]。
海外向けは51%で、半分より「少し多い」という程度です。それでも、日本で生まれたおもちゃの出荷の半分以上が、日本の外へ向かっていたことになります。そして、その海外版が、のちに意外な形で日本へ戻ってきます。
たまごっちは、広がる範囲の広さで見ると対照的な例だ。1996年にバンダイから発売され、翌1997年には英語版「TAMAGOTCHI」がアメリカで発売されて、カナダ・ヨーロッパなどへ広がった[3]。発売日の細部は検索上の記述にとどまるため、ここでは年までを扱う。
バンダイは2025年8月28日に、国内外の累計出荷数が1億個を突破したと発表した。内訳は日本49%、アメリカ33%、ヨーロッパ16%、日本以外のアジア2%で、合計は100%になる。全38機種、50以上の国と地域で展開されている[4]。
海外は51%であり、「大半が海外」とまでは言えない。ただ、半分を超えていることは、出荷の重心が国内だけにないことを示している。では、この海外の展開は、日本国内の流行にどう関わったのか。
4. 海外で 売られた ものが、どうして 日本で 人気に?
4. 1997年の海外版が、いまの「オリジナルたまごっち」に
4. 逆輸入という道:第四次ブームと、戻ってくる条件
いま、たまごっちは 「第四次ブーム」と よばれて います。その 中心に いる「オリジナルたまごっち」は、1997年に 海外で 売って いた「TAMAGOTCHI」を、日本に もどして、いろいろな デザインに した ものです[4]。
ものを 外国から 日本に 入れる ことを、「ゆにゅう」と いいます。もとは 日本から 出た ものが、また 日本に はいって くる ことを、「ぎゃくゆにゅう」と いう ことが あります。
2018年に 売り出した ときは、すきな デザインを えらべる ことが、わかい 人に うけたと、見る 人が います。少し むかしの 平成の ころを なつかしむ ブームも、おいかぜに なったと いわれます[3]。
ただし、それが 本当の 理由かは、はっきり 分かって いません。
では、日本の むかしからの おもちゃは、どうでしょう。けん玉の 旅を 見て みましょう。
現在は「第四次ブーム」と呼ばれ、その中心にある「オリジナルたまごっち」は、1997年に海外で販売していた「TAMAGOTCHI」を逆輸入し、さまざまなデザインを施したものです。2025年7月には最新機種の「たまごっちパラダイス」も発売されました[4]。
2018年の「オリジナルたまごっち」再発売については、好みのデザインを選べるファッション性やファン文化の要素を取り入れたことが若い層に受け、平成レトロのブームにも乗ったと分析されています[3]。これは媒体の見立てで、因果が証明されたわけではありません。2004年の再発売品が1年で約500万個売れた、という数字も紹介されています[3]。
「海外で売れた姿が日本で新しい流行になる」という道は、たまごっちの場合、すでに1997年の海外版という形で用意されていたことになります。では、日本で古くから遊ばれてきたおもちゃの場合はどうでしょうか。
逆輸入とは、もともと日本から輸出したものが、形を変えて日本へ入ってくることを指す。現在の「第四次ブーム」の中心にあるオリジナルたまごっちは、1997年に海外で販売していた「TAMAGOTCHI」を逆輸入し、さまざまなデザインを施したものだ。2025年7月には最新機種「たまごっちパラダイス」も発売された[4]。
2018年のオリジナルたまごっち再発売について、広告業界紙の記事は、好みに合わせてデザインを選べるファッションの視点や、ファン文化の要素を取り入れたことが若い層に受け、平成レトロのブームにも乗ったと分析する。2004年の再発売品が約1年で約500万個売れた、との数字も紹介されている[3]。ただしこれは媒体の見立てである。
ここから言えるのは、広がる道(輸出)が、のちに戻る道(逆輸入)としても使われうる、ということまでだ。他の玩具にも当てはまるとは限らない。では、輸出ではなく、別の道で戻ってくる例はあるのか。
5. けん玉は、どこから 来た おもちゃ?
5. けん玉は日本だけの遊びではなかった
5. 由来と産地:けん玉の出発点(16世紀〜20世紀)
けん玉の もとは、1500年代の フランスの おもちゃ「ビルボケ」と いわれます。玉を 皿で 受けて 遊ぶ ものです。江戸時代に、オランダを とおって 日本に 入って きたと いわれて います[5]。
百年より もっと まえから、広島県の はつかいち市の 木の もの作りの 人たちが、けん玉を 作り はじめました。いまの かたちの「日月ボール」が できた 年は、1918年と 1921年の 二つの 言い方が あります[6]。
けん玉が いちばん 人気だった 1970年代、はつかいち市は 1年に 40万こを 作り、日本全体の 70%を しめて いました[5]。
でも、その あと、作る 店は 少しずつ へって いきました。それが、また 動き出したのは、思わぬ ところからでした。
けん玉のもとは、16世紀のフランスで遊ばれていた「ビルボケ」とされています。受け皿で玉を受けるおもちゃで、江戸時代にオランダ経由(長崎経由とする資料もあります)で日本に入ってきたと説明されています[5]。似た遊びは世界各地にあり、日本で生まれたと言い切ることはできません。
明治時代になると、広島県の廿日市の木工職人がけん玉を作り始めました。今の形(受け皿つき)の「日月ボール」が生まれた年は、国土交通省のデータベースは1918年、広島県のサイトは1921年としていて、資料で食い違います[5][6]。ここでは「大正時代」とだけ書いておきます。
人気のピークだった1970年代には、廿日市市のけん玉の生産は年間40万個で、日本全体の70%を占めました。その後、製造業者の廃業が続いた時期もありましたが、2001年から製造が復活しています[5]。ところが、けん玉が再び注目される入り口は、日本の外にありました。
けん玉はいつ、どこから来たのか。国土交通省の多言語解説文データベースによれば、起源は16世紀フランスの玩具ビルボケ(受け皿で玉を受ける)とされ、江戸時代にオランダ経由で日本に入った(長崎経由とする資料もある)[5]。似た玩具は世界各地にあるため、日本発祥とは言い切れない。
明治期には廿日市(広島県)の木工職人が製造を始め、現在の受け皿つきの形である「日月ボール」の誕生年は、国土交通省データベースが1918年(江草濱次の考案)、広島県のサイトが1921年(廿日市の木工メーカーが製造開始)と食い違う[5][6]。どちらが正しいかは資料からは決められないので、本稿では「大正時代」とする。
産地としての存在感は大きい。人気のピークだった1970年代、廿日市市のけん玉生産は年間40万個で、日本全体の70%を占めた。業者の廃業が続いた時期もあったが、2001年から製造が復活している[5]。では、人気が落ち着いたけん玉を、再び世界に押し出したのは何だったのか。
6. けん玉は、どうして また 人気に なったの?
6. 海外で広がったコミュニティと、廿日市のワールドカップ
6. 海外コミュニティの広がり:2000年代以降のけん玉
2000年代に、海外で けん玉が 人気に なりました。2006年には、アメリカと イギリスで、けん玉の グループが できたと いわれます[7]。ジャグリングや ローラーブレードを する 人たちの なかまにも 広がったと いわれます。
その あと、海外の なかまや グループが 広がりました。2012年に「グローバルけん玉ネットワーク」が でき、2014年からは、もとの 作って いる はつかいち市で、けん玉ワールドカップが ひらかれて います[7]。
たまごっちは 海外の すがたで もどって きました。けん玉は、海外の 人たちの なかまが 広がって いきました。ただ、2つだけでは、ほかの おもちゃも 同じとは いえません。
2000年代に入ると、けん玉は海外で盛り上がりました。2006年にKendamaUSAとイギリスけん玉協会が設立され、ジャグリングやローラーブレードを楽しむ人たちの間にも広まったとされます[7]。
その後、海外のプレーヤーやコミュニティが広がりました。2012年にはグローバルけん玉ネットワークが設立され、2014年からは、産地である廿日市でけん玉ワールドカップが開かれています[7]。
たまごっちは、海外で売られた版が日本へ戻ってきました。けん玉は、海外のコミュニティが広がり、産地の廿日市で世界大会が開かれるまでになりました。道すじは違っても、どちらも国をまたいだ動きがあった点は共通しています。ただ、2つの例だけで、戻る流行に共通の法則があるとまでは言えません。
7. うちの おもちゃの 旅を しらべて みよう
7. 家のおもちゃの「旅」をたどる
7. 出口:手元の玩具の由来を調べる/原典にあたる
おうちに ある おもちゃを 1つ えらびます。はこや せつめいしょを 見て、どこの 会社が 作ったか、どこの 国で 作られたかを さがして みましょう。
ひとつ 分かったら、おうちの 人に「これは むかし あった?」と 聞いて みると、ちがう 時代の 話が 聞けるかもしれません。
もっと 知りたい ときは、バンダイの お知らせや、国の 役所の ページを 見て みてください。
家にあるおもちゃを1つ選んで、箱や説明書を見てみてください。作った会社、作られた国、発売された年が書かれていることがあります。見つかったら、「この形は昔もあったか」を家の人に聞いてみると、年代ごとの遊び方の違いが分かるかもしれません。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
記事中の数字・年号は、下の資料で確かめた範囲で書いています。資料どうしで食い違う点は、本文でもそう書きました。
- The Strong National Museum of Play「Hula Hoop」 https://www.museumofplay.org/toys/hula-hoop/ (フラフープの由来と米国での売れ行き)
- 記念日協会系サイト「フラフープ記念日」 https://bestcalendar.jp/dates/kinenbi/4316 (日本での発売と終息の様子。二次資料)
- アドタイ「たまごっち累計出荷数1億個突破の軌跡」 https://www.advertimes.com/?p=514758 (米国発売と再発売の分析)
- 電撃ゲームス「たまごっち累計出荷1億個突破」(バンダイ発表を報じた記事) https://news.denfaminicogamer.jp/news/250828o (出荷の内訳と逆輸入)
- 国土交通省 多言語解説文データベース R2-00333 https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R2-00333.html (けん玉の由来と廿日市の生産量)
- 広島県「ひろしまラボ」 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/topics/20210817/01/ (今の形のけん玉の誕生年)
- 広島大学配布チラシ「KENDAMA in 田町」 https://www.hiroshima-u.ac.jp/system/files/108496/KENDAMA%20in%20%E7%94%B0%E7%94%BA.pdf (世界のけん玉コミュニティ)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
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