1. 食べ物が とけるのは、どこで?
1. 傷は治ったのに、胃につながる穴が残った
1. 1822年マキナック島 ── 傷は治ったが、胃につながる穴が残った
ごはんを 食べると、食べ物は おなかの 中で とけて いきます。でも 胃の 中は 外から 見えません。
1822年、アメリカの 島の 店で、アレクシス・セントマーチンさんが てっぽうで うたれて しまいました。島で ただ ひとりの お医者さん、ボーモントさんが 治療しました[1]。
きずは 10か月ぐらいで ほとんど なおりました。ところが 胃に つながる あなだけは ふさがりませんでした[2]。ボーモントさんは、セントマーチンさんを 自分の 家で 何年か 世話しました[2]。
ふさがらない あなは、胃の 中を しらべる、めったに ない まどに なりました。ここから 食べ物を 入れたら、どう なるのでしょう。
1822年6月6日、アメリカ・ミシガン州のマキナック島。アメリカ毛皮会社の店の中で、銃声が響きました。フランス系カナダ人のアレクシス・セントマーチンが、至近距離から散弾銃に撃たれたのです。島でただ一人の医師だった軍医ウィリアム・ボーモントが、治療にあたりました[1]。
傷は約10か月でほぼ治りました。ところが、胃に通じる穴が閉じずに残りました[2]。ボーモントはセントマーチンを自分の家で、何年かにわたって世話したと伝えられています[2]。
ふつう、胃の中は外から見えません。外から見える穴という、めったにない機会を、ボーモントは見逃しませんでした。では、その穴をどう使って、「消化」という目に見えない出来事を確かめたのでしょうか。
1822年6月6日、ミシガン州マキナック島のアメリカ毛皮会社の店で、アレクシス・セントマーチン(フランス系カナダ人)が至近距離から散弾銃に撃たれた。島でただ一人の医師だった軍医ウィリアム・ボーモントが治療した[1]。事故の細部は資料ごとに記述がそろわないため、ここでは経過だけを押さえる。
傷は約10か月でほぼ治ったが、胃に通じる穴(胃瘻)が閉じずに残った。ボーモントはセントマーチンを自宅で数年にわたり世話した[2]。胃の中は外から見えないため、本来なら消化は「食べ物が入って、出てきたもの」から推測するしかない。穴が開いたまま残ったことで、胃の内部に直接手を伸ばせる条件が、偶然にそろった。
では、その穴を使ってどんな手順で調べたのか。ボーモントの工夫は、道具が絹糸だったという、拍子抜けするほど素朴な点にある。
2. いとに つるした 食べ物は、1時間で どうなった?
2. 絹糸につるした食べ物を、胃に入れて引き上げる
2. 1825年8月1日、正午 ── 絹糸と1時間という最初の設計
さいしょの 実験は、1825年8月1日の おひるでした。ボーモントさんは、味つけした 牛の にくや、古い パン、なまの キャベツを、絹糸に つるしました[3]。
それを あなから 胃に 入れて、1時間 まって、ひき上げました。つりで えさを おろして ひき上げる ように です。ただし 本当の つりと ちがって、まっているのは 魚では なく、食べ物の へんかです。
ひき上げてみると、キャベツと パンは はんぶん ぐらい とけて いました。ところが にくは、ほとんど かわって いませんでした[3]。
「にくは とけにくい のかな」。でも、話は ここで おわりません。
最初の正式な実験は、1825年8月1日の正午に始まりました。ボーモントは、味つけした牛肉、塩づけ肉、古くなったパン、生のキャベツなどを、絹糸につるしました。そして穴から胃に入れ、1時間後に引き上げて、変わりぐあいを調べたのです[3]。
胃の中の出来事を、食べ物ごと取り出して手に取れるようにした、というのがこの方法の要です。食べ物は胃の外に出てきてから見るので、「どこまで変わったか」を目で確かめられます。
結果は意外なものでした。キャベツとパンは約半分が消化されていたのに、肉はほとんど変わっていなかったのです[3]。肉は消化されにくいのでしょうか。1時間という短い時間のようすだけで決めてよいのか、というのが次の問いです。
最初の「正式な」実験は、1825年8月1日の正午に行われた。絹糸につるした食べ物(味つけした牛肉、塩づけ肉、古いパン、生のキャベツなど)を、穴から胃に入れ、1時間後に引き上げて観察した[3]。
この設計のよさは、食べ物を胃の外に取り出して観察できる点にある。胃に入れておく時間を決めておけば、同じ時間のあとの変わり方を、食べ物のあいだで比べられる。
報告される結果は次のとおり。キャベツとパンは約半分が消化され、肉は変化がなかった[3]。ところが、これは「肉は消化されない」という意味ではない。1時間という一つの条件の結果にすぎず、後に見るように、肉が消化された記録もある。短い時間の観察から結論を急がず、時間と食べ物を変えて実験を重ねる必要が出てきた。
3. にくは ほんとうに とけない?
3. 1時間で変わらなかった肉は、別の観察では消化されていた
3. 食べ物の種類で消化の時間はちがう ── 1時間後の結果の読み方
ボーモントさんは、ほかに 見た ことも 書きのこしました。胃の あなを ふさぐ せんに つかった なまの 牛にくの かたまりが、5時間 たたないうちに すっかり とけて いたのです[3]。いとの 実験とは ちがう 場面の 話です。
1時間では にくが かわって いなくても、にくが ずっと とけない とは かぎらない、と いうことです。
ボーモントさんは、いくつもの 実験から、こう 考えました。食べ物の しゅるいで、とけるまでの 時間が ちがう。ボーモントさんの けつろんでは、野菜は にくより おそく、牛乳は、早い うちに かたまります[3]。
キャベツが 1時間で はんぶん とけた 話と、野菜は おそい という けつろんは、すこし ちがって 見えます。このちがいは、本の 中で くわしく しらべたい ところです。
ボーモントは、ほかにも観察を書き残しています。胃の穴をふさぐ栓に使った生の牛肉のかたまりが、5時間足らずで「すっかり消化された」という記録です[3]。糸の実験とは別の観察ですが、1時間後に肉が変わっていなかったことは、肉がずっと消化されないという意味ではないと分かります。
こうした記録の積み重ねから、ボーモントは、食べ物の種類によって消化にかかる時間がちがうと結論しました。ボーモントの結論では、野菜は肉より遅く、牛乳は消化の早い段階で固まります[3]。
ここで、初日の結果と並べると、少し引っかかります。キャベツは1時間で約半分変わったのに、結論では「野菜は肉より遅い」。同じ食べ物でも、調べた時間や条件で見え方が変わるのかもしれません。この比較は原典の本に当たると、手がかりが見つかるかもしれません。
初日の結果では、肉は1時間後に変化がなかった。一方でボーモントは、胃の穴をふさぐ栓に使った生の牛肉のかたまりが5時間足らずで「すっかり消化された」例も記録している[3]。糸の実験とは別の観察であり、同じ条件の比較ではない。1時間後の変化なしと、5時間足らずでの消化は、どちらも記録された観察として並べて読む。
ボーモントはこうした記録を重ね、食べ物の種類で消化にかかる時間がちがうと結論した。ボーモントの結論には、野菜は肉より遅く、牛乳は消化の早い段階で固まる、という内容も含まれる[3]。
ここには一見したところ、食いちがいがある。初日はキャベツが1時間で約半分変わり、肉は変わらなかった。ところがボーモントの結論は「野菜は肉より遅い」である。同じ食べ物でも、胃に入れた時間や条件で見え方が変わるのかもしれない。1回の結果ではなく、まとまった記録で読む必要がある、という注意として受け取りたい。この記事では、時間の数字は「1時間後」と「5時間足らず」の2つだけを使う。
4. 胃液って、どんな 水?
4. 胃液を調べると、消化は「化学の変化」だと見えてきた
4. 胃液の性質と「純粋に化学的」という結論
ボーモントさんは、食べ物を とかして いる えきたい、胃液も しらべました。1833年の 本には、まざりものが ない 胃液は、すきとおって いて、においが なく、すこし しおからく、はっきり すっぱい、と 書いて あります[4]。
この すっぱさの もとには、塩酸が まじって います。塩酸は、1824年に ウィリアム・プラウトさんが 見つけて いて、ボーモントさんは それを たしかめた 人です[3]。
また、とりだした 胃液に 食べ物を 入れても、とけました。体の 外でも、とけるのです[2]。
ここから、ボーモントさんは「胃の 中の へんかは 化学の はたらきだ」と 考えました[4]。
胃液は、どんな液体か
ボーモントは、混ざりもののない胃液を、1833年の本の中で、透明で、においがなく、少し塩気があり、はっきりと酸っぱい液体だと書きました[4]。
胃液に塩酸が含まれることは、1824年にウィリアム・プラウトが報告していました。ボーモントはその発見を確かめ、塩酸が胃の内側の壁から出ることも示しました[3]。塩酸の発見者はプラウトで、ボーモントは確かめた人という書き分けが大切です。
胃の外でも消化は起きる
ボーモントは、胃の中でも、取り出した胃液の中でも、食べ物が変化することを示しました[2]。胃が食べ物をすりつぶすだけでなく、胃液による「純粋に化学的」な変化が起きている、という考えを支えた結果です[4]。
ただし、胃が動かないという意味ではありません。ボーモントは、胃が内容物を動かすようすも記録しています[2]。
ボーモントは、混ざりもののない胃液を、透明で、においがなく(inodorous)、少し塩気があり、はっきり酸性だと記述した(1833年の本。引用元はsportsci.org)[4]。
胃液に塩酸が含まれることは、1824年にウィリアム・プラウトが報告している。ボーモントはその発見を確かめ、塩酸が胃の内側の壁から分泌されることを示した[3]。発見の優先権はプラウトにあり、ボーモントは追試した側として書き分ける。
ボーモントが強調したのは、消化が化学的な過程であり、それが胃の中でも、取り出した胃液のなかでも起きるという点である[2]。そのため、消化は胃の運動だけで食べ物をすりつぶす働きではない、という考えが支えられた[4]。ここを「運動はない」と誤読してはいけない。ボーモント自身が、胃が内容物を動かすようすも記録している[2]。
では、この胃液の出方は、いつも同じなのか。実験をしていると、ボーモントは別の要因にも気づいた。
5. おこったり、いたかったりすると 胃も かわる?
5. 痛みや怒りで、胃液の出方も変わる
5. 体調と感情の影響 ── 実験が「本人のようす」に左右された
ボーモントさんは、気もちも 大事だと 気づきました。強く おこったり すると、胃液の でかたや 消化に えいきょうが ある、と 書いて います[5]。
セントマーチンさんが むねや おなかを いたがった 日には、胃液が にごって、すっぱさが 強く なったことも 書きとめて います[3]。
実験は、セントマーチンさんの 体の ようすや 気もちに、左右されて いたのです。
ボーモントは、セントマーチンの体調や気持ちが、胃のようすに関わることにも気づきました。強い怒りなどの感情が、胃液の出方や消化に大きく影響しうる、と観察しています[2][5]。
胸の痛みや胃の不快をセントマーチンが訴えた日には、胃液がにごり、酸っぱさが増したとも書き残しました[3]。
この観察が示すのは、実験の結果が本人のコンディションで揺れる、ということです。毎回同じ条件でそろえることの難しさがあり、だからこそ多くの実験を重ねる必要がありました。
実験に協力するということは、食事を調べられるだけでなく、体調や気持ちまで記録される日々でもありました。次の章では、その日々を送ったセントマーチンの人生を見てみます。
胃の穴を通した実験は、体調や感情の影響を受けた。ボーモントは、強い感情が胃の分泌と消化に影響しうると観察した(Encyclopedia.comは「精神的な影響がかなりの程度、胃液の分泌と消化に作用しうる」という趣旨を伝える。LRBも「激しい情動が消化器官に及ぼす影響」を取り上げる)[2][5]。
さらにセントマーチンが胸の痛みや胃の不快を訴えた日には、胃液のにごりと酸味が増したと記された[3]。
これは実験の統制という点では厄介な事実である。同じ食べ物を同じ時間入れても、その日の本人の状態で結果が動くからだ。一方で、不調の日の変化まで書き残されていることは、この記録を読む手がかりになる。
こうして実験を続けるには、協力した本人がずっと側にいる必要があった。では、セントマーチンはその間、どんな生活をしていたのか。
6. セントマーチンさんは、その あと どう くらした?
6. 協力した男性の人生と、今の目で見た実験
6. セントマーチンの生涯と1833年の本、そして倫理の問い
セントマーチンさんは、たびたび カナダの 家族の ところへ もどりました。でも、まずしさも あって、また ボーモントさんの ところへ きた、と いわれて います[2]。
1825年から 1833年の あいだに、いくつもの ばしょで 実験が くりかえされ、中だんも しました。ボーモントさんは、その けっかから 51この 考えを まとめ、1833年に 本に しました[2]。
セントマーチンさんは 1834年に カナダへ もどり、1880年に なくなりました。78さいだった、と いわれて います[7]。
今の きまりでは、人の 体を しらべる 実験は、本人が よく わかった うえで 決める ことを 大事に します。今の 目で 見ると、このころの 実験には 考え直す ところが あります[2]。それでも、この 実験から 胃の 中の ことが たくさん わかったのは、じじつです。
ふたりの8年間
セントマーチンは、たびたびカナダの家族のもとへ戻りましたが、貧しさも背景に、またボーモントのところへ来たと資料にはあります。1832年には実験の契約を結んだとされます[2]。実験は1825〜1833年にかけて、マキナック、ナイアガラ、クロフォード、セントルイスなどの陸軍の駐屯地で、4つのまとまりに分けて行われ、セントマーチンのカナダ行きで数か月〜数年中断しました[2]。
1833年の本と、その後
1833年、ボーモントはプラッツバーグで本を出版しました。51の推論で終わる本です[2]。実験の回数は、資料によって数え方が大きくちがいます。
セントマーチンは1834年にカナダへ戻り、1880年に亡くなりました(78歳)[2][7]。事故から数えると、58年あまりを胃の穴と共に生きたことになります。
今の目で見ると
今の基準では、人を対象にした実験は、本人が内容を理解して同意していることや、お金に困っているなど立場の弱さに左右されないことが大切にされます。この実験は、その点で検討すべきところがあるとされます[2]。一方で、ボーモントは「胃生理学の父」とも呼ばれます[2]。
セントマーチンはたびたびカナダの家族のもとへ戻り、貧しさも背景に、再びボーモントのもとへ来たと資料にはある。1832年にはボーモントと実験の契約を結んだとされる。Encyclopedia.comの項目はこれを人体実験の歴史における最初の契約と位置づけるが、その評価は百科事典の記述にとどまる[2]。
実験は1825〜1833年に、マキナック、ナイアガラ、クロフォード、セントルイスなどの陸軍の駐屯地で、4つのまとまりに分けて行われた。セントマーチンのカナダ行きで、数か月〜数年中断した[2]。1833年にはプラッツバーグで『胃液についての実験と観察、および消化の生理学』が出版され、51の推論で終わる[2][6]。実験の回数は資料によって約56から約250まで大きくちがい、この記事では数字を使わない。
セントマーチンは1834年にカナダへ戻り、1880年6月24日にケベックで亡くなった(78歳)[7]。事故から数えて58年、胃の穴と共に生きたことになる。
今の基準では、人を対象にした実験は、本人が内容を理解して同意していることや、経済的な立場の弱さに左右されないことが重視される。この実験は、その点で検討すべきところがあるとされる[2]。同時に、ボーモントは「胃生理学の父」とも呼ばれる[2]。
7. ゆうごはんの 食べ物は、どれが ゆっくり?
7. 夕食の食べ物で、ボーモントの結論を想像する
7. 結論を食卓で検算し、原典の1833年の本へ進む
ゆうごはんを 食べる とき、胃の 中を 思いうかべて みましょう。にくと 野菜と 牛乳。ボーモントさんは「野菜は にくより おそい」「牛乳は 早い うちに かたまる」と 考えました。
ほんとうかどうかは、じっけんを しなければ わかりません(この じっけんの まねは、ぜったいに しないで ください)。でも、見えない ものを しらべる くふうは、ほかの ことにも つかえそうです。
この 話を もっと 知りたい人は、図書かんで「消化」の 本を さがして みましょう。
夕食の食卓を、胃の中のことを想像しながら眺めてみましょう。肉、野菜、牛乳。ボーモントの結論では、野菜は肉より遅く、牛乳は消化の早い段階で固まります[3]。これを知ると、「食べ物によって胃の仕事の速さがちがう」という話が、実際の献立に結びつきます。
ただし、これは1つの研究の結論であり、今の消化の知識と合わせて読む必要があります。ここから先は、教科書や図書館の本で「消化」を調べると、酵素や小腸の働きなど、ボーモントの時代には分からなかったことに出会えます。
もう一つ考えたいのは、「見えないものを調べる工夫」です。絹糸に食べ物をつるすという素朴な方法が、胃の中を見えるものに変えました。身のまわりで見えないものを調べたいとき、どんな工夫が使えるでしょうか。
ボーモントの結論(野菜は肉より遅い、牛乳は早く固まる)と、初日の1時間後の観察(キャベツは約半分変わり、肉は変化なし)は、並べると食いちがって見える[3]。どちらが正しいかを決める前に、結論がどんな記録から出てきたのかを読み比べたい。
まずは日本語の教科書や図書館の資料で「消化」の説明を探し、ボーモントの時代には分からなかった酵素や小腸の働きと、この記事の内容を比べてみるとよい。
原典の1833年の初版は、プラッツバーグのF. P. Allen社から出ており、ウェルカム・コレクションが英語のPDFを公開している(Experiments and observations on the gastric juice, and the physiology of digestion)[6]。読むときの問いは三つ。①1時間後の結果と「野菜は肉より遅い」という結論の食いちがいは、原典でどう説明されているか。②実験の数は何回と書かれているか。③不調の日の観察は、どの実験に付けられているか。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:博物館のブログ、科学史の機関の記事、百科事典、引用を載せたウェブページ、雑誌の評論、図書館の目録を使った。何に使ったかは、それぞれの項目に書いている。
- Mackinac State Historic Parks「Medical History」(ブログ)。https://www.mackinacparks.com/blog/tag/medical-history (1822年の事故と治療について)
- Encyclopedia.com「Beaumont, William」。https://www.encyclopedia.com/people/medicine/medicine-biographies/william-beaumont (穴が残った経過、実験の年代、化学的な消化、本の内容、1832年の契約と没年について)
- Science History Institute「Probing the Mysteries of Human Digestion」。https://www.sciencehistory.org/stories/magazine/probing-the-mysteries-of-human-digestion (最初の実験、消化時間、塩酸の確認、胃液の変化について)
- sportsci.org「Beaumont」(原典の引用を載せたページ)。https://sportsci.org/news/history/beaumont/beaumont.html (胃液の描写と「純粋に化学的」という記述について。引用の孫引き)
- Steven Shapin「Gutted」、London Review of Books。https://www.lrb.co.uk/v33/n13/steven-shapin/gutted (感情が消化に与える影響について)
- Wellcome Collection(1833年初版のPDF)。https://iiif.wellcomecollection.org/pdf/b33280356 (原典の書誌情報と公開について。英語)
- ClickOnDetroit「How a near-fatal shooting on Mackinac Island gave the world its first window into the human stomach」(2026年)。https://www.clickondetroit.com/features/2026/06/06/how-a-near-fatal-shooting-on-mackinac-island-gave-the-world-its-first-window-into-the-human-stomach/ (セントマーチンの没年について)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。