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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

べんとうばこの なかの しきりは、だれが なんの ために つくったの?

弁当箱の仕切りや素材は、どんな困りごとから生まれたのか

弁当箱の仕切りと素材の変遷 ── 松花堂弁当、明治30年のアルミ、昭和のアルマイトから保温容器まで

分野:歴史・文化

べんとうばこの なかを しきる、じゅうじの しきり。じつは、のうかの ひとが たねを いれて いた はこが もとに なったと いわれて います。

どうして、たねの はこが べんとうばこに なったのでしょう。べんとうばこの かたちと ざいりょうは、そのころの「こまったな」に あわせて かわって きました。その ようすが わかります。

弁当箱の中を十字に区切る松花堂弁当の仕切りは、もとは農家が種を入れていた四つ切りの箱から思いつかれたと伝えられています。食べ物の入れ物のために作られたのではない箱が、なぜ弁当箱になったのでしょうか。

弁当箱の形や素材は、花見の席でも、芝居小屋でも、学校でも、そのときの「こまった」に答える形で変わってきました。この記事では、その流れと、今の形の理由として言えること、まだ言えないことが分かります。

松花堂弁当の十字の仕切りは、江戸初期の僧・松花堂昭乗が目にした、農家の種入れの四つ切りの箱に由来すると、京阪電車の観光案内は伝える[1]。ただし昭乗が弁当にしたのではなく、弁当箱として作り替えたのは昭和初めの料亭主人である。なぜ、種入れの箱がそこで弁当箱になったのか。

弁当箱の素材や構造は、行楽、外での仕事、学校通いといった使い方の変化に応じて入れかわってきた。この記事では、公的機関・博物館・事業者の解説を比べて、確かな流れと、資料により見方が分かれる点を分けて示し、今の形の理由として言える範囲が分かる。

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1. たねの はこが、どうして べんとうばこに なったの?

1. 種入れの箱が、料亭の弁当箱になった

1. 松花堂弁当の由来 ── 四つ切りの箱と「混ざらない」工夫

のうかの ひとが、たねを いれて いた はこが ありました。なかが「田」の じのように、よっつに しきって あります。

むかしの おぼうさんの しょうかどう しょうじょうが、この はこを 見て、えのぐや たばこを いれる ものを おもいついたと つたえられて います[1]。

それから ずっと あとの、しょうわの はじめ。りょうていの ひとが、その はこを べんとうばこに つくりかえました。しきりが あると、あつい ものと つめたい もの、あじや においが まざりません[1]。

おぼうさんが べんとうに したのでは ありません。ひとつの はこが、いくつもの ひとの てを とおって、べんとうばこに なったのです。

松花堂弁当は、いまも料亭や仕出しで見かける、十字に区切られた箱の弁当です。名前のもとになった松花堂昭乗は、江戸時代の初めの僧です。京阪電車の観光案内によると、農家が種を入れていた四つ切りの箱を見て、絵具やたばこの入れ物を思いついたと伝えられています[1]。

ここで気をつけたいのは、昭乗が弁当箱を作ったわけではないことです。昭和の初め(1933年ごろ)、料亭「吉兆」の湯木貞一が、松花堂の跡で見つけた箱を懐石風の弁当箱に作り替えた、とされています[1]。

十字の仕切りには、熱いものと冷たいもの、味やにおいが混ざらないという働きがあります。種を混ぜないための箱が、おかずを混ぜないための箱になったわけです。

松花堂弁当の名は、江戸初期の僧・松花堂昭乗に由来する。京阪電車の観光案内の解説によると、昭乗は、農家が種を入れていた四つ切りの箱から絵具やたばこの入れ物を着想したと伝えられる[1]。ところが、これを弁当箱にしたのは昭乗ではない。昭和初め(1933年ごろ)、料亭「吉兆」の湯木貞一が、松花堂の跡で見つけた箱を懐石風の弁当箱へ作り替えたとされる[1]。名前は昭乗でも、弁当としての形を与えたのは約300年後の人物である。

この箱が弁当に向いていたのは、十字の仕切りで、熱いもの・冷たいもの、味やにおいの異なるものを混ぜずに詰められるからである。種を種類ごとに分ける構造は、料理を分ける構造とそのまま重なった。

では、仕切りのない弁当箱は、それまでどんな形で、何に困っていたのだろうか。

2. その まえの べんとうばこは、どんな もの だった?

2. 仕切りの前は、花見の重箱と竹の皮だった

2. 仕切り以前の弁当 ── 漆の重箱、竹皮・経木

1598ねんに、とよとみひでよしが、だいごで おおきな 花見を ひらきました。これが 花見べんとうの はじまりと される ことが あります[1]。

ぶしや きぞくは、うるしを ぬった きれいな じゅうばこに、おさけや おかずを つめました[1]。

えどじだいの なかごろからは、花見や しばいを 見に いく ひとが ふえました。おでかけ用の べんとうが ひろまり、たけの かわや きょうぎ(うすく けずった きの かわ)も つかわれました[2]。

この ころの べんとうは、「もちはこぶ ごはん」から、「たのしみの ごはん」にも なって いきました。

1598年(慶長3年)、豊臣秀吉が開いた醍醐の花見が、花見弁当の始まりとされています[1]。武士や貴族は、蒔絵などをほどこした漆塗りの重箱に、お酒や料理を詰めて持っていきました。弁当箱が「持ち運ぶ入れ物」から「見せて楽しむ道具」にもなった場面です。

江戸時代の中ごろからは、花見や芝居見物など行楽が盛んになり、楽しみのための弁当が広まります。物流が活発になったこともあって、曲げわっぱに加えて、通気と防腐の働きがある竹の皮や経木も使われるようになったと、ある資料は説明しています[2]。

このころの入れ物は、重ねる・包むが中心で、おかず同士を分ける仕切りの工夫はまだ前に出てきません。では、料理が混ざることを気にし始めた弁当は、どんな場所で食べられたのでしょうか。

弁当の原型は、平安時代の握り飯(屯食)や干し飯といった携行食にさかのぼる[3]。やがて安土桃山時代には、花見や茶会といった行楽の場で、漆器の弁当箱が使われるようになった[4]。1598年(慶長3年)の醍醐の花見が花見弁当の始まりとされ、武士や公家は蒔絵・螺鈿をほどこした漆塗りの重箱を用いた[1]。この段階の弁当箱は、食べ物を運ぶ道具であると同時に、席を飾る道具でもあった。

江戸中期になると、花見や芝居見物が盛んになり、楽しみのための弁当が広がる。物流の活発化にともなって、曲げわっぱに加え、通気性と防腐性のある竹皮・経木が使われるようになったと、ある資料は説明する[2]。

ここまでは「重ねて詰める」「包む」入れ物であり、おかずを区切る発想は目立たない。仕切りの話に入る前に、江戸の庶民が実際に食べた、中身に名前のついた弁当を見ておく。

3. しばいごやの「まくの うち」べんとうって、なに?

3. 芝居の合間に食べた「幕の内」の中身

3. 「幕の内」の初期の姿と、名の由来の諸説

えどじだいの 後ろの ほうの ほんに、「まくの うち」と いう べんとうが でて きます。にぎりめし、こんにゃく、やきどうふ、たまごやきなどを、いっしょに うって いた と かいて あります[5]。

ねだんは 100もん。16もんの おそば 6はいぶんに あたり、すこし こうきゅうだった ようです[5]。

なまえの わけは、しばいの「まくの あいだ」に たべたから、という せつが あります。でも、ほかにも せつが あり、はっきり きまって いません[3]。

江戸後期の書物『守貞謾稿』には、芳町(いまの日本橋人形町)の店が「幕の内」の名で、握り飯・こんにゃく・焼き豆腐・芋・玉子焼などを合わせて売っていたと書かれています[5]。値段は一人前100文で、16文の蕎麦6杯分にあたり、比較的高級だったとされます。

この弁当は、芝居の合間の食事として、一般の客向けに生まれたとされます[3]。ただし、名の由来は幕間に食べたからという説のほか諸説あり、定説ではありません。名前の意味は決まっていなくても、握り飯とおかずを一つにまとめて売る形は、いまの「ご飯とおかずの弁当」に通じます。

とはいえ、このころの入れ物は、まだ仕切りで料理を守る箱ではありませんでした。次に、入れ物そのものの素材が変わる場面を見ます。

『守貞謾稿』(天保8年=1837年から編纂)は、芳町の店が「幕の内」の名で握り飯・こんにゃく・焼き豆腐・芋・玉子焼などを合わせて売ったと記す[5]。値段は一人前100文である。蕎麦1杯が16文なので、蕎麦6杯分で計96文となり、100文はおおむねその6倍強にあたる。比較的高級な弁当だったことがうかがえる。

幕の内弁当は、芝居の合間の食事として一般客向けに生まれたとされる[3]。しかし名の由来は、幕間に食べたことによるという説のほか諸説あり、定説ではない。「幕間に食べたから」と言い切れる段階にはない。

中身の組み合わせ(主食とおかずを一つにまとめる)は、現在の弁当の基本形と共通する。他方で、入れ物の側は竹皮や重箱にとどまっており、素材の更新は明治に入ってから起こる。

4. めいじの アルミの べんとうばこは、なにが こまったの?

4. 明治のアルミ弁当箱は、梅干しで傷んだ

4. アルミ(1897年)からアルマイトへ ── 軽さと腐食の両立

1897ねん(めいじ30ねん)に、アルミの べんとうばこが つくられました。ぐんたいで つかう ものでした[6]。

かるくて じょうぶで、おていれも かんたんです。でも、かたちが かわったり、さびたり しやすい ところが こまりました。うめぼしの すっぱさで、いたむ ことも あったと いわれます[6]。

そこで つかわれたのが、「アルマイト」です。アルミの ひょうめんに、うすい まくを つくって、いたみに くく する しくみです[7]。

この べんとうばこは、たけの かわや やなぎで あんだ いれものに かわって、しょうわの はじめごろから ひろまりはじめたと されます[7]。いろや えを つけやすく、えが ついた ものも ひろまりました。

1897年(明治30年)に、軍用のアルミニウム製弁当箱がつくられました[6]。軽くて丈夫で手入れも簡単でしたが、変形や腐食しやすいのが難点でした。当初はアルマイト加工がなく、梅干しの酸で腐食することもあったとされます。

その弱点を補うために広まったのが、アルマイトです。電気を使った処理で人工的に酸化皮膜を作り、腐食や傷つきやすさをおさえます[7]。文化遺産オンラインは、アルマイト弁当箱が竹の皮や柳行李に代わって、昭和初期ごろから普及し始めたと説明しています。着色しやすいため、絵つきの弁当箱も広まりました。

ここで面白いのは、「いつまで主流だったか」が資料によって少し違うことです。昭和初期からの普及とする資料のほか、昭和40年代前半ごろまで子どもの弁当箱の主流だったとする記事もあり、プラスチック製が増えた時期も見方が分かれます。年代を一つに決めず、「長い間使われた」とだけ言っておきます。

1897年(明治30年)、軍用としてアルミニウム製の弁当箱がつくられた[6]。軽く丈夫で手入れも簡単だが、変形や腐食しやすいのが難点で、当初はアルマイト加工がなかったため、梅干しの酸で腐食することもあったとされる。ご飯とおかずを持ち歩く以上、酸や塩分に触れるのは避けられない。そのため、軽さを保ちながら腐食を抑える表面処理が必要になった。

アルマイトは、電解処理によってアルミの表面に人工的に酸化皮膜をつくり、腐食や傷つきやすさを補う処理である。文化遺産オンライン(高岡市立博物館の資料)は、アルマイト弁当箱が竹の皮や柳行李に代わり、昭和初期ごろから普及し始めたと説明する[7]。着色しやすく、絵つきの弁当箱も普及した。処理の仕組みそのものは、別の記事(アルミのアルマイト処理)に譲る。

主流の期間は資料によって見方が割れる。Plenusの展示は昭和初期の項にアルマイトを置く[6]。一方、昭和40年代前半ごろまで子どもの弁当箱の主流だったとする記事もあり、プラスチック製が増えた時期も昭和50年代半ばごろとする見方がある。ここでは、年代を断定しない。

5. しるが もれたり、さめたり するのを、どう なおしたの?

5. 汁もれ、冷めたご飯、友だちの目 ── 戦後の工夫

5. 1950〜1970年代の機能追加 ── パッキン、保温、仕切り、そして失敗例

べんとうばこは、「こまった」が おきる たびに、すこしずつ かわりました。

1950ねんだいには、しるが もれない ゴムの パッキンが ついた おかずいれと、ふたが ずれない とめぐが でました[6]。

1960ねんだいの なかごろには、まほうびんの しくみを つかった、さめにくい べんとうばこが でました。1970ねんには、おかずの しきりと おはしいれが ついた、ほんの かたちの ものが、ちゅうがくせい むけに うられました。

1975ねんの でんきで あたためる べんとうばこは、ごはんは あたたまっても おかずが あたたまらず、ひろまりませんでした[6]。うまく いかない ものも あったのです。

戦後の弁当箱は、作る側の「ここが困る」を一つずつ消すように変わっていきます。Plenusの展示によると、1950年代には、汁もれを防ぐゴム製パッキンつきのおかず入れと、蓋のずれを防ぐ留め具が登場しました[6]。かばんの中で汁がこぼれる、という悩みに答えたものです。

1960年代半ばには、魔法瓶の構造を応用した保温弁当箱が出ます。1970年には、おかずの仕切りと箸入れを備えた、中学生向けのブック型弁当箱が出ました[6]。ただしこれは製品の一つで、全員がこの形を使ったという意味ではありません。

うまくいかなかった例もあります。1975年の電気で温める弁当箱は、ご飯は温まってもおかずが温まらず、広まりませんでした[6]。その後、1970年代にはステンレス製の真空断熱ランチジャー、1990年代後期には電子レンジ対応の保温スープジャーが現れます。

アルマイトの次に問題になったのは、持ち運び中の汁もれとずれ、そして時間がたつと冷めることだった。Plenusの展示によれば、1950年代には汁もれ防止のゴム製パッキンつきおかず入れと蓋のずれ止めの留め具が現れ、1960年代半ばには魔法瓶の構造を応用した保温弁当箱が、1970年にはおかずの仕切りと箸入れを備えた中学生向けのブック型弁当箱が出た[6]。ブック型は中学生向けの製品であり、広く使われたとまでは言えない。

1975年の電気式弁当箱は、ご飯は温まったがおかずは温まらず、普及しなかった。電気で温めるという発想自体は正しくても、中身が一様に温まらなければ弁当としては成り立たなかったことになる。以後、1970年代のステンレス製真空断熱ランチジャー、1990年代後期の電子レンジ対応の保温スープジャーと、保温は断熱容器の方向へ進んだ[6]。

こうして見ると、素材と構造の変更の理由は、美しさや決まりではなく、運搬中に起きた具体的な不具合の解消に置かれることが多い。では、箱そのものの形、つまり長方形や楕円形が選ばれてきた理由は、どこまで言えるのだろうか。

6. しかくや まるい かたちには、りゆうが あるの?

6. 長方形と楕円形、形の理由はどこまで言えるか

6. 形の理由 ── 詰めやすさと、資料の限界

いま、おおい べんとうばこは、ながしかくや たまごがたです。

しょうひんを しょうかいする きじでは、ながしかくは すみまで つめやすい、たまごがたは かどが ないので すきまが できにくい、と せつめいされて います[8]。

でも、むかしの ひとが その りゆうで えらんだのか、どうかは、わかって いません。しらべて みたい ところです。

現在の弁当箱で多いのは、長方形と楕円・小判形です。商品紹介の記事では、長方形は角までご飯やおかずを詰めやすく、楕円形は角がないので隙間ができにくい、と説明されています[8]。

ただし、これは今の使い勝手の説明です。長方形や楕円形がいつ、どんな理由で標準になったのかを述べる学術的な資料は、ここで使った範囲では見当たりません。詰めやすいからこの形が選ばれた、と歴史の説明にすることはできないのです。

言えるのは、仕切り、パッキン、保温といった弁当箱の工夫には、どれも「混ざる」「こぼれる」「冷める」という具体的な困りごとがあった、ということです。

現在の弁当箱で多い長方形と楕円・小判形について、商品紹介記事は、長方形は角まで詰めやすく、楕円形は角がなく隙間ができにくいと説明する[8]。これは現在の使い勝手の説明であり、その形が歴史的にどのような理由で標準になったのかは、今回扱った資料からは分からない。「詰めやすいから普及した」と因果を立てることは、資料の範囲を超える。

確かに言えるのは、仕切り(十字の四つ切りと、混ざらない工夫)、素材(竹皮から漆、アルミ、アルマイトへ)、構造(パッキン、保温、仕切り入りのブック型)の変化には、それぞれ運搬中の具体的な不具合が対応している、という点である。形の歴史については、さらに調べる余地が残っている。

おうちの べんとうばこには、どの じだいの くふうが ある?

家の弁当箱に、どの時代の工夫が入っているか探す

家の弁当箱を「困りごとの記録」として読む

今日できること

おうちの べんとうばこや ほぞんようきを 見て みましょう。しきりは ある? ふたの まわりに ゴムは ある? ざいりょうは なにかな。ざいりょうは、ふたの うらや そこに かいて ある ことが あります。

おでかけで できること

おみせの べんとうの はこを 見て、しきりが ある ものと ない ものを くらべて みましょう。

こうしきの 情報じょうほう

はくぶつかんの てんじや、べんとうの れきしの ほんにも、のって います。

今日できること

家にある弁当箱や保存容器を並べて、仕切りの有無、蓋のゴムパッキンの有無、素材(ふたの裏や底に書いてあります)を調べてみましょう。見つけた工夫が、混ざる・こぼれる・冷めるのどの困りごとを解決しているか、考えてみましょう。

出かけてできること

お店の弁当の容器を見て、仕切りで料理が分けられているか、汁がもれにくい工夫があるかを探してみてください。

公式情報

博物館や企業の展示、文化遺産オンラインの解説に、弁当箱の素材の歴史の資料があります。

今日できること

家にある弁当箱や保存容器の仕切り、パッキン、素材表示を調べ、どの不具合への対策かを一つずつ推測してみる。使っている人に、汁もれや料理の混ざりで困ったことがあるか聞いてみる。

出かけてできること

市販の弁当容器を見比べ、仕切りの形や蓋の留め方の違いを観察する。

公式情報

文化遺産オンラインの「アルマイト弁当箱」の解説と、Plenusの「近現代のお弁当箱」の展示を読み、本記事で扱った年代の根拠を確かめてみるとよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

事実関係は観光案内・事典・公的機関・博物館の解説を突き合わせた。松花堂弁当の由来は京阪電車の観光案内の解説にもとづく。

  1. 京阪電車 京都ツウ「弁当の歴史」 https://www.keihan.co.jp/navi/kyoto_tsu/tsu201504.html (花見弁当・松花堂弁当の由来)
  2. 弁当(Wikipedia日本語版) https://ja.wikipedia.org/wiki/弁当 (江戸中期の行楽と竹皮・経木)
  3. 農林水産省「和ごはん」 https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/culture/wagohan/articles/2209/spe9_02.html (弁当の原型・幕の内弁当)
  4. 弁当箱(Wikipedia日本語版) https://ja.wikipedia.org/wiki/弁当箱 (安土桃山時代の漆器の弁当箱)
  5. 和楽(intojapanwaraku)「幕の内弁当」の記事 https://intojapanwaraku.com/rock/gourmet-rock/93855/ (『守貞謾稿』の幕の内)
  6. Plenus「近現代のお弁当箱」展示 https://www.plenus.co.jp/gallery/archives/4.html (アルミ・パッキン・保温・ブック型・電気弁当箱)
  7. 文化遺産オンライン「アルマイト弁当箱」(高岡市立博物館) https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/289589 (アルマイト弁当箱の普及)
  8. マイナビおすすめナビ「弁当箱」の記事 https://osusume.mynavi.jp/articles/12381 (形ごとの詰めやすさの説明)

なおした ところ

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