1. たんじょうびは、だれの ための ひだった?
1. 誕生日はもともと、だれのための日だったのか
1. 王の祝祭と個人の守り神:誕生日はだれの日だったのか
いまから 2200ねんほど まえの エジプトでは、王さまの たんじょうびが、くにじゅうの しんでんで いわわれて いました[1]。たんじょうびは、はじめは 王さまの おまつりだった ようです。
ローマでは、ふつうの 人にも「ゲニウス」という まもり神が いると かんがえられて いました。たんじょうびには、その 神さまの ぞうに はなの かざりを かけて、おいのりを しました[2]。
では、いまの ような ケーキと ろうそくは、いつごろ あらわれたのでしょう。
紀元前196年、エジプトの神官たちが出した布告が、ロゼッタ・ストーンに刻まれています。そこには、王プトレマイオス5世の誕生日と即位の日を、国じゅうの神殿で祝うと書かれています[1]。誕生日を祝った記録の古い例の一つですが、「世界で最初」とまでは言えません。
この祝いは、王のための国の行事でした。いっぽう古代ローマには、ふつうの人にもそれぞれ「ゲニウス」という守り神がいて、誕生日にはその像に花輪をかけ、祈りや誓いをするという考えがあった、と百科事典のWikipediaは説明しています[2]。個人の誕生日を祝う考えは、ローマにもあったことになります。
面白い例もあります。西暦238年、ケンソリヌスというローマの著述家は、自分を支えてくれた人の誕生日の贈り物として、『誕生日について』という本を書いたと伝えられています[3]。後援者の誕生日に贈ったとされる本が、一冊まるごと誕生日の話だったわけです。
では、いまのようにケーキにろうそくを立てるのは、いつごろ始まったのでしょうか。
誕生日を祝った古い記録の一つが、紀元前196年のロゼッタ・ストーンである。刻まれた神官たちの布告には、王プトレマイオス5世の誕生日(メソレ月30日)と即位の日を、エジプト全土の神殿で祝うことが書かれている[1]。ただし、これが世界最古とまでは言えず、あくまで古い例の一つにとどまる。
この段階の誕生日は、王という一人のための国の祝祭である。ところが古代ローマでは事情がちがった。Wikipediaの解説によれば、人にはそれぞれ「ゲニウス」という守り神があるとされ、誕生日にはその像に花輪をかけ、祈りや誓いをして祝った[2]。祝いの対象が、王から一人ひとりへ広がっていたことになる。
その考え方をうかがえる資料が、西暦238年にケンソリヌスが書いた『誕生日について』である。後援者ケレリウスの誕生日に贈ったとされ、誕生や星、暦を論じている[3]。この本の内容は、ケンソリヌスが誕生日をどう考えていたかを知る手がかりになる。
ところが、この流れは一直線ではなかった。初期キリスト教の神学者オリゲネスは、誕生日を祝うことを異教の習わしとして退けた。のちに態度はやわらぎ、中世には貴族が誕生日を祝うようになる[2]。では、ケーキとろうそくはいつ、どこで現れたのか。
2. ケーキに ろうそくを たてたのは、いつごろ?
2. 年の数だけ穴のあいた、1746年のケーキ
2. 1746年のケーキと、1881年に記録されたろうそくを吹き消す習慣
いまから 280ねん ほど まえ、1746ねんの ドイツの ことです。ドイツの ある えらい 人の たんじょうびに、とても 大きな ケーキが つくられました。ケーキには、としの かずだけ あなが あけて あった、と 書かれて います[4]。
ろうそくを たてた ケーキの ふるい きろくの ひとつ、と して よく ひかれます。ただし、これが はじめてだと いう ことでは ありません。
ろうそくを ふき消す ならわしは、1881ねんの スイスの きろくに でて きます[4]。
ケーキが ふつうの 人の ところに とどいたのは、さとうなどが やすく なってから、と いわれて います。
ろうそくを立てた誕生日ケーキの古い記録として、よく引かれるのが1746年のドイツです。Wikipedia「Birthday cake」によると、マリエンボルンという町で、ツィンツェンドルフ伯の誕生日に、オーブンに入るかぎり大きなケーキが焼かれ、年齢の数だけ穴があけられたと書かれています[4]。いまから約280年前の話です。ただし、これが「ろうそくケーキの発明」というわけではなく、記録の一例です。
ろうそくを吹き消す習慣のほうは、1881年のスイスの民俗雑誌に出てきます[4]。ケーキそのものは、古代ローマにも、小麦粉・ナッツ・蜂蜜でつくった丸い菓子が、特別な誕生日や結婚式に出ることがあったといわれます。ただ、それが庶民の手に届くようになったのは、産業革命で砂糖などが安くなってからだと、同じ解説は述べています[4]。
ケーキとろうそくが整ったとして、次に「歌」はどこから来たのでしょうか。
ろうそくを立てた誕生日ケーキの古い記録として引かれるのが、1746年のドイツである。Wikipedia「Birthday cake」によると、マリエンボルンで、ツィンツェンドルフ伯の誕生日に、オーブンで焼ける限りの大きなケーキが作られ、本人の年齢の数だけ穴があけられたと書かれている[4]。2026年から数えて約280年前になる。ただし、これを「ろうそくケーキの発明」と断定することはできず、記録の一例と考えるべきだ。
ろうそくを吹き消す習慣は、1881年のスイスの記録(Folk-Lore Journal)に登場する[4]。一方、ケーキそのものについては、古代ローマに小麦粉・ナッツ・蜂蜜でつくる丸い菓子があり、特別な誕生日や結婚式で出されることがあったとされる[4]。ただし、それは贈り物や記念の菓子であって、現在の誕生日ケーキと同じものとは言いきれない。
では、ケーキが一部の貴族のものでなくなったのはなぜか。資料は、産業革命で砂糖などが安くなり、庶民の手に届くようになったからだと説明する[4]。こうして、年齢の数のろうそくを吹き消す形が広まる条件が整った。残るのは歌である。
3. 「ハッピーバースデー」は、だれが つくった うたなの?
3. 幼稚園の歌が、誕生日の歌になるまで
3. 「Good Morning to All」から「Happy Birthday」へ:1893年・1912年・2016年
1893ねん、アメリカの ヒルさんの きょうだいが、ようちえんの うたの ほんを だしました。その なかの「Good Morning to All」、つまり「みなさん おはよう」という うたの メロディーが、もとだと いわれて います[5]。
むかし、きょうしつで、先生や 子どもたちが、この うたの ことばを たんじょうびの ものに かえて うたった。それが ひろまった はじまりらしい、と いわれて います。ただし、きょうだいが メロディーを つくったのか どうかは、いろいろな いけんが あります。
この うたを じゆうに うたって いいのか、あらそいに なったことも ありました。それは また あとで しらべて みましょう。
1893年、アメリカのヒル姉妹が出した幼稚園向けの歌集『Song Stories for the Kindergarten』に、「Good Morning to All」(みなさん、おはよう)という歌がのっていました。この旋律が、のちの「ハッピーバースデー」の元になったとされます。ただし、姉妹が旋律を作ったという点には異論があります[5]。
「ハッピーバースデー」らしい歌詞が印刷物に出たのは1901年とされ、歌詞と旋律がいっしょに印刷されたのは1912年です[5]。教室で先生や子どもたちが、朝のあいさつの言葉を誕生日向けに替えて歌ったのが広まりの始まりらしい、と説明されています。
やがてこの歌は、著作権をめぐる裁判の的にもなりました。2015年にアメリカの連邦地方裁判所が、会社の著作権の主張は無効と判断し、2016年に和解が成立し、その手続きの中で裁判所が「公有(パブリックドメイン)」と宣言したとされます[5]。これはアメリカの話で、日本での扱いはまた別です。
では、日本の誕生日は、どんなふうに祝われてきたのでしょうか。
「ハッピーバースデー」の旋律の元とされるのが、1893年にパティとミルドレッドのヒル姉妹が出した幼稚園向けの歌集『Song Stories for the Kindergarten』の「Good Morning to All」である。ただし、姉妹が旋律を作ったという主張には異論がある[5]。
誕生日の歌詞が印刷物に初めて現れたのは1901年とされ、歌詞と旋律がそろって印刷されたのは1912年とされる[5]。教室で先生や子どもが朝のあいさつの言葉を替え歌にしたのが広まりの始まりらしい、という説明もある。1893年から1912年まで、約20年の幅があることになる。
この歌は著作権をめぐって争われた。2015年に米連邦地裁が、ワーナー/チャペル社の著作権の主張を無効と判断し、2016年に和解が成立し、その手続きの中で裁判所が公有(パブリックドメイン)と宣言したと、Wikipediaは記す[5]。なお、これは米国での判断で、日本での著作権の扱いは別である。
ここまでは、主に西洋の話である。では、日本では、誕生日はいつ、どのように祝われてきたのか。
4. むかしの 日本では、たんじょうびを どう いわった?
4. 江戸時代の日本では、誕生日をどう祝っていたのか
4. 将軍から庶民まで:江戸時代の誕生日の祝い方
えどじだいの 日本にも、たんじょうびを いわう ならわしが ありました[6]。
しょうぐんの たんじょうびには、まえで おいわいが あり、そこに いた 人に もちや おさけが くばられました。
ふつうの 家では、あかいろの ごはん、せきはんを たいて 神さまに おそなえし、しんるいや おとなりさんと いっしょに ごはんを 食べました。とくに、子どもの たんじょうびを いわったと いいます[6]。
ただし、みんなが まいとし いわったと いう ことでは ありません。
国立歴史民俗博物館の研究には、江戸時代の誕生日の祝い方がまとめられています[6]。将軍の誕生日には御前でお祝いがあり、その場にいた人に餅や酒がふるまわれました。
下級武士や庶民の家では、赤飯を炊いて神に供え、親類や隣の人と食事をともにしました。とくに祝われたのは、子どもの誕生日だったといいます。厄除けの意味で小豆を食べる風習もありました[6]。
ここで大事なのは、記録に出てくるのは「祝いの例」だという点です。全員が毎年祝ったとは限りません。それでも、将軍も庶民も、誕生日に食べ物を用意して人が集まるという形は、似ていたようです。
ところで、江戸の人にとって「年齢」は、いまとは数え方がちがいました。それは誕生日の意味にどうかかわるのでしょうか。
5. ぜんいんが おしょうがつに としを とって いた?
5. みんなが正月に歳をとる時代から、誕生日で歳をとる時代へ
5. 数え年・天長節・満年齢:誕生日が年齢の基準になるまで
むかしの 日本では、生まれた ときが 1さいで、お正月が くる たびに、ぜんいんが 1つ としを とる「かぞえどし」が ふつうでした[8]。
だから、いまの ように「じぶんの たんじょうびが くると 1さい ふえる」わけでは ありません。
めいじの はじめには、天のうの たんじょうびが、くにの おいわいの ひに なりました。1949ねんには、年れいは まんねんれいで いう ように、よびかける ほうりつが できて、1950ねんから つかわれました[8]。
いまの 日本では、たんじょうびが くると 1さい ふえます。
戦前は、生まれた日を1歳とし、正月が来るたびにみんなが一つ歳をとる「数え年」が一般的でした[8]。この数え方だと、年齢は個人の誕生日ではなく、正月で変わります。
いっぽう明治のはじめ、新政府は明治天皇の誕生日を「天長節」という祝日にしました。1873年に新しい暦(新暦)を採り入れたときに、11月3日になったといいます。江戸時代の庶民は天皇の誕生日を祝っていなかったため、天長節は当初なかなか広まらず、参加をうながす布告が出されたそうです[7]。
1949年に公布され、1950年1月1日に施行された「年齢のとなえ方に関する法律」は、満年齢で年齢を言うよう努めることを求め、国や自治体は満年齢で表すと定めました[8]。満年齢は、生まれた日が0歳で、その日を起点に誕生日ごとに一つずつ歳をとる数え方です。こうして、誕生日が年齢の基準になりました。
ところで、こうした長い道すじを知ったいま、身近な誕生日の祝い方はどう見えるでしょうか。
戦前は、生まれた日を1歳とし、正月のたびに全員が一つ歳をとる数え年が一般的だった[8]。この数え方では、年齢が変わる日は個人の誕生日ではなく正月である。
一方、国の祝日としての誕生日はあった。明治のはじめ、新政府は明治天皇の誕生日を「天長節」として祝日にした。明治6年(1873年)の新暦採用で11月3日になる。ただし、江戸時代には庶民が天皇の誕生日を祝う習慣がなかったため、天長節は当初あまり浸透せず、参加をうながす布告が出された[7]。この祝日の経緯は一般向けの記事による。
転機になるのが、1949年公布・1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律」である。国民に満年齢で年齢を言うよう努力を求め、国や自治体は満年齢で表すと定めた。禁止ではなく努力を求める形だった[8]。満年齢は、生まれた日が0歳で、誕生日ごとに1歳ずつ増える。ここで、誕生日が年齢の基準になった。
年齢の数え方の変化と、庶民に洋風の誕生会(ケーキ・ろうそく・歌)が広まった時期とは、別の問いである。
6. おうちの 人に、むかしの たんじょうびを きいて みよう
6. 家の人に、子どものころの誕生日を聞いてみる
6. 家族の聞き取りと、原資料のあたり方
おうちの 人に、「子どものころの たんじょうびは、どうだった?」と きいて みましょう。ケーキは あったか、うたは うたったか、だれが いたか。おうちの 人ごとに、ちがうかも しれません。
おじいさんや おばあさんが いれば、むかしの「かぞえどし」では、じぶんの としを どう いって いたかも きいて みましょう。
きいた ことは、メモに して おくと、あとで くらべられます。
身近な人に、子どものころの誕生日の思い出を聞いてみましょう。ケーキはあったか、歌ったか、だれが来たか。祝い方は、家や時代によってちがうはずです。
祖父母に聞けるなら、数え年のころは自分の年齢をどう言っていたかも尋ねてみてください。日本の庶民に洋風の誕生会がいつ広まったのかは、この記事では扱っていません。こうした聞き取りが、そのまま小さな調べものになります。
聞いたことは、年代と一緒にメモしておくと、あとで他の人の話と並べられます。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
事実関係は、複数の資料の記述を比べてまとめました。年・数値は、出典の記述に基づきます。
- Fordham University, Ancient History Sourcebook「Rosetta Stone translation」 https://sourcebooks.web.fordham.edu/ancient/rosetta-stone-translation.asp (王の誕生日の祝い)
- Wikipedia「Birthday」 https://en.wikipedia.org/wiki/Birthday (ゲニウス、初期キリスト教の態度)
- Wikipedia「Censorinus」 https://en.wikipedia.org/wiki/Censorinus (『誕生日について』)
- Wikipedia「Birthday cake」 https://en.wikipedia.org/wiki/Birthday_cake (ケーキ、ろうそく)
- Wikipedia「Happy Birthday to You」 https://en.wikipedia.org/wiki/Happy_Birthday_to_You (歌の由来、公有の判断)
- 国立歴史民俗博物館 論文「近世における誕生日 ― 将軍から庶民まで」 https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/1571 (江戸時代の祝い方)
- 文春オンライン「天皇誕生日の歴史」 https://bunshun.jp/articles/-/43617 (天長節)
- 立命館大学アーカイブ(コラム) https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=326 (数え年と満年齢)
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