このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

こくばんは、だれの じゅぎょうで つかわれ はじめたの?

教室の黒板は、いつ、どんな授業で使われ始めたのか

黒板は、いつから授業の道具になったのか ── 16世紀の欧州から1872年の日本まで

分野:歴史・文化

アメリカで きろくに のこる さいしょの こくばんの じゅぎょうは、1801ねんの 陸軍りくぐんの がっこうの 数学者すうがくしゃの じゅぎょうだと いわれます。

どうして、おおきな いたに ずを かく ほうほうが うまれたのでしょう。この ページでは、こくばんが ひろがった みちすじと、にほんに きた ときの ことが わかります。

アメリカで記録に残る最初の黒板の授業は、1801年、陸軍の士官学校で数学者が行ったものとされます。教室の定番に見える黒板が、生徒に図形を教える場から広がったというのは、意外な話です。

では、なぜ大きな板に書く教え方が生まれ、どうやって日本の教室に届いたのでしょうか。この記事を読むと、黒板が「大勢に同じ図を一度に見せる道具」として広がった道すじと、1872年の日本への導入が分かります。

米国で記録に残る最初の黒板へのチョーク使用は、1801年9月21日、ウエスト・ポイント士官学校の数学教師によるものとされる[2]。ただし黒板そのものは16世紀の欧州ですでに使われており[1]、起源を一人の発明者に絞れる話ではない。

では、黒板はなぜ19世紀に必須の教具となったのか。このメモを読むと、欧州・米国・日本のそれぞれで黒板が何のために使われ、どう扱いが変わったかが分かる。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. うしろの せきの 子にも、おなじ ずを みせるには

1. 後ろの席の人にも、同じ図を見せるには

1. 板に書くと、何が見えるようになるのか

せんせいが、さんかくの ずを かいて、「ここが ポイントです」と はなします。うしろの せきの 子にも、おなじ ずが みえます。

もし、せんせいが 子どもたちの ノートを 1さつずつ まわって かいたら、どうでしょう。じかんが かかって、ほかの 子は まって いる ことに なります。

おおきな いたに かけば、みんなが いちどに おなじ ものを みられます。この ほうほうは、いつ、どこで はじまったのでしょう。

全員が同じ図を見る

先生が三角形の図を描いて、説明を始めます。後ろの席の人にも、同じ図が見えます。当たり前のようですが、もし先生が生徒一人ひとりのノートをまわって描いて見せたら、授業はずいぶん時間がかかります。

黒板に書かれたものは、頭の中の考えの進み方を目に見えるようにするものと、19世紀のアメリカの教育では考えられてきたと報告されています[4]。順を追って問題を解く様子を、大勢の前で示すためです。

この道具はどこで生まれたのか

では、大きな板に書いて見せるという方法は、いつ、どこで広まったのでしょうか。

黒板の働きは、教師が頭の中で組み立てた考えを、板の上に順に書くことで、学習者の全員に同時に見せることにある。黒板上の記述は「mental processes visible(思考の過程を目に見えるものにする)」ものだと、19世紀の米国の教育では考えられてきたと、教育史の論文は紹介している[4]。

この使い方が生きたのは、図形の作図や問題の解き方のように、手順を順に示す授業だった。同じ内容を一人ずつに見せる手間を、板1枚で済ませられたからである。

では、この「板に書いて大勢に見せる」やり方は、いつ、どこで広まったのか。起源の記述は資料で食いちがうため、まず確かな古い使用例から順に見ていく。

2. むかしの おおきな いたは、おんがくの じゅぎょうでも つかわれた

2. 16世紀の欧州では、音楽の授業に大きな板があった

2. 16世紀の欧州:使われていたのに、必須ではなかった

おおきな いたに かいて おしえる ほうほうは、16せいきの ヨーロッパに あったと いわれます[1]。おんがくの じゅぎょうでも つかわれたそうです[2]。

でも、そのころは、どの がっこうにも ある ものでは ありませんでした。

がっこうに なくては ならない どうぐに なったのは、19せいき いごだと されて います[1]。ずっと あとの ことです。

16世紀にはもう板があった

教育のための大きな黒板は、16世紀のヨーロッパに現れ、音楽の指導にも使われたと説明する資料があります[2]。日本の百科事典も、16世紀のヨーロッパで使われ始めたと述べています[1]。

必須の道具になったのは19世紀以後

ところが、どの学校にも欠かせない教具として認められたのは、19世紀以後だと同じ百科事典は説明しています[1]。使われ始めてから、必須になるまでに、およそ300年の開きがあります。

その開きの間に、何が起きたのでしょうか。手がかりは、ある学校の数学の授業にあります。

教育用の大きな黒板は16世紀の欧州に現れ、音楽の指導にも用いられたとされる[2]。日本の百科事典も、16世紀の欧州で使われ始めたとする[1]。ところが、教具として必須の位置を占めたのは19世紀以後だという[1]。

使い始めから必須になるまで、およそ300年かかった計算になる(16世紀の初めから19世紀の初めまでを単純に数えた概数)。次に見る19世紀初めの士官学校の事例は、黒板が「授業の中心に置かれる道具」へ変わった場面として注目されている。

では、その士官学校で、黒板はどう使われたのか。

3. りくぐんの がっこうで、ずけいの じゅぎょうに つかわれた

3. 士官学校の幾何学の授業で、黒板が主役になった

3. パリの図形教育は、ウエスト・ポイントの黒板授業に影響したのか

1801ねん9がつ21にち、アメリカの 陸軍りくぐんの がっこう、ウエスト・ポイントで、数学者すうがくしゃの バロンが、いたに チョークで かきました。きろくに のこる、さいしょの つかいかただと いわれます[2]。

そのあと、クローゼと いう 人も、こくばんを じゅぎょうで つかったと いわれます[2]。

フランスの パリの がっこうでも、モンジュという せんせいが、図形ずけいの かきかたの じゅぎょうに こくばんを つかったと いわれます[3]。

ずけいは、ことばだけでは つたわりにくい ものです。いたに かいて みせる ほうが、わかりやすかったのでしょう。

1801年9月21日、ウエスト・ポイントで

アメリカで、黒板にチョークで書いたと記録に残る最初の例は、1801年9月21日です。アメリカ陸軍の士官学校ウエスト・ポイントで、数学者のジョージ・バロンが使ったとされます[2]。その後、クローゼも黒板を授業で使ったと説明されています[2]。

パリの理工系の学校との関係

フランスでは、革命のあとのパリにあるエコール・ポリテクニークで、教授のモンジュが画法幾何学の授業に黒板を活用したと日本語版のウィキペディアは説明します[3]。画法幾何学は、立体を紙の上の図で正確に表す方法で、城の設計などに必要とされた学問です。

教育史の論文は、ウエスト・ポイントの黒板は、フランスのやり方、とくにこの学校から取り入れられた可能性が高いと述べています[4]。

だれが発明したのかは、はっきりしない

ここで注意したいのは、年や人物が資料によってずれることです。日本語版のウィキペディアは、クローゼが1820年ごろに導入したと書きます[3]。モンジュについても、起源は不明確だとする研究があります。「この人が発明した」とは言い切れず、「図形や数学を教える学校で使い方が整っていった」という道すじで読むのが安全です。

図形や数式は、言葉だけだと伝わりにくいものです。目で見える形で示せる板が合っていた、と考えられます。

米国で黒板にチョークで書いた最初の記録は、1801年9月21日、ウエスト・ポイントの数学者ジョージ・バロンによるものとされる[2]。その後クローゼも黒板を授業で使ったと説明される[2]。日本語版ウィキペディアは「1820年頃にクローゼが導入」と書き、時期は資料で食いちがう[3]。

この黒板授業の背景として、フランス革命後のパリのエコール・ポリテクニークで、教授ガスパール・モンジュが画法幾何学の教育に黒板を活用した例がある[3]。画法幾何学は、立体を平面の図で正確に表す方法で、築城などの設計に用いられた。ウエスト・ポイントの黒板は、フランス、とくにこの学校の実践から取り入れられたと考えられる、と教育史の論文は述べる[4]。

ここで、誰が発明したかを一人に決めることはできない。起源は不明確とする研究があり、年や人物も資料でずれる。したがって、黒板は「ある日ある人が発明した」のではなく、図形のように、言葉だけでは伝わりにくい内容を教える学校で、使い方が整っていったものと読むのが無理が少ない。

では、同じころ、図形以外の授業にも黒板は広がったのか。

4. ちりの じゅぎょうで つかわれた、いろの チョーク

4. 地理の授業で使われた色チョーク:スコットランドの校長

4. ピランズの地理授業と色チョーク:「黒板の発明者」とは言えない理由

イギリスの スコットランドの がっこうでは、ピランズという 校長せんせいが、ちりの じゅぎょうに こくばんを つかいました[5]。

この せんせいは、いろの ついた チョークを かんがえた 人と いわれます。ちずの かわや くにを、いろで わけて かけば、うしろの せきでも みわけやすく なります。

ただし、こくばんを つくった 人とは いえません。いろの チョークの ほうが、ただしい いいかたです[5]。

地理の授業に、黒板と色チョーク

スコットランドのエディンバラの学校の校長だったジェームズ・ピランズ(1778〜1864年)は、地理の授業に黒板とチョークを使ったことで知られます[5]。1814年の手紙が、ジェレミー・ベンサムの本『Chrestomathia』(1815年)に載り、黒板とチョークで地理を教える様子に触れています[5]。

ピランズは、色チョークの考案者とされています。地図の川や国を色で分けて書けば、離れた席からも区別しやすくなります。

「黒板の発明者」とは書けない

ただし、ピランズを黒板の発明者とするのは不正確です。資料でも、色チョークの発明者と書くほうが正確だと説明されています[5]。数学の授業だけでなく、地理でも、板に書いて全員に見せる授業が行われていたことが分かります。

スコットランドのエディンバラの旧ハイスクールの校長ジェームズ・ピランズ(1778〜1864)は、地理の授業に黒板とチョークを使い、色チョークの考案者とされる[5]。1814年の書簡が、ジェレミー・ベンサムの『Chrestomathia』(1815)に載り、黒板とチョークによる地理の教育に触れている[5]。

地図の川や国境を色で書き分けると、離れた席でも区別できる。したがって色チョークは、「大勢に同時に見せる」という黒板の性格を、さらに強める工夫だったと読める。ただし、これは資料の記述から筆者が整理した解釈であり、ピランズ自身の意図を直接述べた資料はない。

また、ピランズを黒板の発明者とするのは誤りである。英語版ウィキペディアも、黒板の発明者よりも色チョークの発明者のほうが正確だと述べている[5]。教育用の黒板が16世紀に先行している[1]以上、「誰が発明したか」という問い自体が、資料に合わない可能性がある。

では、こうして欧州と米国で広がった黒板は、日本にいつ来たのか。

5. 1872ねん、にほんの きょうしつに こくばんが きた

5. 1872年、アメリカ人教師が日本に黒板を持ち込んだ

5. 1872年の導入:スコットと、日本で作られた初期の黒板

1872ねん(明治めいじ5ねん)に、アメリカじんの スコットせんせいが、こくばんを にほんに もって きたと いわれます[1]。

さいしょの こくさんの こくばんは、きの いたに 墨すみを ぬって つくったと いう せつも あります[6]。いしの いたは おもくて、はこぶのが たいへんだったから、という せつめいも あります。

1872年、スコットが持ち込んだ

日本に黒板が入ったのは、1872年(明治5年)とされています。大学南校の教師だったアメリカ人のスコットが、アメリカから導入したと日本大百科全書は説明します[1]。

ただし、世界大百科事典は、同じ年に創設された東京師範学校で、外国人教師のスコットがアメリカから取り寄せたと説明していて、学校名が食いちがいます[1]。この記事では、学校名は決めずに「1872年にアメリカ人教師スコットが持ち込んだ」までにとどめます。

最初の黒板は、木の板だったともいわれる

日本で作られた初期の黒板は、木の板に墨汁を塗り、柿渋や漆で仕上げたものだったという説明があります[6]。石の板は重く、輸入が難しかったので、石の黒板は少なかったという説明もあります。ただし、理由は資料だけでははっきりしません。

この黒板は、教室でどう使われていったのでしょうか。

日本大百科全書は、1872年(明治5)、大学南校の教師スコット(Marion M. Scott、1843〜1922)がアメリカから黒板を導入したと説明する[1]。大学南校は東京大学の前身の一つである。ところが世界大百科事典は、1872年創設の東京師範学校で外国人教師スコットが取り寄せたと説明し、学校名が食いちがう[1]。本稿は学校名を決めず、「1872年にアメリカ人教師が持ち込んだ」までを事実として扱う。

日本で作られた初期の黒板は、木の板に墨汁を塗り、柿渋や漆で上塗りしたものだったとされる[6]。石の板は重く、輸入が難しかったので石の黒板は少なかった、という説明もある。ただし、石の黒板が少なかった理由は、資料だけでははっきりしない。

ここで、日本の学校で黒板が先行していたかも問われる。日本語版ウィキペディアは、藩校や寺子屋で、朱漆や黄漆を塗った小さな板(塗板)が使われていたと書く[3]。しかし、その大きさや使い方は資料で確認できないため、黒板の前身と決めつけることはできない。

では、日本の教室に来た黒板は、誰が使う板だったのか。

6. せんせいだけの いたから、みんなの いたへ

6. 先生だけの道具から、子どもにも開かれた板へ

6. 一斉教授の道具から、子どもに開かれた板へ(1920年代)

にほんで こくばんは、さいしょ、せんせいだけが つかう どうぐでした[1]。みんなで おなじ ことを いちどに まなぶ じゅぎょうの、まんなかに ありました。

1920ねんだいに なると、あたらしい きょういくの うごきも あって、すこしずつ、子どもたちも こくばんに かけるように なって きました[1]。

いま、みなさんが こくばんの まえで こたえを かいたり、ずを かいたり するのは、その ながれの さきに あります。

黒板は、最初は先生の専用だった

日本の黒板は、一度に大勢に教える一斉教授の授業で、中心になる教具として始まりました。最初は教師専用の道具でした[1]。

ただし、一斉教授という教え方が黒板から生まれたわけではありません。黒板は、すでにあった一斉授業に使われた道具です。

1920年代から、子どもにも開かれた

1920年代の新教育運動などもあって、黒板はしだいに子どもにも開かれていったと説明されています[1]。先生が書いて見せる板から、子どもが前に出て書き、考えを見せる板にも変わっていったことになります。

では、いまの黒板は、どう作られているのでしょうか。

日本の黒板は、一斉教授法の授業のもとで、中心的な教具かつ教師専用の物として始まった[1]。ここで注意したいのは、因果の向きである。一斉教授は黒板が生んだ教え方ではなく、すでにあった一斉授業に黒板が用いられた、という関係にある。

1920年代の新教育運動などもあり、黒板はしだいに子どもにも開放されていったと説明される[1]。これは、黒板が教師の説明を見せる板から、子どもが考えを書き、ほかの子に見せる板にもなったことを意味する。ただし、日本で一斉教授と黒板がなぜ強く結びついたのか(学制や小学教則との関係)は、手元の資料では説明が足りず、本稿は因果を述べない。

では、現在の黒板は、どう作られ、記念日にはどう記憶されているのか。

7. じぶんの きょうしつの こくばんを みて みよう

7. 自分の教室の黒板を観察してみる

7. 現代の黒板づくりと、5月9日の「黒板の日」

いまの こくばんは、いたの うらに てつの いたを はった ものも あります。ある かがわけんの 会社では、みがいた いたに てつの いたを はり、きの わくを くみ、プレスきで まる1にち かけて くっつけます。ぜんたいで 2〜3にち かかると いいます[7]。ただし、これは 1つの 会社の れいで、どの こくばんも この つくりとは かぎりません。

5がつ9かは「こくばんの 記念日きねんび」です。1872ねんに、はじめて こくばんが にほんに きた ことと、「こ(5)く(9)ばん」の ごろあわせから、きめられました[6]。

じぶんの きょうしつの こくばんを、よく みて みましょう。わくは なにで できて いますか。さわると、どんな かんじですか。マグネットは くっつきますか(くっつくなら、てつの いたが はいって いるのかもしれません)。

くっつくか どうかは、おうちの 人や せんせいに ことわって、じぶんの きょうしつで ためして みて ください。

いまの黒板は、どう作られているか

香川県の黒板メーカーの一例では、研磨したベニヤ板に鉄板を貼り、補強の木枠を組み、プレス機で丸1日かけて接合し、アルミ枠を付けて仕上げます。全体で2〜3日かかると、地元のニュースが紹介しています[7]。1社の例なので、どの黒板もこの作りとは限りません。

5月9日は「黒板の日」

5月9日は、全国黒板工業連盟が2000年7月に制定した「黒板の日」です。「こ(5)く(9)ばん」の語呂合わせと、明治5年の初輸入にちなむとされます[6]。

自分の教室の黒板を観察する

自分の教室の黒板を、じっくり見てみましょう。枠は何でできていますか。表面はなめらかですか。教室の許可を得て、マグネットが付くか試すと、鉄板が入っているかのヒントになります。

黒板の端や下のほうに、古い跡や補修のあとが残っていないでしょうか。学校の黒板がいつ設置されたものか、先生に聞いてみるのもよさそうです。

現代の黒板づくりの一例として、香川県のいわま黒板製作所では、研磨したベニヤ板に鉄板を貼り、補強用の木枠を組み、プレス機で丸1日かけて接合し、アルミ枠を付けて仕上げる。全体で2〜3日かかる[7]。1社の例であり、どの黒板もこの作りとは限らない。

5月9日は、全国黒板工業連盟が2000年7月に制定した「黒板の日」である。語呂合わせ「こ(5)く(9)ばん」と、明治5年(1872年)の初輸入が由来とされる[6]。このメモの「1872年」は、この記念日が根拠としている年でもある。

観察の道すじとして、自分の学校の黒板の枠・表面・マグネットの付き方を確かめるとよい。マグネットが付く黒板には、鉄板が入っている可能性がある。ただし試すときは、学校の許可を得ること。

自分の学校の黒板がいつ設置されたものかを、先生に尋ねてみるのもよい。古い黒板と新しい黒板で、枠や表面の作りがどう違うかを比べると、道具が少しずつ変わってきたことが実感できるだろう。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文は、ここにある資料の内容を、自分の言葉で言いかえたものです。年・人名・名称は、資料によって細部が異なることがあります。

  1. 日本大百科全書(ニッポニカ)・改訂新版 世界大百科事典「黒板」(コトバンク) https://kotobank.jp/word/%E9%BB%92%E6%9D%BF-499732 (日本への導入、教師専用から子どもへの開放、16世紀の欧州)
  2. Wikipedia(英語版)「Blackboard」 https://en.wikipedia.org/wiki/Blackboard (16世紀の欧州、ウエスト・ポイントでの使用)
  3. Wikipedia(日本語版)「黒板」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9D%BF (モンジュの画法幾何学の授業、塗板)
  4. History of Education Quarterly, An Officer and a Scholar: Nineteenth-Century West Point and the Invention of the Blackboard Cambridge Core (ウエスト・ポイントの黒板とフランスの影響)
  5. Wikipedia(英語版)「James Pillans」 https://en.wikipedia.org/wiki/James_Pillans (ピランズと色チョーク)
  6. 記念日協会系カレンダー「黒板の日」 https://www.bestcalendar.jp/dates/kinenbi/2266 (黒板の日の由来、初期の国産黒板)
  7. KSB瀬戸内海放送ニュース(2026年9月10日) https://news.ksb.co.jp/article/16877891 (現代の黒板づくりの一例)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。
  •  中学生向けの題名を、日常の疑問が先に来る形に見直した。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。