2. そのころの 女学生は、なにを きていた?
2. 袴の女学生と、体操のじゃまになる和服
2. 女袴から洋装制服へ ── 体操教育という要請
いまから 100ねんほど まえの 女学生は、袴を はいて いました。むらさきや えびちゃ色の、スカートのような 形の ものです[3]。
そこへ、女の子の 学校でも 体そうを ならう ことに なります。着物で 体を うごかすのは、たいへんです。
そこで、うごきやすい ようふくの 制服が、すこしずつ ひろがって いきました[3]。
3. さいしょに きた 学校は、どこ?
3. 京都・名古屋・福岡 ── 1920〜21年の採用
3. 平安女学院・金城学院・福岡女学院の採用(1920〜21年)
セーラーふくを とりいれた 学校は、1920ねんから 1921ねんに かけて、いくつか あります。
京都の 学校は、1920ねんに えりの ついた ワンピースの ふくを さいようしました[4]。名古屋の 学校は 1921ねんの 9がつに セーラーふくを 制服に しました[6]。福岡の 学校は 1921ねんの 12がつです[5]。
ほかにも、神奈川の 学校が 1921ねんの 11がつと いう せつめいも あります[4]。
京都の平安女学院は、1920年(大正9)にセーラー襟の洋装制服を採用しました。濃い色のワンピース型で、腰をベルトで締める形です。制服メーカーのトンボの2007年の調査で、1920年11月とわかったと紹介されています[4]。
名古屋の金城学院は、1920年4月に「洋服で登校を」という方針に変わり、1921年9月にセーラー服の着用を義務にしました。襟には白い線が3本入っていたそうです[6]。
福岡女学院は1921年12月に採用しました[5]。近年の調査では、金城のほうが福岡より約3か月早いと報じられています[6]。
平安女学院(京都)は1920年(大正9)にセーラー襟の洋装制服を採用した。濃色のワンピース型で、腰をベルトで締めた。2007年のトンボの調査で1920年11月と確認され、従来の通説(福岡)より1年早いとされた[4]。なお、この採用月は二次資料に基づく。
金城学院(名古屋)は1920年4月に「洋服で登校を」という方針に転じ、宣教師ローガン氏の娘の水兵風の服を参考にしたとされる、襟に白線3本のセーラー服を、1921年9月に制服として着用義務化した。刑部芳則(おさかべよしのり)の調査で、福岡より約3か月早い最古の例と報じられた[6]。
福岡女学院は1921年(大正10)12月に採用した[5]。この年の11月に神奈川のフェリス和英女学校が採用したという整理もある[4]。
4. 福岡の 校長先生は、どう つくった?
4. 校長が1年余り研究し、仕立屋が8回試作した福岡女学院
4. 福岡女学院の制服づくり ── 研究1年余りと8回の試作
福岡の 学校の 校長先生は、エリザベス・リーさんと いいます。いろいろな くにの 女学生の ふくそうを、1ねん いじょう しらべました[5]。
そして、じぶんが きて いた セーラーふくを おてほんに しました。つくった のは、まちの したてやさんです。なんども つくりなおして、8かいめで やっと できあがりました[5]。
この ふくは、うえと したが べつべつでした。むねに いかりの ししゅうが あり、スカートには ひだが あります。体そうが しやすい ふくです[3][5]。
5. 「にほんで はじめて」は、ひとつ?
5. 「日本初」がひとつに決まらないわけ
5. 「最初」は定義で変わる ── 説の整理
さいしょの 学校は、京都と いう せつ、名古屋と いう せつ、神奈川と いう せつ、福岡と いう せつに わかれます[4]。
どうして わかれるのでしょう。「セーラーふく」と よぶ ものが、ちがうからです。えりの ついた ワンピースを セーラーふくと よぶか、うえと したが 分かれた ものを よぶかで、こたえが かわります。
だから、「日本で さいしょ」の 学校を ひとつに きめるのは、むずかしいのです。
6. じぶんの 学校の ふくは?
6. 自分でも調べてみたくなったら
6. 自分でも調べてみたくなったら
今日できること
じぶんの 学校の 制服や たいそうふくを、じっと 見てみましょう。えりや ボタン、しるしは、どんな 形でしょうか。おうちの 人に、むかし きた ふくの ことを 聞くのも いい 方ほうです。
学校の 図書室に、学校の 歴史の 本が あるか、先生に 聞いてみるのも たのしいです。
今日できること
自分の学校の制服や体操服が、いつ、どんな理由で今の形になったのかを、先生や先輩に聞いてみましょう。学校の歴史の本や記念誌があれば、そこに書いてあるかもしれません。
出かけてできること
地域の図書館に、その町の学校の歴史の本があるか、司書さんに聞いてみると、見つかることがあります。
公式情報
福岡女学院のウェブサイトには、制服の歴史が説明されています[5]。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
2026年9月29日に確認。各項目の用途を添えています。
- トンボ 制服資料館 ファッション豆知識 #3 https://www.tombow.gr.jp/uniform_museum/pocket/03.html (1857年の海軍のデザイン、導入の背景)
- 乗りものニュース https://trafficnews.jp/post/135777 (子ども服としての広まり)
- トンボ 制服資料館 日本の学ぶスタイルの変遷(明治・大正) https://www.tombow.gr.jp/uniform_museum/style/style03.html (袴から洋装制服へ、上下セパレート型)
- J-CAST ニュース(2017年) https://www.j-cast.com/2017/01/22288560.html?p=all (平安女学院の採用、「最初」の説の整理)
- 福岡女学院 制服・伝統行事 https://www0.fukujo.ac.jp/uniform/ (福岡女学院の制服づくり)
- CBCマガジン https://hicbc.com/magazine/article/?id=news-ronsetsu-post-2654 (金城学院の採用の経緯)
- 昭和館デジタルアーカイブ https://search.showakan.go.jp/search/book/detail.php?material_cord=000068109 (刑部芳則『セーラー服の誕生』の書誌)
なおした ところ
更新履歴
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