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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

学校で 筆の 字を 習うのは、何の ためなの?

小学校の習字(書写)で毛筆を使うのは、何のためでしょうか

小学校の毛筆書写は何のためにあるのか:学習指導要領の位置づけと、手習い・習字・書写の移り変わり

分野:歴史・文化

学校で 筆を 使う 時間は、「筆で きれいな 字を 書けるように なるため」だと 思って いませんか。じつは、ねらいは そこだけでは ありません。

筆の 字は、ふだんの 鉛筆えんぴつの 字を よくする ための 練習だと、国の きまりに 書かれて います。どういう ことでしょう。この ページを 読むと、そのわけと、昔の 習字との ちがいが 分かります。

小学校で筆を使う時間は、筆で上手に書けるようになるためだけにあるわけではありません。国の学習指導要領は、毛筆の指導を、ふだん使う鉛筆などの字(硬筆)の力の基礎を養うものとして位置づけています[1]。

では、毛筆の練習が、なぜ鉛筆の字の土台になるのでしょうか。昔の習字は、いまと同じ役目だったのでしょうか。この記事を読むと、江戸の手習いから明治の習字、昭和の「書写」まで、毛筆の授業の目的がどう言い表されてきたかが分かります。

小学校の毛筆書写について、学習指導要領(国語)は、毛筆を使う書写の指導を「硬筆による書写の能力の基礎を養う」ものと定めている[1]。筆そのものの上達が最終目標、という書き方ではない。

では、この位置づけはいつ、どういう経緯で形づくられたのか。明治初期の「習字」、昭和26年(1951)ごろの手引き、1958年の「書写」への改称を比べると、毛筆の目的の言い表し方がどう変わり、何が引き継がれたかが分かる。

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1. 筆の 字は、えんぴつの 字の ための 練習

1. 毛筆は、鉛筆の字の土台として習う

1. 学習指導要領の規定:毛筆は硬筆の基礎を養うための指導

まず、国の きまりを 見て みましょう。小学校の 国語では、えんぴつなどで 書く 書写は、どの 学年でも 行います[1]。

筆で 書く 書写は、3年生から です。1年に 30時間くらいが めやすと されて います[1]。そして、筆の じゅぎょうは、えんぴつの 字を 書く 力の 土台を つくるように 行う、と 書かれて います[1]。

つまり、筆で 書くのは、ふだんの ノートや 手紙の 字を、正しく 読みやすく 書くための 練習でもあるのです。

では、この 考え方は、いつ ごろから あったのでしょうか。

国の決まりに書かれていること

文部科学省が公開している小学校学習指導要領(平成20年改訂版)の国語では、鉛筆などで書く硬筆の書写は各学年で、筆で書く毛筆の書写は第3学年以上の各学年で行うとされています。毛筆を使う書写には、各学年で年間30単位時間程度が配当されています[1]。

そのうえで、毛筆の指導は「硬筆による書写の能力の基礎を養う」ように行う、と書かれています[1]。毛筆は、それだけで独立した目標を持つというより、ふだんの鉛筆の字につながる練習として置かれているのです。

この考え方は新しいのか

「筆は鉛筆の字のため」という考え方は、最近できたものなのでしょうか。じつは、70年以上前の手引きにも、よく似た説明が見つかります。

文部科学省が公開する小学校学習指導要領(国語)の書写は、硬筆を使う書写を各学年で、毛筆を使う書写を第3学年以上の各学年で行うと定める。毛筆を使う書写には、各学年で年間30単位時間程度が配当されている[1]。筆で字を書く授業には、鉛筆などで書く力の基礎を養う役割もある。学習指導要領は、毛筆の指導を「硬筆による書写の能力の基礎を養う」よう行うものと位置づけている[1]。

つまり、毛筆は、筆の技術を磨くこと自体を最終目標とするのではなく、日常で圧倒的に使う鉛筆などの字へつなげる位置にある。だから、筆で確かめた、とめ・はね・はらいを、鉛筆で書くときにも生かすことが期待されている、と読める。

なお、本稿が条文を読んだのは、公開されている平成20年改訂版の本文である。のちの改訂版にも同趣旨の規定があるとされるが、本稿では平成20年版の範囲で書く。

では、この「毛筆は硬筆のために」という考え方は、現行の改訂で初めて出てきたのか。昭和26年(1951)ごろの手引きに、すでによく似た説明がある。

2. 70年いじょう 前の 手引きにも 同じ 考えが あった

2. 昭和26年ごろの手引きも、鉛筆に慣れた子が筆を使うと考えていた

2. 昭和26年(1951)ごろの手引き:鉛筆に慣れた児童が、毛筆で書く技能を学ぶ

70年いじょう 前、昭和26年(1951年)ごろの「習字」の 手引きが あります。そこでは、えんぴつに なれた 子どもが、筆で さらに 字を 上手に 書く ぎじゅつを 学ぶ、と 考えて いました[2]。

筆の よい ところを いかして、書く 力を 身に つけさせる。それが ねらいだと、書かれて います[2]。

この 手引きは、もう ひとつ、おもしろい ことを 言って います。筆の 勉強で、気もちを 集中する、仕事を 丁ねいに すすめる、物を 大切に する、身の まわりを きれいに する、という 力や 気もちも そだつ、と いうのです[2]。

この ころの じゅぎょうは「習字」でした。いまの 名前は 「書写」ですね。いつ かわったのでしょう。

鉛筆に慣れた子が、筆を使う理由

国立教育政策研究所が公開している、昭和26年(1951)ごろの習字の手引きがあります。ページに年の記載はなく、昭和26年というのはアドレスからの推定です。この手引きは、習字の目標を「用具としての毛筆の長所を生かして、書くことの効果的な技能を身につけさせること」と書いています[2]。鉛筆に慣れた子どもが、毛筆でさらに文字を効果的に書く技術を学ぶ、という位置づけです。

いまの「硬筆の基礎」とは言い方が少し違います。それでも、鉛筆の字と筆の字を別のものとは見ず、つなげて考えている点は同じです。

字のほかに育つとされた力

この手引きは、毛筆の学習で精神を集中する、仕事を周到に進める、物をたいせつにする、身のまわりを整理して清潔を保つ、といった生活の力や態度も築かれると述べています[2]。筆と墨と紙を準備して、片づけるまでが授業の一部だった、と考えると想像しやすいでしょう。

名前は「習字」から「書写」へ

書字教育の科目名の移り変わりをまとめた資料によると、1951年は「書き方・習字」、そして1958年(昭和33年)の学習指導要領で、国語科の「書写」になったとされています[3]。同じ「毛筆」でも、呼び名は時代で変わってきました。では、その前の「習字」は、どんな科目として始まったのでしょうか。

国立教育政策研究所が公開する習字の手引き(第五章)は、習字の目標を「用具としての毛筆の長所を生かして、書くことの効果的な技能を身につけさせること」と述べる[2]。ページに年の記載はなく、昭和26年(1951)ごろという時期はURLからの推定である。この手引きは、鉛筆に慣れた児童が、毛筆によってさらに文字を効果的に書く技術を学ぶ、と位置づけている[2]。

平成20年版の「硬筆の基礎」とは語が異なるが、鉛筆の字と筆の字を連続したものと見る点は共通している。毛筆に特有の長所(線の太さの変化が見えやすいことなど)を使って、書く技能そのものを高める、という筋道である。

同じ手引きは、毛筆の学習を通じて、精神を集中する・仕事を周到に進める・物をたいせつにする・身辺を整理して清潔を保つといった生活の能力や態度が築かれる、とも述べる[2]。字の技術だけでなく、準備と片づけまで含めた学びの姿勢を期待していたことが分かる。

科目名の変遷をまとめた資料によれば、1900年に国語科の「書キ方」、1947年に「書きかた」(硬筆)、1951年に「書き方・習字」となり、1958年(昭和33年)の学習指導要領で国語科の「書写」に至ったとされる[3]。名前が変わるたびに、習字は何をする科目だったのか。その出発点は明治初期にある。

3. 明治めいじの「習字」は、いちばん 下の 級の 科目だった

3. 明治5年の小学教則では、習字は最下級の科目だった

3. 明治5年(1872)の小学教則:最下級に置かれた「習字」と、字形・運筆の指導

明治めいじの はじめ、日本に 学校の しくみが できました。その 1か月 あとの 1872年9月に、小学校の 教え方を 決めた きまりが 出ました[4]。

いちばん 下の 級の 第八級に、「習字」が あります。手習いの 本を 使って、ひらがなと かたかなを 教える、と 書かれて います。しかも、字の 形と、筆の はこびかたを 中心に する、とも あります[4]。

つぎの 第七級では、漢字の かいしょ(きちんとした 書き方)に すすみます[4]。習字は、学校で 字を 書く ことを はじめる 科目だったのです。

では、学校が できる 前の 子どもたちは、どこで 字を 習っていたのでしょう。

学制の翌月に出された教え方のきまり

国立公文書館が公開している「中学教則略并小学教則」は、明治5年(1872)に出されたものです。学制の翌月の1872年9月のことでした[4]。

最も下の級にあたる第八級に、「習字」が置かれています。手習い草紙や習字本などを使って平仮名と片仮名を教え、字の形と筆の運びを中心にして、訓読は教えなくてよい、という趣旨です[4]。第七級になると、漢字の楷書に進みます[4]。

寺子屋や藩校とは別の、新しい仕組み

同じ資料の解説によると、この教則は、江戸時代までの寺子屋や各藩の藩校とは異なり、欧米の教育課程を手本にして作られました。習字は、単語読方や洋法算術などと並ぶ科目の一つとして置かれたのです[4]。

読み方の意味より、まず字の形と筆の運びを身につける。この習字の性格は、いまの書写にも、どこか重なって見えます。では、学校ができる前の「手習い」は、どんなものだったのでしょうか。

国立公文書館の資料にある「中学教則略并小学教則」は、学制の翌月、明治5年(1872)9月に出された。最下級の第八級に「習字」が置かれ、手習い草紙・習字本・習字初歩などで平仮名・片仮名を教える。字形と運筆を主とし、訓読は授けなくてよい、とされた[4]。第七級では、漢字の楷書へ進む[4]。

ここで重要なのは、習字が「読んで意味を理解する」科目ではなく、まず字の形と筆の運びを身につけさせる科目として設計されていた点である。ただし、これは教則の規定であって、実際の教室でどう行われたかまでは、この資料からは分からない。

同じ資料の解説は、この教則が江戸時代の寺子屋や藩校とは異なり、欧米の教育課程を模範としたことを述べる。習字は第八級で、単語読方・洋法算術などと並ぶ科目の一つだった[4]。では、教則が「異なる」と言う江戸の学びとは、具体的にどんなものだったのか。

4. 学校の 前は、寺子屋で 「手習い」を して いた

4. 学校の前の子どもたちは、寺子屋で手習いをしていた

4. 江戸の寺子屋:手習いを中心とした庶民の学び

江戸えど時代の 子どもは、「寺子屋」で 読み書きを 習いました[5]。中でも 大切に されたのは、字を 書く 「手習い」です。

教える 人は「てならいししょう」と よばれ、おぼうさんや 神主さん、お医者さんなど、いろいろな 人が いました。子どもは 6、7さいから 12、3さいくらいで、一人の 先生に 20人から 30人ほど ついた、と されて います[5]。

手本には、手紙の 形で 書かれた 本を 使いました[5]。字を 書き写す ことで、文字や 文章の 意味も 分かるように しようと した、と いわれます[6]。

手習いは、読み書きの 土台でも あったのです。

手習いが中心だった寺子屋

寺子屋は、江戸時代の庶民が読み書きを学ぶ場でした。中でも、書くこと、つまり手習いが重んじられたといいます[5]。教える人は手習師匠と呼ばれ、僧侶、神官、浪人、医師など、さまざまな人がつとめました。通う子どもは、6、7歳から12、3歳くらいの男女で、1人の師匠に20〜30人ほどが学んだとされます[5]。

手本には、手紙文の形で書かれた往来物と呼ばれる教科書が使われました[5]。

書き写して、意味を知る

群馬県の資料の抜粋では、寺子屋の教科の中心は習字で、書き写すことを通して文字や文章の意味を理解させようとした、と説明されています。幕末には全国に1万を超える寺子屋があった、ともいわれます[6]。ただし、この数字は「いわれる」という程度の目安として読むのがよいでしょう。

江戸の手習いは、読み書きそのものを身につける道でした。明治の習字は、その中の「字を書く」部分を取り出して、学校の最初の科目にしたものと見ることもできます。では、いまの書写は、芸術としての書道とは、どう違うのでしょうか。

寺子屋は、江戸時代の庶民の読み書きの学び場であり、手習い(書くこと)が重んじられた。教える手習師匠は僧侶・神官・浪人・医師など多様で、学童は6、7歳から12、3歳の男女、1人の師匠に20〜30人ほどが就いたとされる。手本には書簡体の教科書である往来物が使われた[5]。

群馬県の資料の抜粋は、寺子屋の教科の中心は習字で、手習うことを通して文字や文章の意味を理解させようとした、と説明する。幕末には全国に1万を超える寺子屋があったといわれるが、この数字は伝承的な概数として扱うべきである[6]。

ここから、明治5年の小学教則との違いが見える。寺子屋では、書き写しが読み書きと文章の理解を同時に支えていた。一方、教則の第八級では、習字は単語読方などと並ぶ科目の一つとなり、字形と運筆が主とされた[4]。書くことが、学びの全体から、教科の一つへと位置を変えたと読める。ただし、これは二つの資料の規定を並べた読み方であり、個々の寺子屋の実態は多様だったはずである。この流れの先に、いまの書写と、高校の書道との線引きがある。

5. 学校の 「書写」と 「書道」は、どう ちがうの?

5. 小学校の書写と、高校の書道は何が違うのか

5. 書写と書道の区別:国語科と芸術科

高校には、「書道」という 教科も あります。書写は 国語の 一つで、字を 正しく ととのえて 書き、勉強や くらしに 役立てる ことが 中心だと いわれます[7]。

書道は 作品づくりを 中心に した 教科で、字を 作品として 表す ことを 学びます。同じ 筆を 使っても、ねらいが ちがうのですね。

小学校の 習字(書写)は、「ふだんの 字を よくする ための 練習」。そう 考えると、筆を 持つ 時間が、少し ちがって 見えて きませんか。

書写は国語科の一部、高校の「書道」は芸術科の教科として置かれています。一般には、書写は文字を正しく整えて書き、学習や生活に役立てる実用面が中心で、書道は芸術教育である、と整理されています[7]。ただし、書写にも芸術性につながる土台の面があり、書道にも実用の面があります。

この記事で見てきた、江戸の手習い、明治の習字、昭和の手引き、いまの書写は、どれも「書く力を身につける」ことを軸にしています。名前や言い方は変わっても、筆が、読み書きや日常の字とつながっている点は、続いているように見えます。

この区別は、文化庁の報告書の整理にもとづく一般的な説明です。教科書や学校の方針で、強調する点が違うこともあります。

書写は国語科に属し、高校の書道は芸術科に属する。書写は文字を正しく整えて書き、学習や生活に役立てる実用面が中心で、書道は芸術教育であるという整理が一般にされている[7]。ただし、書写にも芸術性の礎となる面があり、書道にも実用の面があるとされ、両者は対比的ではあっても截然とは分かれない。

これまで見た資料を並べると、目的の言い表し方は、明治5年の「字形と運筆」、昭和26年ごろの「書くことの効果的な技能」、平成20年版の「硬筆の基礎」と、少しずつ違う。それでも、毛筆の学びを、読み書きや日常の字へつなげて考える筋は一貫している。江戸の手習い、明治の習字、いまの書写では、書くことの位置づけがそれぞれ異なる言葉で表されてきた、と整理できる。

6. 鉛筆えんぴつの 字と 筆の 字を 見くらべて みよう

6. 鉛筆の字と筆の字を見くらべてみる

6. 確かめ方:同じ字を二通りで書いて比べる/原典の探し方

家に ある 鉛筆えんぴつと、学校で 使う 習字の 道具(あれば)で、同じ 字を 書いて みましょう。「木」や「十」など、かんたんな 字で だいじょうぶです。

筆の 字は 線の 太さが かわるので、「とめ」「はね」「はらい」の ところが 見えやすく なります。その あとで 鉛筆えんぴつで もう 一度 書くと、どうでしょう。筆で 見た 形を 思い出せるか、ためして みて ください。

筆を 使うときは、すみで 服や ゆかを よごさないように、新聞紙を ひいて 書きましょう。

もっと 知りたい人は、先生や 図書館の人に 聞いて、国語の 教科書の 書写の ページを 見せて もらうと よいでしょう。

今日できること

鉛筆と、あれば学校の習字道具で、同じ字を書いて見比べてみましょう。「木」「十」のような簡単な字で十分です。筆の字は線の太さが変わるので、とめ・はね・はらいの形が見えやすくなります。そのあとで鉛筆で書き直すと、筆で見た形が鉛筆の字に生きるか、確かめられます。墨で服や机を汚さないよう、新聞紙を敷いてから始めましょう。

調べるなら

国語の教科書の書写のページには、毛筆の練習が、鉛筆の字のどこにつながるかが書かれていることがあります。学習指導要領の国語は、文部科学省のサイトで読めます。国立公文書館のサイトでは、明治5年の小学教則の解説も公開されています[4]。

同じ字を二通りで書いて比べる

鉛筆と、可能なら学校の習字道具で、同じ字を書いて比較する。簡単な字(木・十など)でよい。毛筆は線の太さの変化が大きいので、とめ・はね・はらいが目で見て分かりやすい。そのうえで鉛筆で同じ字を書き、筆で見た形が鉛筆の字に反映されるかを確かめる。これは、「硬筆の基礎を養う」という学習指導要領の位置づけ[1]を、自分の字で確かめる方法である。墨を使うときは、新聞紙を敷く。

原典を読むには

本稿で使った学習指導要領(文部科学省)、国立教育政策研究所の習字の手引き(第五章)、国立公文書館の「中学教則略并小学教則」の解説は、いずれもウェブで公開されている。平成29年告示版の条文や、書写と書道の関係を扱った文化庁の報告書にも当たると、比較が広がる。原文に当たって、言い表し方の違いを自分で確かめてほしい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文中の[1]〜[7]は、以下の資料に対応します。公的機関の資料を中心にしています。

  1. 文部科学省「学習指導要領 国語(小学校)」 https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/koku.htm (毛筆と硬筆の関係、授業時間。平成20年改訂版の本文)
  2. 国立教育政策研究所「習字の学習指導(第五章)」 https://erid.nier.go.jp/files/COFS/s26eja/chap5.htm (昭和26年ごろの習字の目標と生活の態度)
  3. 東京家政大学ほか「書字教育の科目名称の変遷」 https://tokyo-kasei.repo.nii.ac.jp/record/8983/files/2011_k_0846.pdf (科目名の移り変わり)
  4. 国立公文書館「中学教則略并小学教則(明治5年)」 https://www.archives.go.jp/learning/archive_collection_4/collection_2/ (明治初期の習字の位置づけと解説)
  5. コトバンク「寺子屋」 https://kotobank.jp/word/%E5%AF%BA%E5%AD%90%E5%B1%8B (寺子屋と手習いの概要)
  6. 群馬県の資料(寺子屋の教科の抜粋) https://www.pref.gunma.jp/uploaded/attachment/663937.pdf (寺子屋の習字の位置づけ。概数は目安)
  7. 文化庁「生活文化調査研究事業(書道)報告書」 https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/seikatsubunka_chosa/pdf/93014801_05.pdf (書写と書道の区別の一般的な整理)

なおした ところ

更新履歴

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