1. ひらいずみで、10トンの おさらが でて きた!
1. 平泉から10トン以上出た皿は、何に使われたのか
1. 柳之御所の10トン以上の皿 ── 食事・酒・灯りの油を入れた器
トンは、おもさの たんいです。1トンは 1000キロ。10トンは、からだの おもさが 60キロの 人なら、160人より すこし 多いくらいの おもさです。しりょうによっては、もっと おもい 十数トンと する ものも あります。
この おさらの おおきさは、さしわたしが 8〜16センチ ほどです。てのひらに のる くらいの おさらで、ごはんや おさけ、あかりの ための あぶらを いれました[3]。
つかい おわると、あらわずに そのまま すてられました[1]。ふだんの ごはんの うつわでは なく、うたげや ぎしきの ための うつわだった からです[1]。
たとえば、おまつりの 紙コップを おもいうかべて みて ください。1かい つかって すてますね。かわらけも、1かい つかって すてました。ただし、かわらけは、とくべつな ばで つかう ものでした。
では、あらえば つかえそうな おさらを、どうして すてたのでしょう。
岩手県の平泉では、柳之御所のあとなどから、大量のかわらけが見つかりました。国土交通省の多言語解説文データベースに載る平泉文化遺産センターの解説では、直径はおよそ8〜16cmで、食事、酒、行灯の油を入れる使い捨ての器とされ、平泉の遺跡群から約10トンが発掘されています[3]。
一方、文化庁の国指定文化財のデータベースは、柳之御所・平泉遺跡群のかわらけの総出土量を「十数トン」と書いています[4]。資料によって数字に幅があるので、この記事では「10トン以上」と呼びます。
かわらけは、日常の食事の器というより、儀式や宴会のための器で、使い終わるとそのまま捨てられました[1][2]。つまり、遺跡から出た大量の皿は、「宴や儀式で一度使われて捨てられた器が積もったもの」と読めます。
では、洗えば使えそうな皿を、なぜ一度で捨てたのでしょうか。
平泉文化遺産センターの解説では、柳之御所のかわらけは直径およそ8〜16cmで、食事・酒・行灯の油を入れる使い捨ての器とされ、平泉の遺跡群から約10トンが出土している[3]。一方、文化庁の国指定文化財データベースは、柳之御所・平泉遺跡群のかわらけの総出土量を十数トンとしている[4]。2つの数字は食いちがうが、集計の範囲や方法が資料に書かれていないため、どちらが正しいとは言えない。以下では「10トン以上」と幅をもたせて書く。
鳥取県の解説によれば、かわらけは中世を通して使われた素焼きの土器で、日常の器というより儀式や饗宴の器であり、使い終えるとそのまま捨てられた[1]。山梨県埋蔵文化財センターも、主に宴会や儀礼で使われた使い捨ての器と説明する[2]。そのため、遺跡の大量の皿は、一度使われて捨てられた器が積もったものだと読める。
では、洗えば再び使えそうな素焼きの皿を、なぜ一度で捨てたのか。
2. どうして あらって つかわなかったの?
2. 「清浄な器」という考え方 ── 理由は一つに決まっていない
2. 一度きりの理由 ── 穢れの観念は背景であり、決定的な理由は定まっていない
けんきゅうする 人たちは、「きれいな うつわを、1かいだけ つかった」と せつめい する ことが あります[8]。かわらけは、そのための うつわだった、という かんがえです。
きょうとでは、9〜10せいきごろ、「けがれ」と いう かんがえかたが ひろまりました。そして、ぎしきや おもてなしの ような、ふだんと ちがう ばで、かわらけが さかんに つかわれる ように なったと いいます[5]。
ただし、「けがれが あったから すてた」と、はっきり かいて ある わけでは ありません[5]。ほんとうの りゆうは、けんきゅうしゃの あいだでも、まだ ひとつに きまって いません。
わかって いるのは、かわらけが 10せいきごろ きょうとで つかわれ はじめ、12せいきの なかごろには ぜんこくへ ひろがったと いわれる ことです[8]。つぎに、その うたげが、なんのために ひらかれたのかを みて みます。
国立歴史民俗博物館の村木二郎氏が2017年の講演資料で、宴会の道具としてのかわらけを「1回きりの使用(清浄な器)」「大量消費」「一括廃棄」と整理していることが、千葉市の千葉氏フォーラムの講演資料から分かります[8]。
横浜市歴史博物館の展覧会概要には、9〜10世紀に京都で「穢れ」の観念が定着する中で、かわらけが儀式や饗応など非日常の場でさかんに使われるようになった、とあります[5]。穢れは、ここでは日常とは別の、特別な場を清らかに保とうとする考え方だと読めます。
注意したいのは、この概要が穢れを背景として示しているだけで、使い捨ての直接の原因とは書いていないことです。なぜ一度で捨てたかの決定的な理由は、まだ一つに決まっていません。
確かなのは、かわらけが10世紀の京都で使われ始め、12世紀中頃には全国規模に広がったという整理があることです[8]。京都の習慣は、どうやって平泉まで届いたのでしょうか。
千葉市の千葉氏フォーラム講演資料には、国立歴史民俗博物館の村木二郎氏(2017年)が、宴会道具としてのかわらけを「1回きりの使用(清浄な器)・大量消費・一括廃棄」と整理しているとある。同じ資料は、10世紀の京都で使われ始め、12世紀中頃に列島規模へ広がったとする[8]。
背景の説明としては、横浜市歴史博物館の展覧会概要が参考になる。9〜10世紀に京都で穢れの観念が定着する中で、かわらけが儀式や饗応など非日常の場でさかんに使われるようになったという[5]。穢れは、日常と区別すべき特別な場を清らかに保とうとする考え方だと読める。
しかし、この概要は穢れを背景として挙げるにとどまり、使い捨ての直接の原因とは書いていない。「穢れを避けるために捨てた」とは断定できず、清浄さの観念は背景、一度きりの理由は研究上の解釈、と区別しておく必要がある。決定的な理由は、まだ一つに定まっていない。
では、一度で捨てる皿を、なぜこれほど大量に使う宴が開かれたのか。
3. うたげは、むかしの せいじの しごと?
3. 宴会は政治に欠かせなかった ── 10トン以上は宴の多さを示す手がかり
3. 宴会と政治 ── 大量出土が示す儀式のさかんさと、その読み方の限界
いわて けんの しりょうかんの パンフレットは、かわらけは 1かい だけ つかわれた たべもの 用の うつわと かんがえられ、おもに うたげで つかわれたと せつめいします[6]。むかしの せいじには、うたげや ぎしきが かかせなかったと いいます[6]。
ぶんかちょうの かいせつは、10トンを こえる かわらけから、ぎしきが さかんに おこなわれて いた ことが うかがえると しています[4]。
つまり、たくさんの おさらは、うたげや ぎしきが さかんだった ことを しめす てがかりです。おさらを つくる 人たちも、たくさん いたはずです。つぎは、その おさらが どう つくられたかを みて みましょう。
岩手県の世界遺産資料館のパンフレットは、かわらけを一度だけ使われた使い捨ての食器と考えられるとし、主に宴会で使われたと説明しています。当時の政治には、宴会や儀式が欠かせなかったとも書かれています[6]。
文化庁のデータベースも、総出土量が十数トンにおよぶかわらけを、平安京などで儀式の際に使われた使い捨ての食器とし、平泉で儀式がさかんに行われていたことをうかがわせる、と解説しています[4]。
ここから、大量の皿は、人が集まる宴や儀式がくり返し開かれた手がかりだと読めます。宴は、ただの食事会ではなく、人と人がつながるための場だったのでしょう。
ただし、皿の数から宴の回数や、1回の宴の人数までは、読めた資料には書かれていません。数字として入れられるのは、10トン以上という重さまでです。
次に、その皿が、どうやって作られたのかを見てみます。
岩手県の資料館パンフレットは、かわらけを1回のみ使用された使い捨ての食器と考えられ、主に宴会で利用されたとし、当時の政治には宴会や儀式が欠かせなかったと説明する[6]。文化庁のデータベースも、総出土量が十数トンにおよぶかわらけを平安京などの儀式用の使い捨て食器とし、平泉で儀式がさかんに行われていたことをうかがわせる、と述べる[4]。
これらを合わせると、大量のかわらけは、宴や儀式が政治の営みとして繰り返された痕跡だと読める。宴は、人と人が結びつく場だったのだろう。
ただし、限界もある。皿の重さから宴の回数や、1回の宴で使われた個数までは割り出せない。そのため、10トン以上という重さは「宴や儀式が多かった」ことの傍証にとどまり、回数や人数の推定には使えない。
では、一度で捨てるはずの皿は、どう作られていたのか。作り方には、都とのつながりが残っている。
4. おさらの つくりかたから、みやこが みえる?
4. ロクロと手づくね ── 作り方に残る都とのつながり
4. ロクロ成形と手づくね成形 ── 製作技法の割合から都との結びつきを探る
かわらけの つくりかたは、ふたつに わかれます。ひとつは、ろくろを まわして つくる やりかた。もうひとつは、てで こねて かたちを つくる「てづくね」です[2]。
てづくねの かわらけは、きょうとが しゅりゅうで、ほかの ところでは ろくろで つくって いました[2]。
とっとりけんでは、ろくろで つくった ものが おおいのですが、きょうとと おなじ てづくねの ものも あります。この ふたつの わりあいは、みやこと どれくらい つよく つながって いたかを さぐる てがかりに なると いわれます[1]。
ひらいずみでも、てづくねの かわらけが つくられる ように なりました。きょうとの ぶんかの えいきょうだと いいます[6]。
おさらの つくりかたから、とおい みやことの つながりを さぐれます。
かわらけの作り方は、大きく2つに分かれます。ろくろで回して形を作る「ロクロ成形」と、手で粘土を押さえて形を作る「手づくね成形」です。山梨県埋蔵文化財センターによれば、手づくね成形のかわらけは京都が主流で、ほかの地域ではロクロ成形で作っていました[2]。
鳥取県の解説では、出土品はロクロ台で作ったものが多い一方で、京都と同じ手づくねの製品もあります。この2つの割合や似かたは、都との結びつきの強さを探る手がかりになると説明されています[1]。
平泉では、手づくねのかわらけが、京都文化の影響で基衡の時代に作られるようになったとされます[6]。使い捨ての皿でも、作り方を見れば、京都の技が遠い土地まで伝わった様子がうかがえます。
かわらけには、セットで使われる形もあります。口径が大きく深い坏と、小さく浅い小皿がいっしょに出土することがあり、小皿をのせる柱状高台も見つかっています[1]。大きさと深さのちがう器をそろえた、宴の席の様子が想像できます。
では、これほど作られたかわらけは、すべて使い捨てだったのでしょうか。
かわらけの成形法は、ロクロ成形と手づくね成形に分かれる。山梨県埋蔵文化財センターによれば、手づくね成形のかわらけの生産は京都が主流で、ほかの地域はロクロ成形だった[2]。そのため、ある遺跡で手づくねが見つかれば、京都の技が入った可能性を示す。
鳥取県の解説では、出土品はロクロ台で作ったものが多いが、京都と同じ手づくねもあり、両者の割合や類似度が、都との結びつきの強さを探る手がかりになるとされる[1]。岩手県の資料館パンフレットは、手づくねは京都文化の影響で、基衡の時代に平泉でも作られるようになったと述べる[6]。使い捨ての皿であっても、作り方は地域の関係を映すというわけだ。
形のセットも見つかっている。口径が大きく深い坏と、小さく浅い小皿がセットで出土することがあり、小皿を載せる柱状高台も見つかっている[1]。大きさ・深さの異なる器が組み合わせて使われたことがうかがえるが、宴の席でどう並べたかは、ここから先の問いである。
また、割合から結びつきを探る方法は、遺跡ごとに出土数がちがうため、数だけで強弱を断定することはできない。では、これほど作られたかわらけは、すべて使い捨てだったのか。
5. ぜんぶが すてられた わけでは なさそう?
5. 大量に作る工夫と、「使い捨てでない例」という指摘
5. 12世紀の大量生産と、日常使いの例 ── 「使い捨て」の例外をどう読むか
きょうとの けんきゅうの ろんぶんには、12せいきには かわらけの つくる てじゅんが はぶかれて、おさらが ちいさく なったと あります[7]。たくさん つくる ことを めざした 人たちが いたと、かんがえられて います[7]。
てじゅんを はぶくと、おなじ ような おさらを たくさん つくりやすく なります。そのへんかが、ほりだされた おさらに のこって います。
また、かまくらの はっくつ かいせつには、「ぎしきで つかって すてる」と いう ふつうの せつめいの ほかに、ふだんの くらしで つかわれた かわらけも、あちこちから でて くるとの してきが あります[9]。
だから、「かわらけは ぜんぶ 1かいで すてた」と いいきる ことは できません。それでも、おおくは ぎしきや うたげの ための うつわだったと かんがえられて います。
京都府の論文では、かわらけは基本的に素焼きの皿の形をした土器で、考古学では通常「土師器皿」と呼ぶと整理されています。12世紀には作る工程が省かれ、口径も小さくなり、大量生産をめざした集団がいたとされます[7]。
形が小さくなり、作る手間が減ったことは、たくさんの宴で大量に使う器にふさわしい変化だったのかもしれません。ただし、資料はこの2つを因果として結んでいるわけではないので、ここは私の読み取りです。
もう一つ、注意が必要です。鎌倉の発掘解説には、かわらけを「儀式で使い、そのまま捨てる」とする一般的な説明に対して、日常に使われたかわらけも散らばって出土するという指摘があります[9]。これは「そういう見方もある」という指摘として受け取るのがよいでしょう。
室町・戦国のころには、関東の諸勢力が武家の儀礼にならって、独自のかわらけを作ったと考えられています[5]。一度で捨てる器の作り方は、時代や地域で変わり続けたのです。
京都府の論文は、かわらけを基本的に素焼きの皿形の土器とし、考古学上は通常「土師器皿」と呼ぶと整理する。12世紀には製作工程が省かれ、口径も小さくなり、大量生産をめざした集団がいたとされる[7]。
この変化を、大量に使う宴の需要と結びつけたくなる。しかし、資料は両者を因果として結んではいないので、ここは書き手の読み取りにとどまる。
もう一点、「すべて使い捨て」と言い切れない面がある。鎌倉市の発掘解説には、かわらけは儀式で使い捨てるとされる一方、日常に使われた例も散在して出土するという指摘がある[9]。断定せず「という指摘もある」と読むのが適切だ。また、横浜市歴史博物館の概要では、室町・戦国期には関東の諸勢力が武家儀礼を踏襲し、独自のかわらけを作ったと考えられている[5]。
そのため、かわらけは「一度で捨てる器」という大づかみの理解の中に、時代・地域・場面ごとの幅を抱えていると考えるのが適切だろう。
6. 「1かいだけの うつわ」を さがして みよう
6. 身のまわりの「一度きりの器」を探して、遺跡の皿とくらべる
6. 一度きりの器をめぐる、次の問い
おうちの 中で、「1かいだけ つかって すてる うつわ」を さがして みましょう。たとえば、おまつりの 紙コップや、おべんとうの つかいすての おさらです。
そして、「どんな ときに その うつわを つかうか」を、おうちの 人と はなして みます。いつも つかう おちゃわんと、なにが ちがうでしょう。
むかしの かわらけは、うたげや ぎしきの ための うつわでした。いまの つかいすての うつわと、にて いる ところ、ちがう ところは どこでしょう。
ちかくの はくぶつかんや まいぞうぶんかざいの てんじで、ほんものの かわらけが みられる ことが あります。いえでは、ものさしで 8〜16センチを はかって、じぶんの てのひらと くらべて みましょう。
家の中で、一度きりで捨てる器を探してみてください。紙コップ、使い捨ての皿、お祭りの屋台のトレーなどがあります。それぞれ、どんな場面で使うでしょうか。
かわらけは、「日常の器とは別の、宴や儀式のための器」でした。今の使い捨ての器は、手軽さや後片付けのしやすさで選ぶことが多く、使う理由は同じではなさそうです。何が同じで何が違うかを、家の人と話してみると、かわらけの特別さが見えてきます。
お住まいの地域の埋蔵文化財センターや博物館では、かわらけが展示されていることがあります。直径が8〜16cmほどの皿を、実際の大きさで見ると、手のひらにのる器だったと分かります。見に行けないときは、ものさしで8〜16cmを測って、自分の手のひらとくらべてみましょう。
穢れと使い捨ての結びつきは、一つの説明に決まっていません。鳥取県、山梨県、横浜市歴史博物館などの解説が、出典欄から見られます。
この記事で確かめられたのは、かわらけが中世を通して使われた素焼きの土器で、儀式や宴で使われて捨てられた例が多く知られること、平泉では10トン以上が出ていること、作り方(手づくね・ロクロ)が都との関係の手がかりになることである。
残された問いは、一度で捨てた決定的な理由である。穢れの観念(9〜10世紀の京都)は背景として挙げられているにとどまる[5]。次は、出典欄の千葉市の千葉氏フォーラム講演資料を開き、本文の言い方と原文の整理を比べてみるとよい。各地の埋蔵文化財センターの報告書も手がかりになる。
身のまわりでは、使い捨ての器を探して、使う場面が「手軽さ」か「特別な場」かを分けてみるとよい。かわらけが後者だったことは、鳥取県・山梨県の解説で確かめられる[1][2]。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
かわらけの定義、使われ方、出土量、作り方は、自治体・博物館・公的機関の解説による。一部の資料は要約で読んだため、本文では断定を避けた。
- 鳥取県「かわらけ」 https://www.pref.tottori.lg.jp/item/1172575.htm (定義・使い捨て・坏と小皿のセット・ロクロと手づくねの割合)
- 山梨県埋蔵文化財センター トピックス https://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/501_600/0530.html (宴会・儀礼の使い捨て・成形法の二つ)
- 平泉文化遺産センター「かわらけ」(国土交通省 多言語解説文DB) https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R1-00027.html (柳之御所の直径・用途・約10トン)
- 文化遺産オンライン「柳之御所・平泉遺跡群」 https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/190072 (総出土量十数トン・儀式のさかんさ)
- 横浜市歴史博物館「ウズマキかわらけの謎を解く」概要(芸術文化情報DB) https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/31057 (穢れの観念の背景・武家儀礼とかわらけ)
- 岩手県 平泉世界遺産 資料館パンフレット https://www.sekaiisan.pref.iwate.jp/ (宴会と政治・平泉での手づくね)
- 京都府埋蔵文化財論集 https://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu1/35ino300-13.pdf (土師器皿という呼び名・12世紀の大量生産)
- 千葉市 千葉氏フォーラム講演資料(国立歴史民俗博物館 村木二郎氏) https://www.city.chiba.jp/chiba-shi/kanren/kakokoza/documents/koza00_3.pdf (1回きり・大量消費・一括廃棄の整理)
- 鎌倉市 発掘解説(かわらけの見分け方) https://webc.sjc.ne.jp/kamakura/blockb_pdf/11026/39395 (日常に使われた例という指摘)
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