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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

星座せいざの 線は だれが ひいたの? ── 空を 88に わけた 話

星座の線は誰が引いたのか ── 見立てから88の区画まで

星座の成り立ちと88星座 ── メソポタミアの見立てから国際天文学連合の境界まで

分野:宇宙・天文

ほしぞら の 本には、星と 星を つなぐ 線が ひかれて います。あの 線は、だれかが 決めた ものなのでしょうか。

じつは、線には 公式の 決まりが ありません。決まって いるのは、名前と、空の 区画くかくだけ。そこまでの 長い 道のりを たどります。

星空の図には、星と星を結ぶ線が引かれています。あの線は、誰かが正式に決めたものなのでしょうか。

調べてみると、公式に決まっているのは星座の名前と空の区画で、線の引き方ではありませんでした。粘土板の時代から、1922〜1930年に88の区画が定められるまでを、順番に見ていきます。

星座の名前と空の境界は国際天文学連合(IAU)が定めているが、星をどう結ぶか、絵をどう描くかの公式な規定はない[4]。図鑑ごとに線が少しずつ違って見えるのは、そのためだと読める。

この記事は、メソポタミアの星の見立て、ギリシャでの神話との結びつき、プトレマイオスの48星座、南天の星座の追加をたどり、1922〜1930年にIAUが88の区画を定めた経緯までを追う。

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1. 星を つなぐのは、だれが はじめたの?

1. 星のならびに名前をつける ── 文明ごとにちがった星座

1. 星座の始まりと文明ごとの多様性 ── 見立ての発想

むかしの 人は、夜空の 星の ならびを 見て、「あれは 動物に 見える」「あれは 道具に 見える」と 考えました。そうして 星の かたまりに 名前を つけました[2]。

この 見立てを した 人たちは、ひとつの 国に かぎりません。国や 時代が ちがえば、つくられた 星座せいざも ちがいました[1]。

雲を 見て「ソフトクリームみたい」と 言う ことが あります。ほかの 人には ちがう ものに 見えるかも しれません。星座せいざの 見立ても 同じです。ただし 雲は すぐ 消えるのに、星の ならびは 何千年も ほとんど かわりません。

夜空の星のならびを眺めて、動物や道具に見立てて名前をつける。国立天文台は、古来、人々がそのようにして星を結んできたと説明しています[2]。

この見立てを一つの民族だけが行ったわけではありません。天文学辞典によると、星座の起源は古代メソポタミア文明とされる一方で、さまざまな文明が、さまざまな時代に、それぞれの星座を作り上げました[1]。

雲を見て「ソフトクリームみたい」と言うのに似ています。同じ雲でも人によって違うものに見えます。ただし雲はすぐ形を変え、星のならびは何千年たってもほとんど同じ形で見えます。だから何世代もの人が、同じ見立てを受け継げたのでしょう。

古来、人は星のならびを動物や器物に見立てて名前をつけてきた[2]。これが星座という考え方の出発点である。

天文学辞典は、星座の起源を古代メソポタミア文明とする一方、さまざまな文明がさまざまな時代にそれぞれの星座を作ったと述べる[1]。星座は一つの系統だけで語れず、現在の88星座のうち、古代ギリシャに伝わった星座群は、メソポタミア由来のものを土台の一つとしている、と以下で見ていく。

2. いちばん 古い しょうこは どこに ある?

2. 粘土板に残った星 ── 紀元前3000年ごろから紀元前1000年ごろ

2. メソポタミアの最古級の証拠とバビロニアの星表 ── 紀元前3000年ごろ〜紀元前1000年ごろ

星座せいざを 見つけた 人が いたと はっきり 言える いちばん 古い しょうこは、紀元前きげんぜん3000年ごろの メソポタミアに あると いわれます[6]。石や 粘土板ねんどばんに ほられた ものです。今から 5000年ほど 前に なります。

その あと、およそ 3000年 前ごろには、星の 名前を 表に した 粘土板ねんどばんが まとめられました[7]。いくつもの 星と 星座せいざが のって いました。

むかしの ほらあなの 絵が 星座せいざだ という 考えも ありますが、科学者に 広く 受け入れられては いません[6]。

星座を見立てていたことを、はっきり示せる最古級の証拠は、紀元前3000年ごろのメソポタミアで、石や粘土板に刻まれたものだとされます[6]。今から5000年ほど前です。旧石器時代の洞窟の絵が星座だという説もありますが、科学者に広く受け入れられているとは言えません[6]。

バビロニアの星の一覧

紀元前12世紀ごろから、バビロニアでは「三つの星ずつ」と呼ばれる文書に、星を三つずつ並べた一覧が作られました。紀元前1000年ごろ、それが MUL.APIN という文書にまとめ直されました。いくつもの星と星座が載っています[7]。

星を眺めるだけでなく、粘土に刻んで、次の世代に渡そうとした人がいたことになります。

星座の特定できる最古級の証拠は、紀元前3000年ごろのメソポタミアで、石や粘土板に刻まれたものとされる[6]。旧石器時代の洞窟壁画を星座と見る説は、科学者に広く受け入れられていない[6]。

体系的な星表は、紀元前12世紀ごろの「三つの星ずつ」に始まり、紀元前1000年ごろに MUL.APIN へまとめ直された。多くの星と星座が載る[7]。粘土板に刻まれた一覧が、三千年前の空の見方を今に伝えている。

3. 星座せいざは、どうやって ギリシャに とどいた?

3. バビロニアからギリシャへ ── 12星座と神話

3. バビロニアの星表のギリシャ伝来と12宮 ── 紀元前5世紀〜紀元前4世紀

紀元前きげんぜん5世紀せいきごろ、バビロニアでは、太陽や月、惑星わくせいの ばしょを、空を 12に わけて 言い表す ように なりました。その 12の くぎりは、のちに、太陽の 通り道に ある 星座せいざと むすびつきました[7]。

そのあと 紀元前きげんぜん4世紀せいきごろに、バビロニアの 星の 表が ギリシャに 入ります[7]。さそり、しし、おうし。今の 名前の もとは、バビロニアの「さそり」「ライオン」「天の おす牛」だと いわれます[7]。

ギリシャでは、詩人たちが 星座せいざに 神話や むかしばなしを くっつけて いきました[5]。ただし、どの 話を だれが 作ったのかまでは、ここでは 分かりません。

紀元前5世紀ごろ、バビロニアの天文の文書には、太陽・月・惑星の位置を、空を12等分した「宮」で表すやり方が現れます。それぞれの宮に黄道付近の星座が結びつけられ、のちに12に絞られて、エジプトやギリシャに取り入れられました[7]。

紀元前4世紀ごろには、バビロニアの星の一覧がエウドクソスらを通じてギリシャの天文学に入ったとされます。さそり座、しし座、おうし座は、バビロニアの「さそり」「ライオン」「天の雄牛」に由来します[7]。

神話が加わる

メソポタミアの星座は古代ギリシャに伝わり、詩人たちによって神話や伝説と結びつけられていきました[5]。私たちが星座の名前と一緒に思い出す物語の多くは、この段階で加わったものです。

紀元前5世紀ごろ、バビロニアの天文文書は、太陽・月・惑星の位置を12等分の宮で記述しはじめ、各宮に黄道の星座が結びついた。のち12に絞られ、エジプトやギリシャに借用された[7]。

バビロニアの星表は、紀元前4世紀ごろ、エウドクソスらを通じてギリシャ天文学に入った。さそり座・しし座・おうし座は、バビロニアの「さそり」「ライオン」「天の雄牛」が由来とされる[7]。ここまでの伝来の経路は、時期は目安である。

ギリシャでは、詩人たちがメソポタミア由来の星座を神話や伝説と結びつけた[5]。星の絵と物語が一体になる過程は、この段階だと整理できる。

4. 星座せいざは、いくつ あったの?

4. プトレマイオスの48星座と、あとから増えた南の星座

4. プトレマイオスの48星座と『アルマゲスト』、南天星座の追加 ── 2世紀〜1752年

2世紀せいきごろ、ギリシャの プトレマイオスと いう 人が、それまでの 星座せいざを 48に まとめました[5]。今の 星座せいざと ほとんど 同じ ものです。この まとめ方は、およそ 1500年も つかわれました[5]。

けれども 南の 空の 星座せいざは、ギリシャの 人には ほとんど 見えません。南の 星座せいざは、16世紀せいきごろからの 大きな 船の 旅の 時代に、あとから 作られました[1]。1752年には、ラカイユと いう 人が 南の 空に 14の 星座せいざを くわえました[6]。

2世紀ごろ、ギリシャのプトレマイオスは、それまで伝わっていた星座を、今のものとほとんど同じ48星座に整理しました。この体系は約1500年使われたとされます[5]。

彼の著書『アルマゲスト』には、1022個の星を48の星座に分けて位置を記した星表があります。この星表の一部は、より前のヒッパルコスにさかのぼれるとされます[8]。

南の空を足す

天文学辞典によると、北天の星座は古代ギリシャに起源があり、南天の星座は16世紀以降の大航海時代に作られました[1]。ラカイユは1752年に、南天の14の星座を加えたと伝えられます[6]。

プトレマイオスは2世紀ごろ、それまでの星座を、現在使われているものとほぼ同じ48星座に整理した。この体系は約1500年使われた[5]。彼の『アルマゲスト』は、1022個の星を48星座に分けて位置を示す星表を含み、星表の一部はヒッパルコスにさかのぼるとされる[8]。

北天の星座は古代ギリシャに起源があり、南天の星座は16世紀の大航海時代以降に作られたと天文学辞典は述べる[1]。ラカイユは1752年に14の新しい星座を導入した[6]。

5. 星座せいざは、いつ「88」に 決まったの?

5. 1922年から1930年 ── 88の区画が決まるまで

5. IAUによる88星座の制定と境界の確定 ── 1922年(ローマ)・1928年(ライデン)・1930年

星座せいざは 国や 本に よって、数も 形も ばらばらでした。そこで 1922年、ローマで ひらかれた 国際天文学連合こくさいてんもんがくれんごうの 総会そうかいで、88の 星座せいざの 名前が 決まりました[3]。

そのあと、ベルギーの デルポルトさんが、空を 88に わける 境目さかいめを つくりました。その 考えは 1928年に 決まり、1930年に 本に なりました[2][3]。空の 星は、かならず どれか 1つの 星座せいざの 中に 入ります。

国と 国の 境目さかいめのように、空にも 境目さかいめが 引かれた のです。

星座の名前や数は、時代や国によってばらばらでした。1922年にローマで開かれた国際天文学連合(IAU)の第1回総会で、委員会が88星座の名前と略号に合意しました[3]。

境界を決める

名前が決まっても、星座の境目はまだ曖昧でした。ベルギーのデルポルトが、赤経・赤緯の線に沿った境界を提案し、1925年の総会で議論されました。1928年のライデンでの総会で採択され、1930年に『星座の科学的な境界』として出版されました[2][3]。

この境界によって、空のどの星も、必ずどれか一つの星座に属するようになりました。

1922年、ローマでの第1回IAU総会で、記法・単位を扱う委員会が88星座の名前と略号に合意した[3]。

境界については、ベルギーのデルポルトが赤経・赤緯の線に沿った境界を提案し(1925年)、1928年のライデン総会で採択され、1930年に『星座の科学的な境界』として出版された[2][3]。この結果、天球上のすべての星はいずれか一つの星座に属する。なお、国内の解説にはラテン名・略号の制定を1930年とも読める書き方があり、IAUの説明(1922年に名前と略号)と食い違う。本記事はIAUの記述にそろえ、名前と略号を1922年、境界の採択を1928年、出版を1930年として書いた。

6. 「オリオンざの 中」って、どういう 意味?

6. 「〜座の中にある」の本当の意味 ── 形ではなく区画

6. 星座は「星の形」でなく「空の区画」 ── 線の公式規定がない理由

天文学者が「この 星は オリオンざの 中に ある」と 言う ときは、星の 形の 一部だと いう 意味では ありません。決められた 境目さかいめの 中に ある、という 意味です[3]。

「山梨県やまなしけんに ある 町」と 言うのに にています。県の 形の 一部という 意味では なく、県の 境目さかいめの 内がわ、という 意味です。ただし 夜空には、県の さかいの ような 目じるしは 見えません。

星を どう つなぐか、どんな 絵に するかには 公式の 決まりが ありません[4]。だから 本ごとに 線が すこしずつ ちがう ことが あります。

天文学者が「この天体はオリオン座にある」と言うとき、星のならびの一部だという意味ではなく、決められた境界の中にあるという意味です[3]。

「山梨県にある町」と言うのに似ています。県の形の一部ではなく、県境の内側にあるという意味です。ただし夜空に県境の目印はなく、境界は、赤経・赤緯の座標で定められた見えない線です。

名前と境界は標準化されていますが、星をどう結ぶか、絵をどう描くかの公式な決まりはありません[4]。冒頭の疑問への答えは、こうなります。線は誰かが正式に引いたのではなく、昔から空を見上げた人が、それぞれ引いてきたのでしょう。

IAUのFAQによると、天文学者がある天体を「ある星座にある」と言うとき、それは星のならびの一部という意味ではなく、定められた境界の内側にあるという意味である[3]。星座は、星の形ではなく、空の区画として使われている。

名前と境界は標準化されている一方、星の結び方や星座絵の描き方に公式の規定はない[4](要約情報による)。線を結ぶのは、今も見る人や図の作り手である。つまり、今の88星座は空を区切る「住所」で、その中に星をどう結んで何に見立てるかは、今も人が決めている。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

今日 できること

紙に 点を 6つ ほど、てきとうに 打って みましょう。点を 線で つないで、すきな 名前を つけます。人に 見せて、同じ 名前に なるか 聞いても おもしろいです。星座せいざの 線に 公式の 決まりが ないのと 同じで、正しい つなぎ方は ありません。

もっと 知りたい とき

日本にも、日本の 星の 名前が あります。「すばる」は、統星すまると いう ことばが もとで、首かざりの 玉を 思い うかべて つけられた と いわれます。枕草子まくらのそうしにも「星は、すばる」と 書かれて います[9]。国立天文台の 「貴重資料展示室きちょうしりょうてんじしつ」で 読めます。

夜に 外へ 出るときは、かならず 大人と いっしょに。足もとに 気を つけて ください。

今日できること

紙に点を6つほどでたらめに打ち、線で結んで名前をつけてみましょう。友だちに見せて、同じ形に見えるか聞くのも面白いです。公式な結び方がないのですから、正解はありません。

さらに調べるなら

日本には独自の星の名前があります。「すばる」は、首飾りの玉を連想した「統星(すまる)」という言葉が由来とされ、のち中国から入った二十八宿の「昴宿」から「昴」の字があてられました。枕草子にも「星は、すばる」とあります[9]。国立天文台暦計算室の貴重資料展示室で読めます。

夜に外へ出て星を見るときは、大人と一緒に行き、足もとに気をつけてください。

資料を読むなら

IAUの「The Constellations」(英語)は、88星座と境界の位置づけを短くまとめている[3]。日本語では、国立天文台の解説と天文学辞典が読みやすい[2][1]。MUL.APIN や星表の年代は要約資料に依ったので、気になれば、原典の資料を探してみるとよい。

日本の星の見立て

日本にも独自の星の呼び名(和名)がある。「すばる」は首飾りの玉を連想した「統星(すまる)」に由来するとされ、のち二十八宿の「昴宿」から「昴」の字があてられた。枕草子にも「星は、すばる」とある[9]。

手を動かすなら、紙に点を6つほど打って結び、名前をつけてみるとよい。公式な結び方がないことを、自分の図で確かめられる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文の事実の確認に使った資料です。1922〜1930年の経緯は、IAUと国立天文台の記述を主にしました。

  1. 天文学辞典「星座」 https://astro-dic.jp/constellation/ (星座の起源、北天と南天)
  2. 国立天文台「88星座と国際天文学連合」 https://www.nao.ac.jp/news/blog/2022/20220809-constellation.html (見立ての始まり、境界の採択と出版)
  3. IAU "The Constellations" https://www.iau.org/IAU/IAU/Astronomy-FAQs/Constellations.aspx (1922年の合意、境界の意味)
  4. アストロアーツ 天文の基礎知識「星座」 https://www.astroarts.co.jp/alacarte/kiso/kiso05-j.shtml (線の公式な規定がないこと)
  5. 福岡県青少年科学館「星座の歴史」 http://www.science.pref.fukuoka.jp/tenmon/tenmon_jouhou/2006winter.html (ギリシャの神話、プトレマイオスの48星座)
  6. Wikipedia "Constellation" https://en.wikipedia.org/wiki/Constellation (最古級の証拠、ラカイユ)
  7. Wikipedia "Babylonian star catalogues" https://en.wikipedia.org/wiki/Babylonian_star_catalogues (バビロニアの星表、12宮、ギリシャへの伝来)
  8. Wikipedia "Almagest" https://en.wikipedia.org/wiki/Almagest (アルマゲストの星表)
  9. 国立天文台暦計算室 貴重資料展示室007「すばる」 https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/exhibition/007/ (すばるの名前の由来)

なおした ところ

更新履歴

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