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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

カーテンは いつから、おうちで つかわれて いるの?

カーテンは、いつごろから家で使われてきたのか ── 窓より先に、戸口と寝台にかかっていた布

カーテンの来歴 ── 戸口・寝台の布から窓の布へ、そして日本の家庭に広まるまで

分野:歴史・文化

カーテンの ごせんぞは、まどの ためでは なかった ようです。むかしの 人は、とびらの かわりや、へやの しきりに、ぬのを ぶら下げて いました。

では、まどに かかる ように なったのは いつ? ぜんぶ ならべて みると、おうちの カーテンの ふしぎが 見えてきます。日本の ふつうの 家に ひろまったのは、いまから 70ねんほど まえの 昭和しょうわ30ねんだい ごろからだと いわれる ことが 分かります。

家の窓にかかっているカーテンは、もとは窓のための布ではなかったようです。古代ローマの家では、戸口にかけたり、戸の代わりに部屋の中で使ったりする布でした。

それが窓の布になったのは、いつごろなのでしょうか。日本の家に洋風のカーテンが広まったのは昭和30年代ごろと、いわれていることが分かります。そこまでの道すじを、世界と日本の両方から見ます。

カーテンは、もともと窓の覆いではなかった。古代ローマでは戸口や室内の仕切りに使われ、中世ヨーロッパの部屋では、布の主役は窓ではなく寝台だったとされる。窓に二枚一組で掛ける形式が西欧で考案されたのは17世紀中期とされる[1]。

では日本ではどうか。帳(とばり)やのれんなどの布は古くからあり、洋風カーテンが一般住宅に広がったのは昭和30年代ごろからといわれる。この来歴を、百科事典・博物館・企業の年表を比べ、確かさの度合いを分けて整理することで分かる。

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1. カーテンの ごせんぞは、どこに かかって いたの?

1. 窓より先に、戸口と部屋のしきりにかかっていた

1. 古代の布は「戸」と「壁」の代わりだった

カーテンの はじまりは、古代エジプトの ころまで さかのぼる と いわれます[1]。ただし、どんな ぬのを、どう つかったかは、ここでは 書きません。

古代ローマの 家では、カーテンを 戸口に かけたり、へやの 中で 戸の かわりに したり しました。まどには、よろい戸(ななめの いたを ならべた 戸)の ほかに、まどの カーテンも ありました[2]。

また、ローマの おわりごろから ビザンツ(いまの トルコの あたりに あった 国)の ころの 本には、ちいさくて そまつな 家でも、1まいの ぬのが へやを しきる かべの かわりに なった とあります[3]。

ぬのは、かべにも とびらにも なれる ものでした。まどに かける ものとは かぎりません。

古代エジプトからローマへ

百科事典には、カーテンの起源は古代エジプト時代までさかのぼると書かれています[1]。ただ、当時の使い方や素材については、この記事の資料では書かれていないので、ここでは触れません。

はっきり使い方が分かってくるのは、古代ローマです。古い辞典によると、ローマの家では、カーテンは戸口にかけたり、戸の代わりに部屋の中で使ったりしました。窓には、木のよろい戸のほかに、窓用のカーテンも使われたとあります。ヘルクラネウムの建物では、柱から柱へ渡した鉄のカーテンレールも見つかっています[2]。

粗末な家でも、布は「壁」になった

ローマ末期からビザンツ期の資料を読んだ博物館の解説では、最も粗末で小さな家でも、カーテンが部屋を分ける壁の代わりをしたり、屋内と屋外を分けたりしたと説明されています。柱廊やアーチには横に棒を渡すと便利で、カーテンを横にすべらせられました[3]。

つまり、布を「窓にかけるもの」と考えると見落としますが、最初の役目は、壁や戸の代わりに空間を分けることでした。

カーテンの起源を古代エジプトに求める記述が百科事典にある[1]。ただし素材や使い方まで書いた信頼できる出典が今回は無く、確かな記述はローマ以降になる。

19世紀の古代ローマ辞典(Smith)の「Velum」の項は、ローマの住宅でカーテンが戸口に掛けられ、また戸の代わりに室内で使われたと述べる。窓については、よろい戸に加えて窓カーテンも使われたとし、ヘルクラネウムの建物から、柱から柱へ渡した鉄のカーテンレールが見つかっている[2]。古い辞典なので、「窓カーテンも使われた」という程度に受け取るのが妥当だろう。

では、ローマよりのちの住まいではどうか。ダンバートン・オークスの織物に関する解説(Maguire)は、ローマ末期からビザンツ期の資料にもとづき、粗末で小さな家でさえ、カーテンが部屋を区切る壁の役を果たし、屋内と屋外を隔てる手段になりえたと説明する。柱廊やアーチには、横に渡したロッドにカーテンを通すとよく、横へ滑らせられたという[3]。

ここで押さえておきたいのは、カーテンが戸や壁の代わりに空間を分ける布として長く使われた、という点だ。この流れの先に窓の布があるのか、それとも別の筋なのかは、次の章で寝台の布を見てから考える。

2. むかしの へやで、いちばん りっぱな ぬのは どこに あったの?

2. 中世の部屋で、布が主役だった場所はベッドだった

2. 中世ヨーロッパでは、窓ではなく寝台が布で囲まれた

つぎは、中世(いまから 1000ねんほど まえの ヨーロッパ)です。ある 百科じてんの せつめいでは、中世の おわりまで、まどは 木の よろい戸か、あつい ぬのでふさいだ とされます[4]。

では、へやの 中で、ぬのが 目立って いたのは どこでしょう。ベッドです。ベッドの まわりに ぬのを かけ、てんじょうも つけて、まわりを かこんだ と いわれます。ひるまは ベッドを ながいすの ように つかうので、ぬのは たばねて 上げて おきました[4]。

ベッドの ぬのは、さむい 夜の かぜを さえぎり、人の 目からも まもって くれた かも しれません。ただ、そこまでは 本に 書かれて いません。

窓は木の戸か、厚い布でふさいだ

ブリタニカの説明によると、中世の終わりまで、窓の開口部は木のよろい戸か厚い布でふさがれていたとされます。このころ、部屋の中で布が主役だったのは窓ではなく、ベッドです[4]。

ベッドは「布の小部屋」だった

ベッドは四方にカーテンをかけ、上に天蓋をつけたとされます。昼間は寝台を長椅子の代わりに使うので、カーテンはたばねて上げておきました[4]。

ここで、問いが出てきます。ベッドの布は、いつ窓にかかる布になったのでしょうか。ベッドの布から窓の布へ、一直線につながったとは書かれていません。次の章では、窓にかける形式がいつ整ったのかを見ます。

中世ヨーロッパの室内について、ブリタニカは、中世の終わりまで窓の開口部は実用的な木のよろい戸か厚い布で覆われたとされる。部屋のなかで布が主役の座を占めたのは寝台で、四方にカーテンをめぐらせ、天蓋をつけた。昼は寝台を長椅子代わりに使うため、カーテンは束ねて上げた、とされる[4]。

この資料は、本記事では概説的な一つの説明として扱う。古い時代の個々の住まいを確かめた調査ではないので、「中世のどの家でも同じだった」と一般化はしない。

ここから見えるのは、カーテンの役目が時代により場所を変える、ということだ。古代の戸口・仕切り、中世の寝台と、「窓にかける布」はまだ主役ではない。では窓の布は、いつ、どんな形で整ったのか。ガラス窓の普及が影響したという説明はあり得るが、因果として断定できる資料は今回確認できず、ここでは扱わない。続く章では、形式の成立を年代で確かめる。

3. まどに かかる カーテンは、いつ できたの?

3. 17世紀に窓の形ができ、18世紀に目隠しが流行した

3. 窓用カーテンの形式は17〜18世紀に整った

まどの まんなかから、右と 左に ひらく 2まいの カーテン。この かたちが かんがえられたのは、1600ねんだいの なかごろ(いまから 370ねんほど まえ)と されます[1]。

1700ねんだいには、お金もちの 大きな おやしきで、まどの 下の はんぶんに、うすい ぬのの めかくしを つけるのが はやりました。つよい 日ざしや、そとからの 目を さえぎる ためです[1]。

そして 1700ねんだいの おわりまでに、カーテンと ブラインドの かたちが、ほぼ そろったと いわれます[1]。

いま 見なれた まどの カーテンの かたちは、カーテンの ながい はなしの なかでは、わりあい あたらしい ものと いえそうです。

左右に分かれる2枚一組

百科事典によると、西欧では17世紀の中ごろに、窓の中央で左右に分かれる2枚一組の形式が考え出されました[1]。いまの私たちが「カーテン」と聞いて思い浮かべる形に近いものです。

目隠しの流行

18世紀になると、上流階級の邸宅で、強い日ざしや世間の目をさえぎるために、窓の下半分に薄い生地の目隠しカーテンをつけることが流行しました。18世紀後期までに、カーテンとブラインドの形式はほぼ整ったとされます[1]。

窓に布をかける習慣は、17世紀から18世紀の、まずは身分の高い人の家で整いました。では、日本の家では、同じころ、窓に何がかかっていたのでしょうか。

窓用カーテンの形式が整う時期について、日本の百科事典(世界大百科事典の「カーテン」の項)は、17世紀中期に窓の中央で左右に分かれる2枚一組の形式が考案され、18世紀には上流階級の邸館で、強い陽光や世間の目をさえぎるため、窓の下半分に薄い生地の目隠し用カーテンを備えることが流行したと述べる。18世紀後期までに、カーテンとブラインドの形式はほぼ確立したとされる[1]。

順に見ると、17世紀に「形」が考案され、18世紀に上流階級で「目隠しという役目」が流行し、18世紀後期に形式が整う、という段階になる。古代の仕切りの布と比べると、役目が「空間を分ける」から「光と視線を調節する」へ移ったことが分かる。

ただし、これは西欧の上流階級の邸宅についての記述で、庶民の家でも同じだったとは書かれていない。普及の速さまでは、この資料では分からない。

4. にほんの 家には、どんな ぬのが かかって いたの?

4. 日本の家では、帳やのれんが布の役目を果たした

4. 日本の住まいの布 ── 帳・御簾・のれんと、ガラス以前の窓

にほんの むかしの 家にも、ぬのは ありました。ひとつは、とばり。へやを かこむ ぬのです。みす(すだれ)と いっしょに つかう ぬのも ありました[1]。

まどに ガラスが つかわれる まえは、住まいを かこむ ぬのは、なくては ならない ものだった と されます[1]。

のれんも あります。のれんの 字は、「あたたかい すだれ」と 書きます。かぜや 雨や さむさを ふせぐ ぬのが はじまり と されます[5]。

平安へいあん時代の おわりごろの 絵(ねんじゅうぎょうじえまき)にも、家の のき先に、雨や 風を よける ぬのが かかって いる ようすが かかれて います[5]。

帳・帷子・御簾と布

日本大百科全書は、日本の古い住まいで使われていた帳(とばり)や帷子(かたびら)、そして御簾(みす)と併用した布は、カーテンにあたると書いています。窓にガラスが使われるより前、住まいを囲むカーテンは不可欠だったとされます[1]。

のれんは「暖かい簾」

のれんが文献などに登場するのは平安時代後期です。『年中行事絵巻』などに、家の軒先に雨や風をよけるための布がかけられている様子が描かれています。「暖簾」と書くように、雨風や寒さを防ぐ布が始まりとされます[5]。

世界で戸口や仕切りに布が使われたのと同じように、日本でも、布は風や視線をさえぎる道具でした。それでは、「カーテン」という洋風のものは、いつ日本の家に入ってきたのでしょうか。

日本のカーテン史は、洋風カーテンの輸入より前から始まる。日本大百科全書の「カーテン」の項は、日本の古い住まいの帳や帷子、御簾と併用した布帛(ふはく)などを「これにあたる」とし、窓にガラスが使われる以前は、住まいを囲むカーテンが不可欠だったと述べる[1]。つまり、室内の仕切りや囲いとしての布は、日本の住まいにも古くからあったことになる。

一方、屋外に面した布の例としてのれんがある。京阪電車の解説によれば、のれんが文献などに登場するのは平安時代後期で、『年中行事絵巻』などに、軒先に雨や風をよけるための布がかけられている様子が描かれている。名は「暖かい簾」の意で、雨風や寒さを防ぐ布が始まりとされる[5]。

同じ布でも、帳や帷子は室内を区切り、のれんは軒先で風雨を防ぐ。役目が違うため、「カーテンの日本版」を一つに決めることはできない。ここまでを世界と並べると、布は窓より先に、戸口・仕切り・軒先で役目を持っていた。では洋風のカーテンは、いつ日本の家に入ったのか。

5. ようふうの カーテンは、いつ ふつうの 家に ひろまったの?

5. 洋風のカーテンが、一般の家に広まるまで

5. 洋風カーテンの導入から、昭和30年代の一般住宅への普及まで

日本で カーテンが つかわれはじめたのは、江戸えど時代の はじめ、ながさきの 出島に 外国の 人の たてものが できた ころと いわれます[6]。

日本人が つかいはじめたのは、えどの おわりから 明治めいじの ころと みられます。そのころの カーテンは、外国から 入った、おもくて 高い ものでした。つかったのは、一部の 身分の 高い 人だけでした[6]。

ふつうの 家では どうでしょう。ほんかく てきに 広まったのは、昭和しょうわ30ねんだい ごろからと いわれます。1955ねんに 日本じゅうたくこうだんが できて、アパートが たくさん たてられました。そのころには、カーテンが つくられるように なったと いわれます[6]。

こうして ならべると、「いつから?」の 答えは 1つでは ありません。ぬのの はじまりは 古代、まどの カーテンの かたちは 1600〜1700ねんだいの ヨーロッパ、日本の ふつうの 家へは 昭和30ねんだい ごろ。おうちの カーテンも、少し ちがって 見えて きませんか。

長崎の出島から、明治へ

日本でカーテンが使われ始めたのは江戸時代の初期で、長崎の出島の外国公館が最初というのが通説だ、とカーテン業者の解説にあります。日本人が使い始めたのは幕末から明治とみられ、当時は輸入の重厚で高価なものを、一部の上流階級が使いました[6]。この説明は業者の資料1件にもとづくので、「といわれる」くらいに受け取ります。

国内の会社の動きもあります。川島織物(いまの川島セルコン)の年表には、1888年に明治宮殿の室内装飾用の織物を製作し、国内で初めて室内装飾・カーテン事業を始めた会社になった、と書かれています[7]。これは同社の年表による説明です。

言葉のほうでは、尾崎紅葉の小説『金色夜叉』(1897〜98年)に、「窓帷(カアテン)を引きたる十畳の間」という文が、日本語の文章での用例として挙げられています[1]。初めて出た例とまでは言えませんが、そのころ、洋風の部屋の様子を、「カアテン」という言葉で小説に書けたことが分かります。

昭和30年代、団地とともに

一般の住宅に本格的にカーテンが広まったのは、昭和30年代に入ってからといわれます。日本住宅公団(1955年発足)がアパートを建て、住宅産業が盛んになると、カーテンが生産されるようになったとされます[6]。団地だけが理由だとは言い切れませんが、ふつうの家への広がりは、1888年から数えて約70年あとのことになります。

日本に洋風カーテンが入った時期について、業者の解説(キングラン東海)は、江戸初期に長崎の出島の外国公館で使われたのが通説で、日本人が使い始めたのは幕末から明治とみられると述べる。当時は輸入の重厚で高価なもので、一部の上流階級に限られたという[6]。この資料は業者の解説1件にもとづくので、学術書による裏づけは今後の課題だ。

国内の産業化は、企業の年表から読める。川島織物(現・川島セルコン)の年表は、1888年に明治宮殿の室内装飾用の織物を製作し、国内で初めて室内装飾・カーテン事業を始めた会社になったと記す[7]。企業の自己申告である点に注意が要る。

言葉の面では、『金色夜叉』(尾崎紅葉、1897〜98年)に「窓帷(カアテン)を引きたる十畳の間」とあり、日本語の用例の一つとして挙げられる[1]。「初出」と断定する根拠は、今回の資料では示されていない。ただ、明治30年ごろの小説に洋風の部屋の描写と、読み仮名つきの外来語としてのカーテンが現れることは、この時期に言葉と物が知られ始めていたことを示す。

一般住宅への普及は、昭和30年代からとされる。日本住宅公団(1955年7月25日発足)のアパート建設で住宅産業が盛んになり、カーテンが生産されるようになったといわれる[6]。これも業者の解説に依拠するため、団地が唯一の要因だとは言い切れない。1888年の宮殿向けの製作から昭和30年代(1955〜64年)の一般家庭までは約70年あり、上流階級の高価な輸入品が、ふつうの家庭の生活用品に変わるには、住宅の供給や生産が重なる必要があった、と考えられる。

こうして並べると、「いつから家で使われているか」には、一つの年号では答えられない。布の起源は古代、窓用の形式は17〜18世紀の西欧、日本の一般家庭への広まりは昭和30年代ごろ、と、段階ごとに答えが変わる。

6. おうちの ぬのを さがして みよう

6. 家の中の「布の役目」を探す

6. 家の中の布を、役目で仕分ける

おうちの 中を 見まわして みましょう。まどの カーテンの ほかにも、ぬのは ありませんか。トイレや おふろの 入口、おし入れ、げんかんの のれん。ベッドの まわりの ぬのも あります。

それぞれ、なんの ために かかって いるか かんがえて みましょう。「かぜを ふせぐ」「光を ふせぐ」「目かくし」「へやを しきる」。むかしの 人の ぬのと、同じ 役目の ものが、見つかるかも しれません。

おうちの 人に、子どもの ころの 家に カーテンが あったか、聞いて みるのも いいですね。

家の中で、布が何の役目をしているかを探してみてください。窓のカーテン、押し入れや入口のカーテン、玄関やお店ののれん、ベッドの周りの布などが見つかるかもしれません。

それぞれを、「風や雨を防ぐ」「光をさえぎる」「人の目をさえぎる」「部屋を区切る」のどれにあたるか分けると、戸口・寝台・窓へと役目を変えてきた歴史のどこにあたるか、考えられます。

家族に、子どもの頃の家にカーテンがあったかどうかを聞くと、昭和30年代前後の話に出会えるかもしれません。

身の回りの布を、役目で仕分けてみる。「空間の仕切り(古代の戸口・ビザンツ期の室内)」「寝台の囲い(中世)」「光・視線の調節(17〜18世紀の窓)」「風雨・寒さの防止(のれん)」のどの役目があるかを、いくつでも考えてみる。そうすると、この記事で見た4つの役目が、今の家でどう重なっているかが見えてくる。

疑問が残るなら、窓用カーテンの普及とガラスの普及の関係や、日本の洋風カーテンの導入時期を、学術書や業界団体の資料で確かめることができる。この記事の日本の導入・普及の記述は、業者の資料に多くを負っているため、そこが次に調べる余地になる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文の事実は、百科事典・博物館の解説・企業の資料を、役目ごとにつき合わせて確かめた。日本の導入・普及時期の一部は、業者の解説に依拠しているため、「といわれる」と書いた。

  1. コトバンク「カーテン」(世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典の記述) https://kotobank.jp/word/%E3%81%8B%E3%83%BC%E3%81%A6%E3%82%93-3148345 (起源・西欧の形式・日本の古い布・用例)
  2. William Smith (ed.), Dictionary of Greek and Roman Antiquities「Velum」 https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/secondary/SMIGRA*/Velum.html (古代ローマの戸口・窓の布)
  3. Dumbarton Oaks, Maguire のエッセイ(織物) https://www.doaks.org/resources/textiles/essays/maguire (ローマ末期〜ビザンツ期の室内の布)
  4. Encyclopaedia Britannica(室内装飾の項) https://www.britannica.com/print/article/147125 (中世の窓と寝台の布)
  5. 京阪電車「のれんの基礎知識・歴史」 https://www.keihan.co.jp/navi/kyoto_tsu/tsu201206.html (のれんの始まり)
  6. キングラン東海 カーテンブログ第22話「日本のカーテンの歴史」 https://www.kingrun-tokai.co.jp/curtainblog/ (日本での導入・普及の説明。業者の資料)
  7. 川島セルコン 会社沿革 https://www.kawashimaselkon.co.jp/en/company/history/ (1888年の室内装飾事業。企業の年表)

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