1. 5000年まえの 家にも、たなが あったの?
1. 入口を入ると、正面に石の棚があった
1. 入口の正面に石の棚 ── スカラ・ブレイの「ドレッサー」
いまから 5000年ぐらい まえ、きたの 島に、石で できた 家が ありました。かべだけでなく、かぐも 石で つくって ありました[2]。
家の 入口を はいると、まっすぐ 前に、石の たなが ありました[1]。どの 家も、ほとんど おなじ ばしょに ありました[2]。
なにを のせて いたのでしょう。だいじな ものを しまったのか、かざったのか、はっきりとは わかって いません[1]。ただし この たなは、にほんの たなとは つながりの ない、べつの はなしです。
では、にほんの たなは、いつごろの 本に 出て くるのでしょう。
スコットランド北部のオークニー諸島に、スカラ・ブレイという新石器時代の集落があります。ここの住居には、石で作り付けた棚のような設備があり、現地の歴史遺産を管理する機関は「ドレッサー」と呼んで、大切な物をしまったり飾ったりするためのものだったのかもしれない、と説明しています[1]。集落は紀元前3180年ごろから2500年ごろまで使われたとされます[2]。
おもしろいのは位置です。石の棚は、どの住居でも入口の正面の壁ぎわの、ほぼ同じところに作られていたといいます[2]。戸口を入ると、まず棚が目に入る配置です。この集落では家具も石で作られ、砂に埋もれて形が残りました[2]。
ただし、何に使ったのかは決まっていません。収納なのか、飾りなのか、それ以上の意味があったのかは、いまも議論されています[1][2]。この石の棚と日本の棚とは、つながりのない別々の歴史です。では日本の棚は、いつごろの記録に出てくるのでしょうか。
北スコットランドのオークニー諸島に、スカラ・ブレイという新石器時代の集落がある。この住居には、石で作り付けた棚状の設備があり、スコットランドの歴史遺産を管理する機関は、これを「ドレッサー」と呼び、大切な物をしまい、また飾るためのものだったのかもしれない、と説明している[1]。集落が使われたのは紀元前3180年ごろから2500年ごろとされる[2]。今年から数えると、およそ4500〜5200年前の暮らしである(計算例)。
注目したいのは位置だ。石の棚は、各住居の入口の正面の壁ぎわに、ほぼ同じ位置で作られていたという[2]。戸口を入った人の目に、まず棚が飛びこむ配置である。この集落では家具も石で作られ、砂に埋もれて形が残った[2]。
ただし用途は確定していない。近くのネス・オブ・ブロダガーの大型建物にも、入口の正面に同様のドレッサーがあり、収納以上の意味があったのかが議論されている[2]。つまり、棚は5000年前にもあったが、何のための棚だったかは、いまも研究者が考えている最中である。なお、この石の棚と日本の棚の間に、直接のつながりは見つかっていない。日本の棚は、日本の資料から別に追う必要がある。
2. にほんでは、たなは いつごろから 出て くるの?
2. 1200年以上前の文献にも「たな」が出てくる
2. 平安初期の文献に出る「たな」 ── 板を横に渡す、ということ
にほんの ふるい 本にも、「たな」は 出て きます。いまから 1200年いじょう まえ、810年ごろの しりょうに、たなを つくる という ことばが あります[3]。1000年ごろの『枕草子』にも 出て きます[3]。
たなとは、ものを のせる ために、いたを よこに わたした ものです[3]。もとは、みのまわりの ものを、手の とどく ところに おく ための、べんりな どうぐでした[5]。
やがて たなは、「おく」だけでは なくなります。「かざる」たなや、「しまう」たなにも なって いきます。じゅんばんに 見て いきましょう。
日本語の辞書では、棚は「物をのせておくために板を横に渡したもの」と説明されます[3]。本棚のほか、藤棚や大陸棚のように、板や段の形をしたものに広く使われることばでもあります[3]。
古い用例は、辞典から拾えます。810年ごろの平安初期の資料に「水の屋の中に別に架(タナ)を作りて」という書きぶりがあり、10世紀の終わりの『枕草子』にも、宜陽殿の一のたなに、という言いまわしが見えます[3]。1200年以上前の日本語に、すでに「たな」があったことになります。
棚には、壁に作り付けたものと、動かせる家具としてのものがあり、前に戸をはめたものは戸棚と呼ばれます[3]。住宅の棚は、もとは身の回りの物を手近に置くための実用品だった、と建築用語辞典は説明します[5]。ここから先は、その棚が「飾る」ものにも、「しまう」ものにも姿を変えていく話です。
棚は、辞書では「物をのせておくために板を横に渡したもの」と説明される[3]。本棚に限らず、藤棚、大陸棚のように、板状・段状のものに広く使われる語でもある[3]。
では日本の家で、棚の語はいつまでさかのぼれるのか。国語辞典の用例を見ると、810年ごろの平安初期点に「水の屋の中に別に架(タナ)を作りて」とあり、10世紀末の『枕草子』にも、宜陽殿の一のたなに、という言いまわしが見える[3]。1200年以上前の文献に、すでに「たな」があった(計算例)。ただし、ここで確かめられるのは「ことばがあった」ことで、どんな家の、どんな棚だったかまでは分からない。
棚には壁に作り付けのものと、移動できる家具としてのもの(棚厨子など)があり、前面に戸をはめたものを戸棚という[3]。また、住宅の棚はもとは身の回りの物を手近に置くための実用品で、のちに飾る棚が発達したと建築用語辞典(JAANUS)は述べる[5]。以下では、資料で確かめられる「置く」「飾る」「しまう」の例を、場面ごとに順に見ていこう。まず、持ち運べる棚の話から入ろう。
3. はこの 中に たなを つけると、どうなるの?
3. 箱の中に棚をつけた「厨子棚」
3. 動かせる棚の登場 ── 厨子の内側に棚をつけた「厨子棚」
平安時代の公家は、本や ふでなどを いれる はこを つかって いました。この はこを「厨子」と いいます[4]。
ずしの 中に たなを つけたのが、「ずしだな」です[4]。はこごと うごかせる たなが できた、と かんがえられます。
のちに 武家も つかい、江戸時代には、だいみょうの かぐや、およめいりの どうぐに なりました[4]。
では、へやに つくりつけの「見せる たな」は、いつ うまれたのでしょう。
平安時代の公家は、書物や文房具をしまうのに、「厨子」という箱形の入れ物を使っていました。もとは仏具や調度に使われた入れ物です[4]。この厨子の内側に棚をつけたものが「厨子棚」(二階厨子)です[4]。
壁に作り付けた棚は、その場所から動かせません。棚が箱の中に入ったことで、棚ごと運べる家具になった、と考えられます(推測)。
のちに武家が取り入れ、江戸時代には黒棚・書棚とあわせて「三棚」と呼ばれ、大名の調度や嫁入り道具になりました[4]。
棚は物を置く場所であるだけでなく、持ち主の格を示す家具としても扱われたわけです。では、部屋そのものに造り付けた「見せるための棚」は、いつ生まれたのでしょうか。
平安時代、公家は書物や文房具を収めるのに、仏具や調度の箱形の入れ物である「厨子」を使った。この厨子の内側に棚をつけたのが「厨子棚(二階厨子)」である[4]。
棚が箱の中に収まれば、壁に作り付けでなくても、箱ごと動かせる。したがって厨子棚は、前章の「移動できる家具としての棚」の代表的な姿といえる(推測を含む)。のち武家が取り入れ、江戸時代には黒棚・書棚とあわせて「三棚」として大名の調度や嫁入り道具になった[4]。
注意したいのは、この厨子棚が、公家や武家など限られた階層の調度として語られている点だ。棚が「しまう」道具になったとしても、それは実用品であると同時に、家の格を示す飾りでもあった。では、座敷に造り付ける「見せるための棚」は、いつ、どんな理由で生まれたのか。
4. たなは、いつから「見せる もの」に なったの?
4. 室町時代に、棚は「見せるもの」になった
4. 「見せる棚」の誕生 ── 室町時代の違い棚と、床の間の脇という位置
室町時代に、たなの やくめが かわりました。しょうぐんの 足利義政の 家などで、かざる ための たなが たくさん つくられる ように なりました[5]。
いまも のこる いちばん ふるい「違い棚」は、慈照寺の 東求堂に ある、1485年の ものです[5]。
この ころ、ちゅうごくから 来た うつくしい ものを かざる ことが はやりました。うるしの うつわや じきは ちがいだなに、かけじくは「押板」に かざりました[7]。
1600年ごろには、床の間の わきに ちがいだなを おく かたちが きまりました[7]。ただし これは、大きな 家の ざしきの はなしです。
棚が「飾るもの」として発達したのは室町時代です。足利義政の小川御所や東山殿などで、飾るための棚が発達したと説明されます[5]。現存する最古の違い棚は、慈照寺の東求堂にある1485年のものとされます[5]。今から約540年前です(計算例)。
なぜ飾る棚が必要だったのでしょうか。この時代は、中国から輸入された美術品で室内を飾ることが流行しました。漆器や磁器を置く違い棚、書を置く書院、掛軸を掛ける押板が、座敷のまわりに造り付けられていきます[7]。将軍の会所でも、付書院や違い棚が造り付けにされ、文具や茶具、唐絵などが飾られました[6]。
こうした座敷の様式が書院造で、室町時代に始まり、桃山時代に完成した武家住宅の様式です。座敷に、床の間・違い棚・付書院を設けます[6]。1600年ごろには、床の間の脇に違い棚を置く標準的な形ができたとされます[7]。
押板は、床の間より前の形です。僧侶の住まいで仏画を掛け、経机に香炉や花瓶を置いた形が祖形とされ、造り付けの押板は15世紀中ごろに現れ、17世紀前半に床の間に取って代わられました[8]。飾る棚がそろう座敷が整った一方で、台所や居間では、棚に別の変化が起きます。
住宅の棚は、もとは身の回りの物を手近に置く実用品だったが、足利義政の小川御所や東山殿などで、飾るための棚が発達した。室町末には、床の間・押板とともに座敷まわりの設備として整った[5]。現存最古の違い棚は、慈照寺東求堂の1485年のもの(約540年前。計算例)とされる[5]。
なぜ、この時代に飾る棚が要ったのか。理由は、飾る物が増えたからだと読める。室町時代には、中国(宋)から輸入された美術品で室内を飾ることが流行し、漆器や磁器を置く違い棚、漢籍を置く書院、掛軸を掛ける押板が、座敷まわりに造り付けられた[7]。将軍の会所でも付書院や違い棚が造り付けにされ、文具・茶具・唐絵や唐物が飾られている[6]。だから棚は、物をのせる板であると同時に、持ち主の趣味と、手に入れた品を見せる舞台でもあった。
この座敷の様式が書院造である。室町時代に始まり桃山時代に完成した武家住宅の様式で、床の間・違い棚・付書院を設ける[6]。1600年ごろには、床の間の脇に違い棚を置く標準的な形ができたとされる[7]。
押板の経緯は少し複雑である。押板の祖形は、室町以前の僧侶の住房で、仏画を掛けた下の経机に香炉・花瓶・燭台を置いた形とされ、造り付けの押板は15世紀中ごろに現れ、17世紀前半に奥行き半間の床の間に取って代わられた[8]。つまり「飾る棚」は、押板→床の間と、違い棚という別々の流れが、座敷でいっしょになって整った。次は、その反対側にある、しまうための棚の話である。
5. たなに とを つけたら、なにが かわるの?
5. 江戸時代に広まった、しまうための戸棚
5. 江戸時代に広まった戸棚 ── 戸の奥にしまう棚
たなに「と」を つけた ものが、戸棚です[3]。江戸時代に、とを つくる ぎじゅつが すすむと、まわりを いたや つちの かべで かこみ、正面に とを つけた とだなが ひろまりはじめました[9]。
とが あると、なかみは 見えません。「見せる」たなとは はんたいで、「しまう」ための たなです。ごはんや うつわを しまう たな、ふとんを いれる たなも ありました[9]。
「とだな」という ことばが 本に 出て くる いちばん ふるい れいは、1689年の ものがたりです[9]。ただし、この 年に とだなが うまれた わけでは ありません。
室町の違い棚が「見せる」ための棚だとすれば、江戸時代に広まった戸棚は、その反対の「しまう」ための棚です。もともと日本では、棚や箱を収納具として使っていましたが、江戸時代に建具が発達すると、棚のまわりを板や土壁で囲み、正面に戸をつけた戸棚が広まりはじめました[9]。
戸棚は、しまうものによって種類が分かれます。食物や食器を収める水屋、膳棚、ふとんや行李を入れる部屋戸棚などです[9]。
「戸棚」ということばの最初の用例は、1689年に出た浮世草子『本朝桜陰比事』で、お金の丁銀を戸棚の前に置いた、という場面に出てきます[9]。今から約340年前です(計算例)。ただし、これは辞典が挙げる最初の用例の年で、戸棚が生まれた年ではありません。
では、棚は貴族や武家の家だけのものだったのでしょうか。ふつうの家の棚については、どこまで言えるのでしょうか。
室町の違い棚が「見せる」棚なら、江戸時代に広まった戸棚は「隠してしまう」棚である。日本では古くは棚や箱を収納具として使っていたが、江戸時代に建具が発達すると、棚のまわりを板や土壁で囲み、正面に戸をつけた戸棚が一般に広まりはじめた[9]。戸がつくことで、棚の中身は外から見えなくなり、戸棚は「しまう」ための棚になる。
種類は、しまう物で分かれる。食物・食器を収める水屋、膳棚、ふとんや行李を入れる部屋戸棚などがある[9]。名前に台所の道具や寝具が並ぶことから、戸棚は座敷よりも、暮らしの場面に根ざした家具だったことが分かる。
「戸棚」の語の初出例は、1689年の浮世草子『本朝桜陰比事』(精選版日本国語大辞典による)で、丁銀を戸棚の前に置いた、という場面に出る[9]。約340年前である(計算例)。ただし初出例は辞典が引いた最も早い用例にすぎず、戸棚の成立年を示すものではない。
ここまでの棚は、公家・武家・寺院の座敷の話が中心だった。では、農家や長屋の棚は、いつ、どれくらい広まったのか。
6. ふつうの 家の たなは、いつから あるの?
6. ふつうの家の棚は、いつから? 分かること、分からないこと
6. 庶民の家の棚の普及 ── 資料で言えること、言えないこと
ここまでの はなしは、公家や 武家、おてらの 家が ちゅうしんでした。のうかや ながやの たなが、いつから どれぐらい ひろまったかは、わかって いません。
てがかりは あります。のうかにも、かけじくを かざる「押板」が ありました[8]。ただし 1700年代の おわりごろ、「田」の じの ような 間取りが ひろまると、つくられなく なりました[8]。
石の たなから 戸だなまで、たなは「おく」「かざる」「しまう」と、やくめを かえて きました。どの たなも、その 時代の くらしの そばに ありました。
ここまで見てきた棚は、公家や武家、寺院の座敷の話が中心でした。農家や長屋の棚が、いつごろから、どれほど広まったのかを直接示す記述は、今回あたった辞典や用語辞典には見当たらず、いつからとは言えません。
手がかりは少しあります。押板は農家にもあったとされますが、18世紀後半に田の字型の間取りが広まると、作られなくなりました[8]。また、水屋や部屋戸棚のように、食べ物や寝具をしまう戸棚の名前が並ぶことは、暮らしの場面で使われた戸棚の種類があったことは分かります[9]。ただし、いつ、どれほど広まったかは分かりません。
石の棚から戸棚までを通して見ると、棚という同じ名前のものが、「置く」「飾る」「しまう」と役目を移し、時代と暮らしに合わせて形を変えてきたことが読み取れます。5000年前の石の棚の用途がいまも議論されているのと同じように、庶民の棚の歴史にも、まだ書かれていない部分があります。
ここまでの棚は、公家・武家・寺院の座敷の話が中心だった。農家や長屋の棚が、いつ、どれくらい広まったのかを直接示す記述は、今回あたった辞典・用語辞典の範囲には見当たらず、普及の時期は断定できない。
手がかりは2つある。第一に、押板は農家にもあったが、18世紀後半に田の字型の間取りが広まると作られなくなった[8]。農家の間取りの変化が、飾る設備を変えたことが分かる。第二に、江戸時代の戸棚の種類として、食物・食器の水屋、膳棚、ふとんや行李を入れる部屋戸棚が挙がる[9]。暮らしの場面で使われた戸棚の種類があったことは分かる。ただし、いつ、どれほど広まったかは分からない。
全体を通して見ると、棚は一つの直線的な進歩ではなく、場面ごとに役目を変える道具だったと分かる。手近に物を置く実用の棚、箱に入って動かせる厨子棚、座敷で品を見せる違い棚、戸の奥にしまう戸棚。5000年前の石の棚の用途が議論中であるのと同じく、庶民の棚の普及は、これから資料を調べて埋められる部分である。
7. うちの たなは、おく・かざる・しまうの どれ?
7. 自分の家の棚を「置く・飾る・しまう」に分けてみる
7. 家の棚で確かめる ── 「置く・飾る・しまう」の仕分けと、資料の探し方
おうちの たなを 見て みましょう。ものを ただ おいて いる たなは「おく」。すきな ものを ならべて いれば「かざる」。とが ついて いれば「しまう」かも しれません。
ひとつの たなが、ふたつの やくめを して いる ことも あります。たかい ところは ふみだいに のらず、大人に たのんで ください。
おでかけの ときは、床の間の ある ざしきで、わきの たなを さがして みても おもしろいでしょう。
今日できること:家の棚を一つ選び、「置く」「飾る」「しまう」のどれにあたるかを考えてみます。戸がなく物を載せているだけなら「置く」、好きな物を見せるように並べていれば「飾る」、戸の奥に入れていれば「しまう」です。台所の棚と居間の棚で、役目がちがうかもしれません。高いところの物を取るときは、踏み台に乗らず、大人に頼んでください。
出かけてできること:和室のある寺や古い建物、資料館などで、床の間の脇に棚があるかを見てみます。違い棚の棚板が、どんなふうに組まれているかを見ると、室町の座敷を想像できます。
調べたくなったとき:「コトバンク」で「棚」「戸棚」「違い棚」を引くと、辞典ごとの用例や説明を日本語で読み比べられます[3][9]。庶民の棚の普及は、この記事では分かっていないところです。
家の棚を「置く・飾る・しまう」に分けて、自分の家の棚が、どの時代の棚に近いかを考えてみるとよい。戸のない開いた棚は実用の棚や違い棚に、戸のある棚は戸棚に近い。ただし、家の棚は複数の役目を兼ねることが多く、きれいに分かれない点も面白い。高所の物を取るときは踏み台に乗らず、大人に頼むこと。
出かけられるなら、和室のある寺院や古い建物、資料館で、床の間と違い棚の位置関係を見るとよい。本文の「1600年ごろに標準形ができた」という説明[7]を、実際の座敷で確かめられる。
資料の読みどころは3つある。①「コトバンク」は、辞典ごとの用例を日本語で比べられる[3][9]。②JAANUS(日本建築用語の英語辞典)は、違い棚・厨子棚・押板の項に、時代と用例を載せる[4][5][8]。③スカラ・ブレイの石の棚は、現地機関の解説で原文が読める[1]。庶民の棚の普及時期は、これらの記述だけでは埋まらず、民家の研究や発掘の報告に当たる価値のある問いである。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:現地の遺跡管理機関の解説、百科事典、国語辞典、日本建築用語の辞典を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- Historic Environment Scotland「Skara Brae: history and stories」。https://www.historicenvironment.scot/visit/all/skara-brae/history-and-stories/ (石の棚「ドレッサー」の用途の説明について。遺跡管理機関の解説)
- Wikipedia「Skara Brae」。https://en.wikipedia.org/wiki/Skara_Brae (集落の年代、棚の位置、石の家具について。百科事典の記事。年代は資料により幅がある)
- コトバンク「棚」(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。https://kotobank.jp/word/%E6%A3%9A-93801 (棚の意味と、古い文献の用例について。国語辞典)
- JAANUS「zushidana 厨子棚」。https://projects.mcah.columbia.edu/jaanus/node/20 (厨子棚と三棚について。日本建築用語の英語辞典)
- JAANUS「chigaidana 違い棚」。https://projects.mcah.columbia.edu/jaanus/record/chigaidana (棚がもとは実用品だったこと、違い棚の発達と現存最古の例について)
- コトバンク「書院造」。https://kotobank.jp/word/%E6%9B%B8%E9%99%A2%E9%80%A0-78777 (書院造と、座敷に設ける設備について。事典)
- コトバンク「床の間」。https://kotobank.jp/word/%E5%BA%8A%E3%81%AE%E9%96%93-105027 (室町時代の飾る文化と、床の間の脇の違い棚について。事典)
- JAANUS「oshi-ita 押板」。https://projects.mcah.columbia.edu/jaanus/record/oshiita (押板の成り立ちと、農家の押板について)
- コトバンク「戸棚」。https://kotobank.jp/word/%E6%88%B8%E6%A3%9A-583731 (江戸時代の戸棚の広まりと、「戸棚」の初出例について。事典・国語辞典)
なおした ところ
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