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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

畳たたみは、むかしから 部屋いっぱいに しいて あったの?

畳はどのように部屋いっぱいに敷かれるようになったのか:置いて使う家具だった時代から

畳はいつ、どのような経緯で部屋全体に敷きつめられ、庶民の家に広まったのか

分野:歴史・文化

奈良時代ならじだいの 重要文化財じゅうようぶんかざいの しきものは、今の 畳たたみの おもてと おなじ い草で できて います。ところが、そのころの 畳たたみは、部屋に しきつめる ものでは ありませんでした。

では、畳たたみは いつから 部屋いっぱいに なったのでしょう。ふつうの 家に ひろまったのは いつでしょう。この ページを 読むと、おいて つかう 畳たたみから しきつめる 畳たたみへの かわりかたが わかります。

奈良時代の重要文化財「藺筵」は、今の畳表に使われるものと同じい草で編まれた敷物です[1]。千年以上前の藺筵と今の藺筵は、仕様がほぼ同じだと解説されています。けれども、そのころの畳は、部屋に敷きつめるものではありませんでした。

畳は、いつ、どのようにして部屋いっぱいに敷かれるようになったのか。ふつうの家にまで広まったのはいつなのか。この記事を読むと、置いて使う畳から敷きつめる畳へ変わった流れと、その中で変わらなかったものが分かります。

奈良時代の重要文化財「藺筵」は、現在の畳表に使われるものと同じい草で編まれており、仕様は今の藺筵とほぼ同じだという[1]。藺筵の仕様は、奈良時代からほとんど変わっていないと判断されている。一方、畳の使い方は大きく変わった。当初の畳は、床一面に敷くものではなかったからである。

では、置いて使う畳は、どのような段階を経て部屋全体に敷きつめられ、庶民の家に届いたのか。この記事を読むと、その流れと、資料によって幅のある点が分かる。

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1. 奈良時代ならじだいの しきものは、今の 畳たたみと おなじ ざいりょう?

1. 奈良時代の重要文化財は、今の畳表と同じ素材でできていた

1. 奈良時代の「藺筵」と現在の畳表は、どこまで同じなのか

畳たたみの はじまりは、とても むかしです。縄文じょうもん時代から 弥生時代やよいじだいの 人たちは、まわりに あった いねの わらなどで、しきものを つくって いたと せつめいされて います。

「畳たたみ」という 名前が 文しょに はじめて 出て くるのは、奈良時代ならじだいの 『古事記こじき』です。「すげ」の 草で あんだ 畳たたみの ことばが 出て きます。

そして 奈良時代ならじだいの しきもの「いむしろ」が、重要文化財じゅうようぶんかざいに なって います。い草で あんだ ものです。せつめいでは、今の 畳たたみの おもてに つかう ものと おなじ だと されて います。

今の い草の しきものと ほぼ おなじ つくりだと いわれ、千年いじょう まえから 大きく かわって いないようです。

畳につながる敷物は、縄文時代から弥生時代にかけて、稲わらなど身近な草で作られていたと説明されています[2]。ただし、それが今の畳の作りにどうつながるかは、資料では述べられていません。「畳」という名前が文献に初めて登場するのは、奈良時代の『古事記』で、「菅畳八重」「皮畳八重」といった言葉が見られます[2]。

重要文化財に指定されている奈良時代の「藺筵」は、い草で編んだ敷物で、現在の畳表に使われているものと同じ素材です。国立文化財機構のe国宝の解説は、これを現在の藺筵と比べて「ほとんど変わっていない」と述べています[1]。

素材と編み方が千年以上続いているのは、驚きです。しかし、これだけでは「そのころの畳は今と同じだった」とは言えません。当時の畳は、どのように使われていたのでしょうか。

畳につながる敷物は、縄文時代から弥生時代にかけて、稲わらなど生活圏の資源で作られたとされる[2]。「畳」の名が文献に初めて現れるのは奈良時代の『古事記』で、「菅畳八重」「皮畳八重」などの記述がある[2]。ただし、縄文・弥生の敷物が現在の畳の構造へどう変わったかという具体的な過程は、今回の資料から明確には言えない。

奈良時代の遺品として、重要文化財「藺筵(長畳)」がある。e国宝の解説によれば、い草で編んだ敷物で、現在の畳表に使われるものと同じ素材であり、現在の藺筵とほぼ同じ仕様であることから、奈良時代から藺筵の仕様はほとんど変わっていないと判断されている[1]。したがって、少なくとも表面の素材と編みの仕様に関しては、千年を超える連続性がある。

では、素材が変わらなければ、使い方も同じだったのか。次に見るように、使い方は大きく異なっていた。

2. むかしの 畳たたみは、どこに おいて つかったの?

2. 昔の畳は、敷くものではなく「置く」ものだった

2. 昔の畳は床に敷くものではなく、必要な所に置く座具・寝具だった

むかしの 畳たたみは、部屋じゅうに しいて ありません。すわる ところや ねる ところに、一まいずつ おいて つかいました。ざぶとんと ベッドの あいだのような ものです。

いちばん 古い つかわれ方は、えらい 一族の 家で、ねだいの 上に しく ものでした。

平安時代へいあんじだいの 貴族きぞくの 家は、板の ゆかでした。そこに 畳たたみを おいて、すわったり ねたり したのです。

この 畳たたみには、使う 人の 高さに よって、あつさや ふちの もようと 色が ちがいました。

畳たたみは、使う 人が どんな 人かを あらわす ものでも あったのです。

文化庁の「畳製作」の解説によると、畳はもともと、有力な氏族の邸宅で、寝台の上に敷くものとして使われました[3]。貴族の邸宅である寝殿造では、畳は座る道具や寝る道具として、必要な場所に置いて使う「置畳」の形でした[3]。つまり、床一面に敷くのではなく、動かせる家具に近い使い方です。

平安時代には、板敷きの床に畳を置いて座具や寝具にし、使う人の身分によって畳の厚さや縁の柄・色が違ったと説明されています[2]。畳は、持ち主の立場を表す目印でもありました。

では、その畳が、なぜ部屋いっぱいに並ぶようになったのでしょうか。

文化遺産オンラインの「畳製作」の解説は、畳の使い方を段階で整理している。古くは、有力氏族の邸宅における寝台の上敷だった。貴族の邸宅である寝殿造では、座具や寝具として、必要な場所に置いて使う「置畳」式だった[3]。畳は部屋の床そのものではなく、床の上に置く、動かせる設備だったことになる。

平安時代については、板敷の上に座具や寝具として置く使い方で、使う人の身分によって畳の厚さや縁の柄・色が異なったとされる[2]。厚さや縁の違いが身分を示したのだから、畳は実用品であると同時に、序列を見せる道具でもあった。

この「置いて使う」状態から「敷きつめる」状態へは、どのように移ったのか。

3. 部屋いっぱいに しく ように なった わけは?

3. 置畳から敷きつめへ:部屋の使い方が変わった

3. 置畳から敷きつめへ:書院造が発展したころの変化

その あと、畳たたみは 少しずつ 部屋の まわりに しかれ、やがて 部屋ぜんたいに しきつめられました。

室町時代むろまちじだいの ころ、書院造しょいんづくりという 家の つくり方が ひろがりました。この 時代に、畳たたみを しきつめる くせが ひろまったと せつめいされて います。

こう なると、畳たたみは すわる ための 一まいでは なく、部屋の ゆかに なります。ざぶとんを 部屋じゅうに ならべたら、そのまま ゆかに なった、と 思うと わかりやすいでしょう。

ただし、どの 部屋で いつから そう なったかは、しりょうでは こまかく 書かれて いません。

文化庁の解説は、置畳の次の段階として、畳が室内の周囲に「追い回し」に敷かれ、さらに室内全体に敷きつめられるようになったと説明しています[3]。座る場所に一枚ずつ置いていた畳が、まず部屋の外側をぐるりと囲み、やがて床全体を覆うようになったわけです。

このころ、室町時代ごろに書院造の建築が発展したことが、敷きつめる習慣が広まった背景とされています[3]。畳が「部屋の中の座る場所」から「部屋の床そのもの」に変わったのです。

ただし、「いつ、どの建物から」という細かな順序は、今回の資料からは言えません。確かなのは、置畳、追い回し、敷きつめという三つの段階が、国の解説に書かれていることです。では、この畳を、ふつうの人の家でも使えるようになったのは、いつでしょうか。

置畳式の次に、文化遺産オンラインの解説が挙げるのは、畳が室内の周囲に「追い回し」に敷かれる段階と、室内全体に敷きつめられる段階である[3]。置いて使う座具が、部屋の外周を囲む敷物になり、最終的に床の全面を覆う仕上げ材になったという順序だ。

この変化は、室町時代ごろの書院造建築の発展とともに、畳を敷きつめる習慣が広まったと説明されている[3]。畳は、家具から建築の一部へ位置づけが変わったと言える。

ただし、この解説は変化の大きな流れを示すだけで、どの建物でいつ段階が進んだかという細かな時期までは示さない。この解説が示す大きな流れを踏まえて、次に、畳が一般の住宅へ広まった時期を確かめる。

4. ふつうの 家で つかえる ように なったのは いつ?

4. 庶民の家に畳が届いたのは、江戸時代中期以降

4. 庶民への普及:江戸時代中期以降と、資料の幅

それまでの 畳たたみは、おもに えらい 人の 家で つかう ものでした。ふつうの 人が つかえる ように なったのは、江戸時代えどじだいの 中ごろ より あとだと いわれます。

そのころ、畳たたみを つくったり なおしたり する しごとの 人が いて、「畳たたみや」と よばれました。畳たたみを 外に 出して ほす 家が、まちの あちこちで 見られました。

一つの 家に 畳たたみが とどくまでは、ゆっくり 時間が かかりました。国の せつめいも「少しずつ ひろまった」と 書いて います。

全国畳産業振興会の解説では、庶民が畳を使えるようになったのは江戸時代中期以降です。畳師・畳屋と呼ばれる人々が活躍し、畳を干す家々の光景があちこちで見られるようになりました[2]。

文化庁の解説も、畳は近世以降、一般住宅にも「徐々に」浸透したと述べています[3]。ある日いきなり全員の家に敷かれたのではなく、時間をかけて広がったことが分かります。

ただし、庶民への普及の時期は、地域や階層によっても違い、資料によって書き方に幅があります。一つの年を決めるより、「江戸時代中期以降、少しずつ」と受け取るのが安全です。では、畳は何でできているのでしょうか。中をのぞいてみましょう。

庶民への普及について、全国畳産業振興会は「江戸時代中期以降」とし、畳師・畳屋が活躍して畳を干す家々の光景が広く見られるようになったと述べる[2]。文化遺産オンラインは、近世以降に一般住宅へ「徐々に」浸透したと表現する[3]。

二つの解説は、「江戸時代中期以降」と「近世以降、徐々に」と、言い方が少し異なる。普及の時期は地域や階層によって幅があり、資料によって表現も違うため、特定の年を挙げることは避けるべきである。畳師・畳屋という専門の職があったことは、畳の需要が広がり、作りと手入れを引き受ける人が必要になっていたことを示す。

こうして畳は、床材として定着した。では、その畳は、どのような構造と工程でできているのか。

5. 畳たたみの 中は、どう なって いるの?

5. 畳の中身と、技を守る人たち

5. 畳の構造と、伝統的な工程が文化財の技術として選ばれた理由

畳たたみは、三つの 部分で できて います。中みの「畳たたみどこ」、ひょうめんの「おもて」、ふちの「へり」です。

中みの たたみどこは、かわいた わらを 何そうにも かさねて、ぎゅっと おして つくります。畳たたみの 作り方を しょうかいする 記事では、40センチの あつさが 5センチまで ちぢむと せつめいされて います。もとの 8分の1です。

ひょうめんの い草は、かりとった すぐあとに、土を とかした 水に つける「どろぞめ」を する ところも あります。つやと 色を ととのえる ためだと 国の とうろくしりょうは 書いて います。

こうした 畳たたみづくりの わざは、2004年に、国が まもる ぎじゅつに えらばれました。

畳は、「畳床」「畳表」「畳縁」の三つの部分でできています[4]。芯になる畳床は、稲藁を交互に積み重ね、麻糸で縫い締めて作ります[3]。科学技術振興機構の記事は、乾燥した藁を何層にも重ねて圧縮し、40cmの厚みを5cmまで縮めると紹介しています[5]。計算すると、元の厚みの8分の1です。

表面の畳表はい草で編みます。熊本県産い草の地理的表示(GI)の登録資料では、刈り取り直後のい草を染土の液に浸す伝統的な「泥染め」で光沢や色調を整えるとされ、この工程は、品質を長く保つ効率的な製法として確立したと書かれています[6]。

畳を作る技術は、2004年に、文化財建造物の保存修理に必要な「選定保存技術」に選ばれました[3]。畳は、昔の建物を直して残すための技術にもつながっているのです。

畳は、畳床・畳表・畳縁の三つの部分からなる[4]。畳床は、稲藁を交互に積み重ねて麻糸で縫い締めて作る[3]。科学技術振興機構の記事は、乾燥した藁を何層にも重ねて圧縮し、40cmの厚みを5cmまで縮めると述べる[5]。40÷5で、厚みは8分の1になる。

表面の畳表の原料であるい草について、農林水産省が登録した地理的表示「くまもと県産い草」の資料は、刈り取り直後のい草を染土の液に浸す「泥染め」で光沢と色調を整えるとする。さらに、この工程は栽培の歴史の中で、品質を長く保つための効率的な製法として確立したと記す[6]。ただし、この資料から言えるのは熊本県産い草の製法であって、すべての畳表の作り方ではない。

こうした製作技術は、2004年9月2日付で、文化財建造物の保存修理に必要な選定保存技術に選定されている[3]。使い方や素材の歴史と、この選定の理由との関係は、資料には書かれていない。

6. 自分の 家の 畳たたみを 見て みよう

6. 自分の家の畳を、ものさしで調べる

6. 身近な畳から、地域差と原典へたどる

きょう できる こと

おうちの 人に きいて、畳たたみの ある 部屋を 見せて もらいましょう。ふちの もようや 色、おもての い草の あみ目を、よく 見ます。ひょうめんは、手で なぞると 一方に すべりやすい ことが あります。

ものさしで 畳たたみの 長い 方を はかって みましょう。西日本の「京間きょうま」や かんとうの「江戸間えどま」など、地いきに よって 大きさが 少しずつ ちがうと せつめいされて います。ただし、ふるい 家や ざぶとんの おき方で、あてはまらない ことも あります。

むかしの しきものを 見たい とき

「e国宝こくほう」という サイトで「いむしろ」と しらべると、奈良時代ならじだいの しきものの せつめいが 読めます。おとなの 人と 見て みましょう。

自分の家の畳を調べる

畳のある部屋があれば、縁の柄と色、畳表の編み目を観察してみましょう。もし和室が家になければ、学校や公民館、お寺、旅館の和室でもかまいません。

次に、畳の長い辺をものさしで測り、メモをします。西日本の「京間」、東海の「中京間」、関東圏の「江戸間」などの規格は、それぞれ寸法が少しずつ違うと説明されています[4]。測った値と、住んでいる地域の規格が合うかを見ると、畳が地域ごとに作られてきたことが実感できます。ただし、建物が古い場合や建て替えた場合には、規格どおりにならないこともあります。

原典に当たる

e国宝[1]と、文化遺産オンライン[3]は日本語で読めます。重要文化財「藺筵」の解説は短く、素材が今の畳表と同じと判断した根拠が書かれています。

測って比べる

畳の長辺を測り、住んでいる地域の規格(西日本の京間、東海の中京間、関東圏の江戸間など)と比べる[4]。建物が古いとき、改築されているときは規格どおりにならないことがある。測った値を地域の規格と比べ、違いがあれば、建物の古さや改築も考えてみよう。

資料を読むなら

e国宝[1]は、藺筵の仕様が奈良時代から変わっていないと判断した根拠の説明を読める。文化遺産オンライン[3]は、置畳から敷きつめまでの段階と、選定保存技術の指定年月日を記す。庶民への普及時期の幅は[2]と[3]を並べると見える。工程の写真や図は[5]、泥染めの記述は[6]にある。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。

  1. e国宝「藺筵(長畳)」(国立文化財機構). https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100646&content_part_id=000&content_pict_id=0&langId=ja&webView= (奈良時代の藺筵と畳表の素材)
  2. 全国畳産業振興会「畳の歴史」. https://www.tatami.in/history/ (畳の原型、古事記、平安時代、庶民への普及)
  3. 文化遺産オンライン「畳製作」. https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/171215 (置畳から敷きつめへの段階、畳床の作り、選定保存技術)
  4. UR都市機構「畳とは?構造や特徴、メンテナンスのコツを解説」. https://www.ur-net.go.jp/chintai/sp/college/202312/001136.html (畳の三つの部分、地域ごとの規格)
  5. 科学技術振興機構 サイエンスチャンネル「THE MAKING(243)畳ができるまで」. https://scienceportal.jst.go.jp/sciencechannel/b070601243/ (畳床の圧縮)
  6. 農林水産省 地理的表示登録「くまもと県産い草」. https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/0008/index.html (泥染め)

なおした ところ

更新履歴

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