1. おしろで あしを けがした ひとは だれ?
1. 将軍の秘書役だった旗本は、城でのけがで役目を離れた
1. 津軽采女は、将軍のそばの役目を離れて釣りの本を書いた
この ほんを かいた ひとは、つがるの 采女と いいます。江戸に いた おさむらいで、将軍の 綱吉の すぐ そばで はたらく ことに えらばれました[1]。
ところが、おしろの なかで ひだりの あしを けがして、その やくめを やめました。つぎに うつった のは、あまり いそがしく ない やくめでした[1]。
そこで はじめた ことが、釣りの ほんを かく ことです。では、その ころの 江戸の 釣りは、どんな ようすだった のでしょう。
著者は津軽采女(本名は政兕)といい、弘前藩津軽家の分家で、黒石四千石を治めた旗本です。1667年(寛文7年)の生まれとされます[2]。
采女は五代将軍綱吉の側小姓に抜擢されました。将軍のそばで秘書官のように仕える役です。ところが江戸城の中で左足にけがをして、その理由で役を辞し、寄合という閑職へ移りました[1]。けがのいきさつは、資料には書かれていません。
そのあとに書かれたのが『何羨録』です。名前の読みは「采女」が「うねめ」、「何羨録」が「かせんろく」。政兕は「まさとら」と読まれ、資料によっては「まさたけ」とも書かれていて、読み方が一つに決まっていません[2]。
将軍の近くにいた人が、釣り場や道具を細かく書いた本を残したのです。では、その頃の江戸で釣りは、どんな趣味だったのでしょうか。
著者は津軽采女(本名政兕)である。弘前藩津軽家の分家で、黒石四千石の旗本にあたり、1667年(寛文7年)の生まれとされる[2]。采女という通称は、本名よりも名前の知られた呼び方になっている。
注目したいのは経歴のほうだ。采女は綱吉の側小姓に抜擢され、将軍の秘書官にあたる役を務めた。だが江戸城内で左足を負傷し、それを理由に役を退いて、閑職の寄合に移っている[1]。負傷の原因は、参照した資料には書かれていない。出世の入口に立っていた旗本が、思わぬ形で時間を得たわけで、『何羨録』はその後に書かれた[1]。
読み方は、資料のあいだで食いちがう。采女は「うねめ」、書名は「かせんろく」と読む。政兕は『弘前藩日記』に「まさとら」とあるが、資料によっては「まさたけ」とも書かれる[2]。また書名は『河羨録』と書かれることもあるが、写し間違いとされ、本来は『何羨録』である[2]。コトバンクの世界大百科事典の項目も『河羨録』の表記を採っているので、検索するときは両方の字で探す必要がある[3]。
では、将軍のそばを離れた旗本が向かった釣りは、当時どんな位置にある趣味だったのか。
2. つりが きんしされた じだいの あとは?
2. 釣りが禁じられた時代のあと、江戸の釣り人はどうなったか
2. 15年の禁止ののち ── 流派を持たない趣味として盛り返した江戸の釣り
じつは、綱吉の じだいには、釣りが きんしされた ことが ありました。きんしの きかんは 15ねんと いわれます[1]。
けれど 綱吉が なくなると、きんしは すぐに なくなりました。釣りは ふたたび さかんに なったと いいます[1]。
武士の なかには、釣りを からだを きたえる ぶげいの たしなみと かんがえる ひとも いたそうです[1]。
さらに、江戸の 釣りは、けんじゅつの ように 「りゅうは」を つくらず、ひとりひとりの しゅみとして そだったと いわれます[1]。ならば、この ほんには なにが かいて あるのでしょう。
『何羨録』が生まれる少し前、江戸では釣りが禁じられた時期がありました。綱吉の時代に釣りが禁じられた時期があり、その期間は約15年とされます[1]。
綱吉が亡くなると禁止令はすぐに廃止され、釣り文化は再び盛んになりました[1]。武士の中には、釣りを武芸のたしなみのひとつと考える人もいたといいます[1]。
おもしろいのは、江戸の釣りが剣術のように流派を作らなかったことです。決まった師匠から弟子へ教えが伝わるのではなく、個人の趣味として育ったとされます[1]。
流派の秘伝書ではなく、一人の旗本が自分の名で書いた全3巻の本。この本には、釣り場から道具、天気まで幅広い話題が入っています。では、その3巻には何が書かれているのでしょうか。
『何羨録』が書かれた背景には、釣りが一度、禁止された歴史がある。綱吉の時代には釣りが禁じられた時期があり、その期間は約15年とされる。綱吉の死後に禁止令は即日廃止され、釣り文化は再び盛んになった[1]。禁止や罰の細かい話は本題ではないので省くが、釣りが再び公然とできるようになった時期に、この本が書かれたことは押さえておきたい。
では、再び盛んになった釣りは、どのように受け止められたのか。武士の間では、釣りを武芸のたしなみのひとつと考える人もいたという[1]。さらに江戸の釣りは、剣術のような流派を作らず、きわめて個人的な趣味として発展した[1]。決まった師匠や型がない以上、釣りの技を言葉と図で書き残した本は、読む側にとっても貴重なものだったはずだ。
この「流派がない」という点は、本の性格を読み解く手がかりになる。『何羨録』は、特定の流派の奥義を弟子に伝える書ではなく、一人の旗本が自分の名でまとめた技術書として読める。ただし、流派がなかったことと、この本が書かれた理由とを、資料が直接結びつけているわけではない。この記事でも、因果として書くのは避ける。
では、3巻にはどんな項目が並んでいるのか。
3. 3さつの ほんには、なにが かいて ある?
3. 全3巻には、釣り場から天気まで書かれていた
3. 上・中・下巻の構成 ── 品川沖のキス釣りを軸にした技術の百科
この ほんは、上・中・下の 3さつです。江戸の うみで、どこで 釣れるかを おしえる ところから はじまります[2]。
おもに かいて あるのは、キスと いう さかなの 釣りかたです。竿、はり、いと、おもり、えさ。ひとつずつ、くわしい ずを つけて せつめいして います[2]。
さいごに のって いるのは、江戸の うみの てんきの みかたです[2]。
いまの ほんで いうと、釣り場の あんない、どうぐの せつめい、てんきの はなしが 1さつに なった ものです。ただし 「いまの ほん」の ように だれでも かえる ほんでは ありませんでした。それは あとで はなします。
『何羨録』は、江戸前、つまり江戸湾の釣り場の案内から始まります。そのあとは、主にキス釣りの技術を、竿、鉤、糸、錘、テンビンとウキ、エサの各部に分けて、詳しい図を添えて解説しています[2]。本の最後には、江戸湾の天気の見方が載っています[2]。
世界大百科事典も、同じような中身を説明しています。東京湾の品川沖のキス釣り場から神奈川側までの詳しい釣り場、天候の見方、竿・針・おもりなどが3巻にまとめられている、というものです[3]。2つの資料で、扱う範囲が重なっています。
釣り場、道具とエサ、天候の順に話が進むので、行き先を決め、道具をそろえ、空を見る、という流れで読めます。
この中から、道具と天気の話を1つずつ見てみましょう。まず、釣り針です。
『何羨録』は上・中・下の3巻からなる[1]。構成を二つの資料で比べると、重なる部分が多い。水産研究・教育機構の図書資料は、江戸前(江戸湾)の釣り場案内から始まり、主にキス釣りの技術を、竿・鉤・糸・錘・テンビンとウキ・エサの各部ごとに詳細な図で解説し、最後に江戸湾の天候の見方を載せると紹介する[2]。世界大百科事典は、品川沖のキス釣り場から神奈川側にいたる詳細な釣り場、天候の見方、竿・針・おもりを3巻にまとめた書とする[3]。
この2つを合わせると、釣り場が先、道具とエサが中ほど、天気が最後、という順序が見える。釣りに出る前から出たあとまでを、1冊が順に支える構成といえる。
軸になっているのは、品川沖を中心とするキス釣りである。道具は竿・鉤・糸・錘・ウキなどの部品ごとに章が立てられ、図が添えられている。竿の作りの細部は、本稿では扱わない。
では、道具の章に何が書かれているのか。釣り針に絞って見てみる。
4. つりばりが 33しゅるいも あった?
4. 鉤の章に33種類が並び、根がかりでは伸びて外れた
4. 「鉤之部」の33種類 ── 軟らかく作られた鉤の意味
「はりの ぶ」には、釣りばりが 33しゅるい のって います[1]。33は、クラスの はんぶん いじょうの ひとの かずに にて います。それだけ、はりの くふうが いろいろ あったのでしょう。
この ころの はりは、やわらかく できて いました。うみの そこの いしや くさに ひっかかった ときは、はりが のびて はずれるように つくって ありました[1]。
いまの はりは かたい ものが おおいので、ずいぶん ちがいます。
鉤の部には、33種類もの釣り鉤が紹介されています[1]。同じキス釣りでも、これだけ形の違う鉤を使い分けていたことになります。
当時の鉤は軟らかく作られていました。海底の石などに引っかかる「根がかり」を起こすと、鉤が伸びて外れるように作ってあったのです[1]。引っかかって動けなくなるのではなく、わざと曲がるようにしておく発想です。
では、なぜそうしたのか。資料はその理由までは書いていないので、ここでは理由を決めつけません。分かっているのは、33種類もの鉤があったことと、根がかりで伸びる軟らかさだったことです。
釣りは、道具をそろえるだけでは決まりません。次は、空を読む話です。
「鉤之部」には、33種類の釣り鉤が収められている[1]。同じキス釣りの本に、これだけ形の異なる鉤が並んでいる。
もう一つ読み取れるのは、当時の鉤の性質だ。鉤は軟らかく作られており、根がかり(海底の石や岩に鉤が引っかかること)を起こすと、鉤が伸びて外れるようにしてあった[1]。引っかかった鉤を無理に残さず、伸ばして外す作りだったことになる。
ここで注意したいのは、軟らかい鉤にした理由を、資料が明示していないことだ。引っかかっても外れる、という結果は分かるが、そこから理由を推測して重ねることは避ける。読者が確かめられるのは、33種類という数と、伸びて外れる作りだったという二点である。
鉤は釣り場で効いてくる。だが、釣り場に着く前に見ておくべきものがもう一つある。それは天気だ。
5. くもが ふじさんから はなれると、どうなる?
5. 雲が富士山から離れると強風になる、という言い伝えが下巻にある
5. 観天望気の記述 ── 「雲が富士山から離れると強風」という言い伝え
ほんの さいごの ほうには、てんきを みる ほうほうが かいて あります[4]。
たとえば、くもが 富士山から はなれると つよい かぜが ふく、と いう いいつたえが あるそうです[4]。
そらを みて、かぜを あてる。釣りぶねに のる まえの だいじな しごとだった のでしょう。
こうした てんきの いいつたえは、むかしの ひとの ちえです。ただし、いつも あたるとは かぎりません。
下巻は、釣りの時期と天気の見方です。一例として、雲が富士山から離れると強い風が吹く、という言い伝えが載っているとされます[4]。
こうした、空や雲の様子から天気を予想する知恵を、観天望気と呼びます。海に舟を出す釣り人にとって、風が強まるかどうかは、釣れるかどうか以前の大切な問題だったはずです。
富士山の雲が目印になった、という一例です。ただし言い伝えは、現代の天気予報のように確実なものではありません。
言い伝えを、自分の目で試せるでしょうか。それは最後の章で、いまの暮らしに合わせた形で考えます。
下巻には、釣りの時期と天気の見方が載っている。例として、雲が富士山から離れると強い風が吹く、という言い伝えが紹介されている[4]。
空や雲の様子から天気を予想する知恵を観天望気という。釣り舟は、風が強まれば出られず、出ていれば危険が増す。そのため、出かける前に空を読む知識は、釣りの腕と同じくらい重要だったと考えられる。富士山の雲の動きが目印とされた、という例である。
ただし、この例を載せているのは一つの資料である。言い伝えは、現代の天気予報のような保証ではない。気象学との関係を語る話もあるが、一つの資料にしか見えないので、ここでは触れない。
天気の読み方は、道具の工夫とあわせて、読者に身近な形で試せる題材でもある。それは最終章で述べる。だがその前に、これほど内容のある本が、なぜ今日まで写本でしか残っていないのかを見ておきたい。
6. どうして、うつして つたえたの?
6. 公刊されなかった本が、書き写されて今に伝わった
6. 公刊されない専門書 ── 筆写で伝わった理由と、ウォルトン『釣魚大全』との比較
この ほんは、おおぜいに くばる ために いんさつ されませんでした。かわりに、すきな ひとが てで かきうつして、つたえて きました[2]。
せかいで ゆうめいな 釣りの ほんに、イギリスの 『つりの だいぜん』が あります。1653ねんの ほんです。何羨録は、それより 70ねん あとの ほんです[2]。
『つりの だいぜん』は、ものの かんがえかたを かたる ほんとして ほめられます。何羨録は、どうぐや やりかたを くわしく かいた ほんです[2]。
かいた ひとが 釣りを たのしんだ きもちは、ほんの なまえにも あらわれて いる、と よむ ひとも います。
『何羨録』は出版されませんでした。資料は、内容が専門的すぎたためだと説明しています。ごく一部の好事家が筆写し、書き写された本だけがかろうじて今日まで伝わっています[2]。現存するのは写本だけで、原本の形で読まれてきた本ではありません。
世界の釣りの本として有名なのは、イギリスのウォルトンが書いた『釣魚大全』(1653年)です。1723年の『何羨録』は、それより約70年あとの本です(1723−1653=70)[2]。
2冊を比べた資料の説明では、『釣魚大全』は哲学や啓蒙の書として評価されるのに対して、『何羨録』は技術の専門書です[2]。釣りという同じ題材でも、読まれ方の違う2冊が、約70年の間を置いて生まれたことになります。
書名にも、筆者の気持ちが表れているという読み方があります。序文には「屡々塵世を避く」や「仁者は静、智者は水を楽しむ」といった言葉が見えます。書名は、「釣りの楽しみを知れば、何を羨むことがあろうか」と解される、と資料は推測しています[2]。
出世の道から離れた人が、水辺で見つけた楽しみ。書名には、そんな思いが込められていたのかもしれません。
『何羨録』は公刊されず、一部の好事家による筆写でかろうじて今日まで伝えられた。資料は、その理由を内容が専門的すぎたためと説明している[2]。現存するのは写本のみである。
比較の相手として挙げやすいのが、イギリスのウォルトン『釣魚大全』だ。刊行は1653年、『何羨録』の成立は1723年までなので、差は約70年になる(1723−1653=70)[2]。なお「世界最古の釣書」という通称は『釣魚大全』につくもので、『何羨録』は日本最古の釣りの専門書とされる。さらに、最古という評価は現存する専門書としての評価で、断定は弱めて読むのが適切だ[1]。
資料の評価では、『釣魚大全』は釣りの考え方を語る本、『何羨録』は道具や釣り方を説明する本という違いが指摘される[2]。ここまでの章で見た、33種類の鉤や釣り場の案内の細かさは、確かに技術書の性格を示している。
書名の意味も、手がかりになる。序文には「生涯淡、恬擔無心。屡避塵世。則仁者静、智者楽水。豈其有他乎」という文があり、資料はこれをもとに、書名を「釣りの楽しみを知れば、何を羨むことがあろうか」の意と推測している[2]。推測である以上、確定した解釈ではなく、「そう読める」という段階にとどまる。
将軍のそばを離れた旗本が、技術を書き残し、その本は写本で伝わった。では、いま私たちはこの本にどう近づけるのか。
7. くもを みて、かぜを あてて みよう
7. 雲の動きと風を1週間つけて、江戸の天気読みを試す
7. 雲と風の記録、そして現代語訳で読む ── 確かめ方と資料の探し方
何羨録の ように、そらを みて かぜを あてる あそびを して みましょう。
まどから そらを みて、くもが ながれる むきと、その 日の かぜが つよいか よわいかを ノートに かきます。1しゅうかん つづけます。
くもと かぜの ようすを くらべて、どんな ちがいが あったか みて みます。ただし、いつも おなじに なるとは かぎりません。
ほんを よんで みたい ときは、としょかんで 何羨録の げんだいごやくを さがして もらえます。
『何羨録』の天気読みを、いまの暮らしで試してみましょう。1週間、同じ時刻に窓から空を見て、雲が流れる向きとその日の風の強さを毎日ノートに書きます。
最後に日ごとの違いを比べてみましょう。短い観察では決まりが見つからなくても構いません。言い伝えは現代の天気予報のような保証ではない、と考えて試すのがちょうどよいと思います。
本そのものを読みたいときは、現代語訳があります。小田淳『『何羨録』を読む』(つり人社、1999年)と、『江戸釣術秘傳』(叢文社、2001年)です[5]。原本は筆写本として伝わったものなので、読むなら現代語訳の本が入り口になります。
将軍の近くにいた人が、足のけがのあとに釣りの本を残した。その本をどう読むかは、読む側の自由です。
天気の記述を試すには、観察と記録がいちばん手軽だ。1週間、同じ時刻に雲の動きとその日の風を記録して、日ごとの違いを比べる。短い観察では決まりが見つからなくてもよい。富士山の雲の言い伝えを、現代の天気予報のような保証と読んではいけないからだ[4]。
書物そのものに近づく方法としては、現代語訳がある。小田淳『『何羨録』を読む』(つり人社、1999年)と、『江戸釣術秘傳』(叢文社、2001年)は、いずれも現代語訳として知られる。後者は『何羨録』のほか、『漁人道しるべ』『釣客伝』『漁猟手引種』も収める[5]。原本は筆写本として伝わったものなので、読むなら現代語訳の本が入り口になる。
本稿は、鉤の33種類や天気の記述を拾っただけで、巻ごとの全項目を紹介したわけではない。本文を読めば、ここで触れなかった道具の細部や、江戸湾の釣り場の様子も出てくるはずだ。
将軍の側近だった旗本が、けがのあとに書いた釣りの本を、読者が実際にどう読むか。その答えを出すのは、現代語訳のページをめくる読者自身である。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:博物館・財団の記事、図書資料の説明、百科事典、図書目録を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いた。
- ミツカン水の文化センター『水の文化』59号。https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no59/02.html (最古の釣りの本とされる点、将軍綱吉の側小姓とけが、釣りの禁止と再興、鉤の種類に使った)
- 水産研究・教育機構 図書資料「津軽采女政兕」(歴史の異端児)。https://kebariandfly.wordpress.com/wp-content/uploads/2022/03/e6b8a9e69585e5a1be31efbc88e6adb4e58fb2e381aee795b0e7abafe58590efbc8920131015.pdf (著者、内容の構成、筆写での伝わり方、ウォルトンとの比較、書名の解釈に使った)
- コトバンク「津軽采女正」(世界大百科事典)。https://kotobank.jp/word/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E9%87%87%E5%A5%B3%E6%AD%A3-1091872 (内容の第2の説明、書名の表記ゆれに使った)
- Wikipedia「何羨録」。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%95%E7%BE%A8%E9%8C%B2 (天気の言い伝えの例に使った)
- CiNii Books『江戸釣術秘傳』。https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA51774087 (現代語訳の書誌に使った)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
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