1. マス目が あると、文字の 数が すぐ わかる
1. マス目があると、文字の数がすぐ分かる
1. マス目は、文字数を正確に数えるための工夫だった
明治時代、新聞や ざっしが さかんに 作られる ように なりました。作家に はらう お金は、書いた 文字の 数で 決まる ことが 多かったので、文字の 数を せいかくに 数える ことが とても 大事に なりました[2]。
たとえるなら、たまごを かごの 中に そのまま 入れると、いくつ あるか 数えにくいですよね。でも、たまごパックのように マス目が あれば、ひと目で 数が 分かります。ただし 本とうは、たまごでは なく、文字の 数を かぞえて います。
1つの マスに 1つの 文字を 書けば、行の 数と、さいごの 行の マスの 数を 見るだけで、ぜんぶの 文字数が わかります。これが、マス目の いちばん 大きな やくわりでした。では、いまの ような マス目入りの げんこうようしは、じっさいには どうやって 生まれたのでしょう。
明治時代、新聞や雑誌が盛んに作られるようになりました。作家に払うお金は、書いた文字の数で決まることが多かったので、文字の数を正確に数えることがとても大事になりました[2]。
たとえるなら、卵をかごの中にそのまま入れると、いくつあるか数えにくいですよね。でも、卵パックのようにマス目があれば、ひと目で数が分かります。
1つのマスに1つの文字を書けば、行の数と、最後の行のマスの数を見るだけで、全部の文字数が分かります。これが、マス目のいちばん大きな役割でした。では、いまのようなマス目入りの原稿用紙は、実際にはどうやって生まれたのでしょうか。
2. マス目を 入れる ことを すすめた、作家の ひと言
2. マス目を入れることをすすめた、作家のひと言
2. 洋紙にマス目を入れることをすすめた、尾崎紅葉のひと言
東京の 神楽坂に、江戸時代から つづく 紙の お店、相馬屋が あります。1659年ごろに 紙すきを はじめた、とても 古い お店です[1]。
明治時代の なかごろ、この お店では まだ、和紙で 作った げんこうようしを あつかって いました。お店の せつめいに よると、そこに、「金色夜叉」と いう 小説で 知られる 作家、尾崎紅葉が やって きました[1]。
この 人は、西洋から きた 紙(洋紙)を 見て、「マス目を 入れて 売っては どうか」と すすめたと いわれて います。これを きっかけに、相馬屋は 和紙では なく 洋紙を つかった、マス目入りの げんこうようしを 売り出しました[1]。
この 洋紙の げんこうようしは、その後、多くの 作家に つかわれる ように なりました[1]。では、そもそも なぜ 400字と いう 数に なったのでしょう。
東京の神楽坂に、江戸時代から続く紙のお店、相馬屋があります。1659年ごろに紙すきを始めた、とても古いお店です[1]。
明治時代の中ごろ、このお店ではまだ、和紙で作った原稿用紙を扱っていました。お店の説明によると、そこに、「金色夜叉」という小説で知られる作家、尾崎紅葉がやって来ました[1]。
尾崎紅葉は、西洋から来た紙(洋紙)を見て、「マス目を入れて売ってはどうか」とすすめたといわれています。これをきっかけに、相馬屋は和紙ではなく洋紙を使った、マス目入りの原稿用紙を売り出しました[1]。
この洋紙の原稿用紙は、その後、多くの作家に使われるようになりました[1]。では、そもそもなぜ400字という数になったのでしょうか。
東京・神楽坂にある紙店「相馬屋源四郎商店」は、菩提寺の過去帳に1659年の記録が残る老舗である。江戸時代を通じて紙問屋として、武家屋敷や寺院に和紙を納めてきた[1]。
明治時代の中ごろ、相馬屋は、和紙で作った原稿用紙を扱っていた。同社の説明によれば、「金色夜叉」で知られる作家、尾崎紅葉が、西洋から入ってきた紙(洋紙)にマス目を印刷してはどうかと助言したという[1]。
これをきっかけに、相馬屋は和紙ではなく洋紙を使った、マス目入りの原稿用紙を売り出した。この洋紙の原稿用紙は、夏目漱石、北原白秋、石川啄木、坪内逍遥といった文豪たちに愛用された[1]。
では、なぜ「20字×20行」の400字という形に落ち着いたのだろうか。
3. なぜ 400字なのかは、じつは はっきり しない
3. なぜ400字なのかは、実ははっきりしない
3. 400字詰めの由来は、諸説あってはっきりしない
「なぜ 400字なのか」は、じつは、いまも はっきりとは わかって いません。国立国会としょかんの しつもんコーナーでも、「はっきりとは わからず、いろいろな せつが ある」と こたえられて います[3]。
江戸時代の お寺で つかわれて いた、木の いたに、1行に 20字を ほった ものが もとに なったのでは、と いう せつも あります[2]。しかし、どれが 正しいと いう しょうこは 見つかって いません。
はっきりして いるのは、400字づめが 広く つかわれる ように なったのは、明治時代の おわりから 大正時代に かけて、と いう ことです[3]。では、マス目には ほかに、どんな 決まりが あるのでしょう。
「なぜ400字なのか」は、実は、いまもはっきりとは分かっていません。国立国会図書館の質問コーナーでも、「はっきりとは分からず、いろいろな説がある」と答えられています[3]。
江戸時代のお寺で使われていた、木の版に、1行に20字を彫ったものがもとになったのでは、という説もあります[2]。しかし、どれが正しいという証拠は見つかっていません。
はっきりしているのは、400字詰めが広く使われるようになったのは、明治時代の終わりから大正時代にかけて、ということです[3]。では、マス目にはほかに、どんな決まりがあるのでしょうか。
「なぜ400字なのか」については、確定した答えがない。国立国会図書館のレファレンス(調査相談)記録でも、「はっきりとはわからず、あくまでも推測で諸説あるようだ」とされている[3]。
説の一つに、江戸時代の仏教経典の版木で使われていた「1行20字」の形式が原型になった、というものがある[2]。国学者の編さんした文献集の版木に由来するという説を紹介する資料もあるが、いずれも決定的な根拠は確認されていない。
確実にいえるのは、400字詰めが主流として定着したのは、明治末から大正にかけての時期だということである[3]。由来ははっきりしなくても、この形式は、印刷業界の実務のなかで広まっていった。では、マス目にはほかに、どのような決まりごとがあるのだろうか。
4. 「、」や「。」は、行の さいしょに こない
4. 「、」や「。」は、行の最初に来ない
4. 句読点が行頭に来ないようにする「禁則処理」
げんこうようしには、字の 書きかたにも 決まりが あります。よくある 書きかたでは、「、」や「。」は、行の いちばん 上の マスには 書きません。前の 行の さいごの 文字と いっしょの マスに おさめます[2]。
「……」の ような てんてんや、長い ぼう線は、マス 2つぶんを つかいます。かぎかっこ「」で 会話文を 書く ときは、あたらしい 行の さいしょの マスから 書きはじめます[2]。
こうした こまかい ルールは、げんこうようしを 見なれた 人どうしが、まよわず 読めるように する ための、やくそくごとです。この げんこうようしは、日本だけの ものなのでしょうか。
原稿用紙には、字の書き方にも決まりがあります。代表的なやり方では、「、」や「。」は、行のいちばん上のマスには書かず、前の行の最後の文字と一緒のマスに収めます[2]。
「……」のような点々や、長い棒線は、マス2つぶんを使います。かぎかっこ「」で会話文を書くときは、新しい行の最初のマスから書きはじめます[2]。
こうした細かいルールは、原稿用紙を見慣れた人どうしが、迷わず読めるようにするための、約束ごとです。この原稿用紙は、日本だけのものなのでしょうか。
原稿用紙には「禁則処理」と呼ばれる、細かな表記ルールがある。代表的な方式では、句読点や小さい仮名(っ・ゃ など)は行の最初のマスに来ないようにし、前の行の最後のマスに、その行の最後の文字と同居させる。ただし、欄外にはみ出させる、次の行に送るなど、処理の方式は書式や教育現場によって複数ある[2]。
三点リーダー(……)やダッシュのような記号は、マス2つ分を使って書く。会話文を示すかぎかっこは、新しい行の先頭マスから書き始める、といった約束もある[2]。
こうした表記ルールは、多くの原稿を扱う編集者や印刷所にとって、原稿を統一的に処理するための実務上の約束事として発達してきた。では、この原稿用紙という仕組みは、日本だけのものなのだろうか。
5. にた 紙は、台湾や 韓国、中国にも ある
5. 似た紙は、台湾や韓国、中国にもある
5. マス目の原稿用紙は、台湾・韓国・中国にも広がった
マス目の げんこうようしは、日本だけの ものでは ありません。台湾では、いまも 漢字と 「ボポモフォ」と いう 発音記号を いっしょに 書ける マス目の 紙が つかわれて います[4]。
韓国でも、日本との れきしてきな かかわりの 中で、にた マス目の 紙が つかわれる ように なりました。コンピューターが 広まる まえは、学校でも よく つかわれて いました[4]。
中国でも、1920年代に、日本で 学んだ、本を つくる しごとの 人たちが、上海や 北京の 会しゃに、この マス目の 紙を つたえたと いわれて います[4]。パソコンが 広まった 今は、げんこうようしは どう なって いるのでしょう。
マス目の原稿用紙は、日本だけのものではありません。台湾では、いまも漢字と「注音符号(ボポモフォ)」という発音記号を一緒に書けるマス目の紙が使われています[4]。
韓国でも、日本との歴史的なかかわりの中で、似たマス目の紙が使われるようになりました。コンピューターが広まる前は、学校でもよく使われていました[4]。
中国でも、1920年代に、日本で学んだ出版の人たちが、上海や北京の出版社に、このマス目の紙を伝えたといわれています[4]。パソコンが広まった今は、原稿用紙はどうなっているのでしょうか。
マス目入りの原稿用紙は、日本国内にとどまらず、東アジアの周辺地域にも広がった。台湾では、漢字と注音符号(ボポモフォ)を併記できるマス目原稿用紙が、現在も使われている[4]。
朝鮮半島では、1910年の韓国併合後、日本の植民地統治下で同様のマス目形式が広まったと説明されている。200字詰めの原稿用紙(韓国語では「ウォンゴジ」)は、コンピューターが普及する以前、学校教育などで広く使われていたとされる[4]。
中国では、1920年代、日本で学んだ編集者たちによって、この形式が上海や北京の出版界に紹介されたとされる。以後、400字詰めのマス目原稿用紙(稿紙)が、文学作品の原稿によく使われるようになっていったという[4]。パソコンが普及した現在、原稿用紙はどうなっているのだろうか。
6. パソコンの 今も、「げんこうようし なんまい分」は のこって いる
6. パソコンの今も、「原稿用紙何枚分」は残っている
6. 手書きが減った今も、「原稿用紙換算」という単位は生きている
いまは、小説も 作文も、パソコンで 書く 人が おおいですね。それでも、小説の しんじん賞の 中には、いまも「400字づめ げんこうようしで なんまい いない」と いう 決まりで、おうぼする 文章の 長さを きめて いる ものが あります。
たとえば「新潮新人賞」と いう しょうでは、パソコンで うちこんだ 文しょうを おうぼする ときも、「20字×20行」で 数えて 何まいぶんかを けいさんする、と きまって います[5]。
紙の げんこうようしに 手で 書く 人は へっても、「400字を 1まいと 数える」と いう かぞえかたじたいは、いまも 生きつづけて いるのです。
いまは、小説も作文も、パソコンで書く人が多いですね。それでも、小説の新人賞の中には、いまも「400字詰め原稿用紙で何枚以内」という決まりで、応募する文章の長さを決めているものがあります。
たとえば「新潮新人賞」という賞では、パソコンで打ち込んだ文章を応募するときも、「20字×20行」で数えて何枚分かを計算する、と決まっています[5]。
紙の原稿用紙に手で書く人は減っても、「400字を1枚と数える」という数え方自体は、いまも生きつづけているのです。
小説や作文の多くがパソコンで書かれるようになった今も、小説新人賞の中には、応募規定に「400字詰め原稿用紙換算で〇〇枚」という単位を使いつづけているものがある。
たとえば新潮社が主催する「新潮新人賞」は、原稿を400字詰め原稿用紙50枚以上250枚以内と規定し、テキストデータで応募する場合も「20字×20行換算」で枚数を計算すると定めている[5]。改行や空白も含めた分量が基準になるため、実際の文字数はこの枚数の目安より少なくなることが多い。
紙の原稿用紙に実際に手で書く機会は大きく減ったが、「400字を1枚と数える」という単位そのものは、出版業界の慣習として今も生き続けている。
じぶんでも やって みる
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
自分の 書いた 作文や 日記が、400字づめ げんこうようしに すると 何まいに なるか、数えて みましょう。
いま パソコンで 書いた 文章は、1行 20字、1まい 20行に なるように くぎって かぞえると、げんこうようしの まい数と おなじ かぞえかたに なります。
自分の書いた作文や日記が、400字詰め原稿用紙にすると何枚になるか、数えてみましょう。
いまパソコンで書いた文章は、1行20字・1枚20行に区切って数えると、原稿用紙の枚数と同じ数え方になります。
しらべた ところ
参考にした情報源
参考にした情報源
- 相馬屋源四郎商店 公式サイト「相馬屋の歴史」。 https://www.soumaya.co.jp/ (創業1659年ごろという記録、明治中期に尾崎紅葉の助言で和紙から洋紙のマス目入り原稿用紙に切り替えたこと、夏目漱石ら文豪に愛用されたこと)
- Wikipedia「原稿用紙」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/原稿用紙 (マス目が文字数を正確に数えるための工夫であること、江戸時代の版木に由来するという説、禁則処理などの表記ルール)
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「原稿用紙はなぜ400字詰めなのか?」。 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000135140 (400字詰めの由来がはっきりせず諸説あること、400字詰めが主流になったのは明治末から大正にかけてであること)
- Wikipedia(英語版)「Genkō yōshi」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Genkō_yōshi (台湾での注音符号併記用のマス目原稿用紙、朝鮮半島での200字詰め原稿用紙の普及、1920年代の中国への伝播)
- 「Koubo」第59回 新潮新人賞 応募要項。 https://koubo.jp/contest/305121 (新潮新人賞が400字詰め原稿用紙50枚以上250枚以内と規定し、テキストデータ応募の場合も20字×20行換算で枚数を計算すると定めていること)
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