1. そつぎょうしきは、国の きまりで 何のための 行事?
1. 国の決まりでは、卒業式は何のための行事なのか
1. 学習指導要領の中の卒業式 ── 「儀式的行事」というねらい
体育館に みんなが ならんで、しょうじょうを もらう。ふだんの 日と ちがう、しんと した 空気が あります。
国が 学校の きまりを まとめた 本では、そつぎょうしきは 「ぎしきてき 行事」の ひとつです。ねらいは、学校の 生活の くぎりを 感じて、ひきしまった 気もちを あじわい、あたらしい 生活へ 向かう 気もちを もつ ことだと されています[1]。
ここに 答えの はんぶんが あります。でも 1876年の 式は、まだ この ねらいでは なかったようです。
体育館に在校生や家族が並び、卒業証書が一人ずつ渡される。ふだんの授業の日とは、空気が違います。
この「違う空気」が、学習指導要領のねらいにあたります。卒業式は特別活動の学校行事のうち「儀式的行事」にあたり、卒業で学校生活が一区切りになることを感じ、引きしまった新鮮な気分で新しい生活へ向かう気持ちを持つ機会とされています[1]。なお、学習指導要領は改訂のたびに文言が少し変わるため、ここでは平成20年告示の版をもとに、大づかみの趣旨を書いています。
卒業そのものを認めるのは、また別の話です。学校教育法施行規則は、卒業を認めるときは児童の平素の成績を評価して定めなければならないとしています[2]。成績で区切りが決まり、式はその区切りを祝って次へ向かう気持ちをつくる。そう分担されているように読めます。
これが今の答えの要点です。ただ、式の最初の姿はこれと同じだったのでしょうか。
体育館に在校生と保護者が並び、卒業証書が一人ずつ手渡される。この、ふだんの授業とは違う空気を、制度の側はどう説明しているのか。学習指導要領(特別活動)では、卒業式は学校行事のうち「儀式的行事」に分類され、学校生活に変化や折り目をつけ、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機づけとする、というねらいが示されている[1]。ここで参照したのは平成20年告示の版で、現行版では文末の言い回しが変わっているため、趣旨の把握にとどめる。
卒業の認定は、これとは別の仕組みで動く。学校教育法施行規則は、小学校が各学年の課程の修了または卒業を認めるときは、児童の平素の成績を評価して定めるとしている[2]。成績が「卒業できるか」を決め、式が学校生活の節目を祝って新しい生活へ向かわせる、という分担になっていると読める。なお、式そのものを行う義務を定めた条文は、今回の資料では扱っていない。
これが現在の答えの要点である。では、この目的は最初からあったのか。次に、記録に残る最古の式をのぞく。
2. いちばん むかしの 式では、何を して いたの?
2. 最古の記録は、体操や弁論を見せる「成果発表」の場
2. 1876年の戸山学校 ── 成果の披露として行われた最古の記録
きろくで たしかめられる いちばん むかしの 式は、1876年、陸軍の 戸山学校です。ぐんたいの ぎょうじ「かんぺいしき」と いっしょに、せいとの そつぎょうしきが ひらかれました[4]。
この ころの 式は、まなんだ ことの せいかを 見せる 場でした。たとえば たいそうや、人前で 話す べんろんなどを して みせた と いわれます[3]。
ただし これは 「きろくで わかる いちばん むかし」で、ほんとうに 日本で はじめてかは わかりません。
記録で確かめられる最古の卒業式は、1876(明治9)年、陸軍戸山学校で、観兵式とともに行われた生徒の卒業式です[4]。観兵式は、軍隊が整列して行う行事のことです。
ここでの式は、教育の成果発表という性格が強かったと説明されています。体操や弁論を披露するなど、学んだことを人前で見せる場でした[3]。涙や歌はまだ主役ではありません。
「最古」は、あくまで記録が確認できる範囲での話で、日本で最初と言い切れるわけではありません。
式は昔から全員一律に行われていたわけでもありません。東京帝国大学では、安田講堂ができた1925年ごろ、全学の卒業式は開かれず、学部ごとに行ったり行わなかったりでした。全学の卒業式が安田講堂で初めて開かれたのは、1928(昭和3)年です[6]。
成果を見せる場だったなら、そもそも「卒業」は何で決まっていたのでしょうか。
卒業式の原点は、涙ではなく成果の披露だった。日本で記録が確認できる最古の例は、1876(明治9)年に陸軍戸山学校で観兵式とともに行われた生徒卒業式である[4]。観兵式は軍隊の整列行事である。
当初の式は、教育の成果発表という側面が強く、体操や弁論などが行われたという[3]。つまり、式の場は「どれだけ身につけたかを人前で示す」ために使われていた。ただし「最古」は記録が確認できる範囲の話で、これが日本初の式だと断定する根拠にはならない。
また、式は最初から全員一律の行事でもなかった。東京帝国大学では安田講堂が完成した1925年ごろ、全学の卒業式は行われず、学部ごとに実施したりしなかったりだった。全学の式が安田講堂で初めて開かれたのは1928(昭和3)年である[6]。
成果を示す場だったとすれば、その前提である「卒業」自体は、何を基準に決まっていたのか。小学校の側を見る。
3. むかしは、そつぎょうは しけんで きまったの?
3. 卒業は「試験に合格すること」だった ── 3月とは限らなかった日付
3. 学制期の小学校 ── 試験による卒業と、3月に落ち着くまで
1872年に 学校の せいどが はじまった ころ、小学校は 「8きゅう」から はじまりました。6か月ごとに しけんが あり、受かると 上の きゅうに 進みます。いちばん 上の 1きゅうに 受かると、そつぎょうでした[5]。
つまり そつぎょうは、しけんに ごうかくした しるしでした。それで、せいかを 見せる 式とも つながったのでしょう。
入学する 時期も ばらばらで、そつぎょうしょうしょの 日づけが 3月とは かぎりませんでした。学校の 1年が 4月に はじまるように なったのは、明治の 20年代です。国の お金の 1年が 4月1日に はじまっていた ことが、えいきょうしたと いわれます[5]。
いまの 3月の 式は、この あとに できた ならわしなのです。
1872(明治5)年の学制のもとで、小学校は下等8級から始まりました。6か月ごとの試験に受かると一つ上の級に進み、下等1級に合格すると卒業でした[5]。卒業は、試験に合格した証でした。成果発表の式とよく合います。
そのころは、入学や学年の時期もまちまちでした。博物館の資料によると、明治の卒業証書や修了証書の日付は、必ずしも3月ではありません[5]。
学年のはじまりが4月にそろったのは、明治20年代です。福岡県の場合は明治21年で、政府の会計年度が4月1日に始まっていたことが影響したとされます。明治33年の小学校令の改正で、4月始まりが明文化されました[5]。
つまり、「卒業式は3月」という感覚は、明治からずっと続いていたものではありません。学年が4月始まりに落ち着いて、その終わりの3月に式が行われる形が整っていったと考えられます。
では、試験の合格を見せる場だった式は、どうやって小学校の全員の行事になっていったのでしょうか。
卒業が「試験の合格」だったことは、学制期の小学校の仕組みに表れている。1872(明治5)年の学制では、小学校は下等8級から始まり、6か月ごとの試験で進級し、下等1級に合格すると卒業する仕組みだった[5]。卒業が試験と直結していたため、成果発表型の式とも相性がよかったと考えられる。
注意したいのは、卒業の時期である。当時は入学や学年の始まりがまちまちで、明治期の卒業証書や修了証書の日付は必ずしも3月ではない[5]。進級が6か月ごとの試験で決まる以上、年度末にそろって卒業する前提がなかったからだ。
学年が4月始まりに整うのは明治20年代で、福岡県では明治21年とされる。政府の会計年度が4月1日始まりだったことが影響し、明治33年の小学校令の改正で4月始まりが明文化された[5]。「3月に卒業式」という形は、この4月始まりが定着して初めて落ち着くので、明治の初めから続く習慣ではない。
では、試験に合格した者を示す式は、どのようにして小学校の子どもたちみんなの行事になり、成果を見せる以外の意味を持ち始めたのか。
4. 小学校に ひろがると、式に 何が くわわったの?
4. 小学校に広がって、「歌」と式次第がそろっていく
4. 小学校への普及 ── 儀式唱歌と、学校生活の集大成という位置づけ
小学校にも、明治の 20年代ごろから、そつぎょうしきが 入りはじめました[3]。そのころ、学校の ぎょうじを きちんと ととのえよう、という 動きも ありました。
1893年には、ぎょうじで 歌う 歌が きめられました。みんなで 声を あわせると、「いっしょだ」という 気もちが うまれます。だから そつぎょうしきに ぴったりでした[3]。
はじめは いろいろな 歌が 歌われ、だんだん 「ほたるの ひかり」が 多く なりました。明治の 30年代には、式の じゅんばんも きまり、そつぎょうしきは 学校生活の しめくくりと 考えられるように なりました[4]。
小学校に卒業式が入り始めたのは、明治20年代といわれます。1890(明治23)年に教育勅語が出されたあと、学校では儀式が次々と新しく設けられ、儀式を通して気持ちを育てることが重んじられるようになりました[3]。
その流れの中で、1893(明治26)年に儀式のときに歌う唱歌が定められました。みんなで声をそろえる歌は、一体感を生みやすく、卒業式に向いていました。はじめはさまざまな曲が歌われましたが、しだいに「蛍の光」が主流になったと説明されています[3]。
明治30年代になると、小学校では式の進め方(式次第)が定型化し、卒業式は学校生活の集大成と位置づけられました[4]。成果を見せる場に、「みんなで一つの区切りを味わう」性格が重なっていきます。
そこへ、もう一つの変化が来ます。小学校を出ることの重みが、変わったのです。
小学校への導入は、明治20年代に始まったとされる[3]。背景には、1890(明治23)年の教育勅語のあと、学校儀式が次々と新設され、儀式を通した感情の教育が重視されるようになったことがある[3](勅語の内容は、本記事の主題ではないので立ち入らない)。
式を「感情に働きかける場」にするには、全員が同じ体験を共有できる仕掛けが要る。そこで1893(明治26)年に儀式唱歌が定められた。共に歌うことで生まれる一体感が、卒業式に適していたからである。初期にはさまざまな曲が歌われたが、しだいに「蛍の光(ほたるのひかり)」が主流になった[3]。昭和30年代までは「蛍の光」と「仰げば尊し(あおげばとうとし)」が中心だったという[4]。
さらに明治30年代には、小学校で式次第が定型化し、卒業式は学校生活の集大成と位置づけられた[4]。試験の成果を示す場から、一緒に区切りを味わう場へ、重心が移ったことになる。
ただし、「別れ」という色合いが強まるには、もう一つ条件があった。小学校を出ることの意味である。
5. どうして 式は 「わかれ」の 色が こく なったの?
5. 小学校を出ることが「人生の分かれ道」だった時代
5. 義務教育6年制と「別れ」の意識 ── 感動をめざす演出の広がり
1907年、小学校へ 通う 年数が 6年に なりました[5]。それから 1947年に きまりが かわるまでは、小学校の そつぎょうが 人生の わかれ道に なる 人が おおかったと いわれます[3]。
そうなると、そつぎょうしきは 友だちや 先生との 「わかれ」を つよく 思う 場に なります。人の 心を うごかす、感動する 式を めざす 方向へ、かわって いきました[3]。
1950年代には、ぐんまけんの 小学校の 校長先生、さいとう きはくさんが、よびかけや セリフを 入れた 式の だいほんを 本に しました。これが 全国に ひろまったと いわれます[3]。1960年代からは 歌も ふえて、いろいろな そつぎょうソングが 生まれました。
1907(明治40)年に義務教育が6年間へ延長され、尋常小学校は6年制になりました[5]。その後1947(昭和22)年に制度が変わるまで、義務教育は6年間で、小学校卒業が人生の分かれ道だったと説明されています[3]。
小学校を出ることの重みが増したため、卒業式は「別れ」を強く意識する場になりました。より感動的な式をめざす方向へ変わっていった、というのが研究者の見方です[3]。
戦後の1950年代には、群馬県の小学校長だった斎藤喜博が、呼びかけやセリフなど多彩な演出を取り入れた卒業式の台本を出版し、全国に広まりました。1960年代以降は歌のレパートリーも増え、いわゆる卒業ソングが生まれていきます[3]。
こうして、成果を見せる式は、別れを味わう式へ、さらに呼びかけと歌で気持ちを動かす式へと育ちました。それは日本の中だけの特徴なのでしょうか。
「別れ」の色が濃くなった背景として、研究者は義務教育の長さをあげる。1907(明治40)年に義務教育が6年間へ延長され、尋常小学校が6年制になった[5]。以降1947(昭和22)年に制度が変わるまで義務教育は6年間で、小学校卒業が人生の分かれ道だった[3]。
この条件のもとで、卒業式は「別れ」を強く意識する場になり、より感動的な式をめざす方向に変わった[3]。成果発表から区切りの共有へ、さらに感情の共有へと、目的の重心が段階的に動いたと整理できる。ただし、これは一人の研究者の整理であり、学校ごとの実際の式の細部までを説明するものではない。
戦後の1950年代には、群馬県の小学校長・斎藤喜博(さいとうきはく)が、呼びかけやセリフなど多彩な演出を盛り込んだ卒業式の台本を出版し、全国に広まった。1960年代以降は歌のレパートリーも多様になり、卒業ソングが生まれた[3]。
これで、成果の発表から区切りの共有、別れの感動へという流れは見えた。残る問いは、この「涙の式」を、研究者は海外とどう比べているのか、である。
6. 外国にも、なく そつぎょうしきは あるの?
6. 「涙の卒業式」は、世界でも珍しい日本の学校文化といわれる
6. 涙・感動・別れという型 ── 日本特有とされる学校文化の見方
立教大学の ありもと まきさんは、外国の 式と くらべて、なみだや 感動、わかれの イメージが ある 式を、世界でも めずらしい、日本らしい 学校の ぶんかと 見て います[3]。
外国では、小学校や 中学校の おわりに とくべつな 式を しない 国も 多いそうです。式が あっても、「あたらしい スタート」を いわう 場が ほとんどだと いいます[3]。
ただし これは ひとりの 研究者の 見かたで、外国に そつぎょうの 式が ない、という 意味では ありません。
さいしょは せいかを 見せる 場。いまは 学校生活の くぎりを おいわいして、次へ 向かう 気もちを つくる 場。式の もくてきは、時代と ともに 重心を かえて きました。
卒業式の歴史を研究する有本真紀・立教大学教授は、涙・感動・別れのイメージをもつ「涙の卒業式」を、世界でも珍しい日本特有の学校文化とみています。海外では、義務教育の段階の卒業に特別な儀式がない国も多く、あっても「新たなスタート」の場という性格が大半だといいます[3]。
これは一人の研究者の見方であり、海外に卒業式がないという意味ではありません。たとえばアメリカには、卒業を祝うコメンスメントという式があります。
ここまでの道すじをまとめると、式の重心は「成果を見せる」から「区切りを味わう」「別れを惜しむ」へ動き、参照した版の学習指導要領が挙げるのは「学校生活の節目を感じて、新しい生活へ向かう」ことでした。別れの涙も、次へ向かう気持ちの一部として置かれていると読めます。
卒業式の歴史を研究する有本真紀(立教大学教授)は、涙・感動・別れのイメージをもつ「涙の卒業式」を、世界でも珍しい日本特有の学校文化とみる。海外では、義務教育段階の卒業に特別な儀式がない国も多く、あっても「新たなスタート」の場という性格が大半だという[3]。
これは一人の研究者の見方であり、「海外に卒業式はない」という意味には読めない。たとえばアメリカには、卒業を祝うコメンスメントという式がある。比べるなら、「ある・ない」ではなく、式の中身や意味づけの違いを見る必要がある。
式は試験合格を示す成果発表として始まり、明治期の小学校で儀式唱歌と式次第を得て区切りを共有する場になり、義務教育6年制の時代に別れを強く意識する式へ傾いた。参照した版の学習指導要領は、学校生活の節目を感じさせ、新しい生活への動機づけとすることをねらいに掲げる[1]。別れの感情は、その節目を体で感じるための、時代ごとの形だったと読むことができる。ただし、この「形だった」という読みは、本記事の整理であって、出典が直接述べているものではない。
7. 家の 人の そつぎょうしきは、どんな 式だった?
7. 家の人に聞く、自分の学校の卒業式とのちがい
7. 身近な卒業式で確かめる ── 歌・呼びかけ・証書の日付
家の 人に、そつぎょうしきで 歌った 歌と、みんなで 声を あわせた ところを きいて みましょう。「ほたるの ひかり」だったか、べつの 歌だったかで、時代が 見えて きます。
そつぎょうしょうしょが あれば、日づけを 見て みましょう。3月に なって いますか。なければ、家の 人に 「そつぎょうした 月は いつ?」と きいて みましょう。
じぶんの 式の プログラムも 見て、昔の 式に あった ものと、ない ものを さがして みてください。
家族や親戚に、卒業式で歌った歌と、全員で声をそろえた場面を聞いてみましょう。聞ける人がいなければ、自分の学校の式次第で歌や呼びかけを探すだけでも構いません。「蛍の光」か、別の曲か、呼びかけやセリフがあったかで、式の育ち方のどのあたりに立っていたかが見えてきます。
卒業証書が残っていれば、日付も見てみます。なければ、卒業した月を家の人に聞いてみましょう。今は3月が多いはずですが、明治の証書は3月とは限りませんでした[5]。
自分の学校の式次第(プログラム)と、聞いた話を並べると、どこが受け継がれ、どこが新しいのかが分かります。
身近な卒業式で、ここまでの整理を確かめられる。家族や親戚に、卒業式で歌った歌と、呼びかけやセリフの有無を聞く。聞ける人がいなければ、自校の式次第で同じ点を探せばよい。曲目が「蛍の光」「仰げば尊し」中心なのか、別の曲もあるのかで、聞いた人が式の変化のどの段階にいたかを推測できる[3]。
卒業証書が手元にあれば、日付を確かめる。なければ、卒業した月を家族に聞けばよい。明治の証書は3月とは限らない[5]が、現在は年度末の3月がほとんどだろう。
さらに調べるなら、文部科学省の学習指導要領の現行版で儀式的行事の文言を読み、本記事で参照した版と比べ、「新しい生活」への向かい方の言い方がどう変わったかを見る方法がある[1]。有本真紀の解説[3]も、日本語で読める原典の入り口になる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:学習指導要領と法令、研究者の解説、博物館と大学の資料を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- 文部科学省「小学校学習指導要領 第6章 特別活動」。https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/toku.htm (儀式的行事のねらい。参照したのは旧版のページ)
- e-Gov法令検索「学校教育法施行規則」。https://laws.e-gov.go.jp/law/322M40000080011 (卒業の認定は平素の成績の評価による)
- 立教大学「日本独自の卒業式が生まれた背景と『歌』の役割」(有本真紀)。https://www.rikkyo.ac.jp/closeup/research-n-faculty/2023/mknpps0000024qa6.html (成果発表から別れの式への変化、儀式唱歌、斎藤喜博、海外との比較)
- ほとんど0円大学「“涙の卒業式”はなぜ生まれたの?」。https://hotozero.com/knowledge/sotsugyoshiki-history/ (最古の記録、式次第の定型化、式の歌)
- 福岡市博物館 リーフレット No.202「学校」。https://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/202/index.html (学制期の試験と卒業、学年のはじまり、義務教育6年制)
- 東京大学「蔵出し!文書館 第1回」。https://www.u-tokyo.ac.jp/adm/history/09_k001_j.html (東京帝国大学の全学卒業式のはじまり)
なおした ところ
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