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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

学校の 校庭に ある 高い 台は、なんの ための ものなの?

校庭の朝礼台は、何のためにあるのか ── 雨上がりのコーンから、明治の「朝礼」まで

校庭の朝礼台はなぜ一段高いのか ── 明治30年前後の朝礼の定着と、台の使われ方から考える

分野:歴史・文化

校庭の すみに、ひとつだけ 高く なった 台が あります。雨の あとには、その 台に 赤い コーンを おく 学校も あります[2]。

この 台は、全校の 子が 校庭に 集まる 朝礼で、話す 人を みんなに 見せ、声を とどける ための ものと 考えられます。その 朝礼は、むかしの 寺子屋には なかった ものです。台の つかわれ方と 朝礼の はじまりが 分かります。

雨上がりの校庭に、赤いコーンの置かれた台がある。そんな学校があります[2]。その台が立つ校庭で毎朝のように行われる朝礼は、江戸時代の寺子屋にはなく、明治30年ごろに学校の行事として定着したものでした[4][5]。

では、校庭の台は何のためにあるのでしょうか。朝礼が生まれた理由と台の使われ方から、台の目的として言えること、まだ言えないことが分かります。

校庭の朝礼台は、先生が話すためだけの台ではない。ある小学校の例では、雨上がりに赤いコーンを置いて「校庭は使えません」と示す目印にもなる[2]。そもそも全校が校庭に並ぶ朝礼は、江戸時代の寺子屋や藩校にはなく、学校が大きくなった明治30年ごろに行事として定着したものである[4][5]。

では、台は何のために一段高くしてあるのか。朝礼の中身、運動場の使われ方、台の寸法の一例を突き合わせると、台の目的として資料から言えることと、推論にとどまることの境目が分かる。

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1. 雨の あとの 台に、なぜ 赤い コーンが おかれるの?

1. 雨上がりの校庭で、台が「ここは使えません」の目印になる

1. 台は話し手の場所であり、校庭の目印でもある ── 一つの小学校の例

校庭の 台に、赤い コーンが ポツンと おいて ある。そんな ところを 見た ことは ありませんか。ある 小学校に ついて 書かれた ものに よると、校庭に 台が 3つ あって、それぞれ やくめが ちがいます[2]。

ひとつ目は、体育の 朝会や 運動会で、先生が 話を する ときの 台。ふたつ目は、雨が やんだ あとに 赤い コーンを おいて、「今日は 校庭が つかえません」と しらせる 台。みっつ目は、体育の じゅぎょうで 集まる 場所の 目じるしに なる 台です。

ただ、これは 一つの 学校の 話です。どの 学校でも 同じとは かぎりません。

この 台は、ふつう 「朝礼台」と よばれます[1]。ごうれいだいや しれいだいと よぶ ことも あります。名前に 「朝礼」と 入って いるのは、なぜでしょう。

Weblio辞書に載る狭山市立柏原小学校の記述によると、校庭に台が3か所に1台ずつあり、それぞれ役目が違います[2]。正門前の台は、体育朝会や運動会で先生が話をするときに使う台です。校舎前の台は、雨上がりに赤いコーンを置いて「校庭は使えません」と知らせる台になります。体育倉庫前の台は、体育の授業で集まる場所の目印です。

同じ形の台でも、話をする場所になったり、校庭の中の「ここ」を示す目印になったりするわけです。ただし、これは1校の例で、どの学校でも同じとは言えません。

呼び名もいくつかあります。校庭の台は一般に「朝礼台」と呼ばれ、司令台・指揮台・号令台といった呼び名も紹介されています[1]。名前の頭にある「朝礼」は、そもそも何をする行事なのでしょうか。

Weblio辞書に載る狭山市立柏原小学校の記述によると、台は校庭の3か所に1台ずつあり、役目が分かれている。正門前の台は体育朝会や運動会で教員が話をする台、校舎前の台は雨上がりに赤いコーンを置いて校庭が使えないことを示す目印、体育倉庫前の台は体育の集合場所の目印である[2]。

赤いコーンを置く場所に台が選ばれるのは、動かず、周りより高く、校庭のどこからでも見つけやすいからではないか。これは資料に書かれた理由ではなく、使われ方からの推論である。1校の例なので、どの学校も同じ使い方をしているとは限らない。

呼び名も一つではない。一般には「朝礼台」と呼ばれ、通称として司令台・指揮台・号令台が挙げられている[1]。名前に「朝礼」とあるが、朝礼とはそもそも何で、台とどうつながるのか。

2. 朝礼台は、みんなに 声を とどける ための 台なの?

2. 先に答えを書くと、全校に顔と声を届ける台と考えられる

2. 台の目的は「全員に見せ、聞かせる」ことか ── 言えることと推論の境目

朝礼は、校庭に 全校の 子が 集まって、あいさつを したり、先生の 話を きいたり する ことです。朝礼台は、その ときに 話す 人が 立つ 台だと 考えられます。

校庭は、体育や 運動会の ほかに、朝会にも つかわれます。だから 朝礼台の ある 学校が 多い、と ウィキペディアの 「校庭」には 書いて あります[3]。

たくさんの 子が 校庭に ならぶと、うしろの 子には 先生の 顔が 見えにくく なります。台の 上に 立てば、顔も 手も 見えやすく、声も とどきやすく なるでしょう。「そのために つくった」と はっきり 書いた しりょうは 見つけて いません。でも、朝礼の ようすから 考えると、いちばん ありそうな わけです。

では、朝礼は いつから 学校で 行われて いるのでしょう。

先に答えを書きます。朝礼台は、全校の子どもが校庭に集まる朝礼や朝会で、話し手を全員から見えるようにし、声を届きやすくするための台と考えられます。ウィキペディア「校庭」は、台がある学校が多いのは、運動場が体育や運動会のほか朝会にも使われるためと説明しています[3]。

1930年代以降の朝会では、児童代表の号令のもとで集団行動が進められたと説明されています[6]。たくさんの子が並ぶと、後ろの列からは話し手が見えにくくなります。一段高い台に立てば、顔も動きも見えやすくなるはずです。

ただ、台の目的を直接書いた公的な資料は見つかっていません。ここまでの説明は、朝礼の中身と台の使われ方からの推論です。

台がそのためにあるとすれば、全員が校庭に集まる朝礼のほうが先にあったことになります。朝礼は、いつ、なぜ学校に生まれたのでしょうか。

朝礼台は、全校の児童が校庭に集まる朝礼・朝会で、話し手や号令役を全員から見えるようにし、声を届きやすくする台と考えられる。根拠は2つある。1つは、運動場が体育や運動会のほか朝会にも使われるため、朝礼台を置く学校が多いという、ウィキペディア「校庭」の説明である[3]。もう1つは、1930年代以降の朝会では児童代表の号令のもとで集団行動が進められたという説明である[6]。

運動場は、明治初期から第二次世界大戦中まで「体操場」「屋外体操場」と呼ばれていた[3]。体を動かす場所として位置づけられた広場が、全校を集める場所にも使われた、という流れが読み取れる。

ただし、台の目的を明記した公的資料は見つかっていない。「全員を見渡せるように作られた」という説明は、朝礼の中身と台の用途からの推論である。そこで、台の起源は断定せず、朝礼の側から歴史を見ておく。朝礼は、いつ、何を理由に学校へ入ってきたのか。

3. 江戸時代えどじだいの 寺子屋にも、朝礼は あったの?

3. 江戸時代の寺子屋には、全員が集まる朝礼がなかった

3. 朝礼の「型」は学校の外にあった ── 寺子屋・藩校になく、学校行事として広まる

こたえは、ありませんでした。江戸時代えどじだいの 寺子屋などには、みんなが 集まる 同じ 行事は なかったと されて います[4]。

朝礼の もとに なったと 考えられて いるのは、お寺の 朝の おつとめや、人数を たしかめる しくみです[4]。でも、世の中に ひろまったのは、学校の 行事に なってからでした。

毎朝 校庭に ならぶ すがたは、学校が 大きく なって うまれた ものです。では、学校の なにが かわったのでしょう。

『世界大百科事典』の「朝礼」の項は、朝礼が宗教教団の勤行や軍組織の点呼などに起源をもつと考えられる、と説明しています。そして社会に広まったのは、学校行事として定着してからだといいます[4]。

江戸時代の寺子屋や藩校には、全員が集まる統一的な行事はありませんでした[4]。みんなが同じ時刻に校庭へ並び、あいさつをして話を聞く光景は、昔から学校にあったものではないのです。

では、何が学校を変えて、朝礼を必要にしたのでしょうか。

朝礼の型そのものは、学校の外にあった。『世界大百科事典』の「朝礼」の項(佐藤秀夫)は、宗教教団の勤行や軍組織の点呼などに起源をもつと考えられるとし、社会に広まったのは学校行事として定着してからだと述べる[4]。人を決まった時刻に集めて確かめる習慣は学校より先にあり、それが学校に取り入れられた、という順序である。

一方、江戸時代の寺子屋や藩校には、全員が集まる統一的な行事がなかった[4]。教える側と学ぶ側が一対一に近い形で進む場では、全員をそろえる行事の必要が小さかったとも考えられるが、これは資料に書かれた理由ではなく推論である。

では、学校のどこが変わったとき、朝礼は必要になったのか。

4. 学級が ふえた 明治めいじ30年ごろ、朝礼は 学校の 行事に なったの?

4. 学級が増えた明治30年ごろ、学校をまとめる行事として定着した

4. 少人数の学校から大人数の学校へ ── 朝礼が「学校をまとめる行事」になった理由

明治めいじの はじめの 小学校でも、朝、子どもを 集める やりかたが すすめられました。でも、ひろまりませんでした[5]。

学校の しくみが かわったのは、明治めいじ30年ごろです。ひとつの 学校に 学級が いくつも ある 形が ふつうに なり、少ない 人数で まなぶ 学校から、大ぜいで まなぶ 学校へ かわって いきました[5]。

学級が ふえると、先生も 子どもも ばらばらに なりがちです。そこで、朝 みんなで 集まり、あいさつを して、校長先生の 話を きいて、れんらくを うける 朝礼が、学校を ひとつに まとめる 行事として 定着しました[5][4]。

三重県の ある 小学校の しりょうでは、明治めいじ39年(1906年)から 朝礼が はじまったと 書かれて います[5]。これも 1つの 学校の ばあいで、全国 いっせいに はじまった 年では ありません。

台が いつ、どの 学校に さいしょに おかれたかを しめす しりょうは、見つかって いません。

明治の初めの小学校でも、始業前に子どもを集合させる方法は説かれました。けれども、等級制のもとでは広まりませんでした[5]。

変化が起きたのは、1890年代末(明治30年ごろ)から20世紀初頭です。1つの学校に多くの学級を置く形が一般化し、少人数で学ぶ学校から大人数で学ぶ学校へ移っていきました。そのなかで、学校全体をまとめる行事として朝礼が定着します[5]。内容は、全員のあいさつ、校長の訓話、必要事項の伝達でした。『世界大百科事典』も、朝礼を学校運営を統合する行事とし、校長が学校の統合性を保つ場になったと説明しています[4]。

学級ごとに別々の教室で過ごす子どもたちを、朝だけは校庭に集め、同じ話を同じ時に聞かせる。台のある校庭の朝礼は、そのために育った行事だと読めます。

三重県の合川小学校の資料では、尋常高等学校になった明治39年(1906年)以降に朝礼が始まったとされます[5]。ただし1校の例で、全国一斉の開始年ではありません。台がいつ最初に置かれたかを示す資料は見つかっておらず、「朝礼が定着してから置かれた」とも直接は言えません。

明治初期の小学校でも、始業前に子どもを集合させる方法は説かれていた。ところが、等級制のもとでは普及しなかった[5]。「明治5年の学制と同時に朝礼が始まった」わけではない、ということである。

転機は、1つの学校に多くの学級を置く1学校多級制が一般化した1890年代末(明治30年ごろ)から20世紀初頭にかけてである。少人数教育から大人数教育へ移る過程で、学校全体をまとめる行事として朝礼が定着した。内容は全員のあいさつ、校長の訓話、必要事項の伝達だった[5]。『世界大百科事典』(佐藤秀夫)も、1890年代末から20世紀初頭に学校運営を統合する行事として定着し、学校長が学校の統合性を保つ場になったとして、同じ時期を示している[4]。

理由は、学級が増えるほど、学級ごとにばらばらの空間と時間で過ごす児童を、学校という単位で結びつける仕組みが要るからだと読める。学級担任では届かない学校全体への連絡や訓話を、校長が一度に行う場が、朝の校庭になったのである。

地域の例では、三重県の合川小学校の資料に、尋常高等学校になった明治39年(1906年)以降に朝礼が始まったとある[5]。同じ全国の流れの中でも、始まった年は学校ごとに違い、この年は1校の例にすぎない。台の設置年は分からず、朝礼の定着と台の設置を直接結びつけることはできない。

5. 朝礼は、むかしと 今で どう ちがうの?

5. 朝礼のねらいは、時代とともにどう変わったのか

5. 「学校の統一」から戦後の朝礼へ ── ねらいの変化と、残った形

むかしの 朝礼は、学校ぜんたいの 心を ひとつに そろえる ことが ねらいでした。1930年代 いこうは、こっきを あげたり、みんなで 体そうを したり、ならんで 歩いたり する、おごそかな 行事にも なりました[6]。

そのころの 朝礼では、子どもの 代表が かけ声を かけて、みんなが 動きました[6]。

戦後せんごも、学校で 朝礼が 行われて きました[6]。今の 朝礼の 形は、学校に よって ちがいます。

第二次世界大戦前の日本では、朝会のねらいは「学校全体の統一的な精神」を育てることにありました。1930年代以降は、国旗の掲揚や合同体操、分列行進などを含む、重々しい行事になっていきます[6]。

戦後も、学校で朝礼が行われてきました[6]。今の朝礼や朝会は、学校によって形が違います。

今の朝礼でも、全員が集まって話を聞く形が見られる学校があります。その形を支える道具の一つが、校庭の台なのかもしれません。では、その台の高さは、どの学校でも同じなのでしょうか。

第二次世界大戦前の日本では、「学校全体の統一的な精神」を養うことが朝会の主眼にあった。1930年代以降は、国旗掲揚・合同体操・分列行進などを含む荘重な行事になった[6]。学校をまとめる行事が、時代の要請に合わせて儀式の色を強めた、という経過である。

戦後も、学校で朝礼が行われてきた[6]。ねらいは変わっても、全員が同じ場所に集まり、校長などの話を聞くという形は引き継がれた学校があると考えられる。一方、現在の朝礼や朝会の形は学校ごとに違うと見るのが安全である。

形が残るなら、それを支える台の大きさも気になる。台の高さは、どの学校でも同じなのか。

6. 台の 高さは、どの 学校でも 同じなの?

6. 台の高さの一例 ── 貸出用の朝礼台は階段付きで約1メートル

6. 高さ約1メートル、階段付きの台 ── 貸出用製品の寸法から見える台の大きさ

どの 学校でも 同じとは かぎりません。ある 会社が かして いる 朝礼台は、かいだん つきで、高さが およそ 1メートルです。上に のれるのは、大人 2人と 子ども 3人までと されて います[7]。

これは 会社の 商品の ひとつの れいで、学校の ふつうの 大きさでは ありません。自分の 学校の 台は、どのくらいの 高さでしょう。

イベント用品のレンタル会社の商品ページによると、貸出用の朝礼台(階段付き)は幅1,240mm、奥行920mm、高さ1,020mmで、使用人数は大人2名・子ども3名までです[7]。

1,020mmは、およそ1メートルです。ただし、これは貸し出し用の製品の一例で、学校の朝礼台の標準の大きさではありません。

階段が付くのは、1メートル前後の高さがあるためでしょう。自分の学校の台は、高さも向きも、置かれた場所も、学校ごとに違うはずです。次の章では、それを確かめる方法を書きます。

貸出用の朝礼台(階段付き)の一例は、幅1,240mm、奥行920mm、高さ1,020mmで、使用人数は大人2名・子ども3名までとされる[7]。

高さ1,020mmはおよそ1メートルで、階段部分の寸法は幅600mm×奥行200mmである。天板の面積は、本体の幅と奥行きから計算すると約1.1平方メートル(1.24×0.92)で、数人が立つ広さである。階段の幅は600mmである。

ここまでは1社の製品であり、学校の朝礼台の標準寸法ではない。台の高さや数は学校ごとに違うと考えられるが、この記事で言えるのは、1メートル前後で階段付きの台が実際に貸し出されている、というところまでである。階段が付くのは、その高さがあるためではないか。これは製品ページからの推論である。

7. 自分の 学校の 台で、見え方と 聞こえ方を ためして みよう

7. 校庭の台の高さ・向き・距離を、歩いて確かめる

7. 台の高さと距離から、「見え方」を自分で確かめる

校庭の 台を、休み時間に 見に いって みましょう。先生に ひとこと 声を かけて、台には のぼらずに しらべます。

  1. 台の よこに 立って、台の 高さが 自分の 体の どこまで あるかを 見る。
  2. 台から いちばん とおい 校庭の はしまで 歩いて、歩数を 数える。
  3. そこから 台を 見て、台の 前に 立った 友だちの 顔が 見えるか、声が きこえるかを ためす。

台は どっちを むいて いますか。校舎こうしゃや 門との ばしょの ならびも、見て みましょう。いつから 校庭に あるのかは、学校の 先生に 聞いて みるのも いいですね。

休み時間や放課後に、校庭の台を見に行ってみましょう。先生に一声かけて、台には上らずに調べます。

  1. 台の横に立って、台の高さが自分の体のどこまであるかを見る。
  2. 台から校庭のいちばん遠い端まで歩き、歩数を数える。
  3. 端から台を見て、台の前に立った友だちの顔が見えるか、声が聞こえるかを試す。

台はどちらを向いているか。校舎や正門、体育倉庫とどんな位置にあるか。学校の先生に、台がいつから校庭にあるのかを聞いてみるのも、台の目的を考える手がかりになります。

朝礼そのものの歴史は、コトバンクにある『世界大百科事典』の「朝礼」の項(佐藤秀夫)で読めます[4]。学校ごとの始まりは、学校の沿革史の中にあるかもしれません。

台の目的を自分で検討するには、校庭で距離と高さを測るのがよい。学校の許可を得て、台には上らずに行う。

  1. 台の高さを、巻き尺か自分の体との比で測る。
  2. 台から校庭の端までの距離を、歩数と歩幅から概算する。
  3. 端から台の前に立つ人を見て、顔が見えるか、声が聞こえるかを確かめる。

高さ1mの台の上の人を、30mの距離から見上げる角度は、約2度(atan(1/30))にすぎない。角度だけを考えれば、1mの高さはほとんど効かない。台が役立つのは、見上げる角度よりも、前に並ぶ人の頭ごしに見えるかどうかではないか。これは、実際に歩いて確かめてみる価値のある仮説である。

朝礼の成り立ちの一次的な解説は、『世界大百科事典』の「朝礼」の項(佐藤秀夫)にある[4]。「いつ、どこに台が置かれたか」は、各学校の沿革史を読むと分かる可能性がある。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

朝礼の成り立ちは『世界大百科事典』、台の使われ方は学校の例や製品ページ、運動場の呼び名は百科事典の項で確かめています。

  1. 原田英語.com「校庭の白い台の名前は?」 https://www.haradaeigo.com/choreidai-schoolyard-platform-name/ (朝礼台の名前と通称)
  2. Weblio辞書「朝礼台」(ウィキペディア『狭山市立柏原小学校』の記述を含む) https://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E7%A4%BC%E5%8F%B0 (1つの小学校での台の使われ方)
  3. ウィキペディア「校庭」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%A1%E5%BA%AD (運動場の使われ方と「体操場」の呼び名)
  4. 『世界大百科事典』(平凡社)「朝礼」(佐藤秀夫)、コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%9C%9D%E7%A4%BC-569195 (朝礼の起源と、学校行事としての定着)
  5. 朝礼研究所「『朝礼』の起源について考える」 https://www.chourei.jp/chourei-research/vol02/ (明治30年ごろの定着と、合川小学校の例)
  6. ウィキペディア「朝会」(『岩波教育小辞典』1982年を出典とする記述) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E4%BC%9A (戦前・戦後の朝会のねらい)
  7. イベント21 レンタル商品ページ(朝礼台 OTH-431E、号令台 OTH-432) https://event21.co.jp/oth_431.htm (貸出用の朝礼台の寸法の一例。学校の標準寸法ではない)

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