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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

伊能忠敬いのうただたかは なぜ 1ぽ 69センチで あるいたの?

伊能忠敬はなぜ、1歩69cmで日本を歩いたのか ── 目当ての一つは、緯度1度の長さだった

伊能忠敬の測量 ── 歩幅69cmの歩測と星の観測で、緯度1度の長さを求める

分野:歴史・文化

49さいで しごとを ゆずった 人が、55さいから 1ぽ 69センチの はばを からだに おぼえさせ、1日に 40キロも あるいた そうです[3]。

どうして そんな ことを したのでしょう。ねらいの ひとつは、地球 1しゅうの 長さを おおまかに しる ことでした。あるく ことと 星を みる ことで、どう はかれたのかが わかります。

49歳で家の仕事を譲った忠敬は、55歳から歩幅を69cmにそろえる訓練をして測量に出て、1日に約40km歩いたといわれます[3]。日本地図をつくる旅の話として有名ですが、天文学の師と二人で取り組もうとした仕事の一つは、緯度1度の距離を観測で正確に知ることでした[2]。

なぜ、地図の旅が「地球一周の長さ」につながるのでしょうか。歩いて測る方法、夜の星の使い方、出てきた数字とその限界が分かります。

伊能忠敬は49歳で隠居し、55歳(1800年)から71歳まで測量を続けた[1]。この旅は日本地図づくりの話として知られるが、師の高橋至時と忠敬の仕事の一つは、観測で緯度1度の正確な距離を測ることだった[2]。

なぜ地球一周の長さが知りたかったのか、一定の歩幅で歩く歩測はどこまで使えたのか、星の観測は何を補ったのか。得られた値と、緯度と経度で精度に差があるという限界が分かる。

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1. 55さいから、なにを しりたかったの?

1. 忠敬はなぜ、緯度1度の長さを測ろうとしたのか

1. 緯度1度の長さと、地球一周の見積もり ── 測量の動機

49さいで しごとを ゆずった あとの 伊能忠敬いのうただたかは、年が 19さいほど 下の 先生に でしいりして、星の 勉強を はじめました[2]。

ふたりの しごとの ひとつは、きたから みなみへ いどが 1ど かわる ときの きょりを、ただしく はかる ことでした[2]。

この 1どぶんの 長さを 360ばいすれば、地球を きたから みなみへ ぐるっと 1しゅうする 長さが おおまかに わかる はずです[3]。でも 地球を まるごと はかる ことは できません。そこで、小さな 一ぶぶんから はかろうと しました。

師は19歳年下だった

忠敬は、幕府の天文方だった高橋至時に弟子入りして天文学を学び、年下の至時を終生、師と仰ぎました。至時は忠敬より約19歳下です[2]。至時と忠敬の仕事の一つが、観測で緯度1度の正確な距離を測ることでした[2]。

緯度1度分の長さを360倍して、地球一周を見積もる

測量の動機は、緯度1度(子午線1度)の長さが分かれば、360倍して地球の子午線方向の一周の長さを見積もれ、正確な暦づくりにつながる、という考えだったと紹介されています[3]。地球を丸ごと測ることはできないので、ごく小さな一部を測って全体を割り出そう、という発想です。

では、その1度分の長さを、忠敬はどうやって測ったのでしょうか。

忠敬は、幕府天文方の高橋至時(約19歳年下)に弟子入りして天文学を学び、終生師と仰いだ。至時と忠敬の仕事の一つは、観測で緯度1度の正確な距離を測ることであった[2]。

動機は、緯度1度(子午線1度)の長さが分かれば、360倍して地球の子午線方向の一周の長さを見積もれ、正確な暦づくりにつながる、という考えにあったと紹介される[3]。地球を丸ごとは測れないため、小さな一部から求めようとしたのである。ただし、これは解説資料による動機の説明であり、本人の内心をすべて示すものではない。

では、1度分もの長い距離を、どう測ったのか。次の章はそこから入る。

2. 1ぽ 69センチを、どうやって まもったの?

2. 歩幅を一定にするという訓練

2. 歩測の方法 ── 梵天と歩数の平均

さいしょの たびは、1800ねんの えぞち(いまの 北海道の あたり)でした。この ときは、あるいて はかる「ほそく」が ちゅうしんでした[3]。

ほそくは、いつも おなじ はばで あるかないと うまく いきません。伊能忠敬いのうただたかは、1ぽを 69センチに そろえる くんれんを したと いわれます[3]。

はかる ときは、2つの 場しょに、たけの さきに めじるしを つけた「ぼんてん」を たてます。つぎに、なん人かで その あいだを あるき、ほすうを くらべて 平きんを とりました[3]。

みなさんも、みちを 数えながら あるいた ことは ありませんか。ひとりだと まちがえても、なん人かで 数えれば、おおきな まちがいに きづきやすく なります。

最初の旅は、歩測が中心だった

最初の蝦夷地(1800年)の測量は、歩測が中心でした。忠敬は歩幅を69cmに保つよう訓練したといわれます[3]。歩幅がばらつくと、歩数に歩幅をかけて出す距離が、そのままずれてしまうからです。

2本の梵天のあいだを、何人かで歩く

測る2地点に、竿の先に目印をつけた梵天を立てます。その間を数人で歩き、歩数の平均をとりました[3]。何人かで歩数を比べれば、1人の数え間違いに気づきやすくなります。

ところで、69cmという数字は、どこから出てきたのでしょうか。記念館所蔵の『雑録』に「1町に158歩」と書かれていて、1町を約109mとして割ると約69cmになるため、そう推測されたものです[4]。つまり69cmは、記録から割り出した推測値です。

最初の蝦夷地測量(1800年)は歩測が中心で、忠敬は歩幅69cmを保つよう訓練したという[3]。距離は歩数×歩幅で出すため、歩幅のばらつきがそのまま誤差になる。だから、一定の歩幅で歩ける体づくりが、方法の前提になった。

測る2地点に、竿の先に目印をつけた梵天(ぼんてん)を立て、その間を数人で歩いて歩数の平均をとった[3]。個人の数え誤りや歩幅のむらを、人数で薄める工夫と考えられる。

69cmは実測値ではない。記念館所蔵『雑録』の「1町に158歩」の記述から、1町を約109mとして割った推測値である[4](109÷158≒0.69)。では、この歩幅で1日にどれくらい進めたのか。

3. 1日 40キロ あるいた あとは、なにを したの?

3. 40km歩いた日の夜は、星を見上げた

3. 1日の行程 ── 導線法と夜の天体観測

第一じの そくりょうでは、1日に 40キロほど すすんだ しりょうが あります[4]。40キロを 69センチで わると、およそ 5まん8せんぽ。「1日 6まんぽ」と いわれる ことも ありますが、これは けいさんの おおまかな かずです[4]。

でも、ただ あるくだけでは ありません。みちの まがりかどごとに、むきの かくどを はかりました。そして よるは、星の 高さを はかって、きたから みなみの どの あたりに いるかを たしかめました[5]。

この「みちに そって はかって いく」やり方を、どうせんほうと いいます。かどに ぼんてんを たて、あいだを なわや てつの くさりで はかり、むきは ほういばんで はかりました[6]。

1日約40km、約6万歩

第一次測量では、1日に約40km進んだ資料があります。40,000m÷0.69mを計算すると約5万8千歩で、概数でおよそ6万歩です[4]。ただしこれは、69cmという推測値を使った計算上の数字です。

曲がり角ごとに測る導線法

測量は、歩くだけでは終わりません。道の曲がり角に梵天を立て、角ごとに角度を測り、夜は天体観測をして現在位置を確かめる、という地道な作業でした[5]。

この方法を導線法といいます。出発点から見通せる次の点までの距離と方位角を測ることを、終点まで繰り返します。梵天の間は間縄や鉄鎖で測り、方位は彎窠羅鍼という方位盤で測りました[6]。山や島の方位を各地から測って位置を求める交会法も、あわせて使われました[6]。

ところで、毎晩の星の観測は、昼間の測量とは何がちがったのでしょうか。

第一次測量では1日に約40km進んだ資料があり、40,000÷0.69≒約5万8千歩(概数で約6万歩)となる[4]。これは推測値の歩幅を使った計算上の概数である。しかも歩くだけでなく、曲がり角ごとに角度を測り、夜は天体観測で現在位置を確かめる作業を重ねた[5]。

この方法が導線法で、出発点から見通せる次の点までの距離と方位角を、終点まで繰り返し測る。道の曲がり角に梵天を立て、間を間縄や鉄鎖で測り、方位は彎窠羅鍼(わんからしん)と呼ばれる方位盤で測った[6]。山や島の方位を複数の地点から測って位置を求める交会法も併用された[6]。

国土地理院は、伊能測量の特徴を、天文測量の導入、測量機器の改良、交会法や横切測線による誤差の低減、経緯度の観測と整理している[7]。昼の測量に、夜の観測がどう組み合わされたのかが、次の章の中心である。

4. 夜の 星は、なにを おしえて くれたの?

4. 星の高さで決まる緯度、決まりにくい経度

4. 恒星の高度角と、緯度・経度の精度の差

よるの 星の たかさを はかると、いど(きたから みなみへの いち)が わかります[1]。むかしの 人は、そのために 星の たかさを はかる どうぐを つかいました[7]。

あるいて はかった きょりが 少し ずつ ずれても、星で いどを たしかめれば、きた みなみの ずれは なおせます。ただし、星だけで きょりの ずれが ぜんぶ なおる わけでは ありません。

ただし、よこ むき(けいど)の ただしさは、いどほど たかく なかったと いわれます[1]。ですから「地図の ぜんぶが ぴったり」とは いえません。

星の高さから緯度を求める

緯度を決めるために、恒星の高度角を測りました。この方法で、緯度は高い精度で求められたとされています[1]。国土地理院の資料には、天文測量の導入として、恒星の高度、日食・月食、木星の衛星の現象が挙げられています[7]。機器は、小象限儀や中象限儀、量程車、半円方位盤などがありました[7]。

歩いて積み上げた距離は、少しずつずれていきます。そこで、夜に星で緯度を確かめれば、昼の歩測や導線測量の誤差を、途中で見直すことができたと考えられます。

経度は、緯度ほど高くない

一方で、経度方向の精度は高くなかった、とされています[1]。ですから、「伊能の地図は全部が正確」と言い切るのは正しくありません。緯度は星に支えられて精度が高い、経度には限界がある、と分けて読むのが大切です。

緯度は、恒星の高度角を測ることで高精度に求められた。一方、経度方向の精度は高くなかったとされる[1]。国土地理院の資料では、天文測量(恒星の高度、日食・月食、木星の衛星の現象)の導入が特徴とされ、測量隊の機器として、半円方位盤・小象限儀・量程車・彎窠羅鍼・中象限儀・垂揺球儀が挙げられる[7]。

資料の記述としては、緯度は高精度、経度は精度が高くない、という差がある。したがって「伊能図は全体が正確」とは言い切れない。

では、こうした方法を積み重ねた結果、緯度1度の長さはいくつと出たのか。

5. 1どの 長さは、いくつに なったの?

5. 出てきた数字は、当時の最新の天文書とほぼ一致した

5. 子午線1度=28.2里 ── 数値と、その読み方の注意

さいしょの たび(1800ねん)で、いど 1どは「27り あまり」と だされたと いわれます[8]。のちの 1802ねんには、1ど=28.2り(110.75キロ)と けいさんしたと いわれます[8]。

この あたいは、そのころ さいしんの 星の ほん『ラランデれきしょ』の あたいと、ほとんど おなじでした[1]。

110.75キロを 360ばいすると、およそ 4まんキロ。あるいた ぜんぶの きょりも、およそ 4まんキロと いわれ、「地球 1しゅう ぶん」と たとえられます[3]。たまたま おなじ くらいの かずで、一方が 他方の りゆうに なった わけでは ありません。ただし これは 本によって 3まん5せん〜4まんキロと はばが あります。

28.2里という答え

第一次測量(1800年)は約半年で、緯度1度を「27里余」と出したとされます。のち1802年には、子午線1度を28.2里(110.75km)と算出したと紹介されています[8]。28.2里は1802年の値で、第一次の27里余とは別です。

この28.2里は、当時の最新の天文書『ラランデ暦書』の値とほぼ一致した、と紹介されています[1]。ただし「ほぼ一致」は、同時代の暦書との比較の話です。現在の値との差までは、ここでは扱いません。

360倍と、歩いた距離

110.75kmを360倍すると、約3万9千9百km、およそ4万kmです。一方、全国測量で歩いた距離も、およそ4万km、地球1周分ほどと紹介されています[3]。ただし、歩いた総距離は資料によって約3.5万〜4万kmと幅があり、4万kmは概数です。

この2つの4万kmは、数字の上でそろっただけで、一方が他方の理由になっているわけではありません。

第一次測量(1800年)は約半年で、この測量では緯度1度が「27里余」と出されたとされる。のち1802年に、子午線1度=28.2里(110.75km)と算出したと紹介される[8]。両者は別の値であり、混同しない。

28.2里の値は、当時の最新の天文書『ラランデ暦書』の値とほぼ一致したと紹介される[1]。ただし、これは同時代の暦書との比較であって、現代の測地値との差は今回の資料では扱われていない。

算術として、110.75km×360≒39,870kmとなり、概数で約4万kmだ。全国測量の総歩行距離も「地球1周分」と紹介されるが[3]、資料により約3.5万〜4万kmと幅がある。この2つの約4万kmは数字の上の一致で、因果関係を示すものではない。

6. たびの あとに、のこった ものは?

6. 完成した地図は、忠敬の没後に幕府へ

6. 大日本沿海輿地全図の完成と国宝指定

この たびで できた 地図は「だいにほん えんかい よちぜんず」と いいます[7]。伊能忠敬いのうただたかが なくなった あと、1821ねんに かんせいし、ばくふに わたされました[7]。

大・中・小の 3しゅるいが あり、大ずは 3まん6せんぶんの 1、中ずは 21まん6せんぶんの 1、小ずは 43まん2せんぶんの 1の 大きさです[7]。

いま、とうきょう国立はくぶつかん にある 43まいは、2010ねんに 国ほうに なりました[9]。星と あし あとで つくった 地図が、いまも 大切に のこされて います。

地図の完成

測量で得た結果は、「大日本沿海輿地全図」(伊能図)にまとめられ、忠敬の没後の1821年に完成して幕府に提出されました。大図は3万6千分の1、中図は21万6千分の1、小図は43万2千分の1の縮尺です[7]。

国宝になった地図

東京国立博物館が所蔵する伊能忠敬測量図(43点)は、1957年に重要文化財、2010年に国宝に指定されました[9]。

現在の地図と比べると、東西方向のずれはあるものの、沿岸の形はほぼ一致する、と紹介されています[3]。経度の精度に限界があったという前の章の話と、重なります。

忠敬が没した後の1821年に、「大日本沿海輿地全図」(伊能図)が完成し、幕府に上呈された。大図は1/36,000、中図は1/216,000、小図は1/432,000である[7]。

東京国立博物館蔵の伊能忠敬測量図(43点)は、1957年に重要文化財、2010年に国宝に指定された[9]。現在の地図との比較では、東西方向のずれはあるが、沿岸の形はほぼ一致すると紹介される[3]。経度方向の精度に限界があったという先の記述と整合する。

7. じぶんの あしの はばを はかって みよう

7. 自分の歩幅を測って、歩数で距離を当ててみる

7. 出口 ── 自分の歩幅を測り、資料を読む

おうちの 人と、ひろい ところで ためします。まず、ふつうに 10ぽ あるいて、とまった ところまでの 長さを、ものさしや ひもで はかります。ひもを つかった ときは、あとで ひもを ものさしに あてて、長さを よみます。

その 長さを 10で わると、あなたの 1ぽの はばです。つぎに、ろうかや 公えんで 歩いた かずを 数えて、「ぽすう×1ぽの はば」で、きょりを あてて みます。

みちを あるく ときは、車に きを つけます。くらく なる 前に やめて ください。

69センチは、大人の 歩はばです。小さい 人が 69センチで あるく ひつようは ありません。

広い場所で、ふつうに10歩歩いて、止まった位置までの長さを、巻き尺やひもとものさしで測ります。それを10で割った値が、あなたの歩幅の目安です。

次に、教室や公園の端から端まで歩数を数え、「歩数×歩幅」で距離を予想し、巻き尺で確かめます。10回くらい繰り返して、毎回同じ歩幅で歩けるかも見てみてください。

道路や車の近くでは、前を見て歩いてください。暗くなる前に切り上げましょう。

もっと知りたくなったら、国土地理院の伊能図のページ[7]や、国立天文台の暦の展示[2]を開いてみてください。

自分の歩幅を、10歩分の長さを測って10で割って出し、歩数×歩幅で距離を予想して巻き尺で確かめる。何回か繰り返し、歩幅がどれだけ一定に保てるかも見ると、忠敬が訓練を重んだ理由が実感できる。安全のため、道路や車の近くを避け、明るい時間に行う。

資料を読むなら、動機は国立天文台の暦の展示[2]、測量機器と特徴は国土地理院の企画展パネル[7]、国宝指定は文化遺産オンライン[9]が日本語で読める。緯度と経度の精度の差、28.2里と現代の値との差は、さらに調べる価値のある問いだ。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:公的機関の資料、博物館・学会系の解説、報道・解説記事を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. nippon.com「伊能忠敬」。https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b07210/ (測量期間、緯度の精度、ラランデ暦書との一致について。二次資料)
  2. 国立天文台 暦の展示(018)。https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/exhibition/018/ (弟子入りと、緯度1度を測る仕事について)
  3. トプコン「測量の話」。https://www.topcon.co.jp/media/infrastructure/surveying/ (測量の動機、歩測、総距離について。企業解説)
  4. ライブドアニュース「伊能忠敬は1日6万歩」。https://news.livedoor.com/article/detail/32370019/ (歩幅69cmの根拠と、1日約6万歩の計算について。報道)
  5. 静岡県立中央図書館 資料。https://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/50/1/ssr3-38.pdf (1日の作業の流れについて)
  6. maruchiba「伊能忠敬」。https://maruchiba.jp/feature/detail_286.html (導線法・交会法の説明について)
  7. 国土地理院 企画展パネル(伊能図)。https://www.gsi.go.jp/MUSEUM/SOUGO/kohokocho20211019_00001.html (測量の特徴、機器、地図の縮尺について)
  8. Wikipedia「伊能忠敬」。https://ja.wikipedia.org/wiki/伊能忠敬 (第一次測量の期間と、27里余・28.2里の値について。二次資料)
  9. 文化遺産オンライン(文化庁)「伊能忠敬測量図」。https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/135394 (重要文化財・国宝の指定年について)

なおした ところ

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