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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

江戸えどの 1文は、いまの なんえん? ── ものさしで こたえが かわる

江戸の1文は今いくらか ── 10円とも30円ともいわれる、答えが動く理由

江戸時代の1文・1両は今いくらか ── 米・そば・大工賃金で換算額が最大10倍ほど変わる

分野:歴史・文化

「早おきは 三文の とく」の 三文は、いまの お金で 30円から 100円ほどと いわれます。ところが おなじ 江戸えどの 1両でも、なにで はかるかで、4万円にも 41万円にも なります。

どうして こんなに ちがうのでしょう。この メモを よむと、その わけが わかります。

「早起きは三文の徳」の三文は、今のお金でおよそ30〜100円といわれます。ところが江戸時代の1両は、何と比べるかによって、約4万円にも約41万円にもなります。

同じお金なのに、なぜここまで答えが動くのでしょうか。金・銀・銭という3つのお金のしくみと、1両を測る3つの物差しから、その理由が分かります。

江戸時代の1文は、今の10〜30円ほどといわれる[3]。1両は、米価換算で約4〜8万円、大工の賃金換算では約41万円と、物差しによって10倍ちかい開きが出る[1][2][3]。

同じ貨幣なのに、なぜ答えが1つに決まらないのか。三貨制度の構造、換算の前提、江戸時代が約265年あった事情から、その理由が分かる。

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1. 三文は、いまの なんえん くらい?

1. 「三文の徳」は、いくらの得なのか

1. 「三文」を今の円にすると ── 1文は10〜30円という幅

「早おきは 三文の とく」と いう ことわざが あります。この 三文は、むかしの お金の 単位たんいです。

1文は、いまの 10円から 30円くらいと いわれます。だから 三文は、30円から 100円ほどと しょうかいされて います(3ばいすると 90円ですが、まるめた めやすです)。ジュースも かえない 金額きんがくです[3]。

ただし、この ことわざの「とく」は、お金を もうける ことでは ないと いわれます。「いいことが ある」と いう いみだそうです[3]。

それにしても、10円から 30円とは、ずいぶん はばが ありますね。その わけを さがして みましょう。

「早起きは三文の徳」の三文とは、どれくらいの金額でしょうか。くらし塾きんゆう塾の資料では、1文を10〜30円ほどとして、三文は30〜100円くらいと紹介されています(単純に3倍すれば30〜90円で、100円はきりのよい目安です)[3]。今なら、自動販売機の飲み物1本にも届かない額です。

ちなみに「三文の得」と書く場合もありますが、お金を得するという意味ではなく、「ご利益がある」という意味だと同じ資料は説明しています[3]。

ここで気になるのは、1文が「10円から30円」と3倍もの幅で紹介されていることです。ぴったりの1つの値に決まらないのには、理由があります。

「早起きは三文の徳」の三文は、1文を10〜30円とすれば30〜90円、資料の表記では30〜100円ほどになる。金融広報中央委員会の「くらし塾きんゆう塾」は、この換算を紹介している[3]。同じ資料は、「三文の得」とも書くが、お金を得する意味ではなく「ご利益がある」の意味だと説明する。

ここで目を引くのは、下限と上限が3倍も開いていることだ。この幅は、資料の書き手の不注意ではない。同じ資料によれば、1文の値は1両を何万円とみるかから逆算されており、1両が4万円か12万円かで、1文が10円にも30円にもなる[3]。では、1両と1文は、どんな関係にあったのか。

2. 江戸えどの お金は、なぜ 3しゅるいも あったの?

2. 江戸の人は、金・銀・銭の3つのお金をどう数えたのか

2. 三貨制度 ── 枚数で数える金・重さで測る銀・別体系の銭

江戸えどの 人は、お金を 3しゅるい つかいわけて いました。金と 銀ぎんと、銭ぜにです。

金の お金は 小判こばんです。1まいが 1両。まいすうで かぞえます。銀は、おもさで ねうちを はかります。銭ぜには 1まいが 1文で、これも まいすうで かぞえました[3]。

3つの お金には、それぞれ べつの ものさしが ありました。むかしの 人は 3しゅるいの お金を かえあう ときの「相場そうば」も おぼえて いたのです。

ふつうの 人の 手もとに あったのは、おもに 銭ぜにです。では、その 銭ぜにとは どんな お金でしょう。

金は枚数、銀は重さ、銭は1枚が1文

江戸時代の貨幣は、金・銀・銭の3種類に分かれていて、それぞれ価値の示し方がちがいました。金貨は小判1枚を1両とする、枚数で数える「計数貨幣」です。銀貨は匁(1匁は3.75グラム)という重さで価値を示す「秤量貨幣」でした。銭は1枚が1文でした[3]。

1両は4000文、ただし相場で動く

江戸中期から後期の幕府の公定レートは、金1両=銀60匁=銭4000文でした。ただし実際に両替するときは、そのときどきの相場が使われたといいます[3]。

このレートは、時期でも変わります。貨幣博物館の資料では、江戸後期の計算で1両=銭6500文が使われています[1]。つまり、「1両は何文か」も、いつの話かで数字が動きます。

庶民が日ごろ手にしたのは、この銭です。その銭の主役が、寛永通宝でした。

江戸の貨幣は、金・銀・銭が別々の価値体系をもつ三貨制度だった。金貨は小判1枚を1両とする計数貨幣、銀貨は匁(1匁=3.75g)の重さで価値を示す秤量貨幣、銭貨は1枚が1文だった[3]。

3つの間には交換比率がある。江戸中〜後期の幕府の公定レートは金1両=銀60匁=銭4000文だが、実際の両替ではその時々の相場が用いられた[3]。貨幣博物館は江戸後期の計算で1両=銭6500文を使っており[1]、「1両は何文か」自体が時期によって変わる。換算の出発点が動くのだから、現在価値の答えも1つに定まらない。

この体系を支えた銭貨の中心が寛永通宝である。

3. ふつうの 人が つかった 銭ぜには、どんな お金?

3. 庶民の財布の中身、寛永通宝

3. 寛永通宝(1636〜1860年鋳造)と三貨制度の成立

江戸えどの 人が いちばん よく つかった 銭ぜには、寛永通宝かんえいつうほうです。1636ねんから つくられはじめ、1860ねんまで つくられました[5]。

いろいろな しゅるいが あります。銅どうの 1文銭もんせん、鉄てつの 1文銭ぜに、真鍮しんちゅうや 鉄の 4文銭ぜにも ありました[5]。

日本の あちこちで つくられ、明治めいじの はじめまで つかわれました。1しゅるいの 銭ぜにが 日本じゅうに ひろまる やくわりを はたしたと いわれます[5]。

寛永通宝は、寛永13年(1636)から万延元年(1860)まで鋳造された銭貨です。銅の一文銭・鉄の一文銭・真鍮の四文銭・鉄の四文銭があり、各地で鋳造されて明治の初めまで通用しました[5]。

この銭は、全国的な銭貨の流通に大きな役割を果たしたとされます[5]。くらし塾きんゆう塾の資料は、1636年に寛永通宝が出て統一的な銭が安定して流通するようになったことで、「東国の金遣い、西国の銀遣い、そして銅貨(銭貨)は庶民」という三貨制度の形ができたと述べています[3]。

全国どこでも通じる小さな銭があったから、庶民が日々の買い物にお金を使えたのです。では、この1文を「今のお金」にするには、何を物差しにすればよいのでしょうか。

寛永通宝は寛永13年〜万延元年(1636〜1860)に鋳造され、銅一文銭・鉄一文銭・真鍮四文銭・鉄四文銭がある。各地で鋳造されて明治初年まで通用し、全国的な銭貨の流通に大きな役割を果たしたとされる[5]。

これによって統一的な銭貨が安定して流通し、「東国の金遣い、西国の銀遣い、そして銅貨(銭貨)は庶民」と呼ばれる三貨制度が成り立った、というのがくらし塾の整理である[3]。三貨制度の成立を一つの貨幣だけで説明するのは単純化だが、庶民の日常の取引を銭が担った点は共通して読み取れる。

では、日常の買い物に使われた1文を、現代のお金に置きかえるにはどうすればよいのか。

4. 1りょうは、なにで はかると いくら?

4. 同じ1両が、物差しで約4万円にも41万円にもなる

4. 1両の換算 ── 米価8万円・大工賃金41万円と、資料間のずれ

1両を いまの お金に する とき、なにを ものさしに するかで、こたえが かわります。

まず、お米。1石(やく150キロ)が 1両だった ころの 計算では、やく8まん円に なります[1][2]。ほかの しりょうでは、お米で 4まん円ほどと する ものも あります[3]。くらべる ときや 計算の しかたで、ねだんは かわるのです。

つぎに、大工さんの おきゅうりょう。1両で 1日に 23人の 大工さんを やとえた れいが あります。いまの 大工さんの 日当で 計算すると やく41まん円です[1]。

そばだと 1杯ぱいが 16文で、1両で 400ぱいほど。くらし塾じゅくの 資料しりょうでは、そばで見ると 12まん円ほどと いわれます[1][3]。

おなじ 1両が 4まん円から 41まん円。どれが 正しい、と いう ものでは ありません。

米で測ると

貨幣博物館の資料は、米1石(約150キログラム)=1両(18世紀)として計算しています。米5キログラムが約2700円(2024年、総務省の統計)なら、2700÷5×150で8万1000円です[1]。ただし、くらし塾の資料では江戸中期の1両を米価から見ると約4万円とされ、米価換算どうしでも値がそろいません[3]。

そばで測ると

江戸中期から後期のそばは1杯16文でした。1両=6500文で計算すると、1両で約406杯食べられます[1]。くらし塾の資料では、そば代金で見ると江戸中期の1両は12〜13万円といわれます[3]。

大工の賃金で測ると

18世紀後半には、1両で1日23人の大工が雇えたという事例があります。今の大工の日当(約1万8000円、2024年の厚生労働省統計)にかけると、1万8000×23で41万4000円です[1]。

貨幣博物館は、比べるモノによって1両の現在価値は大きく異なり、同じモノでも江戸時代の時期によって値段が違う、と注意しています[1]。約4万円と約41万円は、どちらかが間違いなのではなく、測っている物差しがちがうのです。

貨幣博物館は、18世紀の1両を米価換算で約8万円、大工の賃金換算で約41万円と示している[2]。前者は米1石(約150kg)=1両とし、米5kg約2700円(2024年、総務省統計)から2700÷5×150=8万1000円と計算する。後者は、1両で1日23人の大工が雇えたという18世紀後半の事例に、現在の日当約1万8000円(2024年、厚生労働省統計)をかけた18,000×23=41万4000円である[1]。

差が開くのは、米が食べ物の値段を、大工賃金が人の手間賃を測っていて、そもそも見ているものが違うからだ。換算とは、ある時代の1両で買えた量を、今の同じモノの値段にかけ直す作業にすぎない。かける相手のモノを変えれば、答えも変わる。

そばも同じ問題をもつ。1杯16文、1両=6500文とすれば約406杯だが[1]、くらし塾は江戸中期の1両を、当時と現代の米価から約4万円、そば代金から12〜13万円とする[3]。米価換算だけでも、貨幣博物館の約8万円とくらし塾の約4万円は基準年と方法が違い、そろわない。貨幣博物館は、比べるモノや江戸時代の時期で1両の値が大きく変わると断っている[1]。1つの数字を「正解」として覚えるのは危うい。

5. らくごの「五十りょう」は、いくらの おかね?

5. 落語の「五十両」は、200万円か600万円か

5. 落語の五十両と千両箱 ── 換算の幅は何倍になるか

落語らくごには、「五十両」と いう おおきな お金が でて きます。切り餅もちという、紙に つつんだ 小判こばんの たばで、ふたつ ぶんです[3]。

1両が 4まん円なら 200まん円、12まん円なら 600まん円に なります[3]。おなじ 五十両でも、3ばいの ちがいです。

お金を いれる はこ、千両箱せんりょうばこの なかみも、数百万円から 数おく円と いわれます[3]。

この はばは、ものさしだけでは ありません。江戸えど時代の 長さも かかわります。

落語に出てくる大金といえば五十両です。くらし塾の資料によると、これは「切り餅」2つ分にあたります。1両4万円なら200万円、1両12万円なら600万円です[3]。同じ落語の噺でも、聞く人が物差しを何にするかで、金額の想像はここまで変わります。

大金の代名詞「千両箱」も同じです。中のお金の現在価値は、数百万円から数億円前後まで幅があるとされます[3]。

この幅は、物差しだけでなく、江戸時代が約265年と長かったことにも関わります。その間に物価は動いたのでしょうか。

落語の大金といえば五十両で、切り餅2つ分にあたる。1両を4万円とすれば200万円、12万円とすれば600万円で、3倍の幅が出る[3]。千両箱の中身の現在価値も、数百万円から数億円前後と幅がある[3]。

1両4万円と12万円という前提の違いだけで、五十両は400万円もずれる。物語の金額を今の感覚で読むとき、どの物差しを頭に置いて聞くかで、伝わる大金の重みは変わる。

もう一つの要因は時期である。江戸時代は約265年あり、その間の物価も一定ではなかった[3]。

6. どうして 江戸えどじだいの ねだんは そろわないの?

6. 265年のあいだにも、物価は動いた

6. 幕末の米価上昇 ── 時期のずれが換算に与える影響

江戸えど時代は、およそ 265ねん つづきました。その あいだに ものの ねだんも かわりました[3]。

幕末ばくまつの 1866ねんの あき、お米1石は 銀ぎん585匁もんめでした。10ねん まえの 1856ねんは 102匁もんめで、およそ 6ばいに なって います[4]。

おなじ お米を ものさしに しても、お米の ねだんが じきで かわるので、江戸えどの はじめと おわりでは、いまの お金に した がくが かわります。

江戸時代は約265年と長く、その間に物価も変わりました[3]。明治大学博物館の資料では、幕末の慶応2年(1866)秋、米1石は銀585匁。10年前の安政3年(1856)の銀102匁と比べて約6倍です[4]。

同じ資料は、米価で見た金1両を約1万円としたうえで、江戸時代と現代ではお金や品物の価値が違うため、正確には換算できないと断っています[4]。この約1万円は、貨幣博物館の約8万円やくらし塾の約4万円とは大きく違いますが、時期や基準の取り方がそれぞれ違うため、どれか1つを正解とは決められません。

つまり「1文は今いくら」という問いへの答えは、「何を物差しに、いつの1文を測るか」で決まります。だから10円〜30円という幅を持つのです。

米価は江戸時代のあいだにも大きく動いた。明治大学博物館の資料によると、慶応2年(1866)秋の米1石は銀585匁で、10年前の安政3年(1856)の銀102匁の約6倍にあたる。同じ資料は、米価で見た金1両を約1万円としつつ、「正確には換算できない」と断っている[4]。

この約1万円は、貨幣博物館の約8万円[1]、くらし塾の約4万円[3]と比べて大幅に低い。資料により、基準となる年・米の値段・計算の方法が違うためで、食いちがいそのものが、現在価値が1つに定まらないことを示している。

結局、「1文は今いくらか」への答えは、何を物差しにするか、江戸時代のいつの1文かで決まる。1文が10〜30円、1両が数万円から41万円といった数字は、それぞれの前提つきの目安として読むのが妥当である。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

今日できること

おうちの 人に、いちばん すきな たべものを ひとつ えらんで もらい、その ねだんを 調べて みましょう。「いまの ねだんの 何ばいか」で、ものさしを つくる あそびです。

本で しらべる

貨幣博物館かへいはくぶつかんの ホームページには、江戸えど時代の お金を くわしく しょうかいした ページが あります。おうちの 人と いっしょに、のぞいて みてください。

今日できること

身近な食べ物を1つ選び、今の値段と、江戸時代の値段(貨幣博物館の資料に、そば・酒などの例があります)を見比べてみましょう。その食べ物を物差しにした「1両」は、いくらになるでしょうか。そばと酒で答えがちがえば、この記事の「物差しで変わる」を自分で確かめたことになります。

公式情報を読む

日本銀行金融研究所の貨幣博物館は、江戸時代の1両の現在価値について、計算の前提を示した資料を公開しています。数字だけでなく、前提の書き方に注目してみてください。

今日できること

身近な品物を1つ選び、江戸時代の値段が分かる例(貨幣博物館の資料には、そば1杯16文、酒1升200文<19世紀前半、武蔵国の例>などが載っている)と現在の値段から、1両の現在価値を自分で計算してみる。物差しを変えると、どれだけ値が動くかを体験できる[1]。

資料を読む

貨幣博物館の「江戸時代の1両は今のいくら?」は、計算式と前提条件を示している。くらし塾の資料と突き合わせると、資料ごとの数字のずれを確かめられる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

数字は、いずれも資料に書かれた計算例や目安です。資料どうしで前提がちがうので、ひとつの値としては書いていません。

  1. 日本銀行金融研究所 貨幣博物館「江戸時代の1両は今のいくら?―昔のお金の現在価値―」 https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/edojidaino1ryowa/index.html (米・そば・大工賃金の換算例、注意書き)
  2. 日本銀行金融研究所 貨幣博物館「お金の歴史FAQ 江戸時代の一両の現在価値」 https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/historyfaq/ (18世紀の1両の米価換算・大工賃金換算)
  3. 金融広報中央委員会「くらし塾きんゆう塾」2011年夏号「江戸の貨幣と暮らし」 https://www.shiruporuto.jp/about/kurashijuku/pdf/201107/vol_017_013.pdf (三貨制度、1文の目安、落語の五十両、千両箱)
  4. 明治大学博物館 刑事部門収蔵品紹介「江戸の物価と世直し一揆」 https://www.meiji.ac.jp/museum/6t5h7p000034migl-att/edo.pdf (幕末の米価の変化)
  5. コトバンク「寛永通宝」(日本大百科全書ほか) https://kotobank.jp/word/寛永通宝 (寛永通宝の種類と鋳造期間)

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