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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

卵たまごは むかしから、たくさん 食べて いた?

千年ほど「食べた記録」が少ない卵 ── 日本の養鶏はどう変わったか

日本の養鶏の歴史 ── 弥生の渡来から、江戸の卵料理、ケージ飼育と大規模化まで

分野:歴史・文化

今の 日本では、1人が 1年に 330こほどの 卵たまごを 食べると いわれます[7]。ほとんど 毎日、1こ ぐらいです。

ところが むかしの 日本には、卵たまごを 食べた あとが ほとんど 見つからない 長い 時代が あったと いう 人が います。卵たまごは、いつから 毎日の ごはんに なったのでしょう。

今の日本では、1人が1年に食べる卵は約330個、ほぼ毎日1個ぐらいです[7]。スーパーでは、10個入りのパックが並んでいます。

ところが、6世紀から16世紀までの約1000年間に「卵を食べた」と分かる記録は、3例しか知らない、と書く人がいます[3]。卵は、いつ、どうして、毎日の食べ物になったのでしょうか。

令和4年度の日本人1人あたりの鶏卵消費量は16.9kg、約330個で、鶏卵の自給率は重量ベースで97%とされる[7]。一方、味の素食の文化センターのコラムは、6〜16世紀の約1000年間に卵を食べたと分かる記録は筆者の知るかぎり3例だけ、と書く[3]。

この落差はどこから来るのか。鶏の渡来、肉食をめぐる禁令、江戸の料理書、昭和30年代以降の技術を、農林水産省と業界系の資料を突き合わせて整理する。

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1. 今の 鶏にわとりは、どれくらい 卵たまごを うむ?

1. 1羽が1年に約300個 ── 今の「あたりまえ」

1. 採卵鶏1羽が年に約300個 ── 現在の水準

農林水産省のうりんすいさんしょうの せつめいでは、卵たまごを うむ 鶏にわとり 1羽は、1年に へいきんで 300こ ぐらい 卵たまごを うみます[6]。うまれて 150日ほどで うみはじめる と いいます。

1人が 食べる 330こは、1羽の 1年ぶん くらいの 数です。あなたの 家の れいぞうこの 卵たまごは、そういう 鶏にわとりの 1日の しごとの つみかさねです。

では、日本の 人は、むかしから こんなに 卵たまごを 食べて いたので しょうか。

農林水産省の子ども向けの説明では、卵を産む鶏は、1羽で1年に平均約300個の卵を産みます。産みはじめるのは、生まれて約150日たったころで、7〜8年たつと産まなくなるといわれます[6]。

1人が1年に食べる約330個は、鶏1羽が1年に産む数とほぼ同じくらいです。冷蔵庫の卵1個は、鶏の1日分の仕事、と考えることもできます。

では、日本人は昔から、こんなに卵を食べていたのでしょうか。

農林水産省の子ども向けページは、鶏1羽が1年間に平均して約300個の卵を産むと説明し、産みはじめは生後約150日、産まなくなるのは7〜8年とされる[6]。1人あたり消費量の約330個は、ほぼこの1羽ぶんの年間産卵数に当たる。

ただし、昔の1羽あたりの産卵数と比べる数字は、今回の資料からは得られていない。そのため「昔より何個増えた」とは書かず、渡来から順に、何が変わったかを見ていく。

2. 鶏にわとりは、いつ 日本に きたの?

2. 「時を告げる鳥」として渡ってきた

2. 弥生時代の渡来 ── 「常世の長鳴き鳥」と鳥飼部

鶏にわとりが 日本に きたのは、弥生時代やよいじだいの はじめごろだと されます[1]。今から 2500年 ぐらい まえに、中国から ちょうせんはんとうを とおって つたわったと いう 年表ねんぴょうも あります[2]。

いちばん 古い 本の 1つ 『古事記こじき』には、「常世の長鳴き鳥とこよのながなきどり」と 書かれて います。朝を しらせる 鳥として、大切に されたのです[1]。

ただし、やよいの はじめが いつかは、いろいろな 考えが あります。

鶏が日本にやってきたのは、弥生時代のはじめごろとされています。『古事記』には「常世の長鳴き鳥」と出てきて、朝を告げる鳥として大切にされました[1]。

全農の年表には、約2500年前に中国から朝鮮半島を通って伝わり、雄略天皇のころには「鳥飼部」という、鶏を育てる仕事の人たちがいたと伝わる、とあります[2]。ただ、弥生のはじめの年代には諸説があるので、2500年前という数字は目安です。

はじめから、卵や肉のための鳥ではなかったようです。時を告げる鳥、という役目が先にあったことになります。

農林水産省の広報誌は、鶏の渡来を弥生時代の初めごろとし、『古事記』が「常世の長鳴き鳥とこよのながなきどり」と記して、時を告げる鳥として大事にされたと述べる[1]。

JA全農の年表は、約2500年前に中国から朝鮮半島を経由して伝わったとし、雄略天皇のころには鳥飼部とりかいべという養鶏専業の民がいたと伝わる、と記す[2]。ただし弥生の初めの年代には諸説があり、「約2500年前」は年表の表記として読むのが安全である。

渡来した当初の鶏は、卵や肉よりも、時を告げる役目で語られている。食べ物としての位置づけは、次章以降で変わっていく。

3. 肉を 食べては いけない 決まりで、卵たまごは どうなった?

3. 675年の禁令は「稲を作る季節」だけだった

3. 675年の殺生禁止と、続いた卵の習慣

675年、天武天皇てんむてんのうは、牛・馬・犬・さる・鶏にわとりを ころして 食べる ことを きんじました。ただし、4月から 9月の、イネを 作る 間だけです[3]。1年じゅうでは ありません。

農家の 人たちは、鶏にわとりから 卵たまごを とり、もう 卵たまごを うまなく なった 鶏にわとりを 食べる くらしを、ふつうに して いたと されます[1]。この くらしは、にくを 食べる きんしの 決まりが 出た あとも、ひっそりと つづいたと されます。

「きんしの 決まりが あったから、卵たまごも 食べなかった」とは、言いきれない ようです。

675年、天武天皇は、稲の耕作期間にあたる4月から9月のあいだ、牛・馬・犬・猿・鶏を殺して食べることを禁じました[3]。1年中の禁止ではなく、季節をかぎった決まりでした。また、禁じられたのは殺して食べることで、卵そのものの話ではありません。

農林水産省の広報誌によると、古墳時代には、農作業をする人たちの間で、卵をとり、卵を産まなくなった鶏を食べる習慣が日常的にあったとされます。この習慣は、肉食を禁じる決まりが出たあとも、ひっそりと続いたとされます[1]。

「肉食禁止のせいで、日本人は卵を食べなかった」という説明は、少なくともこの資料からは、そのままは言えません。

味の素食の文化センターのコラムは、675年の天武天皇の詔を、太陰暦の4〜9月の稲の耕作期間に牛・馬・犬・猿・鶏を殺して食べることを禁じたものと紹介する[3]。年中の禁止ではなく、対象も殺生である。

農林水産省の広報誌は、農耕に従事する人たちの間で、卵を取り、産まなくなった鶏を食べる習慣が古墳時代から日常的で、肉食禁止令が出てもひっそりと続いたと述べる[1]。

したがって「肉食禁止令で卵も食べなくなった」という単純な説明は、この2資料からは支持されない。では、なぜ卵の記録は少ないのか。

4. 千年ものあいだ、卵たまごを 食べた 記録きろくは 少ない?

4. 花見に持っていった、ゆで卵と塩

4. 6〜16世紀の3例 ── 『古事談』とフロイスの記述

先ほどの コラムを 書いた 人は、6せいきから 16せいきまでの およそ1000年に、卵たまごを 食べたと わかる きろくは、自分の 知るかぎり 3つ しか ない、と 書いて います[3]。

その 1つは、13せいきの はじめの 本に あります。ある 貴族きぞくが、ゆでた 卵たまごと しおを もって、花見の えんかいに いった 話です。

16せいきに 日本に 来た フロイスと いう 外国の 人は、日本人が それまで とても きらって いた 卵たまごや 牛肉の りょうり、と 書きました[3]。

ただし、これは 書いた 人が 1人の 見立てです。「食べなかった」と きめつける ことは できません。

先ほどのコラムの筆者は、6世紀から16世紀までの約1000年間に卵を食べたと分かる記録は、自分が知るかぎり3例しかない、と書いています[3]。そのうちの1つが、13世紀のはじめの説話集『古事談』にある話です。ある貴族が、ゆで卵と塩を持って、花見の宴に出かけた、というものです。

16世紀に来日した宣教師のフロイスは、日本人がそれまで非常に嫌っていた卵や牛肉の料理、と書き残しました[3]。

ただし、これは1人の筆者の見立てです。記録が少ないことと、食べなかったことは同じではありません。書き残されにくかった、という可能性も残ります。

コラムの筆者は、6〜16世紀の約1000年間に卵を食べたと分かる記録は、知るかぎり3例しかないという。その1つが13世紀初めの『古事談こじだん』で、ある貴族がゆで卵と塩を持って花見の宴に出席した話とされる[3]。

コラムは、16世紀のルイス・フロイスが、日本人がそれまで非常に嫌悪していた卵や牛肉の料理、と記した例も挙げる[3]。

これは筆者1人の見立てで、「食べなかった」と断定する根拠にはならない。記録の少なさは、食べなかったことと、書き残されなかったことの両方で説明できる。今回の資料では、どちらかを決められない。

5. 江戸時代えどじだいでは、卵たまごは どんな 食べ物?

5. 103種類の卵料理 ── でも、みんなが食べたわけではない

5. 江戸時代の広がり ── 『万宝料理秘密箱』と「特別な栄養食」

江戸時代えどじだいに なると、鶏にわとりを かう ことが 全国に ひろがりました。軍鶏しゃもや コーチンなど、外国から きた しゅるいが 人気に なった と いいます[1]。卵たまごを 売る 人も 出て きました[2]。

1785年の りょうりの 本『万宝料理秘密箱まんぽうりょうりひみつばこ』には、卵たまごの りょうりが 103しゅるいも のって います[3]。

けれど、卵たまごは ふつうの 人には 手が とどきにくい、とくべつな えいようの ある 食べ物だった と される[2]。本に のって いる りょうりを、みんなが 食べて いたわけでは なさそうです。

江戸時代になると、養鶏は全国に広がり、シャモやコーチンのような外国由来の品種が人気になりました[1]。卵を売る人も現れましたが、卵は庶民には手の届きにくい、特別な栄養食だったとされます[2]。

1785年に出た料理書『万宝料理秘密箱』(別名『卵百珍』)には、103種類の卵料理がのっています[3]。1冊の本の中に、それだけ料理法がそろっていたことになります。

ただ、料理書にのっていることと、みんなが食べていたことは別の話です。同じ時代の庶民が日常でどれだけ食べたかは、今回の資料だけでは分かりません。

鶏肉のほうも、戦前までの長いあいだ、牛肉より高級な品だったと農林水産省の広報誌は書いています[1]。

農林水産省の広報誌は、江戸時代に養鶏が全国に広がり、軍鶏しゃもやコーチンなどが人気になったと述べる[1]。JA全農の年表は、この時代に卵売りが現れたものの、卵は「庶民には手の届かない特別な栄養食」だったとする[2]。

1785年刊の『万宝料理秘密箱まんぽうりょうりひみつばこ』(別名『卵百珍』)には、103種類の卵料理が載る[3]。コラムはこれに対し、後代の『料理物語』には卵料理が4種類しかないと対比しているが、刊行年に資料間の食いちがいが疑われるため、年は本文に書かない。

料理書に載ることと、庶民の食卓にのぼることは別である。同じ農林水産省の資料は、戦前までの長い間、鶏肉は牛肉より高級な品だったとも書く。手ごろになったのは、戦後に肉用専用種のブロイラーの導入が始まってからで、その年は今回の資料からは分からない[1]。

6. 卵たまごは、いつから 安く なったの?

6. 昭和30年代 ── ケージと外国の鶏が変えたもの

6. 1960年ごろの近代養鶏 ── ケージ飼育・配合飼料・外国鶏

大きく かわったのは、昭和30年代から 後だと される 話が 多いです。1960年ごろ、アメリカから ケージで 鶏にわとりを かう やり方が しょうかいされました[4]。

ケージは、鶏にわとりを 1羽ずつ、または 少ない 数ずつ いれる、あみの はこです。エサも、いろいろな ものを まぜた 「はいごうのエサ」を つかう ように なりました[5]。

外国から、じょうぶで、卵たまごを 安定して うむ 鶏にわとりが はいって きました[4]。すこし あとには、病気を ふせぐ ワクチンや、まどの ない 鶏にわとり小屋も ひろがりました[5]。

この あたりから 卵たまごの ねだんが 安定して きた、と 書く ようけいじょうの ブログも あります。ただし、それは 1つの 記事の 話です。

近代養鶏は、1960年ごろにアメリカから紹介されたケージ飼育法と、丈夫で性能のばらつきが少ない卵用の外国鶏の輸入で始まった、といわれます[4]。

農林水産省の資料でも、昭和30年代以降にケージ飼育や配合飼料が広がり、外国のひなの輸入が自由になったことを背景に、外国の卵用鶏が進出したとあります。昭和40年代以降は、いろいろな病気のワクチンと、窓のない鶏舎(ウインドレス鶏舎)も広がりました[5]。

この時期に卵の値段が安定した、と書く養鶏場のブログもあります。ただし、そのブログには値段の数字がなく、1件だけの記述なので、ここでは「そういう見方もある」にとどめます。

飼い方の変化と、卵がたくさん食べられるようになる時期は重なって見えます。ただ、江戸の「手が届かない栄養食」が身近になった理由までは、今回の資料からは言えません。

畜産ZOO鑑は、近代養鶏を、1960年ごろにアメリカから紹介されたケージ飼育法と、丈夫で性能のばらつきが少ない卵用銘柄鶏の輸入で始まったものと整理する[4]。農林水産省の資料も、昭和30年代以降にケージ飼育と配合飼料の利用が進み、外国ひなの輸入自由化を背景に外国銘柄鶏が進出、昭和40年代以降に各種ワクチンとウインドレス鶏舎が普及したと示す[5]。

この頃に卵の価格が安定した、という記述は、養鶏場のブログ1件にとどまる。総務省の小売物価統計の長期系列も二次サイト経由で見たが、調査単位が途中で変わっており、何の数字か原表で確かめられなかったので、価格の推移は本文に書かない。

確かなのは、飼い方の技術が変わった時期と、卵の消費が増えていく時期が、重なって見えることである。価格の因果までは、今回の資料では言えない。

7. 今の ようけいじょうは、どのくらい 大きい?

7. 1戸に約8万羽 ── 大きく、少なくなった農家

7. 2024年の採卵養鶏 ── 1620戸・約1億2968万羽と輸入種鶏

2024年、卵たまごを とる ための ようけいを して いる 農家は、日本じゅうで 1620けん でした。鶏にわとりの 数は、あわせて 1おく2968万羽 ほどです[4]。

計算すると、1けん あたり 8万羽 ぐらいです。5万羽 いじょうを かう 大きな 農家は 49けん だけで、鶏にわとりの 3ぶんの 1 ほどを かって います。

今の 鶏にわとりの もとに なる 鶏にわとりの ほとんども、ヨーロッパや 北アメリカから 来た ものです。2019年の 時点で、卵たまごを とる 鶏にわとりは 96%、と いう 数字が あります[5]。

それでも 卵たまごの 自きゅうりつ は、重さで 97%です[7]。

2024年の採卵養鶏は、全国で1620戸、卵を産む雌鶏は約1億2968万羽です。1戸あたりでは、この数字を割ると約8万羽になります(資料には平均約8万5000羽という書き方もあり、数え方で少しちがいます)[4]。5万羽以上を飼う大規模な農家は49戸(全体の3%)で、全体の33.5%の鶏を飼っています。

今の採卵鶏のほとんどは、ヨーロッパや北アメリカの育種会社の種鶏に由来します。2019年の時点で、採卵鶏の96%がそうだと、農林水産省の資料にあります[5]。それでも鶏卵の自給率は、重さで見ると97%です[7]。

2022年度から2023年にかけては、高病原性鳥インフルエンザの流行で、採卵鶏の約1割にあたる1654万羽が殺処分の対象になりました。その後、2023年4月の卸売価格は、前の年の同じ月より67%高い、1キロ345円になりました[7]。数が少なくなった農家に、たくさんの鶏が集まる仕組みだからこそ、こうした出来事の影響も大きく出ます。

畜産ZOO鑑によると、2024年の全国の採卵養鶏経営は1620戸、成鶏めすは約1億2968万羽である。1戸あたりは計算で約8.0万羽になる(資料によって約8.05万〜8.5万羽と幅があるため、約8万羽とする)。5万羽以上の大規模農家は49戸(全体の3%)で、成鶏めすの33.5%を飼う[4]。

農林水産省の令和元年の資料は、飼養戸数が小規模層を中心に年4〜6%で減り、平成30年の1戸あたり飼養羽数が6万3千羽だったと記す。同じ資料は、実用鶏のほとんどがEUや北米の育種会社の種鶏に由来し、シェアは採卵鶏96%、肉用鶏98%とする(2019年時点)[5]。平成30年の6.3万羽と2024年の約8万羽は、出典も年も別なので、変化の速さの比較には使わない。

農林水産省の別の資料では、令和4年度シーズンに高病原性鳥インフルエンザで採卵鶏の約1割、1654万羽が殺処分の対象になり、令和5年4月の卸売価格は前年同月比67%増の345円/kgとなった[7]。2024年以降の価格は今回確かめていない。

8. じぶんでも たしかめて みたく なったら

8. 自分でも調べてみたくなったら

8. 自分でも調べてみたくなったら

やってみよう。おうちの 人に、「子どもの ころ、卵たまごは どのくらい 食べて いた?」と 聞いて みましょう。おじいさんや おばあさんが いれば、そのころの 話も 聞けるかもしれません。答えは、人に よって ちがって かまいません。

もう 1つ。家に ある 卵たまごの パックを 見て、書いて ある ことを 3つ 書き出します。それを、この メモの 数字と くらべて みましょう。

次のようなことを、調べたり試したりできそうです。

  • 家の人に「子どものころ、卵はどのくらい、どんなときに食べた?」と聞いてみましょう。年代の近い人と、少し上の世代の人で、答えがちがうかもしれません。
  • 家にある卵のパックに書いてあることを、書き出してみましょう。生産者や日付のほかに、何が書いてあるか見つかるかもしれません。
  • 農林水産省の子ども向けページ[6]で、鶏や卵についての説明を読み、この記事の数字とくらべてみましょう。

確かめられることが、資料の側にも家庭にもある。

  1. 味の素食の文化センターのコラム[3]の、6〜16世紀の3例という記述が、江戸の料理書や日記など別の資料でも見つかるかを、図書館で探す。
  2. 農林水産省の統計や畜産ZOO鑑[4]で、最新の採卵鶏の戸数・羽数を見て、この記事の2024年の数字と比べる。
  3. 総務省統計局の小売物価統計(e-Stat)の卵の長期系列を、調査単位の変更に注意して読み、昭和30年代前後の価格の動きが本当に見えるかを自分で確かめる。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

出典について:農林水産省の広報誌と資料、JA全農の年表、味の素食の文化センターのコラム、畜産の解説サイトを突き合わせて使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. 農林水産省 広報誌aff 2016年12月号 特集1「とり」。 https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1612/spe1_01.html (鶏の渡来、卵を取る習慣、江戸時代の広がり、戦前の鶏肉の位置づけについて)
  2. JA全農ひろしま たまご広場「卵の歴史」。 https://cokecco.zennoh.or.jp/history/ (約2500年前の年表、鳥飼部、江戸時代の卵売りと「特別な栄養食」について)
  3. 味の素食の文化センター「卵と日本人」。 https://www.syokubunka.or.jp/publication/column/taisyoku/post_10.html (675年の禁令、6〜16世紀の3例、フロイス、『万宝料理秘密箱』について)
  4. 畜産ZOO鑑「日本の採卵養鶏」。 https://zookan.lin.gr.jp/kototen/tori/t423_4.htm (1960年ごろのケージ飼育の紹介、2024年の戸数・羽数について)
  5. 農林水産省「鶏の改良増殖をめぐる情勢」(令和元年7月)。 https://www.maff.go.jp/j/chikusan/sinko/lin/l_katiku/attach/pdf/niwatori-6.pdf (昭和30年代以降の技術の変化、種鶏の輸入依存、飼養戸数の減少について)
  6. 農林水産省 こどもそうだん室「にわとり1羽は1年間に何個の卵を産みますか」。 https://www.maff.go.jp/j/heya/kodomo_sodan/0006/22.html (1羽が1年に産む卵の数について)
  7. 農林水産省 畜産局食肉鶏卵課長「鶏卵の生産と消費について」(農畜産業振興機構の広報資料)。 https://www.jaffic.go.jp/whats_kikin/kouhou/kikin_now_2024_01.files/kikin_now_2024_01_16.pdf (1人あたり消費量、自給率、2023年春の価格について)

なおした ところ

更新履歴

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