1. どうして 1しゅるいだけ とりだすのが むずかしかったの?
1. 土の中の菌が混ざると、何がこまるのか
1. なぜ破傷風菌は「1種だけ取り出す」のが難しかったのか
つちの なかには、たくさんの しゅるいの きんが まざって います。はしょうふうの きんも、その なかまです。
びょうきの もとを しらべたい とき、いろいろな きんが まざったままでは、どの きんが わるさを するのか わかりません。だから 1しゅるいだけ とりだして ふやす ひつようが あります。
しかも この きんは、くうきが あると そだちません[2]。ふつうの やりかたでは うまく いかず、「できない」と いう けっかを だした けんきゅうも あったそうです[1]。
では、くうきを きらう きんを、どうやって ふやしたのでしょう。
病気の原因を調べるには、原因だと疑う菌を1種類だけ取り出して増やす必要があります。これを純粋培養と呼びます。いろいろな菌が混ざったままだと、どの菌が病気の原因なのか分からないからです。
破傷風菌は、その作業がとくに難しい菌でした。空気をきらう性質があり、ふつうの培養のしかたでは育たないうえ、ほかの菌が混ざりやすいためです[2]。当時は、破傷風菌だけを取り出すのは難しく、「できない」と結論づける研究結果もあったと紹介されています[1]。
北里はドイツでコッホに学んでいた時期に、この課題に取り組みました[7]。空気をきらう菌を、どう育てればよいのでしょうか。
病原体を特定するには、疑う菌を単独で増やす純粋培養が欠かせない。混合した状態では、症状の原因がどの菌にあるのか決められないためである。破傷風菌はこの作業が特に難しく、酸素があると育たない嫌気性の菌で、通常の培養法では育てられなかった。さらに混ざった菌が多いと、分離が進まない[2]。そのため、当時は「できない」と結論づける研究結果もあったという[1]。
北里が破傷風菌の研究に取りかかったのは、1880年代後半、ベルリンでコッホに学んでいた時期のことで、1889年に成功した[7]。熊本の小国(おぐに)で生まれた北里は、のちに日本へ戻って伝染病研究所をつくる[7]。
では、酸素をきらう菌を育てつつ、ほかの菌を除くには、どんな条件を変えればよいのか。北里が着目したのは、この菌の別の姿だった。
2. ほかの きんは よわるのに、どうして この きんは いきのこるの?
2. 熱で弱らせたのに、破傷風菌だけ生き残るのはなぜか
2. 加熱後も破傷風菌が残るのは、芽胞の耐熱性による
この きんは、まわりが きびしく なると、かたい からのような 芽胞という すがたに なります。たねのような ものです。ただし、本当の たねとは ちがいます。
この たねは、あつさに つよい のです[3]。ほかの きんは、あたためられると よわって しまいます。
そこで 北里さんは、まぜた ものを 80ど ほどに あたためた、と ほうこくされて います[3]。ほかの きんの おおくが よわり、芽胞を もつ はしょうふうの きんが のこりやすく なりました。
ただし、あたためて ぜんぶ きえる わけでは ありません。のこす きんを えらぶ ための くふうでした。
ヒントになったのは、破傷風菌が「芽胞」という姿をとることでした。芽胞は、環境がきびしくなったときに菌が作る、かたい殻をもつ休眠の形です。破傷風菌は、ほかの空気をきらう菌より早く芽胞を作り、その芽胞は熱に強いと説明されています[3]。
そこで北里は、芽胞ができた混合の培養液を、80℃で45〜60分ほど加熱したと報告されています[3]。熱に弱いほかの菌は弱り、芽胞をもつ破傷風菌が残ります。この数字は主に二次資料での紹介なので、「そのくらいの温度と時間」と受け取るのがよいでしょう。
ここで大事なのは、加熱は「全滅」させるためではなく、「残る菌を選ぶ」ために使われたことです[3]。ふつう熱は菌を除く道具ですが、北里は、熱に強いという相手の個性を、分けるための目印にしたのです。
では、残った破傷風菌は、どんな環境で育てればよかったのでしょうか。
北里の工夫は、破傷風菌の芽胞の耐熱性を、ほかの菌を除く選別に使ったことにある。破傷風菌は他の嫌気性菌より早く芽胞をつくり、その芽胞は熱に強いという[3]。そこで、芽胞ができた混合培養を80℃で45〜60分ほど加熱すると、芽胞を持たない菌や、芽胞が未熟な菌は弱り、破傷風菌が残る[3]。
誤解しやすいのは、80℃で菌が全滅するわけではない点である。加熱は、耐熱性のちがいを利用して選ぶ操作であり、殺菌そのものが目的ではない。また、80℃・45〜60分という数値は、いまのところ二次資料での紹介が中心で、条件の厳密な再現には原論文(1889年4月のドイツ外科学会での発表、Z. Hyg. 7, 1889)にあたる必要がある[3]。
加熱で混合は整理できても、残った破傷風菌には「酸素があると育たない」という別の壁がある。それをどう越えたのか。
3. くうきを きらう きんを、どうやって そだてたの?
3. 空気を水素に置きかえた密閉皿という工夫
3. 酸素を除く培養:水素で満たした密閉皿と「亀の子シャーレ」
のこった きんを そだてる ばしょも、くふうが いりました。くうきが あると そだたない からです。
北里さんは、ふたの ある さらを つかい、なかを 水素という ガスで みたしました[3]。くうきの かわりに、水素だけの ばしょに したのです。
この ほうほうで、はしょうふうの きんを 1しゅるいだけ そだてる ことに せいこうしたと つたえられて います[1]。
「亀の子シャーレ」と いう めずらしい なまえの そうちも いっしょに しょうかい されます[2]。
ただし、そうちの つくりの くわしい ところは、しりょうに よって ちがうので、ここでは ふれません。
残った破傷風菌は、空気があると育ちません。北里は、空気をきらう性質に注目して、いろいろな培養法を試し、密閉型の装置「亀の子シャーレ」で培養を成功させたと紹介されています[2]。
書誌の解説などでは、平たい皿を閉じ、そこに水素ガスを通して、中を水素だけの空気にした、という説明があります[3]。空気中の酸素を追い出す、という発想は、つまり「菌が育たない原因」を条件として変えたものです。
この「亀の子シャーレ」の作りと、水素を使った方法が同じ装置のことなのかどうかは、資料によって説明が分かれます。このため、この記事では「空気中の酸素を水素に置きかえた密閉容器を使った」という程度にとどめます。
こうして1889年、破傷風菌の純粋培養が実現しました[1]。熱で選び、水素で育てるという、2つの工夫の組み合わせでした。では、純粋な菌を手に入れると、何が分かったのでしょうか。
加熱で絞った破傷風菌も、酸素がある環境では育たない。そこで北里は、平たい密閉皿の中に水素ガスを通し、酸素を水素で置きかえた雰囲気を作ったとされる[3]。嫌気性の菌に対しては、酸素を物理的に除くという方向で条件を変えたことになる。
培養装置は「亀の子シャーレ」として紹介されることがある[2]。ただし、その構造や、水素を通した皿と同じ装置か別のものかについては、資料によって説明が一致しない。そのため、ここでは装置の細部には踏みこまない。
整理すると、1889年の成功は、芽胞の耐熱性で混合の菌を選び(第2章)、水素で酸素を除いた容器で増やす、という2段階の手順の組み合わせだった[1][3]。1つの工夫だけでは成り立たなかった点が、この研究の核心だといえる。
純粋な菌を得ると、その菌が何をしているのかを、ほかの菌と切り分けて調べられる。次に起きたのは、その毒の研究である。
4. 1しゅるいに した きんから、どんな ことが わかったの?
4. 純粋な菌から見えた「毒」と、毒を打ち消す血清
4. 純粋培養から抗毒素へ:1890年のベーリングとの連名論文
1しゅるいだけを そだてられると、この きんが 「どく」を だして びょうきを おこす ことが はっきり しらべられます[9]。
1890ねん、北里さんは ドイツの ベーリングという 人と いっしょに ろんぶんを だしました[4]。きんの どくに たいして、それを うちけす ちからが 血清(けつえきの いちぶ)に あると しめした、と つたえられます[4]。
どくを よわめて すこしずつ どうぶつに うつと、からだの なかに どくと たたかう ものが できます[1]。その ものを ふくむ けっせいを、びょうきの 人に つかう という かんがえです。
これが 血清りょうほうの はじまりと よばれます。
1890年、北里はドイツのベーリングとの連名論文で、破傷風とジフテリアに対する免疫と、血清による治療の考え方を発表しました[4]。その中で北里は、破傷風菌が出す毒素を打ち消す「抗毒素」を見つけ、これが血清療法につながったと説明されています[4]。
実験の中身は、解説によると次のようなものです。破傷風菌に免疫をもたせたウサギの血液から取った血清には、毒を打ち消す力があり、感染させたマウスを助けた。免疫ウサギの血清とまぜた毒液は、マウスに注射しても致命的でなかった。さらに、この力はほかの動物へ移せた、という内容です[3]。
考え方は、こうです。病気の原因は菌が出す毒で、毒を弱めて少しずつ動物に注射すると、血清中に抗体ができる。その血清を体に入れれば、毒に立ち向かえる[1]。菌を取り出せたことが、毒の研究の出発点になりました。
この大きな成果の後、北里はどんな評価を受けたのでしょうか。
純粋培養により、破傷風菌が出す毒素を単独で調べられるようになった。1890年、北里はベーリングとの連名論文で、破傷風とジフテリアの免疫、すなわち血清による治療法を報告した[4]。北里が見つけたのは破傷風菌の毒素に対する抗毒素(毒素に対する抗体)で、これが血清療法の基礎になったとされる[4]。
実験の骨子は、免疫させたウサギの血清が、致死量の破傷風菌に感染したマウスを助けたこと、免疫ウサギの血清を混ぜた毒液を注射してもマウスが致命的でなかったこと、そしてその力がほかの動物へ移せたことである[3]。ただし、これは二次資料による紹介であり、個体数や日付といった細部は、原論文での確認が要る点だ。
原理は、毒素を無毒化または弱毒化して少量ずつ動物に注射し、体内で抗体を作らせる、というものである[1]。病気の原因は菌が出す毒にあり、その毒に耐える免疫血清を入れると治療できる。この考え方は、のちの感染症の治療や予防にも使われた。
では、この成果は、どのような評価につながったのか。
5. ノーベルしょうを もらったのは、だれ?
5. 第1回ノーベル賞は、なぜベーリングだけだったのか
5. 1901年の第1回ノーベル生理学・医学賞:ベーリングの受賞と北里の位置づけ
1901ねんに はじまった ノーベルしょうの、さいしょの いがくの しょうは、ベーリングさんに おくられました[6]。
りゆうは、けっせいりょうほう、とくに ジフテリアに つかう ほうほうの しごとでした[6]。北里さんは、もらって いません。
ただ、北里さんも こうほに なったと いわれます[5]。それでも この しごとは、いまの わたしたちの くらしに つながって います。
1901年、第1回のノーベル生理学・医学賞は、ベーリングに贈られました。授賞の理由は、血清療法、とくにジフテリアへの応用の仕事でした[6]。北里は受賞していません。
北里も候補になったとされ、共同で受賞する習慣が今ほど一般的でなかったことが背景にある、という説明があります[5]。ただし、「もし習慣がちがえば共同受賞だった」というのは推測で、受賞できなかった理由は一つに決められません。
受賞の有無とは別に、1889年に破傷風菌の純粋培養に成功し、1890年に抗毒素を見つけた北里の仕事は、国際的に認められました[4]。では、100年以上前のこの研究は、いまの私たちにどうつながっているのでしょうか。
6. いまの わたしたちとは、どう つながって いるの?
6. 土の中の芽胞と、いまの予防接種
6. 現在の破傷風:土壌中の芽胞とトキソイドワクチン
はしょうふうの きんは、つちの なかに ひろく います。けがを した とき、きずぐちから はいる ことが あります[8]。人から 人へは うつりません[8]。
いまは、よぼうの ワクチンが あります。日本では、ちいさい ときに うける きまりの ワクチンに はいって います[9]。
むかしは びょうきの 人が おおかった ようですが、ワクチンが はじまってから ずっと へりました[8]。
破傷風菌は土の中などの環境に広くいて、芽胞のかたちで存在します。けがをしたとき、傷口からその芽胞が体に入ることで感染し、人から人へはうつりません[8]。病気は、傷から入った菌(Clostridium tetani)が出す毒で起こります[9]。
予防には、破傷風トキソイド(毒素を弱めたもの)を含むワクチンがあり、日本では定期接種に入っています[9]。千葉市の説明では、日本では戦後、年に1000例以上の報告があったものの、ワクチンの導入後は大きく減り、いまはワクチンを受けていない高齢者を中心に、年に約100例とされています[8]。これは「報告数」で、細かい数字は年によって変わります。
140年近く前、熱で選んで水素で育てる工夫から始まった研究が、いまは小さい子どもの予防接種の欄の一行につながっています。
破傷風菌は土壌中に広く存在し、芽胞として外傷から体内に入って発症する。人から人への伝播はない[8]。病気の本体は、傷から入った菌(Clostridium tetani)が出す毒素による症状である[9]。
予防は、毒素を弱めたトキソイドを含むワクチンで行い、日本では定期接種に含まれる[9]。千葉市の資料によれば、日本の報告数は戦後は年1000例以上だったが、ワクチン導入後に大きく減り、現在はワクチン未接種の高齢者を中心に年約100例である[8]。ただし「報告数」であり、実数ではない。
こうして見ると、1889年の純粋培養、1890年の抗毒素、そして現在のトキソイドは、毒素を軸にした一つの流れになっている。純粋培養で毒素を調べ、抗毒素の研究へ進み、現在は毒素を弱めたトキソイドで予防している。北里は日本に戻ったのち、福沢諭吉らの支援で伝染病研究所を設立し、1914年には北里研究所をつくった[7]。研究の舞台は、ドイツから日本に移っていった。
7. もっと しりたく なったら
7. 条件を一つ変えてみる発想を、身近な資料で確かめる
7. 条件を変える発想と、一次資料へ
おうちに ぼしけんこうてちょうが あれば、「はしょうふう」という もじを さがして みると、うけた よぼうせっしゅの きろくが みつかる かもしれません。
ぼしけんこうてちょうは、おうちに ある ばあいと、ない ばあいが あります。なければ、さがさなくても だいじょうぶです。
この メモの おはなしは、「くうきを きらう」「あつさに つよい」と いう ちがいを みつけて、そこから どうやって とりだすかを かんがえた おはなしでした。
注目したいのは、熱に強い菌を残すよう、菌の性質を目印にした発想です。熱に強い、空気をきらう、というちがいを見つけて、条件を変えて試す。それが1種だけを取り出す道を開きました。
もっと知りたいときは、日本の予防接種の記録を調べる手があります。母子健康手帳があれば、家の人に見せてもらい、「破傷風」の文字を探してみてください。受けた予防接種の記録が見つかるかもしれません。
北里の発表は『Ueber den Tetanusbacillus』(Z. Hyg. 7, 225-34, 1889)という論文で、細かい条件はこの原論文に書かれているとされます[3]。ドイツ語の資料なので読むのは難しいですが、この題名と出典で図書館の検索などを調べられます。
この研究で最も応用の利く発想は、相手の性質のちがい(耐熱性・酸素への反応)を条件の操作に結びつけたことである。加熱で選び、水素で育てる。1つの変数だけでなく、複数の条件を組み合わせた点が、1889年の成功につながった。
確かめる方法としては、まず原論文『Ueber den Tetanusbacillus』(Z. Hyg. 7, 225-34, 1889)にあたる[3]。本記事の加熱条件(80℃・45〜60分)は二次資料の紹介が中心であり、原文との照合で細部が変わる可能性がある。次に、現在の定期接種の記録は、母子健康手帳があれば、家の人に見せてもらい、破傷風を含む項目の記載で確かめられる[9]。
疑問として残るのは、「亀の子シャーレ」の構造と水素使用の関係である。資料間で説明が一致しない点なので、読む側が複数の資料を比べて確かめる価値がある[2]。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
北里柴三郎の経歴・研究の説明は、公的機関・大学・百科事典・報道の資料を突き合わせました。
- HugKum(小学館)「北里柴三郎は何をした人?」 https://hugkum.sho.jp/395587 (純粋培養の難しさ、血清療法の考え方)
- Encyclopedia.com "Kitasato, Shibasaburo" https://www.encyclopedia.com/medicine/medical-journals/kitasato-shibasaburo (加熱・水素による培養、血清の実験の紹介)
- nippon.com 北里柴三郎 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b07213/ (抗毒素の発見と国際的評価)
- nippon.com (English) Shapers of Japanese History https://www.nippon.com/en/japan-topics/b07213/ (ノーベル賞の候補になったという説明)
- NobelPrize.org "Emil von Behring" https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1901/behring/facts/ (1901年の授賞理由)
- 慶應義塾大学医学部 北里柴三郎 https://www.keio.ac.jp/ja/med/about/kitasato/ (経歴、研究所の設立)
- 千葉市 破傷風 https://www.city.chiba.jp/hokenfukushi/iryoeisei/kenkokikikanri/hasyouhu.html (感染のしかたと日本の報告数)
- CDC "About Tetanus" https://www.cdc.gov/tetanus/about/index.html (原因菌と毒素、ワクチンによる予防)
なおした ところ
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