1. しゅうかくした ショウガは、どこで まつの?
1. 収穫したショウガは、どこで出荷を待つのでしょうか
1. 収穫後の貯蔵庫:定温・定湿で保存して出荷する
高知けんの ショウガは、10月から 11月に ほりおこします。ほった あとは、おんどと しつどが いつも おなじに なるように した そうこに いれて、ほぞんします[1]。
この ように ほぞんして だす ショウガは、「かこいショウガ」と よばれる ことが あります。JA高知けんの せつめいでは、1ねんじゅう だせる ように するためだと されています[1]。
つまり、ショウガづくりは、ほって おわりでは ありません。ほったあとに、どう まもるかが、おなじくらい たいせつです。
では、この やりかたは、いつ、だれが はじめたのでしょう。まず、ショウガが 高知けんで はじまった ころに、もどって みましょう。
高知県のショウガは、10月から11月にかけて収穫されます。収穫したあとは、温度と湿度を一定に保つ貯蔵庫に入れて保存します[1]。畑で掘りあげて終わりではなく、そこからが出荷の準備の本番です。
土佐市地区の資料には、「囲いしょうが」という言葉が出てきます[3]。こうして貯蔵して出荷するショウガのことで、JA高知県の紹介では、年間を通じて出荷するための方法だとされています[1]。
ここで、この記事の答えを先に言っておきます。高知がショウガの日本一になったのは、一つの理由だけではありません。明治元年に始まった栽培が少しずつ広がり、昭和には貯蔵の工夫が加わり、減反政策や農地開発という追い風が重なって、産地が大きくなったと、資料からは読めます。
では、その最初の一歩は、どこで踏みだされたのでしょうか。
高知県のショウガは10〜11月に収穫され、定温・定湿の貯蔵庫で保存される[1]。収穫がそのまま出荷にならないのが、この産地の特徴である。土佐市地区の資料には「囲いしょうが」という区分が現れ[3]、JA高知県の紹介では、年間を通じて出荷するための保存方法とされる[1]。
題名の問いへの答えを先に述べると、高知が日本一になった要因は一つではなく、重なり合っている。明治元年に始まった栽培が地域を替えながら広がり、昭和には貯蔵と品質維持の技術が加わり、減反政策による転作需要と国営農地開発による造成地が、規模の拡大を後押しした。以下では、この順にたどる理由を、資料の書き方に沿って確かめる。
まず確かめたいのは、そもそもどこで、いつ始まったのかである。
2. はじめの ショウガばたけは、どこに あったの?
2. 最初のショウガ畑は、どこから広がったのでしょうか
2. 福井から宮ノ内へ:約60年のあいだの広がり方
高知けんで ショウガづくりが はじまったのは、1868ねん、めいじ元ねんです。ばしょは、高知しの ふくいだと されています[1]。
そのあと、めいじ22ねんには、ながさきけんから ショウガが はいって きた ところも あります。むかしの かがみちょうです[1]。
たいしょう5ねんには、高知しの ふくいから いのちょうへ ひろがりました。しょうわ4ねんには、とさしの みやのうちで はじまりました[1]。
1868ねんから しょうわ4ねん(1929ねん)まで、あいだは 61ねんです。ひとつの ばしょから、ほかの まちへ、ゆっくり ひろがって いきました。
ただし、この ころの 広がりは、まだ 「日本一」には ほど とおい ようすです。そこから 日本一に なる には、なにかが かわる ひつようが ありました。
JA高知県の紹介によると、高知県のショウガ栽培は、明治元年(1868年)に高知市福井で始まりました[1]。その21年後の明治22年には、旧香我美町に長崎県から導入されています。別の土地から種が運ばれてきた例です。
大正5年には、高知市福井から伊野町へ広がりました。さらに昭和4年(1929年)には、土佐市宮ノ内でも栽培が始まります[1]。明治元年から昭和4年までは61年。一つの場所から、近くの町へ、またその先へと、広がっていった様子が見えます。
ここで注意したいのは、この年表は「栽培が始まった年」を並べたものだということです。生産量が大きく増えた年を示しているわけではありません。
この資料からは、日本一といわれる規模がいつ決まったのかは分かりません。広がりに、何か「はずみ」がついたのは、昭和の中ごろだったようです。そのきっかけの一つが、貯蔵でした。
JA高知県の資料では、栽培の開始は明治元年(1868年)の高知市福井とされる[1]。明治22年には旧香我美町に長崎県から導入された例がある[1]。ここから分かるのは、高知のショウガが一つの起源から単線的に広がったのではなく、県内の移動と県外からの導入が混ざっていたことである。
大正5年には福井から伊野町へ、昭和4年には土佐市宮ノ内へと栽培が始まった[1]。明治元年から昭和4年までは61年ある。年表は栽培が始まった年を示すもので、広がる速さまでは分からない。面積や収量の推移を表すものではないため、規模の拡大の時期はこの資料だけでは決められない。
だとすれば、産地としての成長を押し上げた要因は、栽培の開始より後に探す必要がある。資料が次に挙げるのは昭和38年と40年の貯蔵の話であり、ここが一つの転機と読める。
3. ショウガの はだが しろく なる、ふしぎな はっけんって なに?
3. 横穴で水をかけると肌が白くなる、という発見
3. 昭和38年の予冷庫と昭和40年の横穴潅水:貯蔵が産地を変えた
しょうわ38ねん、むかしの とさやまだちょうの のうかは、よれいこという れいぞうの しせつを つかって、ショウガを ほぞんし はじめました[1]。
そして しょうわ40ねん、とさしの のうかが、よこあなで みずを かけると、ショウガの はだが しろく なり、しなものが たもたれると はっぴょうしました[1]。この やりかたは、けんじゅうに ひろがりました。
2ねんの あいだに、ほぞんの しかたが 2つ、うまれた ことに なります。
たとえば、おいしい くだものを、ふゆまで とっておく ことを かんがえて みましょう。れいぞうこに いれたり、ぬれた ぬのに つつんだり、いろいろ くふうが いります。ショウガも、おなじです。ただし、これは たとえ話で、ショウガの ほぞんが くだものと ぴったり おなじ わけでは ありません。
ほぞんが できる ように なると、ほりおこした じきだけで なく、ほかの じきにも だせるように なります。そう かんがえられますが、ここで よんだ しりょうには、うり上げの 数字までは かいて ありません。
この くふうだけが、日本一の りゆうでは ありません。つぎに、ちがう かぜが ふきます。
昭和38年、旧土佐山田町の農家が、予冷庫を使ってショウガの貯蔵を始めました。予冷庫とは、収穫した作物を冷やしておくための設備です[1]。それまで「掘ったら出荷」だったものが、「ためておいて出荷」へと、考え方が動いた時期でした。
その2年後の昭和40年、土佐市の農家が、横穴でショウガに水をかける(潅水する)と、肌が白くなり、品質を保つのに効果があると発表しました。この方法は県内に普及したと、JA高知県は紹介しています[1]。
驚くのは、この方法を見つけて発表したのが、研究所ではなく土佐市の農家だったことです。畑や貯蔵の現場で見つけたことが、県全体の方法になっていきました。
ショウガの肌が白いと、見た目が良い、つまり品質が保たれていると見なされるのでしょう。肌が白くなる理由や仕組みは、これから調べる問いです。
貯蔵が上手になると、出荷の時期を選びやすくなると考えられます。ただし、そのことで売り上げがどう変わったかは、資料からは分かりません。確かなのは、昭和38年と40年に、貯蔵と品質維持のための工夫がそろったことです。
ここに、もう一つ、農家の外から追い風が吹きます。
貯蔵の技術は、昭和38年に旧土佐山田町の農家が予冷庫を利用して貯蔵を始めたことと、昭和40年に土佐市の農家が横穴での潅水が肌を白くし、品質維持に効果があると発表して県下に普及したことの、2段階で語られる[1]。前者は低温設備の利用、後者は水分管理の工夫である。
注目すべきは、両者を見つけて広めたのが農家だという点である。試験研究機関が体系的に確立した手法として紹介されているわけではない。ここは次章以降の「技術が人から人へ伝わる」という論点につながる。
ただし資料の記述はこの範囲にとどまる。肌が白くなる機構、貯蔵期間の長さ、損失率の変化、これらの数値は示されていない。したがって、貯蔵技術が出荷量をどの程度押し上げたのかは、本稿の材料からは断言できない。言えるのは、昭和38〜40年の2年間に、保存と品質維持の工夫が県内で相次いで現れたことまでである。
産地の拡大には、技術のほかに、栽培する理由が必要になる。それを与えたのが、昭和43年の政策である。
4. 田んぼの おこめを へらす せいさくは、ショウガに どう かんけい したの?
4. 米づくりを減らす政策のとき、ショウガは何として選ばれたのでしょうか
4. 減反政策と造成地:転作品目としての導入と、高幡地区の拡大
しょうわ43ねんに、「げんたん」と いう せいさくが はじまりました。これは、田んぼで おこめを つくる りょうを へらす せいさくです。
そのとき、ショウガは、ゆうぼうな「てんさくひんもく」として いれられました[1]。てんさくひんもくとは、おこめの かわりに つくる さくもつの ことです。
たかはたちくでは、しょうわ40ねんだいに、ショウガの さんちが できました[2]。ろじやさいの まんなかに なる さくもつです。
さらに、くにが すすめた のうちの かいはつで、あたらしく ととのえられた とちに、ショウガが たくさん つくられました。そのため、ショウガを つくる ひろさが ふえました[2]。
ひとの くふうと、くにの せいさくが、かさなった ところが ありました。
では、いまの 高知けんの ショウガばたけは、どれくらいの ひろさなのでしょう。
昭和43年に減反政策が始まると、ショウガは有望な転作品目としても導入されました[1]。減反とは、田んぼで米をつくる量を減らす政策で、転作とは、その田んぼで別の作物を育てることです。
農林水産省の資料によると、高幡地区では、昭和40年代(1965年〜)にショウガが産地化しました。露地野菜の中心となった作物です[2]。さらにこの地区では、国営の農地開発事業でつくられた造成地への作付けも積極的に行われ、ショウガの規模が拡大しました[2]。
ここで、貯蔵の話とつなげて考えてみます。ショウガを新しい畑で大きく作る。収穫したら貯蔵する。そんな流れが、昭和40年代に重なったことになります。
ただし、減反政策がなければ産地ができなかった、とまでは資料に書かれていません。書かれているのは、ショウガが転作の候補として選ばれたこと、そして造成地で規模が広がったことです。因果をつなぎすぎないことが大切です。
では、そうして広がった産地は、いまどんな数字になっているのでしょうか。
昭和43年に減反政策が始まると、ショウガは有望な転作品目として導入された[1]。転作とは、水田で米以外を作ることを指す。他方、農林水産省の高幡地区の資料では、ショウガは昭和40年代に産地化した作物とされ、露地野菜の中心となった[2]。
この資料は、国営農地開発事業による造成地への作付けが積極的に行われ、規模が拡大したとも述べる[2]。つまり拡大には、栽培者の意思に加えて、新しい農地という物理的な条件が関与している。ここで貯蔵技術(昭和38・40年)と並べると、昭和40年代前後に、品質を守る技術・栽培する理由・栽培する土地の3つが相次いでそろったことが読める。
ただし、3つの因果関係を数量で示した資料は、本稿の材料にはない。減反政策が産地化を決定づけたとも、造成地が拡大の主因だったとも言い切れない。資料が支えるのは、各要素が時期的に重なっており、いずれも産地の拡大と同じ文脈で語られているという範囲までである。
では、そうして形づくられた産地は、現在どのような規模なのか。
5. いまの ショウガばたけは、どれくらい おおきいの?
5. 土佐市のショウガ畑の数字を、計算してみると
5. 土佐市地区の囲いしょうが:面積・出荷量・販売金額からの検算
のうちくさんぎょうしんこうきこうの さんちしょうかいに よると、とさしちくでは、れいわ3ねんさんの かこいショウガが、およそ27ヘクタールで つくられ、727トンが だされました[3]。
1ヘクタールは、1へんが 100メートルの しかくい ひろさです。それが、27こ ぶんです。
727トンを 27ヘクタールで わると、1ヘクタールあたり 27トンぐらいです。1へいほうメートルでは、2.7キログラムぐらいに なります。
ただし、この 数字は、とさしちくの ある1ねんの へいきんで、ほかの ちいきや ほかの ねんでは、ちがいます。
この さんちに、いま、どんな 手が かかって いるのでしょう。
農畜産業振興機構の産地紹介によると、JA高知県土佐市地区の令和3年産の囲いしょうがは、栽培面積が約27ヘクタール、出荷量が727トン、販売金額が3億9700万円でした[3]。
この数字を、自分で計算してみます。1ヘクタールは1万平方メートルなので、27ヘクタールは約27万平方メートルです。727トン(727,000kg)を割ると、1平方メートルあたり約2.7kgです。
また、販売金額3億9700万円を出荷量727トンで割ると、1kgあたり約546円になります。これは、この地区のこの年の平均を粗く計算した値で、実際の売値は時期や品質で大きく変わるでしょう。
ここで押さえておくと、日本一という大きな話も、こうした地区ごとの数字の積み重ねだと分かります。
この数字を守るために、畑では何が課題になっているのでしょうか。
農畜産業振興機構の産地紹介は、JA高知県土佐市地区の令和3年産囲いしょうがについて、栽培面積約27ha、出荷量727t、販売金額3億9700万円としている[3]。1haは10,000㎡なので27haは約270,000㎡、727t=727,000kgを割ると約2.7kg/㎡となる。
さらに3億9700万円÷727,000kgは約546円/kgである。これは、地区・年・囲いしょうがという範囲に限った粗い平均値で、品位や時期ごとの価格差、出荷経費は反映されない。また、27haの面積が収穫面積か作付面積かなど、数字の定義は原資料の確認が要る。
この規模感は、高知県全体の産地としての数字ではないことにも注意したい。県全体の生産量は、本稿で使った資料に数値としては載っていない。ただ、露地ショウガの国内最大の産地であることは県の資料に明記されている[4]。地区ごとの数字の積み重ねが、日本一の産地を支えているわけである。
では、産地を維持する側にはどのような課題があるのか。
6. にほんいちを まもる ために、ばたけでは なにに こまって いるの?
6. 日本一の産地は、畑の病気とどう向き合っているのでしょうか
6. 根茎腐敗病への対応:臭化メチル剤の全廃と、代替技術の実証
高知けんの ショウガは、「こんけいふはいびょう」と いう びょうきの ぼうじょが たいせつだと されています[4]。
むかしから つかわれて きた くすりの ひとつ、「しゅうかメチルざい」は、2013ねんに ぜんぶ つかえなく なる ことが きまりました[4]。
そこで 高知けんでは、かわりに なる ぎじゅつの かいはつが すすめられました。
たとえば、ひくい のうどの エタノールを つかって、つちの なかを かえる ほうほうの じっしょうが、ほ場で おこなわれました[5]。
こまった ことが あっても、あたらしい くふうで のりこえる。これも、さんちの すがたです。
高知県は露地ショウガの国内最大の産地で、根茎腐敗病などの防除が大切な課題になっています[4]。病気が広がると、産地の信頼や収量に関わるためです。
その対策の話の中で、臭化メチル剤という薬が出てきます。この薬は、2013年に不可欠な用途も含めて、全廃が決まりました[4]。高知県では、その後の代わりになる技術の開発が進められました。
その一つが、低濃度エタノールを使った土壌還元処理です。高知県の農業改良普及所では、この方法を試すための実証ほ(実際の畑で効果を確かめる場所)が設けられました[5]。
ここで注意したいのは、実証ほが設けられたことと、その方法の効果が確かめられたことは別だという点です。資料に書かれているのは前者までです。
産地が大きくなると、守る側の仕事も大きくなります。ここにも、現場の工夫が必要です。それは、技術が人と人のあいだでどう伝わるかという話にもつながります。
県の資料は、高知県が露地ショウガの国内最大の産地であり、根茎腐敗病などの防除が重要な課題であると述べる[4]。
同じ資料によれば、臭化メチル剤は2013年に不可欠用途を含めて全廃が決定され、高知県では代替技術の開発が進められた[4]。その一例が、低濃度エタノール土壌還元処理で、高知農業改良普及所は実証ほを設置した[5]。
ただし、実証ほの設置は、効果の検証が終わったことを意味しない。本稿の材料では、処理の効果や普及の程度、費用は確認できる形で示されていない。したがって、これを「根茎腐敗病を解決した」と読むことはできない。読み取れるのは、産地が病害という新しい制約に、既存の延長ではなく新技術の探索で応じようとしていることまでである。
この「新技術を現場で試し、広げる」という姿勢は、昭和40年の横穴潅水の普及とも通じる。そこで、産地形成の要因を調べた研究に目を向ける。
7. どうして 高知けんに、ショウガの さんちが そだったの?
7. 産地を育てたのは、気候だけではないのでしょうか
7. 産地形成の要因:栽培経験と知人からの技術移転
高知工科大学の けんきゅうに、ショウガの さんちが できた わけを しらべた ものが あります[6]。
その けんきゅうは、さんちを つくる りゆうの ひとつとして、ショウガを つくった けいけんや、しりあいから ぎじゅつを おしえて もらう ことの はたらきが おおきいと、ぶんせきして います。
よこあなの みずやりが けんじゅうに ひろがった はなしも、ひとから ひとへ つたわる 力を おもわせます。ただし、これは この ページを かいた ひとの 見かたで、かならず そうだったと いう わけでは ありません。
のうかが みつけた くふうが、まわりの のうかに つたわる。それが つみかさなって、さんちの あゆみに かかわって きたことが、しりょうから わかります。
高知工科大学の研究が、ショウガ産地の形成を分析しています。この研究は、産地を形成する要因は、ショウガ栽培の経験や、知人からの技術移転による部分が大きいと述べています[6]。
ここまで読んできた流れと並べてみると、似た構図が見えます。昭和40年に土佐市の農家が横穴での潅水を発表し、それが県内に普及したのは、技術が農家から農家へ伝わった一例です[1]。
ただし、これは一つの研究の分析と、一つの発見の例を並べた私たちの読み方です。研究が昭和40年の例を扱ったという意味ではありません。
気候や土のちがいは、この記事では詳しく紹介していません。そこは、ほかの資料で調べる楽しみとして残っています。
では、これまでの話を、どう確かめ、さらにどう広げられるでしょうか。
高知工科大学の産地形成に関する研究は、産地を形成する要因として、ショウガ栽培の経験や知人からの技術移転による部分が大きいと分析している[6]。
ここまでの記述と重ねると、昭和40年の横穴潅水が農家の発表から県下に普及した経過[1]は、この分析と整合的に読める。ただし、研究が対象とした期間や地域、昭和40年の事例を扱ったかどうかは、本稿は確認していない。両者の対応は、筆者の読みである。
また、気候・土壌などの自然条件は、本稿では詳しく紹介していない。産地形成が自然条件より経験と技術移転に左右されるとまでは言えず、自然条件の寄与は別の資料で見る必要がある。
本稿の資料から読み取れるのは、栽培の経験、貯蔵の工夫、政策や農地の条件、病害への対応が、それぞれ産地の歩みに関わったことである。
8. スーパーの ショウガの ラベルを みて みよう
8. 売り場のラベルから、産地の続きを探す
8. 産地表示を手がかりに、原典へ戻る
おうちの ひとと スーパーに いったら、やさいうりばで ショウガを さがして みましょう。
ラベルや ふくろに、さんちが かいて あります。「高知けん」と かいて あるでしょうか。ほかの けんの ものも あるかもしれません。
もし 高知けんの ものが みつかったら、きょうの はなしを おもいだして みましょう。さんちは ラベルで わかります。でも、そうこで まもられたか どうかは、ラベルだけでは わかりません。
ぎもんが ふえたら、「ショウガ」と「さんち」で、おとなと いっしょに しらべて みましょう。
産地表示を探す
家族と買い物に行ったら、野菜売り場でショウガのラベルを見てみましょう。産地が書いてあれば、高知県産かどうかを確かめられます。並んでいる産地がいくつあるかも、数えてみると面白いはずです。
高知県産が見つかったら、産地はラベルで分かります。ただし、貯蔵されたものかどうかを知るには、ラベルとは別の情報が必要です。
さらに調べるなら
出典のJA高知県の紹介は、年表の形で産地の歩みを載せています。高幡地区の資料や、県の農業情報を読むと、地区ごとの様子が見えてきます。
家庭でできる確認は、産地表示の観察である。野菜売り場のショウガに、高知県産の表示があるかを探し、複数の産地の表示がどう並んでいるかを見る。産地はラベルで分かるが、貯蔵されたかどうかや囲いしょうがかどうかは、ラベルだけでは分からない。
原典は、JA高知県のショウガの紹介[1]、農林水産省の高幡地区の資料[2]、農畜産業振興機構の産地紹介[3]、高知県の農業情報(グリーンフォーカスと普及所の記事)[4][5]、高知工科大学の論文[6]である。年表の各年の出来事は、JAの紹介が最も短くまとまっている。
読み進めるなら、輸入ショウガと国産の関係や、明治元年以前の利用の様子など、本稿が扱えなかった問いが残る。出典から追える範囲を、出典欄で確かめられる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文は、ここにある資料の内容を、自分の言葉で言いかえたものです。年や数字は、各資料の記載にもとづきます。
- JA高知県「しょうが」 https://ja-kochi.or.jp/agriculture/products/vegetable/848/ (栽培の開始・広がり・貯蔵の工夫・減反政策・現在の産地)
- 農林水産省「6-3-2 国営農地開発事業 高幡地区」 https://www.maff.go.jp/chushi/kj/yontyou/6/6-3-2.html (高幡地区の産地化・造成地への作付け)
- 農畜産業振興機構「産地紹介:高知県 JA高知県土佐市地区のしょうが」 https://www.alic.go.jp/content/001243778.pdf (土佐市地区の面積・出荷量・販売金額)
- 高知県農業振興部「グリーンフォーカス 平成30年1月号」 https://www.nogyo.tosa.pref.kochi.lg.jp/info/green_dtl.php?ID=7814 (国内最大の産地・病害防除・臭化メチル剤)
- 高知県「新ショウガの根茎腐敗病をやっつけろ! ~低濃度エタノール土壌還元処理~」 https://www.nogyo.tosa.pref.kochi.lg.jp/info/dtl.php?ID=8903 (低濃度エタノール土壌還元処理の実証)
- 高知工科大学「ショウガ産地形成に関する研究」(PDF) https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/pdf/2012/03/14/a1130461.pdf (産地形成の要因に関する分析)
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