1. どうして「らくだいせい」と いわれたの?
1. おいしいのに「落第生」と呼ばれた理由
1. 達成した品種と、達成できなかった品種:「落第生」の意味
コシヒカリは、1つの かけあわせから うまれた 5つの おこめの なかの 1つです。5つは、いわば きょうだいです。
この かけあわせには「ねらい」が ありました。病気に つよくて、しつが よくて、おいしい おこめを つくることです。ねらいを かなえたのは、ホウネンワセと こしじわせという きょうだいでした。コシヒカリは、いもちびょうという イネの 病気に よわくて、ねらいを かなえられませんでした。それで、のうけんきこうでは「らくだいせい」と せつめいして います。
つまり「らくだいせい」の いみは、あじが わるい ことでは ありません。「びょうきに つよい」という ねらいを かなえられなかった、という ことです。では、おとうさんと おかあさんは、どんな おこめだったのでしょう。
コシヒカリは、1つの交配から生まれた5品種のうちの1つです。ほかにはホウネンワセや越路早生などがありました。この交配のねらいは、いもち病に強く、品質がよくておいしいお米を作ることでした。いもち病とは、イネがかかる病気のことです。
ねらいを達成したのは、ホウネンワセと越路早生でした。コシヒカリはいもち病に弱く、目標を達成できなかったため、農研機構の説明では「落第生」とされています[1]。
ここで大事なのは、落第の基準が「味」ではなく「育成の目標」だということです。コシヒカリの食味が低く評価されたわけではありません。この記事では、病気に弱いはずの品種が日本一になるまでの道のりを、家系図を使って見ていきます。まずは、両親がどんなお米だったのかを確かめましょう。
コシヒカリは、ある1つの交配から育った5品種のうちの1つである。同じ交配からはホウネンワセや越路早生なども生まれた。この交配が目ざしたのは、いもち病に強く、良質でおいしい品種だった。いもち病はイネの病気で、発生すると収量に響くため、当時の育種では最優先の課題の一つだったと考えられる。
農研機構東北農業研究センターの説明では、目標を達成したのはホウネンワセと越路早生で、コシヒカリはいもち病に弱く目標を達成できなかったことから「落第生」と呼ばれる[1]。ここで基準になっているのは育成の目標であり、食味の評価ではない。つまり「落第生」は、味が悪いという意味ではなく、育成の設計図のうち病気への強さという一項目を満たせなかったという意味である。
なお、同じページは交配の年を1956年と書いているが、新潟県の育成経過では1944年とされている[2]。新潟県の資料では、1944年に交配し、1956年に奨励品種に選定・登録されたとされる。この記事では交配は1944年として書く。では、その1944年の交配では、どんな両親が組み合わされたのか。
2. おかあさんは びょうきに つよく、おとうさんは おいしかった
2. 母は病気に強く、父は味がよかった
2. 母・農林22号は病気に強く、父・農林1号は食味に優れた:交配の設計
コシヒカリが うまれたのは、1944ねんです。にいがたけんの しけんじょうで、2つの おこめが かけあわされました。
おかあさんは「のうりん22ごう」です。ひょうごけんで 1943ねんに うまれました。あまり ひりょうを やらなくても たくさん とれて、いもちびょうにも つよい おこめでした。
おとうさんは「のうりん1ごう」です。たくさん とれて、あじも よい 代わりに、いもちびょうには よわい おこめでした。
「つよい」おかあさんと「おいしい」おとうさんを あわせれば、いいとこ取りの こどもが できるかも しれません。そう ねがって、かけあわせたのでしょう。けれど、できた コシヒカリは、おとうさんの「びょうきに よわい」ところを うけついで いました。
1944年、新潟県の農事試験場で、2つのお米が掛け合わされました。母は農林22号、父は農林1号です。
母の農林22号は、1943年に兵庫県の農業試験場で育成された品種です。肥料が少なくてもよく実り、品質がよく、いもち病に強いという特長がありました。人気のある品種で、農林番号がつく品種を21、県が育てた品種を十数品種も生んだといいます[3]。
父の農林1号は、収量が多く、品質と食味にすぐれていますが、いもち病に弱い品種でした[2]。
「病気に強い母」と「味のよい父」を組み合わせて、両方のよいところを持つ子をねらったわけです。しかし、できたコシヒカリは、父のいもち病に弱いという性質のほうが表に出ました。いい組み合わせが、いつも思いどおりになるわけではないことが分かります。この記事では農林22号自身の親は取り上げていません。農林1号の先には、もっと古い品種が見つかります。それは後の章で見ます。
交配が行われたのは、新潟県の農事試験場である。母は農林22号、父は農林1号だった[2]。母の農林22号は、1943年に兵庫県の農業試験場で育成された品種で、少肥でも多収になり、品質がよく、いもち病に強い。その特長を買われて広く使われ、農林番号がつく品種を21、県が育成した品種を十数品種も生み出したという[3]。親としての実績が大きい品種だったといえる。
父の農林1号は収量が多く、品質と食味に優れるが、いもち病に弱い。つまり、この交配は「母の抵抗性」と「父の食味と多収」を合わせる設計になっている[2]。
ところが、同じ交配から生まれた5品種のうち、ねらいどおりになったのはホウネンワセと越路早生であり、コシヒカリはいもち病に弱かった。父の弱点が、この個体には現れたということになる。交配は遺伝子の組み合わせをくじ引きのように分けるため、同じ両親から生まれても、きょうだいの性質は揃わない。ここで見たように、設計どおりに行かない個体が出ること自体が、育種の前提である。
なお、農林22号自身の親(交配の組み合わせ)は、今回使った資料では書かれていないので、この記事では扱わない。一方、父の農林1号の先祖は資料から分かるので、後の章で見る。その前に、病気に弱く、茎も倒れやすい個体が、どうやって品種として残ったのかを見ておきたい。
3. びょうきに よわいのに、どうして のこったの?
3. 病気にも倒れにも弱いのに、どう品種として残ったか
3. 欠点を抱えた系統が、新潟県から世に出るまで:越南17号から農林100号へ
こうはいの あとは、ひとでが たりなくて、そだてる たねを だいじに とっておきました。1948ねんに 3000かぶ ほど そだて、その なかから 65かぶ を えらびました。そのうち 20かぶ を、福井の しけんじょうに ひきつぎました。ここでいしずみさんたちが、よい ものを えらびのこして いきました。
1953ねんには「えつなん17ごう」という なまえが つき、22の けんで ためしに そだてられました。
この おこめは、たくさん とれて、あじも よかったのですが、くきが ながくて ころびやすく、いもちびょうにも よわい、という よわみが ありました。そのころは、あじより たくさん とれる ことが たいせつで、どの けんも つかいませんでした。
ただ、にいがたけんは、「そだて方で おぎなえる よわみは、どうしようもない よわみでは ない」と かんがえました。そして 1956ねんに、あたらしい おこめとして デビューさせました。そのとき つけられた なまえが「コシヒカリ」です。むかしのこしの国で、ひかりかがやく ように、という ねがいが こめられて います。
交配のあと、戦後の人手不足のため、新潟では育成の材料をいったん保存していました。1948年に栽培した約3000個体から65株を選び、そのうち20株を福井農事改良実験所が引きつぎました。福井で石墨慶一郎さんらが選抜を進め、1953年には「越南17号」の系統名がつき、22の県で試験的な栽培が始まりました[2]。
越南17号は収量が安定し、味もよい一方、茎が長くて倒れやすく、いもち病にも弱いという欠点がありました。当時はお米の味より収量が重んじられ、どの県も採用しませんでした[4]。
ところが新潟県は、「栽培の仕方でカバーできる欠点は、どうしようもない欠点ではない」と考えたとされます。そして1956年、コシヒカリとして世に出しました。新潟県と千葉県が奨励品種に採用し、農林100号として登録されています(100という切りのよい番号になりました)[3]。名前は、新潟や福井が含まれた古い「越の国」に光り輝くように、という願いからつけられたといいます[4]。
この間の1948年には福井地震が起きて多くの苗が失われましたが、この系統は、水の多い強い湿田に植えられていたため生き残ったそうです[3]。
交配の後は人手不足のため、育成材料は新潟でいったん保存された。再開して1948年に栽培した約3000個体から65株が選ばれ、うち20株を福井農事改良実験所が引きつぎ、石墨慶一郎らが選抜を重ねた。1953年に系統名「越南17号」がつけられ、22の県で試作が始まった[2]。交配は新潟県の農事試験場で行われ、その後の選抜は福井で進められた。農林水産省が「福井で誕生した」と書くのは、この選抜・育成地の表現と考えられる。
越南17号は収量が安定して味もよかったが、茎が長く倒れやすく、いもち病にも弱かった。当時は味より収量が重視されたため、どの県も採用しなかった。ところが新潟県は、栽培方法で補える欠点は決定的な欠点ではないと判断し、1956年に新品種として出した[4]。つまり、欠点がありながら残れた理由は、欠点が小さかったからではなく、欠点を栽培の技術で補えるとみた新潟県の判断だったといえる。この見方は二次資料の説明に基づくため、当時の判断の細部まで確定できているわけではない。
新潟県と千葉県が奨励品種に採用し、農林100号として登録された。100号は切りのよい番号である[3]。名前の「コシヒカリ」は、新潟・福井などがかつて含まれた「越の国」に光り輝くようにとの願いに由来するという[4]。
なお、1948年の福井地震では多くの苗が失われたが、この系統は強湿田に植えられていたため生き残ったと伝えられている[3]。欠点だらけに見える系統が、思わぬ形で運よく残ったことになる。では、この品種の「強さ」と「おいしさ」は、もっと昔の先祖から来ているのだろうか。
4. おとうさんの さきには、どんな せんぞが いるの?
4. 父・農林1号の先にいた陸羽132号と愛国
4. 父・農林1号をさかのぼる:陸羽132号、愛国、亀ノ尾
おとうさんの「のうりん1ごう」にも、おとうさんと おかあさんが います。「りくう132ごう」と「もりたわせ」です。
りくう132ごうは 1921ねんに うまれました。さむさに つよい おこめと、あじの よい おこめを かけあわせた、にほんで はじめの ほうの「じんこうこうはい」の おこめと いわれます。コシヒカリから みると、おじいさんです。
その さきには「あいこく」と「かめのお」という おこめが います。あいこくは、たくさん とれて、さむさにも つよいと いわれ、ひがしにほんに ひろがりました。
こうして みると、「つよい」と「おいしい」を あわせる かんがえは、コシヒカリより むかしから あったと わかります。
父の農林1号は、陸羽132号と森多早生の交配から生まれた品種です[3]。農林1号の親の一方が陸羽132号なので、コシヒカリから見ると、陸羽132号は祖父にあたります。
陸羽132号は1921年(大正10年)に生まれた、交配育種の初期の優良品種といわれます。冷害に強い品種と味のよい品種を掛け合わせてできたとされています[6]。
その陸羽132号の親は、陸羽20号と亀の尾4号とされます。陸羽20号は「愛国」というお米から純系分離(よい個体を選び分けて同じ性質の系統にすること)された品種です。愛国は収量が多く冷害に強いとされ、東日本に広がったといわれます[5]。
よく見ると、「強さ」と「味のよさ」を組み合わせるという発想は、コシヒカリの交配より前、陸羽132号の時代から使われていました。ただし、愛国や亀の尾を育てた人については、この記事では扱いません。さて、先祖の強さは、子孫に本当に伝わっているのでしょうか。
父の農林1号は、陸羽132号と森多早生の交配から生まれた[3]。コシヒカリは農林1号の子なので、陸羽132号は祖父にあたる。
陸羽132号は1921年(大正10年)に生まれた。冷害に強い品種と味のよい品種を交配してできた品種で、交配育種の初期の優良品種として説明される[6]。
その陸羽132号の親は、陸羽20号と亀の尾4号とされる。陸羽20号は愛国から純系分離された品種である。純系分離とは、混ざった集団からよい個体を選び、性質のそろった系統を作る方法のことだ。愛国は多収で冷害に強く、東日本に広がったとされる。コシヒカリ、ササニシキ、ひとめぼれなどの先祖にあたるとされる[5]。この来歴はウィキペディアの記述で、育成者や亀ノ尾の年などは、別の資料での再確認が必要である。
こうして見ると、「強い品種」と「味のよい品種」の組み合わせという考え方は、1921年の陸羽132号からすでにあり、コシヒカリの1944年の交配はその応用ともいえる。ただし、時代がちがえば、強さの中身も違う。陸羽132号の強さは主に寒さ(冷害)、コシヒカリの母の強さは病気(いもち病)だ。もし愛国の強さがコシヒカリにも流れているなら、その証拠はどこに現れるのか。
5. さむい なつに、なにが わかったの?
5. 冷害の夏に見えた、先祖の強さと子孫たち
5. 冷害の年に何が分かったか:愛国の耐冷性と、ひとめぼれ・あきたこまち・ヒノヒカリ
1980ねんの なつは、とても さむい なつでした。このとき、コシヒカリと、その なかまは、ササニシキという おこめより ひがいが すくなかった、と わかりました。さむさに つよい せいしつが ありそうです。
その つよさを たどると、「あいこく」に つながると いわれて います。なんだか、ごせんぞからの おくりもののようです。
コシヒカリの こどもも います。「ひとめぼれ」は、さむさに つよく おいしい おこめを めざして、コシヒカリと「はつぼし」から つくられたと されます。「あきたこまち」は コシヒカリが おかあさんで、福井けんの しけんじょうで 1975ねんに かけあわされたと いわれます。「ヒノヒカリ」は コシヒカリが おとうさんだと いわれます。
コシヒカリは 1979ねんから、いまも、にほんで いちばん たくさん つくられて います。
1980年の冷害のとき、コシヒカリとその近縁品種は、ササニシキよりも被害が少なかったとされます。穂ばらみ期(穂が育つ時期)の耐冷性が強かったという説明です。この耐冷性のもとをたどると愛国に行き着く、という説明があります[5]。なお、この説明は愛国について書かれたウィキペディアの記述なので、一つの見方として受けとめてください。
子孫とされる品種もあります。ひとめぼれは、宮城県の古川農業試験場で、コシヒカリを母、初星を父として1982年に交配され、耐冷性と良質を両立させる目的で育成されたとされます[7]。あきたこまちは、コシヒカリを母、奥羽292号を父として1975年に福井県農業試験場で交配され、1984年に登録されたとされます[8]。ヒノヒカリは宮崎県が、愛知県の黄金晴を母、コシヒカリを父として交配した系統から育成されたといいます[9]。この3つは、農研機構や各県の原典ではなく、公開されている要約から読み取った内容なので、細部は原典で確かめるとよいでしょう。
コシヒカリは1979年から、作付面積1位を続けています[10]。落第生と呼ばれた系統が、先祖の強さを受けつぎ、子孫を増やしながら、日本一になりました。
先祖の性質が子孫に伝わるかどうかは、冷害の年に試される。1980年の冷害では、コシヒカリとその近縁品種は、ササニシキよりも被害が少なく、穂ばらみ期の耐冷性が強いとされる。その耐冷性のもとをたどると愛国に行き着くとされ、ひとめぼれは耐冷性と良質を両立させるため育成された[5]。ただし、ここで読んだ記述は愛国の項目にあるもので、耐冷性の遺伝的なもとは「愛国だけ」とは限らない。「愛国は耐冷性品種の主要な遺伝子の給源」という書き方も強い言い方なので、一つの有力な説明として受けとめたい。
子孫とされる品種の交配は、次のように説明されている。ひとめぼれは宮城県古川農業試験場で、コシヒカリを母、初星を父として1982年に交配された。コシヒカリは東北では晩生で倒れやすいため、短稈で耐冷性と食味のよい初星が選ばれたとされる[7]。あきたこまちは、コシヒカリを母、奥羽292号を父として1975年に福井県農業試験場で交配され、1984年に登録されたとされる[8]。ヒノヒカリは、宮崎県総合農業試験場が、愛知県の有力品種「黄金晴」を母、コシヒカリを父として交配した系統から育成した。研究開始は1979年、奨励品種は1989年、品種登録は1990年である[9]。
この3品種の交配の記述は、公的機関などの原典の要約から読み取った。個々の細部(交配年など)は、原典で確かめる余地がある。また「子」といっても、ヒノヒカリでは父がコシヒカリなので、親としての関わり方は品種ごとに異なる。同じ品種が別の品種の親にもなるので、家系図では枝が交わることがある。
こうした流れを背景に、コシヒカリは1979年から作付面積1位を続けている[10]。落第生とされた系統が、欠点を栽培で補う判断で世に出て、先祖の強さを受けついだとされながら、子孫を通して日本のお米の地図に広がった。目標に届かなかったことと、価値がないことは、別の話だったわけである。
6. こめぶくろの ひんしゅめいから、かけいずを さがして みよう
6. 米袋の品種名から、家系図の続きを探してみる
6. 米袋の品種名を出発点に、家系図の続きを読む
おうちの こめぶくろや、スーパーの おこめうりばで、おこめの ひんしゅの なまえを 3つ さがして みましょう。コシヒカリ、ひとめぼれ、あきたこまち、ヒノヒカリは あるでしょうか。
みつけたら、おうちの 人と いっしょに、としょかんの 本や、けんの のうぎょうの サイトで、その おこめの「おや」を しらべて みましょう。かみに、やじるしで おやと こどもを つないで いくと、かけいずに なります。
ふくろに「ブレンド」と かいて ある ときは、いくつかの おこめが まざって います。ひんしゅ名が 1つに きまらない ときは、むりに しらべなくて だいじょうぶです。
コシヒカリの きょうだいの、ホウネンワセと こしじわせは、どんな おこめなのでしょう。
家にあるお米の袋や、スーパーの米売り場で、品種名を3つ探してみてください。コシヒカリ、ひとめぼれ、あきたこまち、ヒノヒカリは見つかるでしょうか。袋に「ブレンド米」と書かれているものは複数の品種が混ざっているので、1つの品種として調べるのには向きません。
見つけたら、その品種の親を調べて、紙に矢印でつなぎ、家系図を作ってみましょう。農研機構の「お米のよくある質問集」や、育成した県の農業試験場のページが手がかりになります。調べると、同じ親が別の品種にも出てきて、枝が交差していくはずです。
この記事では扱わなかった疑問もあります。同じ交配から生まれたホウネンワセと越路早生は、どんなお米だったのか。農林22号自身の親は誰なのか。亀の尾を育てた人は誰なのか。家系図の枝は、まだ先にのびています。
家や店にあるお米の袋から、品種名を3つ拾い、それぞれの親を調べて矢印でつなぐと、自分用の家系図ができる。「ブレンド米」は複数品種の混合なので、1品種として扱えない。調べる出発点には、農研機構の「お米のよくある質問集」と、新潟県の「コシヒカリの育成経過」が使える。前者は品種の説明が簡潔で、後者は交配から奨励品種に採用されるまでの経緯が詳しい。ただし2つの資料は、交配の年を1956年と1944年と書き分けている。出典どうしの食いちがいを自分で整理するのも、調べ学習の練習になる。
この記事に書かなかった問いもある。農林22号の親にあたる品種、亀ノ尾の育成者と年、同じ交配から生まれた5品種の中身。いずれも、農研機構の系譜図や各県の品種解説にあたれば、さらに先の枝が見えてくるはずだ。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。ウィキペディアと検索結果の要約をもとにした資料は、断定を弱めて書いています。
- 農研機構 東北農業研究センター「お米のよくある質問集」(コシヒカリの品種の説明). https://www.naro.go.jp/laboratory/tarc/rice_faq/variety/025108.html (落第生の説明、5品種)
- 新潟県「コシヒカリの育成経過」. https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/nosanengei/1341867635261.html (交配年、両親、選抜の経過)
- 発明協会「戦後日本のイノベーション100選 コシヒカリ」. https://koueki.jiii.or.jp/innovation100/innovation_detail.php?eid=00034&age=high-growth&page=keii (農林22号、農林1号、農林100号、福井地震)
- やまがたアグリネット「コシヒカリの歴史」. https://agrin.jp/crop/suito/q_and_a/koshi_rekishi.html (新潟県の判断、名前の由来)
- 愛国 (米) - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%9B%BD_(%E7%B1%B3) (愛国と陸羽132号の親、1980年の冷害の記述)
- 東洋大学 経済論集 掲載論文(陸羽132号の説明). https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/5588/files/keizaironshu20-1%E3%83%BB2_001-030.pdf (陸羽132号。検索結果の要約をもとにした)
- 秋田県の資料(古川農業試験場の研究報告を引用). https://www.pref.akita.lg.jp/uploads/public/archive_0000008703_00/z37-2.pdf (ひとめぼれの交配。検索結果の要約をもとにした)
- 東北農業研究センター 品種解説「あきたこまち」. https://www.tarc-agrimet.affrc.go.jp/reigai/zusetu/reitai/hinsyu/akitakomachi.pdf (あきたこまちの交配。検索結果の要約をもとにした)
- 神戸大学 ニュース資料(ヒノヒカリの由来). https://www.kobe-u.ac.jp/archive/news/2010/pdf/20101027_1.pdf (ヒノヒカリの交配。検索結果の要約をもとにした)
- 農林水産省 aff 2016年1月号 特集. https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1601/spe1_03.html (作付面積1位)
なおした ところ
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