1. おなじ えさで そだてたら、なにが ちがったの?
1. 同じえさで育てたら、体重はどれだけちがったのか
1. 同じ飼料・同じ条件で育てた系統の体重は、どれだけちがったのか
むかしの にわとりと いまの にわとりは、おなじ そだち方を するのでしょうか。それを たしかめた 研究が あります。
むかしの なかまと、いまの なかまを、おなじ えさで そだてました。42日めの 体重は、1957年ごろの なかまが 586グラムです。1978年ごろの なかまは 1205グラムで、2ばいほどに なりました。
えさの 食べ方も ちがいます。体重を 1キロ ふやすのに いる えさは、1957年ごろは 2.88キロ、1978年ごろは 1.90キロ、2005年の なかまは 1.67キロです。すこしの えさで、よく そだつように なって います。
では、だれが、どうやって、こんなに そだちの よい にわとりを つくって きたのでしょう。
この比較で面白いのは、えさや飼い方をそろえている点です。1957年と1978年の系統は、その後の選抜を受けずに保存されたものを使い、2005年の市販系統(Ross 308)と、同じ市販型のえさを自由に食べさせて育てました[1]。
42日目の体重は、1957年の系統が586g、1978年の系統が1205gでした。体重を1kg増やすのに必要なえさ(飼料要求率)は、1957年が2.88、1978年が1.90、2005年が1.67です。2.88kgのえさで増やせたのと同じ1kgを、2005年の系統は1.67kgのえさで増やせることになります。論文は、1957年から2005年までに成長が400%以上増え、飼料要求率は50%下がったと報告しています(これは1957年と2005年の比較で、586gと1205gの比較とは別です)[1]。
同じえさ、同じ日数でこれだけ差が出たことから、系統のちがいが成長に関係したと考えられます。では、その変化はどこから始まったのでしょうか。
この比較の肝は、環境をそろえたことにある。1957年と1978年の系統は、それ以後の選抜を受けずに維持されたもので、2005年の市販系統(Ross 308)とともに、全系統に同じ市販型の飼料を自由に摂取させて育てられた[1]。
42日体重は1957年系統が586g、1978年系統が1205gで、1205÷586を計算すると約2.06倍になる。体重を1kg増やすのに要する飼料の量(飼料要求率)は、42日までの値で、1957年が2.88、1978年が1.90、2005年が1.67だった。1.67÷2.88は約0.58なので、同じ増体に必要な飼料はおよそ6割弱に減ったことになる。これは「飼料1kgあたりの増体」の比ではなく、増体1kgあたりの飼料量である点に注意したい。著者らは、1957〜2005年に成長が400%以上増え、飼料要求率が50%下がったとまとめている(400%は1957年と2005年の比較で、上の586g→1205gとは別の比較である)[1]。
飼料や飼育条件をそろえた比較では、系統の遺伝的な変化が体重差の主な要因と考えられる。では、その方向づけは、いつ、どんな競争から始まったのか。
2. 50わ たのんだら、500わ とどいた?
2. 50羽の注文が500羽届いたという言い伝え
2. 1923年の注文まちがいの伝説と、肉用鶏の商売の広がり
アメリカに、こんな 言いつたえが あります。1923年、デラウェアという 州で、セシル・スティールさんが ひなを 50わ たのみました。ところが、500わ とどいたと 言われて います。
スティールさんは、その ひなを 肉に する ために そだてました。18しゅう間 あと、のこっていたのは 387わです。1わ 1キロほどの 大きさで、1ポンド 62セントで うりました。
つぎの 年には 1000わ、1928年には 1年で 2万6千わも うったと 言われて います。まちがいから はじまった という はなしは、言いつたえです。でも、にく用に そだてる しごとが 大きく なった ことは、たしかです。
1923年、米国デラウェア州のセシル・スティールという女性が、50羽のひなを注文したところ、500羽が届いたという話が伝わっています。これは州の観光・産業のサイトなどで語られる言い伝えで、一次資料までは確かめられていません[2]。
伝えられるところでは、スティールは届いたひなを肉用に育てました。18週後には387羽が残り、体重は約2.25〜2.5ポンド(およそ1kg強)。それを1ポンド62セントで売りました。翌1924年には1000羽を注文し、1928年には年に2万6千羽を売るまでになったとされます[2]。
注文まちがいが本当かどうかより、見てほしいのは数字の動きです。肉のためにニワトリを育てて売る商売が、数年で何十倍にも広がりました。そうなると次は、「どんなニワトリが肉用にいいのか」を、誰かが決めたくなります。
米国の肉用鶏産業の起点として語られるのが、1923年にデラウェア州オーシャンビューのセシル・スティールが、50羽のひなを注文して500羽を受け取ったという話である。州の産業紹介サイトに載るもので、一次資料は確認されておらず、伝説として扱うのが妥当だ[2]。
伝えられる経過はこうだ。スティールは届いたひなを肉用に育て、18週後に387羽が残り、約2.25〜2.5ポンド(約1.0〜1.1kg)で1ポンド62セントで売った。そのため、1924年には1000羽、1928年には年2万6千羽へ規模が広がった。2万6千は1000の26倍なので、この話が本当なら、5年で約26倍の規模になったことになる[2]。
ただし、話の真偽より重要なのは、肉用の鶏を育てて売る商売が成り立つことが示された、という点である。商売になれば、どの鶏が肉用に向くかが問われ、その比較の場が1948年に作られた。
3. 「あしたの にわとり」コンテストでは、なにを きそったの?
3. 1948年のコンテストは、どんなニワトリを探したのか
3. 1948年の「明日のニワトリ」コンテスト:何を基準に、どう比べたのか
1948年、アメリカで 「あしたの にわとり」という コンテストが ひらかれました。スーパーの 会社が 力を かして、いい 肉用の にわとりを さがす きょうそうです。
のぞまれたのは、むねが 広くて、もも肉の 大きい にわとりです。しょうきんは 5000ドルでした。
けっしょうに のこった ところは、たまごを 720こずつ おくりました。ひなを 12しゅう間 そだてて、くらべたそうです。
いい せいせきを のこした ところの ひとつが、カリフォルニアの ふ化じょうでした。ニューハンプシャーという なかまと、コーニッシュという なかまを かけあわせた にわとりです。
1948年、米国の大手スーパーA&Pが後援する形で「明日のニワトリ」コンテストが開かれました(米農務省の関わり方は、資料によって書き方が分かれます)。狙いは、胸が広く、もも肉が大きく、白い肉が多いニワトリでした[3]。
決勝に残った出品者は、それぞれ卵720個を中央の施設に送ります。そこでひなを12週育て、まとめて評価しました[3]。条件をそろえて比べる方法は、先ほどの研究とよく似ています。
有力な成績を収めたのは、カリフォルニアのヴァントレス孵化場(ふかじょう)の、ニューハンプシャー種とコーニッシュ種の交雑でした。賞金は5000ドルです[3]。肉用に向く鶏は、比べて選び、交配する取り組みを通じて作られていったことがうかがえます。
肉用鶏の方向を決めたもう一つの場が、1948年の「明日のニワトリ」コンテストである。スーパーA&Pが後援した全米規模の競争で、目標は胸が広く、もも肉が大きく、白い肉の多い鶏だった(農務省の関与は出典により書き方に差がある)[3]。
方法も周到だった。決勝に進んだ各出品者は卵720個を中央施設に送り、そこでひなを12週育てて評価した。では、なぜ卵を集めて同じ場所で育てたのか。生産者ごとの飼い方のちがいを消し、鶏そのものの差を見るためと考えられる。先の1957・1978・2005年の比較と同じ発想である。
有力な成績を収めたのは、カリフォルニアのヴァントレス(Vantress)孵化場の、ニューハンプシャー種とコーニッシュ種の交雑だった。賞金は5000ドルである[3]。個々の鶏でなく、掛け合わせた系統が評価されたことは、のちに交配を大量に管理して系統を育てる育種会社の時代につながる。選ばれ続けた結果、体の中身はどう変わったのか。
4. えらんで いくと、からだは どう かわった?
4. 選び続けた結果、体はどう変わり、何が課題になったのか
4. 胸肉は大きく、脂肪は少なく:選抜の成果と、論文が挙げる課題
えらんでは かけあわせる ことを くりかえすと、にわとりの からだは かわりました。同じ 研究では、むねの 肉が とれる わりあいが、1957年から 2005年までに、おすで 79パーセント、めすで 85パーセント ふえました。おなかの あぶらは へりました。
そだつ 日数も みじかく なりました。1950年代の 肉用の にわとりは 16しゅう間ほど そだてて いたそうです。いまは 4〜7しゅう間ほどと、ある 記事は 書いて います。
ただ、いいことばかりでは ありません。この研究を した 人たちは、ほねや きんにく、びょうきに たいする つよさ、親に なる にわとりの せわに、まだ むずかしい ことが のこると 書いて います。
選抜の成果は、体のつくりにも表れました。同じ論文では、胸の大きな筋肉(大胸筋)の歩留まり(体の中でとれる割合)が、1957年から2005年までにオスで79%、メスで85%増え、腹部の脂肪は減ったと報告されています[1]。コンテストが求めた「胸が広い鶏」の方向と重なります。
育つ期間も縮みました。報道記事は、1950年代に約16週だった飼育期間が、今は約4〜7週になったと書いています[3]。ただしこれは報道の数字で、先の論文の値とは別物です。
一方、著者たちは、筋肉や骨格、免疫、親にあたる鶏の管理には課題が残るとも述べています[1]。速く大きく育つことと、体の丈夫さの両立は、今も育種が向き合うテーマです。
選抜の成果は、成長の速さだけでなく体の構成にも表れた。同論文は、1957〜2005年に大胸筋の歩留まりがオスで79%、メスで85%増え、腹部脂肪は減ったと報告する。コンテストが目標にした「胸の広い鶏」と方向が一致する[1]。
飼育期間も、報道記事の記述では1950年代の約16週から、現在の約4〜7週へ縮んだ。ただし16週は報道の数字で、論文の「56日まで」の比較とは基準が異なり、混ぜて計算することはできない[3]。
では、成果だけなのか。著者は、筋骨格、免疫、種鶏の管理には課題が残ると述べる[1]。体重の増え方が大きく変わった一方、体の丈夫さや親の管理が追いつくかどうかは別の問題であり、今も育種の課題として残る。そしてこの流れは、同じ時期に日本へも届いた。
5. 日本には、いつごろ 来たの?
5. 日本にブロイラーが来たのは、いつごろか
5. 日本のブロイラー導入:1957年の試作から、昭和30年代の専用種化まで
じつは、1957年は 日本で はじめて、アメリカから きた 肉用の にわとり(ブロイラー)を そだてて みた 年と されて います。東京の 千住の とり肉の 問屋さんが、ぐんまけんの 人たちと いっしょに、ためしに そだてたと 言われます。
むかしは、とり肉は 牛肉より 高い ものでした。ブロイラーが 来てから、ねだんが 手ごろに なったと、農林水産省は いって います。ブロイラーは、およそ 50日で 出荷できます。
そのあと、1963年ごろには、アメリカの 会社の、肉用だけの しゅるいが 入って きました。ひなの ふ化も、春と 秋だけでなく、一年中 行われるように なりました。
日本で最初のブロイラー飼育は1957年(昭和32年)、東京・千住の食鳥問屋「鳥市商店」が群馬県経済連と組み、米国から輸入したブロイラーを試作飼育したとされます。これは企業の沿革にある記述です[4]。1957年は、先ほどの研究が「選抜しない系統」の基準にしている年でもあります。
農林水産省は、戦前まで鶏肉は牛肉より高級品で、手ごろな価格になったのは戦後、肉用専用種のブロイラーの導入が始まってからと説明しています。ブロイラーは通常約50日で出荷されます[5]。
香川県の孵卵場の記録では、昭和30年代に採卵用の雑種のオスを育てる方式から、交雑種のブロイラーへの移行期になり、昭和38年に米国の育種会社の白色プリマスロックなどの専用種を導入、昭和40年代に専用種の時代になりました。ブロイラー用のひなの需要が増え、春と秋だけだったふ化が一年中になっていきます[6]。これは一つの孵卵場の記録なので、日本全体の年と言い切ることはできません。
日本で最初のブロイラー飼育は1957年(昭和32年)、東京・千住の食鳥問屋鳥市商店が群馬県経済連と協力し、米国から輸入したブロイラーを試作したとされる。出典は企業の沿革で、公的資料での裏付けはないため「とされる」にとどめる。背景には、戦後の在日米軍や外国人の鶏肉需要があった[4]。なお1957年は、先の論文が基準にした系統の年とたまたま同じで、両者に因果関係を示す資料はない。
では、なぜブロイラーが広がると鶏肉が身近になったのか。農林水産省は、戦前まで鶏肉は牛肉より高級品だったが、手ごろな価格になったのは戦後、肉用専用種の導入が始まってからだと説明する。ブロイラーは通常約50日で出荷される。生産期間が短いほど、1羽あたりに要する飼育の手間と費用は小さくなる[5]。
導入の過程は、農畜産業振興機構の報告が香川県の孵卵場の記録から示している。昭和20年代の採卵用雑種のオスの若どりから、昭和30年代に兼用種やコーニッシュとの交雑種のブロイラーへ移り、昭和38年に米国の育種会社の白色プリマスロックなど専用種が入った。昭和40年代には遺伝学を応用して大量育種した米国育種会社の系統交配種が直輸入され、ブロイラー用のひなの需要増でふ化は周年化した[6]。ただし、これは一つの孵卵場の記録なので、日本全体の年とは言い切れない。
6. えさの ちがいを、台所で もって みよう
6. えさの量の差を、台所で持ってみる
6. 飼料要求率の差を、実物の重さで実感する
きょう できる こと
おうちの 人と いっしょに、台所の はかりで 水を はかって みましょう。500ミリリットルの ペットボトルの 水は、およそ 500グラムです。1957年ごろの にわとりが 体重を 1キロ ふやす ために 食べる えさは 2.88キロ、2005年の なかまは 1.67キロです。その ちがいは 1.21キロで、ペットボトル 2本と ちょっとの 重さです。
しらべる とき
農林水産省の 「aff」には、とり肉の はなしが のって います。おうちの 人と、ひらいて みましょう。
今日できること
台所のはかりと、500mlのペットボトル入りの水で、数字を重さにしてみます。体重を1kg増やすのに必要なえさは、1957年の系統で2.88kg、2005年の系統で1.67kgです。差は2.88−1.67=1.21kgで、500mlのペットボトル2本と少しにあたります。毎日何十羽も育てる養鶏場では、この差が積み重なると考えるとイメージがつかめます。
資料を読むなら
農林水産省の広報誌「aff」2016年12月号[5]や、農畜産業振興機構の「畜産の情報」[6]は、日本語で読める資料です。
今日できること
台所のはかりで、飼料要求率を重さにして確かめる。500mlのペットボトルの水は約500gなので、2.88kgと1.67kgの差1.21kgは、約2.4本分になる。ただしこれは42日までの値で、実際の養鶏場の飼料要求率は、えさの種類や飼い方、期間で変わる。
資料を読むなら
日本語で読める資料として、農林水産省の「aff」2016年12月号[5]と、農畜産業振興機構「畜産の情報」2006年9月号[6]がある。英語の原典は、Zuidhofらの2014年の論文[1]で、PubMed Centralで全文が読める。1957年と1978年の系統が、選抜せずにどう保存されたのかは、論文の方法の節で確かめられる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- Zuidhof, M. J. et al. (2014) Growth, efficiency, and yield of commercial broilers from 1957, 1978, and 2005. Poultry Science, PMC4988556. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4988556 (同じえさでの比較、体重、胸肉の歩留まり、課題)
- Choose Delaware, Delmarva chicken industry at 100 years. https://www.choosedelaware.com/success-stories/delmarva-chicken-industry-at-100-years/ (1923年の言い伝え)
- Modern Farmer (2014) Today we're eating the winners of the 1948 Chicken of Tomorrow contest. https://modernfarmer.com/2014/05/today-eating-winners-1948-chicken-tomorrow-contest/ (コンテストの方法と、出荷までの期間)
- 全農チキンフーズ「物語 1章」. https://www.ja-zcf.co.jp/zc/recruit/about/story_1/ (日本の1957年の試作飼育)
- 農林水産省「aff」2016年12月号 特集1 とり. https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1612/spe1_01.html (鶏肉が手ごろになった時期、出荷日数)
- 農畜産業振興機構「畜産の情報」2006年9月 専門調査レポート. https://lin.alic.go.jp/alic/month/dome/2006/sep/senmon2.htm (昭和30〜40年代の専用種化)
なおした ところ
更新履歴
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