1. うんてんしゅは、どれだけの みちを おぼえるの?
1. 運転手は、頭の中にどれだけの道を入れるのか
1. 何千もの道を丸ごと入れる:ナレッジという試験の大きさ
ロンドンの まん中に、チャリング・クロスという ばしょが あります。ここから はんけい 6マイル、およそ 9.7キロの 中には、何千もの 道と たてものが あります。タクシーの うんてんしゅに なる 人は、これを 地図なしで あたまに いれます。この べんきょうは「ナレッジ」と よばれます。
おぼえる ものの ひとつに、320の「ルート」の 本が あります。ある けんきゅうの まとめでは、道の 数は 26,000を こえる とも 書かれて います。
かかる 時間は、ふつう 3ねんから 4ねんです。試験に うかる 人は、はんぶんぐらいと いわれます。せかいで いちばん むずかしい タクシーの 試験の ひとつと される ことも あります。
ロンドンの中心にあるチャリング・クロスから半径6マイル、約9.7キロの円の中には、何千もの通りとランドマークがあります。運転手の免許を目指す人は、これを頭に入れます。この学習は「ナレッジ」と呼ばれ、通常3〜4年かかります[1]。
覚える内容は、たとえば320本の「ルート」(通称「ラン」)の一覧です[1]。2022年のレビュー論文は、26,000を超える通りの名前と配置、数千の関心地点を学ぶと説明しています[8]。
訓練生が全員合格するわけではありません。2011年の論文は、運営側の説明として、半分から6割ほどの訓練生が資格を取れないと紹介しています[3]。ここまで大変な訓練なら、脳に何かが起きていても不思議はなさそうです。では、運転手の脳は、ふつうの人とどう違うのでしょうか。
ロンドンの運転手免許に必要な「ナレッジ」は、チャリング・クロスを中心とする半径6マイル(約9.7キロ)の中にある数千の通りとランドマークを覚える課程である。習得には通常3〜4年かかり[1]、学習の柱の一つがブルーブックと呼ばれる320本の「ラン」(経路)の一覧である[1]。2022年のレビューは、運転手が学ぶ対象を26,000を超える通りの名前と配置、さらに数千の関心地点としており[8]、数字の出どころによって通りの数え方が異なる点には注意が要る。
難しさは合格率にも表れる。2011年の論文は、運営組織の説明として、訓練生の50〜60%が資格を取れないと述べている[3]。そのため、この課程は脳科学者にとって、「大量の空間情報を、数年かけて、はっきりした目標のもとで覚える」ことを調べられる珍しい場になった。では、この訓練を終えた人の脳には、何が見えたのか。
2. ベテランの うんてんしゅの のうは、ふつうと ちがうの?
2. ベテラン運転手の海馬は、ふつうの人と違うのか
2. 2000年の発見:運転手の後部海馬は大きかった
2000ねんの けんきゅうで、タクシーの うんてんしゅの 脳が しらべられました。海馬という ぶぶんの うしろの ほうが、タクシーを うんてんしない 人より 大きいと わかりました。
海馬は、おぼえる ことや、場所を つかむ ことに かかわる ぶぶんです。うんてんしゅと して はたらいた 時間が 長い 人ほど、うしろの ほうが 大きい かたむきも 見つかりました。ただし、まえの ほうは 小さい かたむきでしたが、こちらは あまり はっきりしません。
でも、ここで ぎもんが 出ます。もともと 海馬が 大きい 人が、うんてんしゅに なったのかも しれません。
2000年、ロンドンの研究チームは、運転手の脳を調べた結果を発表しました。運転手の海馬の後部は、タクシーを運転しない人たちに比べて、はっきり大きかったのです[2]。
海馬は、記憶や空間をつかむことに関わる部分として、動物の研究でも注目されてきました[5]。運転手として過ごした時間が長いほど、後部は大きく、前部は小さくなる傾向も見られました(前部の差は、解析の方法によって確かさがちがいます)[2]。
これは、「長く道を覚えて使うほど、海馬が変わる」と考えたくなる結果です。ただし、この研究は運転手と運転しない人を比べた一時点の調査です。もともと後部海馬が大きい人が、道を覚えるのが得意で、運転手になったのかもしれません。この疑いを晴らすには、訓練の前から追いかける必要があります。
最初の手がかりは、2000年の研究である。タクシー運転手の後部海馬は、運転手ではない対照群より有意に大きかった[2]。さらに、海馬の体積は運転手として過ごした期間と相関し、期間が長いほど後部が大きく、前部は小さい傾向があった(前部の差は解析方法により確かさが異なる)[2]。
海馬は、記憶と空間の把握に関わる部位として、動物研究でも注目されてきた[5]。そのため「道を覚える経験が、後部海馬を育てた」という解釈はもっともらしい。しかし、この研究は運転手と非運転手を同じ時点で比べただけで、変化そのものを見ていない。逆の筋書きも成り立つ。もともと後部海馬が大きく、空間の記憶が得意な人ほどナレッジに挑み、運転手になった、という説明である。経験の長さと体積が相関するという結果は両方の筋書きと矛盾しないため、因果を決めるには、訓練の前から追跡する設計が要る。
3. 大きい 人が うんてんしゅに なっただけでは ないの?
3. 訓練の前から追いかけた研究は何を見つけたのか
3. 2011年の追跡研究:訓練前に差はなく、合格者だけが変わった
この ぎもんを たしかめる ために、2011ねんの けんきゅうは、べんきょうを はじめる 前から 人を おいかけました。たくさんの 人が きょうりょくしました。タクシーの うんてんしゅに なろうと する 人 79人と、ならない 人 31人です。
はじめの 時は、海馬の 大きさに ちがいは ありませんでした。3ねんから 4ねん あと、試験に うかって うんてんしゅに なった 39人だけ、海馬の うしろの ほうの 「はいいろしつ」が ふえて いました。うからなかった 人や、うんてんしゅに ならない 人では、ふえて いませんでした。
はじめの 時に ちがいが 見つからなかった ので、「もともと 大きい 人が えらばれた」という せつめいは、弱く なりました。ただ、のこらなかった 人も いるので、ぜんぶ ちがうとは いいきれません。
2011年の研究は、訓練の前から人々を追いかけました。協力したのは、これから運転手を目指す訓練生79人と、運転手を目指さない31人です[4]。
訓練が始まる前は、海馬の体積に差はありませんでした。数年後、試験に合格して資格を取ったのは39人です[4]。この39人は、後部海馬の灰色質が増えていました[3]。資格を取れなかった訓練生と、運転手を目指さない人には、その増加は見られませんでした[4]。
この結果から、「もともと海馬が大きい人が運転手になる」という説明は弱まる、と研究者は考えています[4]。資格を取った人たちは、道の位置関係を判断する課題でも、運転手を目指さない人たちより成績がよい結果でした[3]。
ところで、79人のうち資格を取れたのは約半数です。取れなかった人たちは、どんな事情だったのでしょうか。
この疑問に答えたのが、2011年の縦断研究である。研究は、運転手を目指す訓練生79人と、運転手ではない対照群31人を、訓練の前から追跡した[4]。訓練開始時には、海馬の体積に差はなかった[3]。
数年後、資格を取ったのは79人中39人にとどまった[4]。この39人には、後部海馬の灰色質の選択的な増加があり、ロンドンの空間配置を内面に獲得したことと結びついていた[3]。変化は資格を取った訓練生に見られ、資格を取れなかった訓練生と対照群には見られなかった[4]。もしもともと後部海馬の大きい人だけが続けたのなら、訓練前の差が出るはずだが、そうではなかった。この設計が、先行する横断研究で残った「元から大きい」という説明を弱めている。ただし、79人のうち20人は再検査に戻らなかったため、個人差や選抜の影響を完全には除けない。
行動面でも、資格を取った訓練生は、ロンドンのランドマーク間の空間関係を判断する課題で、対照群より有意に成績がよかった[3]。ただし、ここで見ているのは合格まで続けた39人の変化であり、続けられなかった人たちの事情が結果にどう関わるかは、別に考える必要がある。
4. 道を おぼえると、にがてに なる ことも あるの?
4. 道を覚えた代わりに、苦手になったこと
4. 変化の代償と、結果を読むときの限界
この けんきゅうでは、もう ひとつ わかった ことが あります。うんてんしゅに なった 人は、ふくざつな 絵や ずけいを 思い出す などの べつの しごとでは、うんてんしゅに ならない 人より、せいせきが わるい ことが ありました。道とは べつの しごとで、せいせきが ひくく なる ことも あったと ほうこく されて います。
これは、頭が わるく なったという いみでは ありません。ひとつの ことに 力を つかうと、ほかの ところが ちがう はたらきかたを するのかも しれない、と 考えられて いますが、くわしい しくみは まだ わかって いません。
うからなかった 人たちの りゆうには、お金や 時間が たりない、かぞくの じじょうが ある などが あげられて います。のうりょくの ちがいだけで せつめいできる とは かぎりません。ただ、この けんきゅうだけでは、りゆうの ぜんぶは わかりません。
この研究には、もう一つの発見がありました。資格を取った訓練生は、複雑な視覚情報を思い出すといった別の課題では、運転手を目指さない人たちより成績が低かったのです。この差は、資格を取れなかった訓練生には見られませんでした[4]。報道では、研究者が「道の知識を得ることには代償がある」という趣旨を述べたと伝えられています[5]。
これは「頭が悪くなった」という意味ではありません。一つの課題で成績が下がったことを示した結果で、なぜ下がるのかという詳しい仕組みは、まだ完全には分かっていません。
もう一つ、結果の読み方に注意があります。資格を取れなかった約半数の訓練生が途中でやめた理由として、お金や時間の不足、家庭の事情などが挙げられています[5]。続けられなかった理由には、お金や時間、家庭の事情が挙げられています。能力の差だけで説明できるとは限りませんが、この研究だけでは理由のすべては分かりません。この研究の結論は、最後まで続けて合格した人たちの変化を中心に見たものです。
変化には代償があった。資格を取った訓練生は、複雑な視覚情報を思い出すなど、ナレッジとは別の課題で、対照群より成績が低かった。この差は、資格を取れなかった訓練生には現れなかった[4]。2011年当時の報道では、研究者が、道の知識を得ることには代償があると述べたと伝えられている[5]。空間の記憶に有利な後部海馬の増加が、別の種類の記憶の成績低下と並んで現れたのか、そこに因果があるのかは、この研究だけでは決まらず、詳しい仕組みも完全には分かっていない。
結果の読み方にも制約がある。79人のうち資格を取ったのは39人で、約半数にあたる。ほかの訓練生が離れた理由として、お金や時間の不足、家庭の事情が挙げられている[5]。続けられなかった理由を、能力だけで説明できるとは限らない。この研究だけでは、理由のすべては分からない。得られた知見は、ナレッジを最後までやり切った人の変化についてのものであり、誰にでも当てはまる法則としては扱えない。
なお、運転を引退したあとに海馬の大きさが元に戻るかどうかについては、予備的な報告はあるものの、確定的な結論は出ていない。訓練で増えた分が、使われなくなったあとどう変わるのかは、まだ開かれた問いである。
5. この けんきゅうは、そのあと どこへ つながったの?
5. 運転手の脳の研究は、その後どこへ広がったのか
5. 認知症の研究とAIへ:運転手の脳が問い直されている
2022ねんには、アルツハイマーびょうの けんきゅうの ために、タクシーの うんてんしゅの 脳を しらべる けいかくが はじまりました。アルツハイマーびょうの 人では、海馬が ちいさく なる ことが あります。
2025ねんの けんきゅうでは、うんてんしゅは、いちばん むずかしい 場所から 先に かんがえて、ルートを つくる と わかりました。研究者は、この かんがえ方が、これからの AIの ナビに 役立つかも しれないと 考えて います。
2022年、ロンドン大学の研究チームを中心に、運転手の脳を調べる新しい計画が始まりました。アルツハイマー病に関わる手がかりを探すことが目的です[6]。アルツハイマー病では海馬の萎縮が関わることから、海馬が特徴的に発達した運転手の脳が注目されたと説明されています。
2025年の研究は、運転手のルートの組み立て方に注目しました。運転手は、道のなかで最も難しい部分を先に決めてから、全体を計画する戦略をとっていると報告されています[7]。研究者は、こうした柔軟な計画の立て方が、将来のAIのナビゲーション技術の開発に役立つ可能性があると考えています[7]。
道を覚えるうちに脳が変わる、という発見は、病気の理解や機械の設計まで話を広げているのです。
運転手の脳は、その後も研究の対象であり続けている。2022年には、ロンドン大学を中心とする研究チームが、運転手の脳をスキャンし、アルツハイマー病を理解する手がかりが得られるかを調べる計画を発表した[6]。計画の背景には、アルツハイマー病における海馬の萎縮がある。海馬の発達が特徴的な集団を調べることで、病気の理解に結びつく手がかりが得られるかもしれない、という発想である。
2025年の研究は、問いの向きを変えた。何が脳に起きるかではなく、運転手がどう計画しているかを調べたのである。運転手は、最も難しい区間を先に考え、あとで残りを埋めるように、合理的にルートを計画すると報告された[7]。研究者は、この柔軟な計画戦略が、将来のAIナビゲーション技術の開発に役立つ可能性があると見ている[7]。
ここまでの流れを見ると、大量の道を覚えた脳、続けられなかった人たち、新しい課題への影響など、ひとつの職業が複数の分野の問いに結びついている。ただし、アルツハイマー病への応用や、AIへの示唆は、いずれも可能性の段階の話である。
6. じぶんの まちで ためして みよう
6. 自分の街の道で試せること
6. 自分の道で確かめ、原典に当たる
きょう できる こと
がっこうから いえまでの 道を、地図を 見ないで かみに かいて みましょう。かいた あとで、本当の 地図と くらべます。まちがえた ばしょが わかります。
そのあと、いちばん まよいそうな ところを 先に おもいだして かいて、まわりを あとから かきたして みましょう。かく じゅんばんを かえると、おぼえやすさが かわるか、ためせます。
地図なしで描いてみる
学校から家までの道を、地図を見ずに紙に描きます。描いたあとで本物の地図と見比べ、まちがえた場所を探してみましょう。
むずかしい場所から考える
運転手は、難しい区間を先に考えると報告されています[7]。それにならって、迷いやすい区間を先に思い出し、その前後をつなぐ描き方も試せます。運転手の方法そのものの再現ではありませんが、順番を変えると思い出しやすさが変わるかを、自分の感覚で比べられます。
資料を読むなら
家にある紙とえんぴつだけで、日本語のまま試せます。英語の資料に進むなら、2011年の研究を紹介した記事[4]が、研究の流れを短くまとめています。ロンドン交通局の案内[1]は、ナレッジの学び方の説明です。いずれも英語です。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- Transport for London「Learn the Knowledge of London」. https://tfl.gov.uk/ (ナレッジの範囲・期間・ラン320本)
- Maguire et al. “Navigation-related structural change in the hippocampi of taxi drivers” 2000. https://www.fil.ion.ucl.ac.uk/Maguire/Maguire_CORE_2000.pdf (後部海馬が大きいこと・経験の長さとの関係)
- Woollett and Maguire “Acquiring ‘the Knowledge’ of London’s Layout Drives Structural Brain Changes” 2011. https://www.fil.ion.ucl.ac.uk/Maguire/WoollettMaguireCBDec2011.pdf (追跡研究の結果・合格率の紹介)
- ScienceDaily「Taxi drivers’ brains grow with training」2011(UCL・Wellcome Trust発表). https://www.sciencedaily.com/releases/2011/12/111208125720.htm (人数・合格者数・代償)
- National Geographic「Acquiring the Knowledge changes the brains of London cab drivers」. https://www.nationalgeographic.com/science/article/acquiring-the-knowledge-changes-the-brains-of-london-cab-drivers (海馬の役割・脱落の理由・代償)
- UCL News「London taxi drivers’ brains being scanned for Alzheimer’s research」2022. https://www.ucl.ac.uk/news/2022/feb/london-taxi-drivers-brains-being-scanned-alzheimers-research (アルツハイマー病の研究計画)
- UCL News「London taxi drivers’ route-planning strategies could inform AI」2025. https://www.ucl.ac.uk/news/2025/jan/london-taxi-drivers-route-planning-strategies-could-inform-ai (ルート計画の戦略とAI)
- “London taxi drivers: A review of neurocognitive studies and an exploration of how they build their cognitive map of London” 2022. https://discovery.ucl.ac.uk/id/eprint/10141233/ (学ぶ通りの数)
なおした ところ
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