1. 手紙を 入れる 箱が、町に できた
1. 町かどの箱に手紙を入れる、という新しい習慣
1. 1871年の郵便創業と、書状集箱の役割
いまから 150ねんより むかし、日本に 新しい ゆうびんの しくみが できました。1871ねん(めいじ4ねん)の ことです。東京と 京都と おおさかの あいだで、東海道ぞいに ゆうびんが はじまりました[1]。
この とき、町の 大事な 場所に 手紙を 入れる 箱が おかれました。これが ポストの はじまりです。いつでも 手紙を 入れられる ことが、新しい しくみの ねらいの 1つでした[2]。
まだ、ポストの 使い方を 知らない 人が たくさん いました。ですから、使い方を 書いた 紙も いっしょに 出されました[2]。
いまは、書留のように 人に わたす 手紙を のぞけば、ポストから 夜でも 手紙を 出せます。ポストが 全国に あるからです[2]。
1871年4月20日(明治4年3月1日)、東京、京都、大阪を結ぶ東海道筋で、近代的な郵便が始まりました[1]。この新しい仕組みには、時刻を決めて毎日出発する、切手を使う、町の要所に置いた書状集メ箱(ポスト)でいつでも差し出せる、といった特徴がありました[2]。
ポストの近くには切手を売る場所も置かれました。はじめて見る箱ですから、創業の布告と一緒に、書状を出す人の心得も出され、使い方まで細かく知らせる必要があったのです[2]。
その考え方は、いまも続いています。ポストがあるおかげで、書留のように対面が必要な取り扱いを除けば、全国どこでも24時間、郵便物を差し出せます[2]。
日本の近代郵便は、1871年4月20日(明治4年3月1日)に東京・京都・大阪間の東海道筋で始まった[1]。創業の特徴は、時刻を定めた毎日の出発、切手の使用、そして町の要所に置く書状集メ箱(ポスト)への随時の差し出しである。ポストの近くに切手売捌所を置く構想も含まれていた[2]。
新しい制度は使い方を知らなければ動かない。そのため創業の布告とあわせて「書状ヲ出ス人ノ心得」が出された[2]。制度の設計者として知られる前島密は、1870年に駅逓権正となり、20日間で創業の建議書をまとめて提出したが、直後に英国へ出張したため、創業準備は杉浦譲が進めた[1]。
この「いつでも差し出せる」という性格は現在も維持され、特殊取扱を除けば全国どこでも24時間投函できる環境が提供されている[2]。では、その最初の箱はどんな姿だったのか。
2. いちばん はじめの 箱は、ふつうの 木の 箱
2. 最初のポストは白木の箱 ── 目安箱がヒントといわれるが
2. 書状集箱の形と集荷方法 ── 目安箱起源説の限界
じてんなどの 説明では、さいしょの ポストは、色を ぬらない 白い 木の 箱だった と いわれます[8]。そのころ すでに あった 目安箱に にている、という 話も あります。でも、目安箱を ヒントに したという 話を はっきり 示す きろくは ありません[2]。
いまの ポストと、大きな ちがいが あります。手紙を 集める とき、はいたつの 人は 箱ごと ゆうびんきょくへ 持ち帰りました。中の 手紙を 出して、また 同じ 場所に 箱を もどしたのです[1]。
ふたを あけて 取り出すのではなく、箱ごと はこぶ。ちょっと 大へんそうですね。
事典類の説明では、創業時のポスト「書状集箱」は白木造りの箱だったとされています[8]。形は目安箱からヒントを得て考えられたといわれますが、それを明らかにする史料はないと、総務省の資料が引く『郵便創業120年の歴史』は述べています[2]。
手紙の集め方も、いまとは違いました。配達員が箱を郵便局へ持ち帰って中身を取り出し、その後で箱を元の場所へ戻したのです[1]。布告や料金表、書状を出す人の心得は、箱と一緒に掲示されました[1]。
創業時の書状集箱(集信箱とも)は白木造りで、東京・京都・大阪と東海道筋の宿駅に置かれたと説明されている。ただしこの記述は事典類(二次資料)によるため、「白木で始まったといわれる」という強さで受け取っておく[8]。
形は目安箱を参考に考案されたとする説明があるが、それを明らかにする史料はない[2]。集荷の方法も現在とは異なり、配達員が箱ごと郵便局に持ち帰って郵便物を取り出し、箱を元の場所に再設置する方式だった。布告・各地時間賃銭表・心得も箱とともに掲示された[1]。
この方式は、箱が据え置きでなく持ち運び可能だったことを前提にする。では、次に登場する黒い柱箱から、「ポスト」という呼び名が広まったのはなぜだろう。
3. 「ポスト」という 名は、黒い 箱から
3. 黒い柱の箱に書かれた「POST」が、名前になった
3. 明治5年の黒塗柱箱と「郵便ポスト」の呼称
つぎの 年、1872ねんには、東京の 町の中でも ゆうびんが はじまりました。このとき、黒い 柱の 形の 箱が おかれました[3]。
その 箱の 手紙を 入れる 口には、「POST」と 書かれて いました。ここから、「ゆうびんポスト」と よぶ ように なったと つたえられて います[3]。
この 黒い 角の 柱の 箱は、そのあと 長く 主な 形でした[8]。
4. 日本ばしに、ふしぎな ポストが 2つ
4. 日本橋の南北に置かれた、赤い鉄の試作ポスト
4. 1901年の日本橋の試作 ── 俵谷式と中村式
1901ねん、東京の 日本ばしの 北がわと 南がわに、ちがう 形の ポストが ためしに おかれました[4]。
北がわは たわらや たかしちさんが 考えた もの。南がわは なかむら こうじさんが 考えた ものです[4]。
これが、赤くて 丸い、てつの ポストの はじまりと されます[4]。手紙を 入れる 口は、くるっと まわる しくみで、「回てんしきポスト」と よばれました[4]。
5. 赤に きめた りゆうは、みじかい 一言
5. 赤に決めた理由は、一言しか伝わっていない
5. 1908年の規格化 ── 赤の選定理由と、研究者の推察
1908ねん、ポストは 鉄で できた まるい 形で、色は 赤と、正式に 決まりました[4]。
しらべた 人の 本に よると、赤に した りゆうは、「だれでも すぐ わかるように」と いう、みじかい 一言だけ、と いわれます[5]。ほかの りゆうは、はっきり しません。
この ころ、ポストを 作った 人が、ざっしに 話した ことが あります。「役所の ある 人から、これからは ポストが 赤くなると 聞いて、作った」と いう 話です[5]。その人は だれか。しらべて いる 人たちも、考えを のべる ところまでです。
1908年(明治41年)の公達で、ポストは鋳鉄製・円筒形・赤色と正式に定められました[4]。ところが、赤にした理由について、研究者の紹介によると、同じ年の逓信省年報にあるのは「誰でもすぐに認識できるように朱塗りにした」という程度の説明だとされます[5]。
手がかりは、俵谷高七の話にあります。俵谷は雑誌で、逓信省のある人から「これからポストが赤くなる」と聞いて作った、と語ったそうです。研究者は、その人物を郵便用品開発の責任者ではないかと推察していますが、これは推察で、決まった説ではありません[5]。
また、1908年を境に、全国のポストが一度に赤くなったわけでもありません。黒い木製のポストも、しばらく残りました[5]。
1908年(明治41年)の公達で、ポストの雛形は鋳鉄製・円筒形・赤色と定められた[4]。しかし、その色の理由を直接示す公式説明は薄い。二次資料(retropost.net)によれば、同年の逓信省年報は、誰でもすぐに認識できるよう朱塗りにした、という程度にとどまる[5]。
手がかりの1つは、俵谷高七が雑誌『交通』で「逓信省のさる方から今後ポストが赤くなると聞いて作った」と語った点で、研究者はその人物を、郵便用品開発の責任者だった樋畑雪湖ではないかと推察している[5]。ただしこれは推察にとどまる。
赤の背景を「英国にならった」「黒は夜に見えにくい」と説明する記述もあるが、いずれも二次資料の範囲にとどまる。また、1908年に全国が一斉に赤くなったわけではなく、黒い木製も当面残った[5]。
6. 丸い ポストは、いま どれくらい?
6. 古い丸型ポストは、いまも使われている
6. 現存する古いポストと、いまの本数
赤くて 丸い ポストは、むかしの ままの 形で、いまも 少し のこって います。2022ねんの ニュースでは、ぜんぶで 4千ぽんより 少し 多い、と つたえられました[7]。
この 丸い ポストは、1970ねんが さいごの せいぞうと いわれます[7]。ですから、50ねんより 長く 使われて きた ポストも あります。
あいちけんの とよかわいなりには、1912ねんの 形の ポストが、いまも 使われて いると つたえられます[6]。雨よけの ひさしと、手紙を ぬすまれない ための しかけが ついて います。
ポスト ぜんたいは、2021ねんの おわりで 17万6千ぽんほど、日本中に あります[2]。
丸型ポストは、1970年ごろに角型へ切り替わるまでつくられました[6]。2022年7月の報道では、日本郵便によると丸型は全体の約2.4%、約4千本あまりが使われているということです[7]。全国のポスト約17万6千本(2021年度末)のうち、約2.4%は約4,200本にあたります[2]。
現在も使われていると紹介されるなかで最も古いとされるのは、愛知県豊川市の豊川稲荷にある明治45年(1912年)型のポストです。戦前の金属製ポストの多くは回収されましたが、私設のポストだったため、使い続けられました。雨よけの庇や盗難防止の弁がついていて、いまの丸形ポストの原型とされます[6]。ただし、この「現役最古」は、ひとつのメディアの記述にもとづくものです。
ポストの本数は、郵政公社が発足した2002年度末の約18.6万本から、2021年度末の約17.6万本へ減りました。省令で、公社発足時の本数を維持し、各市町村や特別区にまんべんなく置くこととされています[2]。
丸型ポスト(郵便差出箱1号)は1949年に登場し、1970年に角型へ切り替わったとされる[6]。2022年7月の報道によれば、日本郵便の説明で丸型は全体の約2.4%、約4千本超が使われている[7]。2021年度末の全国のポスト数176,683本[2]の2.4%は約4,240本で、報道の数字と整合する。ただし報道時点の概数で、最新の本数は日本郵便の公表を確認する必要がある。
現在も使われていると紹介されるなかで最古とされるのは、愛知県豊川市の豊川稲荷にある明治45年(1912年)型のポストで、戦前の金属製ポストの多くが回収されるなか、私設のため使い続けられた。雨よけの庇と内部の盗難防止弁を備え、現在の丸形ポストの原型とされる[6]。一媒体の記述にもとづく「とされる」の範囲の情報である。
全国のポスト数は、郵政公社発足時(2002年度末)の約18.6万本から、2021年度末に約17.6万本となった。郵便法の省令は、公社発足時の本数を維持し、各市町村・特別区にまんべんなく設置し、公道上など目につきやすい場所に置くことを求めている[2]。
7. 近くの ポストを 見に 行って みよう
7. 身近なポストの形と色を見てみる
7. 出口 ── 近所のポストの形を見分け、資料に当たる
おうちの 人と いっしょに、近くの ポストを 見に 行って みましょう。道を わたる ときは、車に 気を つけて ください。
まるい 形ですか。しかくい 形ですか。てっぺんに 雨よけの ひさしは ありますか。手紙を 入れる 口は、どんな 形ですか。
丸い ポストを 見つけたら、1970ねんごろまでに 作られた ポストかも しれません[7]。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:郵政博物館の研究紀要、総務省の資料、日本郵便の特集、事典類、報道を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- 郵政博物館 研究紀要 第13号(2022)。https://www.postalmuseum.jp/publication/research/research_13_11.pdf (1871年の郵便創業、書状集箱の集荷方法、前島密と杉浦譲について)
- 総務省 郵政行政部 資料32-1(令和5年5月18日)。https://www.soumu.go.jp/main_content/000881091.pdf (創業時の郵便の特徴、書状集箱の形、ポストの本数と設置基準、24時間投函について)
- 郵政博物館 研究紀要 第5号(2014)表紙解説。https://www.postalmuseum.jp/publication/research/docs/research_05_00.pdf (黒塗柱箱と「郵便ポスト」の呼び名について)
- 日本郵便 切手・はがき 特集(2001年)。http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2001/0420/ (1901年の日本橋の試作、1908年の規格化、丸型ポストの原形について)
- retropost.net「赤いポスト」(小林正義『みんなの郵便文化史』2002を参照)。https://retropost.net/redpost/ (赤の理由の公式説明と研究者の推察について。二次資料)
- All About「現役最古は“100歳”超え?」。https://news.allabout.co.jp/articles/o/41229/ (丸型ポストの登場・切り替わり、現役最古のポストについて。報道)
- 神戸新聞(2022年7月)。https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202207/0015493529.shtml (丸型ポストの残り本数と製造終了の年について。報道)
- コトバンク「郵便ポスト」。https://kotobank.jp/word/郵便ポスト (白木の箱、黒い角柱形について。事典類で二次資料)
なおした ところ
更新履歴
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