1. 「おおみそか」の 名前に、月が かくれて いる
1. 「大晦日」という名前の中に、月が隠れている
1. 「晦日」と「つごもり」は、月末の夜を表す言葉
ふだんは 「おおみそか」と 読む この ことばには、ふしぎな いわれが あります。
むかしの こよみでは、月の さいごの 日を 「みそか」と よびました。「みそ」は 「三十」の ことです。だから「みそか」は、月の さいごの 日を さす ことばでした。その 年の さいごの みそかが、おおみそかです[1]。
もう ひとつ、「つごもり」という よび方も あります。「月が かくれる」という 意味の ことばが かわった ものと いわれます。むかしの こよみでは、新月の 日が 1日でした。だから 月の おわりは、月が ほとんど 見えない 夜に なります[2]。
月の ない まっくらな 夜に、むかしの 人は なにを して いたのでしょう。
「みそか」は三十日のこと
旧暦では、毎月の最後の日を「晦日(みそか)」といいました。その中で、年の最後にあたる12月の晦日が「大晦日」です。「みそ」はもともと「三十」を表し、「みそか」は三十日の意味だったとされます。月の大小があるので、実際には29日が晦日になる月もありました[1]。
もうひとつの名前「つごもり」
晦日には「つごもり」という別名もあり、大晦日を「大つごもり」とも呼びます。「月隠り(つきごもり)」が変化した言葉とされます。旧暦では新月の日が1日にあたるため、月末はほとんど月の見えない暗い時期になります[2]。
ただし、語源には「三十日」説と「月が見えない」説の両方が資料にあり、どちらか一つに決まっているわけではありません。月のない暗い夜に、昔の人は何を待っていたのでしょうか。
2. その よるは「1年の さいご」では なかった
2. 大晦日の夜は、じつはもう新年だった
2. 日没で日が改まる:年神を迎える「年籠り」
むかしは、お日さまが しずんだ ときに 「あたらしい 日」が はじまると 考えられて いました。だから おおみそかの よるは、1年の さいごの よるでは なく、あたらしい 年の はじまりでした[2]。
この よるに、「としがみさま」という 神さまが 家に 来ると かんがえられて いました。としがみさまは、その 年の 安全や、お米や 野さいが よく できる ことを 守る 神さまです。
人びとは 火を たいて、ねないで むかえました。これを 「としごもり」と いいます。「早く ねると、白い かみに なる」と いう はなしも ありました[1]。
おぞうにを おおみそかの 夜に 食べる 家が あるのも、この 考え方の なごりと いわれます。
日没で一日が変わる
古くは、日没が一日の区切りだと考えられていました。そのため、大晦日の夜は「一年の最後の夜」ではなく、新年の始まりにあたります[2]。大晦日の夜に雑煮などの正月の食事をとる家があるのも、この考え方の名残とされます[1]。
年神様を寝ずに迎える
年神様(歳神様)は、新しい年の安全や豊作をつかさどる神様で、夜になると各家に来ると信じられていました。人々は夜通し火を焚き、眠らずに迎えました。これを「年籠り(としごもり)」といいます[1]。
この夜に早く寝ると白髪になる、皺が寄る、という言い伝えもありました。この言い伝えの意味は、はっきり分かっていません。
では、大晦日の夜の音として、いま最初に思い浮かぶ「除夜の鐘」は、このころからあったのでしょうか。
古くは日没が一日の区切りとされたため、大晦日の日没以後はすでに新年に属した。大晦日の夜に雑煮など正月の食事をとる家があるのも、この考え方の名残と説明される[2][1]。
年神(歳神)は新しい年の安全と豊作をつかさどる神で、夜に各家へ来ると信じられた。人々は、年神を迎えるために一晩中起きて火を焚いた(年籠り)。この夜に早く寝ると白髪になる、皺が寄るといった俗信も伝わる[1]。つまり、寝ないことは我慢比べではなく、「迎える側の務め」と考えられていたことになる。
ただし、年籠りの様子や俗信は地域や家で異なり、一つの形にまとめられるものではない。それでは、いま大晦日の音の代表とされる除夜の鐘は、この夜と同じくらい古いのか。
3. 「じょやの かね」を 広めたのは ラジオだった
3. 除夜の鐘は寺の行事、広めたのはラジオ
3. 除夜の鐘:寺の行事から全国の風物詩へ
おおみそかの 夜に、おてらで 鳴らす 「じょやの 鐘」は、むかしから ある ものです。もとは 中国の おてらの しゅうかんだと いわれ、日本では 室町時代には、おおみそかから 元日の 行事に なったと いいます[4]。
ところが、みんなが 聞く ものに なったのは、ずっと あとの ことです。ラジオが はじまったあと、1927年の おおみそかに 鐘の 音が 放送されました。1930年代には、あちこちの おてらから 流す ように なり、日本中の 大みそかの 音に なりました[3]。
江戸の 町の 人たちは、おおみそかには 1年ぶんの おかねの しはらいで いそがしく、鐘を ゆっくり 聞く 時間は なかったと いわれます[3]。
鳴らす 回数は 108回の おてらが 多いです。どうして 108なのでしょう。じつは、まだ はっきり しません。
室町時代には年末の行事だった
除夜の鐘は、中国・宋の時代の禅宗寺院の習慣に由来するとされます。日本の禅寺でも鎌倉時代以降に倣って鐘をつき、室町時代には、大晦日から元旦にかけての行事になったといいます[4]。「除夜」は、旧年を除く夜という意味とされます[5]。
全国に広めたのは昭和のラジオ
ところが、神奈川大学の平山昇さんによると、除夜の鐘は明治時代には定着せず、忘れられた習慣になっていました。江戸から明治の都市の商人にとって、大晦日は一年分の支払いに追われる日で、鐘を聞く余裕がなかったといいます。広まったきっかけは、1925年に始まったラジオ放送です。1927年の大晦日に除夜の鐘が放送され、1930年代には各地からの中継で全国の風物詩になりました[3]。
平山さんは、初詣を形づくったのが鉄道なら、除夜の鐘はラジオだと説明しています。初詣が元日に集中したのも、1872年の鉄道開業と新暦への移行以降のことで、江戸時代までは信仰する寺社ごとに参拝する日がばらばらでした[3]。
なお、すべての寺で同じように行われているわけではありません。教えの考え方から行わない寺もあり、昼間に撞く寺や、中止する寺もあります[4]。
108回の理由は一つに決まっていない
鐘は多くの寺で108回つかれますが、その理由は複数の説があり、どれが正しいかは分かっていません。煩悩の数だとする説のほか、1年の月の数12、二十四節気の24、七十二候の72を足すと108になる、という説もあります[4]。
寺によっては、23時ごろから撞き始め、107回を旧年のうちに、残りの1回を新年になってから撞くところもあります[5]。
鐘の次に、大晦日の夜を代表する食べ物があります。年越しそばです。
除夜の鐘は、中国・宋代の禅宗寺院の習慣に由来するとされる。日本の禅寺でも鎌倉時代以降に倣って朝夕に鐘をついたが、室町時代には大晦日から元旦にかけての行事として欠かせないものになったという[4]。「除夜」は「夜を除(わ)ける」、すなわち旧年を除く夜の意とされる[5]。
では、この古い寺の行事が、なぜ「大晦日の風物詩」になったのか。神奈川大学の平山昇氏によれば、除夜の鐘は明治期には定着せず忘れられた習慣になっていた。江戸から明治の都市の商人にとって大晦日は一年分の支払いに追われる日で、鐘を聞く暮らしの余裕がなかったためである。転機は、1925年に始まったラジオ放送だった。1927年の大晦日に除夜の鐘が放送され、1930年代には各地の寺からの中継へと広がった[3]。平山氏は「初詣を作ったのが鉄道なら、除夜の鐘はラジオが作った」と表現している[3]。
初詣についても同様で、江戸時代までは信仰する寺社のその年初の縁日に参るなど日がまちまちだった。元日に集中したのは、1872年の鉄道開業と旧暦から新暦への移行を背景とする明治以降のこととされる[3]。年籠りという古い習わしと、初詣という新しい習慣を混ぜて語らないほうがよい。なお、初放送の様子は資料によって食いちがうため、ここでは「1927年の大晦日に放送された」までを事実として扱う。
鐘の数の108は、煩悩の数とされる説のほか、四苦八苦(4×9+8×9)、1年の12か月・二十四節気24・七十二候72の和(12+24+72)とする説などがあり、どれが正しいかは分かっていない[4]。23時ごろから撞き始め、107回を旧年のうちに、残る1回を新年になってから撞く寺もある(これは一部の寺の例で、時刻や回数は寺ごとに異なる)[5]。また、教えの考え方から実施しない寺や、高齢化・騒音苦情・夜道の安全から昼間に撞く、または中止する寺もある[4]。
鐘が「広まり方」の物語を持っていたとすれば、もう一つの定番である年越しそばには、どんな物語があるのか。
4. としこしそばは、毎月の そばから のこった?
4. 年越しそばは、毎月のそばが一つだけ残ったもの?
4. 晦日そばから年越しそばへ:由来の説と史料
としこしそばは、江戸時代には もう あったと 考えられて います。1814年に 出た 本には、12月31日に みんなが 「みそかそば」を 食べると 書いてあります[6]。
ゆうりょくな 説では、江戸時代の 中ごろの お店で、月の さいごの 日に そばを 食べる ならわしが ありました。毎月の ならわしは なくなり、1年の さいごの 日だけが 「としこしそば」として のこった、と いわれます[7]。
そばに こめられた 意味は、いくつも あります。「細く 長く 生きる」ことや、「切れやすいので、1年の 苦ろうを 切る」ことなどです。どれが はじまりかは、決まって いません[8]。
1814年の本に「晦日そば」
年越しそばは、江戸時代には定着していたようです。1814年(文化11年)の『大坂繁花風土記』には、12月31日に「晦日そば」として、皆がそば切りを食べるという記述があります[6]。
毎月の「晦日そば」が年に一度だけ残った
有力な説では、江戸時代中期の商家に、毎月末にそばを食べる「晦日そば(三十日そば)」の習慣がありました。この毎月の習慣はすたれ、年末の大晦日だけが「年越しそば」として残ったとされます[7]。当時のそばは、さっと食べられる手軽な食べ物でした。ただし、これは史料で完全に確かめられた話ではなく、有力な説です。
意味づけは、ひとつに決まらない
そばが細く長いから長寿を願う、切れやすいから一年の苦労や借金を断ち切る、金銀細工師がそば粉の団子で金粉を集めたから金運がつく。いくつもの説があり、どれが起源とは決まっていません[8]。「借金を断ち切る」は、一年分の支払いに追われた大晦日の暮らしに、よく合う説明です。
そうなると、食べ物はどこでも「そば」なのでしょうか。
年越しそばは江戸時代には定着していた。1814年(文化11年)刊『大坂繁花風土記』には、12月31日の項に「晦日そばとて、皆々そば切をくろふ」とあり、年越しに皆がそば切りを食べる様子が記されている[6]。
では、なぜ「晦日そば」と呼ばれたのか。有力な説は、江戸時代中期の商家に毎月末にそばを食べる「晦日そば(三十日そば)」の習慣があり、毎月の習慣は廃れて、年末の大晦日だけが「年越しそば」として残った、というものである[7]。当時のそばは屋台でさっと食べられる手軽な食べ物だった。これは史料で完全に実証された話ではなく、「有力な説」にとどまる点に注意したい。
意味づけには、細く長いから長寿、切れやすいから一年の苦労や借金を断ち切る、金銀細工師がそば粉団子で金粉を集めたから金運、鎌倉時代の博多・承天寺の「世直しそば」伝説など、複数の説がある。いずれも言い伝えや後の解釈で、起源が一つに確定しているとは言えない[8]。「借金を断ち切る」という説明は、江戸から明治の商人が大晦日に一年分の支払いに追われたこと[3]と無関係とは思えないが、資料にその因果が書かれているわけではない。
こうした由来が説であるなら、年越しの食べ物は全国で同じなのか。
5. うちの 年こしは、なにを 食べて いた?
5. 家ごとの年越しを、家族に聞いてみる
5. 家ごと・地域ごとの年越しと、確かめ方
年こしの 食べものは、ところによって ちがいます。かがわけんでは 「としこしうどん」を 食べる 家が あり、おきなわでは おきなわそばを 食べます。地方によっては、さけや いわしを 「年とりざかな」として 食べます[6]。
やってみよう:おうちの 人に 聞いて みましょう。「子どもの ころの おおみそかは、なにを 食べて、なんじごろ まで おきて いたの?」
おじいさんや おばあさんが 住んで いた ところの 食べものと くらべて みても、おもしろいです。
年越しの食べ物には、地域差があります。香川県では年越しうどんの習慣があり、沖縄県では沖縄そばを食べます。鮭や鰯などの「年取り魚」を、大晦日のごちそうにする地方もあります。ただし、同じ香川県の中でも、年越しはうどんと決まっているわけではなく、そばを食べる家も多いといわれます。食べ物の習わしは、県の単位できれいに分かれるものではありません[6]。
家族に聞いてみる
身近な人に、子どものころの大晦日の過ごし方を聞いてみると、地域や家の違いが見えてきます。何を食べたか、何時ごろまで起きていたか、鐘の音は聞こえたか。この記事で見たとおり、「当たり前」の中には、昔からのものと、ラジオなどで新しく広まったものが混ざっています。どちらが古いのかを、自分の家の話から考えてみてください。
年越しの食べ物には地域差がある。香川県では「年越しうどん」の習慣があるが、同じ県の中でも年越しにそばを食べる家は多いといわれ、食べ物の習わしは県単位できれいに分かれるものではない。沖縄県では沖縄そば、鮭や鰯などの「年取り魚」を年越しに食べる地方もある[6]。
この記事の主な出典は、百科事典(Wikipedia)と和樂web、J-CASTニュースの取材記事である。語源や年越しそばの起源は、二次資料にもとづく説明を「〜とされる」と書いた。さらに確かめるなら、日本国語大辞典などの辞典類、『年中行事辞典』(西角井正慶編、1958年)、江戸・明治の風俗を書いた史料に当たるとよい。
家族に子どものころの大晦日を聞き、食べ物や過ごし方を地域ごとに並べると、「古い習わし」「近代に広まった習慣」「その家だけの習慣」の区別が自分の手でつけられる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。語源や年越しそばの由来には、二次資料にもとづく説明が多く含まれます。
- Wikipedia「大晦日」 https://ja.wikipedia.org/wiki/大晦日 (晦日の意味、年神を迎える習わし)
- 和樂web「大晦日の夜は一年の最後の夜ではなく、新年の始まり」(彬子女王殿下) https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/182833/ (つごもりの語源、日没の区切り)
- J-CASTニュース「『初詣』『除夜の鐘』意外に歴史は浅かった」(平山昇氏取材) https://www.j-cast.com/2020/11/23398987.html (初詣・除夜の鐘が広まった経緯)
- Wikipedia「除夜の鐘」 https://ja.wikipedia.org/wiki/除夜の鐘 (起源、108回の諸説、寺による違い)
- 和樂web「除夜の鐘」 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/137261/ (「除夜」の意味、107回と1回)
- Wikipedia「年越し蕎麦」 https://ja.wikipedia.org/wiki/年越しそば (1814年の記述、地域差)
- All About ニュース 三浦康子「年越しそばの由来」 https://news.allabout.co.jp/articles/o/73622/ (晦日そばから年越しそばへ)
- 和樂web「年越しそばの由来」 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/232604/ (そばの意味づけの諸説)
なおした ところ
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