1. もとは 三つの べつべつの ぎょうじ
1. 三つの年齢に、三つの行事があった
1. 起源:髪置・袴着・帯解という三つの儀式
七五三は、もとは 三つの べつべつの おいわいだった、といわれます[1]。
三さいの 髪置は、むかしの お公家さんの 子が、かみの毛を のばし はじめる おいわいです[7]。
五さいの 袴着は、はじめて はかまを はく おいわい。七さいの 帯解は、きものの ひもを とって、はじめて 帯を しめる おいわいです[2]。
ぬぎ着の しかたが 大きく かわる とき、子どもの せいちょうを いわったのですね。
2. 千ねん いじょう まえの きろく
2. 平安時代の記録に残る袴着
2. 袴着の古い記録と、年齢・性別の変化
いちばん 古い ほうの きろくが のこって いるのは、五さいの 袴着の ほうです。へいあんの 時代、貴族の ぎょうじとして ありました[3]。
「げんじものがたり」にも、ひかるげんじが 三さいで はかまを はく ばめんが 出てきます[3]。
さいしょは、男の子も 女の子も、三さいから 七さいの あいだの すきな 年に して いたそうです。
江戸の ころに、五さいや 七さいで する ならわしに かわり、男の子の ぎしきに なった ところも あったそうです。日づけも だんだん、十一月十五日に きまったと いわれます[3]。
3. 江戸の 町で、ひとつに なった?
3. 江戸で一つの行事になった、と伝わる話
3. 江戸の都市化と、綱吉・徳松の伝承、呉服屋説
七五三が 今の すがたに なったのは、江戸の ころです。町が 大きく なり、お店が ふえて、はなやかな ならわしに なったと いわれます[4]。
「五代将軍の つなよしが、むすこの とくまつの 元気を、大きく いのった」という 話も つたわって います[1]。とくまつは 体が よわかったと いわれる 子です。
ほかに、きものを 売る お店が、三つの ぎょうじを ひとつに して 江戸で 広めた、という せつ明も あります[5]。
どちらも 本当かは、まだ はっきり しません。
綱吉と徳松の話
神社本庁は、五代将軍の綱吉が息子の徳松の健康を盛大に祈願したことから、それが庶民に広まったと説明しています[1]。
一六八一年(天和元年)の旧暦十一月十五日に、徳松の髪置の祝いが行われたことを前例とするとも伝えられます[4]。徳松は病弱で、五歳で亡くなりました。これは伝承で、七五三の起源と決まった話ではありません。
呉服屋の宣伝という説
江戸時代の中ごろから、商業の発達も背景に、都市部で今のような華やかな風習になり、京都・大坂にも広まって徐々に全国へ伝わったとされます[4]。
和樂webは、呉服屋が三つの行事を一つにまとめて江戸で宣伝したのが今の七五三の原型だ、と説明しています[5]。ただしこれは一つの記事の説明なので、「そういう説もある」と受けとめておくのがよさそうです。
神社本庁は、5代将軍徳川綱吉が息子の徳松の健康を盛大に祈願したことから、それが庶民に広まったと説明する[1]。天和元年(1681)旧暦11月15日の徳松の髪置祝いを前例とするとも伝えられる[4]。徳松は病弱で、1683年に5歳で亡くなった。ただしこれは「伝えられる」説であり、同時代の史料は確認していない。
江戸時代中頃から、商業の発達もあって都市部で現在のような華やかな風習となり、京都・大坂にも広まって徐々に全国へ広がった。明治の改暦以降は新暦11月15日に行う[4]。和樂webは、呉服屋がこの3つの行事を商業政策として1つにまとめ、江戸の町で宣伝したのが今の七五三の原型と説明するが[5]、単独の記事の説であり、断定できない。
4. どうして 十一月十五日なの?
4. 十一月十五日が選ばれた理由
4. 11月15日の由来:鬼宿日説と収穫感謝説
はっきりした 答えは、じつは 一つに きまって いません。でも、よく 言われる 考えが 二つ あります。
一つめは、むかしの こよみの 十五日は、おにが 出あるかない 日で、なにを しても よい 日と されて いたから、という 考えです[4]。
二つめは、むかしの こよみの 十一月は、こくもつの みのりを 神さまに ありがとうと 言う 月だったから、という 考えです。そのころの 満月の 日に、子どもの せいちょうも ありがとうと 言った、と いいます[5]。
5. ちとせあめは、七五三より 古い?
5. 千歳飴は、七五三より古いといわれる
5. 千歳飴の起源:七兵衛説・平野甚左衛門説・神田明神説
ちとせあめは、七五三よりも 古い おかしだと いわれます[6]。
江戸の あさくさで、あめ売りの 七兵衛が、赤と 白の 「千年あめ」を 売った、という 話が あります[6]。
ほかにも、おおさかの 人が 売った という 話や、神田みょうじんの 話も あり、いつ だれが はじめたのかは、はっきり しません。
飴売り七兵衛の千年飴
千歳飴の起源も、諸説あります。有名なのは、江戸浅草の飴売り七兵衛が、元禄・宝永のころ(一六八八〜一七一一年ごろ)に紅白の「千年飴」を売った、という説です。江戸後期の書物『還魂紙料』(一八二五年刊)に書かれていると紹介されています[6]。
ほかの説
一六一五年に大坂の平野甚左衛門が浅草寺で売った、とする説や、神田明神の話もあり、資料によって時期に幅があります[6]。
千歳飴は七五三より歴史が古いとされ、起源は諸説ある。江戸浅草の飴売り七兵衛が元禄・宝永期(1688〜1711)に紅白の「千年飴」を売ったとする説(『還魂紙料』1825年刊に記載)、1615年に大坂の平野甚左衛門が浅草寺で売ったとする説、神田明神説がある[6]。
年代は資料により幅があり、起源を一つに決められない。
6. みんなの 七五三に なるまで
6. 庶民に広まり、全国の行事になるまで
6. 明治以降の普及と、「七五三」の呼称の定着
むかしは、お医者さんの 力が 今ほど 強く なくて、小さな 子が 無事に そだつのは、今より たいへんな ことでした。「七つまでは神の内」と いう 考えが あったと 神社本庁は せつ明します[1]。
東京の まちの ふつうの 家に 広まったのは、明治に なってからと いわれます。晴れ着を きせて、ちとせあめを 買う ならわしが 根づきました[2]。
「七五三」という 名前が 定着して、日本じゅうに 広まったのは、戦後、1960年代、今から 六十年 いじょう 前の ことです[2]。
年れいは、むかしは 数え年です。生まれた ときを 一さいと かぞえます。今は、ふつうの 年れいで いわう 家も 多いです[5]。
祈りから広まりへ
神社本庁は、昔は医療が進んでおらず乳幼児の死亡率が高かったため、七五三の年齢まで育てるのは並大抵のことではなく、「七つまでは神の内」と考えられていたと説明しています[1]。七五三の背景には、無事に育ったことへの安堵と感謝があったようです。
庶民から全国へ
国立国会図書館の解説では、東京の都市部の庶民に広まったのは明治に入ってからで、子に晴着を着せ千歳飴を買う風習が根づきました。「七五三」という呼称が定着し、全国に浸透したのは第二次世界大戦以降、高度経済成長期の一九六〇年代のこととされています[2]。
数え年と満年齢
七五三の年齢は本来、生まれた年を一歳とし、正月ごとに一つ加える数え年でした。今は満年齢で祝う家庭も多く、同じ「七歳」でも一〜二歳ずれることがあります[5]。
自分でも しらべて みたく なったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
おうちの 人に、自分の 七五三の 写真が あるか、いつ、どこで したのか、きいて みましょう。「数え年で したの? 今の 年れいで したの?」と きくのも おもしろいです。
本や ホームページで 見るなら、神社本庁の 「七五三」の ページや、国立国会図書館の 「本の万華鏡」の コラムが、日本語で 読めます。
今日できること:家族に、自分や親の七五三の年齢と場所を聞いてみます。数え年か満年齢か、どんな服だったか、千歳飴をもらったかで、家ごとの違いが見えてきます。
公式情報:神社本庁「七五三」のページや、国立国会図書館「本の万華鏡」のコラムは、日本語で読めます。行事のやり方は神社や地域によって違うので、詳しくは近くの神社に確かめてください。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:神社本庁、国立国会図書館の解説を中心に、事典的な解説記事と和樂webなどの記事をつき合わせた。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- 神社本庁「七五三」。https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/shichigosan/ (由来の三つの儀式、綱吉と徳松の伝承、「七つまでは神の内」について)
- 国立国会図書館「本の万華鏡」コラム「七五三」。https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/31/column.html (公家から武家・商人・庶民への広まり、呼称の定着について)
- 着袴(Wikipedia)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9D%80%E8%A2%B4 (袴着の古い記録・年齢の変化について。原典は未確認)
- 七五三(Wikipedia)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E4%BA%94%E4%B8%89 (徳松の伝承、鬼宿日説、江戸中期以降の広まりについて)
- 和樂web「七五三とは」。https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/51256/ (呉服屋説、収穫感謝説、数え年について)
- 和樂web「千歳飴」。https://intojapanwaraku.com/rock/gourmet-rock/53523/ (千歳飴の起源の諸説について)
- きものレンタリエ「髪置の儀」。https://kimono-rentalier.jp/column/kimono/kamiokinogi/ (髪置の意味について)
なおした ところ
更新履歴
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