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おちゅうげんって、どうして おくりものの ことなの?

お中元の「中元」は、なぜ贈り物の名前になったのか:お盆の贈り物はどう広がったのか

「中元」はなぜ贈り物の名前になったのか:旧暦7月15日・盆礼・百貨店・改暦から見るお中元の成り立ち

分野:歴史・文化

おちゅうげんは、なつに おせわに なった ひとへ おくる おくりものです。ところが「ちゅうげん」という ことばは、むかしは おくりものの ことでは ありませんでした。ある日の なまえ だったのです。

では、ひづけの なまえが、どうして おくりものの ことに なったのでしょう。この メモでは、おぼんと、おみせの なつの うりだしと、暦こよみの かわりかたから、そのわけが わかります。

お中元といえば夏の贈り物ですが、「中元」という言葉は、もともと贈り物のことではありませんでした。中国の道教で、旧暦7月15日という日を指す名前だったのです。日付の名前が、なぜ贈り物の名前になったのでしょうか。

この記事では、お盆との重なり、盆礼という贈り物、夏の売り出し、暦の変更という4つの手がかりから、お中元の成り立ちと、贈る時期が地域でちがう理由が分かります。

「中元」は、本来は贈り物ではなく、陰暦7月15日という日を指す言葉だった。中国の道教に由来する名前が、日本では夏の贈答を指す言葉として残っている。なぜ日付の名前が、贈り物の名前に変わったのか。

この記事では、お盆との重なり、盆礼という先行する贈答、百貨店の夏の売り出し、明治の改暦という4つの要因から、お中元の成り立ちと、贈る時期が地域でちがう理由が分かる。ただし、贈答がいつ広まったかについては資料の説明が分かれる。その点も区別して扱う。

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1. ちゅうげんは、なんの なまえ だった?

1. 「中元」は、もとは贈り物ではなく日付の名前だった

1. 「中元」はもともと、道教の三元の一つである日付の名前だった

むかし ちゅうごくに、1年に 3回 とくべつな 日が ありました。1月15日、7月15日、10月15日の 3つで、「さんげん」と よばれました。

この 3つの うち、7月15日の ことを「ちゅうげん」と いいました。いまの カレンダーとは ちがう、むかしの 暦こよみの 日づけです。

この 日は、ひとの つみを ゆるして くれる かみさまの たんじょう日と されていました。おくりものを する 日では なく、「ゆるしの 日」だったのです。

お中元の「中元」という言葉は、中国の道教に由来します。道教には、1年に3回の大切な日があるとされ、旧暦1月15日の上元、7月15日の中元、10月15日の下元を、あわせて三元と呼びました。[1]

三つのうち中元は、人の罪を許してくれる「地官」という神様の誕生日とされた日です。贈り物を交わす日ではなく、罪を許してもらう日という意味合いが、もとの姿でした。[1]

この言葉は中国から日本に入り、日本でも最初は、旧暦7月15日という日そのものを指していたと説明されています。[2]では、日付の名前が、どうして贈り物の名前になったのでしょうか。

お中元という贈答の名前に使われる「中元」は、もとをたどると、中国の道教の三元の一つを指す。三元とは、旧暦(陰暦)1月15日の上元、7月15日の中元、10月15日の下元の総称である。[1]

道教では、この三つの日にそれぞれ神を割り当てた。中元は、人の罪を許す地官の誕生日とみなされた。つまり本来の中元は、贈答とは無関係の、罪の許しにかかわる日の名前だった。[1]

この言葉は中国から日本に伝わり、日本でも当初は旧暦7月15日という日を指した。[2]ところが現在の日本では、「お中元」といえば夏の贈り物をいう。日付の名前が贈答の名前へ移る過程には、別の習俗が関わっている。次の節ではそれを見る。

2. おぼんと かさなって、どう なった?

2. 日付の名前が、お盆の「盆礼」と結びついた

2. 中元はお盆と同じ日に重なり、盆礼の習俗と結びついた

おなじ 7月15日ごろは、にほんでは おぼんの じきでした。おぼんは、なくなった ごせんぞさまを おむかえする ぎょうじです。

そこで ちゅうげんの 日が にほんの おぼんと かさなって、ふたつの ぎょうじが むすびついた、と いわれます。

おぼんの まえには、ふだん おせわに なって いる 人の うちへ、しなものを おくる ならわしも ありました。これを「ぼんれい」と いいます。

この ならわしと ちゅうげんの 日が かさなって、「ちゅうげんに おくりものを する」という かたちに つながって いった、と せつめいされています。

日本では、旧暦7月15日は、お盆(盂蘭盆会)の中心の日でした。中国から入ってきた中元と、日本のお盆が同じ日に重なり、二つの行事が結びついたと説明されます。世界大百科事典は、仏教が伝わったあと、盂蘭盆会と混同されたと記しています。[1][2]

もう一つの手がかりが、盆礼です。盆礼とは、お盆の前に、日ごろ世話になっている家へ品物を贈ることで、盆見舞いとも呼ばれます。[3]

盆礼はもとは親族どうしの供物のやりとりでしたが、人づきあいが広がるにつれて、親類や知人の家を訪ねて贈り物をする形に変わっていったとされます。[1]中元という日付に、盆礼という贈る習わしが重なった、というのが説明の筋道です。

贈り物の中身は、古くは米や麺などだったと紹介されています。[4]

旧暦7月15日は、日本ではお盆(盂蘭盆会)の中心の日でもあった。中国から入った中元は、この日がお盆と重なったために、二つの行事が結びついた。世界大百科事典は、仏教伝来後に盂蘭盆会と混同されたと記す。[1][2]

もう一方の要素が盆礼である。デジタル大辞泉は盆礼を「盆前に日ごろ世話になっている家に見舞いの品を贈ること」と説明し、国語辞典は「盂蘭盆に行なう贈答」と記す。[3]つまり、お盆の前に贈り物をする習慣は、中元の名前が結びつく以前から、お盆の行事として存在したことになる。

日本大百科全書によれば、盆礼は親族間の供物のやりとりから出発し、交際範囲が広がるにつれて、親類・知人を訪ねる贈答へ変わった。[1]このとき、盆礼がお盆の日付である中元と結びついたことが、「中元」を贈答の名前として使う素地になったと考えられる。

贈る品は、古くは米や麺類だったと紹介される。江戸時代にはそうめんが高級品で、将軍や宮廷にも献上されたという。[4]ただし、そうめんが夏の贈り物の定番になった理由までは、この資料では説明されていない。

3. おくりものは、いつから みんなの ならわしに?

3. お中元が広まったのは江戸時代か、明治の百貨店か

3. 贈答が庶民に広がった時期には、江戸時代説と明治30年代説がある

いつから みんなが おちゅうげんを おくるように なったのか、せつは ふたつ あります。

ひとつは、江戸えどじだいに さかんに なった、という せつです。もうひとつは、明治めいじの おわりごろに、デパートが ひろげた、という せつです。

めいじの おわりごろに ひろまったという せつでは、デパートの なつの おおうりだしも えいきょうした、と いわれます。

江戸えどとうきょう博物館はくぶつかんの きろくには、しょうわの はじめごろの「ちゅうげん おおうりだし」の ちらしが のこって います。

お中元が「みんなの習慣」になったのは、いつなのでしょうか。資料の説明は、一つに定まっていません。

日本大百科全書は、中元の贈答が江戸時代に盛んに行われたと記しています。一方、世界大百科事典は、贈り物としての中元が盆礼や八朔の贈答といった既存の習慣と融合して、近代に慣習化したと説明し、一説には明治30年代といわれるとします。[1]

八朔は旧暦8月1日で、この日に目上の人へ贈り物をする風習が、鎌倉時代以前にさかのぼるとされます。農村では、初めて実った稲穂を恩人に贈って感謝を表しました。[5]贈り物で感謝を伝える土台は、お盆より前から日本にあったことになります。

明治30年代に広まったという説では、百貨店の夏の大売出しが影響したとされます。夏の売り上げを補うために大売出しをした、という紹介もあります。[1][4]

江戸東京博物館のアーカイブには、昭和前期の「中元大売出し広告ちらし」が、東京の商店の広告を集めたスクラップ集の一枚として残っています。[8]商店が夏に「中元」の名で売り出していた様子を、実物から思い浮かべられます。

庶民にまで贈答が広がった時期については、資料の説明が分かれる。日本大百科全書は、中元の贈答が江戸時代に盛んに行われたと記す。これに対して世界大百科事典は、贈り物としての中元は盆礼や八朔の贈答などの既存の習俗と融合して近代に慣習化したとし、一説に明治30年代という。[1]資料によって、いつの時代の贈答を指すかが異なっている。

八朔は旧暦8月1日で、目上の人に贈り物をする風習が鎌倉時代以前にさかのぼるとされる。農村では初穂を恩人に贈る「たのみの節」として感謝を表した。[5]お盆の贈答に先立つ、感謝を物で表す習慣の一つである。

明治30年代説で重視されるのは、百貨店の役割である。夏の売り上げを補うために百貨店などが大売出しを行ったという紹介もあり、庶民の間でも毎年夏に贈る習慣が広まる一因になったと言われる。世界大百科事典も、大売出しをする百貨店等の商業主義が深く影響したと記す。[1][4]

実物の例として、江戸東京博物館のアーカイブには、昭和前期の「中元大売出し広告ちらし」(雷門履物同志会)が収められている。東京の商店の広告を集めたスクラップ集の一点で、このちらしからは、商店が夏に「中元」を掲げて売り出した一例が分かる。[8]

4. おくる じきが ちほうで ちがうのは なぜ?

4. 明治の改暦でお盆の日付が分かれ、贈る時期も地域で変わった

4. 1872年の改暦でお盆の日付が分かれ、贈る時期にも地域差が生まれた

おちゅうげんを おくる じきは、ところに よって ちがいます。かんとうでは 7月のはじめから 15日ごろ、きゅうしゅうでは 8月1日から 15日ごろが めやすと いわれます。

どうして ちがうのでしょう。それは、おぼんの 日が ところに よって ちがうからです。

むかしは 旧暦きゅうれきの 7月15日ごろに おぼんを しました。ところが 明治めいじ5ねん(1872ねん)の 12月に、暦こよみが いまの 新暦しんれきに かわりました。

かいれきの あと、新暦しんれきの 7月に おぼんを する ところの ほか、のうぎょうの じきなどの わけで、ひと月 おそい 8月や、きゅうれきのまま おぼんを する ところも あります。

お中元を贈る時期は、地域によって目安がちがいます。東北・関東は7月初旬から15日ごろ、北海道は7月中旬から8月15日ごろ、九州は8月1日から15日ごろ、沖縄は旧暦の7月15日が一般的だとされています。[7]

この差の背景に、お盆の日付の分かれ方があります。お盆はもともと旧暦7月15日を中心に行われていました。ところが1872年12月、日本は旧暦(陰暦)から新暦(陽暦)に暦を切り替えました。[6]

改暦のあと、新暦の7月にお盆をする地域のほか、農作業の時期などの事情から、ひと月遅らせた8月13日〜16日(月遅れ)や、旧暦のままお盆をする地域もあります。こうして、新暦の7月、月遅れの8月、旧暦という3つの時期にお盆が分かれました。[6]

お盆に合わせて贈る品も、地域のお盆の時期に合わせて、贈る時期がずれたと考えられます。日付の名前だった中元が、暦の変更を通して、地域ごとに別の日付で受け継がれた形です。

お中元を贈る時期の目安は、地域によってちがう。東北・関東は7月初旬〜15日、北海道は7月中旬〜8月15日、九州は8月1日〜15日、沖縄は旧暦7月15日が一般的とされる。[7]関西の目安は資料によって異なり、一つに定まらない。

この差には、お盆の日付が地域ごとに分かれていることが関係すると考えられる。お盆はもと旧暦7月15日を中心に行われていたが、1872年12月に日本は陰暦から陽暦へ暦を改めた。[6]

改暦後は、新暦7月にお盆を行う地域のほか、農作業の時期などの事情から、ひと月遅らせた8月13〜16日(月遅れ)や旧暦で行う地域もあり、新暦、月遅れ、旧暦の3つの時期に分かれた。[6]

贈答の習慣は盆礼と結びついていたので、お盆の時期が地域ごとに分かれれば、それに合わせて贈る時期も分かれる。ただし、お盆の日付と贈る時期の対応は、各地の目安を並べた商業記事に基づく推定で、すべての地域に当てはまるとは限らない。日付の名前だった「中元」は、改暦を挟んで、地域ごとに別の日付で受け継がれたことになる。

5. うちの おくりものと おぼんの 日を きいて みよう

5. わが家のお盆と贈り物を聞き取ってみる

5. わが家と地域のお盆の日付を手がかりに調べる

きいて みよう

おうちの 人に「おぼんは いつ?」と きいて みましょう。7月か、8月か、旧暦きゅうれきか、わかったら メモを します。

かぞくの なかに、すんでいる ばしょや おぼんの じきが ちがう 人が いたら、くらべて みましょう。いなければ、下の カレンダーで くらべます。

しらべる とき

旧暦きゅうれきが のっている カレンダーで、ことしの 旧暦きゅうれき7月15日が、いまの どの 日に あたるか さがして みましょう。

家で聞いてみること

家の人に、お盆をいつ迎えるか、お中元を贈ったり受け取ったりする時期はいつかを聞いてみます。祖父母の住む地域の時期も聞いて、日付を並べて書くと、地域差を自分の家で見つけられます。

カレンダーで調べること

旧暦が載っているカレンダーで、今年の旧暦7月15日が、同じ年の新暦のいつにあたるかを探します。お盆の3つの時期のうち、どれに近いかを見比べてみます。

資料を読むなら

コトバンクの「中元」「盆礼」に、辞典ごとの説明が並んでいます。贈答が広まった時期の説明が辞典で分かれている点は、読み比べると気づけます。

家と地域で確かめること

家族に、自分の家でお盆をいつ迎えるか、お中元を贈る時期はいつかを聞く。祖父母の住む地域の時期も聞き、新暦7月・月遅れの8月・旧暦のどれに当たるかを調べると、改暦による分かれ方が身近な例で確かめられる。

資料の読み方

コトバンクの「中元」では、日本大百科全書と世界大百科事典の説明を並べて読める。贈答が広まった時期の説明が、「江戸時代に盛ん」と「近代に慣習化、一説に明治30年代」に分かれる点を、本文と比べて確かめられる。八朔については、文化庁の「祭りの名」の解説が出発点になる。手元に古い広告ちらしや今年のお中元のカタログがあれば、載っている品物を比べてみるのもよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

お中元の成り立ちを、辞典・文化庁・博物館アーカイブなど複数の資料から突き合わせました。辞典の要約や商業記事も含むため、年代の説明は「一説」として扱っています。

  1. コトバンク「中元」(日本大百科全書・世界大百科事典ほか). https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%85%83 (三元と中元の由来・贈答の広まり)
  2. Japanese Culture「中元」. https://japanese-culture.info/keywords/season/chugen (中元の語が日本に入った経緯)
  3. コトバンク「盆礼」(デジタル大辞泉ほか). https://kotobank.jp/word/%E7%9B%86%E7%A4%BC (盆礼の意味)
  4. Fun! Japan「お中元の由来」. https://fun-japan.jp/jp/articles/12597 (百貨店の夏の売り出し・贈り物の品)
  5. 文化庁「祭りの名」(八朔). https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/matsuri/matsuri_018.html (八朔の贈り物の風習)
  6. imidas 歴行事「お盆」. https://imidas.jp/rekigyoji/detail/L-55-007-07-08-G222.html (改暦とお盆の時期の分かれ方)
  7. hugkum「お中元はいつ贈る?」. https://hugkum.sho.jp/499302 (地域ごとの贈る時期の目安)
  8. 江戸東京博物館アーカイブ「中元大売出し広告ちらし」. https://www.edohakuarchives.jp/detail-155104.html (昭和前期の中元大売出しのちらし)

なおした ところ

更新履歴

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