1. かえって くるのに、なぜ 目印の 火が いるの?
1. 帰ってくる先祖に、なぜ火の目印がいるのか
1. 迎え火は何のためにたくのか:帰り道の目印という説明
おぼんの 夕がた、家の 入口や 庭で、小さな 火を たく 家が あります。この 火を 迎え火と いいます。
おぼんは、ごせんぞの たましいが 家に かえって くると 考えられて きた 行事です。そこで、「ここが わたしたちの 家ですよ」と しらせる ために、火を たきます。まよわずに かえれるように する 目印だと、せつめい されて います。
夜道で、あかるい まどの 家は 見つけやすいですね。それと 少し にた 気もちかも しれません。ただし、これは わかりやすく した たとえです。
お盆の夕方、玄関先や庭先で、小さな火をたく家があります。これが迎え火です。辞書では、盂蘭盆に入る夕方に門前などで麻幹をたき、精霊(先祖の霊)を迎える火と説明されています[1]。
火をたく意味は、先祖の霊が迷わず家に帰れるようにするための目印、と説明されるのが一般的です[2]。帰ってくる側にとっては、暗くなる夕方に、わが家の入り口が分かる灯りになる、という考え方です。
夜道を歩いて帰るとき、遠くにともる灯りを見つけるとほっとします。迎え火は、それに少し似た心づかいなのかもしれません。ただし、これは分かりやすくするためのたとえです。「目印」は、現在の解説で広く使われる説明であって、迎え火がそういう目的で始まった証拠までは、取り上げた資料に書かれていません。
では、その火は、どんなものを、どうやってたくのでしょうか。
迎え火は、盂蘭盆に入る夕方、門前などで麻幹(おがら)をたいて精霊を迎える火である。盆の入りの日は、一般に7月13日、または月遅れの8月13日とされる[1]。
この火の意味は、解説書やウェブ解説では、先祖の霊が迷わず家に帰れるようにする目印、と説明される[2]。帰ってくる側から見れば、日が落ちる夕方に、わが家の入り口を知らせる灯りになる、という理屈である。
ただし、この「目印」は現在の一般的な説明であり、迎え火の起源を示す記録の引用ではない。取り上げた資料には、迎え火が最初にいつ、どこで始まったかを述べた記述がなく、「目印のために始まった」とは書けない。説明の筋は通っていても、始まりについては、分かっていることと分かっていないことを分けておく必要がある。
では、その火は実際にどんな道具を使い、どうたくのか。
2. なにを もやすの? 麻幹って なに?
2. 麻の茎を素焼きの皿でたく火
2. 麻幹を焙烙でたく:材料と場所、日付が地域でちがう理由
迎え火に つかう ものは、麻幹と いう、麻の くきの かわを はいだ ものです。焙烙と いう、すやきの 平らな 皿の 上に、おって つみ重ね、火を つけて もやします[2]。
どうして 麻幹なのでしょう。「麻は むかしから、神さまの ぎょうじに つかわれる きれいな 草だから」と いわれます。また、火が つきやすく、中が からっぽで、もえ残りが 少ないので あとかたづけも らくだ、とも いわれます[5]。ただし、これらは ふつうの かいせつで、本当の りゆうだと きまった わけでは ありません。
火を たく 日は、地いきで ちがいます。13日の 夕がたに むかえるのが ふつうです。本当は 旧暦の 7月ですが、今は 8月に おこなう 地いきが 多く、東京などでは 7月に する ところも あります[7]。
家の 都合で 火が たけない ときは、おぼんの 提灯の あかりで かわりに する、という せつめいも あります。
迎え火に使うのは、麻の茎の皮をはいだ麻幹です。焙烙という素焼きの平たい皿の上に、折って積み重ね、火をつけて燃やします[2]。麻幹は、乾いた細い棒なので、ぱちぱちと軽く燃えて、すぐに終わります。
なぜ麻幹なのかについては、いくつかの説明が見られます。麻は神事に使われる清浄な植物とされ、祓いの力が信じられたことと、火がつきやすく、芯が空洞で燃え残りが少なく、後始末が楽なこと、です[5]。ただし、これらは民間の解説に書かれた理由で、どれが本当の理由かは、取り上げた資料からは決められません。
火をたく日付も、一つではありません。13日の夕方に迎えて16日に送るのが一般的ですが、15日の夕方に送る説明もあります。本来は旧暦7月で、明治の改暦後は、多くの地域が一か月遅れの8月に行い、東京など新暦の7月に行う地域もあります[7]。家で火がたけないときは、盆提灯の灯りで代えるという説明もあります[7]。
形は変わっても、迎える気持ちは変わらないようです。では、この火は、いつから行われてきたのでしょうか。
迎え火には、麻の茎の皮をはいだ麻幹を使い、焙烙という素焼きの平皿に折って積み、火をつけて燃やす[2]。乾いた細い茎なので、火は軽く立って短時間で終わる。
麻幹が選ばれる理由は、民間の解説で2つ挙げられる。麻が神事に使われる清浄な植物で、祓いの力が信じられたこと。そして、火がつきやすく、芯が空洞で燃え残りが少なく、後始末が楽なことである[5]。ただしこれは一次資料による裏づけがなく、複数の理由が後づけで重ねられた可能性も残る。そのため「といわれる」にとどめる。
日付は地域でちがう。13日の夕方に迎え、16日に送るのが一般的だが、15日の夕方に送る説明もある。本来は旧暦7月で、明治の改暦で暦が変わったため、多くの地域は一か月遅れの8月、東京など新暦7月に行う地域もある[7]。送り火の日が「15日とも16日とも」説明されるのは、この地域差のためで、どちらか一方に決め打ちはできない。家で火がたけない場合は、盆提灯の灯りで代える説明もある。
こうして火のたき方と日付は、地域や暮らしに合わせて変わってきた。では、この火の元になった「帰ってくる」という考えは、どこから来たのか。
3. おぼんの 火は、いつから あるの?
3. お盆と迎え火は、いつごろから結びついたのか
3. 先祖の霊の信仰と盂蘭盆会が結びつく:記録に迎え火が出てこない理由
おぼんは、二つの ものが かさなって できた 行事だと いわれて います。一つは、むかしの 日本人が もって いた「ごせんぞの たましいは、あの世から もどって、また かえって いく」と いう 考え方。もう 一つは、お寺の 盂蘭盆会です[3]。
盂蘭盆会は、目連と いう 人が、くるしんで いる お母さんを たすけたいと 思って、おそなえを した 話に もとづく と いわれます[3]。
日本の 古い 記録には、606年に 7月15日の ぎょうじが あり、657年には 盂蘭盆会を ひらいた と 書かれて います。でも、この 記録には、迎え火の ことは 出て きません。迎え火が、いつ どこで はじまったのかは、しりょうからは わかりません。
お盆は、先祖の霊があの世から戻り、また帰っていくという日本古来の信仰と、仏教の盂蘭盆会が結びついた行事とされます。お盆の中心は先祖を祭ることにあり、農耕の儀礼や、先祖の霊への信仰の中に、仏教がとけこんで広まったと説明されます[3]。
盂蘭盆会の由来は、目連が、苦しみの世界に落ちた母を救おうとして供養をした故事にあるとされます。近年は、言葉のもとを、イランの系統の「死者の霊魂」を意味する語に求める説もあります[3]。
日本の記録では、606年(推古14年)に7月15日の斎会があり、657年(斉明3年)には、飛鳥寺の西に須弥山の像をつくって盂蘭盆会を設けた、と伝えられています[3]。しかし、これらの記録に迎え火は出てきません。迎え火がいつ、どこで始まったのかは、取り上げた資料からは分かりません。お盆に先祖を迎えるという考えが先にあって、火の目印は、あとから形をとったのかもしれませんが、それを示す資料もありません。
始まりが分からなくても、火には、もう一つ大切な役目があります。迎えた先祖は、お盆が終わったら、どうなるのでしょうか。
お盆は、先祖の霊があの世から戻り、また帰っていくという日本古来の信仰と、仏教の盂蘭盆会が結びついた行事とされる。農耕儀礼や祖霊信仰の中に仏教がとけこんで広まった、という説明もあり、盆行事の本質は先祖の祭祀にある[3]。
盂蘭盆会の由来は、目連が、餓鬼道に落ちた母を救おうとして供養した故事とされる。近年は、語源をイラン系の「死者の霊魂」を意味する語に求める説もある[3]。
日本の記録では、606年(推古14)に7月15日の斎会があり、657年(斉明3)には、飛鳥寺の西に須弥山の像をつくって盂蘭盆会を設けた、とある[3]。注意したいのは、これらが「お盆の行事そのもの」の記録であり、迎え火への言及がないことだ。ここから「迎え火は当時なかった」と言うこともできないし、「あった」と言うこともできない。記録に出ないことと、行われなかったことは別だからである。迎え火の起源は、取り上げた資料からは決められない。
起源は分からなくても、火が「迎える」だけで終わらないことは、はっきり分かる。次に、お盆の終わりに目を向ける。
4. かえりにも 火を たくの?
4. 迎えた先祖を、どうやって送るのか
4. 送り火は迎え火と対になる:火にのって帰るという考え
おぼんが おわると、こんどは 送り火を たきます。16日の 夕がたが ふつうですが、15日と いう 説明も あります。
送り火は、家の 前や、川、うみの そばで たきます。「この 火に のって、ごせんぞが あの世へ かえる」と 考えられて きました[4]。
むかえる 火と、おくる 火。二つの 火が、おぼんの はじまりと おわりを つないで います。
お盆が終わるころには、送り火をたきます。盂蘭盆会が終わって精霊を送るときに、門前や川、海辺などでたく火で、「この火にのって先祖があの世へ帰る」と考えられました。迎え火と対になる火です[4]。
日付は迎え火と同じように地域で差があり、16日とするところも、15日の夕方とするところもあります[7]。決まった日があるというより、迎えた日から数えて、数日後に帰ってもらう、という考えが基本のようです。
迎え火は、帰り道を照らす火でした。送り火は、あの世への道を行く火だと、考えられたのです。火は、行きと帰りの両側に置かれ、お盆という数日間を、火の始まりと終わりで包んでいます。では、この火を、家だけでなく町全体でたくと、どうなるのでしょうか。
送り火は、盂蘭盆会が終わって精霊を送るとき、門前や川、海辺などでたく火で、「この火にのって先祖があの世へ帰る」と考えられた。迎え火と対になる火である[4]。
日付は、地域で異なる。13日に迎えて16日に送るのが一般的だが、15日の夕方に送る説明もある[7]。これも、旧暦から新暦への移行や、月遅れの暦の採用が重なった結果とみられるが、資料から地域ごとの経緯までは言えない。
ここで注目すべきは、迎え火が「迎える」ためだけにあるのではなく、送り火と組になって、お盆の始まりと終わりに置かれている点だ。同じ種類の火が、時間の両端にあるため、お盆という期間が「先祖が家にいる間」として区切られる。
送り火は家ごとに行うことが多いが、村ぐるみでたくところもある。家の火は、どこまで広がるのか。
5. 家の 火が、山の 火に なる の?
5. 家の火が山の火になる:大文字と、春の山の火
5. 共同体の火へ:五山送り火と、秋田の万灯火
送り火は、家ごとに たくことが 多いのですが、村ぜんたいで、小高い 山の 上や 川原で たく ところも あります[4]。
きょうとの 大文字は、おぼんの 送り火の なごりだと いわれて います。村や 町の みんなで、ごせんぞを おくる 火だと 考えられます[4]。
きょうとでは、8月16日の よるに、5つの 山で 火が ともります。「大」、「妙」と「法」、ふねの 形、「左大文字」、とりいの 形です。これを 五山送り火と いいます。それぞれの 山の 火は、30分ぐらいで きえます[6]。
あきた県には、春の 彼岸に 山で 火を たく 行事も あります。これは おぼんでは ありませんが、ごせんぞを むかえる 火の なかまです[8]。
送り火は家ごとにたくことが多いのですが、村ぐるみで小高い山の頂や川原でたく所もあります。京都東山の大文字は、盆の送り火の名残で、共同体全体で精霊を送ることを表している、とされます[4]。
京都の五山送り火は、8月16日の夜に、東山(大)、松ケ崎(妙・法)、西賀茂(船形)、大北山(左大文字)、嵯峨(鳥居形)の5か所で点火されます。お盆の精霊を送る伝統行事で、5つとも京都市登録無形民俗文化財です。点火は、山ごとに約30分とされます[6]。五山送り火の起源は、取り上げた資料では確かめられません。
迎える火の仲間は、春にもあります。秋田県北秋田市の合川地区などの「万灯火(まとび)」は、春彼岸の中日(3月21日)の夜、墓地や山の尾根、沢、川原にたいまつをともして、祖先の霊を迎える行事です。もとは、墓の前でワラを燃やして供養していたものが、霊を迎える目印として、小高い丘で、集落の戸数分のワラ束を燃やすようになったと伝わります[8]。お盆の迎え火ではなく、春彼岸の例ですが、「迎えるための火を、みんなで高い所にともす」ところが、よく似ています。
家の玄関先でたく迎え火も、山にともす送り火も、先祖に向けてともす火という点では同じ流れにあります。万灯火の「戸数分のワラ束」は、家ごとの火が集まって山の火になる姿、と見ることもできます。
送り火は家ごとに行うことが多いが、村ぐるみで小高い山の頂や川原でたくところもある。京都東山の大文字は、盆の送り火の名残であり、共同体全体で精霊を送ることを表すとされる[4]。
京都の五山送り火は、8月16日夜に、東山(大)、松ケ崎(妙・法)、西賀茂(船形)、大北山(左大文字)、嵯峨(鳥居形)で点火される。お盆の精霊を送る行事で、5つはいずれも京都市登録無形民俗文化財である。各山の点火は約30分とされる[6]。ただし、五山送り火の起源は、取り上げた資料では確定できない。一般向けの解説には室町時代以降に定着したとする説明が見られるが、ここでは断定を避ける。
迎える側の火が山にともる例が、春にもある。秋田県北秋田市の合川地区などの「万灯火」は、春彼岸の中日(3月21日)の夜、墓地や山の尾根・沢・川原にたいまつをともして祖先の霊を迎える行事である。もとは墓前でワラを燃やして供養していたが、霊を迎える目印として、小高い丘で集落の戸数分のワラ束を燃やすようになったと伝わる[8]。これは春彼岸の例で、お盆の迎え火とは別の行事だが、「迎える目印の火」と「共同体でたく火」という2つの性格が重なる。
家ごとの迎え火と、集落の戸数分のワラ束を燃やす万灯火は、どちらも先祖を迎える火である。後者を「家ごとの火が集まって山の火になった姿」と見ることもできるが、これは資料から直接言えることではなく、筆者の読み取りである。
6. じぶんの 町の 火を、さがして みよう
6. 自分の町の「迎える火」を探す
6. 家の火から、町の火へ:調べる手がかり
おうちの人に きいて みよう
おうちで、おぼんに 火を たいたり、提灯を ともしたり しますか。いつ ごろ、どんな ふうにするのか、おうちの 人に きいて みましょう。
火を つかう とき
火を つかう ときは、かならず おとなと いっしょに しましょう。じぶんだけでは、火を つけません。
しらべて みよう
じぶんの 町や、おじいさん・おばあさんの 町に、山や 川原で たく 火の ぎょうじは ありますか。図書館や 市の ホームページで、さがして みましょう。
家の人に聞く
お盆の時期に、家や親戚の家で、火をたいたり、盆提灯をともしたりするか、聞いてみましょう。やり方や日付が、家や地域でちがうかもしれません。それは、資料にあった「日付は地域でちがう」ことの実例になります。
町の行事を探す
自分の住む町や、祖父母の町に、山や川原で火をたく行事があるか、図書館や市区町村の公式サイトで探してみましょう。「送り火」「迎え火」「彼岸」などの言葉で調べると、見つかることがあります。
安全のこと
火を使うときは、必ず大人といっしょに行います。風の強い日や、燃えやすい物のそばでは、火を使いません。
資料を読むなら
身近で確かめる
自宅や親族の家で、お盆に火をたくか、盆提灯をともすかを聞き、日付と方法を書きとめる。第2章で見たとおり、日付と方法は地域で異なる。自分の見聞が、その実例になる。火を使う場合は、大人と一緒に、風の弱い日に、燃えにくい場所で行う。
地域の行事と資料
自分の町や祖父母の町に、山や川原で火をたく行事があるかを、自治体の公式サイトや図書館で探す。迎え火の定義は[1]、やり方の説明は[2]、お盆の成り立ちは[3]、送り火は[4]、五山送り火は[6]、日付の地域差は[7]、万灯火は北秋田市の公式ページ[8]にある。迎え火の起源と麻幹の理由は、取り上げた資料からは決められないため、民俗学の専門書や博物館の資料に当たる余地が残っている。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- コトバンク「迎え火」(デジタル大辞泉・ブリタニカ国際大百科事典・日本大百科全書). https://kotobank.jp/word/迎え火-1180436 (迎え火の定義)
- All About「迎え火・送り火のやり方」. https://allabout.co.jp/gm/gc/71943 (目印という説明、麻幹と焙烙)
- コトバンク「盂蘭盆会」(世界大百科事典ほか). https://kotobank.jp/word/盂蘭盆会 (お盆の成り立ち、日本の古い記録)
- コトバンク「送り火」(世界大百科事典・日本大百科全書). https://kotobank.jp/word/送り火 (送り火、大文字、村ぐるみの火)
- All About「麻幹」の解説. https://allabout.co.jp/gm/gc/475833/ (麻幹が使われる理由の民間の説明)
- 京都観光Navi「五山送り火」. https://ja.kyoto.travel/event/major/okuribi/ (五山送り火の日付と山)
- 年中行事(bestcalendar). https://bestcalendar.jp/dates/kinenbi/3462 (日付の地域差)
- 北秋田市「万灯火」. https://www.city.kitaakita.akita.jp/archive/contents-3108 (春彼岸の山の火)
なおした ところ
更新履歴
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