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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

おりがみは、いつごろから ある あそびなの?

折り紙は、いつごろから日本にある遊びなのでしょうか

折り紙はいつから日本にあるのか:始まりの年が決まらない理由と、残る手がかり

分野:歴史・文化

おりがみが いつ はじまったのかは、じつは はっきり わかって いません。でも、あそびの おりがみの 本で いちばん ふるいと いわれる ものは、1797ねんに できた、つるの 本です。

その 本は、どんな 本なのでしょう。おりがみは、なにから うまれたのでしょう。このページでは、のこっている てがかりを しょうかいします。

日本の折り紙がいつ始まったのかは、専門家へのインタビューでも「はっきりとは分かっていない」と語られています[1]。それでも、遊びの折り紙の本として最も古いとされるものは、1797年にお寺の僧がつくった、折り鶴の本だといわれます。

なぜ誕生日が決まらないのに、その本が「最古」といえるのでしょうか。折り紙は何から生まれ、どう遊びになったのでしょうか。この記事を読むと、始まりが一つに決まらない理由と、残っている手がかりの並び方が分かります。

日本の折り紙の始まりの年は、日本折紙学会の関係者へのインタビュー記事でも「はっきりとは分かっていない」と述べられている[1]。一方で、遊びとしての折り紙を扱った現存する本の最古とされるのは、1797年刊の『秘伝千羽鶴折形』である[5]。

始まりの年が決まらないのに、なぜ「最古」の本を挙げられるのか。それは、折り紙が礼法と遊びという二つの流れの重なりだからである。この記事を読むと、その二つの流れと、1680年前後の記述、1797年の本までの手がかりの関係が分かる。

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1. おりがみに、たんじょうびは あるの?

1. 折り紙に「誕生日」を決められないのはなぜか

1. 紙の伝来と折り紙の始まりは、同じ話ではない

おりがみの たんじょうびは、いつでしょう。じつは、だれにも わかって いません。

日本に 紙が つたわったのは、610ねんの ことと いわれて います。そうの どんちょうが つたえた という はなしです[2]。

ただ、これは「紙が きた」という はなしです。「おりがみが はじまった」という ことでは ありません。

紙を おる わざは、くらしの なかで、しぜんに うまれたのだろう と かんがえられて います。いつ だれが さいしょに おったのかは、のこって いないのです。

では、いま ある おりがみの もとに なった ものは、なんでしょう。ひとつは、紙で ものを つつむ ときの、きまりごとでした。

折り紙がいつ始まったかを調べると、最初に出会うのは「610年」という年号です。僧の曇徴が紙の作り方を伝えたとされる年で、日本に紙が入ってきた目安として知られます[2]。

ただし、これは紙の話です。日本大百科全書は、紙を折る技は、紙が伝わってから、人々の暮らしの中で自然に生まれたものと思われる、という書き方をしています[2]。「この年にこの人が始めた」という記録は、ないのです。

始まりの年が一つに決まらない理由は、ここにあります。折り紙は、一人の発明ではなく、少しずつ積み重なってできたものだからです。

では、いま私たちが知る折り紙の、もとになった流れは何でしょうか。その一つは、贈り物を紙で包むときの決まりごとにあります。

折り紙の始まりを探すとき、まず紙の伝来を出発点にしたくなる。日本大百科全書は、610年に僧の曇徴(どんちょう)が紙を伝えたとされることに触れ、紙を折る技は伝来以後に生活様式の中から自然に生じたものと思われる、とまとめている[2]。

注意したいのは、この610年が紙の伝来の年であって、折り紙の起点ではないことだ。「いつ誰が始めた」と特定できる記録がないまま、暮らしの中の折る行為が先に広がったと考えられる。始まりの年が決まらないのは、調べ不足というより、始まり方そのものが一点に定まらない性質のものだからである。

とはいえ、手がかりが全くないわけではない。現在の折り紙には、系統の違う二つの流れが重なっていると説明されている。そのうち古いほうの流れは、紙で物を包む礼法に求められる。

2. おくりものを つつむ おりかたが、きまりに なった

2. 室町時代、贈り物を包む折り方が「礼法」になった

2. 武家の礼法「折形」:包み方が作法になった室町時代

むかしの 人は、おくりものや 手紙を、紙で つつみました。むろまちじだいの ぶけの 人たちは、その つつみ方を「れいぎ」の きまりに しました。

この つつみ方を「おりがた」と いいます[1]。

しょうぐんの 家が れいぎを さだめた とき、おがさわらりゅうなどの おり方が できたと いわれます[2]。

「おりがみつき」という ことばを、きいた ことが ありますか。「たしかな もの」という いみですが、この おり方の 紙に ゆらいする、という せつも あります。

この ころの 紙は、つつんで おくる ための ものでした。あそぶ ための ものでは なかったのです。

では、あそびの おりがみは、いつ でてきたのでしょう。

室町時代、武家が政権をにぎっていたころ、贈り物や手紙を紙で包むときの折り方「折形」が、武家の礼法として発展しました。その伝統は江戸時代へ伝えられたと説明されています[1]。

日本大百科全書によると、神事で使う御幣などに紙を折る技法があり、これが発展して、将軍家が礼法を定めたときに小笠原流・伊勢流の折り紙が確立した、といわれます[2]。「折紙付き」という言葉の語源とされることもあります。

ここで大切なのは、折形の紙は、人にものを渡すときの作法として折られたことです。きれいに包んで気持ちを伝えるための技で、遊ぶための折り方とは目的が違いました。

九州大学附属図書館の資料も、江戸時代には、のちに折り紙と呼ばれるものを「折形」や「折据」と呼んでいた、と紹介しています。紙で包む習わしや紙の飾りまで含む言葉で、礼法としての折形と遊びの折り紙は区別して考えるのがよい、とされています[3]。

では、遊びの折り紙が文字や絵に姿を見せるのは、いつごろなのでしょうか。

二つの流れのうち古いほうは、礼法としての「折形(おりがた)」である。政府広報の記事によれば、武家政権の室町時代に、贈り物や手紙を紙で包む折り方が武家の礼法として発展し、江戸時代へ受け継がれた[1]。

日本大百科全書は、神事の御幣(ごへい)や垂に紙を折る技法が先にあり、室町時代に将軍家が礼法を制定したとき、小笠原(おがさわら)流・伊勢流の折り紙が確立したといわれる、と述べる。「折紙付き」の語源とされることもある[2]。紙の折り方が、もとは神事と贈答の作法に結びついていたわけである。

ここで言葉の問題が出てくる。九州大学附属図書館の資料では、江戸時代には、のちに「折り紙」と呼ばれるものを「折形」「折据(おりすえ)」と呼んでおり、この語は紙で包む習わしや紙の飾りまでさしていた。そのため、礼法としての折形と、遊びの折り紙は区別して扱う必要がある[3]。いま「折り紙」と呼ぶ遊びの起源を探すなら、礼法とは別の線を追わなければならない。

では、遊びの折り紙は、どこで文字や絵に残り始めるのか。

3. つるの かざりと、ちょうの くが のこって いる

3. 刀の飾りの折り鶴と、1680年の句という手がかり

3. 折り鶴の小柄と1680年の句:古いが、断定できない手がかり

ふるい てがかりが、ふたつ あります。

ひとつめは、かたなの ぶひん「こづか」です。ここに、おりづるの 絵が ほられた ものが あります。つくった 人は、ごとうえいじょうと かんがえられて います[3]。

この 人が 生きた ころには、おりづるが あったのかも しれません。でも、この 作品に、日づけは ありません。

ふたつめは、1680ねんの、いはらさいかくの くです。けっこんしきで、はなよめと はなむこを あらわす、紙の ちょうが よまれて います[4]。

これは、おった かたちを かいた ふるい ものの ひとつと いわれます。でも、ちょうが どんな かたちだったのかは、わかりません。

ふたつとも、「ここから はじまった」と いえる ものでは ありません。それでも、むかしの 人たちが、紙で つるや ちょうを おって いた ことを、おしえて くれます。

遊びの折り紙の手がかりは、いくつかあります。ひとつは、刀の柄に付ける小柄(こづか)に、折り鶴が彫られたものです。作者は後藤栄乗(1577〜1617)と考えられる、と紹介されていて、折り鶴の古い手がかりのひとつとされています[3]。

ただし、この小柄に日付が刻まれているわけではありません。「1590年ごろ」といった年は、作者の生きた年からの推定です。九州大学附属図書館の資料は、遅くとも1600年代の初めには、折り鶴が親しまれていたようだ、と控えめに述べています[3]。

もうひとつが、1680年の井原西鶴の句です。神前の結婚式で、花嫁と花婿を表す折り紙の蝶が詠まれています。折った形について書かれた、古い言及のひとつとされています[4]。

ただ、この句には図も折り方もありません。どんな形の蝶だったのかは分からず、いま私たちが知る折り方が当時あったとは言えません。

刀の飾りと俳句では、「折り紙の誕生日」は決められません。それでも、江戸時代の初めごろまでに、紙を折って形をつくることが、人々の身近にあったことは伝わってきます。では、それはどうやって、子どもにまで広がったのでしょうか。

遊びとしての折り紙の手がかりは、礼法に比べて少なく、しかも確かな年を示しにくい。たとえば折り鶴の古い手がかりとして紹介されるのは、後藤栄乗(ごとうえいじょう、1577〜1617)の作と考えられる、折り鶴を彫った小柄(こづか)である[3]。刀の柄に付ける部品で、作品に日付は刻まれていない。そのため1500年代末から1600年代初めという年は、作者の生没年からの推定にとどまる。九州大学の資料も、遅くとも1600年代初めには親しまれていたと、控えめに書いている。

文字の側では、1680年の井原西鶴(いはらさいかく)の句が、神前の婚礼で花嫁花婿を表す折り紙の蝶を詠んでおり、折った形に関する古い言及の一つとされる[4]。ところが、図も折り方もないため、どんな形かは分からない。当時すでに雄蝶・雌蝶の折り方が定まっていたとまで言うことはできない。

この二つは、年代も性質も違うが、「江戸時代の初めには、紙で鶴や蝶の形をつくる行為があった」という点では重なる。ただし、どちらも一点の手がかりにすぎず、それだけで始まりを決めることはできない。決め手になるのは、遊びとして折り方が共有され始めた証拠である。

それが現れるのは、紙が手に入りやすくなった時代だった。

4. 紙が ふえて、こどもの あそびに なった

4. 紙が増えると、折り紙は礼法から遊びへ広がった

4. 紙の大量生産と、礼法から遊びへの広がり:欄間図式の位置づけ

えどじだいに なると、紙が たくさん つくられる ように なりました。

紙が ふえると、ふつうの 人も、おりがみを たのしめます。おり方を たのしむ あそびとして ひろまりました[1]。えど時代の まんなかごろには、こどもの あそびにも なったと されて います[2]。

1700ねんだいの なかごろには、らんまの ずあんを のせた 本に、おりづるが のって いました。らんまは、へやの うえの ほうに ある かざりの いたです[4]。

この 本が できた ねんは、1747ねんと する 本と、1734ねんと する 本が あります。だから、「1700ねんだいの なかごろ」と しておきます。

転機は、江戸時代に紙が大量に作られるようになったことです。紙が身近になると、折り紙は礼法の枠を離れ、折り方そのものを楽しむ遊びとして、一般の人々にも広がっていきました[1]。日本大百科全書は、江戸中期に、遊びの折り紙が全盛になったとしています[2]。子どもの遊びにもなったと考えられています。

この広がりを示す例として、欄間(部屋の上部にはめる飾りの板)の図案集『欄間図式』に、折り鶴などの図が載っていたと紹介されています[4]。

この本の年は、1747年とする資料と1734年とする資料があり、食いちがっています。この記事では「1700年代なかば」と書きます。年の確かさよりも、折り鶴の形が、図案の見本として本に載るほど広く知られていたことのほうが、手がかりとして大切だからです。

とはいえ、ここまでの本は、折り鶴が「載っている」本でした。折り方を教えること自体を目的にした本は、まだ出てきません。それが現れるのは、1797年です。

礼法から遊びへの移行を支えたのは、江戸時代の紙の大量生産である。紙が安く手に入るようになると、折り紙は礼法から離れ、折り方そのものを楽しむ遊びとして一般の人々に広がった[1]。日本大百科全書は、江戸中期に全盛となった遊戯折り紙が、その結果として生じたことを示唆している[2]。子どもの遊びにもなったとされる。

この過程の傍証になるのが、欄間(らんま)の図案集『欄間図式(らんまずしき)』である。折り鶴などの図が載っていたと紹介されるが[4]、刊行年は資料によって1747年とも1734年ともされ、一致しない。そのため、ここでは1700年代なかばと幅を持たせて扱う。年そのものより、折り鶴が装飾図案の題材として本に載る程度に知られていたことが、遊びの広がりの目安になる。

ただし、この段階の本は、折り鶴の形を「見せる」本であり、折り方を「教える」ことを目的にした本ではない。教える本が現れるのは、1797年のことだった。

5. 「ひでん せんばづる おりかた」は、どんな 本?

5. 1797年の『秘伝千羽鶴折形』は、何が特別なのか

5. 『秘伝千羽鶴折形』(1797):遊びの折り紙の本として最古とされる指南書

1797ねんに、『ひでん せんばづる おりかた』という 本が でました。つくった 人は、みえけんの くわなに あるおてらの そう、ろこうあんぎどうです[6]。

この 本には、いちまいの 紙から、つるが いくつも つながる おり方が のって います。「れんづる」と いいます。ほうらい、はなみぐるま、いなずま、ひゃっかくなど、およそ50しゅるいです[5]。

いまも のこって いる、あそびの おりがみの 本では、いちばん ふるいと されて います。きょうとで しゅっぱんされて、ひょうばんに なり、また すられた そうです[6]。

でも、この 本は、おり方が 絵で しめされて いて、よみとくのに くふうが いりました。くわなし はくぶつかんの 人たちが、絵を よみといて、おり方を よみがえらせたそうです[6]。

1680ねんの くから、この 本までは、117ねんです。そのあいだに、おりがみは、あそびとして、おり方を つたえる 本が できるほどに なったのです。

1797年(寛政9年)、『秘伝千羽鶴折形』という本が出ました。国立国会図書館のデータベースは、「種々の変わり折り鶴の折り方指南書」と紹介し、蓬莱・花見車・稲妻・百鶴など、約50種を収めるとしています[5]。遊びの折り紙の本として、現存する最古のものとされます。

著者は、三重県桑名市の長円寺(資料により長圓寺)の僧・魯縞庵義道(1762〜1834)です[6]。この本は、折り鶴を切りこみでつなぐ「連鶴」の本で、紙一枚から何羽もの鶴がつながります。当時は、この連鶴を「千羽鶴」と呼んでいました。京都で出版されたと伝えられています[6]。

調べて分かったのは、この本を読み解くには工夫が要ったことです。和樂webの記事は、折り方の説明や製図の意味が書かれていなかったと紹介しています[6]。国立国会図書館は折り方の指南書としているので、書き方は資料によって食いちがいます。少なくとも、絵図から折り方を読み解く必要があったようです。桑名市博物館の学芸員らがその作業をして、折り方をよみがえらせたといわれます。

数字も計算してみましょう。1680年の句から1797年の本まで、117年です。紙の伝来とされる610年からだと、1100年以上になります。折り紙には、長い時間の蓄積があるのです。

1797年(寛政9年)刊の『秘伝千羽鶴折形(ひでんせんばづるおりかた)』は、折り紙の本として何が特別なのか。国立国会図書館サーチは、本書を「種々の変わり折り鶴の折り方指南書」とし、蓬莱・花見車・稲妻・百鶴など約50種を収めると記す[5]。折り鶴を切りこみでつなぐ「連鶴(れんづる)」の本であり、遊びの折り紙の本としては、現存する最古とされる。「世界最古」という言い方は資料側の表現なので、ここでは「現存する遊びの折り紙本で最古とされる」にとどめる。九州大学の資料には1789年という記載もあるが、誤記とみられる。国立国会図書館の1797年を採る。

原案者は、三重県桑名市の長圓寺(長円寺とも書く)の僧・魯縞庵義道(ろこうあんぎどう、1762〜1834)で、京都で出版された。当時、連鶴は「千羽鶴」と呼ばれていた[6]。

この本の読みにくさには注意が要る。和樂webの記事は、折り方の説明も製図の意味も書かれていなかった、と書く[6]。一方、国立国会図書館は「折り方指南書」と記しており、両者は完全には一致しない。そこで、「絵図を読み解く必要があった」と弱めて読むのが無難である。折れる人が長く少なかったため、桑名市博物館の学芸員らが絵図を読み解いて折り方をよみがえらせた。

桑名市は1976年、掲載された連鶴を「桑名の千羽鶴」として市の無形文化財に指定した。数は49種とする資料が多く、国立国会図書館と和樂webは約50種としており、1枚の紙から2羽〜最大97羽がつながるとされる[7]。

1680年の句から1797年の本まで、117年。紙の伝来とされる610年からは1100年以上になる。これらを合わせると、折り紙は、年号を一点で示すより、時間をかけて重なってきた技と読むほうが実態に近い。

6. いまの 千羽づるは、むかしと おなじ?

6. 千羽鶴の意味は変わり、折り紙は幼稚園で身近になった

6. 「千羽鶴」の意味の変化と、明治の幼稚園:色つき正方形が広まるまで

いま「せんばづる」と いうと、いとで たくさんの おりづるを つないだ ものを おもいうかべます。

でも、えどじだいの「せんばづる」は、1まいの 紙から つなぐ れんづるの ことでした[6]。ことばは おなじでも、ものは ちがいます。

めいじ時代に、にほんで ようちえんが つくられはじめました。ドイツの フレーベルという 人の かんがえで、おりがみも きょうざいに なりました[4]。

いろの ついた 正方形の おりがみ用紙が ひろまったのも、ようちえんが ふえたことと いっしょだったと いわれます。

千羽鶴という言葉は、いまと昔で指すものが違います。現在の千羽鶴は、糸などで多数の折り鶴をつないだものです。ところが、江戸時代に「千羽鶴」と呼ばれたのは、一枚の紙からつなげる連鶴のほうでした[6]。言葉が同じでも、中身は別のものです。

明治になると、フレーベルの教育理論が幼稚園とともに日本へ入り、折り紙は保育の教材に採用されました[8]。フレーベルは19世紀の初めに、紙を折ることを、製本・編む・切るとともに、子どもの発達を助ける教材と認めたとされます[4]。幼稚園の広がりとともに、いまの色つきの正方形の折り紙が広まったと説明されています。

ただし、フレーベルの意図は十分に理解されず、のちに教材から外れたと指摘する論文があります[8]。日本大百科全書も、小学校低学年の教科に取り入れられたものの、「模倣にとどまる」として中止されたと記します[2]。

ヨーロッパにも、紙を折る伝統はありました。1498年のフランス語版『天球論』には、小さな紙の舟と見られる絵があります[4]。日本とは別に育ったとみる研究者が多いのですが、伝わり方は分かっていません。「折り紙は日本だけのもの」とも、「外国から来たもの」とも、言い切れないのです。

言葉の面でも、変化があった。現在の千羽鶴は、糸で多数の折り鶴をつないだものをさすが、江戸時代に「千羽鶴」と呼ばれたのは、1枚の紙からつなぐ連鶴であり、両者は別のものである[6]。

明治期には、フレーベルの教育理論が幼稚園とともに日本へ入り、折り紙は保育教材として採用された。ただし、フレーベルの意図は十分に理解されず、のち教材から外れたと論文は指摘する[8]。日本大百科全書も、小学校低学年の教科に取り入れられたが、模倣にとどまるとして中止されたと記す[2]。フレーベルは19世紀初めに、紙を折ることを製本・編む・切るとともに子どもの発達を助ける教材と認めたとされ[4]、幼稚園の広がりとともに、現在の色つき正方形の折り紙用紙も広まった。

最後に、日本発祥かという問いがある。ヨーロッパにも紙を折る伝統があり、1498年のフランス語版『天球論(てんきゅうろん)』に小さな紙の舟と解釈される絵がある[4]。日本とは別に発展したとみる研究者が多いが、伝わり方は分かっておらず、「日本だけ」とも「伝来」とも断定できない。

7. おりがみの はじまりを、じぶんで さがすには?

7. 折り紙の「古い手がかり」を、自分で探すには

7. 資料にあたるには:折形、連鶴、千羽鶴のそれぞれの入口

おうちの 人と、やって みよう。おりがみを 1まい つかって、ちいさな おくりものを つつんで みます。つつみ方を くふうすると、むかしの 人の「おりがた」の きもちが わかるかも しれません。

図書かんでは、『ひでん せんばづる おりかた』や、くわなの「れんづる」の 本が みつかる ことが あります。さがして みよう。

ひとつ、かんがえて みて ください。1797ねんの 本が いちばん ふるいのは、「いま のこって いる 中で」という ことです。もっと ふるい 本が みつかる かも しれませんね。

家にある紙で、折形の気分を味わえます。折り紙や包装紙を1枚使い、小さな贈り物を紙で包んでみましょう。どう折れば形がきれいに整うかを考えるうちに、室町時代の人が包み方にこだわった理由が想像できるかもしれません。刃物や火は使いません。

資料を見るなら、国立国会図書館サーチで「秘伝千羽鶴折形」を検索すると、書誌情報が出ます。日本語で読める入口です。桑名市の博物館や市の情報で、「桑名の千羽鶴」についても調べられます。

考えてみたいのは、「最古」の意味です。1797年の本が最古とされるのは、いま残っている遊びの折り紙の本の中で、という意味です。新しい発見があれば、変わるかもしれません。

調べを進めるなら、資料の種類を分けるとよい。礼法の折形は、日本大百科全書や日本折紙学会の関係者のインタビュー[1]から入り、江戸時代の遊びは、九州大学附属図書館のウェブ資料[3]と国立国会図書館サーチの書誌情報[5]で確かめられる。『秘伝千羽鶴折形』は、国立国会図書館のサイトで書誌を確認できる。桑名の連鶴については、桑名市博物館や市の公式情報に当たるとよい[7]。

本記事で未解決のままの点も残しておく。欄間図式の年(1734年か1747年か)、連鶴の数(49種か約50種か)、折り鶴の小柄の年代は、資料間で一致しないか、推定にとどまる。これらを自分で確かめる作業が、この分野を調べる入口になる。

家で試すなら、折り紙1枚で小さな贈り物を包み、どの折り方なら崩れにくいかを比べてみるとよい。折形が「見た目と作法」を兼ねていた理由を、実感できるかもしれない。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

資料のうち、政府広報とコトバンク、九州大学附属図書館の資料は、検索結果の要約や二次的な紹介を中心に確認した。数字や年は資料により異なる場合がある。

  1. 政府広報 Highlighting Japan 2021年12月号(折り紙) https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202112/202112_01_jp.html (始まりが分かっていないこと、折形の発展)
  2. 日本大百科全書(ニッポニカ)「折り紙」(コトバンク) https://kotobank.jp/word/%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99 (紙の伝来、礼法、江戸中期の遊び)
  3. 九州大学附属図書館 History of Origami https://guides.lib.kyushu-u.ac.jp/origami-en/-mid18C (呼び名、折り鶴の小柄)
  4. Wikipedia (English) History of origami https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_origami (1680年の句、欄間図式、フレーベル、ヨーロッパの紙の舟)
  5. 国立国会図書館サーチ 秘伝千羽鶴折形 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000094-I211373 (1797年刊、約50種)
  6. 和樂web「連鶴」 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/36771/ (考案者、折り方の復元、千羽鶴の意味の変化)
  7. 桑名の千羽鶴に関する研究論文(要旨) https://kuis.repo.nii.ac.jp/record/1404/files/GLCS_3_57_81.pdf (1976年の無形文化財指定、種類の数)
  8. 浦和論叢46号の論文 https://urawa.repo.nii.ac.jp/record/351/files/urawaronso_046_045-068.pdf (明治の幼稚園と折り紙)

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