このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ろんぶんを とりけす ことは、わるい こと なの?

ノーベル賞の科学者が自分の論文を取り下げた ── 「撤回」はなぜ科学に必要なのか

論文の撤回は罰ではなく文献の訂正である ── Arnoldの自己撤回(2020年)と撤回理由の内訳

分野:歴史・文化

2018ねんに ノーベルしょうを とった かがくしゃが、じぶんの ろんぶんを、じぶんで とりけしました。すると、「えらい」と ほめる こえが たくさん あつまりました。

どうして、まちがいを みとめた ひとが ほめられるのでしょう。ろんぶんの「てっかい」が、なんの ために あるのか、どんな ときに おきるのかが わかります。

2018年にノーベル化学賞を受けた科学者が、2020年、自分の論文を自分で取り下げました。SNSには、正直さや透明性をたたえる声が多く集まったと伝えられています。

間違いを認めた人が、なぜほめられるのでしょうか。論文の「撤回」の目的、撤回される理由の内訳、2023年に1年で1万件を超えた理由が分かります。

2018年にノーベル化学賞を受けたFrances Arnoldは、2020年1月、自らの論文を撤回した。追試で結果が再現できなかったためで、発表の場になったSNSでは、その誠実さをたたえる返信が多かったという[1]。

誤りを認めることが、なぜ称賛につながるのか。COPE(出版倫理委員会)の指針にある撤回の目的、2012年の調査が示した撤回理由の内訳、2023年に撤回が1万件を超えた背景が分かる。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. ノーベルしょうの ひとが、どうして ろんぶんを とりけしたの?

1. 自分の論文を、自分で取り下げた

1. Arnoldの自己撤回 ── 再現できない結果を自分で正す

フランシス・アーノルドさんは、2018ねんに ノーベルかがくしょうを もらった かがくしゃです。2019ねんの 5がつに、ろんぶんを ざっしに のせました。

ところが、ほかの けんきゅうで やりなおしても、おなじ けっかが でませんでした。しらべると、じっけんノートに、たいせつな じっけんの きろくや もとの データが そろって いませんでした。アーノルドさんは、2020ねんの 1がつに、この ろんぶんを じぶんで とりけしました[1]。

みんなが ほめたのは、まちがいを かくさず、はっきり しらせた ことです。

フランシス・アーノルドさんは、2018年にノーベル化学賞を受けた科学者です。2019年5月に科学雑誌『Science』へ出した論文について、追試(ほかの人がやり直す実験)で同じ結果が再現できないことが分かりました。実験ノートに、主要な実験の記録や元のデータがそろっていなかったことも明らかになりました。

アーノルドさんは2020年1月、この論文を自分から撤回しました。本人は、自分の監督が足りなかったからだと述べています[1]。

この発表への反応は、ほめる声が中心でした。誠実さと透明性をたたえる返信が多かった一方で、「だから科学は信用できない」という批判もあったそうです。では、撤回とはそもそも何をする手続きなのでしょうか。

Frances Arnoldは、2019年5月に『Science』へ発表した論文を、2020年1月に自ら撤回した。追試で再現できず、さらに調べると、学生の実験ノートに主要な実験の記録や生データが欠けていたことが分かったためである。本人は、自分の監督不足だと述べている[1]。

発表がSNSで行われたこともあり、反応が可視化された。返信の多くは誠実さと透明性をたたえるもので、「だから科学は信用されない」という批判も混じった。この件を論じた記事の筆者は、撤回を個人の美徳としてではなく、科学の自己修正がはたらいた証拠として祝うべきだと主張している[1]。では、撤回は制度としてどう位置づけられているのか。

2. なかまが みつけた まちがいを、じぶんで なおした ひとも いるの?

2. 仲間の指摘をきっかけに、3本を撤回し2本の誤りも報告した研究者

2. Changの場合 ── ソフトの不具合による3本の撤回と、2本の誤りの報告

おなじような はなしが、2006ねんにも ありました。ジェフリー・チャンさんは、じぶんで つくった コンピューターの ソフトで、たんぱくしつの かたちを しらべて いました。

その ソフトの なかで、データの ならびが とりちがえられて いて、かたちが ぎゃくに なって いました。スイスの けんきゅうしゃが、べつの かたちを しめして、うたがいを なげかけた ことが、きっかけでした。チャンさんは、ろんぶんを ざっしから とりけしました[2]。

おなじ ぶんやの ひとたちは、わざと やった ことでは ないと うけとめ、すぐに はっきり なおした ことを ほめる こえが おおかったと つたえられて います。

2006年には、別の例もありました。ジェフリー・チャンさんは、タンパク質の立体構造を調べる研究者で、自分で作ったソフトを解析に使っていました。そのソフトの中でデータの列が入れ替わっていて、構造が本当とは逆の形に出ていたのです。

誤りが表に出るきっかけになったのは、スイスの研究者らが2006年9月に科学雑誌『Nature』で別の構造を示し、疑いを投げかけたことでした。チャンさんは『Science』の論文3本を撤回し、ほかの雑誌の2本にも誤りがあると報告しました。この5本は、撤回までに合計729回引用されていました[2]。

同じ分野の研究者からは、意図的な誤りではないと受け止めて、すぐに率直に正したことを評価する声が多かったと報じられています。ある研究者は、この出来事は科学の方法が最終的に誤りを正す例だと述べたそうです。

2006年、構造生物学者のGeoffrey Changは、自作ソフトのデータ列が入れ替わり、電子密度図が反転していたことを理由に、『Science』の論文3本を撤回し、他誌の2本にも誤りがあると報告した。5本は撤回までに計729回引用されており、他の研究者も読んでいた論文だった[2]。

誤りが表に出たきっかけの一つは、スイスの研究者らが2006年9月に『Nature』で別の構造を示し、疑いを投げかけたことである。同分野の研究者には、意図的でない誤りとして受け止め、すぐ率直に正した点を評価する声が多かったと報じられる。ある研究者は、この出来事が科学的方法による誤りの自己修正を示すと述べている[2]。

ただしこれは、誤りが誠実に認められた例である。撤回の理由が、いつもうっかりとは限らない点は、4章で見る。

3. じぶんで とりけした ひとは、どんな きもち なの?

3. 撤回した本人の気持ちと、まわりの反応

3. 自己撤回した著者への聞き取り ── 苦痛と称賛

ほめられても、かんたんな きもちでは ないようです。うっかり まちがえて、じぶんで ろんぶんを とりけした 14にんに、はなしを きいた けんきゅうが あります。

おおくの ひとが、「けんきゅうしゃの じんせいで いちばん つらい けいけんの ひとつ」と こたえたと つたえられて います。それでも、なかまからは ほめられた ことも あったそうです[3]。

ただ、この 14にんは、にしヨーロッパの ひとたちなので、せかいじゅうが おなじとは かぎりません。

自分で撤回した人たちは、どんな気持ちなのでしょうか。うっかりの誤りで自ら論文を撤回した14人に話を聞いた研究があります。

多くの人が、撤回は職業人生でもっともつらい経験の一つだったと答えたと紹介されています。それでも、撤回が同僚から称賛された場合もあったそうです[3]。ただしこの14人は西欧の研究者で、2010年から2015年に撤回した人たちです。世界中の研究者が同じだと言えるわけではありません。

つらい思いをしても、正直に正した人が仲間に認められることがある。それが、撤回を「罰」だけで見てはいけない理由の一つです。

うっかりの誤りで自ら論文を撤回した著者14人への聞き取り研究(2010〜2015年の撤回が対象)が、Science and Engineering Ethics誌(2017年)に載っている。多くが、撤回を職業人生で最もつらい経験の一つと答え、同僚から称賛された例もあったと紹介されている[3]。

サンプルは西欧の14人にとどまり、一般化はできない。それでも、撤回に本人の大きな苦痛と、周囲の肯定的な評価が同時にありうることは、指針が撤回を罰でなく訂正として位置づける背景を考えるうえで手がかりになる。

4. てっかいは、ばつ なの?

4. 撤回の目的は、著者を罰することではない

4. COPEの撤回指針 ── 文献の訂正と理由の明示

たとえば、こくばんに かいた こたえが まちがって いたとします。せんせいが 「ここは ちがいました」と じぶんで なおせば、みんなは ただしい こたえを おぼえられます。ろんぶんの てっかいも、これに にて います。

ただし、ろんぶんの ばあいは、だれが なぜ とりけしたのかを かく きまりに なって います。

ろんぶんの ルールを きめて いる COPEと いう グループの しじんでは、てっかいの もくてきは「ぶんけんを ただしく して、しんらいを まもる こと」で、かいた ひとを ばつする ことでは ないと いわれます[4]。

論文の撤回は、黒板の間違いを先生が「ここは違いました」と直すのに似ています。直してもらえば、みんなが正しい答えを覚えられるからです。ただし論文の場合は、なぜ直したのかという理由を、はっきり書くことになっています。

出版のルールをまとめているCOPE(出版倫理委員会)の指針では、撤回の目的は「文献を正して完全性を守ること」で、著者を罰することではないとされています[4]。この指針は2025年9月に改訂されています。

信頼できなくなる原因は、正直な誤り、未熟なミス、研究不正のどれもありうると、2019年版の指針は述べているとされます。撤回の通知には、理由と、誰が撤回するのかを書くことになっています[5]。

撤回とは何をする手続きか。COPEの撤回指針は、その目的を文献を正して完全性を守ることとし、著者を罰することではないとしている(2025年9月に2019年版から改訂された)[4]。

2019年版は、内容やデータが信頼できなくなる原因として、正直な誤り、未熟なミス、研究不正のいずれもありうるとし、撤回通知に理由と撤回する主体を示すよう求めるとされる[5]。原因が多様であるからこそ、通知の書き方が、読者にとって撤回の意味を知る手がかりになる。では、実際にはどんな理由が多いのか。

5. てっかいの りゆうは、うっかり だけ なの?

5. 撤回の理由は、誤りだけではない ── 2012年の調査

5. 撤回理由の内訳 ── Fangらの調査(2012年)と通知の不備

ぜんぶが うっかりの まちがい、とは かぎりません。2012ねんに、いがくや せいめいかがくの てっかい 2,047けんを しらべた けんきゅうが あります。

この うち、まちがいが りゆうの ものは、100けんの うち 21けんぐらいでした。67けんぐらいは、ふせいが りゆうでした[6]。

これは、2012ねんの、いがくと せいめいかがくだけの すうじです。いまの すべての ぶんやの わりあいでは ありません。

撤回はうっかりの間違いだけが理由なのでしょうか。2012年5月に、医学・生命科学の論文データベース(PubMed)にあった撤回2,047件の理由を調べた研究があります。

誤りが理由だったのは21.3%、不正が理由だったのは67.4%でした。不正の内訳は、不正または疑いが43.4%、二重投稿が14.2%、盗用が9.8%です[6]。この数字は、医学・生命科学の2012年時点のもので、今の全分野の割合ではありません。

この研究は、不正が理由の撤回の割合が、1975年から約10倍になったとも述べます。増えたのは件数ではなく割合です。また、撤回の通知が不十分だったり分かりにくかったりして、不正の役割が小さく見られてきたとも指摘しています[6]。

撤回のうち、単純な誤りによるものはどのくらいか。Fang、Steen、Casadevallは、PubMedに収録された撤回2,047件(2012年5月3日時点)を調べ、誤りが理由のものは21.3%、不正が理由のものは67.4%だったと報告した。不正の内訳は、不正または疑いが43.4%、二重投稿が14.2%、盗用が9.8%である。対象は生命科学・医学に限られ、現在の全分野の割合ではない[6]。

同じ要旨は、不正を理由とする撤回の割合が1975年から約10倍になったとも述べる。10倍になったのは撤回の件数ではなく、撤回のうち不正が理由のものの割合である。さらに、撤回通知が不十分で不明瞭、ときに誤解を招くため、不正の役割が過小評価されてきたと指摘する[6]。理由が読者に伝わることが、撤回の役割の要になるのはこのためだ。

6. 2023ねんに てっかいが 1まんけんを こえたのは、なぜ?

6. 1年で1万件を超えた撤回と、論文工場

6. 2023年の撤回1万件超 ── 出版過程の組織的操作と通知の役割

2023ねんには、1ねんで 1まんけんを こえる ろんぶんが てっかいされて、これまでで いちばん おおく なりました。

おおくは、ヒンダウイという ざっしの ものでした。8,000けんを こえる ろんぶんが、「ろんぶんを つくる しごとを して いる ひとたちが、しんさの ながれに もぐりこんだ」ことなどを りゆうに とりけされたと いわれます[7]。

この ような ときも、COPEの あたらしい しじんは、てっかいの おしらせに りゆうを はっきり かくよう もとめて います[8]。

2023年には、研究論文の撤回が1年で1万件を超え、過去最多になりました。Natureの分析を紹介した記事によると、多くは出版社Wileyの傘下にあったHindawiの雑誌のもので、8,000件を超える論文が、査読の過程が侵害されたことや、出版の過程が組織的に操作されたことを理由に撤回されたそうです[7]。

背景の一つとして挙げられるのが、ペーパーミル(論文工場)です。論文づくりを組織的に請け負う仕組みのことです。2025年版のCOPE指針は、論文工場、偽の査読者、引用の操作なども撤回の根拠に加えました。多数の撤回では、「出版の過程が組織的に操作されたことが分かった」と通知に書くよう求めます[8]。

撤回は、著者の協力や調査の終了を待たずに、できるだけ早く行うべきだともされています。遅れるほど、信頼できない論文が読まれ続けるからだと考えられます。

2023年、研究論文の撤回は1年で1万件を超えて過去最多となった。多くはWiley傘下のHindawiの雑誌で、8,000件超が査読過程の侵害と出版過程の組織的操作を理由に撤回されたと、Natureの分析を紹介する二次資料が伝える[7]。なお、Nature原文は参照できておらず、二次資料が伝える数字である。

2025年のCOPE指針は、ペーパーミル、偽の査読者、引用操作などを撤回の根拠に加え、大量撤回の通知には、出版過程が組織的・協調的に操作されたと確認された旨を明記するよう求める。また、撤回は著者の協力や調査の終了を待たず、できるだけ早く行うべきだとされる[8]。

個々の誤りの自己撤回と、組織的な操作への対応では、撤回が担う場面がちがう。前者は個人の誠実さが見える場面で、後者は制度の側が読者を守る場面である。どちらも、理由を通知に書くという同じ仕組みの上にある。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

今日できること

しんぶんの ウェブサイトなどで、「てっかい」や「とりさげ」の ニュースを さがして みましょう。そこに、りゆうが かいて あるか、だれが とりけしたのかを よんで みます。

出かけてできること

としょかんで、かがくの ニュースが のって いる ほんや ざっしを よんで みましょう。

こうしきの 情報じょうほう

だいがくや けんきゅうじょの ホームページには、「けんきゅうの ルール」を せつめいする ページが あります。

今日できること

新聞社のウェブサイトなどで、「撤回」や「取り下げ」のニュースを探してみてください。理由がどう書かれているか、誰が撤回したのかを読み比べると、この記事で見た「理由を書く」という決まりが実際にどう使われるかが分かります。

出かけてできること

図書館で、科学ニュースをまとめた本や雑誌を開いてみましょう。訂正や撤回の話が出てくるかもしれません。

公式情報

大学や研究機関のホームページには、研究倫理や研究不正への対応をまとめた日本語のページがあります。

今日できること

報道で「撤回」の語を見たら、撤回の理由が誤りか不正か、誰が撤回を決めたかを通知や記事から読み取る。理由の書き方が具体的かどうかも、比べる価値がある。

出かけてできること

図書館で、研究倫理に関する日本語の入門書や科学ニュースの解説を探し、撤回の扱いを調べる。

資料を読むなら

本文の[1]〜[8]の資料のほか、大学・研究機関が公開する研究倫理のページが日本語で読める。COPEの指針の原文は英語で、本記事では二次資料の引用による。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

この記事は、次の資料を突き合わせて書いています。撤回に関する数字は、資料ごとの調査範囲と年が異なります。

  1. Undark「Frances Arnold retraction」(2020年) https://undark.org/2020/01/30/frances-arnold-retraction/ (Arnoldの撤回と反応)
  2. The Scientist「Retractions unsettle structural bio」 https://www.the-scientist.com/retractions-unsettle-structural-bio-46891 (Changの撤回)
  3. Hosseini, Hilhorst ほか「Doing the Right Thing」Science and Engineering Ethics(2017年) https://link.springer.com/doi/10.1007/s11948-017-9894-2 (自己撤回した著者への聞き取り)
  4. Plagiarism Today「COPE Releases New Retraction Guidelines」(2025年) https://www.plagiarismtoday.com/2025/09/10/cope-releases-new-retraction-guidelines (撤回の目的)
  5. COPE「Retraction guidelines」(2019年版) https://publicationethics.org/guidance/guideline/retraction-guidelines (撤回の原因と通知)
  6. Fang, Steen, Casadevall「Misconduct accounts for the majority of retracted scientific publications」PNAS(2012年) https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3479492 (撤回理由の内訳)
  7. ConscienHealth「10,000 retractions」(2023年) https://conscienhealth.org/2023/12/22/10000-retractions-a-2023-milestone-for-research-integrity/ (2023年の撤回件数)
  8. Retraction Watch「New COPE retraction guidelines」(2025年) https://retractionwatch.com/2025/09/04/new-cope-retraction-guidelines-address-paper-mills-third-parties-and-more/ (2025年版指針の内容)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。