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敬老けいろうの 日は、どこの むらで、なにを きっかけに はじまったの?

敬老の日は、どこの誰が、何のために始めたのか

敬老の日の出発点は兵庫県の村の敬老会にたどれる ── 「年寄りの知恵を借りる」会から祝日になるまで

分野:歴史・文化

おじいさん、おばあさんを おいわいする 「敬老けいろうの 日」。その はじまりは、国の えらい 人たちの 会ぎでは ありません。兵庫ひょうご県の 小さな むらの 会でした[1]。

むらの 会が、どうして 国の 祝日しゅくじつに なったのでしょう。この 記事では、会に こめられた 思いと、9月15日に きまった わけ、名前が かわって いった ようすが わかります。

敬老の日のもとをたどると、国の会議ではなく、兵庫県の小さな村の行事に行き着きます。1947年に野間谷村で行われた敬老行事が、のちの「としよりの日」「敬老の日」につながったとされています[1]。

なぜ村の行事が、全国の祝日になったのでしょうか。その会がどんな考えで開かれたのか、9月15日がどうして選ばれたのか、「としよりの日」という名前がなぜ変わったのかが分かります。

敬老の日の出発点は、1947(昭和22)年に兵庫県多可郡野間谷村で行われた敬老行事にたどれる[1]。国が決めた祝日が、一つの村の行事から広がったという点が珍しい。村の会は1947年、祝日化は1966年で、間に19年ある。

では、その会は何を目指して開かれ、なぜ9月15日が日付として定着し、「としより」から「敬老」へと名前が変わったのか。さらに、現在の法律が敬老の日と老人の日をどう定めているのかが分かる。

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1. けいろうの 日の もとは、どこの むらの 会?

1. 国より先に動いたのは、兵庫県の小さな村だった

1. 1947年、野間谷村の敬老会 ── 祝日化まで19年

1947ねん、兵庫ひょうご県の 野間谷村のまだにむらという むらで、お年よりを まねく 会が ひらかれました。いまの 多可町たかちょうの 一ぶぶんです。この 会が きっかけと なって、あとの 「としよりの 日」、「敬老けいろうの 日」に つながりました[1]。

「敬老けいろうの 日」が 国の 祝日しゅくじつに なったのは 1966ねんです。むらの 会から 19ねん たって います。小さな むらの 会が、国じゅうの お休みに なるまで、20ねん ちかく かかったのです。

では、むらの 人たちは、どうして この 会を ひらいたのでしょう。

敬老の日は、1966年に国民の祝日になりました。けれども、その種は国の会議室ではなく、兵庫県多可郡の野間谷村(今の多可町八千代区)にまかれています。1947年に村で行われた敬老行事がきっかけとなり、のちの「としよりの日」「敬老の日」につながったと、全国社会福祉協議会は紹介しています[1]。

年号を並べると、距離が見えてきます。村の会が1947年、祝日になったのが1966年で、その間は19年。小さな村の行事が全国の祝日になるまで、20年近い時間がかかっています。

では、村の人たちは、何を考えてこの会を開いたのでしょうか。

敬老の日は1966(昭和41)年に国民の祝日になったが、全国社会福祉協議会は、その始まりを1947年に兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)で行われた敬老行事に置いている[1]。この行事がきっかけとなって「としよりの日」が生まれ、のちに「老人の日」「敬老の日」へと変わっていった。

年号の間隔を計算すると、村の会から祝日までは19年である。国の制度が先にあって地方に降りてきたのではなく、一つの村の行事が県、全国へと広がったので、これだけの時間がかかったと読める。なお、村が「としよりの日」を定めたのは翌1948年とする資料もある。そのため本稿は「1947年の敬老行事がきっかけ」という書き方にそろえる。

では、この会は何を目指して開かれたのか。そこに、後の祝日の性格を決めた考え方がある。

2. むらの 人は、なんの ために 会を ひらいたの?

2. もてなしと、「知恵を借りる」という考え

2. 「大切にする」と「知恵を借りる」 ── 趣旨に残る二つの柱

この 会の ねらいは、「お年よりを たいせつに して、お年よりの 知恵ちえを かりて、むらを よく しよう」と いう ものだったと いわれます[2]。

この 日は、むらの 55さい いじょうの 人を、自動三輪車じどうさんりんしゃで むかえに 行き、公会堂こうかいどうで 食事と 播州歌舞伎ばんしゅうかぶきで もてなしたと つたえられて います[3]。

ただ おいわいを するだけでは ありません。年上の 人は、むらを よくする ための 力に なる 人たちだと 考えて いたのです。

むかしの 「お年より」は、いまより わかい 年れいから でした。55さいは、そのころの 目やすだと いわれて います。

会の趣旨は、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」というものだったとされます[2]。提唱したのは当時の門脇政夫村長らとされますが、助役を中心にあげる資料もあり、一人には決めきれません。

当日は、村内の55歳以上の人を自動三輪車で送り迎えし、公会堂で食事と播州歌舞伎でもてなしたと伝えられています[3]。迎えて、食べてもらって、楽しんでもらうだけなら、ふつうの接待で終わります。ところが趣旨には「知恵を借りる」「村づくり」とあります。年上の人を、村の仲間として頼りにする考え方でした。

対象の「55歳以上」は、当時の「年寄り」の目安です。今の高齢者の区切りと同じ感覚で読むと、ずれが出ます。

野間谷村の敬老会の趣旨は、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」と伝えられている[2]。提唱者は門脇政夫村長らとされるが、助役を中心に挙げる資料もあり、断定は避けたい。

注目したいのは、趣旨の柱が二つあることだ。「大切にする」は、敬う側から見た言葉である。「知恵を借りる」は、年上の人を村づくりの担い手として頼る言葉である。当日の内容も、55歳以上の人を自動三輪車で送迎し、公会堂で食事と播州歌舞伎を楽しんでもらったと伝えられており[3]、まずはもてなす会だったとされる。ところが趣旨の後半には、村づくりのために年上の人の知恵を借りようという考えが込められていた。

対象の55歳以上も、当時の「年寄り」の目安であって、今日の高齢者の定義とは別のものとして読む必要がある。

この趣旨が県や国の運動へ引き継がれる前に、もう一つ、日付という疑問が残る。なぜ9月15日なのか。

3. どうして 9月15日 だったの?

3. 9月15日は「たまたま」選ばれた日だった

3. 9月15日の由来 ── 農閑期説と、養老の滝説の位置づけ

9月15日に した わけは、「のうかんき」で、てんきも よい 時きだったから、と いわれて います[4]。農閑期のうかんきとは、田んぼや はたけの 仕事が すこし 少なく なる ころの ことです。

「たまたま 9月15日が えらばれた」と 書いて ある 資料しりょうも あります[4]。

ほかにも 「養老の滝ようろうのたき」と いう でんせつに ちなむと いう せつが あります。でも これは、あとから つけた おはなしかも しれないと いわれます[4]。わけが ひとつに きまらない のも、ほんとうの 話です。

理由として挙げられるのは、農閑期で、気候もよい時期だったから、という説明です[4]。農作業が少なく、過ごしやすい季節に決めた、ということです。同志社女子大学の解説は、この日が「たまたま」選ばれたと書いています[4]。

9月15日については、養老の滝の伝説にちなむという説もあります。ただ、後から付けられた説明の可能性が示されています[4]。日付の由来は、資料によって説明が分かれ、一つには決めきれません。

日付は偶然に近い決まり方でしたが、その日は村から外へ出ていきます。

9月15日が選ばれた理由として、同志社女子大学の解説は、農閑期で気候もよい時期だったから、すなわち「たまたま」この日になったと説明している[4]。農作業が一段落する時期という条件が、日付を決める手がかりになったという説明である。

これに対し、養老の滝の伝説にちなむとする説があるが、後付けの説明の可能性が指摘されている[4]。理由は資料によって説明が分かれ、一つには決められない。

由来が偶然に近いことは、日付の価値を下げない。偶然に選ばれた日が、後に県の運動、全国の運動の日付として受け継がれていったからである。

4. 「としよりの 日」は、どうして 名前を かえたの?

4. 「としより」から「敬老」へ ── 名前が変わった理由

4. 県から全国へ、そして「敬老の日」へ ── 名前の変化が示すもの

1950ねんに、兵庫ひょうご県で 9月15日を 「としよりの 日」に する 運動が はじまりました[1]。1951ねんには、国じゅうに ひろがります。9月15日から 21日までの 1しゅうかんを 運動の 週と しました[1]。

やがて 「老人ろうじんの 日」と なり、1966ねんに 国の 祝日しゅくじつ、「敬老けいろうの 日」に なりました[1]。

名前が かわった わけは、「としより」と いう ことばの ひびきが よくない と 考えられたからだと いわれます[4]。「敬老けいろう」には、うやまう 気もちが 入って います。

1950年、兵庫県で、9月15日を「としよりの日」とする敬老・福祉の県民運動が始まりました[1]。翌1951年には、中央社会福祉協議会(今の全国社会福祉協議会)が全国運動を提唱し、9月15日を「としよりの日」、この日から21日までを運動週間としました[1]。村の会から4年で、全国に広がったことになります。

その後、「としよりの日」は「老人の日」となり、1966年に国民の祝日「敬老の日」になりました[1]。改称の時期は、1963年の老人福祉法とする説明や1964年とする説明があり、資料によって違います。

名前が変わった理由は、「としより」という言葉の響きがよくないとされたからです[4]。呼び名の中心が、年齢を言う言葉から、敬う気持ちを表す言葉へ移ったと見ることもできます。

村の行事は、まず県の運動になった。1950年に兵庫県で、9月15日を「としよりの日」とする敬老・福祉の県民運動が始まり[1]、翌1951年に中央社会福祉協議会(現・全国社会福祉協議会)が全国運動を提唱して、9月15日を「としよりの日」、その日から21日までを運動週間と定めた[1]。村の会から全国運動までは4年である。

では、なぜ名前が変わったのか。同志社女子大学の解説は、「としより」という言葉の響きがよくないとされたため、「としよりの日」から「老人の日」、さらに「敬老の日」へ変わったと説明する[4]。1966年の祝日化の前に、「老人の日」の段階があったと、全社協も書いている[1]。ただし「老人の日」への改称の時期は、1963年の老人福祉法の頃とするもの、1964年とするものなど資料によって異なるため、本稿は年を一つに断定しない。

名前の変化を並べると、年齢の呼び名(としより、老人)から、気持ちの言葉(敬老)へと重心が動いたと読める。この読み方は筆者の整理であり、改称に関わった人々の意図そのものを示すわけではない。

では、祝日になった今、法律は敬老の日を何と定めているのか。

5. いまの 法律ほうりつには、なんと 書いて あるの?

5. 祝日の「敬老の日」と、福祉法の「老人の日」

5. 祝日法の趣旨と老人福祉法の目的 ── 二つの決まりを読み分ける

国の 祝日しゅくじつの 決まりには、「敬老けいろうの 日」は、長い あいだ 社会の ために はたらいて きた 人を うやまい、長生きを おいわいする 日だと 書いて あります[5]。

日づけは、9月の 3ばんめの げつようびです[5]。むらでは 9月15日でしたが、いまは 動く 日に なって います。

べつの 法律ほうりつでは、9月15日を 「老人ろうじんの 日」、15日から 21日までを 「老人ろうじん週間」と して います[6]。

祝日法(昭和23年法律第178号)は、敬老の日の趣旨を「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」とし、日付を9月の第3月曜日と定めています[5]。村の会は9月15日でしたが、今の敬老の日は毎年日付が動く祝日です。

一方、老人福祉法は、9月15日を「老人の日」、15日から21日を「老人週間」と定めています[6]。その目的は、国民の老人の福祉についての関心と理解を深めることと、老人自身が生活を向上させようとする意欲を促すことです[6]。

祝日としての敬老の日と、9月15日の老人の日は、別の法律に書かれた別の日です。村の「知恵を借りる」会の考え方は、後者の「老人自身の意欲」の文言に近い形で残っているように読めます。

祝日法(昭和23年法律第178号)は、敬老の日の趣旨を「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」とし、日付を9月の第3月曜日と定める[5]。村の会が9月15日だったのに対し、現行の敬老の日は毎年日付が動く。

これとは別に、老人福祉法第5条は、9月15日を「老人の日」、15日から21日までを「老人週間」と定め、その目的を、国民が老人の福祉への関心と理解を深めること、老人自身が生活の向上に努める意欲を促すことと位置づける[6]。つまり、敬老の日は祝日法の「敬愛し、長寿を祝う」日、老人の日は福祉法の「理解を深め、意欲を促す」日であり、同じ秋の中に性格の違う二つの日がある。

老人の日の目的に「老人自身の意欲」が入っている点は、「年寄りの知恵を借りて村づくりをする」という村の趣旨と並べて読むと興味深い。ただし、両者に直接の継承関係があるかどうかは分からない。並べて読み比べる、という筆者の見方である。

6. 村は、いまも 「はじまりの 地」なの?

6. 発祥の地を名乗る多可町の、今の取り組み

6. 発祥の地をPRする多可町の絵画展と、ここまでの流れ

いまの 多可町たかちょうでは、「敬老けいろうの 日の はじまりの 地」と して 町を しょうかいして います。毎年、はじまりの 地を しらせる 絵の 会も 開いて います[7]。

はじまりの 会は、いまも 町の 人たちに 大切に されて いるのです。

多可町は、今も「敬老の日発祥の地」をPRしています。発祥の地をPRする絵画展を毎年開いていると、2021年9月の神戸新聞は報じています[7]。

1947年の会は、国が決めた行事ではなく、村の人たちが自分たちで始めた会でした。それがいつの間にか全国の祝日になり、始まりの町は、その記憶を絵画展という形で続けています。

多可町は、今も「敬老の日発祥の地」をPRしており、そのための絵画展を毎年開いている。2021年9月の神戸新聞の記事が、その様子を伝えている[7]。

ここで、全体の流れをまとめると、まず1947年に村が「大切にする」と「知恵を借りる」の二つを掲げて会を開いた。次に県と全国の運動になり、「としよりの日」から「老人の日」へ変わった。最後に1966年、「敬愛し、長寿を祝う」祝日となった。だから敬老の日は、村の行事を出発点の一つとして、県や全国へ広がった日と整理できる。

ただし、村の会が祝日の唯一の起点だと言い切ることはできない。日付の由来のように、資料によって説明が分かれる点も残っている。

7. おうちの 人の 「ちえ」を ひとつ、きいて みよう

7. 村長のまねをして、年上の人の知恵を一つ借りてみる

7. 趣旨を自分の生活で確かめる ── 年上の人から知恵を一つ聞いてみる

むらの 人たちは、お年よりの 「ちえ」を かりる 会を ひらきました。まねを して、おうちの 人や 近くの 年上の 人に、ひとつ きいて みましょう。

「むかしの ひとは、これを どう して いたの?」「いまでも 使って いる くふうは ある?」。きいた ことは、ノートに かいて おきます。おうちに きく 人が いなければ、学校の 先生や、としょかんの 本でも だいじょうぶです。

きいた 「ちえ」が いまも やくに 立つ わけを、ひとつ 考えて みましょう。むかしの 人の くふうには、わけが あります。

野間谷村の会の趣旨を、自分の周りで試してみます。家の人や近所の年上の人に、「昔はこうしていた」「今も役に立つ工夫は何か」を一つ聞いて、ノートに書きます。聞いたあと、「どうしてそうするのか」を一つ重ねて尋ねると、知恵の理由まで残せます。家に年上の人がいなければ、学校の先生や図書館の本でも構いません。

聞いた知恵が今も役に立つ理由を、自分の言葉で一文にしてみます。それが、村の人たちが「知恵を借りる」と言ったことの中身に近づく一歩です。祝日法と老人福祉法の書き方の違いは、内閣府と厚生労働省のページを並べると見えてきます[5][6]。

村の趣旨を、自分の生活で確かめることができる。家族や近所の年上の人に、「昔のやり方で、今も役に立つものは何か」を一つ聞き、「なぜそうするのか」も重ねて尋ねてノートに残す。家に年上の人がいなければ、学校の先生や図書館の本で代用してよい。聞いた知恵が今も役に立つ理由まで考えると、「知恵を借りる」とは何をすることかを、自分の手で確かめる試みになる。

祝日法の趣旨は内閣府、老人福祉法の目的は厚生労働省のページで読み比べられる[5][6]。当日の様子や提唱者は、Wikipediaと地元企業のブログに頼った記述なので、町史や自治体の資料にあたると確かめが深まる[2][3]。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

敬老の日の始まり・名前の変化・法律上の位置づけについて、次の資料を使いました。公的機関の資料と、報道・解説・伝聞を分けて読んでいます。

  1. 全国社会福祉協議会「令和8年『老人の日・老人週間』について」 https://www.shakyo.or.jp/bunya/kourei/week/index.html (1947年の敬老行事・1950年の県民運動・1951年の全国運動・祝日化)
  2. 野間谷村(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%96%93%E8%B0%B7%E6%9D%91 (会の趣旨と提唱者・伝聞)
  3. 足立織物通信 https://www.atec1945.co.jp/blog/202109081242541363.html (当日の様子・伝聞)
  4. 同志社女子大学「『敬老の日』について」 https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/11762 (9月15日の理由・名前が変わった理由)
  5. 内閣府「国民の祝日について」 https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html (敬老の日の趣旨と日付)
  6. 厚生労働省「老人の日・老人週間」 https://www.mhlw.go.jp/stf/roujin-syuukann_00001.html (老人の日・老人週間と目的)
  7. 神戸新聞(2021年9月) https://www.kobe-np.co.jp/news/hokuban/202109/sp/0014695054.shtml (多可町の発祥の地PRと絵画展)

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