1. すこししか さがらない みちで、みずは ながれるの?
1. たった数十cmの下りで、50kmも水は流れるのか
1. 50kmで十数mしか下らない水路:なぜ「急がない坂」が選ばれたのか
みずは、たかい ところから ひくい ところへ ながれます。ローマの すいどうは、この きまりだけで みずを はこびました。ポンプは ありません。[1]
みなみフランスの ニームの すいどうは、およそ 50km の どうろで、十数メートルほどしか さがって いません。1km では、30センチ ちょっと さがる ことになります。[2]
たとえば、ものすごく ながい すべりだいを おもって ください。ほとんど たいらでも、ぼうるは ゆっくり ころがって いきます。みずも、そんな ふうに すすみます。ただし ほんとうは、みぞの かべが ざらざらだと、ながれは おそく なります。
では、これだけ ゆるい さかを、50km も まちがえずに つくるには、どうしたの でしょう。
水は高いところから低いところへ流れます。ローマの水道は、この性質だけを使いました。水源から終点まで、ずっと緩やかな下り坂になるように水路を作り、ポンプなしで水を送ったのです[1]。
南フランスのニームへ水を運んだ水道は、約50kmで高低差が約17mとされ、平均の傾きは約3000分の1、つまり1kmあたり約34cmの下りです[2]。ただし、日本語の資料では高低差が12.6mと書かれていて、数字に差があります。そのため、この記事では「十数m」と幅をもたせて書きます。
日本語の事典には、ローマ水道の傾きは1%以下で、0.25〜0.5%が適当とされた、という説明があります[11]。0.25%は、1km進むと2.5m下る坂です。ニームの水道は約0.03%ですから、この目安の7分の1から15分の1というゆるさです(目安は一般的な数字で、ニームの水道に当てはめたものではありません)。
これほどゆるい坂を、50kmも、谷や丘をまたぎながら保つには、傾きを正確に測る道具が必要でした。
水は高いところから低いところへ流れる。ローマの水道は、この性質だけを動力にした。水源から終点まで、ずっと緩やかな下り坂になるよう水路を設計し、ポンプを使わずに水を送ったのである[1]。
では、その坂はどれほど緩かったのか。ニームの水道は全長約50kmで、高低差は約17m、平均勾配は約1/3000(1kmあたり約34cm)とされる[2]。ただし日本語版の百科事典は高低差を12.6m、全長を約52.7kmとしており[3]、資料によって数字に幅がある。1kmあたりに直すと約24〜34cmだから、「1kmで20〜30cm台」と見ておくのが安全である。
一般的な目安と比べると、そのゆるさがよく分かる。日本語の事典は、ローマ水道の勾配を1%以下、可とされたのは0.25〜0.5%とする[11]。0.25%は1kmで2.5mの下りだから、ニームの約0.03%は、この目安の7〜15分の1にすぎない(筆者の計算。目安は水道一般の数字であって、ニームだけの値ではない)。
急な坂にしなかった理由は、資料に直接書かれていない。しかし、水源の標高から終点まで使える高低差は限られている。その差を50kmに配ると、自然にこのくらいの緩さになる。問題は、緩い坂ほど少しの施工誤差で水が流れにくくなることである。次の問いは、その誤差をどう抑えたか、になる。
2. ほんの すこしの さかを、どうやって はかったの?
2. 長さ6mの定規と、おもりの糸:傾きを測る道具
2. 水平を測るコロバテス:おもりの糸が左右の印に合うとき
ローマの ひとたちは、さかを はかる どうぐを もって いました。「コロバテス」と いう、ながい いたです。
ながさは、およそ 6メートル。あしが ついて いて、うえに おもりの いとが さがります。いとが さゆうの しるしに ぴたりと あえば、そこは たいらだと わかります。[8]
たいらな せんを きめて、そこから すこしずつ さげて いけば、ゆるい くだりざかが つくれます。ほかにも、かどを はかる どうぐが ありました。[9]
ローマの技術者は、傾きを測る道具をいくつか持っていました。長さ約20フィート(約6m)の木の枠に、水を使う水平器をつけた「コロバテス」、角度を測る「グローマ」、そして後の測量機の祖先とされる「ディオプトラ」です[9]。
建築家ウィトルウィウスは、コロバテスを次のように説明しています。約20フィートの長い定規に脚をつけ、おもりを下げた糸が、左右の印に同時に合えば、その道具は水平に立っている、という仕組みです[8]。
水平がとれたら、そこから決まった分だけ下げて印をつけ、次の地点に移ります。これを何百回もくり返せば、50kmの緩やかな坂ができます。水路の底に傾きをつけることは、ウィトルウィウスも求めていました。ただし傾きの数字は、翻訳によって食いちがうので、ここでは書きません[7]。
測れば、坂は作れます。でも、作った坂は、守りきれたのでしょうか。
ゆるい坂を50km保つには、まず水平を正確に出さなければならない。ローマの測量には、長さ約20フィート(約6m)の木枠に水準器をつけたコロバテス、直角を出すグローマ、角度を測るディオプトラがあった。ディオプトラは、現代のトランシット(セオドライト)の祖先とされる[9]。
ウィトルウィウスは『建築書』8巻5章で、コロバテスの使い方を説明する。約20フィートの定規に脚をつけ、おもりを下げた糸が左右の印に同時に合えば水平という趣旨である[8]。6mもの長い定規を使うのは、短い定規より小さな傾きのずれを拾いやすいからだろう(筆者の推測であり、資料には書かれていない)。
同じ巻の6章では、水路の底に傾きをつけること、石造りの水路にはアーチ状の覆いをかけて、日光が水に当たらないようにすることを述べている。送水の方法は、石の水路、鉛の管、素焼きの管の3つとされる[7]。傾きの数値は、翻訳によって「100フィートで半フィート」説と「1/4インチ」説に分かれ、確定していない。
測量が正確でも、地形は水道に合わせてくれない。丘は水路をさえぎり、谷は傾きを狂わせる。そこで次に問うべきは、ローマの水道が実際に、どこを通っていたのかである。
3. アーチの はしは、すいどうの ほんの いちぶだった?
3. 有名なアーチの橋は、水道のほんの一部だった
3. 水道の約85%は地下にあった:アーチ橋は全体の約1割
すいどうと いえば、アーチが ならぶ おおきな はしを おもいうかべます。でも、みずの みちの ほとんどは、じつは ちかを とおって いました。
ローマの まちに ひいた すいどうは、ぜんぶで およそ 507km。そのうち、ちかは およそ 433km で、ぜんたいの 85パーセントほどです。アーチの はしは、およそ 58km だけでした。[1]
いちばん ふるい アッピアすいどうは、ながさ およそ 16.6km。そのうち ちじょうに でて いたのは、およそ 90メートル ぶんだけだった、と つたえられて います。[4]
水道と聞くと、アーチがずらりと並ぶ大きな橋を思い浮かべる人が多いでしょう。ところが、ローマ市の水道網で見ると、橋はごく一部です。
ナショナルジオグラフィックの記事によると、ローマ市の水道は全部で約315マイル(約507km)。そのうち約269マイル(約433km)は地下で、地上は約46マイルでした。アーチ状の橋の部分は、約36マイル(約58km)だけです[1]。割合にすると、地下が約85%、橋が約11%です(筆者の計算)。
最古のアッピア水道は、紀元前312年ごろに着工されたとされます。長さは11,190歩(約16.6km)で、そのうち11,130歩が地下を通り、地上の橋やアーチは60歩(約90m)だけでした[4]。ほぼ全部が地下です。
水が日光に当たらないように覆いをかけることは、ウィトルウィウスも勧めています[7]。地下に水路を通すと覆いにもなりますが、地下にした理由が何だったのかは、ここで引いた資料には書かれていません。
橋は少なくても、谷にぶつかる場所は必ずあります。その橋は、どのくらい大きかったのでしょうか。
水道のイメージといえば、アーチ橋である。ところが距離で見ると、橋は意外なほど少ない。ナショナルジオグラフィックの記事は、ローマ市の約315マイル(約507km)の水道網のうち、約269マイル(約433km)が地下、地上が約46マイル、アーチ状の構造は約36マイル(約58km)だけだったと伝える[1]。マイルからkmへの換算と割合は筆者の計算で、地下が約85%、アーチ橋が約11%になる。
最古のアッピア水道(紀元前312年ごろ着工)は、さらに極端である。フロンティヌスの記録を引くと、全長11,190歩(約16.6km)のうち11,130歩が地下で、橋やアーチは60歩にすぎない[4]。1歩を約1.48mとして計算すると、地上部分は約90mで、全体の約0.5%である。
では、なぜ地下が多かったのか。ウィトルウィウスは、石造りの水路にアーチ状の覆いをかけ、水に日光が当たらないようにせよと述べた[7]。地下の水路はその覆いの役を兼ねるが、ローマ人が地下を選んだ理由そのものは、この記事で使った資料には書かれていない。いえるのは、水道の大半が地中を通り、地上のアーチ橋は、地形上どうしても必要な場所に限られたという事実である。
そのアーチ橋の代表がポン・デュ・ガールである。次の問いは、谷を橋で越えるとき、どこまで高くできたのか、になる。
4. たにを こえる はしは、どのくらい おおきかったの?
4. ポン・デュ・ガール:高さ約48.8mの橋の上でも、坂は守られた
4. ポン・デュ・ガールの三層アーチ:橋の上でも、傾きは456mで2.5cm
フランスの ガルドンがわを またぐ「ポン・デュ・ガール」は、ニームの すいどうの はしです。たかさは、およそ 48.8メートル。アーチが 3だん かさなって います。[2]
はしの うえの みずの みちでも、さかは まもられました。およそ 456メートルで、さがるのは 2.5センチだけです。[2]
いしは、おもいもので 6トンほど。モルタルは ほとんど つかわず、いしを くみあわせて つくられました。はたらいた ひとは、800〜1000にん ほどと かんがえられて います。[2]
いつ つくられたかは、かんがえが わかれて います。紀元前19ねんごろと いう せつと、1せいき なかごろと いう せつが あります。[2][3]
ポン・デュ・ガールは、南フランスのガルドン川をまたぐ、三層のアーチ橋です。高さは約48.8mで、橋の上に水路がのっています[2]。
この橋の上でも、緩やかな坂は守られました。橋の部分は456mあり、その間に下るのは2.5cmです[2]。1kmに直すと約5.5cmで(筆者の計算)、ニーム水道全体の平均より、さらにゆるい坂です。橋を渡る間は、ほとんど平らに見えたはずです。
橋は、ほぼモルタルを使わず、最大約6トンの石を組んで作られたとされ、約800〜1000人が働いたと推定されています[2]。建設の年は、紀元前19年ごろという説と、紀元後40〜60年ごろという説があり、定まっていません。日本語の資料では、クラウディウス帝の時代(41〜54年)の建設とされています[3]。
三段重ねでも、橋で越えられる谷には限りがありました。これより深い谷が来たら、どうしたのでしょうか。
ポン・デュ・ガールは、ガルドン川をまたぐ三層のアーチ橋で、高さは約48.8mある。水路が橋の最上段にのっていても、傾きは守られた。橋の部分は456mで、下りはわずか2.5cmである[2]。1kmに直すと約5.5cm(筆者の計算)で、ニーム水道全体の平均(1kmで約34cm)よりずっと緩い。橋の上は、ほぼ水平に近い区間だったことになる。
建設方法についても、英語版の資料は、ほぼモルタルも留め金も使わず、最大約6トンの石ブロックを積んだこと、約800〜1000人が働いたと推定されることを挙げる[2]。ただしこれは推定値である。
建設の年代は確定していない。紀元前19年説と、紀元後40〜60年ごろ説があり[2]、日本語版の百科事典はクラウディウス帝(在位41〜54年)の時代の建設とする。同じ資料は、水道全体の長さを52,702m、橋の現存部分を275mとしている[3]。英語版が456mとするのは、失われた部分を含めた当初の長さだろう(筆者の推測)。
この橋の高さは、谷を橋で越える工事が難しくなる高さの目安ともされる[10]。これ以上深い谷では、橋を3段、4段と積んでも、費用も工期も重くなる。そこで別の手段が使われた。
5. ふかい たにでは、みずを いちど したに おろしたって ほんと?
5. 深い谷では、水をいったん谷底へ下ろして、また押し上げた
5. 橋の代わりに鉛管を使う逆サイフォン:谷底へ下ろして、向こう側へ上げる
たにが ふかすぎると、はしを たかく する のは たいへんです。そこで、ローマの ひとたちは、なまりの くだを つかいました。
たにの てまえの みずぶくろに みずを ためて、なまりの くだで たにの そこまで おろします。そして、むこうがわの さかを のぼらせます。[10]
みずが のぼるのは、うえから おもみで おしこまれるからです。ホースで みずを たかい ところへ あげる、あの かんじに にて います。
トルコの アスペンドスでは、たかさ およそ 30メートル、はば 1.7km の たにを、この ほうほうで こえた といわれます。[9][12]
橋を何段も重ねる代わりに、ローマの技術者は「逆サイフォン」を使いました。谷の手前の水槽から、鉛の管で水を谷底へ下ろし、向こう側の斜面を上げて、反対側の水槽に出す方法です。ポン・デュ・ガールの高さが、橋で谷を越える方法の限界の目安とされています[10]。
「サイフォン」という名前から、水を吸い上げる仕掛けのように思えますが、そうではありません。管の中の水が、上から押される力で、向こう側の坂を上るのです。この仕組みの細かい点は、ここで使った資料だけでは断定できないので、全体の流れだけを書きます[10]。
フランスのリヨンへ水を運んだジエ水道では、9本の鉛管を並べてコンクリートで包み、舟が行き来できる川を越えたといわれます。トルコのアスペンドスの逆サイフォンは、高さ約30m、幅1.7kmの谷を越えたそうです[9][12]。
谷を越える工夫まで見てきました。では、できあがった水道を流しつづけるには、何が必要だったのでしょうか。
橋で越えるには、谷が深すぎる。そこで使われたのが逆サイフォンである。谷の手前の水槽から鉛管で水を谷底へ下ろし、向こう側の斜面を上げて、反対側の水槽に出す。ポン・デュ・ガールの高さは、橋を何段も重ねて谷を越える方式の限界を示すとされる[10]。
名前に反して、水を「吸い上げる」わけではない。谷底に向かって下る水の重さが管内の圧力となり、その圧力が向こう側の斜面で水を押し上げる。この記事で使った資料は圧力水路としての説明を軸にしており、細部は原論文でなく検索結果の要約から確かめたため、全体像にとどめる[10]。
実例として、リヨン(ルグドゥヌム)へのジエ水道は、9本の鉛管を並べてコンクリートで包み、航行可能な川を越えたとされる。トルコのアスペンドスの逆サイフォンは、高さ約30m、幅1.7kmの谷を越えたという[9][12]。数値は検索結果の要約に基づくものだ。
圧力がかかる鉛管は、橋の石の水路より、継ぎ目と材料の強さに気を使う。ウィトルウィウスが挙げた送水の3方法(石の水路・鉛管・素焼き管)のうち、圧力のかかる区間は管で受け持つことになる[7]。では、建設後はどうだったのか。次は、水道を流しつづける仕事に目を向ける。
6. みずを ながしつづける ために、だれが なにを したの?
6. 水を流しつづける仕事:石灰の汚れと、水道長官の誇り
6. 管にこびりつく石灰と、フロンティヌスの報告書:水道を維持する仕事
ローマの まちでは、すいどうが ぜんぶで 11ぽんに ふえ、1にち やく 52万〜63万5000りっぽうメートルの みずを はこんだと かんがえられて います。100万にん いじょうの くらしを ささえたと いわれます。[9]
でも、みずに ふくまれる カルシウムが かたまって、くだや みぞに こびりつきます。ほんの ざらざらでも、ながれは さいだい 4ぶんの 1 おちると いわれます。だから、そうじや とりかえが いりました。[9]
96ねんに、皇帝ネルウァは、フロンティヌスを すいどうの かかりに えらびました。フロンティヌスは、そのころ 9ほんの すいどうが あった ことを ほうこくしょに かきました。[5]
かれは、すいどうの ならぶ ローマを、ピラミッドと くらべて、ほこりました。ピラミッドは なんの やくにも たたない、と いいたかった ようです。[6]
のちに11本まで増えたローマの水道は、1日に52万〜63万5000m³ほどの水を運び、100万人を超える人の暮らしを支えたと推定されています[9]。容量約500m³のプールで数えると、1日に1000杯分を超えます(筆者の計算で、推定値の下限を使っています)。
水を流しつづけるには、手入れが欠かせませんでした。水に含まれるカルシウムが管や水路に固まると、ほんのわずかなざらつきでも、流れる速さが最大で4分の1も落ちるとされます。そのため、掃除や取りかえが必要でした[9]。ゆるい坂では、この小さな遅れが、流れ全体に響いたのでしょう。
水道長官フロンティヌスの報告書
紀元96年、皇帝ネルウァは、フロンティヌスを水道の長官に任じました。彼は水道の報告書『De aquaeductu(水道について)』を書き、紀元96年ごろのローマに9本の水道があったことを伝えています[5]。
この報告書の中でフロンティヌスは、水道がたくさん並ぶローマを、役に立たないピラミッドや、有名でも役に立たないギリシアの建造物と比べてみよ、と誇りました[6]。毎日水を届ける仕事を、彼は誇りにしていたようです。
では、このゆるい坂を、家の中でも試せるでしょうか。
水道は、造って終わりではない。のちに11本まで増えたローマの水道は、1日に52万〜63万5000m³ほどを運び、100万人超の暮らしを支えたと推定される。幅があるのは推定値だからで、1人あたりの量までは言い切れない[9]。それでも、容量500m³ほどのプールに直せば、下限でも1日に1000杯を超える(筆者の計算)。
水路の手入れでは、水に溶けているカルシウムなどの付着物も問題になった。管や水路の内側に固まると、わずかなざらつきでも流速が最大で1/4落ちるとされる[9]。傾きが小さい水道ほど、流速の低下は、そのまま届く水の減少につながる。そのため、掃除と取りかえが日常の仕事になったと考えられる。
水道の管理を担う役職の一つが、水道長官である。セクストゥス・ユリウス・フロンティヌスは、紀元96年に皇帝ネルウァから水道長官に任じられ、報告書『De aquaeductu』を書いた。紀元96年ごろ、ローマには9本の水道があった[5]。
報告書1巻16節でフロンティヌスは、これほど多くの水道を持つローマを、役に立たないピラミッドや、有名でも役に立たないギリシア人の建造物と比べてみよ、と誇る[6]。ここで使った資料は要約ページ経由なので、訳文は写さず、意味だけを書いた。毎日水を届けつづけることを、彼は「役に立つ仕事」の誇りとして語っているように読める。
7. クリアファイルの みぞで、ゆるい さかを ためして みよう
7. クリアファイルの溝で、「流れはじめる坂」を探る
7. 溝の水が流れはじめる傾きを測る
おうちの クリアファイルを、ながい ほうを 半分に おって、みぞを つくります。ながさは 30センチほどです。
おふろ場や、シンクの なかで やりましょう。みぞの かたほうの はしに、ほんを かさねて すこしだけ あげます。そこへ コップの みずを そっと そそぎます。
ほんを 1さつずつ へらしながら、みずが どこまで ながれるかを くらべます。ローマの すいどうは、これを 50km も つづけました。ニームの さかを 30センチに すると、あがる たかさは 0.1ミリ ほどです。クリアファイルでは できない、ゆるさです。
みずを つかうので、ゆかが ぬれないように きを つけましょう。
家にあるクリアファイルで、小さな水道を作れます。長いほうを半分に折って谷折りにし、約30cmの溝にします。
お風呂場かシンクの中で、溝の片方を本に載せて少し持ち上げ、反対側にコップの水をそっと注ぎます。本を1冊ずつ減らしていくと、水が流れなくなる高さが見つかります。何ミリ上げれば流れつづけるかを、定規で測ってみてください。
ニーム水道の坂(1kmで約34cm)を30cmに縮めると、持ち上げる高さは約0.1mmです(筆者の計算)。クリアファイルでは作れない、ゆるさです。溝の内側を指で湿らせたり、ざらざらにしたりして、流れ方がどう変わるかを見るのもよいでしょう。
原典に興味が出たら、ウィトルウィウス『建築書』の8巻と、フロンティヌス『De aquaeductu』が、英語の翻訳で読めます。出典欄の資料から、探せます。
家にあるものでも、「流れはじめる傾き」は測れる。クリアファイルを長い辺に沿って半分に折り、約30cmの溝にする。風呂場かシンクの中で、一端を本の上に載せて持ち上げ、反対端にコップの水を静かに注ぐ。本を1冊ずつ減らし、水が流れなくなる高さを定規で測れば、その溝の最小の傾きの目安が得られる。
ニーム水道の平均勾配(約1/3000)を30cmの溝に当てはめると、持ち上げる高さは約0.1mmで、ファイルの溝では再現できない。溝の内側を湿らせたものと乾いたものを比べると、表面の粗さが流れに与える影響も見える。ローマで掃除や取りかえが必要とされたのは、同じ理由による。水を使うので、床を濡らさないようにすること。
原典を読むなら、ウィトルウィウス『建築書』8巻(水の探し方、水路、送水)と、フロンティヌス『De aquaeductu』が手がかりになる。どちらも英語訳が公開されているが、この記事は、訳文そのものでなく、要約ページ経由で確かめた内容に基づく。翻訳によって数値が食いちがう箇所があるので、勾配の数字を引くときは、版を確かめてほしい。
また、ニーム水道の高低差(17m説と12.6m説)や、ポン・デュ・ガールの建設年(紀元前19年説と1世紀説)が資料で分かれていること自体が、調べるときの手がかりになる。どの数字が、どの版の、どの測り方なのか。それを自分でたどれば、同じ水道がもう一段くわしく見えてくる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料。Wikipediaは概要の把握と数値の相互比較に、原典(ウィトルウィウス・フロンティヌス)は書かれている内容の確認に使った。
- National Geographic, Aqueducts: Quenching Rome's Thirst. https://www.nationalgeographic.com/history/history-magazine/article/roman-aqueducts-engineering-innovation (重力で流す、地下と橋の距離)
- Wikipedia, Pont du Gard. https://en.wikipedia.org/wiki/Pont_du_Gard (ニーム水道の高低差と橋の大きさ)
- Wikipedia, ポン・デュ・ガール. https://ja.wikipedia.org/wiki/ポン・デュ・ガール (建設時期と現存長、数値の比較)
- Wikipedia, Aqua Appia. https://en.wikipedia.org/wiki/Aqua_Appia (最古の水道の地下の割合)
- Wikipedia, De aquaeductu. https://en.wikipedia.org/wiki/De_aquaeductu (水道長官の任命と報告書)
- Frontinus, De aquaeductu 1.16 (ToposText). https://topostext.org/work/686 (長官の誇りの一節。要約ページ経由)
- Vitruvius, On Architecture 8.6 (Perseus). https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0072%3Abook%3D8%3Achapter%3D6 (水路の傾き・覆い・送水の3方法)
- Vitruvius, On Architecture 8.5 (Perseids). https://cts.perseids.org/read/latinLit/phi1056/phi001/perseus-eng1/8.5.2-8.6.7 (コロバテスの使い方)
- Wikipedia, Roman aqueduct. https://en.wikipedia.org/wiki/Roman_aqueduct (測量の道具、逆サイフォンの例、水量、石灰の影響)
- Roman Water Transport: Pressure Lines (MDPI Water 2022). https://www.mdpi.com/2073-4441/14/1/28 (逆サイフォンと橋の限界)
- コトバンク, ローマ水道. https://kotobank.jp/word/ローマ水道-3176633 (勾配の一般的な目安)
- UNESCO World Heritage Centre, Aspendos 暫定リスト. https://whc.unesco.org/en/tentativelists/6036 (アスペンドスの逆サイフォン)
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