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日本酒の 水は どこの 水でも 同じ? 牛で 水を 運んだ 人が いた

日本酒の水はなぜ土地ごとに違う? 牛で水を運んだ蔵元と、軟水を生かした広島の工夫

日本酒の約8割は水:蔵元は西宮の井戸水を牛で運び、広島は軟水の弱点を測って生かした

分野:歴史・文化

日本酒の 大部分は 水で、およそ 8わりが 水だと いわれて います。江戸えどの おわりごろ、その 水を 牛の 背せに のせて、7キロ いじょうも 運んだ 人が いたと 伝つたえられて います。

おさけを 作る のに、どうして わざわざ 水を 運んだのでしょう。この 記事を 読むと、おさけに 合う 水の ひみつと、やわらかい 水の 広島で 生まれた くふうが 分かります。

日本酒の成分の約8割は水です。江戸の終わりには、その水を牛の背に乗せ、7キロ以上離れた蔵まで行列で運んだ蔵元がいたと伝えられています。

お米でも酒でもなく、なぜ水を運んだのでしょうか。その水の中身と、まるで逆の「やわらかい水」の土地で広島の人が出した答えから、酒どころの水が土地ごとに違う理由が分かります。

日本酒の成分の約8割は水だとされる。江戸末期の1840(天保11)年には、西宮の井戸水を牛の背に乗せ、7キロ以上離れた魚崎の蔵まで運ぶ行列があったと伝えられる。なぜ酒でも米でもなく水を運んだのか。宮水の成分と、逆に水が「軟水」で酒造りに不向きと言われた広島で起きた逆転をたどると、土地の水と造り手の工夫の関係が分かる。

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1. 日本酒の 8わりが 水なら、水が ちがうと 味も ちがうの?

1. 酒の約8割が水なら、水の違いは味に出るのか

1. 成分の約8割を占める水は、酒造りのどこで働くのか

日本酒の 作り手の 中には、「水は 米と 同じ くらい 大切な 原料げんりょうだ」と 言う 人が います[1]。日本酒の 成分せいぶんの 8わりほどが 水だからです。

水が 使われるのは、さいごに 量りょうを 足す ときだけでは ありません。米を あらって 水に つける ところ、麹こうじを 作る ところ、発酵はっこうさせる ところでも、水の 質しつが かかわると いわれます[1]。

水には、やわらかい 水(軟水なんすい)と かたい 水(硬水こうすい)が あります。軟水なんすいでは ゆっくり 発酵はっこうが 進んで、やわらかな 味に。硬水こうすいでは 元気よく 発酵はっこうして、きりっと した 味に なると いわれます[1]。ただし 本当は、水だけで 味が 決まる わけでは ありません。

では、水の ちがいに 気づいた 人は、どう したのでしょう。

日本酒の作り手の中には、水は米と同じくらい大切な原料だと言う人がいます[1]。成分の約8割が水なので、不思議ではありません。

水が働くのは、最後に量をそろえる場面だけではありません。米を洗って水に浸す工程、麹や酒母をつくる工程、そしてアルコール発酵の間も、水の質の影響を受けます[1]。

水の違いとしてよく話に出るのが、硬度です。水に溶けているミネラルの量の目安で、少ないものを軟水なんすい、多いものを硬水こうすいと呼びます。軟水なんすいで仕込むと発酵がゆっくり進んで柔らかな味わいに、硬水こうすいだと活発に発酵して引き締まった味になる、と説明されます[1]。ただ、これは一般的な傾向の話で、同じ硬さの水でも蔵や造り方で味は変わります。水だけで酒の味が決まるとは言えません。

では、水の違いに最初に気づいた人は、どんな行動に出たのでしょうか。江戸の終わりの灘に、その場面があります。

「水は米と同じくらい大切な原料だ」と言う蔵元がいる[1]。日本酒の成分の約8割は水だとされるから、大げさな言い方ではない。しかも水は、仕上げに量を整えるためだけに使われるのではない。洗米と浸漬の段階で水の影響を大きく受け、麹や酒母をつくるときも、さらにアルコール発酵の間も、水の質が関わる[1]。つまり、いくつもの段階で水が働いている。

水の違いを語るときの物差しが硬度である。水に溶けているミネラルの量の目安で、少ない水を軟水なんすい、多い水を硬水こうすいと呼ぶ。軟水なんすいで仕込むと発酵がゆっくり進んで柔らかな味わいに、硬水こうすいだと発酵が活発になって引き締まった味になる、と言われる[1]。ただし、この説明は「と言われる」程度の傾向である。同じ軟水でも蔵の造り方や米で味は動くはずで、水だけで酒の味が決まると読むのは行きすぎだ。

それでも、水が酒のでき方に関わるのなら、土地の水の違いは酒の違いにつながりうる。では、その違いに気づいた人は、どう確かめ、何をしたのか。舞台は江戸末期の灘である。

2. どうして 蔵くらの 人は、水を 牛に のせて 運んだの?

2. 蔵元はなぜ、井戸水を牛の背に乗せて運んだのか

2. 酒でも米でもなく水を運んだ蔵元は、何に気づいたのか

牛の 背せに 水を のせた 行列が、7キロ いじょうの 道を 進んで いきます。江戸えどの おわりの 灘なだでは、そんな ようすが あったと 伝つたえられて います[3]。

行列を 作ったのは、櫻正宗さくらまさむねという 酒の 蔵くらの 当主、山邑太左衛門やまむらたざえもんです。この 人は、魚崎うおざきと 西宮にしのみやの 2つの 場所に 蔵くらを もって いました[2]。

そして、西宮にしのみやで くんだ 地下水の ほうが、いい 酒に なると 気づきました。そこで、その 水を わざわざ 魚崎うおざきの 蔵くらまで 運ぶように なったのです。1840年の ことで、この 水が「宮水みやみず」と 呼よばれる ように なりました[2]。

水を 運ぶ のは、たいへんな 手間です。それでも 運んだのは、水の ちがいが 酒の できに 出ると 考えた からでしょう。では、宮水みやみずには 何が 入って いるのでしょう。

牛の背に水を乗せた行列が、7キロ以上の道のりを進んでいく。江戸の終わりの灘には、そんな光景があったと伝えられています[3]。

行列を仕立てたのは、櫻正宗さくらまさむね(1717年創業)の6代目当主、山邑太左衛門やまむらたざえもんとされます[3]。当時の山邑は、魚崎と西宮の2つの土地に蔵を持っていました。1840(天保11)年、西宮で汲んだ地下水のほうが魚崎の水より良質な酒になると気づき、その水をわざわざ魚崎の蔵まで運んで酒造りに使うようになりました[2]。これが「宮水」の発見とされています。

注目したいのは、運んだのが酒でも米でもなく、水だったことです。水の違いが酒の良し悪しに表れると、山邑は考えたことになります。

では、宮水は、ふつうの井戸水と何が違うのでしょうか。

井戸水を積んだ牛が、7キロ以上の道を列になって進んでいく。江戸末期の灘では、そんな行列が見られたと伝えられる[3]。

行列を仕立てたのは、櫻正宗さくらまさむね(1717年創業)の6代目当主、山邑太左衛門やまむらたざえもんとされる[3]。当時の山邑は、魚崎郷と西宮郷の2か所に蔵を持っていた。1840(天保11)年、西宮郷で汲んだ地下水のほうが魚崎郷の水より良質な日本酒になると気づき、その水をわざわざ魚崎まで運んで酒造りに用いるようになった[2]。これが「宮水」の発見とされる。

そのうえで、運んだものが酒でも米でもなく水だった点は見逃せない。水の違いが酒の良し悪しに表れると、山邑は判断したことになる。牛の背で何キロも運ぶ手間を引き受けた以上、その差は小さくなかったのだろう。では、宮水は普通の井戸水と何が違うのか。

3. 宮水には 何が 入って いて、何が 入って いないの?

3. 宮水に入っているもの、入っていないもの

3. 宮水はミネラル豊富なのに鉄分が少ない:3つの伏流水の混ざり方

宮水みやみずは、ミネラルが たくさん 入って いるのに、鉄分てつぶんは ほとんど 入って いない 水だと 紹介しょうかいされます[3]。

この 水は、3つの 伏流水ふくりゅうすい(地めんの 下を ながれる 水)が まざった ものです。2つは、発酵はっこうを たすける ものを 多く ふくんで います。もう 1つの 戎えびすという 伏流水ふくりゅうすいは 酸素さんそを 多く ふくみ、水の 中の 鉄分てつぶんを 酸化鉄さんかてつに かえて しずませ、とりのぞきます[4]。

鉄分てつぶんが 少ない のは、大事な ことです。灘なだの 酒を 作る 人たちの 会は、鉄分てつぶんが 多いと 酒に 色が つく 原因げんいんに なるので、ほとんど 入って いない 水が よいと 説明せつめいして います[5]。宮水みやみずで 作った 酒は、夏を こしても 味が おちず、秋には もっと おいしく なると 紹介しょうかいされて います[3]。

水の かたさでは、宮水みやみずは 180、京都の ふしみの 水は 80ほどと 紹介しょうかいされます[6]。180を 80で わると 約やく2.25ばい。宮水みやみずは かたい ほうの 水です。

それなら、やわらかい 水の 土地では、おいしい 酒は 作れないのでしょうか。

宮水の特徴は、ミネラルが豊富なのに、鉄分がほとんど含まれていないことだと紹介されます[3]。

その理由は、宮水が3つの伏流水ふくりゅうすい(地面の下を流れる水)のブレンドであることにあります。2つの伏流水はカリウムやリンなどを多く含み、発酵を助けます。残る1つの戎えびす伏流水は酸素を多く含み、水の中の鉄分を酸化鉄として沈ませて取り除きます。こうして、ミネラル豊富で鉄分の少ない水になります[4]。

鉄分が少ないことは、酒造りでは大事な条件です。灘酒造組合は、酒造りに向く水の条件として、色づきの原因になる鉄やマンガンをほとんど含まないこと、酵母の成長に必要なカリウムやマグネシウムなどを適量含むこと、有機物が少なく無味無臭であることをあげ、宮水はそれらを備えていると説明しています[5]。宮水で仕込んだ酒は夏を越しても味が落ちず、秋にはさらにうまくなると紹介されています[3]。

硬度で比べると、宮水は180 mg/L、京都の伏見の水は80 mg/Lほどと紹介されます[6]。180÷80で約2.25倍です。ただ、この数字は一つの記事での紹介なので、「だいたいこのくらい」という目安で見るのがよいでしょう。

ここまでの話では、宮水はミネラルの多い、硬い側の水です。それなら、やわらかい水の土地では、おいしい酒は造れないのでしょうか。

宮水の特徴は、ミネラル成分が豊富なのに、鉄分がほとんど含まれない点にあると紹介される[3]。この組み合わせは、水が地下でどう混ざるかから説明されている。

宮水は3つの伏流水ふくりゅうすいのブレンドである。2つの伏流はカリウムやリンなどを多く含み、発酵を助ける。残る1つの戎えびす伏流は酸素を多く含み、水の中の鉄分を酸化鉄として沈殿させて除く。その結果、ミネラルが豊富で鉄分の少ない水になる[4]。

鉄分の少なさがなぜ重要か。灘酒造組合が示す酒造用水の条件は、①着色の原因になる鉄やマンガンをほとんど含まない、②酵母の成長に必要なカリウム・マグネシウムなどを適量含む、③有機物が少なく無味無臭、の3点で、宮水はこれらを備えるとされる[5](英語版の記述)。宮水で仕込んだ酒は、夏を越しても味が落ちず、秋にはさらにうまくなると紹介されている[3]。ただし、この「夏越し」の良さを鉄分の少なさだけで説明する資料は、ここでは示されていない。

硬度で見ると、灘の宮水は180 mg/L、京都伏見の水は80 mg/L前後と紹介される[6]。180÷80=2.25で、宮水は伏見の約2.25倍である。数字は一つの記事による紹介なので、目安として読むべきだ。第1章の説明に当てはめれば、宮水は活発な発酵で引き締まった味になる側の水に近い。

では、その逆の、ミネラルの少ない軟水は酒造りに不向きなのか。そう言われた土地で、ある蔵元が別の答えを出した。

4. やわらかい 水の 広島では、どう やって 酒を 作ったの?

4. 酒造りに不向きと言われた軟水を、広島はどう生かしたのか

4. 三浦仙三郎は、腐造の原因を軟水にあると考え、造り方を測定で組み直した

広島の 安芸津あきつに、三浦仙三郎みうらせんざぶろう(1847〜1908年)という 酒作りの 人が いました。自分の 蔵くらで、酒が くさって しまう しっぱい(腐造ふぞう)が 起きて いました。

この 人は、原因げんいんが やわらかい 水に あるのでは ないかと 考えました。そして 実験じっけんを くり返し、やわらかい 水で 酒を 作る やりかたを 作り上げたと 紹介しょうかいされて います[6]。

やわらかい 水だと、発酵はっこうが 強く なりにくく、酒が くさりやすかったそうです。そこで 三浦みうらは、かんに たよる のを やめて、はかった 数字で 酒作りを するように しました。1898年には、その 研究が 本に まとめられて しゅっぱんされました[7]。

広島県は、酒作りに 向かないと いわれた やわらかい 水を 生かした 作り方だと 紹介しょうかいして います。1907年の 全国の 酒の 品評会ひんぴょうかいでは、広島の 酒が 大かつやくしたと いわれます[8]。ただし 本当は、水の くふうだけが 理由では ないでしょう。

水が かたくても、やわらかくても、そこに 合う 作り方を 見つけた 人が いた ことが、ここで 分かります。

広島の安芸津で酒を造っていた三浦仙三郎みうらせんざぶろう(1847〜1908年)は、自分の蔵で、酒が腐ってしまう腐造ふぞうに悩んでいました。三浦は、その原因が軟水の仕込み水にあると考え、実験を重ねた末に、軟水での醸造法を確立したと紹介されています[6]。

広島県の資料によると、軟水では発酵が強くなりにくく、酒が腐りやすかったそうです。そこで三浦は、勘に頼る酒造りをやめ、実測値にもとづく科学的な酒造りへ移りました。その研究成果は、1898(明治31)年に『改醸法実践録』という本にまとめられて出版されています[7]。

広島県は、酒造りに不向きと言われた軟水を生かす「軟水醸造法」を三浦が編み出し、1907年の第1回全国清酒品評会で広島の酒が圧勝したと紹介しています[8]。ただ、品評会の結果を水の工夫だけで説明することはできません。いくつもの要因が重なっていたはずですが、軟水の弱点を「測る」ことで扱えるようにした点は、広島の酒造りの転機として語られています。

宮水の灘は、よい水を見つけて運びました。広島は、水に合わせて造り方のほうを変えました。では、その水そのものは、いまどう守られているのでしょうか。

水が軟水の土地では、酒は造れないのか。広島・安芸津の三浦仙三郎みうらせんざぶろう(1847〜1908年)は、まさにその問いに突き当たった。自分の蔵で、酒が腐る腐造ふぞうが起きていたのである。三浦は原因が軟水の仕込み水にあると考え、実験の末に軟水での醸造法を確立したと紹介される[6]。

広島県の資料は、その中身をこう整理している。軟水では発酵が強くなりにくく、酒が腐りやすかった。そこで三浦は、勘に頼る酒造りから実測値にもとづく科学的な酒造りへ移った。研究成果は、1898(明治31)年に『改醸法実践録』としてまとめられ、出版された[7]。「確立」は明治の末期までの長い取り組みを指す説明で、1898年は本として出版された年である。

広島県は別の資料で、酒造りに不向きと言われた軟水を生かす「軟水醸造法」を三浦が編み出し、1907年の第1回全国清酒品評会で広島の酒が圧勝したと紹介している[8]。ただし、品評会の結果を水への対応だけに帰すことはできない。ほかの条件も重なっていたと考えるのが自然で、この資料から言えるのは、軟水という弱点を、測定という方法で扱える条件に変えたという点までである。なお、軟水醸造法の具体的な手順は、ここで使った資料には書かれていない。

こうして並べると、灘と広島は対照的だ。灘は、よい水を見つけて蔵に運んだ。広島は、水に合わせて造り方のほうを組み直した。では、見つけた水は、いまどう守られているのか。

5. 見つけた 水は、いまは どう 守られて いるの?

5. 地面の下の水を守る、西宮のきまり

5. 宮水保全条例:地下水を「後世に伝える」ための手続き

宮水みやみずは、地面の 下の 水です。上に 家や ビルが たつと、水に えいきょうが 出る かもしれません。

西宮にしのみや市には、「宮水みやみずほぜんじょうれい」という きまりが あります。まもる 場所で、ある 大きさ いじょうの 工事を する ときの 手つづきを 決めて います[4]。水を 後の 時代に 伝つたえる ための ものです。

いまも、西宮にしのみやの 500メートル 四方ほどの 場所に、いくつもの 酒の 会社の 井戸いどが あつまって いると 紹介しょうかいされます[3]。

宮水は地面の下の水なので、地上の開発とは無関係でいられません。西宮市は「宮水保全条例」を定め、保全対象区域で一定の規模以上の開発をするときの手続きを決めています。天然資源である水を後世に伝えていくためです[4]。

いまも、西宮の500メートル四方ほどの区画に、清酒ブランドの井戸が密集していると紹介されます[3]。江戸の終わりに牛の背で運ばれた水は、いまも同じ土地で、まちのきまりに守られながら使われています。

宮水は地下水であり、地表の開発の影響を受ける可能性がある。そのため西宮市は宮水保全条例を定め、保全対象区域で一定規模以上の開発を行う際の手続きを決めている。市はその目的を、天然資源である水を後世に伝えていくこと、と説明する[4]。

現在も、西宮の500メートル四方ほどの区画に、清酒ブランドの井戸が密集しているという[3]。江戸末期に牛の背で運ばれた水は、いまも同じ土地で、条例という公的な仕組みに支えられて使われている。水を「見つける」「使いこなす」の次に、「守る」という段階がある、と読める。

6. 家の 水の 「かたさ」を、ラベルで 見て みよう

6. 家の飲み物のラベルで、水のかたさを比べてみる

6. ラベルの数字で硬度を比べ、水の資料に当たる

おうちに ペットボトルの お水が あれば、うしろの ラベルを 見て みましょう。「硬度こうど」という 数字が のって いる ものが あります。

2本 あれば、数字を くらべます。宮水みやみずの 180は、それより 大きいでしょうか、小さいでしょうか。

さらに、水道の 水を ためして みるのも いい ですね。住んで いる まちの 水道局の ホームページには、水の 質しつを しめす ページが あります。

今日できること:家にミネラルウォーターがあれば、ラベルの「硬度」を見て、2本あれば数字を比べてみます。宮水の180(mg/L)と比べると、どちら側の水でしょうか。単位が違うラベルは、そのまま比べられないので気をつけます。

調べるなら:住んでいる市町村の水道局のホームページに、水質の情報があります。西宮市の「宮水保全」のページ(出典[4])と、広島県の「ひろしまラボ」のページ(出典[7])は日本語で読めて、水と酒造りのつながりを自分の目で確かめられます。

家にミネラルウォーターがあれば、ラベルの硬度(mg/L)を読み、第3章の宮水の180、伏見の80と比べてみるとよい。表示の単位や算出の方法が商品で違うことがあるため、数字は目安として扱う。

資料に当たるなら、日本語で読めるのは、西宮市の「宮水保全」のページ(出典[4])と広島県のページ(出典[7]、[8])である。灘酒造組合の用水の解説(出典[5])は英語版で、条件を原文で確かめられる。本記事では、一つの記事だけに出ていた硬度の数字と、牛での運搬の細部には強い断定を避けた。読むときに、どの資料がどの数字を支えているかを見比べてほしい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:公的機関(西宮市・広島県・灘酒造組合)の解説と、新聞・ウェブメディアの記事を使いました。逸話や硬度の数字は、一つの記事による紹介を含みます。

  1. nippon.com「日本酒の水」。https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu002016/ (日本酒の水の割合と、酒造りで水が働く場面、軟水・硬水の違いについて)
  2. このまちアーカイブス 西宮。https://smtrc.jp/town-archives/city/nishinomiya/index.html?id=a03 (宮水の発見の年と経緯について)
  3. nippon.com「宮水(酒どころ灘)」。https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900138/ (牛での運搬の逸話、宮水の特徴、現在の井戸の様子について)
  4. 西宮市「宮水保全」。https://www.nishi.or.jp/bunka/kanko/jyourei/miyamizuhozen.html (宮水を構成する3つの伏流水と、保全条例について)
  5. 灘酒造組合「酒造用水・仕込み水(英語版)」。https://www.nada-ken.com/main/en/?p=34 (酒造りに向く水の条件について。英語の資料)
  6. 現代ビジネス「日本酒には軟水のイメージ」。https://gendai.media/articles/-/83014 (宮水と伏見の硬度、三浦仙三郎の軟水醸造法について)
  7. 広島県 ひろしまラボ。https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/topics/20221118/01/ (三浦仙三郎の科学的な酒造りと、1898年の出版について)
  8. 広島県「広島の食」。https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/hiroshima-summit/food.html (軟水醸造法と1907年の全国清酒品評会について)

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