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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

あめが おおい にほんで、塩しおは どうやって つくって きたの?

雨の多い日本は、どうやって塩を作ってきたのか:砂と風から、電気と釜まで

岩塩も天日塩も望めない日本の製塩:藻塩・入浜式・流下式から、1972年のイオン交換膜法まで

分野:歴史・文化

せかいの 塩しおの ほとんどは、いわの かたまりや、ひなたで かわかす やり方で 作られて いると されます。にほんで作る 塩しおは、せかいの 0.5パーセント いかと いわれます。

あめが ふる くにで、どうやって 塩しおを 作って きたのでしょう。この きじを よむと、その くふうの ながれが わかります。

ある資料では、世界の塩の生産量のうち岩塩と天日塩だけで約99%を占め、日本は0.5%以下とされています[2]。しかも日本には、塩の資源になる岩塩がほとんどなく、雨が多くて広い平地もありません[1]。

そんな国で、人は何を頼りに塩を作ってきたのでしょうか。砂、風、藻、そして電気まで、道具を変えながら工夫を重ねた流れが、この記事で分かります。

ある資料では、世界の塩の生産量の約99%が岩塩と天日塩で、日本は0.5%以下とされる(数値の記載年は未確認で、おおよその目安)[2]。日本は岩塩に恵まれず、高湿多雨で広い平地もないため、天日塩づくりにも向かない[1]。

この条件の国が、なぜ海水から塩を作り続け、1972年に塩田をやめる決断までしたのか。その理由のつながりが、資料から分かる。

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1. どうして にほんの 塩しおづくりは むずかしいの?

1. 世界のやり方が、日本ではほぼ使えない

1. 岩塩・天日塩という世界標準と、日本の条件

せかいで いちばん 多い 塩しおの 作りかたは、じめんの 下の 塩しおを ほるか、ひろい ばしょで 海の みずを ひなたに おいて かわかす やり方だと いわれます[2]。

ところが にほんには、ほる 塩しおが ほとんど ありません。あめが 多く、ひろい ひらちも すくないので、ひなたで かわかす やり方も あいません[1]。

のこって いるのは、まわりの 海です。では、海の みずから どうやって 塩しおを とり出したのでしょう。

世界の塩づくりの主役は、地下の岩塩を掘る方法と、広い塩田で海水などを日光と風で乾かす天日塩です。この2つで世界の生産量の99%にあたり、日本は0.5%以下とされます[2]。99%は岩塩だけの数字ではなく、岩塩と天日塩を足したものです。

日本はどちらにも向きません。岩塩などの塩資源に恵まれず、高温多湿で雨が多く、広い平地もないため、天日塩も作りにくいのです[1]。

残っている資源は周りの海だけです。海水は塩分が約3%しかなく、そのまま煮ると、たくさんの水を蒸発させるため燃料が多くいります。この薄い塩水を、どう濃くして塩にしたのでしょうか。

世界の塩の生産の99%は岩塩と天日塩とされ、日本の生産は0.5%以下という[2]。ただし、記載年は確認できていない。99%も、岩塩だけでなく岩塩と天日塩の合計である。

日本が別の道に進んだ理由は、地理にある。岩塩などの塩資源に恵まれず、高湿多雨で広大な平地もないので、天日塩の製造にも適さない[1]。

海水の塩分は約3%と薄い。そのまま煮ると燃料が大量にいるため、まず塩水を濃くする工程が要る。日本の塩づくりの歴史は、海水を濃くする方法(採鹹)を工夫してきた歴史でもある。

2. むかしの ひとは、海の みずを どう にたの?

2. 藻を使ったともいわれる古代の塩と、土器で煮る工夫

2. 藻塩焼きの説と、製塩土器の2工程(採鹹・煎熬)

いちばん むかしの やり方の ひとつは、「もしお」だと いわれます。万葉集まんようしゅうという むかしの うたの 本にも でて きます[3]。

うみの くさの 「も」を つかって 海の みずを こく する やり方だと いう せつが ゆうりょくです。でも、くわしい やり方は、まだ はっきり していません[3]。

こふん じだいの おわりごろには、どきに 海の みずを いれて にる あとが、おかやま・かがわの あたりの 海べや しまに ひろがりました[4]。

この ころから、塩しおづくりは 2つの しごとに わかれて いました。海の みずを こく する しごとと、にて 塩しおに する しごとです[4]。

こい 塩しおみずを つくれば、にる ときの たきぎが すくなく すみます。この 「まず こくする」考えが、あとの ほうほうにも つづきます。

日本で古い塩づくりの方法として有力なのが「藻塩焼き」です。『万葉集』にも登場し、藻を海水の濃縮に利用したものとする説が有力とされます。ただし、具体的な手順は説が分かれていて、はっきりしません[3]。

もっと確かな証拠が残っているのが、古墳時代後期です。土器に海水を入れて煮詰める製塩土器の遺跡が、備讃瀬戸(岡山県・香川県のあたり)の海岸や島に広がっています[4]。

この頃の塩づくりは、2つの工程でした。海水の水分を蒸発させて、塩分の濃い鹹水を作る「採鹹」と、鹹水を煮詰めて塩の結晶を取り出す「煎熬」です[4]。

薄い海水をそのまま煮るより、先に濃くしておくほうが煮る手間が少なくなります。とはいえ、濃くする方法にも限界がありました。次の章では、そこを砂が変えていきます。

古代の方法として有力視されるのが藻塩焼きで、万葉集にも見える。ただし、藻を海水の濃縮に使ったとする説が有力、という段階であり、手順は断定できない[3]。

遺物として確実なのは製塩土器である。古墳時代後期には、備讃瀬戸の海岸や島に、土器で海水を煮詰める遺跡が広がった[4]。工程は、海水の水分を蒸発させて鹹水を得る採鹹と、鹹水を煮詰めて結晶にする煎熬の2つに分かれる[4]。

2工程に分かれているのは、煎熬に燃料と手間がかかるからだ。採鹹で先に塩分を上げておけば、煮る量が減る。したがって、その後の技術革新の多くは、採鹹をいかに広く、安定して行うかに向かう。土器の段階では、この採鹹の規模に限りがあった。

3. 砂すなに 海の みずを まくと どうなるの?

3. 砂に海水をかける揚浜式と、潮の満ち引きを使う入浜式

3. 揚浜式から入浜式へ:人力の汲み上げを潮汐で置き換える

つぎに ひろまったのが、砂すなを つかう ほうほうです。塩しおを とる ための 砂すなの ひろい ばしょを 「塩しお田」と いいます。

かまくら じだいの おわりごろに、「あげはま」と いう やり方が ひろがりました。ひとが 海の みずを くんで きて、砂すなに かけます。ひかりと かぜで みずが とぶと、砂すなに 塩しおが のこります[3]。この やり方は、能登のとでは いまも おこなわれて います[3]。

ただし、みずを はこぶのは ひとの ちからです。たいへんな しごとでした。

えど じだいに、せとない海の あたりでは 「いりはま」が ひろがりました。海の しおの みちひきで 海水を ひきこみ、砂すなを しめらせる やり方です。ひとが くむ ぶんが へりました[3]。

たとえば、スポンジの はしを みずに つけると、ちょっとずつ 上まで しめるのに にて います。ただし ほんとうは、砂すなの すきまを みずが のぼる はなしです。

鎌倉時代末期に発展したのが、揚浜式の塩田です。人力で海水を汲み上げて塩田の砂にかけ、太陽の熱と風で水分を蒸発させます。砂に塩が付いたところを集めて、濃い塩水を作りました[3]。この方法は、石川県の能登では今も行われています[3]。

とはいえ、海水を高いところまで運ぶのは重労働です。江戸時代に瀬戸内海で広まった入浜式は、潮の満ち引きの差を使って海水を塩田に引き入れ、毛細管現象で砂を湿らせます。汲み上げる人の力が減りました[3]。

毛細管現象は、細いすきまを液体が上ってくる現象です。スポンジの端を水につけると、少しずつ上まで湿ってくるのに似ています。ただし実際には、砂粒のすきまを水がのぼっています。入浜式の始まりの年は資料によって異なるので、ここでは「江戸時代」と幅をもたせて書きます。

これで作業は楽になりました。でも、日光と風に頼る点は変わりません。もし雨が続いたら、どうなるのでしょうか。

揚浜式は鎌倉時代末期に発展した。人力で海水を汲み上げて塩田の砂にかけ、太陽熱と風で蒸発させる[3]。能登では今も行われている。

ここで問題になるのが、海水を運ぶ労力だ。江戸時代に瀬戸内海で普及した入浜式は、潮の干満の差を利用して海水を塩田に引き入れ、毛細管現象で砂を湿らせるため、汲み上げの人力が減った[3]。

入浜式の開始年は、資料により差がある(17世紀半ばの開発とする記述と、19世紀の大規模導入を示す別の記述がある)。本稿は前者に沿い、「江戸時代」と幅をもたせて書く。

ただし揚浜・入浜とも、塩分を上げる主役は日照である。天気しだいで作業が止まる点は、人力を潮の力に置き換えても変わらなかった。

4. あめの ひは、どうしたの?

4. 雨に負けない流下式塩田が広がった

4. 流下式塩田(1950年代):降雨の影響を減らす

あげはまも いりはまも、ひなたと かぜに たよる やり方です。はれた ひしか うまく いきません[5]。

そこで、1950ねんだいに、あめの えいきょうを うけにくい 「りゅうかしき」の 塩しお田が ひろがりました[5]。「しじょうか」と いう そうちも いっしょに つかいました。

あめの おおい にほんで、てんきに まけない くふうが うまれたのです。

それでも、ひなたと かぜが いる ことは かわりません。まだ てんきに ふりまわされて いました。

揚浜式も入浜式も、日照に頼る方法なので、作業できるのは晴れた日に限られました。雨の多い日本では、大きな弱点です[5]。

そこで、1952(昭和27)年から1958年にかけて、降雨の影響を受けにくい流下式塩田が、枝条架という装置とあわせて採用されました[5]。塩事業センターは「昭和28年頃」としていて、資料によって年に幅があります。ここでは「1950年代前半から後半にかけて」と考えておきます。

この改良で天気への弱さはやわらぎました。ただし、塩田の広い土地と、日光と風への依存は残っています。次の大きな転換は、その両方をやめる方向に進みます。

揚浜・入浜は日照に頼るため、晴れた日に限られた。そこで1952(昭和27)〜1958年に、降雨の影響をあまり受けず、枝条架を併用する流下式塩田が採用された[5]。

導入年は資料で幅がある。MLITの多言語データベースやコトバンクの記述は1952〜58年、塩事業センターは「昭和28年頃」とする。本稿は「1950年代」と幅をもたせる。

流下式は雨には強くなったが、広い塩田の土地と日光・風に頼る構造は残った。日本の高湿多雨・平地の少なさという条件は、変わっていない。

5. 1972ねんに、なぜ 塩しお田は なくなったの?

5. 1972年、塩田をやめて電気と釜へ

5. 1971〜72年:塩田全廃とイオン交換膜法への全面転換

1971ねんの ほうりつで、塩しお田を やめる ほうしんが きまりました[6]。1972ねんから、でんきを つかう まくの ほうほうで 塩しおを あつめる やり方に かわりました[6]。

りゆうの ひとつは、おかねだと せつめいされて います。くにが 塩しおを かい上げる ねだんを、1トンあたり 12500えんから 7000えんくらいに 下げる ねらいが あったと、こっかいの しつもんに 書かれて います[6]。

まくと まくの あいだに、プラスと マイナスの つぶを あつめて、うみの みずの 6ばいくらいの こい 塩しおみずを つくります[7]。海の みずの 塩しおは 3パーセントほどなので、18パーセントくらいの ことです。

そのあと、ふたを した かまを いくつも つなぎ、うしろの かまほど 気あつを ひくくして、ひくい おんどで みずを とばします[7]。

もう ひなたも かぜも いりません。おてんきを あいてにして きた 塩しおづくりが、こうじょうの しごとに なりました。

1971年に「塩業の整備及び近代化の促進に関する臨時措置法」が定められ、従来の塩田は全廃する方針になりました。そして1972年から、イオン交換膜による製塩へ全面的に切りかわりました[6]。法律が1971年、転換の完了が1972年です。

理由は、コストでした。国会の質問主意書には、トン当たり12,500円だった収納価格を7,000円程度まで下げようとするものだ、と書かれています[6]。ただしこれは質問する側の記述なので、政府の公式説明は別に確認が必要です。

イオン交換膜法では、膜と膜の間にプラスとマイナスのイオンを集め、海水の約6倍の濃さの塩水を作ります[7]。海水の塩分が約3%なので、単純に掛けると18%前後の近似です。

濃い塩水は、密閉した釜を連ね、後ろの釜ほど気圧を低くして、低い温度で水を蒸発させて煮詰めます[7]。薪で大量に煮ていた昔とは、まったく違うやり方です。

日光・風・広い土地から離れて、天気に左右されない仕組みになりました。では、こうして塩づくりが一つの方法にそろったあと、日本の塩はどうなったのでしょうか。

塩田の全廃は、1971年の「塩業の整備及び近代化の促進に関する臨時措置法」で方針化され、1972年からイオン交換膜法へ全面転換された。法律の年が1971年、転換の完了が1972年である[6]。

転換の理由は、少なくともコストが挙げられる。参議院の質問主意書(第68回国会)には、トン当り12,500円だった収納価格を7,000円程度まで下げようとする、と書かれている[6]。ただしこれは質問者側の記述で、政府の公式説明は別途確認が要る。1972年の転換の実施主体や工場数を示す政府文書は、今回は取得できていない。

新方式では、膜と膜の間にプラス・マイナスのイオンを集め、海水の約6倍の濃度の塩水を得る。海水の塩分を約3%として、約18%前後という近似である[7]。

この濃い塩水を、密閉した釜を連ね、後ろの釜ほど気圧を下げて、低い温度で水を蒸発させて煮詰める[7]。気圧を下げるのは、燃料を減らして煮詰める効率を上げるためだと考えられるが、資料はその意図を明記していない。

これによって、採鹹の主役は日光と風から、電気と膜へ移った。天気・土地・人力への依存が同時に減ったことが、工業化の意味である。

6. いまの 塩しおは、どうなって いるの?

6. 専売がなくなって、塩は作り分けられる時代へ

6. 1997年の塩専売制廃止と、現在の供給構造

1997ねんに、くにが 塩しおを 一手に あつかう 「せんばい」の きまりが なくなりました。1905ねんに はじまってから 92ねんです[8]。

それからは、いろいろな 作りかたの 塩しおを 作れるように なりました。700しゃ いじょうが 塩しおを 作り、しなものは 1500しゅ いじょうと される ほど ふえました[8]。

2023ねんどは、日本で つかわれた 塩しおの うち、日本で 作られたのは 10パーセントくらいです[9]。ただし、その 中には 外国から 入れた 塩しおを もとに 作った ぶんも ふくまれる ことが あります。

じぶんの 家の 塩しおは、どんな ふうに 作られたのでしょう。ふくろを 見て みましょう。

1997年に塩の専売制が廃止されました。1905年の創設から92年です。それ以後、さまざまな製塩法の塩を作れるようになり、日本では700社を超える企業が塩を製造し、商品は1,500種類を超えると紹介されています[8]。700社は製造の届出などを含む数で、年は記事の時点のものです。

いま日本の塩は、どこで作られているのでしょうか。財務省の令和5年度の需給実績では、国内供給の合計が7,629千トンで、そのうち国内産が792千トン、外国産が6,838千トンでした[9]。792÷7,629は約0.10、つまり国内産はおよそ10%です。

ただし、国内産には輸入した塩をもとに作った分が含まれる場合があり、「海水から作った量」そのものではありません[9]。雨の多い日本の工夫は、いまも使い道を変えながら続いています。

1997年の塩専売制廃止(1905年の創設から92年)以後、多様な製塩法の塩が作れるようになった。日本では700社超が塩を製造し、商品数は1,500を超えるとされる[8]。700社は製造の届出等を含む数で、年は記事の時点のものである。

財務省の令和5年度塩需給実績では、国内供給は国内産792千トン、外国産6,838千トンで、計7,629千トン。国内産の割合は792÷7,629で約10.4%、およそ1割である[9]。ただし、供給量は登録業者による国内製造量と輸入塩の合計で、国内産には輸入塩を原料とする分を含む場合がある[9]。海水から作った量は、別の統計が要る。

日本の塩の大半が輸入であることと、国内に多様な製法の商品が並ぶことは、矛盾しない。岩塩・天日塩という世界標準に対し、日本は膜や煮詰めといった製法の選択肢で塩の個性を作る方向へ進んだ、と読める。

7. じぶんでも 塩しおを とって みよう

7. 家の塩と海水で、確かめてみる

7. 出口:自分の塩の袋を読む/原典にあたる

まず、おうちの 塩しおの ふくろの うらを 見て みましょう。「げんりょう」や「せいほう」が 書いて あるかも しれません。「かいすい」「まく」など、この きじの ことばが あれば、さがして みて ください。

つぎに、おうちの 人と いっしょに ためして みます。水 100ミリリットルに、塩しおを 3グラムほど とかします。3グラムは、こさじの 半ぶんくらいです。それを くろい おさらに すこし のせ、ひなたの まどぎわに おきます。

すう日 いじょう かかる ことが あります。白い つぶが のこる ことが ありますが、ぜんぶが 塩しおとは かぎりません。ひなたと かぜで みずが へって いく ようすを 見られます。ただし、むかしの 人は もっと ひろい ばしょと たくさんの 日が いりました。

まず、家にある塩の袋の裏を見てください。原材料や製法の欄に「海水」「イオン交換膜」「にがり」などの言葉があれば、この記事のどの章の方法か考えてみます。国産と外国産の表示も、第6章の数字と見比べられます。

次に、水100mLに塩を3gほど溶かした、約3%の食塩水を作ります。3gは小さじ半分ほどです。黒っぽいお皿に少しのせ、日なたの窓際に置いて、数日以上観察してみます。白い粒(塩だけとは限りません)が残ることがあり、それまでに何日かかるか、雨の日や風のある日で変わるかを見ると、昔の人が天気に悩んだ理由が実感できます。

もっと詳しく知りたい人は、塩事業センターの「塩百科」や、財務省の塩需給実績を読んでみてください[3][9]。

家の塩の袋の原材料・製法欄を読み、本稿の各方式(海水の濃縮、膜、煮詰め)のどれに当たるか照らしてみる。国産・外国産の別も、財務省の令和5年度の数字と比べられる[9]。

約3%の食塩水(水100mLに塩3g、小さじ半分ほど)を黒い皿にのせ、日なたで数日以上乾かして、結晶が現れる場合はその日数を天気と併せて記録する方法もある(結晶は塩だけとは限らない)。日照と風に頼る採鹹の弱点を、規模を小さくして体験できる。

原典としては、塩事業センター「塩百科」の歴史のページ[3]、同「食塩のつくり方」[7]、参議院の質問主意書[6]がある。転換の理由をめぐる政府側の公式説明は、本稿では確認できていない。読んで確かめる価値がある。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。数字や年は資料によって幅があるものを、本文中に注記しています。

  1. 塩事業センターコラム(日食)。 https://news.nissyoku.co.jp/news/wakui20200609012840977 (日本の塩資源と気候の条件について)
  2. 笹川平和財団 Ocean Newsletter。 https://www.spf.org/opri/newsletter/355_3.html (世界の塩の生産方法の割合について。記載年は未確認)
  3. 塩事業センター「塩百科 日本の塩づくりの歴史」。 https://www.shiojigyo.com/siohyakka/made/history.html (藻塩・揚浜式・入浜式について)
  4. 岡山県「古代吉備の塩づくり」。 https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/636872.html (製塩土器と、採鹹・煎熬の2工程について)
  5. コトバンク「製塩」。 https://kotobank.jp/word/%E8%A3%BD%E5%A1%A9-85519 (流下式塩田の採用時期について)
  6. 参議院 質問主意書(第68回国会)。 https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/068/syuh/s068004.htm (塩田全廃とイオン交換膜法への転換、収納価格について。質問者側の記述)
  7. 塩事業センター「食塩のつくり方」。 https://www.shiojigyo.com/shokuen/how.html (イオン交換膜法と、釜で煮詰める工程について)
  8. 東京財団 研究ページ。 https://tokyofoundation.org/research/detail.php?id=245 (塩専売制の廃止と、塩の製造事業者数・商品数について)
  9. 財務省「令和5年度塩需給実績」。 https://www.mof.go.jp/policy/tab_salt/reference/salt_result/st_zisseki20240628.html (国内供給量と国内産の割合について)

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