1. うみの みずを ぜんぶ にたら、どれくらい かかる?
1. 海水をそのまま煮たら、塩1kgにどれだけの海水が要るのか
1. 塩分3.5%という数字 ── 塩1kgを取るための海水の量を計算する
うみの みずを なべに いれて、ぐつぐつ にる ところを そうぞうして みましょう。
うみの みず 1キロに、とけて いる しおの なかまは 35 グラムです[1]。しおを 1キロ ほしければ、1000 ÷ 35 で、うみの みずが 29 キロほど いります。うみの みずは、2リットルの ペットボトルで 15 本ぶんに ちかい りょうです。
ただし 35 グラムには、たべる しお いがいの ものも ふくまれて います。ですから、とれる しおは もっと 少なく なります。
水が ほとんどなら、先に 水を へらして おけば らくに なりそうです。むかしの 人は、そう かんがえたのでしょうか。
海水を鍋に入れて煮詰める場面を想像してみます。海水1kgに溶けている塩類は約35gです[1]。塩を1kg取りたいなら、1000÷35=約28.6で、およそ29kgの海水が必要になります。2Lのペットボトルなら15本近くです。
しかも、この35gは塩類の合計で、食塩だけの量ではありません。取れる塩の量は、この計算より少なめになります。
残りのほとんどが水なら、先に水を減らしてから煮れば、鍋の中で飛ばす水がずっと少なくてすみます。実際に昔の人たちは、そうしてきたようです。それはいつ頃から、どんな方法だったのでしょうか。
海水1kgに溶けている塩類は平均で約35gで、塩分は約3.5%(35‰)にあたる[1]。この数字から、塩を1kg取るために必要な海水の量を計算できる。1000÷35=約28.6、つまりおよそ29kgである。2Lのペットボトルなら15本近くで、これを全部鍋で煮詰めて水を飛ばすことになる。
ただし、この計算には限界がある。35gは塩類の合計であって、食塩だけの量ではない(食塩だけなら、取れる量はさらに減る)。「約3.5%」「およそ29kg」は平均にもとづく目安として読むのがよい。
それでも、海水の約96.5%が水だという事実は動かない。そこで、塩づくりの方法を比べるときの軸が見えてくる。「水をどうやって減らしたか」である。日本の資料は、この考え方を2つの工程に分けて説明している。
2. 日本は、先に こく してから にるの?
2. 日本では「先に濃くして、あとで煮る」二段階になった
2. 採鹹と煎熬 ── 雨の多い日本で二段階の製塩が定着した理由
日本の しおづくりは、2つの だんかいに わかれます[2]。
1つめは、うみの みずを こい しおみずに すること。2つめは、その こい しおみずを にて、しろい つぶに すること。2つの ことばが あって、むずかしい ですが、いみは「こく する」と「にる」です。
どうして 先に こく するのでしょう。日本の 多くの ばしょは、雨が 多い ところです。うみの みずを 日なたに おくだけで 水を とばす やりかたは、むずかしかった ようです[2]。だから 日本では、この 2だんかいの やりかたが はったつ したと いわれます。
では、いちばん 古い 「こく する」やりかたは、どんな ものだったのでしょう。
日本の塩づくりは、大きく2つの段階に分かれます。1つめが、海水を濃縮して塩分の濃い「かん水」を作る採かん、2つめが、そのかん水を煮詰めて塩の結晶にするせんごうです[2]。
笹川平和財団の解説では、日本の多くの地域は雨が多く、海水を日なたに置いて干すだけの天日製塩は難しいため、この二段階の方法が発達したとされています[2]。つまり「どうやって水を減らすか」の工夫が、そのまま「かん水をどう作るか」の工夫になったわけです。
塩水を濃くする段階と煮詰める段階に分かれる点は、昔から共通しています。では、いちばん昔の「かん水の作り方」は、どんなものだったのでしょうか。
日本の製塩は、採鹹(さいかん)と煎熬(せんごう)の二段階で説明される。採鹹は海水を濃縮して塩分の濃い鹹水(かんすい)を作る工程、煎熬はその鹹水を煮詰めて結晶にする工程である[2]。現代の工場の説明でも、電気の力で海水を濃くする採鹹と、真空式の蒸発缶で煮詰める煎熬という形が使われている[2]。
この二段階が日本で発達した背景について、笹川平和財団の解説は、日本の多くの地域で雨が多く、海水を天日だけで濃縮するのが難しいことを挙げる[2]。雨の多い国で、海水を外に出して日光だけで水を飛ばそうとすれば、雨のたびに濃縮が戻ってしまう。そのため、濃縮する段階で日光と風、のちには別の力を工夫する必要があった、と読める(この因果の補足は資料の文そのものではなく、状況から考えた読みである)。
岡山県の古代吉備文化財センターは、古代の製塩も同じ二段階だったと説明している[4]。では、記録の少ない時代の「濃縮」は、実際にどんな方法だったのか。
3. 3200ねん まえの うみべで、なにを して いたの?
3. 約3,200年前に始まった塩づくりと、海藻を使ったといわれる濃縮
3. 縄文後期の海辺 ── 海藻と土器による濃縮と煮詰めと、説の分かれ方
日本で、本ものの しおづくりが はじまったのは、およそ 3200ねんから 3300ねん まえと いわれます。じだいは、じょうもんじだいの おわりごろです。かすみがうらの ちかくの ひろはたかいづか などで、その あとが みつかって います[5]。
あとが みつかったのは しおづくりの ようすです。かいそうの つかいかたは、べつの しりょうから かんがえられて います。しおづくりでは、かいそうを つかったと いう せつが あります。かわかした かいそうに うみの みずを かけ、日に ほし、また みずに つけます。これを くりかえすと、こい しおみずが とれると いう せつ です[3]。
その しおみずを、どきで にて、しおに しました[4]。
ただし かいそうの つかいかたは、ひとつに きまって いません。いろいろな せつが あります。
この やりかたでは、日に ほす ことで 水が へります。でも、雨の 日は どうなるのでしょう。
日本で本格的な塩づくりが始まったのは、今から約3,200〜3,300年前の縄文時代後期の終わりとされます。茨城県の霞ケ浦沿岸にある広畑貝塚(稲敷市)などで、その跡が確認されています[5]。
広畑貝塚などで見つかったのは塩づくりの跡です。塩分の濃い海水の作り方は、別の資料から考えられています。海藻に海水をかけたり、藻を焼いた灰に海水を注いだりしたといわれます[4]。6〜7世紀の方法として、干した海藻を海水に浸して天日で乾かし、また海水に浸す、これを繰り返して濃いかん水を取り、土器で煮詰めたと説明する資料もあります[3]。
この資料が伝えるのは、干して浸す操作を繰り返して濃いかん水を得た、というところまでです。海藻の使い方は1つに決まっておらず、説も分かれています。いずれの説でも、水を減らす役目を、太陽と風と海藻に任せていたようです。
この方法には弱点がありそうです。藻を天日で干すのですから、雨の日は進みません。もう少し、雨に左右されず水を減らす方法はなかったのでしょうか。
茨城県歴史館の資料によれば、日本の本格的な塩づくりは今から約3,200〜3,300年前、縄文時代後期の終わりに始まり、霞ケ浦沿岸の広畑貝塚(稲敷市)などでその跡が確認されている[5]。
そこでの濃縮の方法については、複数の説明がある。岡山県の古代吉備文化財センターは、海藻に海水をかける、あるいは藻の灰に海水を注ぐなどして鹹水を作り、製塩土器で煮詰めたと説明する[4]。海の知識 Ocean Newsletter は、6〜7世紀の方法として、干した海藻を海水に浸して天日で干し、再び浸す操作を繰り返して濃い鹹水を取り、土器で煮詰めたと述べる[3]。同じ「藻塩」の名で呼ばれても、藻に海水をかける方法と、藻の灰を使う方法では、作業の流れが違う。藻塩の具体的な方法は説が分かれており、1つに決められない。
とはいえ、ここで共通するのは、鹹水を作ってから土器で煮るという二段階の骨組みである。しかも濃縮の担い手は、天日と風である。干した藻を海水に浸し、天日で干す操作を繰り返す。鹹水をどう得たかには解釈の幅がある。この方法は手間がかかり、天候に強く左右される。そこで、濃縮の場を海藻から砂浜へ広げる発想が出てくる。
4. すなはまで、おひさまと かぜに 水を へらして もらう
4. 江戸時代の塩田は、砂浜を広い「干し場」にした
4. 揚浜から入浜へ ── 潮の満ち引きと砂を使った濃縮の工夫
むかしの 人は、うみの そばの すなはまで、もっと 広い やりかたを かんがえました。
すなはまに、うみの みずを まきます。おひさまと かぜが 水を とばして、しおけが こく なって いきます[2]。
この ばしょを「えんでん」と いいます。人の 力で うみの みずを くみあげて まく やりかたと、しおの みちひで うみの みずが はいる やりかたが ありました[2]。
みちひを つかう やりかたは、えどじだいの はじめごろに あらわれ、日本の せとないかい などで、ながく つかわれたと いわれます[2]。
ところが 雨の 日が つづくと、また 水が へりません。そこで 人は、つぎの くふうを しました。
砂に海水を撒く
やがて、海辺の砂浜に海水を撒き、太陽と風で水を蒸発させて塩分を濃くする塩田が広がりました。人の力で海水を汲み上げて撒く方式が揚浜式、潮の満ち引きによる水位差を使って砂に海水を引き入れる方式が入浜式です[2]。
赤穂の入浜塩田
入浜式は江戸時代の初めごろに現れ、昭和30年代に流下式が入るまで、300年以上、瀬戸内を中心に主な方法だったといわれます[2]。兵庫県の赤穂では、潮の満ち引きの差が大きく穏やかな海、晴れの日が多い気候、広い干潟がそろっていたことを生かして、入浜塩田が確立しました[6]。
とはいえ、頼っているのは日の光と風ですから、雨が続けば仕事は止まります。
古代の方法は、海藻の量や天候に縛られる。そこで江戸時代には、砂浜そのものを濃縮の場にする塩田が発達した。揚浜式は人力で汲み上げた海水を砂浜に撒く方式、入浜式は潮の満ち引きによる水位差を利用して砂に海水を入れる方式である[2]。撒かれた海水は、太陽熱と風によって蒸発し、塩分が濃くなっていく(塩田法の濃縮が太陽熱と風力による蒸発であることは、国会答弁書も説明している[8])。
入浜式は江戸時代の初めに現れ、昭和30年代に流下式が入るまで300年以上、瀬戸内を中心に主要な方法だったといわれる[2](「300年以上」は要約にある表現で、年数は目安として読む)。兵庫県の紹介記事は、赤穂が入浜塩田に向いた理由として、干満差が大きく穏やかな海、晴れが多い気候、広い干潟を挙げ、赤穂の塩の生産量が全国の約2割を占めたと述べる[6]。ただし「約2割」がいつの数字かは記事から読み取りにくいため、時期を限定した主張には使わない。
この段階で、水を減らす仕事の担い手は、人から自然の力へ少しずつ移っている。潮の満ち引きで海水が入り、日光と風で水が飛ぶ。しかし太陽と風頼みである以上、雨には勝てない。この弱点を、昭和の技術がどう乗り越えたのか。
5. 雨でも しおが とれる ように した のは どんな しくみ?
5. 雨に強い設備から、電気で塩分を集める方法へ
5. 枝条架つきの流下式から電気透析へ ── 蒸発させる濃縮から、移動させる濃縮への転換
昭和の 時だいに、雨の えいきょうを うけにくい 道具が 入りました。しおを つくる 場所に、「しじょうか」と いう そうちを つけた、あたらしい えんでんです[7]。
そして 昭和47ねんからは、日本の しおづくりは、ほとんど 電気を つかう やりかたに かわりました。「いおん こうかんまく」と いう、とくべつな まくを つかい、電気の 力で、しおの もとを あつめます[7]。
水を とばすのでは なく、しおけを あつめる のです。ですから 天気に あまり かんけいしません。電気の 力で、しおの もとを まくの 向こうがわへ うごかします。しおの もとは、目に 見えない ほど 小さな つぶです。
この しくみで、はたらく 人の 数が 同じでも、しおの りょうは ずっと ふえました[3]。
枝条架つきの流下式塩田へ
雨の影響を受けにくい枝条架という装置を併用した流下式塩田が、1952〜1958年に採用されました。そして1972年から、イオン交換膜を使う電気透析法に全面的に転換しました[7]。
水を飛ばさず、塩分を動かす
塩田法は、太陽の熱と風で水を蒸発させて濃くします。一方イオン交換膜法は、電気のエネルギーで塩分を移動させます[8]。つまり、水を飛ばす代わりに、塩分を集めるのです。天気に左右されにくいのは、そのためだと考えられます。
イオン交換膜法は1955年に日本専売公社が開発を始め、1972年には年に20万トンを作れる工場が7つ本格的に動き出しました[3]。入浜式からの転換で、働く人1人あたりの塩の生産量(労働生産性)は、1945年に比べて1985年には100倍以上になったとされます[3]。
では、そんなに大きく変わった今の方法は、どれくらい水を減らしているのでしょうか。
天日と風頼みの塩田は、雨に弱い。そこで1952年から1958年にかけて、雨の影響をあまり受けず効率のよい、枝条架を併用した流下式塩田が採用された。さらに1972年からは、イオン交換膜を用いる電気透析法に全面転換した[7]。
イオン交換膜法の開発は1955年に日本専売公社が始め、1972年には年産20万トン規模の工場7つが本格稼働した[3]。入浜式からの転換により、労働生産性は1945年に比べ1985年に100倍以上になったと報告される[3]。
注目したいのは、濃縮の原理が変わったことである。参議院の質問主意書への政府答弁書(第67回国会、昭和46年12月10日)は、塩田法は太陽熱と風力により水を蒸発させ、イオン交換膜法は電気エネルギーにより塩分を移動させる、と説明している[8]。この答弁書は、塩田法からイオン交換膜法への転換を延期する必要はない、という趣旨でもあった。蒸発から移動へ、という変化は、天候への依存を弱めた。
とはいえ、電気を使えば水が減る、とだけ言えば足りるわけではない。装置が実際にどれくらい濃縮しているのかを、数字で見る必要がある。
6. いまの そうちは、どれくらい こい しおみずを つくるの?
6. 沖縄の試験装置は、海水を約6倍の濃さにしている
6. かん水20%という数字 ── 濃縮倍率を計算し、一つの装置の値として読む
おきなわけんの 工ぎょうぎじゅつ センターは、天気に ひびかず、エネルギーも すくなく すむ そうちを つくりました[9]。
この そうちが つくる、こい しおみずの こさは、100 グラムの うち 20 グラムほど です。うみの みずは 3.5 グラム ですから、20 ÷ 3.5 で、6ばいちかく こく なって います[9]。
ただし これは、ひとつの ためしの そうちの かずです。ほかの 工場の かずでは ありません。
ところで、そんなに こい しおみずなら、じぶんでも 水が へる ところを、見て みたく なりませんか。
沖縄県工業技術センターの資料によると、沖縄県内の入浜式・流下式塩田や釜は天候に左右され、大量のエネルギーも使うため、イオン交換膜を使った海水濃縮装置を開発しました[9]。開発した装置の能力は、かん水濃度20±3%、毎時約15L、海水利用率40%です。
海水が3.5%、かん水が20%なので、20÷3.5=約5.7倍に濃縮していることになります。もっとも20±3%なので、17〜23%の幅があります。この数字は1つの試験装置の値で、一般の工場の値とは限りません。
資料には海水利用率40%とありますが、この言葉の定義までは書かれていません。数字だけを読み、割合の意味は決めつけないでおきます。
約6倍に濃くなったかん水を煮れば、鍋の中で飛ばす水は、海水をそのまま煮る場合よりずっと少なくてすみます。この「水が減る」感覚は、台所で試すことができます。
沖縄県工業技術センターは、県内の入浜式・流下式の塩田や釜が天候に左右され、大量のエネルギーを使うことから、イオン交換膜透析を使った海水濃縮装置を開発した。資料に示された装置の能力は、かん水濃度20±3%、かん水量が毎時約15L、海水利用率40%、電力量は約10kWhである[9]。
ここから、濃縮倍率を計算できる。海水を3.5%、かん水を20%とすると、20÷3.5=約5.7倍である。濃度に±3%の幅があるので、17〜23%なら、約4.9〜6.6倍の幅をもつ。ただし、この数字は沖縄県の技術センターが開発した1つの試験装置のものであり、日本の製塩工場一般の値ではない点に注意が必要である。日本全体の工場の濃縮倍率は、この資料からは分からない。
海水利用率40%については、資料の語の定義まで原文に書かれているわけではないため、「取り込んだ海水のうち、かん水側へ移る割合」という読み方は仮のものとして扱う。
この資料が示す要点は、天候と大量のエネルギーという二つの弱点を、膜と電気で小さな装置の中に収めようとした点にある。縄文の海辺から続いてきた「先に濃くする」という発想が、小型の装置にまで届いている。
もっとも、数字を並べるだけでは、水が減る感覚は伝わりにくい。身近な道具でそれを確かめる方法を最後に考えてみたい。
7. しおみずを おさらに のせて、水が へるのを みよう
7. 塩水を小皿に入れて、水が減って塩が現れるまでを見る
7. 塩水の蒸発を観察する ── 計量の方法と、読み比べたい資料
コップの 水に、しおを ひとつまみ いれて、よく とかします。それを 小さな おさらに 少し いれて、日の あたる まどべに おきます。
水が へって いくと、おさらの ふちから、しろい つぶが あらわれる ことが あります。むかしの 人も、水が へった あとに しおが のこる ところを 見て いたのでしょう。
火は つかいません。雨の かかる そとには おかないで ください。なめるのは ほんの すこしに して、おとなに 見て もらって から にしましょう。
もっと 知りたく なったら、うちの ちかくの 図書かんで、しおづくりの ほんを さがして みるのも いい ですね。
水100mlに食塩を3〜4gほど溶かすと、海水に近い濃さの塩水になります。1Lに35gを溶かすと、およそ3.4%です。キッチンスケールがあれば、自分で量ってみてください。
その塩水を小皿に少量入れて、日当たりのよい窓辺に置いてみましょう。水が減るにつれて、皿のふちから白い粒が現れてくることがあります。火は使いません。雨の当たる屋外には置かず、味見は指先につくほんの少しにとどめ、大人に見てもらってからにしてください。
数日に分けて皿を見ると、水が減る速さが、天気や窓辺の温度でどう変わるかも観察できます。縄文の海辺の人が、雨の日に困った気持ちが、少し分かるかもしれません。
本格的に調べたいなら、笹川平和財団のOcean Newsletter[2][3]は、塩づくりの歩みを日本語で読めます。茨城県歴史館の資料[5]では、霞ケ浦沿岸の塩づくりの跡を知ることができます。
家庭でも、濃縮の感覚は確かめられる。1Lの水に食塩35gを溶かすと約3.4%の塩水になり、海水(平均約3.5%)に近い濃さになる。これを小皿に少量取り、日当たりのよい窓辺に置いて、水が減り、白い結晶が現れるまでを観察する。火は使わない。雨の当たる屋外には置かない。味見は指先に付く程度にとどめ、大人と一緒に行う。
数日にわたって、水が減る速さと天気や温度の関係を記録すると、塩田が天候に左右された理由を体感できる。ただしこの実験は、昔の塩づくりを再現するものではなく、水が減ることの確認にとどまる。
資料の読みどころは三つある。①笹川平和財団のOcean Newsletter(504号[2]・355号[3])は、塩づくりを二段階で説明し、古代から現代の工場までの流れを日本語で示す点。②茨城県歴史館[5]と古代吉備文化財センター[4]は、古代の塩づくりの跡や方法を、地域の展示として示す点。③沖縄県工業技術センター[9]は、濃縮装置の数字(かん水濃度・海水利用率など)を直接示している点。かん水の濃度が海水の何倍か、結晶の析出の順序などは、本文では扱っていない。塩事業センターなどの一次資料で調べる価値のある問いである。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:公的機関・博物館・財団の解説と、政府答弁書、事典の項目を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- 東京大学大気海洋研究所 藤尾伸三ほか「海洋の塩分に関する解説」。https://ovd.aori.u-tokyo.ac.jp/fujio/2019chiba/2019chiba01.pdf (海水の塩分が約3.5%であることについて)
- 笹川平和財団 海の知識 Ocean Newsletter 504号。https://www.spf.org/opri/newsletter/504_3.html (日本の二段階の製塩、塩田、現代の工場について)
- 笹川平和財団 海の知識 Ocean Newsletter 355号。https://www.spf.org/opri/newsletter/355_3.html (古代の海藻を使う方法、イオン交換膜法の開発と生産性について)
- 岡山県古代吉備文化財センター「製塩土器」。https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/636872.html (古代の二段階の製塩と製塩土器について)
- 茨城県歴史館 展示資料「塩づくり」。https://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/03_tenji/thema/documents/shiozukuri02.pdf (日本で本格的な塩づくりが始まった時期と跡について)
- 兵庫県 県民だより 2023年9月号。https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk03/dayori2309/pickup2.html (赤穂の入浜塩田について)
- コトバンク「製塩」。https://kotobank.jp/word/%E8%A3%BD%E5%A1%A9-85519 (流下式塩田とイオン交換膜法への転換の年について。事典の項目)
- 参議院 質問主意書 答弁書(第67回国会)。https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/067/touh/t067001.htm (塩田法とイオン交換膜法の違いについて)
- 沖縄県工業技術センター「海水濃縮装置」。https://www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/003/271/kaisuinosyukugaiyo.pdf (開発した濃縮装置の能力について)
なおした ところ
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