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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

小学校の あとに 中学校。この かたちは いつ できたの?

「6・3・3」は1947年の春に始まった ── 生まれたての中学校と、その後に増えた学校の形

6・3・3制の成立と展開 ── 1947年の学校教育法から、中等教育学校・義務教育学校まで

分野:歴史・くらし

小学校を 6年生で おわると、つぎは 中学校。その あとが 高校。あたりまえの ように 思えますが、この 「6・3・3」の ならびが できたのは、1947年の 春だと されて います[1]。

そのとき、中学校は 生まれたばかりで、がっこうの たてものも、先生も、たりませんでした。どんな 春だったのでしょう。

小学校を卒業したら中学校、その先に高校。いまでは当たり前の進み方ですが、小学校6年、中学校3年、高校3年という「6・3・3」の区切りができたのは、1947年(昭和22年)のことです[1]。

この春、新しく生まれた中学校は、校舎も先生も足りないまま走り出しました。どんな出発だったのか、その後に区切りの形がどう増えたのかを、文部科学省の資料でたどります。

小学校6年、中学校3年、高等学校3年からなる6・3・3制は、1947年(昭和22年)3月に制定された学校教育法を骨組みとして始まった[1]。新制中学校の発足によって義務教育は9年間となったが、その船出は、独立した校舎を持てた学校が全体の15%にとどまるという状況だった[3]。

本稿は、この制度の成立過程と、1999年の中等教育学校、2016年の義務教育学校といった、その後の区切りの多様化を、文部科学省の公表資料をもとに整理する。

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1. その 春に、なにが きまったの?

1. 1947年3月、学校の種類をまとめた法律ができた

1. 1947年の学校教育法 ── 幼稚園から大学までを1つの法律に

1947年の 3月に、学校の きまりを まとめた 法律ほうりつが できました。「学校教育ほう」と いいます。それまでは、学校の しゅるいごとに、べつべつの きまりが ありました。それを、ようちえんから 大学まで、ひとつの 法律ほうりつに まとめたのです[1]。

この 法律ほうりつは、その年の 4月1日から 使われはじめました[2]。中学校が「あたらしい 学校」として はじまるのも、この 春です。

1947年(昭和22年)3月、「学校教育法」が制定されました。これが新しい学校制度の骨組みになります。それまで学校の種類ごとにばらばらだった法令を、幼稚園から大学まで、1つの法律にまとめたものです[1]。

施行は同じ年の4月1日でした。制定されたときの第1条には、小学校、中学校、高等学校、大学、盲学校、聾学校、養護学校、幼稚園が学校として並んでいます[2]。盲学校などは当時の法律上の名前で、いまは特別支援学校にあたります。

新学制の骨組みとなったのは、1947年3月に制定された学校教育法である。学制百年史は、学校の種類ごとに存在していた法令を、幼稚園から大学まで単一の法律に統合したものと位置づけている[1]。

附則により、施行は1947年4月1日。制定時の第1条は、学校として小学校、中学校、高等学校、大学、盲学校、聾学校、養護学校、幼稚園を挙げる。盲学校・聾学校・養護学校は当時の法律上の名称で、現在は特別支援学校に整理されている[2]。

2. 「6・3・3」は、どんな ならび?

2. 「6・3・3」は、進み方をすっきりさせた形

2. 中等教育の単純化 ── 3年の中学校と3年の高等学校

「6・3・3」は、学校に 通う 年すうの ならびです。小学校が 6年、中学校が 3年、高校が 3年。6だんの あとに 3だん、その あとに 3だんが つづく かいだんみたいな ものです。ただし 本当の 学校は かいだんでは ありません。学年ごとに べつの 先生や きょうしつが あります。

むかしの 中学生ぐらいの 年ごろの 学校は、しゅるいが たくさん あって、その あとの 進み方も いくつかに わかれて いたそうです[1]。新しい 形は、それを すっきりさせた ものでした。

高校では、男の子と 女の子が おなじ 学校で まなぶ ことも、新しい きまりの 考えの ひとつに かかげられました[1]。

新しい制度は、6年の小学校に続く教育を、3年の中学校と3年の高等学校に単純化しました。これが「6・3・3」です[1]。大学は4年制として、別にまとめられました。

単純化が目指されたのは、それまでの中等教育の学校が種類も多く、高等教育へのつながり方も複数の路線に分かれていたからです[1]。階段にたとえれば、途中で何本にも分かれていた道を、6段、3段、3段の1本の階段にそろえたようなものです。ただし実際の学校は、階段ではありません。

あわせて、男女による差別をなくすことや、男女共学も新制度の方針に掲げられました。ただし、共学は高等学校について述べられた方針で、すべての学校が一度に共学になったという意味ではありません[1]。

学制百年史によれば、新学制は六年制の小学校に続く中等教育を、三年制の中学校と三年制の高等学校に単純化した。高等教育は四年制の大学に一本化されており、「6・3・3」に大学の4年を加えて「6・3・3・4」と呼ぶこともあるが、この呼称そのものの出典は今回取得していない[1]。

単純化の背景には、従前の中等教育段階の学校の種類が複雑で、高等教育との接続も複数の路線を形成していたことがある。男女による差別の撤廃や男女共学制も、新制度の方針に掲げられた。ただし共学に関する記述は、高等学校の原則を述べる文脈のもので、全校が直ちに共学になったと読むことはできない[1]。

3. 中学校の 1ねん生は、どう はじまった?

3. 1947年4月、まず中学1年生だけが通った

3. 学年進行方式 ── 1947年は第1学年のみ義務就学

新しい 中学校は、1947年の 4月に はじまりました。でも、その 年に 「行かなければ ならない」と きめられたのは、中学1ねん生だけでした[3]。

2ねん生と 3ねん生は、もう べつの 学校に いたからです。学年が すすむ ごとに 行く 人が ふえて、1949年度には、中学校の ぜんぶの 学年が そろいました[3]。

ある日とつぜん 全員が 中学生に なったのでは ありません。3年かけて、ゆっくり ならんで いきました。

新制中学校が発足したのは、1947年4月です。しかしその年に、義務として通うことが決められたのは第1学年だけでした。その後は学年が上がるのに合わせて広がっていき、1949年度に、全学年が義務就学になりました[3]。

1947年に日本中の子どもが一度に中学生になった、と思われがちですが、実際は学年進行で、3年かけて全学年にそろっていく形でした。

新制中学校は1947年4月に発足したが、同年に義務就学とされたのは第1学年の生徒のみで、以後、学年進行によって1949年度に全学年の義務就学が完成した[3]。

つまり、1947年に全国の12〜15歳が一斉に中学生になったわけではない。新制度は、学年進行によって3年をかけて全体に行きわたった。制度の始まりを一時点で語るときは、こうした移行の段階を意識しておく必要がある。

4. たてものも 先生も、たりなかった?

4. 校舎は15%、先生は必要な数の約8割

4. 発足時の条件 ── 独立校舎15%、教員充足率約81%

いちばん おどろくのは、たてものの 数です。はじまった ころ、中学校の うち、自分の たてものを もてたのは、100校に つき 15校ぐらいでした[3]。

のこりの 学校は、自分の たてものが ないまま はじまりました。空の 下で 行う 「青空きょうしつ」も、あちこちで 見られたと あります[3]。

先生も、たりませんでした。ひつような 先生の 数の うち、いたのは 100人に つき 81人ぐらいです[3]。先生に なる ための しかくを もたない 人の わりあいも、とても 高かったそうです[3]。

発足したばかりの中学校では、独立した校舎を持てた学校は、全体の15%にすぎませんでした。つまり、100校のうち15校ほどです。戦災を免れた旧高等小学校などの建物を転用できた学校がその中にあたります。いわゆる青空教室や、正常でない授業がいたるところで見られたと書かれています[3]。

先生の数も足りませんでした。教員の充足率は約81%で、必要な人数を100とすると、実際にいたのは81ほどです。必要な免許状を持たない先生の割合も、きわめて高かったといいます[3]。

15%は「独立した校舎を持てた学校の割合」です。残りの85%がすべて青空教室だった、という意味ではありません。

制度が先に決まり、それに合わせて学校の建物と先生があとから追いかけた。この時期の中学校は、そういう出発だったことになります。

発足当初、戦災を免れた旧高等小学校などを転用して独立校舎を持ちえた新制中学校は、全体の15%にすぎず、いわゆる青空教室や不正常授業がいたるところで見られた[3]。この15%は独立校舎を持てた学校の割合であり、残りの85%がすべて青空教室だったことを意味しない。

教員の充足率は約81%で、必要な免許状を持たない者の比率はきわめて高かった[3]。81%は充足率であって、無免許教員の割合ではない。

制度の施行に、校舎と教員の整備が追いつかない状態からの出発であった点は、6・3・3制の成立を評価する際の前提になる。

5. 学校に 通う 年すうは、どう かわったの?

5. 義務教育は、6年から9年へ

5. 義務教育年限の延長 ── 6年から9年へ

中学校が できる まえ、みんなが かならず 通う 年すうは 6年でした。中学校が 3年 つけ くわえられて、あわせて 9年に なりました。これを 「9年間の ぎむ教育」と いいます[3]。

ぎむ教育とは、その 年れいに なったら 学校に 通う ことが きまりで きめられて いる 教育の ことです。1947年の 法律ほうりつでは、6さいに なった 次の 学年の はじめから、12さいに なった 学年の おわりまでが 小学校、そこから 15さいに なった 学年の おわりまでが 中学校でした[2]。

中学校の ねらいも かかれて います。「小学校で 学んだ ことの うえに、心と 体の そだち方に あわせて、ふつうの 教育を さらに すすめる」と いう 意味です[2]。

それまで義務教育は小学校の6年間でした。小学校6年に続けて中学校3年が義務制になったことで、義務教育は9年間になりました[3]。

制定時の学校教育法では、就学義務は満6歳になった日の翌日以後の最初の学年の初めから始まり、小学校は満12歳になった日の属する学年の終わりまで、中学校は満15歳になった日の属する学年の終わりまででした[2]。

中学校の目的は、小学校で受けた教育の基礎の上に、心身の発達に応じて「中等普通教育」を行うこととされました[2]。「中等普通教育」は、小学校と高校の間に位置する、特定の職業に限らない基本的な教育、と読めます。

それ以前の義務教育は小学校の6年間であり、小学校六年に続いて中学校三年が義務制とされたことで、九か年の義務教育制度が確立した[3]。本サイトの学校の歴史を扱ったメモが取り上げる1907年(明治40年)の4年から6年への延長に続く、もう一度の年限延長にあたる。

制定時の学校教育法は、就学義務の始期を満6歳に達した日の翌日以後の最初の学年の初め、小学校の終期を満12歳に達した日の属する学年の終わり、中学校の終期を満15歳に達した日の属する学年の終わりと定める[2]。

中学校の目的は、小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて中等普通教育を施すことにあった[2]。

6. いまの 学校は、6・3・3だけ?

6. その後、区切りの形は増えていった

6. 中等教育学校(1999年〜)と義務教育学校(2016年〜)

いまは、小学校から 中学校まで、または 中学校から 高校まで、ひとつに つなげた 学校も あります。

1998年に 法律ほうりつが かわり、1999年の 4月から、中学校と 高校を 6年 つづけて 学ぶ 「中等教育学校」を つくれる ように なりました。前の 3年と 後ろの 3年に わかれて います。どの 地いきにも あるわけでは ありません[4]。

2016年の 4月には、小学校と 中学校の 9年を ひとつに つなげた 「ぎむ教育学校」も できました[5]。6・3・3の ならびは、いまも あります。そこに、べつの 形が ふえたのです。

1998年(平成10年)6月に学校教育法等の一部を改正する法律が成立し、1999年4月から、中高一貫教育を選択的に導入できるようになりました。中等教育学校は、その形の1つで、6年間を一貫して学び、前期課程3年と後期課程3年に分かれています[4]。

2015年(平成27年)6月には、9年間の義務教育を一貫して行う新しい種類の学校として、「義務教育学校」を可能にする改正学校教育法が成立し、2016年4月1日に施行されました[5]。義務教育学校では、小学校にあたる部分を「前期課程」、中学校にあたる部分を「後期課程」と読み替えます[5]。

これらは選べる制度で、どこの学校もこうなったわけではありません。小学校6年、中学校3年、高校3年の6・3・3は、いまも多くの地域で基本の形です。ただ、その3+3が1つにつながる形や、6+3が1つにつながる形が、選べるようになりました。

1998年(平成10年)6月に「学校教育法等の一部を改正する法律」が成立し、1999年4月から中高一貫教育を選択的に導入できるようになった。その一形態である中等教育学校は6年一貫で、前期課程3年・後期課程3年から成る[4]。選択的導入であるため、全国一律の制度ではない。

2015年(平成27年)6月の通常国会で、9年間の義務教育を一貫して行う新たな学校の種類「義務教育学校」の設置を可能とする改正学校教育法が成立し、2016年4月1日に施行された[5]。手引の読み替え規定では、小学校にあたる部分が義務教育学校の前期課程、中学校にあたる部分が後期課程となる[5]。

同手引によれば、2016年2月の調査で、公立の義務教育学校の今後の設置予定は136校(うち2016年度は22校)とされる。この数は設置の予定であって、現在の学校数ではない[5]。

7. じぶんでも たしかめて みたく なったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

やってみよう。おじいさんや おばあさん、または 近所の おとなに、中学校に 入った 春の ことを 聞いて みましょう。「たてものは 新しかった?」「1ねん生は 何人ぐらい いた?」と 聞くと、話が ひろがるかも しれません。

聞いた ことは、メモに かいて おきます。年は 人に よって ちがうので、聞いた 話と、この メモの 年を くらべて みましょう。

次のようなことを、調べたり試したりできそうです。

  • おじいさんやおばあさん、近所のおとなに、中学校に入ったときのことを聞いてみましょう。校舎、先生、1クラスの人数など、思い出す話はさまざまなはずです。生まれた年を聞いて、この記事の年表と比べると、その人が何年生のときに制度が動いていたか、見えてくるかもしれません。
  • 自分の住む町の学校が、小学校と中学校に分かれているか、義務教育学校などになっているかを、市や町の教育委員会のサイトで調べてみましょう。
  • 文部科学省の「学制百年史」で、新制中学校の発足について書かれた部分を読んでみましょう[3]。

この記事では、学制百年史の該当章と、学校教育法制定時の原文、中高一貫教育および小中一貫教育に関する文部科学省の資料をもとに、制度の始まりとその後の変化をたどった。

読み進めるなら、次の3つの入り口がある。まず学制百年史の「新教育制度の具現」「新制中学校の発足と義務教育年限の延長」の2節で、制度の考え方と移行期の実態が読める[1][3]。次に、制定時の学校教育法の原文で、就学義務の年齢や中学校の目的の書き方を確かめられる[2]。最後に、文部科学省の小中一貫教育の手引で、義務教育学校の制度上の位置づけを見られる[5]。

また、自分の住む市区町村の教育委員会のサイトで、地元の学校が小中別か一貫かを調べてみるのもよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

文部科学省の公表資料のうち、本文で使ったものだけを挙げる。

  1. 文部科学省「学制百年史 新教育制度の具現」。 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317739.htm (学校教育法が骨組みになったこと、6・3・3への単純化、男女共学の方針について)
  2. 文部科学省「学制百年史 資料編」所収、学校教育法(昭和22年法律第26号)制定時原文。 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317990.htm (施行日、制定時の学校の種類、就学義務の年齢、中学校の目的について)
  3. 文部科学省「学制百年史 新制中学校の発足と義務教育年限の延長」。 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317744.htm (1947年の学年進行、9年間の義務教育、独立校舎15%と教員充足率について)
  4. 文部科学省「中高一貫教育の概要と設置状況」。 https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/ikkan/2/1316125.htm (1999年からの中高一貫教育と中等教育学校について)
  5. 文部科学省「小中一貫した教育課程の編成・実施に関する手引」(平成28年12月)。 https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/08/29/1369749_1.pdf (義務教育学校の成立と施行、前期・後期課程の読み替え、設置予定校数について)

なおした ところ

更新履歴

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