1. むかしの 学校の 屋根の 上で、鐘は 何を して いたの?
1. 1876年の校舎の屋根の上で、鐘は何をしていたのか
1. 開智学校の塔の鐘 ── 授業の区切りを、屋根の上から知らせる
長野県の 松本市に、明治9年(1876年)に 作られた 学校の たてものが のこって います。旧開智学校です。
屋根の 上には、八角形の 塔が のって います。ここに つるされた 鐘は、授業の はじまりと おわりを 知らせる ために 鳴らされた、と 書かれて います。
ただし、どの 学校にも 塔が あった わけでは ありません。塔の ない 学校では、どうして いたのでしょう。
2. 塔の ない 学校では、だれが 鳴らして いたの?
2. 塔のない学校では、鳴らして回る人がいた
2. 振鈴を手に校内を歩く ── 用務員の仕事だった合図
むかしの 学校では、手で ふる すずを 使う ところが ありました。振鈴と いいます。
これを 鳴らすのは、学校の しごとを して くれる 用務員さんの 役目でした。半鐘や、西洋の ベルを 使う 学校も あった そうです。
たとえば、げんかんから 校舎を ぐるっと 歩き、鳴らしながら 通ります。先生も 子どもも、「あ、始まる」と 気づきます。学校ごとに、やり方は ちがって いました。
岐阜市歴史博物館の展示解説には、学校のチャイムとして使われた道具に「振鈴」があり、用務員さんが鳴らした、と書かれています。学校によっては、半鐘や西洋式のベルも使われたとあります[3]。
学校づくりが始まった1872年の学制の後、明治・大正から昭和の初めごろまで、担当の職員が鐘やベルを鳴らしながら校内を回って授業の区切りを知らせていた、という説明もあります[4]。玄関から廊下を通り、教室の前で鈴を振る様子を思い浮かべると、当時の合図は「人が届けるもの」だったと分かります。
ただし、全国一律の決まりがあったわけではなく、学校ごとに方法は違いました。では、この方法に困ったことはなかったのでしょうか。
3. 歩いて 鳴らすと、何が こまったの?
3. 歩いて鳴らす方式は、何が難しかったのか
3. 「回って鳴らす」方式の限界 ── 音を放送する方式への移行
校舎が 大きい 学校を、はしから はしまで 歩いて 鳴らすと、どう なるでしょう。
いちばん 先に 鳴らされた 教室と、さいごの 教室で、はじまる 時間が ずれて しまいます。そこで、1か所から 音を 出して 学校じゅうに とどける やり方が 出て きた、と いわれる ことが あります。
ただし、この ことは、元の資料で はっきり たしかめられて いません。
広い校舎を端から端まで鳴らして回れば、それだけ時間がかかります。先に鳴った教室と最後の教室で、始まる時刻に差が出そうです。このため、1か所で鳴らした音を全体に放送する方式に変わった、と説明されることがあります。
ただし、この因果は、元の資料では確かめられていません。「そう説明されることがある」程度に受け取るのが安全です。
1950年代には、あらかじめ録音した音を流す装置が商品になった、と説明されています[7]。では、その音は誰が、どんな音にしようと選んだのでしょうか。
回って鳴らす方式の限界は、時間差にある。広い校舎の端から端まで職員が歩けば、その間、クラスごとに始まる時刻がずれる。このため音を一か所から放送する方式へ移った、と説明されることがある。校舎が広いと時間差が出るため放送方式へ移った、という説明もある。
装置の側では、日本語版ウィキペディアが、磁気テープの再生装置が1950年代に商品化され、その後に機械式、さらに電子式のチャイムへ進んだと整理している[7]。細部よりも大きな流れとして読みたい。では、その最初の音は、誰がなぜ選んだのか。
4. 先生は、どうして あの 音を えらんだの?
4. なぜ「ウェストミンスターの鐘」が選ばれたのか
4. 明るい音を探した教員 ── 1956年、大森第四中学校の場合
1956年に、東京都の 大森第四中学校で、日本で いちばん さいしょの 学校の チャイムが 使われた、と いわれて います。
ある 先生が、「イギリスで 有名な ウェストミンスターの 鐘の 音は、明るくて いいのでは」と 考え、音の きかいに くわしい 人に そうだんした そうです。
そのころは、鐘や ベルの 音を、こわい ことを おもい出すからと いやがる せいとも いました。だから、明るい 音が ほしかったのです。
ただし、だれが さいしょかは、資料に よって ちがいます。ここでは「さいしょと いわれる 1つ」と 考えて ください。
日本で最初の学校チャイムは、1956年(昭和31年)に東京都大田区の大森第四中学校で採用されたものだとされています。教員の井上尚美さんが「英国で有名なウェストミンスターの鐘の音が明るくてよいのではないか」と考え、技術者の加藤一雄さんに相談した、という経緯が、一般向けの学校史の解説(ガッコム)で紹介されています[4]。
「明るい音」が求められたのには、事情がありました。終戦直後の学校では手で振る鐘(ハンドベル)が使われていましたが、一部の生徒から、空襲を知らせた半鐘を思い出すのでやめてほしいという声が出たといいます[7]。そこで、警報を思い出させない明るい音が探されました。
ただし、「最初」は一人に決めにくい話です。1954年に井上さんと真島福子・宏さんがほぼ同時期に「ミュージックチャイム」の装置を考案したとする記述や、石本邦雄さんが1954年に開発したとする説、1930年代に原型があったとする指摘もあります[5]。この記事は「最初とされる」とだけ書きます。
では、その「ウェストミンスターの鐘」とは、もともとどこの、何のためのメロディなのでしょうか。
日本最初の学校チャイムは、1956年(昭和31年)に東京都大田区立大森第四中学校で採用されたとされる。教員の井上尚美が「英国で有名なウエストミンスターの鐘の音が明るくてよいのではないか」と考え、技術者の加藤一雄に相談した、と紹介されている[4]。
なぜ「明るさ」が条件になったのか。日本語版ウィキペディアによれば、終戦直後は振り鐘(ハンドベル)の音だったが、一部の生徒から空襲を知らせた半鐘を思い出すのでやめてほしいという要望が出た[7]。つまり、人が鳴らす道具の音は、聞く側の記憶と結びつく。音を選び直す動機は、生徒の声にあった。
ところが、「最初」と「発明者」は割れている。個人ブログが新聞記事(朝日新聞2007年10月1日)を整理した内容では、井上と真島福子・宏がほぼ同時期の1954年にミュージックチャイム装置を考案したとされ、ほかに石本邦雄が1954年に開発したとする説や、1930年代に原型があったとする指摘もある[5]。ブログである点と、新聞原文を見ていない点から、本記事は考案者を断定せず、採用の最初を「とされる」と書く。では、そのメロディはどこから来たのか。
5. あの メロディは、どこから 来たの?
5. 230年あまり前の教会時計から、学校へ
5. 1793年のケンブリッジから、ビッグ・ベンを経て日本の教室へ
あの メロディは、1793年に、イギリスの ケンブリッジという 町の 教会の 新しい 時計の ために 作られた、と いわれます。
だれが 作ったのかは、はっきり しません。音楽に くわしい 人の 助けが あった らしい、と 書かれて います。
のちに、ロンドンの 国会の たてものの 大きな 時計に 使われ、ビッグ・ベンの 鐘と いっしょに 世界に ひろがりました。その 音を、日本の 先生が 学校に つれて きたのです。
ウェストミンスターの鐘(ウェストミンスター・クォーターズ)は、1793年に、ケンブリッジのグレート・セント・メアリー教会の新しい時計のために作られたのが始まりとされます。作曲者ははっきりせず、ジョウェットという人が任され、ジョン・ランドルか、その教え子の助けがあったらしい、と英語版ウィキペディアは説明しています[6]。
その後、19世紀の半ばに、ロンドンの国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)の新しい時計に採用され、ビッグ・ベンの鐘とともに世界に広まりました。採用の年は資料によって揺れるため、ここでは「19世紀半ば」とします[6]。
つまり、日本の教室に響く音は、イギリスの教会時計から国会の時計を経て、1950年代の先生に選ばれた旅の結果です。では、鐘そのものは、今の学校からなくなったのでしょうか。
ウェストミンスター・クォーターズは、1793年、ケンブリッジのグレート・セント・メアリー教会の新しい時計のために作られた旋律である。作曲者は確定しておらず、ジョウェットが任され、ジョン・ランドルかその教え子ウィリアム・クロッチの助けがあったらしい、と英語版ウィキペディアは述べる[6]。ヘンデルの『メサイア』に由来するという説も語られるが、根拠は不明とされ、ここでは扱わない。
この旋律が世界に広まったのは、ロンドンの国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)の新時計に採用され、ビッグ・ベンの鐘とともに知られるようになったためである。ただし採用年は1851年前後と資料で揺れるため、本記事では「19世紀半ば」とする[6]。
すると、日本の教室の音は、教会時計から国会の時計を経由し、戦後の教員が「明るい音」として選び直したものになる。では、鐘や人の手による合図は、完全に消えたのか。
6. 今の 学校には、鐘は もう ないの?
6. 鐘は消えたのか ── 今の学校に残る音と、子どもたちが作った音
6. 残る鐘、作られるチャイム ── 横浜市と大阪市の小学校から
よこはまの ある 小学校には、「文化の 鐘」が あります。学校の 記念日には、チャイムの かわりに この 鐘を 鳴らす ならわしだそうです。鐘には、むかしの 卒業生が おくった ことを しめす ことばが ほられて います。
大阪の ある 小学校では、2016年度に、ちがう 学年の 子が まざった 班で、じぶんたちの チャイムを 作りました。2017年3月1日から、じゅぎょうや 給食の はじまりと おわりに 使って います。
鐘も、作る 音も、学校ごとに そだって います。
横浜市の日吉台小学校(明治6年創立)の校歌には「文化の鐘」が出てきます。毎年の創立記念日には、チャイムの代わりにこの鐘を鳴らすのが習わしです。鐘には「贈 昭和廿参年度卒業生」と刻まれています。校長先生は、以前は時を知らせる鐘だったのではと推測していますが、これは推測です[9]。
大阪市立北津守小学校(児童101人)では、2016年度に、全校の縦割り班で自分たちの学校のチャイムをつくる学習が行われ、2017年3月1日から、授業・昼食・清掃の開始と終わりに使い始めました[8]。チャイムは、与えられるだけでなく、子どもたちが作る音にもなりました。
人が鳴らす鐘、外国から来たメロディ、子どもが作った音。人が鳴らす鐘も、外国から来たメロディも、子どもたちが作った音も、学校の合図として使われてきました。
横浜市立日吉台小学校(明治6年創立)の校歌にうたわれる「文化の鐘」は、創立記念日にチャイムの代わりに鳴らす習わしで、「贈 昭和廿参年度卒業生」の刻印がある。校長は、以前は時を知らせる鐘だったのではと推測しているが、時報用だったかどうかは資料で確認されておらず、事実としては扱えない[9]。
いっぽう、大阪市立北津守小学校(児童101人)は、2016年度に、全校の縦割り班による「学校のチャイムをつくろう」の学習で自校のチャイムを創作し、2017年3月1日から授業・昼食・清掃の開始と終了に使い始めた[8]。奈良教育大学の教授の案内文にもとづく。
塔の鐘、振鈴、ハンドベル、外国由来の旋律、児童が作る音。どの時代も、合図は「その学校の誰かが選んだ音」だった。
7. じぶんの 学校の 音を 聞いて みよう
7. 自分の学校の合図を確かめる
7. 出口 ── 身近な音と、原典に当たる
学校の チャイムを、しずかに 聞いて みましょう。「キーンコーンカーンコーン」と、おなじ メロディでしょうか。学校に よっては、ちがう 音の ところも あるかも しれません。
もう 1つ。おうちの 人や、学校の 先生に、「むかしの 学校では、何の 音で 授業が はじまったの?」と 聞いて みましょう。ちがう 答えが かえって くるかも しれません。
もし 自分の 学校の チャイムを 作れるなら、どんな 音に したいでしょう。かんがえるだけでも、おもしろいです。
自分の学校のチャイムを、今度は少し気をつけて聞いてみてください。ウェストミンスターの鐘と同じ旋律でしょうか。違うなら、その学校では何を選んだのでしょう。
家族や学校の先生に、「昔の学校は、何の音で授業が始まったのですか」と聞いてみるのもよい方法です。振鈴の話や、別の合図の話が聞けるかもしれません。
出かけられるなら、旧開智学校の塔は松本市で見学できます。開館日や見学のきまりは、公式の案内で確かめてください。
身近には、まず自分の学校のチャイムの旋律を確かめる方法がある。ウェストミンスター・クォーターズと同じか、別の旋律か。違うなら、なぜその学校は別の音を選んだのか。
原典に当たるなら、旧開智学校校舎の解説(文化遺産オンライン[2]、観光庁の多言語解説文[1])、岐阜市歴史博物館の展示解説[3]、ウェストミンスター・クォーターズの解説[6]がある。最初のチャイムの考案者をめぐる新聞記事(朝日新聞2007年10月1日)は、この記事では個人ブログ経由でしか見ておらず、原文にあたって確かめる余地が残っている[5]。
旧開智学校は松本市にある。見学するなら、開館日や見学の決まりは公式の案内で確かめてほしい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:国の文化財情報(文化遺産オンライン・観光庁多言語解説文)、博物館の展示解説、学校史の解説、自治体・学校の公開資料、ウィキペディア、個人ブログを、つきあわせて使いました。ウィキペディアと個人ブログの内容は、細部を断定せず、流れだけを使っています。
- 観光庁「旧開智学校校舎」多言語解説文。https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/common/001653389.pdf (塔の鐘が授業の開始と終了を知らせたことについて)
- 文化庁「文化遺産オンライン 旧開智学校校舎」。https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/185076 (建設年・大工・八角形の塔屋について)
- 岐阜市歴史博物館 展示解説(学校の道具)。https://www.rekihaku.gifu.gifu.jp/gmh/wp-content/uploads/2019/10/10.pdf (振鈴・用務員・半鐘・ベルについて)
- ガッコム「学校の歴史巡り① チャイムの謎」。https://www.gaccom.jp/wp/article/school_history-1.html (担当職員が鳴らして回った方法、1956年の大森第四中学校の採用について。二次的な資料)
- ブログ「学校のチャイム、誰が作った」。https://aqbar.hatenablog.com/entry/2020/07/08/211857 (考案者に諸説あることについて。個人ブログで、新聞原文は未確認)
- Wikipedia "Westminster Quarters". https://en.wikipedia.org/wiki/Westminster_Quarters (メロディの起源と広まり。英語の資料)
- 日本語版ウィキペディア「チャイム」。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%A0 (戦後の鐘への声、装置の移り変わりについて。細部は断定しない)
- 大阪市立北津守小学校(大阪市教育委員会公開)奈良教育大学 宮下俊也教授の案内文。https://swa.city-osaka.ed.jp/e761761/download/document/15546616 (子どもたちがチャイムをつくった学習について)
- 横浜市立日吉台小学校「校長だより」令和5年6月29日。https://www.edu.city.yokohama.lg.jp/school/es/hiyoshidai/index.cfm/1,6709,c,html/6709/20230629-100019.pdf (「文化の鐘」について)
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