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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ろうかの ちいさな とびらの おくは、どこに つながって いたの?

廊下の小さな扉の奥は、どこへ続いていたのか ── 学校のダストシュート

学校のダストシュートに入れたごみはどこへ落ちたのか ── 1階まで落ちたごみ、校庭の焼却炉、1997年の通知

分野:歴史・文化

むかしの がっこうの ろうかには、かべに ちいさな とびらが ある ところが ありました。レバーを ひくと、ぱかっと ひらいて、ごみを なげ いれる ことが できたそうです。

ある しょうがっこうでは、いまは てつの いたで ふさがれて いて、おくには ごみを ためた くうかんだけが のこって いたと、しょうかいされて います。なげた ごみは、どこまで おちたのでしょう。この きじを よむと、その ゆくえと、とびらが ふさがれて いった わけについて、わかる ところまでが わかります。

昔の学校の廊下には、壁に小さな扉がある学校がありました。レバーを引いて口を開け、ごみを投げ入れると、1階まで落ちていったそうです。今はその扉が鉄の板でふさがれ、奥にごみをためた空間だけが残っている学校も紹介されています。

投げ入れたごみは、どこまで落ちて、そのあとどうなったのでしょうか。そして、あの扉はなぜふさがれていったのでしょうか。この記事を読むと、分かっていることと、まだ資料で言えないことの境目が分かります。

ある小学校の学校アーカイブには、廊下の投入口のレバーを引いて口を開け、ごみを捨てると、1階まで落ちて集められたと紹介されている。現在は鉄板でふさがれ、奥には、ごみをためた空間が残っていたという[1]。

では、集まったごみはその後どこへ行ったのか。なぜ、この設備は学校から姿を消したのか。この記事を読むと、確認できる範囲(1階まで落ちる仕組みと、1997年の焼却炉の原則廃止の通知)と、出典が二次的で断定できない範囲(設置の時期・投入口をふさいだ理由)の境目が分かる。

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1. ろうかの ちいさな とびらは、なに?

1. 廊下の壁の小さな扉 ── 開けると、縦の空間

1. ダストシュートとは ── 各階の投入口と縦の空間

ろうかの かべに、ちいさな とびらが あります。とびらの よこには、レバーが ついて います。ごみが でると、レバーを ひいて とびらを あけ、なかに すてたそうです。

この せつびを、「ダストシュート」と よびます。かいだんの ように おりて いくのでは なく、うえから したへ、ごみを すとんと おとす みちです。

とびらの おくには、なにが あったのでしょう。

廊下の壁に、小さな扉がある。横のレバーを引くと口が開き、ごみを投げ入れられる。そんな設備を、ダストシュートといいます。

もともとは、高い建物に付けたごみ捨ての装置です。各階で投げ入れたごみは、縦の管、または縦につながった空間を通って下に集まり、そこから運び出されます[2]。ごみを持って階段を何度も下りなくてすむ、というのが便利なところでしょう。

扉の奥は、どこにつながっていたのでしょうか。

ダストシュートは、高層建築に付けたごみ落とし用の縦穴の設備で、各階の投入口から入れたごみが、縦管(または縦につながった空間)を通って下に集積され、運び出される[2]。階ごとに階段を使ってごみを運ぶ手間を、重力に任せて省く仕組みである。

この設備が学校にも付けられていたとされる。では、学校の場合、縦の空間はどこで終わっていたのか。

2. なげた ごみは、どこまで おちたの?

2. 落ちたごみは1階に集まった ── ある小学校の例

2. 1階まで落ちたごみ ── 清瀬市の小学校アーカイブから

ある しょうがっこうの きろくが のこって います。なげいれた ごみは、1かいまで おとされて、あつめられたそうです[1]。

いまは、ろうかの とびらが てつの いたで ふさがれて います。しょくいんしつの まえの そうちの おくには、ごみを ためて おく くうかんが のこって いたと いいます[1]。

とびらの おくに、ごみを ためる ひろい ばしょが あったなんて、ちょっと ふしぎですね。ただし、これは 1つの がっこうの はなしです。ぜんぶの がっこうが おなじだったとは、いえません。

東京都清瀬市の小学校の学校アーカイブに、この扉の紹介があります。ごみが出るとレバーを引いて口を開け、中に捨てる。捨てたごみは、1階まで落とされて集められた、という説明です[1]。

今は、投入口が鉄の板でふさがれています。職員室の前にある装置の奥には、ごみをためる空間が残っていたそうです[1]。廊下の小さな扉の奥に、思っていたより広い部屋のような場所があったわけです。

ただし、これは1校の例です。全国の学校が同じ造りだったとは言えません。ダストシュートの仕組みは、建物ごと、学校ごとに違っていた可能性があります。

清瀬市教育委員会の学校アーカイブは、投入口の使い方を、ごみが出るとレバーを引いて口を開けて中に捨て、捨てられたごみは1階まで落とされて集められる、と紹介する。現在は鉄板でふさがれており、職員室前の装置の奥には、ごみをためる空間が残っていたという[1]。

この記述から確かめられるのは、この1校で、各階から1階へ、ごみが縦に集まる造りだったことまでである。全国の学校が同じ構造だったとは言えず、たとえば1階に置き場があったのか、そこから先を誰が、どう運んだのかは、この資料だけでは分からない。では、1階に集まったごみは、そのあとどうなったのか。

3. あつまった ごみは、そのあと どう なったの?

3. 校庭の焼却炉と、灰をかき出す当番

3. ごみのゆくえ ── 焼却炉と体験談の位置づけ

むかしの がっこうには、こうていの すみに、ごみを もやす そうちが ある ところが ありました。「しょうきゃくろ」と いいます。

いまの ように、まちの ごみを あつめる しくみが ととのう まえには、がっこうの なかで ごみを もやす ところが おおかったと いわれます[4]。

むかしの ひとの はなしには、「しょうがくせいが じぶんたちで ごみを もやした」「もえた あとの はいを かき出すのも とうばんだった」と いう ものも あります[4]。

ただし、ダストシュートの ごみが そのまま しょうきゃくろへ いったのかは、しりょうでは わかって いません。がっこうに よって ちがったのかも しれません。

学校で出たごみは、どうなったのでしょうか。自治体がごみを回収する仕組みが今ほど整っていなかった時代には、校内の焼却炉で燃やす学校が多かったといわれます[4]。

その時代を知る人の体験談には、「小学生が各自でごみを燃やしていた」「灰をかき出すのも当番制だった」という話も出てきます[4]。校庭の隅にあった小さな小屋のような焼却炉を思い出す人もいるかもしれません。

ただし、これは体験談のまとめです。ダストシュートで1階に落ちたごみが、そのまま焼却炉につながっていたとは限りません。1階の置き場から、人の手で運ぶ学校もあったでしょう。学校ごとに違ったと考えるほうが、正直です。

学校で出たごみの処理は、各自治体の回収体制が今ほど整っていなかった時代には、校内の焼却炉で燃やす例が多かったとされる。体験談のまとめには、小学生が各自でごみを燃やしていた、灰のかき出しも当番だった、という話もある[4]。

ただし、この根拠は体験談であり、統計や学校建築の資料ではない。しかも、ダストシュートで集まったごみが焼却炉へ直結していたのか、1階の置き場から人が運んだのかは、確認できる資料がなかった。「1階に集まったごみを、校庭の焼却炉で燃やす学校が多かった」と一本の道に結びつけて書くのは、資料の強さを超える。そこで、校庭の焼却炉は学校のごみの最終的な行き先の一つだった、とだけ整理する。その焼却炉が、あるときいっせいに使われなくなったのはなぜか。

4. こうていの えんとつは、どうして きえたの?

4. 1997年、焼却炉を「原則やめる」通知が出た

4. 1997年の通知 ── ごみ焼却炉とダイオキシン類への対応

1997ねんに、こくの やくしょが、がっこうの しょうきゃくろを「げんそく つかわない」ように、つうちを だしたと つたえられて います[5]。

きっかけの ひとつは、ごみを もやす ときに できる「ダイオキシンるい」と いう ものの もんだいです。おなじ としの はじめに、こうせいしょうが、ごみの しょうきゃくろの ための ガイドラインを だして います[6]。

その ときの はっぴょうには、「しょうきゃくろからの はいしゅつが、ぜんたいの 8〜9わり」と いう ほうこくが あると かかれて います。ただし、これは ぜんこくの しょうきゃくろ ぜんぶの はなしで、がっこうの ぶんでは ありません[6]。

1997年(平成9年)は、学校のごみ処理が大きく変わった年でした。労組の報告によると、文部省は7月23日に「学校におけるごみ処理等について」を通知し、10月30日に学校焼却炉の使用を原則廃止する旨を通知した、とされています[5]。

背景には、ごみを燃やすときに出るダイオキシン類への心配がありました。同じ年の1月、厚生省は「ごみ処理に係るダイオキシン類発生防止等ガイドライン」を出しています。発表には、ごみ焼却炉からの排出が総排出量の8〜9割を占めているとの報告がある、と書かれています[6]。

ただし、この8〜9割は、全国のごみ焼却炉全体についての話です。学校の焼却炉がそのうちどれだけかを表す数字ではありません。

厚生省は1997年(平成9年)1月に「ごみ処理に係るダイオキシン類発生防止等ガイドライン」を出した。発表資料は、背景として、ごみ焼却炉からの排出が総排出量の8〜9割を占めているとの報告があることを挙げる[6]。これは全国の焼却炉全体の話であり、学校の焼却炉の割合ではない。

この流れのなかで、学校も対象になった。自治労の報告によれば、文部省は同年7月23日に「学校におけるごみ処理等について」を通知し、10月30日に学校焼却炉の使用を原則廃止する旨の通知を出した[5]。日付は労組の報告で確かめたもので、通知の原文は未確認である。

ここまでで確かなのは、校庭の焼却炉が、通知によって使われなくなる方向へ動いた、ということまでである。では、廊下の小さな扉は、同じ理由でふさがれたのか。

5. とびらは、なぜ ふさがれたの?

5. 廊下の扉がふさがれた理由 ── 説明は「いくつか」ある

5. 投入口が姿を消した理由 ── 出典未記載の説明の扱い

ろうかの とびらが ふさがれた わけは、ひとつには きまって いません。ざんねんながら、しっかりした しりょうも、みつけられて いません。

よく いわれる せつめいは、「えいせいの もんだい」、「たてものが たかくなった こと」、「ごみを わけて だす ようになった こと」などです[3]。がっこうで ふさいだ わけや、どれくらい ふさがれたかを しめす しりょうは ありません。

でも、こうした せつめいは、どれも でどころが かいて ありません。「ほんとうに そうだった」とは、まだ いえないのです。

ダストシュートは、日本では昭和40年代の初めまで、大きなオフィスビルや公団住宅・マンション、学校に付けられていたとされます。その後、衛生上の問題や、建物のさらなる高層化、ごみの分別が見えるようになったことなどで、なくなっていった、という説明があります[3]。

ただし、これらは出典が書かれていない説明で、この記事で使える一次資料はありません。どの学校が、いつ、なぜふさいだのかは、資料では分かりません。

同じ時代の住宅地では、ごみを地下の管で集める方式が1970年代から1990年ごろにニュータウンに導入されました。マンションではダストシュートにそのまま捨てればよく、臭いも出ずに衛生的、という利点が挙げられました[7]。これは住宅地の話で、学校と結びつける資料はありません。

日本では昭和40年代初めまで、大規模なオフィスビル・公団住宅・マンション、学校に設置されていたとされる。廃止の理由には、衛生上の問題、さらなる高層化、ごみ分別問題の可視化が挙げられる[3]。学校の投入口をふさいだ理由や頻度を確認できる資料はない。これらの説明は出典未記載の二次的なもので、学校建築や衛生の一次資料は取得できていない。

そのため、「1997年に焼却炉が原則廃止になったから投入口も不要になった」「転落事故が多かったので封鎖した」のような因果は、この記事では書けない。資料にあるのは、設置の説明と、廃止理由についての説明があるという事実までである。

同じ時期の住宅地では、1970年代から1990年ごろ、ニュータウンで廃棄物運搬用真空輸送システム(地下の管でごみを集める仕組み)が導入され、マンションでは既存のダストシュートにそのまま捨てられて臭気が出ず衛生的、といった利点が挙げられた[7]。ごみを集める仕組みが場所ごとに違って発展したことの例だが、学校の話ではない。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

今日できること

おうちの ひとや、がっこうの せんせいに、「むかしの がっこうの ごみは、どうして いた?」と きいて みましょう。おぼえて いる ことが、ちがって いるかも しれません。

出かけてできること

がっこうの ろうかや かいだんの まわりに、ふさがれた ちいさな とびらや、かべの しかくい いたが ないか、さがして みましょう。みつけても、あけたり のぞいたり しません。ききたい ときは、せんせいに ことわって からに します。

こうしきの 情報じょうほう

じぶんの まちの がっこうや、きょういく いいんかいの ホームページに、むかしの がっこうの ことを かいた きろくが ある ことが あります。

むかしの学校のごみ処理について、周りの大人に聞いてみるのも、ひとつの調べ方です。

今日できること

家族や学校の先生に、「昔の学校では、ごみをどうしていた?」と聞いてみましょう。焼却炉があったか、灰の当番はあったか。人によって思い出が違うので、いくつか集めると比べられます。

出かけてできること

学校の廊下や階段の周りで、ふさがれた小さな扉や、壁の四角い板を探してみましょう。見つけても、開けたり、のぞいたりせず、先生に断ってから聞きます。

公式情報

市の教育委員会や学校のホームページに、学校の歴史を紹介した記録があることがあります。この記事で紹介した小学校の学校アーカイブのような資料です。

今日できること

祖父母や教員など、昔の学校を知る人に、ごみの処理や焼却炉の当番の思い出を聞き、時期(昭和・平成のいつごろ)とあわせて記録する。体験談どうしを並べると、この記事で「学校によって違ったかもしれない」と書いた点が確かめられる。

出かけてできること

校舎の廊下や階段まわりに、鉄板などでふさがれた小さな扉が残っていないか観察する。投入口や内部には触れず、学校や施設に事前に断りを入れる。

公式情報

自治体の教育委員会や学校の周年記念資料、市史・校史のほか、文部省通知(1997年)や厚生省ガイドラインの原文にあたると、この記事で「未確認」と書いた日付や数字が確かめられる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

学校の例は1校の学校アーカイブ、通知・ガイドラインの内容は労組の報告と行政の発表を用いた。設置時期・廃止理由は出典未記載の百科事典的解説で、体験談の多くは一般の人の書き込みのまとめである。

  1. 清瀬市教育委員会 清瀬市立第七小学校 学校アーカイブ file53-2 https://www.kiyose.ed.jp/kiyosedainanasyougakkou/2003144/2003536.html (投入口の使い方・1階に集まる・ふさがれた現在)
  2. ダスト・シュート(デジタル大辞泉/Wikipedia、Weblio掲載) https://www.weblio.jp/content/ダスト・シュート (仕組み)
  3. ダストシュート(Wikipedia日本語版) https://ja.wikipedia.org/wiki/ダストシュート (設置の時期・廃止理由の説明。出典未記載)
  4. 昭和の学校焼却炉(Togetterまとめ) https://togetter.com/li/2163511 (校内焼却炉の体験談)
  5. 自治労 京都市学校労組 報告 https://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_yamagata28/jichiken_hokoku/kankyo27/kankyo27.htm (1997年の文部省通知の日付)
  6. 環境省(旧厚生省)「ごみ処理に係るダイオキシン類発生防止等ガイドライン」報道発表 https://www.env.go.jp/recycle/kosei_press/h970123a/h970123a-1.html (ガイドラインの背景)
  7. 神戸山手大学紀要 第20号(2018)芦屋市のごみパイプライン論文 https://kuins.repo.nii.ac.jp/record/636/files/20%E2%91%A0%E4%BA%95%E4%B8%8A.pdf (ニュータウンのごみの集め方。学校の話ではない)

なおした ところ

更新履歴

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