1. 家庭科室の ごせんぞは、たたみの 部屋
1. 家庭科室のご先祖は、畳の上にあった
1. 最初のころの特別教室の一つは「畳敷きの裁縫室」だったという説明
学校には、ふつうの 教室の ほかに、理科室や 音楽室のような「とくべつ教室」が あります。家庭科室も その なかまです。
この とくべつ教室の なかで、いちばん はじめごろに できた ものの 一つが、いまの 家庭科室に あたる「さいほうしつ」だった と、教育に くわしい 人は 書いて います[1]。さいほうは、ぬいものの ことです。
そして その 部屋には、たたみが しいて ありました。さいほうは たたみの 上で する ものだった ため、わざわざ たたみの 部屋が 作られた のです[1]。
ただし、これは ある 人の 話で、日本じゅうの 学校が 同じ 時期に そう だった わけでは ありません。
学校の特別教室といえば、理科室や音楽室を思い浮かべる人が多いかもしれません。ところが、千葉保の解説では、特別教室のうち最初のころにできたものの一つが「裁縫室」で、いまでいう家庭科室にあたるとされています[1]。
裁縫が畳の上で行われていたため、学校にも畳敷きの裁縫室が作られたとされています[1]。理科室や音楽室などが設けられるようになったのは、大正から昭和にかけての学校づくりの時期だといわれるので[2]、それよりずっと前の話になります。
ただし、これは教育を長く見てきた書き手の説明で、全国のどの学校でも同じ時期に畳の裁縫室があったという意味ではありません。「一例では」と読むのが安全です。
この記事の答え
では、いまの家庭科室はなぜ学校にあるのでしょうか。大づかみにいえば、「手を動かして暮らしを学ぶ教科」のための部屋だからです。そのもとは裁縫室で、後から調理の学びが加わり、男女がいっしょに使う部屋へと変わってきました。この先の章で、その道すじを順に確かめます。
小学校の特別教室の起こりについて、千葉保は、最初のころにできた特別教室の一つが「裁縫室」で、現在の家庭科室にあたり、裁縫は畳の上で行われたため畳敷きの部屋が作られた、と述べる[1]。理科室・音楽室などが設けられるようになったのは大正から昭和にかけての学校の量産期とされ[2]、時期が前後することになる。
これは全国一律の事実ではなく、一例として読む。理科室や音楽室より早く、裁縫室が学校の中に場所を持っていたという見方である。
この記事の答えを先に述べると、家庭科室は「衣食住の実践的・体験的な活動を通して生活をよりよくしようと工夫する」教科[7]のための部屋で、起源の一つは裁縫室だった。以降の章では、なぜ裁縫室が必要とされ、どう男女共修の部屋になったのかを、理由のつながりで確かめる。
2. どうして 学校に たたみの 部屋を 作ったの?
2. なぜ学校に、わざわざ畳の部屋を作ったのか
2. 女子の就学を増やすための裁縫科 ── 1881年の小学校教則綱領まで
むかしは、女の子が 学校に 行かない 家も 少なく ありませんでした。
教育に くわしい 人の 話では、女の子に 学校へ 来て もらう ために、めいじの 時代の はじめごろ、ぬいものを 教える 「さいほう科」を 学校に おく ところが 出て きた そうです[1]。
そのうち、国の きまりにも「さいほう」と「家の しごとの 切りもり」が 入りました。1881年(めいじ14年)の ことです[3]。女の子の ための 教科として、かたまって いきました。
当時は、女の子が学校に通わない家も珍しくありませんでした。千葉保の解説では、女子の就学を増やすために、明治8年ごろから裁縫科を設ける学校が現れたとされています。明治12年の教育令では、裁縫科の設置が文章で明らかにされました[1]。
裁縫を習えることが、学校に通うきっかけになると考えられたのでしょう。畳の上で縫い物をする習慣に合わせて、学校の側も部屋の作りを合わせたとされています。
国の制度としては、1881年(明治14年)の「小学校教則綱領」で「裁縫」と「家事経済」が置かれ、女子向けの教科として家事・裁縫科が確立したとされます[3]。この年号については、別の資料で明治17年とするものもあるので、年号は資料によって少しずれることがあります。
3. 男の子も いっしょに 学ぶように なったのは いつ?
3. 戦後、家庭科は「男女で学ぶ教科」に変わった
3. 1947年の家庭科新設 ── 「民主的な家庭」を学ぶ教科へ
大きく かわったのは、1947年です。ここで「家庭科」という 教科が 作られました[3]。
この 教科は、みんなが なかよく くらせる 家庭を 作る ことを 学ぶ もの とされました[3]。小学校では、男の子も 女の子も いっしょに 学ぶ ように なった と、百科じてんには 書かれて います[3]。
それまで 女の子向けだった 家庭科を、男の子も いっしょに 学ぶ ように なった わけです。
大きな転機は、戦後すぐの1947年(昭和22年)です。GHQの部局の一つである民間情報教育局の指導のもとで、民主的な家庭の建設について学ぶ教科として「家庭科」が設置されました[3]。同じ年の学習指導要領(試案)では、戦前の修身などに代わって社会科が設けられ、小学校の家庭科も新設されています[4]。
それまでは女子向けの家事・裁縫科でしたが、小学校では1947年から、家庭科を男女がいっしょに学ぶようになったとされます[3]。裁縫室を祖先に持つ家庭科で、男の子も学びはじめた時期です。
ただし、ここでいう男女がともに学ぶのは小学校の話です。中学校と高等学校は、ここから先も長く事情がちがいました。
1947年(昭和22年)、民間情報教育局(CIE)の指導・監督のもとで、民主的な家庭の建設について学ぶ教科として「家庭科」が設置された[3]。同年の学習指導要領(試案)では、社会科とともに自由研究、小学校の家庭科が新設された(自由研究は後に廃止)[4]。
この教科は、かつての女子向けの家事・裁縫科とは目標が異なる。家庭を民主的に運営する主体を育てるという考え方であり、小学校では男女がいっしょに学ぶ形をとった、と百科事典は記す[3]。ただし、小学校で男女が同じ家庭科を学んだことと、中学・高校の扱いは別の問題である。
ここでは、小学校の男女共学の開始を1947年とする百科事典の説明に沿って書いている。ただし実際の運用は学校や地域で一様ではなかった可能性があり、「小学校はこの年から男女が学ぶ形になったとされる」という強さで読むのが妥当である。
4. 中学や 高校では、どうして 男女が 分かれて いたの?
4. 中学・高校では、長く男女で学ぶ内容が分かれていた
4. 1958年・1970年告示の学習指導要領 ── 「生活が男女で異なる」という前提
中学校では、1958年から、男の子と 女の子で 学ぶ ことが 分けられました。女の子には、りょうりや ふくを 作る ことが わりあてられました[5]。
国の 白書では、これから先の 生活が 男女で ちがう ことを 考えて、と されて います[5]。
高校でも、1970年に 国が しめした きまりで、「家庭いっぱん」という 科目は 女の子みんなが 学ぶ もの と されました[5]。
これは その 時代の 考え方で、いまとは ちがいます。
中学校では、1958年(昭和33年)告示の技術・家庭科で、生徒の現在および将来の生活が男女で異なる点を考慮して、目標と内容を男子向けと女子向けに分けました。女子には、調理や被服の製作などが割り当てられました[5]。
高等学校では、1970年(昭和45年)告示で、普通科の「家庭一般」はすべての女子に履修させるものとされました[5]。女子のみ必修の開始を1960年とする資料もありますが、ここでは内閣府が示す1970年告示の説明を採ります。
つまり、小学校では男女がいっしょに学んだ家庭科が、中学・高校では「女子の教科」の色を濃くしていったわけです。同じ家庭科室が、学校の段階によって、だれが入る部屋かが変わっていました。
1958年(昭和33年)告示の中学校技術・家庭科は、生徒の現在および将来の生活が男女によって異なる点を考慮し、各学年の目標と内容を男子向けと女子向けに分けた。女子には調理・被服製作などが割り当てられた[5]。
高校では1970年(昭和45年)告示で、普通科の「家庭一般」がすべての女子に履修させるものとされた[5]。女子のみ必修の開始を1960年とする資料もあるが、内閣府の1970年告示を採る。
ここから、小学校の1947年体制と、中学・高校の男女別体制が並立していたことが読み取れる。同じ「家庭科室」でも、利用できる生徒の範囲が学校段階で異なり、部屋の位置づけは制度の前提(生活は男女で異なる)に依存していた。
5. 男女いっしょに 学ぶように なったのは どうして?
5. 条約をきっかけに、中学・高校も男女共修へ
5. 1985年の女子差別撤廃条約批准と、1989年告示・1993/1994年度実施
1985年に、日本は 女の人への さべつを なくす ための やくそく(じょうやく)を、国として 正式に うけいれました[5]。
そのあと、1989年に 国が しめした 新しい きまりで、男女で 学ぶ ことに ちがいを つけない 形に なりました[5]。
じっさいに はじまったのは、中学校が 1993年度、高校が 1994年度からです[3]。ですから、いまの 大人の 中には、学校で 家庭科の とき、男女が 分かれて いた 人も います。
転機の一つは、1985年に日本が女子差別撤廃条約を批准したことです。その後、1989年(平成元年)告示の学習指導要領で、中学校の技術・家庭科は男女で履修範囲に差を設けない扱いになり、高校家庭科も男女必修になりました[5]。
ここで、「告示」と「実施」を混ぜないことが大切です。告示は1989年ですが、実際に学校で行われたのは、中学校が1993年度、高校が1994年度からです[3]。
実施が1990年代前半からなので、それより前に学校に通った人は、中学や高校の家庭科で男女が別々の内容を学んでいる場合があります。家族に聞くと、家庭科の授業の思い出がちがうことがあります。
1985年に日本は女子差別撤廃条約を批准した。批准とは、国が条約に拘束されることを正式に認める手続きだ。その後、1989年(平成元年)告示の学習指導要領で、すべての教科で男女別の履修に関する記述がなくなり、中学校技術・家庭科は男女で履修範囲に差を設けない扱いに、高校家庭科も男女必修となった[5]。
注意したいのは、告示と実施の区別である。実施は中学校が1993年度、高校が1994年度からで[3]、告示から実施までに数年の準備期間があった。年号を混ぜると、いつ生徒の側の体験が変わったかを取りちがえる。
条約批准と改訂の関係は、ここでは年の順序として示す。1985年の批准のあとに1989年の告示が続いた、という並びである。
6. 調理も ミシンも、どうして 一つの 部屋なの?
6. 調理も被服も、一つの部屋でこなす理由
6. 小学校の家庭科室は1室 ── 調理と被服を兼ねる配置
いまの 家庭科室には、りょうりを する 台も、ぬいものを する ミシンも あります。どうして、一つの 部屋で 両方 できるの でしょう。
東京都の 学校を しらべた 研究では、小学校は 家庭科室が 1つの ところが 多く、中学校や 高校は 調理室と ふくを 作る 部屋の 2つが ある ところが 多かった そうです[6]。
小学校では 1つの 部屋で、りょうりと ふくの 学習の 両方を する ひつようが あるからだ、と 研究では 考えられて います[6]。
ただし、これは 東京都の 学校の しらべで、全国 どこでも そうだ という ことでは ありません。
東京都の公立学校を調べた研究によると、小学校には家庭科室が1室、中学・高等学校には調理室と被服室の2室がある学校が多い、と報告されています[6]。小学校では1つの部屋で調理実習も被服製作も行う必要があるため、机や設備の配置も、前向きにそろえて並べる「一斉型」が多いと考察されています[6]。
家庭科が「衣食住などに関する実践的・体験的な活動を通して、生活をよりよくしようと工夫する」教科であることを考えると[7]、調理も縫い物も、教室ではなく「作業ができる部屋」で行うほうが自然です。裁縫室から出発した部屋が、調理も受け持つ部屋に広がったと考えられます。
ただし、東京都の公立学校の調査結果ですので、全国どこでも同じ配置という意味ではありません。学校の広さや生徒数によって、部屋の数や配置は変わります。
東京都内の公立学校を対象にした調査では、小学校には家庭科室が1室、中学・高校には調理室と被服室の2室を設置する学校が多かった。小学校では家庭科室で調理実習と被服製作の両方を行う必要があり、そのため配置も前向きの一斉型が多いと考察されている[6]。
この配置の理由は、教科の目標から読み取れる。現行の小学校家庭科は、衣食住などに関する実践的・体験的な活動を通して、生活をよりよくしようと工夫する資質・能力を育てることを目指す[7]。活動が手を動かす内容であるため、調理台・ガス・水道・ミシンなどを備えた作業のための部屋が要る、と考えるのが筋である。
限界も押さえたい。上の調査は東京都の公立学校の結果で、全国一律の決まりではない。
7. 自分の 学校の 家庭科室を 見に 行って みよう
7. 自分の学校の家庭科室は、どんな部屋か見てみよう
7. 家庭科室を「観察」と「資料」で読み直す
先生に 見ても よいか 聞いてから、家庭科室の 中を ぐるっと 見て みましょう。りょうりの 台と、ミシンの 両方が ありますか。まどの むきや、となりに じゅんびを する 小さな 部屋が あるかも 見て みましょう。
むかしの さいほう室は たたみでした。いまの 家庭科室は、男の子も 女の子も、どちらも 使う 部屋です。家庭科室の 使い方は、時代に よって かわって きました。
火や ほうちょうを 使う ときは、かならず 先生や 家の 人と いっしょに して ください。
先生に見てもよいか聞いてから、自分の学校の家庭科室の中を見てみましょう。まず机の並び方に注目します。みんなが前を向いて座る形でしょうか。それとも、調理台を囲んで班ごとに分かれる形でしょうか。1室で調理も被服もこなす学校なら、その工夫が見つかるかもしれません。
保護者や祖父母に、家庭科の授業がどんな授業だったか聞いてみましょう。1989年告示より前に学校に通った人は、男女で学ぶ内容が分かれていた場合があります。身近な人の話から、時代による授業のちがいが見えてくるかもしれません。
調べる手がかりとして、内閣府「男女共同参画白書」の令和元年版コラムには、学習指導要領と男女別の履修の変化が整理されています[5]。
火や包丁を使う調理の場面は、必ず先生や家の人と一緒に行ってください。
観察では、次の2点を確かめられる。①調理設備と被服設備が同じ部屋にあるか、別の部屋か(東京都の調査では、小学校は1室、中・高は2室が多いとされた[6])。②部屋の配置が前向きの一斉型か、班型か。ただし、この観察は自分の学校一例の話で、全国の傾向とは言えない。
資料では、内閣府の男女共同参画白書(令和元年版)のコラム[5]が、学習指導要領と男女別履修の変遷を原典に近い形で整理している。千葉保の解説[1]は、畳の裁縫室の話の出典である。
家庭科室の歴史を追うと、「だれのための部屋か」という問いは、教育の目標と社会の前提が変わるたびに書きかえられてきたことが分かる。身近な部屋ほど、制度の変化が形に現れやすい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
この記事で使った資料です。年号は資料によって少しずれるものがあり、本文では一次に近い資料を優先しました。
- 千葉保「こんな授業があったんだ 第43回『特別教室』の授業〈前編〉」Edit-us 2024 https://www.editus.jp/archives/13822 (裁縫室が最初の特別教室とされる点・畳敷き・女子の就学)
- 内田洋行 教育ウォッチ「学校建築・学校家具のトレンドの変遷」vol.1(2018) https://www.manabinoba.com/edu_watch/017362.html (理科室・音楽室などが設けられた時期)
- コトバンク「家庭科教育」(平凡社 世界大百科事典・小学館 日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典の記述) https://kotobank.jp/word/%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E7%A7%91%E6%95%99%E8%82%B2-45450 (1881年の教則綱領・1947年の家庭科設置・男女共修の実施年度)
- 大日本図書「教科書いまむかし」 https://www.dainippon-tosho.co.jp/textbook_history/ (昭和22年の学習指導要領と小学校家庭科の新設)
- 内閣府 男女共同参画白書 令和元年版 コラム2 https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r01/zentai/html/column/clm_02.html (1958年・1970年告示と1989年告示の履修の扱い)
- 東京学芸大学紀要「家庭科授業で使用される特別教室の設置状況と使用性・環境評価」 https://u-gakugei.repo.nii.ac.jp/record/2000766/files/27590151_03_03.pdf (東京都の公立学校の家庭科室の設置状況)
- 文部科学省 小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 家庭編 https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1387017_009.pdf (家庭科の目標の趣旨。言いかえで使用)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。