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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

がっこうに 鉄棒てつぼうが あるのは、どうして?

学校に鉄棒があるのは、どんな理由からなのでしょうか

学校の鉄棒は何のためにあるのか:木の丸太から、技に挑む運動まで

分野:歴史・文化

がっこうの 鉄棒てつぼうは、はじめ、てつの ぼうでは ありませんでした。ふとい 木の まるたで、ふとさ(直径ちょっけい)は 8センチメートルも ありました。

そんな ものが、どうして いまは がっこうに あるのでしょう。この ページでは、わざに ちょうせんして、できた うれしさを あじわう という ねらいと、木の まるたから がっこうに とどくまでの 道のりが わかります。

学校の鉄棒は、もとは鉄ではなく、直径8cmもある太い木の丸太でした[2]。いまの競技用の鉄棒は2.8cmですから、およそ3倍の太さです。

そんな棒が、どうして学校の校庭にあるのでしょうか。この記事を読むと、鉄棒がドイツから日本へ来て学校に入った流れと、学校の資料が説明する「技に挑み、できたときの喜びを味わう」運動のねらいが分かります。

鉄棒の原型は、鉄製の細いバーではなく、直径8cmの木の丸太だった[2]。競技用の現在の鉄棒は直径2.8cmで、およそ3分の1の細さである。

その棒は、なぜ日本の学校に定着したのか。ドイツの体操場、明治の兵営、昭和の低鉄棒、そして現在の学校現場の説明をつなぐと、学校体育の教材としての役割と、その目的が時代で変わってきたことが分かる。

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1. 「てつの ぼう」なのに、はじまりは 木だったの?

1. 「鉄」の棒なのに、はじまりは木だったのか

1. 鉄棒の原型は木製:ヤーンの「レック」と、名前の由来

てつぼうの はじまりは、ドイツです。ヤーンと いう 人が、1812ねんごろに、たいそうを する ばしょに おいた「レック」が もとに なりました[2]。

レックは、ふとい 木の まるたでした。ぶらさがる、のぼる、まわる、おりる、といった わざが ここから うまれました。いまの 競技きょうぎようの てつぼうは 2.8センチメートルですから、およそ 3ぶんの 1の ほそさです。

日本には、てつの ぼうに なってから はいって きたので、「鉄棒てつぼう」と 名づけられた、と いわれます[2]。

直径8cmの丸太

鉄棒の原型は、ドイツのヤーンが1812年にハーゼンハイデの体操場に設けた「レック」とされます。太い木の丸太で、直径は8cm。そこから、ぶら下がる、上がる、回る、下りるといった技が生まれました[2]。ヤーンは1811年にベルリンの郊外へ体操場をつくった、という説明もあり[1]、年は1811〜12年ごろと読んでおくのがよさそうです。

バーは、やがて木から鉄に変わり、細くなって、技も増えました。現在の競技用は、直径2.8cm、長さ240cmの鋼鉄のバーです[2]。8÷2.8は約2.9なので、直径はおよそ3分の1になった計算です。

名前は、鉄の棒になってから

日本には鉄製のバーになってから伝わったので「鉄棒」と名づけられた、と百科事典の一つは説明しています[2]。これは一つの辞典の記述なので、「とされる」と読んでおきます。ヨーロッパ北部の遊園地には、今も木製のバーが多いそうです。

ヤーンだけの発明、とは言い切れないようです。英語版の百科事典的な資料には、棒は古代ギリシャ・ローマの曲芸師が使い、体操に取り入れたのは1793年のグーツムーツの本で、ヤーンがそれを発展させた、とあります[3]。さて、この棒は、学校で何をするためにあるのでしょうか。

鉄棒の原型は、ヤーンが1812年にハーゼンハイデの体操場に設けた「レック」とされる。直径8cmの太い木の丸太で、ぶら下がる、上がる、回る、下りるといった技が、ここから生み出された[2]。体操場そのものは1811年にベルリン郊外に開かれたとする説明もあり[1]、年は資料で1年ずれるため、1811〜12年ごろと幅をもたせて読む。当時の器械は、今日の高度なものと比べるとかなり原始的だったという[1]。

だから「鉄棒」の名は、この木の棒にはまだ似合わない。百科事典の一つは、日本には鉄製のバーになってから入ったので鉄棒と名づけられた、と説明している[2]。名づけの経緯は一つの辞典の記述なので、「とされる」にとどめる。木のバーは、ヨーロッパ北部の遊園地には今も多いという。

では、ヤーンの発明なのか。英語版の百科事典的な資料(二次資料)は、棒の使用が古代ギリシャ・ローマの曲芸師にさかのぼり、体操に取り入れたのは1793年のグーツムーツの本で、ヤーンはそれをさらに発展させたと述べる[3]。単独の発明と言い切らないほうがよい。

太さの変化は大きい。現在の競技用は、直径2.8cm・長さ240cmの鋼鉄のバーで、直径の比では8÷2.8≒2.9、約3分の1になった[2]。ところが、この「細くなった棒」を学校の子どもが握る理由は、ここまででは何も説明されていない。次は、その理由である。

2. がっこうの てつぼうは、なんの ための もの?

2. 学校の鉄棒は、技に挑み、できた喜びを味わう運動

2. 学校での目的:「技に挑み」、達成の喜びを味わう運動

がっこうの しりょうには、マットや てつぼう、とびばこなどを つかう うんどうは、技わざに ちょうせんし、できた ときの うれしさを あじわう うんどう、と 書かれて います[5]。

てつぼうは、その うんどうの ひとつです。まえよりも すこし うまく できた、という うれしさが、ねらいの まんなかに あります。

ただ、「これが りゆうです」と ひとことで 書いた こうてきな ぶんしょは、この きじで つかった しりょうには ありません。いくつかの しりょうを あわせた、せいりの しかたです。

「技」に挑み、できたときの喜びを味わう

小学校の体育の資料は、器械運動を、マット・鉄棒・跳び箱などの器械や器具を使った「技」に挑み、できたときの楽しさや喜びを味わう運動だと説明しています[5]。鉄棒は、この器械運動の一つです。学校で鉄棒を使うねらいの中心は、人が考え出した技に挑み、自分の力に合った動きができたときの喜びを味わうことにある、というのがこの資料からの読み方です。

答えの言い方

ここで注意したいことがあります。学校に鉄棒がある理由を一言で述べた公的な文書は、ここで使った資料の中にはありません。上の説明は、学校現場の資料を並べて整理した読み方です。ですから、「鉄棒で筋力や運動能力が上がる」とまでは言い切れません。資料は実践報告で、効果を統計的に調べたものではないからです。

では、学年が上がると、鉄棒の授業はどう変わっていくのでしょうか。

学校で鉄棒を使う目的について、学校現場の資料は、器械運動を、マット・鉄棒・跳び箱などの器械・器具を使った「技」に挑み、達成したときの楽しさや喜びを味わう運動とする[5]。鉄棒はこの器械運動の一つであり、学校で鉄棒を使うねらいの中心は、技への挑戦と、できたときの喜びにあると読める。

この説明には、条件が付く。まず、学校に鉄棒がある理由を一文で述べた公的な文書は、今回の資料の中にない。上の内容は、小学校指導書を引いた論文や学習指導案など学校現場の資料から、書き手が整理したものである。次に、これらは実践報告であり、統制した実験ではない。したがって、筋力や運動能力が上がると断定する根拠にはならず、「技に挑む運動として位置づけられている」という範囲で読むのが妥当である。

では、その「経験」は、学年ごとにどう組み立てられているのか。

3. さかさまは、こわく ないの?

3. 1・2年生は「遊び」、3年生からは「技」に挑む

3. 学年による組み立てと、逆さへの怖さ:固定遊具の活用

1ねんせいと 2ねんせいは、「鉄棒てつぼうを つかった うんどうあそび」です。ぶらさがったり、やさしく まわったり して あそびます[4]。

3ねんせいからは「鉄棒てつぼううんどう」になって、技わざに ちょうせんします。

あたまが さかさまに なるのは、なれて いない 子には こわい ことです。うんていや ジャングルジムのような こていの あそびぐを つかうと、てつぼうに ひつような かんかくを たのしく みに つけやすい、と じちたいの しりょうは しょうかいして います[6]。

1・2年は遊び、3年から鉄棒運動

自治体の指導資料では、1・2年生は「鉄棒を使った運動遊び」として、ぶら下がったり、やさしく回ったりして遊びます。3年生以降は「鉄棒運動」と名前が変わり、技に取り組む学習になる、と紹介されています[4]。名前が「遊び」から「運動」に変わるところに、学年による組み立ての境目があります。

逆さまの怖さは、特別なことではない

頭が逆さまになる感覚に慣れていない子は、こわがりやすい。そう書いた自治体の教育資料は、固定施設(雲梯やジャングルジムのような遊具)を活用すると、鉄棒に必要な感覚を楽しみながら身につけやすいと紹介しています[6]。

鉄棒だけが特別な場所ではなさそうです。それでも、鉄棒が学校の中心の器具になっているのは、いつからなのでしょう。

学年ごとの組み立ては、自治体の指導資料(学習指導要領解説を基にしたもの)に整理されている。1・2年は「鉄棒を使った運動遊び」で、ぶら下がる、やさしく回るといった遊びを行い、3年以降は「鉄棒運動」として技に取り組む[4]。領域の名前が「遊び」から「運動」へ変わる点に、技への挑戦を学年で段階づける構成が表れていると読める。

感覚の慣らし方について、別の自治体資料は、頭が逆さまになるため、その感覚に慣れていない子どもは非常に怖がるとしたうえで、固定施設(雲梯やジャングルジムのような遊具)を活用すると、鉄棒に必要な感覚を楽しみながら効果的に身につけられると紹介している[6]。

鉄棒だけが特別な場所ではなく、感覚を慣らす道すじはいくつもある、ということになる。それでも鉄棒が学校の中心的な器具になった時期は、ここまでの話からは見えてこない。

4. 日本の てつぼうは、だれが さいしょに つかったの?

4. 鉄棒は、兵営から学校へやってきた

4. 兵営から学校体育へ:明治の体操は鉄棒中心ではなかった

日本に 鉄棒てつぼうが はいって きたのは、明治めいじの はじめごろ。さいしょは、へいたいの 人たちの くんれんに つかわれました[1]。

その あと、がっこうの 体育にも とりいれられ、なくては ならない ものに なって いきました[1]。

ただし、明治めいじの がっこうの 体操たいそうは、鉄棒てつぼうが ちゅうしんでは ありませんでした。のちの ときだいに、さかんに なって いった ようです。

最初は兵士の訓練

日本で器械を据えつけて体操をしたのは、明治の初めです。1871年(明治4)の廃藩置県のとき、近衛鎮台兵の兵営に、鉄棒・棚・手すり・木馬などが設置された、と百科事典は説明しています。鉄棒は、まず兵士の訓練に取り入れられ、のちに学校体育に欠かせないものになりました[1]。輸入の年を1868年とする辞典もあり、年は資料で食いちがうので、「明治の初め」にとどめておきます。

学校では、鉄棒は主役ではなかった

学校に体操が入ったのは、1872年の学制からで、初めは下級の小学校に「体術」として置かれました。1878年には、文部省が体操伝習所を設けて米国人リーランドを招き、教員養成と指導にあたらせます[1]。ところが、明治の学校体操の中心は、軽体操や普通体操、のちの兵式体操で、器械体操は兵式体操の側に入っていました。1913年(大正2)の学校体操教授要目からは、スウェーデン体操が学校体育の主流になっています[1]。明治の学校で鉄棒が全国に広まっていた、とは言えません。では、いまのような学校の鉄棒は、いつ形になったのでしょうか。

日本への導入は、学校ではなく兵営だった。1871年(明治4)の廃藩置県の際、近衛鎮台兵の兵営に鉄棒・棚・手すり・木馬などが設置された、とする説明がある。鉄棒は、明治初期にまず兵士の訓練のために取り入れられ、その後、学校体育に不可欠なものとなった[1]。ただし、別の辞典は導入を1868年(明治1)とするため、年は断定せず、「明治の初め」とする。

学校側の動きは、少し遅れる。1872年(明治5)の学制で、体操は下等小学に「体術」として置かれ、1873年の改正小学教則には「毎級体操ヲ置ク」とある。1878年には文部省が体操伝習所を設け、米国人リーランドを招いて教員養成と指導にあたらせた[1]。

ここで、鉄棒を学校体育の中心と思うと、誤解になる。明治期の学校体操の内容は、普通体操(矯正術・徒手体操・亜鈴体操など)と兵式体操(柔軟体操・器械体操・教練など)が中心で、器械体操は兵式体操の側に挙げられていた。1913年(大正2)の学校体操教授要目の制定以後は、スウェーデン体操が主流となる[1]。したがって、明治から学校の鉄棒が全国に普及した、という筋書きは資料から支えられない。

では、子どもが今のように使う鉄棒は、いつ、どんな形で学校に定着したのか。

5. こどもの せに あわせた てつぼうは、いつから?

5. 昭和に「低鉄棒」が小学校用に採用された

5. 低鉄棒の採用:高さ1.6m以下という条件

昭和しょうわに はいって、高さが 1.6メートル いかの ひくい てつぼうが、しょうがっこうの 体育に つかわれる ように なりました。それから、てつぼうは、がっこうの 体育の きょうざいとして ひろく つかわれる ように なったと いわれます[2]。

競技きょうぎようの てつぼうは、ゆかから 280センチメートルの 高さに バーが あります[2]。ひくい てつぼうは、こどもの からだに あわせやすい うえに、あしが じめんに ちかい ぶん、こわさも へりそうです。これは、わたしたちの かんがえです。

1.6m以下の鉄棒

昭和に入って、高さ1.6m以下の低鉄棒が小学校の体育用に採用されると、鉄棒は学校体育の教材として広く使われるようになりました[2]。採用された年は「昭和に入って」としか書かれていません。

競技用との高さの差

競技用の鉄棒は、床から280cmの支柱に、長さ240cmのバーが固定されます[2]。辞典によって競技の高さは少しちがって書かれるので、この数字は一つの例です。そのうえで、280cmと1.6m(160cm)以下を並べると、学校用は競技用の6割ほどの高さまでです。子どもの背丈に合わせたのだろう、と考えるのは自然ですが、これは書き手の推測です。

鉄棒の目的は、時代とともに、同じだったのでしょうか。

学校の鉄棒が今のように使われるうえで、転機になったのが低鉄棒である。ブリタニカ国際大百科事典の小項目事典は、昭和に入って、高さ1.6m以下の低鉄棒が小学校体育用に採用されてからは、学校体育の教材として広く利用されるようになった、と述べる[2]。採用された年は資料にないので、「昭和に入って」までしか言えない。

一方、競技用は、床面から280cmの支柱にバーが固定される[2]。競技の高さは辞典ごとに少しずつ違って書かれており、学校用の高さと混ぜて論じることはできない。それでも二つを並べると、低鉄棒の上限1.6m(160cm)は、競技用の280cmの約6割(160÷280≒0.57)にあたる。

低くすれば、子どもの体格に合い、足が地面に近い分、逆さや回転への不安も減る。ただしこれは書き手の推論であり、採用の理由を述べた資料は今回なかった。確かなのは、昭和以降、低鉄棒が小学校体育用として使われ、教材として広まったという点までである。

では、その教材のねらいは、いつも同じだったのか。

6. てつぼうの ねらいは、ずっと おなじ だった?

6. 鉄棒の目的は、時代とともに変わってきた

6. 戦前の「姿勢と体力」から、技の組み合わせへ

むかしの がっこうでは、すがたを ただしく たもつ ことや、からだの ちからを つける ことを ねらいに して いました[2]。

いまは、いろいろな わざを つなげて、うつくしく うごく ことも めざされます[2]。

「けあがり」という わざは、1850ねんに クンツと いう 人が かんがえた、と いわれます。人が かんがえた わざを、わたしたちが いま、れんしゅう して いる のです[2]。

姿勢と体力から、美しい動きへ

世界大百科事典によれば、鉄棒は第2次世界大戦の前、国家主義的な教育のもとで、姿勢の保持や体力づくりを目的として行われました。最近は、体操競技の鉄棒の影響も受けて、多様な上がり技・回転技・下り技を組み合わせた連続技で、美しい表現が追求されるようになっています[2]。

人が考えた「技」に挑む

鉄棒の技は、少しずつ人が考え出してきたものです。「け上がり」は、1850年にクンツが考案したとされます[2]。1896年の第1回オリンピック・アテネ大会から、鉄棒は種目別の正式種目で、この大会ではドイツのワインゲルトナーが優勝しました[2]。

木の丸太で始まった棒は、技を考える人たちに支えられて、競技や学校の授業へ広がりました。次に、自分でも確かめられる道すじを見てみます。

鉄棒のねらいは、時代で動いてきた。世界大百科事典は、第2次世界大戦前には、国家主義的な教育のもとで、姿勢の保持や体力づくりを目的として行われたと説明する。最近は、体操競技の鉄棒の影響も受けて、多様な上がり技・回転技・下り技を組み合わせた連続技により、美的表現が追求されるようになった[2]。

この変化の背景には、技そのものの歴史がある。「け上がり」は1850年にクンツが考案したとされ[2]、1896年の第1回オリンピック・アテネ大会からは、鉄棒は種目別の正式種目となり、ドイツのワインゲルトナーが優勝した[2]。木の丸太で、ぶら下がる・上がる・回るという単純な運動から始まった棒は、技の数と連続技の発想を増やしながら、競技と学校の両方に入っていった。

前章の「技に挑み、達成の喜びを味わう」という学校の説明と、ここで見た「美的表現」は、同じ運動のどこを見るかの違いと読める。ただし、戦前から現在までの目的の変化は辞典の一つの記述なので、ここでは大きな流れとして読む。

7. こうえんの 鉄棒てつぼうで、ためして みよう

7. 公園の鉄棒で、自分の体の感覚を確かめる

7. 自分の体で確かめる道すじと、原典の探し方

こうえんで、いちばん ひくい 鉄棒てつぼうを さがして みましょう。まわりに 人が いないか、てが すべらないか 見てから、おとなと いっしょに ためします。

あしが じめんに ついた まま、うでで ぶらさがって みます。ぶらさがると、ふだんの けしきと、どう ちがうでしょう。あたまの 高さが かわると、からだは どう かんじるでしょう。

さかさまには ならなくて だいじょうぶです。こわい ときは、すぐに やめましょう。

おうちでは、ものさしで 8センチメートルと 2.8センチメートルを はかって みましょう。むかしの 木の まるたは、どれくらい ふとかったのでしょう。

今日できること

公園や学校の鉄棒のうち、いちばん低いものを選び、足が地面についたまま腕でぶら下がってみます。手が滑らないか、まわりに人がいないかを先に見て、無理に逆さにはならないでください。そのうえで、ぶら下がったときの景色や、頭の位置の感覚を言葉にしてみます。

家では、定規で8cmと2.8cmを測って、同じくらいの太さのものを探してみると、ヤーンの丸太と競技用のバーの差が実感できます。

原典を探すなら

文部科学省の学習指導要領と、その解説(体育編)の「器械運動」の項に、学校での位置づけが書かれています。今回は自治体の資料と百科事典を使いましたが、本文を読むと、鉄棒運動の説明が実際にはどんな文章で書かれているかが分かります。

確かめる道すじは3つある。1つめは、自分の体で試すこと。手がすべらず周りに人がいないことを大人と確かめてから、公園や学校のいちばん低い鉄棒で、足が地面についたまま腕でぶら下がり、手の握り、腕で支える感覚、頭の位置による景色の違いを言葉にする。2つめは、数値の確認で、定規で8cmと2.8cmを測り、身のまわりの物と太さを比べる。3つめは、記述の出どころを探すことである。

原典は、文部科学省の学習指導要領と解説(体育編)の器械運動の項である。今回の記事は、自治体・大学の資料にある説明と百科事典の記述を整理したもので、解説本文を直接読んだものではない。したがって、細かな言い回しや学年別の内容は、原文との照合が要る。どの記述がどの資料に支えられているかを区別しながら読むと、「学校に鉄棒がある理由」が、確かな部分と推論の部分に分かれて見えてくる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文は、ここにある資料の内容を、自分の言葉で言いかえたものです。年・名称・数値は、資料によって細部が異なることがあります。

  1. 世界大百科事典・日本大百科全書「体操」(コトバンク) https://kotobank.jp/word/%E4%BD%93%E6%93%8D (ヤーンの体操場、日本の兵営への設置、学制、明治・大正期の学校体操)
  2. 日本大百科全書・世界大百科事典・ブリタニカ国際大百科事典・マイペディア「鉄棒」(コトバンク) https://kotobank.jp/word/%E9%89%84%E6%A3%92 (レックの太さ、名前の由来、低鉄棒、目的の変化、競技用の寸法、けあがり、オリンピック)
  3. Horizontal bar(Wikipedia 英語版) https://en.wikipedia.org/wiki/Horizontal_bar (古代の曲芸師とグーツムーツ。二次資料)
  4. 熊本県の指導資料(学習指導要領解説を基にしたもの) https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/119088.pdf (1・2年「鉄棒を使った運動遊び」と3年以降「鉄棒運動」の名前)
  5. 四天王寺大学 紀要 第61号 掲載論文(小学校指導書を引用) https://www.shitennoji.ac.jp/assets/images/research/library/repo/kiyo61/kiyou61-6.pdf (器械運動のねらい:技に挑み、できたときの喜びを味わう)
  6. 茅ヶ崎市教育委員会 資料 https://edu.city.chigasaki.kanagawa.jp/_res/projects/school/_page_/002/002/915/202212.pdf (逆さへの怖さと、固定施設の活用)

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